はてなキーワード: 救急車とは
最近彼女と会ってすげーびっくりした。愕然としたといったほうが正しいかもしれない。
頬がこけて、足が常にふらついてる状態、一緒に食事に行っても「何も食べる気がしない・・」って状態。
もともと大人しいタイプではあったんだけど、明らかに生気がない。
どうみてもただ事ではないから思い切って「どうしたの?」と聞いてみた。
そうすると、どうもヤバイダイエット商品に手を出したらしい。。
俺は彼女が太ってるとは思ってなかったんだが、どうも彼女にとってはずっと前から「私は太ってる」という思い込みが人の何倍もあったらしい。
「なんで使う前に言わなかったんだ」とか「ぜんぜん太ってね~よ、今まででよかった」とか色々言っちゃったけど、そんなことを言うより先に、一刻も早く病院に連れてくべきだった。今にして思えば。
でもその日は俺もパニクっちゃってそこまで気が回らなかった。
家に帰り、冷静になった俺はそのこの世で最も憎い商品名を思い出して、検索する。何よりその商品がどんなものなのか、それをってしまった彼女の気持ちをちゃんと知りたかった。(本人は憔悴しきってるし、その日はお互い距離を取った方が良いと思った。)
そこで行き着いたのがこのページ。
http://www.diet-cafe.jp/2009/06/md.html
↓そしてこれが直近の書き込み。
先日、10年ぶりに大学時代の旧友と再会したのですが、あまりの激やせっぷりに、はじめは誰かわかりませんでした。
昔はぽっちゃりとしていたものの、性格も良く、仕草が可愛らしいこともあって、男の子からも人気がありました。
それが今では頬もこけ、正直30歳には見えないほど老けてしまったような感じでした。
肌もハリがなく、顔色も悪かったのでなにか病気が原因かと思い聞いてみたところ、MDクリニックダイエットをしたのだと聞きました。
きっかけは大学時代から付き合っていた恋人との結婚がきまり、ドレスの下見に行ったことだそうです。
15~17号サイズの彼女は、試着出来るドレスの中に気に入ったものがなかったそうで、自分が太っているせいでドレスが決まらないことを、深く思いつめてしまったようです。
彼が途中、急激に痩せていく彼女を見て止めるのも聞かずに、また副作用があるにもかかわらず、無茶な服用を続けたそうで、結果、デートの最中に倒れて救急車で病院に運ばれたそうです。
入院して色々と検査をしたそうですが、子供ができにくい体だと言われたそうです。
服用を始めてから生理が止まっていたそうで、彼は妊娠しているのではないかと思っていたそうなのですが、結果はもっと残酷なものでした。
(仮に妊娠していたとしても、薬の影響もあるでしょうから無事に出産できたかも疑わしいですが…)
この薬のせいかは断言できません。
しかし、それまでは規則的に生理もあり、年に一度は子宮がん検診などで婦人科を受診していたそうで、先天的な不妊体質だとは考えにくいとのこと。
しかも、結婚が決まったときにも婦人科を受診したそうで、その時は異常は見られなかったそうです。
彼の両親にもこのことは耳に入り、一日も早く孫を望んでいた両親によって、結婚は白紙に戻されたそうです。
唯一幸いなことは、彼が親の反対にも負けず、今もそばで見守ってくれていることでしょうか。
若い方にとっては将来の出産より、今の見た目のほうが大事に思うかもしれません。
が、見た目は努力次第でなんとでも変えられます。でも、壊れた体は努力だけでは治らないのです。
ダイエットは、このダイエットカフェを見ればいくらでも良い方法があるはずです。
これだけは本当にやめたほうがいいです。れだけは本当にやめたほうがいいです。
結果ゎ
-4㌔
まったく食欲なくなるし、物凄く発汗するし
最初ゎ良かった
だけど六日目位で
家事とかなんもやる気が起きない
とにかく少し動いただけですぐ疲れる
しまいにゎ呼吸がしずらくなって
酸素が行き渡らないせいか
頭ゎクラクラ
手足ゎ痺れ
急いで病院に行きました。
薬を薄めるのに
二時間位点滴して
色々検査しました
血液にゎ異常が出たみたいで
カリウムだがの数値が下がって呼吸がしずらくなったみたいです。
結果ゎまだですが
この薬ゎ甲状腺の薬でバセドウ病みたいになって簡単に体重が落ちるみたいです。
ただ病気になるだけです。
死にそうになって
初めて無理して痩せなくてもいいゃ。
と思いました
生きてて良かった
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嘘みたいだろ。こんなのが、これ以外に530人分もあるんだぜ。
情けないけど、見ていて目頭が熱くなった。
「ああ、この子もこの子もみんな同じなんだ」って。
思わず俺も書き込みをしてしまった。「みんなもやめてくれ」って。
俺一人の書き込みでどうなるのかって思ったけど、いてもたってもいられなくなったっていうのかな。
全部に目を通したわけじゃない。一つ一つが重過ぎるから。
でもわかったのは、「痩せたい」という女性の弱い心理を利用して、不妊症・奇形児を出してしまっている毒薬だということ。
この薬を作ってる奴らは、とりあえず死ぬべきだ。下手な麻薬よりヤバイ。
俺はただそれが言いたかった。
ほんの一ヶ月前にいきなり腰椎椎間板ヘルニアになってしまいました。
つまりは腰の骨と骨の間にある椎間板という組織が飛び出して、神経を圧迫することによりさまざまな症状が出るらしいのだが、
私の場合、腰は発症時も今も特に痛くなく、片足に強烈な痛みと痺れがいきなり出てきた。
今まで腰を痛めてぎっくり腰になったこともなかったし、
腰痛はまったくなかったってわけでもないが中腰とかつづけてその時だけ痛い程度で
特にそれらしい前兆は何もなかった。
で、発症と入院までの経緯なのだが。
いきなり片足のふくらはぎが張り出したと思ってたら、痛みが同じ箇所に出てきて痺れが出るようになった。
そして2時間ぐらいで歩くのがやっとという痛みになった。
その後は悪化する一方で、片足全体に痛みが走り、痺れがひざ下全体に及んでいた。もう片足にはまったく症状なし。健康そのもの。
座ってても何してても痛い。
ストレッチとか、シップとか試してみたけれど、ただただ猛烈に痛い。
昔足の指を3本骨折したことがあったが、それと比較にならないくらい痛い。
バファリンを飲んでみたけれど、まったく効果なし。
なんぞこれ状態。
その日はどうしても仕事場にいないとまずい日だったので、なんとか自分をだまして定時の18時まで居て退社して、
即効で街の何でも屋的な医院にいった。
遅い時間なので専門的な病院や大きい病院はやってないし、整形外科も診療に含まれてたので急場しのぎととりあえずの意味で行ってみた。
