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2008-11-03

日本は侵略国家であったのか」を読む 補足

http://anond.hatelabo.jp/20081101232814

 こんにちは元増田です。

 どれだけ厳しい批判が寄せられているだろうかと恐る恐るみてみたら、好意的な反響が多く、胸をなでおろしています。

 増田に書く理由としては、ひとつめ、専門外のことに長く関わるつもりがないこと、ふたつめ、連休の出先で手元に一冊の参考書籍もなく、HDDネット上のソースだけを参考に書いたエントリなど、歴史を専攻したものとして、しかも専門外のものとして、とても胸を張って提示できるものではないこと、みっつめ、それゆえ、ホームに書いたら全て書き換えるほどの修正をせずにはいられないだろうが、その気力も時間もないこと、よっつめ、しかし、あれを「論文」とすることには憤りを覚えたので、せめて学問を知る人にはトンデモトンデモであると伝えてみたかったこと、いつつめ、増田であれば上記の点をそれほど気にやまずに済むこと、このくらいでしょうか。したがって、私のエントリはいわゆる「ちらしのうら」です(文献表記がみにくいのもわざとです。すみません)。私はさくっと書き逃げする卑怯者です。内容がいかがわしいのも推敲が甘いのも全て私の責任です。でも、もろもろの言い訳によって逃げられるものではないですよね。ああ。

 さて、前回のエントリでは、後半にさしかかったときにから睡魔に襲われ、最後は「藁人形叩き」ばかりになってしまいました。ようやく投稿できたと思ったら、字数超過で記事を分割せねばならず、つづきでは田母神氏の論文タイトルを間違えてしまいました。謹んで失礼をお詫びします。いろいろとミスがあろうと手をいれるつもりはなかったのですが、批判する論文タイトルの間違いはいくらなんでもひどいので、訂正します(ついでに「シンガポール華僑粛清事件裁判記録」後編のミスも直します)。これも後出しですが、原文が縦書きの漢数字は、横書きなので適宜英数字にしています。

 では、気をとりなおして「藁人形叩き」ばかりをしていたところに補足してみたいと思います。最後に与太話の蛇足ですが雑感を述べてしめます。

 しかし人類歴史の中で支配、被支配の関係戦争によってのみ解決されてきた。強者が自ら譲歩することなどあり得ない。戦わない者は支配されることに甘んじなければならない。

(前回と同じく、はてな記法による引用の出所は、田母神俊雄日本は侵略国家であったのか」2008年http://www.apa.co.jp/book_report/images/2008jyusyou_saiyuusyu.pdf

 第2次世界大戦開戦の時点であっても、カナダオーストラリア南アフリカなどが自治領化・独立した例がありますね。フィリピンでも独立を前提とした自治領政府が成立していましたね。

 また、どちらかといえば植民地統治体制の比較の話ですが、自治・独立とまではいかないまでも、現地の住民を支配機構採用していく次のような例もありました。

1920年代より英国ビルマに赴任するICS〔引用者注インド高等文官の略称〕に英国人のみならずビルマ人も採用すべく方針を変え、その結果1939年末の段階で、ビルマにおける全高等文官のうちビルマ人は32.8%を占めるに至った」(根本敬「英領期のビルマ人高等文官(ICS/BSC)とタキン党」『東南アジア学会会報』63、1995年、17ページ。http://ci.nii.ac.jp/cinii/servlet/CiNiiLog_Navi?name=nels&type=pdf&lang=jp&id=ART0004924657

それは日露戦争、そして大東亜戦争を戦った日本の力によるものである。もし日本があの時大東亜戦争を戦わなければ、現在のような人種平等の世界が来るのがあと百年、2百年遅れていたかもしれない。

 1940年代において、宗主国が疲弊し、植民地独立運動が高揚したのは確かなことでしょう。ただし、歴史学の領分は、「もしも」を考えるというより、その過程をつまびらかにして、それぞれの要因や重要性を検討することにあります。

 まず、開戦の詔書には「東亜ノ安定」「世界平和」「万邦共栄」「東亜安定」「東亜永遠平和確立」という表現はありますが、肝心の戦争目的を述べている部分は、あくまで「今ヤ自存自衛ノ為蹶然起ツテ一切の障礙ヲ砕碎スルノ外ナキナリ」(「御署名原本・昭和十六年・詔書一二月八日・米国英国ニ対スル宣戦ノ件」1941年12月8日アジア歴史資料センターレファレンスコードA03022539800。引用部分の漢字は適宜新字体を用いました。センターホームページの検索バーに左記のレファレンスコードを打ち込めば該当資料のページへ飛べますhttp://www.jacar.go.jp/)ということであり、「アジア民族解放」、「植民地解放」、や「独立」といった文言は一切ないことを指摘しておきます。文面上はまさに自存自衛の戦いをうたっており、解放約束は明文上ではなされていません(ちなみに、みればわかりますが「八紘一宇」もないです)。では、実際、アジア諸国にどう接し、現地住民はどう対応したのか、前回は文献名をあげただけのものから少し引用しておきます。

ビルマ1943年8月1日主権を有する独立国家となったが,真の独立を求めるビルマ人にとってそれは,’’偽の独立’’,’’メッキの独立’’にすぎなかった。ビルマ人は,独立が’’空虚’’であることを知っていた。この当時の日本人に対するビルマ人の態度は,「愛していなくても我慢して接吻する」ようなものであった」(大野徹「ビルマ国軍史(その2)」『東南アジア研究』8(3)、1970、360ページ。http://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/55632/1/KJ00000134014.pdf原文の注の番号は引用者が削除しました。以下の引用文でも同じ)。

日本の『朝日新聞』は、この作戦について、「皇軍航空部隊の空襲は一見、印度民衆の苦難を一層増大せしめるかに見えるが、爆弾の雨の中に、皇軍印度独立運動に対する無限の慈愛と支援が含蓄されている」と書いていた。まことに「含蓄」の深い論評だったと言うべきであろう」(中里成章「日本軍の南方作戦とインド」『東洋文化研究所紀要東京大学)』151、2007年、190ページ。http://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/dspace/bitstream/2261/5716/1/ioc151004.pdf)。

「本稿では不十分ながら、日本大東亜共栄圏アジア主義プロパガンダが、そして、その大枠の中で動いたチャンドラ・ボース等の活動が、インド社会との接点を持てずに、空回りしていたことを明らかにしえたのではないかと思う」(前掲中里論文、195ページ。ボースたちについては、197ページの注6、200ページの注22、202ページの注26、208ページの注80も参照)。

 インドネシアフィリピンベトナム抗日闘争について、詳しくは論文本文を読んでいただきたいのですが、結論としては、

「要するに、東南アジア諸国の反植民地民族独立運動は、太平洋戦争日本の侵略によって生じた情勢やその他条件を、主体的、積極的に活用して日本に対応し、戦前に比して飛躍的な成長を遂げた。そして、このことは、戦後における東南アジア諸国の民族独立運動の高揚や民族独立の達成の決定的要因となった。この意味において、太平洋戦争日本の侵略は、東南アジア諸国の民族独立運動史における一大転換点であったということができよう」(谷川榮彦「太平洋戦争東南アジア民族独立運動」『法政研究九州大学)』53(3)、1987年、395ページ。http://ci.nii.ac.jp/cinii/servlet/CiNiiLog_Navi?name=nels&type=pdf&lang=jp&id=ART0008279870原文にあった傍点は除いた)。

 以上でつっこみの補足は終わりです。現下の情勢については特に言及しません。

 さて、今回のエントリ執筆目的としては、可能な限り速やかに「論文」が論文になっていないことを示すことでした。大事なのは「内容」とおっしゃるのは結構ですが、学問的に批判可能な形式(もちろん既存の研究にとらわれない革新的な独自形式でも、読者に史料を提示できればかまいません)をとらないものは、「無敵な人」の独自な「歴史観」の告白にすぎないでしょう。それに価値を認めるのは個人の自由ですが、学問教育の場に持ちこむのはお門違いです。そのような姿勢では、いつまでたっても歴史学における扱いはトンデモのままですよ。もちろん、大学研究所にいる専門家でなければ歴史の話をしてはいけないということではないです。「昭和史論争」を引き起こしたのは歴史研究者ではありませんでした。しかし、自己見解教科書にのるような通説となさりたいのであれば、専門家と同じ舞台に立ち、その批判に応答しなければならないでしょう。「つくる会」はその舞台に立つ気はないと宣言した結果どうなっているでしょうか。今なら学術雑誌に投稿しなくても、インターネット上でいくらでも長文の論文発表できますよね。

 一般に、歴史研究者は、四年生大学で専門的なトレーニングを受け、さらに修士課程二年間、博士課程三年間以上を費やして史料を読み込み論文を紡ぎだしています。それでも、個々の論文の結論で言えることはささやかなことです。また、研究会学会書評などの形でお互いに切磋琢磨しています。それぞれが広範な史料に目を通しているからこそ、個々の研究がその時代の歴史像のどこに位置づけられ、どの部分がその時代の特徴をよくとらえられているかを議論できるのです。自分の個別研究歴史研究の大きな流れのどこに位置づけられるのかをとらえるため、歴史を学ぶ標準的な手順としては、まずは先達がエッセンスを詰め込んだ教科書、概説書を読み、そこから主要な研究文献やレビュー論文目録等を漁って研究史をたどり、そこで用いられている史料を読み、先人の研究の妥当性を検討したり自己の問題関心を追求していくのです。木簡のように新しい史料が見つかったり、機密文書が公開されたりして史料が増えれば、それがどのように従来の見解に修正を迫り、新たな知見を付け加えるのか議論します。そのような積み重ねのなか、通史は更新され、教科書記述も変わっていきますが、このことをもって歴史は定まりないものだから最新の研究成果も独自研究も変わりないということは的外れでしょう。それはかえって科学としての歴史学が機能している証拠にほかなりません。

 さて、歴史学者全体がイデオロギー的に偏向している、現行の教科書自虐史観マルクス主義史観に基づいているという「つくる会」の主張もありますね(それでいて『国民歴史』のように、専門家研究から剽窃したりするの会員もいるのは厚顔無恥ですね。参照、尾藤正英『日本文化歴史岩波新書2000年あとがき)しかし、戦後長く標準的な高校教科書として採用されてきた山川出版社の『詳説世界史』の執筆者には林健太郎(故人への敬称は略します)が含まれていました。日本史にしても伊藤隆氏が編者であった『近代II』を含む、『日本歴史大系』山川出版社、1984-90年、が、受験前に初めて読む通史だった私などには、学会の主流がマルクス主義史観など妄言にしか聞こえません。岩波だから駄目などという意見も見ることがありますが、最新の『岩波講座世界歴史岩波書店、1997-2000年、では、古代中世近世近代という時代区分はもはや採用されていません。そもそも研究の場では、評価は自分の目で確かめてから下すもので、事前に確定できるものではないのです。