診察してもらうととりあえず神経症状なのは間違いないが、原因は今の段階では不明とのこと。
痛み止め(ロキソニン)とビタミン剤出しとくから、1週間後また来てといわれて帰宅。
で、寝違いとかかもしんないし寝たら治るだろうと若干淡い期待を持って就寝。
いつも5秒で爆睡して一度も目が覚めずに朝遅刻ぎりぎりに目が覚める私が
ロキソニン飲んでるはずなのに痛みで眠れない、寝れても浅い眠りで1時間もしないうちにすぐに目が覚めるという悪夢の時間を過ごして不眠状態。
朝いつもの時間よりかなり早く目が覚めて起きるとすごく眠いはずなのだが痛みが圧倒してて不眠とかどうでもいいになってた。
猛烈に痛い。昨日より猛烈に痛い。トイレもつらくなって出が悪くなってました。
でも会社行かないといけないと自分を追い込みながらだましだまし出社の準備をしてたが、
その間も激痛が走り、食欲も出ない。歩くのも困難になりつつあった。
本気で救急車呼ぼうか悩んだけれど痛み止めを飲んで、ほんの少しだけ会社に出社して最低限の引継ぎだけしたら病院にいこうと決めて無理やり駅まで歩いた。
正直いつもはなんてことのない10分程度の道のりに3倍以上の時間をかけて、痛みを無理やり我慢して歩いた。
もうそのときにこれ、会社ってレベルじゃないとやっと決心がついて電話して休んでそのまま電車乗って大きめの総合病院に。
整形外科で診察してもらったのだが、問診と足の反応を調べてもらってたぶんヘルニアでしょうといわれて唖然・・・。
そういえばこのときに気づいたのだが、足にぜんぜん力が入らなくなっていて先生の手に完全負ける状態に。
えっ、腰は痛くなくて足が痛いのになぜヘルニア?状態。軽く話してもらって納得。神経圧迫してるのが足の神経で足に症状が出てるとのこと。
腰が痛くなる場合もあるらしいが個人によって同じように圧迫されているように見えても症状が若干違うらしい・・・。
検査中大丈夫なようにキツい痛み止めの座薬(後に知ったがボルタレンサポの50mg)を入れてもらって、MRIとレントゲンを撮ってもらって腰椎椎間板ヘルニアと確定。
ただ、痛み止めが無意味なぐらい効かない。MRI中も足が震えるぐらい痛い。
で、確定診断後の診察中もずっと痛くて耐えられない中、先生にこれ以上強いのだと麻薬みたいな薬しかないし、外来でできるのはさっきみたいな痛み止め出すだけしかできないけど、会社休めますか?とのこと。
「こんな痛みじゃ会社どころじゃないので休むしかないだろ、常識的に考えて・・・。」
と思いながら会社に事情話して休みますといって無理してもらってベッド確保してもらって即入院決定orz
まさか緊急入院するとは思わなかった・・・。
楽観的に診察してもらってる最中も注射とか点滴とかで帰れるものだと思ってましたorz
その上、まだ決定はしてないけど手術が必要になるかもしれないとのことでした。
とりあえず、かなり症状もでてるので痛み止めがてら神経ブロックを試してみてから決めましょうとのことでした。
ほかにもいろいろ言ってもらってたんですけど、正直痛みで話の7割ぐらいは通り過ぎるだけでしたよ・・・。
そんな感じで入院したんですがその外来で診てくださった主治医の先生がいい人で、
神経根ブロックを無理して本来してない日に早めてしてくれたり(痛みが耐えられないから)、
手術しないといけないと勝手に思い悩んで手術に決めた後も手術か保存療法(手術しないでブロック注射などを使いながら自然治癒で治す方法)で悩む時間をくれたり。
結局手術は回避できて(どちらかというと回避した?みたいな)、神経根ブロック3回コースで退院できるレベルにはなりました。
ただ神経根ブロックが超絶痛い・・・。痛いのを抑えるための治療なんですけど、整形で一番痛い治療法だと先生に言われましたよ。
まぁ、今も若干麻痺が残ってはいるんですが痛みは安静にしてればほぼないのでいいんですが、
5分ぐらい歩くと痛みと痺れがカムバックしてきてしまうんですよね・・・。
これぐらいですんでるのも痛み止め(朝晩ボルタレン37.5mg)のおかげではありますがorz
先生も言ってたんですが、日常生活に戻るのはそれほど難しくないけれど社会復帰が大変な病気だと・・・。
正直会社に迷惑かけてるので早く戻りたいんですが、無理すると麻痺が進行して取り返しつかなくなるといわれてるので
家で安静にしてる日々です・・・。
・200mlをこえるような失血
・呼吸が無い/心肺停止
・吐血したとか、下血した
・熱が40度以上ある
・体の部品がすっとんだ
迷わずGO!
友達が後頭部をうってもどした時に、近かったので車で病院に行ったら怒られた。
救急車で来ないと一般診療扱いになってしまうんだって。応急対応ができないんだとか。
使うときはつかいましょう。
救急車の利用者の2割が全体の出動回数の8割をしめるとかいうし、診療費と救急車代別でもいいかもしれないね。
「年3回以上の利用は有料です!」で文句いうひといるかな?
自分の痛みにだけ大騒ぎして我を失う奴が大嫌いなの
サヨクが多いはてなみたいなとこだと俺みたいなのの方が叩かれるけどね
その痛さが彼に「特権的」な意識を与えてる様子だけど
ピリピリ痛くて薬飲んだり塗ったり変なライト浴びたりして治した
痕が何年か残ったよ、今見たら消えてたけど
それでも緊急外来とか救急車なんて発想は脳の片隅にも出なかったけどね
病院は早く行った方がいいし行くななんていわねえよ
けど土曜にやってる病院ぐらい探せばいくらでもある
せいぜいがちょっと不便な思いして遠出すればいいだけだろ
実際こいつもそれで問題なかったわけだ
どうもこのバカは耳に痛い話は聞き流しそうな感じがあるから
ググれって言ってもググらないかもしれない
「緊急外来」でググって上位に来たものから貼っておくね
緊急外来では、急性心筋梗塞やくも膜下出血、ドクターカーと共に挿管され搬入される重症な急性心不全など
どう?
「肌がピリピリ痛い!」っていうあなたがこの中に入って16個しかない席を奪うのって正しいかなあ?
重症患者様を治療中の場合や入院中の患者様の緊急治療中の場合などには、診察までの待ち時間が長くなることがあります。
応急処置のため原則として1日分(翌平日まで)の薬しか出ません
どう?
実際あなたが緊急外来に行ってもあなた自身、ニーズにあった診療は受けられないよね
当院は、第三次救急医療施設として救急医療に積極的な姿勢で取り組んでおります。
どう?
本気でこんなとこに入っていくつもりだったの?
命に関わる修羅場に混ざって、「帯状疱疹が痛いんでチュ」って?
まーすっごい厚顔無恥なDQNなら出来るだろうけどね、実際居るらしいし
どう?