 私が前回あげた書評にこういう記述があります。

「いずれも〔引用者注:本文でふれられている臼井勝美氏、酒井哲哉氏の研究のこと〕,侵略の時間連続性〔引用者注満洲事変から日中戦争へ〕を,陸軍の遠心性,すなわち現地機関の好戦性や暴走に帰さない画期的研究であった」(加藤陽子書評 安井三吉著『柳条湖事件から盧溝橋事件へ―1930年華北をめぐる日中の対抗―』」『アジア経済』45(9)、2004年、67ページ。http://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/dspace/bitstream/2261/7473/1/kato45_09.pdf)。

日本の軍は強くなると必ず暴走し他国を侵略する」なんて本質論は、学界ではなされていませんよ。人事面でも、システム設計運用面でも、上部の問題は大きかったですよね。私みたいなものにも自衛隊に信頼できる友人はいますので、余計に上が軍の失敗を反省するそぶりもみせないのは問題と感じるわけです。

 最後に、余計なお節介でしょうが、歴史学入門、史学史についていくつか参考文献をあげておきます。ご興味のある向きは手にとられてみてはいかがでしょうか。

小田中直樹歴史学ってなんだ?』PHP新書2004年。(CiNiiの定額許諾を契約している大学関係者は、下敷きとなった論文DLできるかもしれません。私は今DLできる状況にないので保障はしません)

小田中直樹言語論的転回歴史学」『史学雑誌109(9)、2000年

http://ci.nii.ac.jp/cinii/servlet/CiNiiLog_Navi?name=nels&type=pdf&lang=jp&id=ART0002622266

歴史科学協議会編『卒業論文を書く―テーマ設定と史料の扱い方』山川出版社1997年

永原慶二『20世紀日本の歴史学』吉川弘文館2003年

 今まで述べてきたような研究の積み重ねに対し、自説の根拠もまともに示さずに自分の意見を広めたいと主張する行為がどういうものか、一度お考えになっていただけたら幸いです。

 また見苦しい長文になってしまいました。最後まで読んでくださった方に感謝します。

(追記)さすがに人名の誤記は看過できないのでミスを修正しました。

(再追記)引用文の出典が抜けていたのも直しました。すみません。

(再々追記)直ちに答えられるトラバをいただいたので応答します。ホロコースト研究の進展について次の文献を参照してください。

健介ホロコーストニュルンベルク裁判」『史論(東京女子大学)』55、2002年http://ci.nii.ac.jp/cinii/servlet/CiNiiLog_Navi?name=nels&type=pdf&lang=jp&id=ART0008575897

2008-11-01

日本は侵略国家であったのか」を読む

 田母神俊雄氏の「論文」が問題になっています。原文は↓からDLできます。

http://www.apa.co.jp/book_report/images/2008jyusyou_saiyuusyu.pdf

親切に英訳までしたようです↓。そのおかげか、さっそく海外でも反響を読んでいます↓↓。

http://www.apa.co.jp/book_report/02.html

http://news.bbc.co.uk/2/hi/asia-pacific/7702374.stm

http://www.independent.co.uk/news/world/asia/japan-to-sack-air-force-chief-over-wwii-views-981051.html

http://www.guardian.co.uk/world/2008/oct/31/japan-secondworldwar

http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2008/10/31/AR2008103101475.html

http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2008/10/31/AR2008103100989.html

http://www.nytimes.com/2008/11/01/world/asia/01tokyo.html?_r=1&ref=world&oref=slogin

http://www.thestandard.com.hk/breaking_news_detail.asp?id=8886&icid=4&d_str=20081031

http://www.straitstimes.com/Breaking%2BNews/Asia/Story/STIStory_297008.html

http://www.straitstimes.com/Breaking%2BNews/Asia/Story/STIStory_297257.html

http://timesofindia.indiatimes.com/World/Rest_of_World/Japans_air_force_chief_sacked_over_WWII_comments/articleshow/3659583.cms

 ローズベル陰謀論が結構とりあげられています。どれだけ「国益」を損ねているのだろう。やれやれと、日本報道に対するブコメ日記を見てみたら、田母神氏の「論文」の内容に肯定的な人もそれなりにいらっしゃるようです。

http://b.hatena.ne.jp/entry/http://www.apa.co.jp/book_report/images/2008jyusyou_saiyuusyu.pdf

http://b.hatena.ne.jp/entry/http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20081031-00000123-jij-soci

http://b.hatena.ne.jp/entry/http://www.asahi.com/politics/update/1031/TKY200810310298.html

http://b.hatena.ne.jp/entry/http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2008110102000087.html

 私も別に現代史に詳しいわけではないです(気の向いたときに、中身が増えてきたCiNiiGoogle Scholar、各研究機関の学術リポジトリを漁ってみる程度)。しかし、その限られた知識から見ても、問題の「論文」はその形を為してすらいないと思いました。そこで、現在パラパラと集めている関連文献の整理をかねて、「論文」原文に逐一つっこみをいれてみようと思い、エントリを書いてみることにしました。はてな記法引用した部分は、断りのない限り田母神氏の「論文」からです。原文の全角数字は全て半角に直したことをおことわりしておきます。

 アメリカ合衆国軍隊は日米安全保障条約により日本国内に駐留している。これをアメリカによる日本侵略とは言わない。二国間で合意された条約に基づいているからである。我が国は戦前中国大陸朝鮮半島を侵略したと言われるが、実は日本軍のこれらの国に対する駐留も条約に基づいたものであることは意外に知られていない。日本は19世紀の後半以降、朝鮮半島中国大陸に軍を進めることになるが相手国の了承を得ないで一方的に軍を進めたことはない。現在中国政府から「日本の侵略」を執拗に追求されるが、我が国は日清戦争日露戦争などによって国際法上合法的に中国大陸に権益を得て、これを守るために条約等に基づいて軍を配置したのである。これに対し、圧力をかけて条約を無理矢理締結させたのだから条約そのものが無効だという人もいるが、昔も今も多少の圧力を伴わない条約など存在したことがない。

 駐留を認めることと、「(被害をこうむる方にとっては)侵略(といわれているが田母神氏はそうではないとされる行為)」を認めることは違うでしょう。軍隊に攻めこまれることに了承を与えていたというのは、どのような根拠に基づいているのでしょうか?

 「知られていない」ことを明らかにするのが行論の目的ならば、「新事実」(この場合は具体的な条約の内容や運用)を具体的に提示し、典拠となる史料を明らかにするのが論文の作法です。主張の根拠を示すのは、論文イロハのイです。しかし、残念なことに、この「論文」では全体的に守られていません。関連して、「・・・・・・という人」とありますが、論文で先行研究に言及するときは、注をつけて批判対象を明らかにするルールも守られていません。

 この日本軍に対し蒋介石国民党は頻繁にテロ行為を繰り返す。邦人に対する大規模な暴行、惨殺事件も繰り返し発生する。これは現在日本存在する米軍横田基地横須賀基地などに自衛隊が攻撃を仕掛け、米国軍人及びその家族などを暴行、惨殺するようものであり、とても許容できるものではない。これに対し日本政府は辛抱強く和平を追求するが、その都度蒋介石裏切られるのである。実は蒋介石コミンテルンに動かされていた。1936年の第2次国共合作によりコミンテルンの手先である毛沢東共産党ゲリラ国民党内に多数入り込んでいた。コミンテルン目的日本軍国民党を戦わせ、両者を疲弊させ、最終的に毛沢東共産党中国大陸を支配させることであった。我が国は国民党の度重なる挑発に遂に我慢しきれなくなって1937年8月15日日本近衛文麿内閣は「支那軍の暴戻を膺懲し以って南京政府反省促す為、今や断乎たる措置をとる」と言う声明を発表した。我が国は蒋介石により日中戦争に引きずり込まれた被害者なのである。

 スターリン毛沢東がそれほど仲が良かったとは知りませんでした。コミンテルンにそれほどの影響力があることも知りませんでした。繰り返しますが、オリジナルな主張には、その土台となる史料の裏づけが必要です(「実は??」と書いているのですから、普通は知らない新しいことなのですよね?)。大事なことなので強調します。「新しいことを主張するためには、根拠を示さなければならない」、これは学問の基本です。

 1928 年の張作霖列車爆破事件も関東軍の仕業であると長い間言われてきたが、近年ではソ連情報機関の資料が発掘され、少なくとも日本軍がやったとは断定できなくなった。「マオ(誰も知らなかった毛沢東)(ユン・チアン講談社)」、「黄文雄大東亜戦争肯定論( 黄文雄、ワック出版)」及び「日本よ、「歴史力」を磨け(櫻井よしこ編、文藝春秋)」などによると、最近ではコミンテルンの仕業という説が極めて有力になってきている。日中戦争の開始直前の1937年7月7日の廬溝橋事件についても、これまで日本中国侵略の証みたいに言われてきた。しかし今では、東京裁判最中中国共産党の劉少奇が西側の記者との記者会見で「廬溝橋の仕掛け人中国共産党で、現地指揮官はこの俺だった」と証言していたことがわかっている「大東亜解放戦争岩間弘、岩間書店)」。もし日本が侵略国家であったというのならば、当時の列強といわれる国で侵略国家でなかった国はどこかと問いたい。よその国がやったから日本もやっていいということにはならないが、日本だけが侵略国家だといわれる筋合いもない。

 ようやく文献をあげられましたが、刊行年と該当ページも明示するのが一般的な論文ルールですよね。それは百歩譲るとしても、示された著者のなかに査読つき学術雑誌に報告された方が一人もいらっしゃらない。これは信憑性をさらに落とすものではないでしょうか。また、人の発言を引くのであれば、それが掲載された媒体を明示するのもきほんのきですよね。

 張作霖爆殺をコミンテルンの仕業とする説に対しては、特に『マオ』について、中国現代史研究者から根拠に疑義が出されています。

 「関東軍高級参謀河本大作らがこの事件を企画し実行した固い事実を、この程度の「スパイ情報」で覆せるものか」(矢吹晋「書評『マオ―誰も知らなかった毛沢東』」『中国情報源』21世紀中国総研編、蒼蒼社、2006年、225ページ。http://www25.big.jp/~yabuki/2006/mao-rev.pdf)。

 盧溝橋事件についても、「計画」説に対する批判的研究が出ているようです。

 「日本の一部の論者が唱える「中国共産党計画」説と,中国側の唱える「日本軍計画」説がともに誤りであり,盧溝橋事件が日中双方にとって「偶発」的なものであったとする」(加藤陽子「書評 安井三吉著『柳条湖事件から盧溝橋事件へ―1930年華北をめぐる日中の対抗―』」『アジア経済』45(9)、2004年、65ページ。http://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/dspace/bitstream/2261/7473/1/kato45_09.pdf)。

 最後に、既にたくさんのつっこみがブコメで入っていますが、みんながやっていることだからといって、行為に対する責任がなくなることはないでしょう。

 我が国は満州朝鮮半島台湾日本本土と同じように開発しようとした。当時列強といわれる国の中で植民地内地化を図ろうとした国は日本のみである。我が国は他国との比較で言えば極めて穏健な植民地統治をしたのである。満州帝國は、成立当初の1932 年1 月には3 千万人の人口であったが、毎年100 万人以上も人口が増え続け、1945 年の終戦時には5 千万人に増加していたのである。満州人口は何故爆発的に増えたのか。それは満州が豊かで治安が良かったからである。侵略といわれるような行為が行われるところに人が集まるわけがない。農業以外にほとんど産業がなかった満州の荒野は、わずか15年の間に日本政府によって活力ある工業国家に生まれ変わった。朝鮮半島日本統治下の35年間で1千3百万人の人口が2千5百万人と約2倍に増えている「朝鮮総督府統計年鑑」。日本統治下の朝鮮も豊かで治安が良かった証拠である。戦後日本においては、満州朝鮮

半島平和な暮らしが、日本軍によって破壊されたかのように言われている。しかし実際には日本政府日本軍努力によって、現地の人々はそれまでの圧政から解放され、また生活水準も格段に向上したのである。

 「同じように開発」と主張するには、開発の指標を定め、比較する必要があります。共通の比較の基準が示されていません。データもです。内地、満洲、朝鮮台湾、他の植民地宗主国本国、その国の植民地それぞれについて、共通の尺度ではからないと比較にならないのではないでしょうか。それをせずに外形が拡大したと言うだけでは、中国の「共産党政権チベットを・・・・・・」に反論できなくなってしまいます。

 「内地化」も定義を明確にして使うべき用語ですね。

 また、現実にも、「帝国日本植民地支配の歴史には,「外地」を法制的・政治的には明白に異域に置きながら、イデオロギー的には「内地化」を標榜するという,理念現実の「二重性」がその当初からつきまとっていた」(山本有造「植民地統治における「同化主義」の構造」『人文学報(京都大学人文科学研究所)』83、2000年、70ページ。http://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/48550/1/83_57.pdf)、「「満洲国」の掲げた「五族協和」にしろ「王道楽土」にしろ,関東軍による露骨な軍事支配を隠蔽するイデオロギーという以上の意味を持ちえなくなる」(山室信一「「満洲国」の法と政治―序説」『人文学報(京都大学人文科学研究所)』68、1991年、150ページ。http://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/48355/1/68_129.pdf)といわれる植民地統治を、「極めて穏健」と評価するにもまた、基準とデータの比較が必要です。

 また、人口の増加は支配の善さを担保しません(チベット・・・・・・)。

 我が国は満州朝鮮半島台湾学校を多く造り現地人の教育に力を入れた。道路発電所水道など生活のインフラも数多く残している。また1924年には朝鮮京城帝国大学1928年には台湾台北帝国大学を設立した。日本政府明治維新以降9つの帝国大学を設立したが、京城帝国大学は6番目、台北帝国大学は7番目に造られた。その後8番目が1931年大阪帝国大学、9番目が1939 年の名古屋帝国大学という順である。なんと日本政府大阪名古屋よりも先に朝鮮台湾帝国大学を造っているのだ。また日本政府朝鮮人中国人陸軍士官学校への入校を認めた。戦後マニラの軍事裁判死刑になった朝鮮出身の洪思翊という陸軍中将がいる。この人は陸軍士官学校26期生で、硫黄島で勇名をはせた栗林忠道中将と同期生である。朝鮮名のままで帝国陸軍中将に栄進した人である。またその1期後輩には金錫源大佐がいる。日中戦争の時、中国大隊長であった。日本兵約1千名を率いて何百年も虐められ続けた元宗主国中国軍を蹴散らした。その軍功著しいことにより天皇陛下の金賜勲章を頂いている。もちろん創氏改名などしていない。中国では蒋介石日本陸軍士官学校卒業新潟高田連隊で隊付き教育を受けている。1期後輩で蒋介石の参謀で何応欽もいる。

 前の段落と同様に、「多く」の中身が不明確に過ぎ、検証のしようがありません。また、植民地宗主国の支配の下で「植民地近代」化したのはその通りだと思います(松本武祝「’’朝鮮における「植民地近代」’’に関する近年の研究動向」『アジア経済』43(9)、2002年、31-45ページ。http://www.ide.go.jp/Japanese/Publish/Ajia/pdf/2002_09/note.pdf)。私はこの辺り特に勉強不足です。各国の軍制についても同じくよく知らないので飛ばします。

 孫文をはじめ、アジア各地の革命家日本に集まったことは特に新しい論点ではないでしょう。ファン・ボイ・チャウの失望も有名な話ですね(白石昌也「ファン・ボイ・チャウと日本」『東南アジア学会会報』25、1975年、1-3ページ。http://ci.nii.ac.jp/cinii/servlet/CiNiiLog_Navi?name=nels&type=pdf&lang=jp&id=ART0004923536)。

 李王朝の最後の殿下である李垠殿下陸軍士官学校の29期の卒業生である。李垠殿下日本に対する人質のような形で10歳の時に日本に来られることになった。しかし日本政府殿下王族として丁重に遇し、殿下学習院で学んだあと陸軍士官学校をご卒業になった。陸軍では陸軍中将に栄進されご活躍された。この李垠殿下のお妃となられたのが日本の梨本宮方子妃殿下である。この方は昭和天皇のお妃候補であった高貴なお方である。もし日本政府が李王朝を潰すつもりならこのような高貴な方を李垠殿下のもとに嫁がせることはなかったであろう。因みに宮内省はお二人のために1930年に新居を建設した。現在赤坂プリンスホテル別館である。また清朝最後の皇帝また満州帝国皇帝であった溥儀殿下弟君である溥傑殿下のもとに嫁がれたのは、日本華族嵯峨家の嵯峨浩妃殿下である。

 旧領主の家系の存続という意味であれば、インドの藩王たちも手厚く身分を保証されていましたね。ベトナムバオ・ダイフランスグランゼコール教育を受けていましたね(英国人とインド人の婚姻には宗教問題がありますし、バオ・ダイ渡仏時のフランス共和制だから王室はないですし、この段落については適切な比較が可能な問題設定なのか疑問です。個人的にはそもそも宗主国の王室を嫁がせることが恩恵という考え方がどうなんだろうと思います)。

 これを当時の列強といわれる国々との比較で考えてみると日本満州朝鮮台湾に対する思い入れは、列強植民地統治とは全く違っていることに気がつくであろう。イギリスインドを占領したがインド人のために教育を与えることはなかった。インド人をイギリス士官学校に入れることもなかった。もちろんイギリスの王室からインドに嫁がせることなど考えられない。これはオランダフランスアメリカなどの国々でも同じことである。一方日本は第2次大戦前から5族協和を唱え、大和朝鮮、漢、満州蒙古の各民族が入り交じって仲良く暮らすことを夢に描いていた。人種差別が当然と考えられていた当時にあって画期的なことである。第1次大戦後のパリ講和会議において、日本人種差別撤廃を条約に書き込むことを主張した際、イギリスアメリカから一笑に付されたのである。現在世界を見れば当時日本が主張していたとおりの世界になっている。

 ロイヤルファミリー婚姻の件で共和制アメリカを並べているのは不適切でしょう。既に述べましたがフランスも時代によって共和制です。

 エルフィンストーンカレッジ(1856年設立、現在ムンバイ大に)、カルカッタ大学マドラス大学(1857年設立)というように、大英帝国植民地支配の拠点に大学その他の教育機関を設立していますね。

http://en.wikipedia.org/wiki/Elphinstone_College

http://en.wikipedia.org/wiki/University_of_Calcutta

http://en.wikipedia.org/wiki/University_of_Madras

 「五族協和」が実態をともなわなかったことについては、前掲山本論文および山室論文を参照。

 人種差別撤廃についてはよい提案をしたということに同意いたします。ただし、繰り返しますが、現実施策がともなわなかったことについては残念です。

 時間は遡るが、清国は1900 年の義和団事件の事後処理を迫られ1901 年に我が国を含む11ヵ国との間で義和団最終議定書を締結した。その結果として我が国は清国に駐兵権を獲得し当初2600名の兵を置いた「廬溝橋事件の研究(秦郁彦東京大学出版会) 」。また1915 年には袁世凱政府との4ヶ月にわたる交渉の末、中国の言い分も入れて、いわゆる対華21箇条の要求について合意した。これを日本中国侵略の始まりとか言う人がいるが、この要求が、列強植民地支配が一般的な当時の国際常識に照らして、それほどおかしなものとは思わない。中国も一度は完全に承諾し批准した。しかし4 年後の1919年パリ講和会議に列席を許された中国が、アメリカの後押しで対華21箇条の要求に対する不満を述べることになる。それでもイギリスフランスなどは日本の言い分を支持してくれたのである「日本史から見た日本人昭和編( 渡部昇一祥伝社)」。また我が国は蒋介石国民党

との間でも合意を得ずして軍を進めたことはない。常に中国側の承認の下に軍を進めている。1901年から置かれることになった北京日本軍は、36 年後の廬溝橋事件の時でさえ5600 名にしかなっていない「廬溝橋事件の研究(秦郁彦東京大学出版会) 」。このとき北京周辺には数十万の国民党軍が展開しており、形の上でも侵略にはほど遠い。幣原喜重郎外務大臣に象徴される対中融和外交こそが我が国の基本方針であり、それは今も昔も変わらない。

 今回は表現からつっこんでみます。「完全に承諾」というように形容詞修飾をするときには、それが表す具体的な内容を補足して、互いの印象の差を埋める努力をすべきというのが、私の受けた指導です。どうしたら「完全に承諾」したことになるのでしょうか。一番肝心な相手に過大な要求をつきつけ、排日運動を燃えあがらせて宥和に失敗したのは外交の失敗であり、恨み言をつぶやいてもごまかすことはできません。