実際「緊急外来」でググってトップに来るのは医者が書いたこのページだよ
あなたみたいなアホが必要ないのに押しかけて迷惑をかけてる話
37 : AV女優(鹿児島県) :sage :2010/08/14(土) 16:24:26.20 俺の父ちゃんもクビの骨を折って、最初に担ぎ込まれた病院で、 全身麻痺です、寝たきりになります、車椅子もムリですって言われて 母ちゃん号泣。 その後大きな救急病院に搬送したら腕のいい医者がいて、そこで直して もらって全快だった。 医者でぜんぜん違うな。 628 : グラウンドキーパー(大阪府) :2010/08/14(土) 20:37:40.74 >37 そうそう俺もむかし腹が痛くて痛くて病院に駆け込んだときに、 最初の病院の医者はいきなり悪性って診断しやがってマジ泣いた 次の病院はエコー見てもわからないから痛み止め処方w 次の病院もエコーに4人掛かりでわからず、 最後の医者は持ち込んだレントゲン見て一発で膿瘍と診断、即入院手術で回復 医者でぜんっぜん違うから注意だわ 702 : 柔道整復師(大阪府) :sage :2010/08/14(土) 22:52:22.74 >37 知り合いがバイクで事故って救急車で運ばれたんだけど 医者が「足を切らないと死んでしまう」って それ聞いたそいつのカーチャンが「そんなの絶対駄目」って、急いで違う病院に運んだんだけど 今では普通に歩いたり走ったりしてる 怖すぎ 751 : 爽健美茶(大阪府) :2010/08/15(日) 00:46:05.67 >37 6年ぐらい前に頭がフラフラするし身体に力が入らない、おまけに 野良猫に噛まれて足が腫れて来た。 近所の緊急行ったらベビーカー押した爺さんが出てきて症状を説明しても 「わからんなぁ」で傷だけ消毒されて終わり。 翌日症状が治まらないから別の個人病院行ったら、医者が俺の顔見るなり 緊急手術とか言い出した。 出血性胃潰瘍で失血死寸前、よく一人で医者まで来れたなと言われたお。 貧血で顔真っ青、見た瞬間判ったって言われたよ。 634 : AV女優(東京都) :sage :2010/08/14(土) 20:40:17.23 >628 どういう病院がおすすめ?大きい病院? 637 : 指揮者(大阪府) :sage :2010/08/14(土) 20:45:12.90 大学病院>634 640 : グラウンドキーパー(大阪府) :2010/08/14(土) 20:48:21.16 >634 最後の当たりの病院は国立だけど担当した医者は何年かで移動しちゃうし、 3番目の4人掛かりダメ病院も箱自体は日本赤十字のでかい病院だし 結局いい医者に当たるかどうかは運のような 649 : 指揮者(大阪府) :sage :2010/08/14(土) 20:56:41.16 >645 ああ、確かにコネは重要だよな。 ウチの母ちゃんの場合は俺の勤めてる会社の社長が手を尽くしてくれて 取引先の某大企業の部長さんの紹介で直ぐに見て貰えたからな。 797 : ノブ姉(山形県) :2010/08/15(日) 03:14:59.01 >37 >702 これマジかよw 洒落で済まないぞ 807 : まりもっこり(中部地方) :2010/08/15(日) 03:35:30.29 >797 指チョンパして、「もうくっつきません」って言われた指他に持ってったらひっついたとか けっこうその手の話よく聞くぞ
人間っておこがましい生き物だよ。
原発の話を聞くたびに思う。
厨二臭く聞こえるかもしれないけど
人間が手を出しちゃいけない領域ってのは絶対存在するんだ、って。
原子力とか、人間が自由にどうこうできるものじゃないんだって。
小学生か中学生の時に何かのきっかけでチェルノブイリの事故の本を読んで、それからずっと考えてる。
他のいろいろな事故のことや、JCOの事故のことも調べたりした。
その中で、俺が一番衝撃を受けたのはこれ。
>事故が起きたのは午後9時であり、当時夜勤で三人の運転員がいたが二人は即死であったと考えられる。事故発生後、救出隊が駆けつけたときには、一人がまだ生きていて救急車で搬送されたが、搬送中に死亡した。三人の遺体は、露出していた頭部や手などが余りにも汚染度が激しかったため、切断して高レベル放射性廃棄物として処理しなければならなくなった。(ウィキペディアより)
もし自分の家族だったらどんな思いがする?人体なのに放射性廃棄物として処理しなければいけないってどういうことだよ。
正直俺は原発なんてない方がいいに決まってると思う。
俺は理系でもないし、すごく詳しく知っているわけでもないから、自分が正しいとは思わないし簡単に論破されてしまうと思う。
でもこれはすごく感情的な問題なんだ。
説明なんてできない。こわいんだ。
なんであんなに恐ろしい事故が起きてるのに「クリーンです」「安全です」だなんて言えるんだろう。
なんで「原発がなきゃやってらんないでしょ」って他人事みたいに言えるんだろう。
そりゃまあ事故なんて結局は他人事にすぎないのかもしれないけど。
チェレンコフ光ってあるよね。
俺は実際に見たことはないけど、画像を見ただけでもなんだかこわいくらいに美しい青い光だった。
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/f/f2/Advanced_Test_Reactor.jpg
こわくて仕方がないのに涙が出るくらい美しいんだ。
涙が出るくらい美しいのに、こわくてこわくて仕方がないんだ。
でも、こんなこと考えて夜も眠れなくなったりするのに
電気を使うのをやめられない俺が言ってもなんの説得力もないんだよね。
原発をこわいと思って、なくなればいいと思う俺と、原発のおかげである今の暮らしを享受してらくらく生きてる俺
本当に矛盾してるよ。
バイト経験が豊富だという女の子が「そうそう2年位前だったかな?」と言って話し出した。お中元とかお歳暮の時期に、クロネコヤマトで短期で荷捌きをするバイトをやったことがあるそうだ。記憶では2年くらい前、東京の東の方のセンターの中元シーズンのことだそうだ。
クロネコヤマトの荷物というのはベルトコンベアーに載ってセンター内を回るそうだ。その途中で行き先に応じて振り分けをするらしいのだが、ベルトコンベアそのものは長さが限られているので、どうしても途中で"繋ぎ目"が出てくる。
→□ →□
________ __________
) (
中元の荷物には瓶詰めのお酒やら、こんな小さい箱使っても金額同じだよ! と突っ込み入るような小箱も混じっているため、繋ぎ目はあまり広く取ることができない。(隙間は数センチ程度と思われる)また動いているベルトコンベア同士のためか密着しておくこともできないようだ。
大量の荷物がこのベルトコンベアの上を通るのだが、中にはコンベアの下に落ちてしまう小さなものもどうしても出てくるらしい。普通はそういうのはコンベアを止めて後でまとめて拾うのだそうだが、季節バイトの男の子はそれを知っていたのか知らなかったのか、落ちた荷物を反射的に拾おうと手を伸ばしたらしい。
コンベア自体はものすごいパワーで回転しているので人間の手など簡単に巻き込む。
直ぐにコンベアは止められたが、その男の子の片方の手(右手だったか左手だったかは不明)は引き抜いたときにはズル剥け上体で粉砕骨折していたらしい。救急車で運ばれたが止む無く肘から先は切断になってしまったそうだ。
話をしてくれた女の子は翌日になってその話を社員から聞いたそうだが、警察が来て事情聴取とか面倒だったものの中元をさばくセンターを止めることはなかったそうだ。
その後は安全管理も徹底されて、靴やヘルメットなどがバイトでも義務着用になったそうだが、つい2年ほど前まで、アルバイトでこんな危険な作業があったことにびっくりした。
郵パック遅配で今年の中元シーズンは大変な騒動になってしまったけど、荷物が腐ったくらいならどうとでも取り返しはつくのだから、目くじら立てるのはよそうと思った。
思いやりと、人が我慢するのは違うんだよ。
自分が我慢してるからみんな我慢しろって考え方は駄目。
皆が我慢しないですむのが正解。
自分が言ってる
「自分が我慢しないからみんな我慢しなくていい」
都市整備の問題?