 日中戦争については、派兵前の人員の少なさを根拠に「形の上でも侵略にはほど遠い」と主張するのは無理筋にみえます。

(再々追記)また字数超過?で切れたので、つづきへ (さらに追記)補足エントリをTBしました。 (また追記)補遺エントリをTBしました(11/5)。

2008-10-31

年金問題根本的に解決する方法

年金問題を解決する画期的な方法を思いついた。

各年度における年金支給額を

年金支給額 ∝ 労働人口年金受給者人口

というように財源によって推移するようにすれば、受給・労働人口アンバランスによる財源不足の問題は即座に解消される。長期的に見ても人口を増やすインセンティブが高まるので、少子化に由来する諸問題も全て解決するのでは。

2008-10-25

http://anond.hatelabo.jp/20081025191009

こんな4つの段階を作るとしたら、通常一番上の抽象的なレベルでしか選挙なんて行なわれなかったのに(まれにそうじゃないことも。消費税とか)やや具体的レベルまで来たのは画期的だったと思うぞ。もちろんいい悪いは別ね(←これ保険)。

それは違うと思う。55年体制とか昔のほうがもっと具体的だったように思う。どこそこに道路作ります、ナントカ業界補助金増やしますとか具体的な利益誘導がうじゃうじゃあった。むしろそういうのが悪いとされたから自民党ぶっ壊すというイメージだけで勝つ小泉が出てきたんじゃないかと。どっちが良い悪いかは別にして。

http://anond.hatelabo.jp/20081025183952

小泉になった当初からかなり具体的だったと思うがなあ。緊縮財政土建屋が危ないとかよくTBSでやってたし。道路公団郵政民営化2本柱だったし。いい悪いは別ね。

ただしさらにその内容の方にいくと具体性がなくなってイメージだというのは確かにある。「郵政民営化?よくわかんないけどきっといいんだろ」的な。

それでもさ、通常の選挙における「国民の皆様のために○○党に清き1票を」なんてのに比べたらあり得ないほど具体的だよ。なにしろ役所一つまるごと体制が変わっちゃうんだから。

抽象的-国民の皆様のために(何をどうすんお?)

やや抽象的-天下りをなくしましょう(どうやって?)

やや具体的-役所を民営化しましょう(そうすると何がどうなるの)←今ここ!

具体的-財政投融資がどうたらこうたら

こんな4つの段階を作るとしたら、通常一番上の抽象的なレベルでしか選挙なんて行なわれなかったのに(まれにそうじゃないことも。消費税とか)やや具体的レベルまで来たのは画期的だったと思うぞ。もちろんいい悪いは別ね(←これ保険)。

2008-10-06

あるエンジニア

その人は、高校卒業して最初は自動車整備のお仕事をされていましたが

現場ではなく営業に配置換えがあり(リストラ目的の異動でもあったらしい)

退職されて関西のとある家電メーカーに中途入社されたそうです。

最初はブラウン管テレビ生産ラインの組立て工程での採用でしたが

自動車会社で培われた技術でもって機械の修理・メンテナンスが得意ということで

海外工場を建てる時のライン設計も任されるようになり

その後、開発部門の所属になられたそうです。

とはいえ、ブラウン管テレビの中身は組立ててたけど改めてじっくりみる機会は初めて。

と、いうわけで見てたらエンジニアの血が騒いだ。

「…ここのスペースって、こうしたらもうちょっと小さくていいんちゃう?」

それを聞いた周りの人は有名な大学・院を卒業した専門家ばかり。

みんな口々に、「それでは熱が逃げなくてダメなっちゃうんですよ」と言う。

最初は頭いい人等がそう言うならと思ったけど

やっぱり製品をじっと見てたら自分の考えを試してみたくなる。

コッソリと整備工場時代からの友人や会社の別の部署の人に頼んで

自分がイメージしてた部品を作ってもらった。そして組み合わせてみたら…

何と、

ちゃんと思った通りにテレビとして映るし、従来よりコンパクト

もちろん排熱もうまくいくし、問題なく動きます。

反対していた人達現物を見て納得。

ご本人はすごい鼻高々。

私もその製品電気屋さんでみたことがありますが本当に他社に比べて薄かったです。

当時は液晶プラズマ薄型テレビもほとんど市場には出てない時期。

すごく画期的商品で、爆発的にうれたらしい。

さすがに、うちは買ってはいないんですけどね。

「でもな、、、」

そう、ここからが私のこのおっちゃんが大好きなポイント

彼は自慢話だけに終わらずに言葉を続けます。

アイディアは自分のできる範囲で形にできた…」

でも、それを製品として作っていくには、まず図面にしないといけない。

俺はそれはすぐにテキパキできひんねん、できひんねんけど

俺の周りには本当に優秀な人に恵まれてるからそれをしてもらえるんや。

特許かって申請しないといかんやんか。

その書類だっていっぱい書くのが俺は苦手やねん。

俺一人が考えたかって、そいつらがいてくれなできひん。

できひんことあるから、俺は俺のできることやるんや。

お互いできることをやっていくから高卒でも何も引け目感じることない。

その方は、大企業やから自慢するとかじゃなくて、本当に心から仕事を楽しんでいて

会社という組織のよさを十分に分かってて、周りを尊敬しつつ自分を卑下することもないんです。

社会人になりたての時にこういう人に出会えて本当によかったと今は思います。

時々、「もっとエリート社会を引っ張って行くべき」という意見を時々聞くと

この人の顔が頭に浮かんで、エリートだけじゃない方が絶対世の中上手く行くし!って反論したくなるんです。


追記

id:narwhal さん、

「engineering, 教育, 労働, 社会, ネタ 前半のみコメント。なんかアバウトな熱設計…。こわいなあ。で、この手の話を無批判に美談化するのはいかがなものか。試してみたらたまたま動いたではなく、動くべくして動くように設計するのがエンジニア仕事。」

というコメントいただいたのでちょっと追記。

開発部門のメインの人たちは、電気が専門だったんですね。

で、われらがオッチャンは自動車エンジン触ってたことがあるから

「この素材ならもうちょっとイケるんちゃうの」という点くわしかったんです。

オッチャンの試作品からマッシュアップするときにはやっぱりその人らの専門知識がすごかったらしいです。

何人かお話したことあるけど、ほんまに頭の中計算機入ってるみたいでした。

だから、id:xeverさんのコメントもちょっと当てはまらないかなと思います。

今やったら海外工場か国内の派遣でまかなってる作業を

昔は正社員で単純作業だけじゃない仕事も任されてた時代の話。

このオッチャンだけじゃなくて、他にも同じぐらいの年代の人たちと話したら

「あの工場のラインの効率化の提案、ほとんどわしがやってんで」とか

そういうちょっといい話は誰からでも聞けます。

一番華やかな例をここに書かせていただきましたけれども。

2008-09-30

商品を選択する能力の低下

即時性がないからに決まってんだろ。

いいか? これまで携帯電話メールは即時性のあるものだった。

携帯電話メール=即時性、PCメール=非即時性だったんだよ。んで、iPhone携帯電話なのにPCメールを利用してるわけ。

不満が出るのが当たり前だろ? 何iPhone未来志向みたいにふいちゃってんの?

http://anond.hatelabo.jp/20080925133411

いつの間に、携帯電話には即時性メール(携帯キャリアメールのことでしょうね)が必須になったのでしょうか。

「○○には××が必ず付いてくるはず!」なんてものはそうはありません。

「タヌキ蕎麦頼んだから、当然お新香がついてくるのは常識だろ!」とか蕎麦屋で言ってみたら?

 

というか商品解説ページ読め。

みんなのアップルが、携帯電話って言っちゃってる。

携帯電話メールは即時性、そこにPCメール搭載して「携帯電話です」

不満が出るのが当たり前。

携帯電話メールは即時性のあるもの」これは日本において常識

http://anond.hatelabo.jp/20080925133411

携帯電話」って言ってるのに、何を勘違いしてるんでしょうね。

日本において常識

誰の常識ですかw

常識とは、大人になるまでにかき集めた偏見の塊。でしたっけ。

そもそもiPhone自体日本商品じゃないことくらい知ってますよね??

 

望むものが商品存在しないなら、買わなきゃいい。

iPhoneには携帯キャリアメールがついてくると思っていた?

私の周りでは誰もそんなこと思い込んでいませんでしたよ。

当然自分たちが買う品物について、事前調査しますからね。

あちこちの技術情報サイトで「iPhoneが欲しい既存携帯電話ユーザーにとって、足りない10個の機能」とか特集組まれていたでしょうに。

革新的な携帯電話ワイドスクリーンiPod、そして画期的インターネットデバイス。この3つをひとつにしたのがiPhone 3Gです。

http://www.apple.com/jp/iphone/features/

これを槍玉に挙げてますが、全て真実でしょう?

勝手に行間読んで「当然携帯メールもついてくる><」なんて思いこみ、機能一覧ページ見ないのが悪いんです。

 

あ、私はiPhoneなんていらないんで買いませんよ。

自分の求めているものではないから。です。

 

当たり屋みたいな連中ネガキャンされてるiPhone見ると、アップルかわいそうです。

でも、そんな本来ターゲットじゃない連中にも雰囲気で買わせようと(も見える)広告打ってたから、ある程度自業自得ですよね。

2008-09-14

最近洋画は良質の世にも奇妙な物語

ハリウッドアクションに偏ってるのは単に趣味の問題なのであしからず

・バンテージポイント

予告が「大統領暗殺を目撃した6つの視点」て感じですごい面白そうなあれですよ。

本編内容:大統領暗殺を目撃した6つの視点を順番に…そのまま終わった。ひねりがない。潔過ぎる。

・クローバフィールド

災害時のハンディカメラ映像という画期的アイディア。上に同じくそれだけ。

特にあの劇場で見たら絶対酔いそうな手ブレカメラ係の不遇さの再現はすごい。

ハンコック

ストーリは割愛。これは世にも奇妙な物語で言うギャグ担当話。SMAP特別編ならキムタク

ハプニング

監督の名前を確認すればあとは言わなくてもわかるよな? → 実際見たら予想をはるかに超えてすごかった。

ウォンテッド

「弾丸がカーブしたら面白くね?」(+現実世界マトリックス +後半に一回はガンカタ入れたいよな!)