いや、そういう人間こそが、そういう事をやって平気なんだって事は分かってるけどさ。
うん。まさしく、その考え方が生んでる問題そのものだな。
”俺は我慢しない。お前も我慢するな。
俺のやる事で誰かの迷惑になったとしても、それは俺以外の誰かの責任で俺のせいじゃない。”
…か。
はー。
いや、少数じゃないよ、うん。
世の中で、迷惑だ、って言われている人間はみーんなそういう思考回路。
けど、お前のその楽しさ、快適さは、他人の迷惑を犠牲にした上で成り立ってる事に気付くといいな。
都市整備の問題とか言い訳してないで、ちょっとお前が我儘を引っ込めて
ちゃんとした駐輪場に止めれば、誰かを幸せにしてやれるかもしれないだって事にさ。
お前の我儘で呼び出す救急車で、助かる誰かもいるって事にさ。
まあ、気付かないだろうけど、(どうせ認めないだろ?)
せめて「俺も我慢しないからお前も好きにしろ」
とかは言わないで欲しいぜ。
馬鹿の仲間は増やしてくれるな。
俺は本当にある。その男は目の前でカッターナイフを取り出して、自分の腹を切ったのだ。
登場人物
・俺
・女
・腹を切った男(女の彼氏)
・部長
ちなみに、女と腹を切った男は付き合っている。
ことの起こりはこうだ。
1、部室で漫画が大量に盗まれて、近くの古本屋で売られていた。
2、悪質だと判断して俺が調査した。
3、古本屋は履歴を残していなかったので、詳しくはわからなかった。おそらく名前を書いた紙ぐらいはあったはず。
4、古本屋に履歴が全て残っているというカマをかけたら、部員の一人の女が「私の友達が犯人です」と名乗った。金は払うと言ってきた。
ただし、友達に頼まれて売りに行ったのは私だとも言っていた。
5、俺は漫画を盗んだ犯人を目の前に連れてきて、謝らせなさいと伝えた。
6、その女は犯人を連れてこなかったので、俺は大学に相談した。
7、大学は対応すると言っていたのに、期日を過ぎても何も対応してくれなかった。
8、その頃から、なぜか女の彼氏が交渉するようになっていた。彼氏は女をかばいたかったのだろう。
彼は必死にお金は払うと言っていた。でも俺は「ちゃんと、彼女に謝らせなさい」と伝えた。
9、ある日の休日、その彼氏に俺と部長が部室に呼び出された。彼氏は酒をかなり呑んでいた。日本酒のビンが空になっていた。500mmはあったと思う。
そして、ちょこちょこと話した後、突然、彼氏がポケットからカッターナイフを取り出して自分の腹をかっさばいた。。。
部長が手を抑えたので、俺は救急車を呼んだ。それで騒ぎを聞きつけた、隣の部室の人もきてくれて、何とか収まった。
10、その後、仕方なく近くの交番に相談して大学の部室に入ってもらって形式上調査してもらった。
犯人の目星はついてるにも関わらず。 そして俺は何故か大学の学生課の人間に怒られた。。。何で警察を呼ぶんや?
お前らが対応しないからでしょうとハッキリ言ってやったが、それでも怒っていた。怒られた理由は未だに謎。
11、そして、警察の調書を受けてから半年ぐらいたったら解決していた。
女が漫画を盗んだ犯人のはずだったのに、彼氏が犯人になっていたwww
いや、本当に凄い話だったよ。
今でも畳に血は残っているんじゃないかな。
コメントのご指摘により、もう一度、一部修正して主語と述語をハッキリさせました。
スミマセン、何か書きながら興奮してきて、まとまりがなくなっていました。。。
どうでも良い話だし、誰にあてて書くでもない。
でも、自分一人しか知らないと悲しむ連中が居るので書いておく。
我が家は男ばかり3人兄弟だった。3人も男がいれば、近所でも学校でもそれなりに有名と言うか、
誰からでも「3人もいると将来楽しみですね」って言われる様な感じだった。
親父は自営業なので、「3人で跡を継ぐんだね」云々と言うのは、枕詞みたいなもんだった。
いつの頃からか登校拒否をするようになった。
何やら蛇の様にネチネチしつこい担任に目をつけられて、
毎日の様にいびられる様になったらしい。
教師からのいじめだな。
そこで登校拒否になるわけだが、そんなのは学校だけのせいじゃなくて、
家の責任でもあるので恨み言は書かない。
(まぁ今時の教師にどれだけ覚悟があるか分からないが、教師ってのは人の人生を変えるぐらいの影響力があるって、
どんだけど命かけて教壇に立っているのか、それぐらいは認識して欲しいと思うが。)
その後はお約束のように「不良」というレッテルが貼られお約束の展開になって行った。
俺が中学に行った時にはもう、あいつの弟、って事だけで教師からも
その手のグループからも目を付けられて、そりゃもう肩身の狭い思いをした。
高校中退後の兄貴は、勿論仕事にも就かず、暴走族からその日暮らしのバイト、
金がなくなれば無心、そしてシンナー、と、そんな生活を繰り返していた。
高校を出て東京の大学に入学した俺は、そんな積み木崩しな生活から少し離れられた気がして、
家の状況の事をあまり考えなくなっていた。
大学の間に、兄貴は更正したのか?親父の会社を手伝い始めていた。
それでもまぁ、暴走族時代のまんま、70年代のアメ車を買って来ては改造して乗り回していたらしく、
いわゆるDQN成分は変わっていない感じだったが。。。
俺が帰省すると、「就職なんてしないで一緒に親父の会社手伝えばいいやん」と口癖の様に言っていた。
俺はそんな気は全然なかったんだが。。。
俺はバブル崩壊直後の東京と言う凄まじい環境の中で就職活動をしていた。
携帯だネットだと情報が氾濫している今より氷河期度合いは凄かったと思う。
とにかく思う様に就職が決まらず、焦っていた。
当時発売されたばかりのスーファミのストII大会を夜通し学校でやってそのまま飲み会。
阿呆の様な気晴らし方で毎日をして過ごしていた。
そんで徹夜明けの始発でアパートに帰っていたその日、実家から留守電が入っていた。
「電話して」
母親はいきなり、ごめんね、ごめんねと言い出した。
俺は兄貴が死んだ事を告げられた。
?
意味が分からなかった。
死んだって?