今日見てきたけど、思いのほか出来がよくて面白かった。

弾丸カーブ一回目:馬鹿馬鹿しさに感動すら覚える。

     3回目以降:「カーブさせる構え」の時点で笑えてくるようになる。

       30分後:「次はいつカーブさせるんだ?ワクワク」←洗脳完了。

漫画原作連ドラの2時間特番劇場で見るのもいいけど、私ならハリウッド世にも奇妙な物語超特別編を見ます。

2008-09-04

機械化航空歩兵に見る衣服の性的価値

パンツじゃないから恥ずかしくないもん!

2008年に現れたあるアニメはそう言って一つの革命を起こした。うら若い魔女たちが大空を翔るそのアニメでは、少女たちはおおよそパンツ、一部ではスクール水着にしか見えない「パンツではないモノ」を身に付けている。しかし、その上にスカートズボンを穿く事なく、おしげもなくそれらを画面に飛び交わしているのである。これはアニメにおいていかにしてパンツを見せるかという課題に対して、衝撃的な解答を突きつけることとなった。パンツを見せていけないのならば、パンツでなければ良いという強引きわまりないこの方法は、しかし現実としてお茶の間に届けられる事となったのである。

この画期的な事態に対して各方面の視聴者の多くは喜びの声を上げている。しかし、この現状に対して私はあえて反対の声をあげたい。パンツであるとかパンツでないとかではないのだ。見えたパンツには価値などないのである。

心理学キャッチーな話題の一つとしてよく言われることであるが、禁忌を破ることにはある種の快感が伴うモノであり、パンツスカートで隠されるから見たくなるのだという話がある。つまり見えないことで価値は高まるのである。パンツ自体も性器を隠す効果があり「価値を高める」価値を持っているが、それは自身の価値としては弱いモノである。パンツ自身の価値パンツを隠すモノの存在によってこそ飛躍的に高まるのである。これは今日パンツ認知学においては既知の事柄である。実際において、世界観として隠される事がないパンツ水着の間にどれほどの違いがあるというのだろうか。

この手法における次の問題点は、スカートがない事である。これはつまりパンツが見える見えないという事ではなく、スカート自身の持つ価値についてである。ズボンがお尻のラインが映える等の魅力を持つように、スカートにも独自の魅力は存在する。スカートの魅力は何においてもその動きにこそある。かつて、ある高名な監督魔女が箒で飛び回り運送業を行う劇場アニメにおいて、そのスカートのひるがえりに対して比類ない情熱を注いだ事は有名である。風になびくスカートの持つ魅力はそれだけ重要だったという事だ。スカートがなびく動画表現は、スカートの軽さ、柔らかさ、材質感を感じさせ、それによる存在感の高まりは、そのキャラクター自身のリアリティを向上させる結果となる。特に細かく動きを表現する事でスカートの軽さ感、柔らかさ感は増し、それはつまりスカートが薄いと感じさせる事につながり、スカートにより隠されている下半身が僅かに透けるのではという期待を喚起させる。また、軽いロングスカートが脚に沿ってなびけば、ズボンの持つタイト感や、隠されている脚を感じ取る事で魅力となるのである。そして裾の上下は隠された脚を僅かに見せる事になり、またそれがほんの一瞬である事で視聴者の集中力を高めるのである。

このようにスカートの持つ価値は、パンツを隠すモノとしてだけではない。そして非常に大きなモノでもあるのだ。こうしたスカート存在そのものを否定する事が、いかに作品全体の商品価値に影響を及ぼすかは考えるまでもない事である。

そして最後にもっとも重要なことがある。当たり前のことではあるが、パンツは衣服である。そして着る人がいなければそれはただの布である。ではその下に性器さえあればパンツは布でなくなるのだろうか。下半身マネキンに穿かれれば布はパンツになるのだろうか。では上半身もあればパンツは布でなくなるのだろうか。全身マネキンに穿かれれば布はパンツになるのだろうか。そうだ、と答える人もいるのかもしれない。しかし大部分はそうではないと答えるだろう。でなければ、今頃女性の下着売り場は男性立ち入り禁止にでもなっているだろう。では、ただの布がパンツとしての価値を持つ上で何が必要なのかと言えば、それはパンツを穿く人物の存在であり、人格であり、反応なのである。つまりパンツが見えることによる価値の大部分は、パンツが見えた事に対する、パンツを穿いている人物のリアクションにあると言えるのだ。照れや羞恥、あえて無視など様々な反応があるだろうが、そうした反応によってこそ、パンツは布ではなく、パンツとしての価値を持つに至るのである。

しかし、どうか冒頭の言葉を思い出してほしい。

パンツじゃないから恥ずかしくないもん!

そう、恥ずかしくないのである。つまり作中のキャラクター達にとって、そのパンツでないモノを見せることはズボンスカートを見せる事と同義であり、そこには特別な反応は何一つ存在しないのである。実際、キャラクター達はパンツじゃないモノを穿いて男性キャラクターの前に立っても、その事による特別な反応を一切する事はない。あえて言うなら、これは痴女の振る舞いである。そういうキャラクターが好きだという人物もいるだろうが、それは決して大勢ではないだろう。

彼女たちは決してスカートを捨て去るべきではなかったのである。衣服の歴史は常にその枚数を増やすものであり、そうする事がより正しいからであったのだ。彼女たちは、選択できたのならばいっそパンツを捨てるべきであったし、もちろんより正しくはどちらも捨てるべきではなかった。それは視聴者が抱くはずだった希望をも捨てる事であるからだ。希望を抱くという事は、その希望を手に入れていないという事であり、それこそが大きな力、購買力となるのである。

パンツじゃないから恥ずかしくないもん!

それは確かに刺激的な言葉だった。しかし、少なくとも筆者自身は、それが魅力的な言葉であったとは思えない。しかし、確かにサーニャ・V・リトヴャクは魅力的であった。この点については何ら疑うところはなく、これを否定する者は屋上で前歯を折られるのだ。

●追記

逆にスカートを穿いて恥ずかしがる話というのもアリなのではないかと思われるが、サーニャ主役でそういった回はないものであろうか。とりあえずスカートを穿いて恥ずかしがり、しかしそこからスカートを脱ぐのも何だか恥ずかしくて進退窮まるサーニャ同人誌も早急に望まれるところである。

2008-08-25

http://anond.hatelabo.jp/20070306001700

オナニー方法調べてたら催眠がらみのページがいっぱい出てきたんだけれどもさ、

どうなんすか、だれか増田催眠にかけてよ

1年半前の日記レス

SODクリエイトからこのあいだ出たAV画期的

2008-08-06

GoogleストリートビューキモいSF的な意味で)

いやー、Googleストリートビューすごいっすね。正直たまげました。

ストリートビューに対する平均的な反応ってたぶん「すっげーー!!! でもちょっと不気味だな…」ってとこだと思うんですが、個人的には完全に後者です。やれやれ、今度のインデックス対象三次元空間ですか。人類進歩調和の前には個人が被る不利益は無視ですか。今回はなにか踏み越えちゃった感がありますね。すごいよ、Googleキモいよ、Google

で、そんな気分を当然共有できていると勝手に思い込んで彼女に話をふったらこれが全然通じない。どうも「Googleキモい」ってのが感覚としていまいちピンとこないそうな。

「なんでGoogleダメなの? 便利じゃん」

「単なる一企業が、技術と金にものいわせて、世界を変えてってる現状に漠然とした恐怖を感じたりしない?」

「技術変革で生活が変わるのはいつの時代でもそうだよー」

「じゃなくてもっと本質的なさ、Googleが目指す未来に対するディック的な不安ってーの? …つーかなんでわかんないんだよ!」

「全然わかんないよ!!!」

Googleのせいでケンカになりました。 (バカらしいけど、この手の生理的感覚が伝わらないのはわりと悲しい。そして伝えるのは難しい。)

少し冷静になって、彼女生命倫理には敏感なのを思い出し、違う方向から攻めてみる。

「例えばさ、こんな会社があったらどう?

“我が社ではクローン技術を元に、画期的な臓器提供システムの事業化に成功いたしました。お客様DNA情報から作成した万能細胞使用いたしますので民事的なトラブルが発生するリスクはございません。また、脳の培養は行わないため倫理的な問題もクリアしていると考えております。臓器単体でのオーダーはもちろん、「脳以外のすべてのパーツ」といったオーダーまでお応えが可能です。あなたもぜひ新しい身体で新しい人生を。”

どう?きもちわるくね? たぶんその感覚にすごい近い感じ。」

結果。それならわかる、といってもらえた。やっと通じあえた。よかったよかった。(でも実は俺のほうは臓器云々のほうはキモいと思えなくて頭ではわかるんだけど。クローン人間なんて想像するだけでわくわくしちゃう、というのが本音。人として何か欠落してる自覚はあります。)。

新しい技術に対する感覚の差って人それぞれ、その人の気質や経験で決まるもんだよね、っていう話でした。

2008-07-11

2ちゃんより

Q: iPhoneでの日本語入力について教えて下さい

A:ソフトウェアによる柔軟な操作が可能なiPhoneには¸日本語入力のために

2種類のキーボードが用意されています。

1)パソコンでお馴染みのフルキーボードQWERTYキーボード)では¸

ローマ字入力が可能です。touchよりもキーが大きくなっています。

2)携帯電話でお馴染みの五十音キーボードも用意されています。

五十音キーボードでは¸二種類の入力方式が使えます。 一つは¸携帯でお馴染みの猿打ち(monkey typing)です。

もう一つは例えば¸「ろ」を入力したい場合は¸ら行にタッチした指を下に(フリックキック

すると「ろ」が入力できます。

このワンタッチ入力は¸五十音全てをワンタッチ入力できる¸日本語のための

画期的入力方法です。

2008-07-06

http://anond.hatelabo.jp/20080706112744

発言元増田のハゲのおっさん(34歳)です。

はてなブックマーク感想を見ましたが、kana-kana_ceoさんの「俺はナイフで刺されても平気だ、という意思表明。」

というのが総意(のひとつ)かと思いました。

こればっかりは受け手がどう考えるかなので何とも言えないです。MAD美人さんはじめ他の画面に映った方々がどう思っているのか

分かりませんし、「足を踏まれた痛みは踏んだ人には分からない」と言われれば、踏んだ人は何も言えなくなりますし。

匿名ダイアリー書いたのは初めてなのですが、書こうと思ったのは2つ理由がありまして。

1つは、津田大介さんの意見に納得しつつも「勝手トラウマになるなんて、決めつけるなよ(笑)」という意思表示

もう1つは、大会議の場でハゲ・おっさんと呼ばれた自分が黙る事で、今後こういった場で同じ事が行われなくなると

イヤだから、とりあえず自分は今回の運営方式を支持するという意思表示

イジメとか色々な問題はあるだろうけど、今回の大会議で行われた事は、少なくとも自分にはパラダイムシフトを思わせる

画期的な事でした。改善の余地はいくらでもあるだろうけど、この技術の芽を潰しちゃいけない、失敗したから止めよう

なんて、ニコニコ動画運営者に考えさせちゃいけない。そう思わせるものでした。

無論、2chの叩きの数十倍の濃度がある率直な意見リアルタイムで叩き付けられる破壊力は否定出来ません。

自分が大丈夫だから、他の人も侮蔑表現を甘んじて受けろよ、なんて言えませんし。

(でも、気を使いすぎると逆に「言葉狩り」的な『技術狩り」が起きるかもしれないし…難しいところです)

それでも、今回のハゲ云々は今でも思い出す毎に笑わせてくれる面白いイベントでしたよ。

さて、私が本人であると証明する方法って何かありますかね。

http://anond.hatelabo.jp/20080705092603

営業成績がいいとか、画期的な技術を開発するとか、作業が早いとかいう"優秀な成果"を出すことと、

体育会系であることに相関性を感じたことはない。

彼らは群れを作る能力が評価されているのだと思う。

例えばトヨタ自衛隊出身者を大量に受け入れて組織の指揮命令系統を維持しているように、

近代に成長した日本企業、とくにメーカーは、軍隊モデルとした組織運営をしていることが多い。

いわゆる体育会系軍隊モデルの訓練を受けていることが多く、軍隊モデル経験者として扱いやすい。、

だから、組織の要所要所に経営者の意志を反映させる者として配される。

体育会系はそういうところで優遇されやすい。

じゃあ非体育会系の人はどうすればいいか。

評価されるということは、最終的には強い群れに所属すると言い換えてもいいと思う。

近年の日本は、群れの外に出た人が孤立して、各個撃破されている状況といえる。

ひとつの道は軍隊モデル組織に意を決して馴染むこと。

優秀な成果と言うのを出して体育会系の人に祭り上げてもらえるようになるとか、

倫理的な葛藤押し殺して体育会系のように振る舞うようにするとか。

前者競争率10倍ではすまない難関な気がするので、後者が比較的楽じゃないかな。

もうひとつの道は、非軍隊モデルの群れへ所属すること。

例えば商人ギルド職人ギルド農村

軍隊モデルよりも古い形態で、より独立した個人の結びつきであることが多い。

ただ、こういう群れに所属する方法は学校では教えてくれないという大きな壁がある。

親がサラリーマン公務員だったりすると、全くの手探りとなる。

ここをなんとか改善できれば生きやすい国にできるのだろうけどと思う。


> 理系はこんなことは無いんだろうな。もう少しだけ頭脳で評価される世界へ行きたい。

卒業すれば頭脳が売りのはずの一流大学卒業生学閥が作れない環境では簡単に

各個撃破されているのが観察できるでしょう。

博士就職難というのも同じ仕組でしょう。

自分の頭脳を磨くと同時に、他の評価されていない能力のある人を探してすごいよって評価してあげる。

そういうのは一つの方法かもしれません。

2008-06-30

僕がWindowsVistaを使う理由

OSXってつまりBSDに皮かぶせただけでしょ(時候の挨拶)。

昔、MacClassicちゅうのがあって、というこの表現も少し恥ずかしいけれど、まあとにかく、ディスプレイと本体が一体になった当時としては画期的な機体があって(てきとう)、高校の電算室の片隅に、8inchフロッピー接続されているPC-9801とかと並べておかれていて、当時、開発環境もなく、知識もない高校生にとって(プログラミングの授業はX端末でやっていた)、それはなんだかよく分からない、マウスボタンが一つしかない四角い箱として認識されていた。

このなんだかよく分からない四角い箱に興味を示した奇特高校生は何人かいて、まあ僕もそのうちの一人だったのだけれど、すぐに爆弾マークと独特のビープ音を鳴らして止まるこの機械でできることといえば、せいぜいが電卓をぽちぽちやるか、プリインストールされていたゲームをやるくらいのものだった。

そのプリインストールゲームの中でも僕のお気に入りはShanghai(上海)で、来る日も来る日も麻雀牌をクリックし続けたものだ。時は過ぎ、僕は無事卒業し、そのClassicがどうなったのかは知らない。けれど、たまにアーケードで稼働している上海を見つけては100円玉(ときに50円玉だったりする)を投入したものだ。

そして去年、2007年になって僕はPCを新調し、それには悪名高きWindowsVistaがプリインストールされていた。まあでも、スペックを奮った結果か、WindowsVistaは至極快適で、見た目を少しいじった程度で普通に使っている。

Windowsといえばやはりフリーセルで、見た目がだいぶ変わっていることに戸惑いつつ、いくらでもUndoできることを微妙に思いつつも、日々クリックをしていた。無傷の100連勝(Undoできるから)をしたあたりでさすがに飽きて、スタートフォルダフリーセルの同じ並びを眺めていたときに、僕はそれを見つけた。上海だ。迷わずクリックする。下品な効果音のあとに麻雀牌が綺麗に並べられる。

見た目はだいぶ変わっているけれど、これは紛う事なき上海そのものだ。配置は上海II形式だ(たぶん)。そういうわけで僕はWindowsVistaを使っている。

http://www.gizmodo.jp/2008/06/windows_8.html

2008-06-17

http://anond.hatelabo.jp/20080617081550

1.同じミスを繰り返した際、頭を丸めさせる

これはパフォーマンスとして定番。どっかのケータイ電話社長とかもやってる。

2.同じミスを繰り返した際、外に立たされる

これはダサい上司の頭が古すぎる。外に立ってる間、なにか勉強用の本を持つとよい。

3.頭を冷やしてこい、と往復1時間半かかる場所まで歩かされる 

4.毎朝4時起床で、歩いて出勤するように言われる(1時間半かかる)

現代人の運動不足を解消する画期的な指示だが、どっちか片方だけでいいと思うので要相談。

5.結果、残業時間が月200時間オーバー

残業代が出るなら相殺気味かも。残業代が出ないなら労基署にGO。

6.それでも給料を下げ続けられる

いまどき民間なら当たり前と言われるので、たぶんしょうがない扱い。

結論:限りなくパワーハラスメントに近いです。各種機関にご相談下さい。

声に出して愚痴るだけでも、だいぶ心持ちが変わりますよ。

2008-05-19

スーツが嫌いでたまらない

どうして、毎日毎日おんなじ服を着なきゃいけないのか。

正装といえばスーツっていうのもねぇ。毎日正装だったら、そりゃあ息苦しくなるし。

着ているほうもあんまり正装っていう意識がなくなって、適当になってきてしまう。

いや、営業職とか管理職とかだったら必要かもしれないけど、基本的にデスクPC操作したり、社内で打ち合わせすることがほとんどのSE職とかには必要かと。本当に必要性があって、スーツを着てるのかがわからない。着ないといけないから着てるだけ。

そんな理由で、何万円もするスーツを何着も持って、おんなじようなシャツを少なくとも5枚は持って、ネクタイなんて数十本も持って。。。でも、結局おんなじような服装でつまらん。欝で自殺者が多い理由の一つかもしれない。

逆に考えてみる。

毎日おんなじスーツでも、便利すぎて着たくなる画期的スーツを開発してほしい。

ほしい機能

自動クリーニング

・温度調整機能

・体型維持機能

四次元ポケット

・・・最後のはさすがにネタだけど、なんていうかすんげー便利!ってのがないと、あと30年以上もスーツを着続けるなんて耐えられない。

http://anond.hatelabo.jp/20080519081421

「なんとか屋」の方で既成物じゃないものをひらめけばいいんじゃないの?

(例えば画像処理屋になって画期的画像認識学習アルゴリズム発見するとか)

何で「なんとか屋」を見下してるのか理解できない。

プログラミングしかできない人間の妬みにしか見えない。

プログラミングなんて大したスキルじゃない(からこそ既成物が大量発生する)ということに気付いたらどうか。

日本財界政治家はここまで腐っている

2008/05/13-18:08 消費税来年度7-8%に =基礎年金の財源確保で??御手洗経団連会長

http://www.jiji.com/jc/c?g=eco&k=2008051300863

トヨタキャノン製品のみ消費税20%なら賛成。

それにしても日本財界のクズは、政治に関して自分たちが有利になる発言しかしない。

こんな奴らの言うことを聞いていたら日本は間違いなく沈没する。

再生産が出来ない所得、先進国にしては低すぎる社会保障、こんな国に希望を持てというのはやはり最大の誤りか。

それにしても硫化水素自殺鉄道飛込み自殺画期的自殺方法だなと思った矢先

元々生命を軽視している日本政治には年間10万人の自殺者程度では何も対策を立てるわけもない。

2008-05-16

http://anond.hatelabo.jp/20080516022812

今はこういう時代なんで、どんな分野であれ大抵の事はやられてる。

まして凡百の大学生が思いつくようなレベルならなおさらだ。

学部時代に画期的研究をしちゃうのは東大に毎年何人かいる変態だけ。

普通人間は今自分が成果を出せないにしても、これから伸びる(=仕事が沢山ある)分野を探すべきだと思うね。

これはまぁ会社就職しても似たようなものなんだが…。

まぁ良い分野が見つかるかどうかははっきり言って運みたいなもんだと思う。

ただ、絶対にこれがやりたい!という拘りを持ちすぎると失敗する確率は上がるかもしれない。

無謀にもポアンカレ予想に挑戦して人生を棒に振った多くの数学者のように。

2008-04-19

日本現実は完全な(中央)官僚独裁国家

2007.11.29(その3)

森田実の言わねばならぬ[757]

平和・自立・調和の日本をつくるために【544】

最近感心したこと(2)――財界中枢部の経済人と懇談して

「稲は実るにつけて俯き、侍は出世につけて上向く」(日本の諺)

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 11月中旬、東京の中心地で行われた経済人の会合に招かれた。40分ほど前に会場のホテルに着くと、主催者はすでに待っていてくれた。

 しばらく3人の経済人と懇談した。それぞれかなりの大物経済人である。ひとりの経済人が言った。 「森田さん、最近中央官庁が非常に強くなりましたね。戦後中央官庁がこんなに強くなり、こんなに民間にきびしくなったのは初めてではないですか。国民は今の流れは“官から民へ”と思っているかもしれないが、実態は逆です。官と民の力関係は、官の側が強くなるばかりです。日本現実は完全な(中央)官僚独裁国家ではないでしょうか」。