調子に乗って乗り回していた70年代のアメ車。それが老朽化していて、排気ガスが漏れ、
一酸化炭素中毒で死んでしまった。。。そんなバカみたいな死に方だった。
夏休みですぐに飛行機も手配出来ず、翌々日、家に帰り着いたのは通夜の最中だった。
客間が、なんか真っ白な布で張り巡らされていて、見た事ない人たちが走り回っていて、
その部屋の奥の方に祭壇があり、兄貴が眠っていた。
その日はそのまま明け方までそこにいた。
途中、ウトウトした時に、兄貴に呼ばれた。そんな気がして目が覚めた時もあった。
そっから葬式までほとんど覚えていない。
嫌なくらいに暑かった事と、直前に控えていた第一志望の就職先の試験の事だけを考えて、
ここで崩れてたまるかと、唇を血が出る位に噛み締めていた記憶だけはある。
長男は何時までも号泣していた。俺も泣きたかったが、負けてたまるかと、そんな事ばかり考えていた。
ここで見事就職決まれば美談だが、そうはいかない。物語の主人公の様にはいかなかった。
結局、その年の就職には失敗し、就職留年をした俺は1年遅れで地元の小さな会社にようやく就職し働き始めた。
長男はフリーターだった。当時はそんな呼び方もなかったが、バブル景気の
その真っ只中にいながら就職出来ず、フラフラした生活を余儀なくされていた。
実は長男はてんかんを患っていた。クスリで抑えながら、発症しないように、そんな生活を送っていた。
何年間か、発作が起きなければ完治。もし起きてしまえば治療のやり直し。
高校受験大学受験に失敗した長男からすると、高校、大学と順調に進学し、
留年しながらも就職した俺に対してコンプレックスがあったようだ。
実のところ、あまり仲は良くなかった。
というか、俺もどこか毛嫌いしている節があった。
そんな長男が、てんかんの症状も出なくなって、働ける様な体調になった、
遅ればせながら就職をし、「社会人」となり、次男の死以降、それまで落ち着かなかった
俺の家も、なんとなく落ち着き始めていた。
だけど、次男の事故から3年後。
また7月。
ひきこもり状態になっていた長男に対し、情けない奴、とぐらいにしか思っていなかった俺。
親は心配していた。手首に、今でいうリスカのあとがあったらしい。
あいつにそんな度胸はないっしょ、程度に考えていた俺。
ある日の夕方、俺を呼ぶ叫び声の様な親父と母親の声。
慌てて駆け付けた俺が見たのは、首を吊って自殺を図った兄貴の姿だった。
救急車を呼び、意識不明の兄貴と一緒に乗り込み、親より先に病院へ向かう俺。
訳も分からず、スローモーションの様に救急車のカーテンの隙間から見える流れる外の景色を見ていた。
親が来るまで、どれぐらいだったんだろうか、何時間にも感じた。
どうすればよいか分からず、入院の準備の為に看護婦が質問する事にも、
1人だけ取り残された待ち時間の間に一度だけICUに通された。
その時はまだ、長男の顔は人間の顔をしていた。なにか寂しそうに、
半分開いた目が宙を見ていた。
その顔に、何とかなるんじゃないかと、と言うか死ぬとかなんだとか、
そんな事は考えてもいなかった俺。
こんな時は泣けばいいのかなぁとか、漠然と考えていた。
何時間か経った明け方、親父母親揃って、俺達はICUの中に呼ばれた。
その中で見た長男の顔は、さっき1人で見た時の、まだ人間の顔をしていた長男の顔ではなかった。
どす黒く変色して、もう人間の顔ではなかった。
それを見た瞬間に、俺は悟った。
あ、もうダメなんだ。。。
医者からこれ以上の延命をしても回復する見込みがない事を告げられた。
その顔の変貌振りに、悟ってしまった俺は両親に告げた。
もういいよ、もういいよね?
何がいいだろう?何がよかったのだろう?この自分で発した言葉は、
今でも俺を苦しめるときがある。
そこからはテレビドラマを見ている様に、心音?が途切れ途切れになり…
そしてピーーーと言う音。
その瞬間、母親が泣き崩れた。
残されたこの子(俺の事)が可哀想すぎる!
泣き崩れても最初に出た言葉は他の誰でもない、俺に対する言葉だった。
今なら何となく分かる。俺は両親から愛されてると言うことが。
だけど、当時の俺は、もう自分の事だけで精一杯だった。
警察が来て、事情を聴かれ、遺書を探し。。。結局原因は分からなかった。
で、2人の兄貴の死を経験し、これで何か目覚めれば美談なんだが、
さっきも書いたけど俺はもう自分の事だけで精一杯だった。
もうそんな事に頭の中を占領されていた。
2人から取り残された思いがして、その不安に押しつぶされそうになり・・・
いわゆる鬱状態だった。
自分の事しか考えられない俺は、また、実家を離れて東京に戻って職を探そうかとも思った。
とにかく、ここから逃げ出したかった。その事を、ふと母親の前でつぶやくと、母親はその場で泣き出した。
親父からは、今はそんな事を言うなと怒られた。
それからもう、13年。次男の死からは20年近く。
立ち直れたかどうかは分からないが、いつの間にか、普段どおりの生活になり、
普通に生活し・・・そんな日々を過ごし、俺は結婚して3人の子供にも恵まれた。
また、夏が来る。7月が。この季節は、毎年なんか鬱になる。
どうして俺だけが生き残ったのか、そればかりを考えてしまう。
救急車の音、嫌なくらい暑い日に汗が出てスーツやシャツが肌にまとわりつく感覚。
とにかく一瞬意識が飛びそうになる。
もしも兄貴たちが生きていて、そして結婚し子供を作っていたのなら、その家族に語り継いで行ったであろう
俺達兄弟の話は、残念ながら、俺しか知らない話になてしまった。
だから俺は良く子供達に言う。
「真ん中のお兄ちゃんは喧嘩がものすごく強かったんだぞ!」
「一番上のお兄ちゃんは、ピアノとギターが得意だったんだぞ!」
俺たち兄弟の話は、親が死んで俺が死んだらもうそれで終わりだ。
だから、少しでもあいつらがどんな人間だったかを残したいんだ。
で、何にも教訓めいた事もなく悟りを開いた訳でもなく、
今もフラフラ右に左に迷い、突っかかり引っかかりながら俺は生きてる。
決して順風満帆でもなく清く正しくも生きていない。
だけど、やっぱり人間は生きている事が一番の幸せだとだけは思うようになった。
当たり前の様に明日を迎える事ができるのが、最高の幸せだと思う。
そして、自分を幸せにできるのは、やっぱり自分しかいないんだと思う。
どんなに人から施されようが愛されようが、自分を幸せに出来るのは、
自分が幸せだと思える、自分自身の気持ち以外にないと思うんだ。
お前らの中に、もし今の自分の置かれた環境に憤りを感じ、絶望を感じているヤツがいるなら、
死ぬ幸せを選んだ長男の顔は、俺には悲しい顔にしか見えなかったんだ。
誰の為でもなく、自分の為に。
2006年の夏、建設現場で日雇いのバイトをしていました。日給1万円もらえる仕事だったのでそれなりにキツイ内容です。マンションなどを建てる際に必要な資材の石膏ボードをひたすら運び込むというものです。
新入りの頃は一枚持つのがやっとでしたが、作業を重ねるに従い、一度に運べる量が二枚・三枚と増えていき、貧弱な僕もだんだん体力がついていくのが実感できてそれなりにやりがいを感じていました。