 この見方は、私と同じである。最近、私の耳には各方面から「中央官僚が強くなった」「きびしくなった」「威張るようになった」「横暴になった」という話が断片的に入ってきていた。しかし今までの情報経済界の中枢部からの情報ではなかった。今回の情報日本財界の中枢部にいる人の情報だった。財界中枢部にも冷静な判断力をもった人がいるのである。

 数日前に、かなりハイレベル経済人の集まりに講演に行ったときにも、同様の話を聞いた。ある経済人が言った。

 「最近公益法人法が大幅に改正されたのですが、実は法律ができあがってから、その法律のなかに当然入るべき“公益法人の定義”がなかったことに気づいたというのです。欠陥法律をつくったのです。そこで監督官庁研究会をつくって、公益法人の定義についての議論を始めたのです。法律づくりがずさんなのですね。次々と法律をつくるものですから十分な審議が行われず、そのためにこんなひどいことが起こるんですね。ただ、公益法人法改正後、中央官庁の干渉はきびしくなりました。いちいち口を出してくるようになった。公益法人自由度は狭まっています。最近中央官庁は次々と法律をつくったり、改正したりしていますが、その都度、中央官庁の力は強くなっています。小泉内閣は“官から民へ”“民にできることは民に”と言っていました。国民はこれを中央官庁の権限を弱めることだと思いましたが、錯覚でした。逆でした。実態は、新法ができたり、改正されるたびに中央官庁が強くなっているのです。いまの日本中央官庁官僚独裁国家になってしまいました」。

 小泉内閣以来の構造改革の結果、アメリカ政府アメリカの巨大ファンド日本中央官庁の指導層が勝者となった。最大の勝者とみられていた日本財界の地位はいまや傾きかけているのである。日本の「民」は中央官庁に負けたのである。中央財界からこのような告発がされ始めたことは、大変な進歩である。