僕はあまり体力に自信のあるほうではありませんが、1人暮らしを始めたばかりでお金が必要なこともあり、ほぼ毎日仕事に出てがんばっていました。
その仕事に就き出して三ヶ月めの06年8月2日、仕事中から腰に違和感があり、今まで経験したことのないようなだるさ・重さを腰に感じていました。夕方、仕事を終えてバスで帰る道中、腰の違和感ははっきりとした痛みに変わっていました。座席に座っていることができません。まだ立っているほうがましです。
部屋に帰ってもその痛みはますます酷くなり、激痛といってもよい程になっていきました。
ただの腰痛だと思っていたので、とりあえず横になって痛みが引くのを待つしかないと思い、次の日の朝まで寝るつもりでした。
ところが夜中になるにしたがい痛みは増していき、もう我慢できるレベルを超えていました。
それでも、油汗をかきながら朝まで我慢し、トイレに立つこともできない僕は救急車を呼ぶ決心をしました。
なんだか恥ずかしかったです。生まれてはじめて救急車を呼びました。担架で運び込まれる時、近所の人が野次馬になってじろじろ見ていました。
近くの総合病院に着き、ストレッチャーでとりあえずレントゲン室まで運ばれました。
技師が仰向けの僕に向かって脚を曲げろだの横向けになれだのいろいろ指示をとばしてくるのですが、どんな体勢でも激痛が更に増し、無理でした。仰向けで脚を上に上げようとした僕は身体全体をつらぬくような鈍い痛みに思わず叫び声をあげてしまいました。
技師もあきらめたのか仰向けのレントゲンだけ取って終わっようです。
レントゲン室を出ると、若い看護師が僕の叫び声を聞いたようで、
「なんでこんなになるまで放っておいたの?」
といわれてしまいました。それに答えることもできない僕の手を、その看護師が握って、
「私も前にヘルニアやったからどんな痛いかよくわかるよ。」
と、慰めてくれました。
診察室で仰向けになったまま医師の診断を受けました。
仰向けのレントゲンしか取れなかったわりに腰椎椎間板ヘルニアの特徴である椎間板のはみ出し具合が顕著だったらしく、即入院ということになりました。
入院が決まった時、それまで入院なんかしたことなかった僕は正直びびりました。
しかもTシャツにパンツの格好で運び込まれ何の用意もなかったし、どうなるんだろうと思いました。
ぼくが運ばれたのは整形外科の6人部屋です。僕の他は40くらいのおじさんと、中学生の男の子と70くらいのおじいさん2人でした。
ベッドに寝たまま看護師から色んな説明を受けました。酷い痛みの中で聞いたのでほとんど頭に入りません。
小林さんというその看護師は30才くらいでこれからぼくの担当になるということです。
とりあえず優しそうな女性だったのでほっとしました。
説明が終わり、最後に
と聞かれました。
大丈夫じゃありませんでした。夜中からトイレに立つこともできず今まで我慢していたのです。
「すいません。オシッコしたいんですけど・・・」
「ちょっと待っててね。」
何も言わず僕のトランクスを全部脱がせました。僕は腰を上げて協力しようとしましたが痛みでどうにもならず小林さんにまかせました。
僕のペニスはこれ以上ないぐらい縮こまっていました。もともと仮性包茎で亀頭が隠れているのに今は包皮が完全にかぶってしまって象の鼻みたいになっていました。そんなペニスを見られるのは恥ずかしいものです。
「自分でやります。」
僕はそういって尿瓶を受け取るとペニスにあてがおうとしました。ところがちょっとでも身体を起こすと激痛が走ります。
無理でした。
「ほらー。無理でしょ。こういうのも全部仕事のうちなんだから恥ずかしいなんて思わなくていいのよ。」
ペニスが小さいからずっと支えていないとすぐはずれてしまいます。小林さんは排尿の間ずっと支えてくれていました。
長い排尿が終わり、尿瓶を床におくと、小林さんはウエットティッシュでペニスを拭いてくれました。包皮もめくって亀頭のまわりも優しく拭いてくれます。女性に触られたのは初めてだったので立っちゃうかなと思いましたが、それよりも激痛のほうが勝ってピクリともしませんでした。
小林さんは拭き終わると包皮をまたもとに戻しました。そして袋や腿の付け根もついでみたいに拭いてくれました。
「今井クン、パンツいちいち履いてたらたいへんだから、これ付けとこうね。」
そういうと、ふんどしみたいな帯をつけてくれました。
「痛み止めの座薬いれるね。」
さっきのT字帯を取って僕を横向けにさせました。
「すぐ済むから我慢して!」
座薬を奥のほうまで突っ込んできます。うんこが出そうな感覚がしましたが我慢しました。
「痛みが我慢できないようだったらこのボタンを押してね。」
小林さんは戻っていきました。
それから2時間くらいすると、徐々に痛みがやわらいできました。ほっとした僕は試しに起き上がろうとしました。
ダメでした。
ちょっとでも腰を曲げると激痛が走ります。
ただ仰向けに寝ている分には痛みがないというだけでした。それでも痛みがやわらいだことで心が随分軽くなりました。
昼ごはんはおにぎりでした。寝ながら食べられるようにとのことでしょう。左手に点滴をしながら、小林さんに時おり手伝ってもらいながら、食べました。
「とりあえず寝ている分には痛みがなくなったけど、まだまだ絶対安静だからね。無理に起き上がろうとしたら駄目よ。」
そう言いながら口の周りや手を拭いてくれました。
この日、昼間ずっと眠っていたせいで夜中に目が覚めました。
やってきたのは三十代半ばの初めてみる看護師です。この人も優しそうな雰囲気でした。
「今井さん、どうしましたか?」
ささやき声で聞いてきます。ハスキーで色っぽい声です。見ると白衣の胸やお尻の所がパンと張っていてグラマーな人でした。
「すいません。オシッコしたいんですが。」
その人、川上さんは、うなずくとすぐに僕のT字帯を取り、ベッド下から尿瓶をとりあげて、ペニスをあてがいました。
昼間、小林さんにやってもらった時はすぐ排尿できたのに、なぜか今回はなかなか出ません。オシッコしたい感覚はあるのにです。
それでも川上さんはジッと出るのを待ってくれています。
ようやく小便が出始め、ほっとしました。
「よかったね。」
そういって戻っていきました。
朝食の後、清拭がありました。
近藤さんというまだ学校出たばっかりな感じの看護師が僕の身体を拭いてくれました。熱い湯に浸したタオルで力強く拭かれるのはとても気持ちの良いものでした。
「オシモのほうは洗いますね。」
そういうと、お尻の下に差し込み便器を置いて、ぬるま湯と石鹸で洗い始めました。袋の皺の部分や、お尻の穴まで丁寧にやさしくこすってくれます。
勃起しそうな感覚はありましたが、とても恥ずかしく、また入院したばかりの不安な精神状態だったためかペニスはやわらかいままでした。
依然として起き上がれず、つらいです。
入院してから一度も大便をしていません。
まだ、ウンコが出ない。看護師さんが浣腸しようとしたが強硬に断りました。そんなの恥ずかしすぎます。
今日こそベッド上で排便しようと試みました。
でもだめです。いくらきばってもでません。
小林さんが浣腸してくれました。初めての浣腸です。浣腸した直後から鋭い便通がきました。
「5分我慢してね。」
とのことだったので必死で我慢しました。
「まだよ。まだよ。」
と囁いています。
5分後、差し込み便器めがけてシャワーのように排便しました。大量のウンコです。差し込み便器にはおさまらず、下に敷いたビニールシートにもウンコが垂れました。
小林さんはさすがに排便の間カーテンの向こうにいてくれましたが、すごい音やニオイは隠しようもありません。他の入院患者に対しても恥ずかしく、申し訳なく、もう死んでしまいたい気持ちでした。
「おー、いっぱい出たねー。よかった、よかった。」
小林さんは笑顔で僕の汚いウンコを始末してくれます。ほんとに穴があったら入りたい気分でしたが彼女の笑顔に救われたように思います。
「お尻洗うね。」
なんだか汚いウンコも見られたせいか恥ずかしいとかいう感覚がなくなったようです。パンパンに張っていたお腹もすっきりして心まで軽くなりました。
小林さんに洗ってもらってる間ペニスが半立ちになってしまいました。こんなことは入院以来初めてです。スッキリしたせいでしょうか。これはこれで別の恥ずかしさがあります。必死で違うことを考えて勃起をしずめようとしました。
「今井クンは本読むの好きなんだね。いっつも本読んでるもんね。」
小林さんも気をそらそうとしてるのか、それとも単なる世間話のつもりなのか、話しかけてきます。僕も母に持ってきてもらった村上春樹を語ったりしました。
おかげで完全に勃起せずにすみました。でも小林さんの洗い方はとても気持ちよく、やばいところでした。
ブロック注射を打つにはベッド上で横向きになりネコのように身体を丸めないといけません。そんな姿勢は今の僕には発狂しそうなほどの痛みをともないます。
それで全身麻酔を打ってからということになりました。
麻酔を打って、徐々に薄れていく意識の中で、なぜか小林さんのことを考えていました。
なぜかペニスが痛い。どうやら尿道に管を入れられているみたいです。しかも勃起しているから余計です。起き上がってみようとしましたが麻酔が抜けきってないのか身体に力がはいりません。
勃起が収まってからナースコールを押そうと思っていたのに、その前に看護師が来てしまいました。初日、夜中に小便をとってくれたグラマーな川上さんです。
「目が覚めたんだね。どんな具合?」
「まだ、身体に力が入らないです。」
「ブロック注射は何回かに分けてやるから、すぐに痛みが取れるわけじゃないよ。無理に起き上がろうするのは絶対だめよ。」
川上さんは点滴の具合を確かめ、それから僕のお腹をさして言いました。
「ちょっと確認するね。」
ふとんをはがしT字帯をとりました。
ペニスに管が入れられているのが見えます。しかもまだ勃起しています。
「はあ、痛いです・・・。」恥ずかしさをこらえて言いました。
「抜いちゃうね。」
そういうなり左手で陰茎を持ち、右手でそろそろと管を引き抜き始めました。
痛いのかと思っていたのは杞憂で、それどころかなんとも言えない快感が走りました。
なんというか、射精寸前のような感じです。
「あっ・・・・」思わず声が漏れました。
「痛い?」川上さんはいったん抜くのをやめました。
「あ、いや、そうじゃなくて・・・」
「じゃ、抜くよ。」再びそろそろと管を引いていきます。また変な感じがしてきました。なんかほんとに射精しそうです。
しかし、無事、管は抜かれました。ペニスは腹側に向かって反りあがり、ビクンビクンゆれています。オナニーしてて射精寸前でやめた時みたいなもやもや感がありました。
「洗うね。」
「え?あっ、今はいいです。明日でいいです。」
必死で言いました。今、洗われたらホントに射精しかねなかったからです。
そういいつつ、川上さんは腰の下に差し込み便器を入れました。彼女の目の前でペニスはビクンビクン動いています。
「大きくなったこと気にしてるの?若い子はたいていそうなるんだから、いいのよ。」
川上さんは先に薄いラテックスの手袋をはめます。ほんとに薄そうな感じで、はめても彼女の綺麗な白い手がほとんど透けて見えています。あんなのでこすられたら・・・。どうなるんだろう。
僕は川上さんの準備している様子を伺っています。彼女はいわゆる綺麗なおばさんとでもいうか、色っぽい熟女とでもいうか、とにかくそんな感じの女の人で、ただ若いだけの女性よりも本当に妖艶な雰囲気を漂わせています。しかも、オッパイが大きいのが服の上からでもまる分かりで、白衣の胸の部分がパンパンに張っています。
そんな彼女を見ていると僕のペニスは全く小さくなる気配も見せず、血管を脈打たせてビクビクうごいています。
(ああ、どうしよう。射精しちゃったらどうしよう。)
そんな僕の思いにもかまわず、川上さんは僕の脚をカエルみたいに左右に広げ、容器に入ったお湯をペニスにかけました。
(うわっ、なんだ?すんごい気持ちいい。)
ただお湯をかけられただけなのに柔らかな羽でさっとなでられたような感覚が走りました。
「あ・・・、くっ・・・。」
言葉にならない声をあげてしまいました。
「熱かった?大丈夫?」
「はい、大丈夫です・・・。」
川上さんはガーゼで石鹸を泡立てています。クリーム状になったところで、両手でその泡をすくい、ペニス全体に塗りだしました。
ラテックスの手袋はほとんど意味をなしていません。彼女の温かくてすべやかな手がそのまま僕のペニスに絡みついてきます。
彼女はまずお尻の穴と睾丸から洗い始めました。左手でお尻の穴をなでながら右手で袋をゆったりと揉んでいます。僕はあまりの気持ちよさに汗をかいています。必死で別のことを考えてはいるのですが、意味がありません。特に睾丸をやさしく揉まれることがこれほど気持ちいいとは思いもよりませんでした。自分でオナニーする時に睾丸をさわるなんてしたことなかったのです。
「あっ・・・。」
「どうしたの?ここは汚れやすいのよ。」
「あんっ!」思わず大きな声をあげてしまいました。
「痛いの?だめよ。がまんしないと。綺麗にしないとだめなんだから。」
新たにソープをすくうと今度は陰茎部をゆっくりと洗い始めました。左手で睾丸をやさしくマッサージしながら輪を作った右手で陰茎を上下にゆっくりとしごいています。確かに洗ってはいるのですが、その動きは僕にとってもはや快感を送る以外の何物でもありません。
「ほらぁ・・・。だんだんきれいになってくねぇ。」そんなことを言いながら、川上さんは包皮をむいて亀頭を完全に露出させました。
左手でおもいっきり皮を下にさげ、人差し指と親指で輪を作った右手で亀頭のカリの部分をクリクリと撫で回しています。
「はぁ・・・あぁぁ・・・」僕はもう気が変になりそうです。
「んー?どうしたのぉ?今井クン、ちょっと変な気持ちになっちゃったかなぁ?でも、だめよ。キレイにしてるんだからぁ。」
言いながら、川上さんの右手は亀頭全体をコネコネとこねくりまわしました。
総毛だつような快感が下腹部を襲いました。白衣を着た肉感的な女性が僕のペニスを撫で回している。想像するだけで射精しそうなのに、今、その手が実際に快感を送り込んでいるのです。
「ここは念入りにしないとぉ・・・」