ベンチャー革命2003年12月30日

                       山本尚利

タイトル日本国研究

1.猪瀬流の日本国批判

 猪瀬直樹著「日本国研究」「続・日本国研究文春文庫には、日本

の政官財の構造問題が事例中心に詳細に書かれています。誰でも、コレを

読めば腹が立ってくるでしょう。猪瀬氏は日本国研究成果が認められて、

小泉内閣の下、道路関係四公団民営化推進委員会の委員に抜擢されました。

政府委員会は、これまで官僚からみてイエスマンの権威者を委員に選ぶの

普通でした。小泉首相は、官僚の敵を委員会に入れたのです。この判断

画期的でした。おかげでこの委員会はもめにもめて、マスコミに格好の

ネタを提供してきました。小泉首相は、同委員会構造改革派を入れて、

国民の前に、道路族国交省小泉首相の対立の構造を鮮明にして見せま

した。この作戦は図星となり、2003年11月の衆院選挙で小泉は見事勝利、

国民に承認されたのです。衆院選挙後は、元のシナリオどおり、道路族

手打ちして、道路公団問題のゲームは終わりました。小泉首相は、国民

中に、悪役、道路族議員を支持する沈黙の人々が少なからずいることに着

目し、国民に紛れ込む無言の抵抗派を喜ばせたのです。まったく狡猾なパ

フォーマーです。日本において構造改革への抵抗派はバカではないので、

道路建設無意味さを百も承知ですが、背に腹は変えられないほど切羽詰

まっているにすぎません。道路建設がまさに生命維持装置と化しているか

らです。構造改革派の猪瀬氏も委員に選ばれて、テレビへの露出頻度が上

がり、小泉首相へ大感謝です。ツケはまたも国民押し付けられます。日

本国批判は、一定程度、ビジネスになることを猪瀬氏は証明してくれまし

た。これも小泉首相のおかげです。

 小泉首相の手口は、野党的批判を身内に取り込んで、野党の攻撃を無力

化するものです。「自民党をブッコワス」というスローガンも同じ手口で

す。ほかの自民党議員より、若干スマートなだけですが、一時的には新鮮

な手口に見えました。

2.日本官僚は悪役か

 さて、前述の猪瀬氏は、日本官僚、そして官僚に操られる自民党議員

がいかに私利私欲を追求しているかを克明に告発しています。彼は日本国

批判の急先鋒でしょう。日本国民資産は、政官財の支配層によって、好

勝手に食い荒らされていることが、猪瀬氏によって克明に検証されてい

ます。小泉首相日本国批判のシンボル、猪瀬氏を取り込むことによって、

正義の味方月光仮面を演じることに成功しました。小泉首相自身は、た

たき上げの鈴木宗男氏と違って、政治家ファミリーの2代目ですから、正

義の味方を演じるに十分、身辺はきれいであったのでしょう。小泉首相

登場するまで、金権まみれの政治家しか首相になれなかったのが、運良く

構造改革の波に乗って、幸運にも首相の座を射止めることができたのです。

正義の味方は常に、悪役を必要とします。構造改革を標榜する月光仮面

小泉首相の場合、官僚族議員が悪役にさせられます。ところが小泉首相

の手口は常に、WinWinです。彼は悪役にこっそり耳打ちします「実は獲ら

せるから協力してよ」と。道路問題はこの手口で見事、成功しているよう

に見えます。その結果、小泉首相への評価は二分します。100点満点では

ないが、ソコソコ、健闘していると観る人、彼はごまかしている。インチ

キだと批判する人。

 彼の新鮮な手口を今、もっとも勉強しているのは官僚でしょう。官僚

小泉首相から学んだもの、それは国民ダマシのテクニックでしょう。その

秘訣は与党への批判派を取り込んで、野党を無力化する手口です。改革す

る振りして、実は何も変えない。インフルエンザの耐性菌のように、従来

の薬が効かないという厄介な代物です。しかし、この手口が通用するのは

一時です。批判丸め込み手口が流行すると、国民の不満は不完全燃焼する

ことになります。国民精神状態が慢性不健康となります。これは、まっ

たく始末が悪い。

3.官僚存在意義

 日本官僚批判は、猪瀬氏の日本国研究にまかせます。ところで、

本の官僚の特徴とは何でしょうか。それは匿名独裁性にあり、出る杭を

打つ習性です。官僚の天敵は、政治家ではなく、個人のカリスマ独裁者

です。小泉首相官僚料理方法にどれだけ精通しているかは、実のとこ

ろ、よくわかりません。もし、小泉首相が名実ともに、日本国カリスマ

独裁者になろうと野望を抱いたら、たちまち、官僚から引き摺り下ろされ

るはずです。かつて学歴のない田中首相官僚から内心、軽蔑されていま

した。そこでロッキード事件によって無残に引きずり下ろされた。この事

件は、米国事情官僚の利害が一致したことで田中おろしが奏功したの

でしょう。その娘、田中真紀子氏は天性のカリスマ性を引き継いでいるの

を、官僚の勘で悟られ、たちまち外務大臣の地位を引き摺り下ろされたこ

とは記憶に新しいところです。

 戦前日本官僚軍部官僚含む)は、虚妄の独裁者天皇祭り上げ

て、好き勝手をやったとみなせます。ヒトラーとか、フセインとか、金正

日とかの個人のカリスマ独裁者は、官僚匿名独裁が維持される限り、日

本では生まれにくいでしょう。しかしながら、民主主義精神の醸成がプア

日本において、当分の間、日本国家運営には、必要悪として所詮、な

んらかの支配者を必要とするのでしょう。そこで、日本では当分、官僚

配か、カリスマ独裁者支配かの二者択一しかないかもしれません。戦後

官僚は、天皇カリスマ性を利用しないで、自民党という利権集団を担ぐ

だけで実質的官僚独裁を維持できたのです。この実績により、一部の官僚

は非常に傲慢となっている一方、子羊国民を内心、愚弄していることでし

ょう。米国覇権主義者は、日本には、想像以上に民主主義が根付かず、実

質的官僚独裁国家であることを悟っています。そこで、官僚人事権に介入

して、官僚経由で日本を支配しようと考えていると思います。小泉首相は、

米国覇権主義者と官僚に間で、適当に泳がされているという図式が見えて

きます。しかし、小泉首相はそれほどバカではないので、米国エリート

日本国の有能官僚駆け引きテンションを巧みに利用して、首相の座を

守っているのです。

4.必要悪官僚独裁

 日本国民民主主義が定着しない限り、日本の統治には、結局、官僚

裁か、カリスマ独裁かの二者択一しかない。これは完全に必要悪です。ど

ちらが、子羊国民にとってリスクが低いかの選択です。カリスマ独裁者

悪例は隣国北朝鮮を見ればよい。

 リスクの点では、チェックアンドバランスがソコソコ機能する官僚独裁

の方がまだましです。支配者がある程度、好き勝手をすることは、避けら

れない。人間神様ではないですから。カリスマ独裁の場合、10人に9

人は悪徳支配者でしょう。だから、世界支配を目論む米国覇権主義者にと

って、カリスマ独裁の方が、ある意味で攻撃しやすい。しかし、彼らにと

って、日本匿名官僚制ほど不気味なものはないでしょう。フセインや金

正日の方がよほど御しやすい。敵が見えますから。ならず者国家と名指し

もしやすい。一方、日本は、民主主義を装う匿名官僚独裁国家ですから始

末が悪い。敵が見えない。かつて、日本は顔が見えないと言われました。

米国として、本音では、北朝鮮ではなく、日本こそがならず者国家なので

す。にもかかわらず、日本民主主義の衣をまとっているので、ならず者

と面と向かって名指しできない。米国にとって、実に腹立たしい大嫌いな

国、それが日本です。旧ソ連共産党独裁中国共産党独裁、ともにカ

リスマ指導者を頂きます。米国にとって、この方がまだわかりやすい。と

ころが、日本では、明治以降の天皇制時代でも、天皇フセイン金正日

のように振舞っていたわけではなく、裏に匿名官僚集団が控えていたわけ

です。だから、敗戦後戦犯天皇死刑を回避すると決めたマッカーサー

の主張が通ったのです。イラクフセインなら到底、独裁者無罪は通用

しません。米国日本にもっとも警戒心を抱いているとすれば、その警戒

の対象は不気味な官僚独裁でしょう。そこで米国の現ブッシュ政権は、戦

日本のしたたかな権力構造をモデルにしているように見えます。ブッシ

大統領戦前日本天皇のように扱っている。9.11テロ事件以降、ブッ

シュ大統領のオドオドした表情に、それは見て取れます。彼の個人的キャ

ラクターは育ちのよい、お人好しカウボーイです。決してヒトラーのよう

な実質独裁者には見えない。その意味で現代の米国政治体制民主主義

を装う特定資本独裁と言えます。日米政治体制を比較すれば、軍事・石油

資本リモートコントロールに傾斜している現代の米国独裁体制の方が、

日本官僚独裁よりも、はるかに危険で悪徳であると思います。米国の影

独裁者集団は、あるときは、共産主義者を敵だと騒ぎ、あるときは、テ

ロリストを敵だと騒ぎ、結局のところ、最後は戦争に持ち込むことが最優

先している。こうして戦争ビジネスとして、国際軍事競争力を維持する

ことを通じて、世界を支配するには、米国世界中で定期的に戦争を引き

起こすしかないのです。刀は使わなければさび付きますから。テロリスト

のオサマ・ビンラディンも、フセインも一時、米国の手先となって、初め

米国の本質を知り、ともに、過激な反米独裁者と化したのです。彼らの

間違いは、「目には目を」の戦略です。この発想では、永遠に殺戮が繰り

返される。その点、インド独立の父、ガンジーの非暴力主義のほうが絶対

に正しいのです。

5.現代の日米関係における官僚の役割

 さて現代の日米関係は、端的に言えば、上記のような危険米国の影の独

裁者集団と日本官僚集団の駆け引きです。戦前の日米対立構造と、その

本質は少しも変わっていないでしょう。大きな違いはただひとつ、戦前

日本官僚独裁が、軍事力をもつ軍部官僚に支配されていたのに対し、現

日本官僚独裁軍事力を持たない点です。戦後日本の軍事勢力再発

の封じ込めに成功している米国覇権主義者は、獲物としての日本に関して

は、1400兆円の日本国民資産(レント)を狙っているでしょう。ただし、

獲物としての優先順位は、中東石油資産の次くらいでしょう。だから、

日本戦争に巻き込まれなくて済んでいるのです。石油が取れない日本は、

天然資源資産価値ゼロです。このハンディキャップは、プレデター

(肉食獣)から狙われないという意味において、不幸中の幸いと喜ぶべき

です。さらに、イラク北朝鮮は「ならず者国家」としては一括りにされ

ていますが、プレデター米国にとって獲物としての価値には天と地の差が

あります。北朝鮮は、イラクのように石油はない。日本のようにお金もな

い。獲物としては、まったくおいしくない国家なのです。それでは米国

とって北朝鮮価値は何でしょう。それは日本を、恐怖心を煽りながらコ

ントロールする上において、北朝鮮はある程度、利用価値があるにすぎま

せん。この点を、日本国民はよく認識しておくべきでしょう。私利私欲に

目ざとい官僚はわかっていると思いますが。日本における子羊国民の究極

の選択とは、その虎の子資産を、日本人匿名官僚集団に好き勝手に食い

荒らされるか、それとも米国プレデターに好き勝手に食い荒らされるか、

どちらの被害が少ないかの選択です。どちらにしても、支配者というもの

はそれ相当のピンハネをするのが世の常です。前述の猪瀬氏の官僚批判を

逆手にとれば、私利私欲のかたまりのような悪徳官僚の方が、清廉潔白で

まじめな官僚よりプレデター横取りをある程度防いでくれる可能性があ

ります。

山本尚利(ヤマモトヒサトシ

2008-04-13

光市母子陵辱事件の判決

4月22日に出る。

誤った情報が出回っているのを見たので走り書きながら解説。時間が欲しい。

最高裁によって高裁差し戻された場合、高裁では最高裁論理に拘束されて判決を書く(裁判所法4条)。

最高裁では「この事実関係なら死刑にすべきだろ常識的に考えて。死刑を酌量すべき事情をもっと審理しる。」という判決だった。

したがって、特に死刑を酌量すべき事情がない限りは死刑にすべき、という点で拘束される。

なもんで弁護側の主張も、この特に酌量すべき事情についての点のみに集中していたわけ(ドラえもんがどうとか)。

すると、判決中にあの数々のアホらしい主張についての判断が載ることになる。これは読みたい。

著名事件の場合、最高裁HPに行けば判決文を判決当日から読めるっぽい(11日の住居侵入の上告審判決文がもう出てる)ので、

ドキドキしながら待つと良いと思う。

んで、判決が出ても2週間は上告期間があるので確定しない。2週間過ぎれば確定。

まあ死刑なら弁護側が、死刑じゃなかったら検察官が上告するんだろう。

差し戻された場合でも、もちろん通常通り上告することは出来ちゃう。のでまだまだ本村さんの苦悩は続く。

複雑な事案だと、3回目の上告審、なんてのもあったりする。

上告審でも死刑だった場合、再審という手段があるけど、画期的な新証拠でもない限りほぼ認められない。

再審って三審制っていう制度の例外なんだから、よほどの事じゃない限り認められるモノじゃないんで。

http://anond.hatelabo.jp/20080412214452

大矢氏は大学から安定した収入を得られる身分だから、ハッタリかまして嘘だったら、金は儲からないわ地位は失うわで何もいいことないでしょ。

でも、ハッタリが本当だったら、金は儲かるわ名声は得られるわで良い事ずくめでしょ?

ハッタリだから嘘とは限らないのです。わからない事、不確かな事でも断定したり、利点を大げさに言ったり、欠点を隠したりすればそれはハッタリです。

それに、学会論文発表じゃないんですから、多少ハッタリがあっても地位がどうこうないでしょ。

あと、「安定した収入」ってのは全然理由になりませんよ。それが理由になるくらいなら会社を起こす動機がなくなります。

公知のものは特許が取れないってのは周知だと思ったけど?

出願以降に公知にすれば問題ないでしょう。それに、それなりの学会での発表なら猶予期間もあります。

別に私はハッタリが悪いとは思いません。それに、基礎理論画期的なのかも知れません。

ただ、安全性や実用性を誰も評価できない段階で、そのすばらしさを説くのはハッタリでしかないよ、と言う事です。

2008-04-12

暗号方式はたぶん胡散臭くないよ

この記事にはブクマを見る限りだいぶ懐疑論が集まってるみたいだね。残念ながらWebで資料を探しても見つけることができなかったので、憶測でしか語れないけれども、たぶん大丈夫だと思う。もっとも、「理論的には」の話であって「実用的に」どうかは知らないけどね。

大矢氏がハッタリをかます動機がない

まず、大矢氏はその道では有力な研究者で、名前も売れてます。俺のような門外漢でも知ってるぐらいだから。だから、胡散臭いものに手を出すという動機がまずないんですよ。

ただし学者というのは自分の仕事を宣伝してナンボという商売でもあるから、まだ残っている欠点を敢えて黙っているということはあるかもしれない。でも、少なくとも「CABは完璧暗号である」とは言っていないはず。そういう意味で、嘘はついていないことは信用していいと思います。

確率0」というのは「絶対に解けない」ということではない

次に、大矢氏の発言「鍵空間は無限大ですから、鍵を推定できる確率ゼロ」という発言は数学的に普通かつ真っ当なものであって、レトリックでないことを指摘しておく。

数学では、確率は長さとか面積とか体積とともに「測度」という概念包含されるんだけれど、「確率0」というのは「『点』は『無』ではない」という話と本質的には同じものだ。例えば、中学校の時「点には大きさがない、長さも幅もない」「直線には幅がない」「平面には厚みがない」と習ったはずだけれど、つまりこれは「点の長さは0」「直線の面積は0」「平面の体積は0」って話なんだよね。点とか直線とか平面というのは「無」ではなくちゃんと存在するものなのに長さとか面積とか体積が0(こういうのは「零集合」なんて名前もついてる重要なものだ)という話、当初違和感をもたなかった?多分、今になってみれば感覚的に「そんなもの」だと理解できているはずだけど。つまり、「長さや面積や体積が0ということと、存在しないということは別物だ」ということ。

確率が0というのもこれと同じなんだ。例えば、0<x<1を満たすxを全くのランダム(あるxが別の数より選ばれやすいということはないものとしよう)に選んでくることを考えよう。これはまさに「数直線0<x<1上、x=0.5という一点の長さはいくつ?」と聞いているのと同じことで、答えは0になる。別に変なことではないでしょ?

アルゴリズムの実用化の難しさ

もっとも確かに、「現実コンピュータ上で、鍵の候補が無限大なんて関数が作れるのか」という疑問があると思う。俺の理解が間違ってなければこれは確かに無理だ。でも、そういう言い方をするのは無理なことではないんだ。

というのは、アルゴリズム理論を作るときは、暗黙に「コンピュータには無限メモリがある」と仮定してしまうことがある。もちろん現実にはそんなことはない。でも、必要なだけメモリを増設すればいくらでもその状態に近づけることはできるので、実用はともかく理論としてはそれで十分と考えることがあるんだ。

もう少し詳しくいうと、チューリングマシンっていう数学モデルがあるんだけれども、これはメモリ無限にあるコンピュータ等価能力を持っている。そして、情報工学の問題はチューリングマシンに対して考えられることが多い。しかし、現実コンピュータメモリが有限しかないから、これは本当は「有限オートマトン」(基本情報処理試験にも出るから知っているはず)とよばれる非常に単純なモデルで表せてしまうものだ。これの能力は余りにも限られているので、たとえばカッコ対応問題(たとえばCやJavaで"{"と"}"の数が釣り合っているかを確かめる問題)すらも一般的には解けない。実際、メモリ内で表現できる最大の数以上のカッコを与えてやればいい。もちろん、そんな沢山のカッコを与えるなんて現実には無理だけどね。

そういう風に、アルゴリズムについて理想と現実の壁は大きく、常に実用化の壁というものがつきまとう。そういう意味で大矢氏の新暗号が本当に画期的なものになるのかどうか、これはやってみないとわからないと思う。今後の展開に期待だね。

追記

生半可な知識で下手なこと書くもんじゃないですね。専門家からのご批判を頂きました。

http://d.hatena.ne.jp/smoking186/20080412/1208008068

というわけで、この記事は反面教師として下さいませ。この記事単独では、間違ったことは書いてないつもりですが、前提を理解していませんでした。

2008-03-17

http://anond.hatelabo.jp/20080312094227

そもそも、

寝坊不倫や食べすぎをやめる画期的な方法があるとは思っていなかったのですが、

(だから自分で努力するしかないのだと思います。)

それがあると思っている方がいらっしゃることに驚きました。

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