過敏な亀頭全体を逆手に握り、ひねりを加えながら上下になで上げています。ぬちゃぬちゃという音が病室に響いています。
もう、限界でした。腰が甘くとろけ、溶けそうな甘美な快楽につらぬかれました。
「あーっ・・・・!!」
信じられないほどの快美な感覚に包まれながら、僕は射精していました。今までのオナニーなんて比べものになりません。ペニスを中心に腰がどろどろにとろけてしまったようです。
身体全体をビクビク痙攣させながら長い長い射精をしました。射精している間も、川上さんは優しく亀頭をこねくりまわしています。おかげで精液が飛び散らずにすんでいます。
「今井クン、出ちゃったねぇ・・・、いいのよ。しょうがないよねぇ。全部出しちゃってね。」
そんなことをつぶやきながら、川上さんは優しく亀頭を撫で回し続けます。
「フフッ、よかったねー。気持ちいいねー。いっぱい出してね。」
ようやく、最後の一撃まで出尽くしました。まだ腰は痙攣していますが。
「今井クン、全部出たの?全部出さなきゃだめよ。」
好きなバンドの友達経由で、知り合った年下の南ちゃん(仮名)。最初は友達の友達として、付き合っていたけれども、同じ沿線という理由で、ふたりで会うようになった。2年以上の付き合い、互いの悩みも相談する関係になった。そして知ったのは、彼女が心療系の病気を患っているという事。
南ちゃんは優しすぎる性格だから、ファン友の相談やもめ事にも率先して解決していたけれども、ある日金銭トラブルを抱えたふたりに巻き込まれ、救急車で運ばれ、緊急入院した。この時、彼女は傷つきやすいんだと、知った。
それからは、彼女の前では笑顔で、悩み事も軽い物しか相談しないようになった。それは私なりの配慮、だった。
3月、南ちゃんの誕生日パーティーに呼ばれた。会場は、彼女の住んでる街の居酒屋。彼女のお母さん、前述のバンドで知り合った共通の友人、高校の同級生と先輩が来て、お祝いをした。彼女がトイレに行った時、酔っぱらった彼女のお母さんが私に行った。
「あの子は小学校も中学校も殆ど行かなくて。夜間高校に通うようになって、数人友達が出来たけど、バンドを好きになるまでは仕事が休みでも出歩かなかったし、笑ったり、色々話したりしなかった。だから、あの子の誕生日をこうやって祝ってくれる人が居るのが、とても嬉しい。佐伯(私・仮名)さん、ありがとうね。これからも南と仲良くしてあげてね」
お母さんは、泣きそうになりながらそう言った。私は年上として、彼女の誘いは月に1度は聞き入れるようにしようと、決めた。
先日、南ちゃんからメールが来た。「今度の土曜日、我が家で夕飯食べませんか?お母さんが腕によりを掛けるそうなので…是非来てください」年下と思えない、丁寧な文章のメールだった。私は暇だったから、快諾した。
そして昨日、初めて南ちゃんの家に行った。実家住まいなので、迷惑を掛けちゃマズイと思ったし、お父さんに初めて会うから、それなりにいい服を着て、お土産片手に行った。
「ちょっと散らかってますけど…」と、言われた。「私もひとり暮らしだから、凄い散らかってるよ」と、笑顔で返した。
だが、南ちゃんの家はちょっと散らかってるレベルの物ではなかった。
玄関のドアを開けて、家に入ろうとした瞬間、足下に落ちていた焼き魚(直)と、何か分からない肉片が彼方此方にあって、足の踏み場もない玄関だった。「猫が3匹いますんで…」私は何も言い返せなかった。
それから、埃やゴミが隅っこに山のように溜まっている廊下を通り、リビングダイニングへ行った。やはり隅には山積みの埃と、ゴミ。テレビ台にも埃が山盛り。足下には何か分からない塊が彼方此方に落ちている。コバエがかなり飛んでいて、山奥の一軒家みたいだ…と、思う位だった。「好きな所に座ってください」ソファも座れる場所がない位、物が乗っていたので、ダイニングテーブルのチェアに座った。
テーブルの上には、山積みのチラシや要冷蔵のソースやケチャップ、洗っていないコップ、領収書や手紙。チェアに座って、数分。お尻が痒くなってきた…。
私は傷付けたらマズイと、一緒に見ていたテレビを話題にしたり、新曲がどんなのがいいか話し合ったりして、時間をやり過ごした。
夕飯は餃子だった。山積みの物でいっぱいのダイニングテーブルに、私と南ちゃん、そして彼女の両親と4人で食事になった。笑い話をしながら、お酒を呑みつつ、餃子のたれを作ろうと醤油を付け皿に斜めにした瞬間、醤油さしからドボッドボッと、ゴキブリが数匹出てきた。私はゴキブリが苦手なので、叫び声を上げたかったが、グッと我慢した。
餃子は食べられないな…と、お酒を呑んで話す事に夢中になっているフリをする事にした。暫くしたら、山積みのチラシの中から生きているゴキブリが出てきた。これは正しく叫び出したくなったが、やはり大人なので、我慢した。
でも、もっとびっくりしたのは、そんな醤油を普通に南ちゃん家族は気にもせず使っている事だった。腕も足も痒くなってきて、限界に近くなってきたので、電話がかかってきたフリが出来るフェイク着信を利用して、急用が出来てしまったフリをして帰ってきた。
今、私の両手、両足、それからお尻に赤い点がある。じんましんだ。薬はつけたが、未だ痒みが治まらない。
逃げ帰るようにしたのに、南ちゃんのお母さんは私を気に入ったらしく「また家に来てね、と、母が言ってますんで、今度は他の友達も誘ってカレーパーティーしましょう」と、いうメールが来た。
もう汚宅には行きたくないんですが。彼女に行きたくない理由を言える程、私は図太い神経を持っていません。それに私が言った一言で、彼女を傷付けてしまったら…と、思うと、恐くて下手な事も言えません。
散らかってるレベルは人それぞれなのは分かっていたけれども、許容範囲を遙かに超えた汚宅。あんな所に住んでて、よく病気にならないな…と、感心してしまった反面、はっきり断る方法を知らなければ大人とは言えないなと、思った。
なんて言えばいいのかな…。ま、暫くは忙しい…で、突き通そうかな。
車で騒音を出すのを禁止にしたい。
もちろん、救急車のサイレンなどの公共的かつ必要のある音は除く。
空吹かしでXXX回転まであげたときにXXXデシベル以上だったら、その場で運転禁止、車両廃棄とする。
スピーカーで音を鳴らすのも同じ。
スピーカーからXXm以上離れたところでXXXデシベル以上を観測したら、上記と同じ処分とする。
(事業所所有のものは事業所で負担)
どちらも、次の1回が見つかった時点で永年欠格。
取り締まりは、警察の検問でもOKだけれども、警察認定の団体でも可。
取り締まりの状況は、常時2台以上のカメラで撮影することとする。
だって、バイクがうるさいんだ!!
ぶーーーーーーん、ぶんぶん、ぶーーーーんって、お前らハエか!
停車中の車のエンジン音もうるさい!
低音でぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶっていつまで鳴らすんじゃ!!
「都内で女がバイクを襲撃」「乗用車のフロントガラス割られる、トラブルで」
なんていう記事が出たら、私かもしれません。
ほんっとうに腹が立つんだ!
・朝起きたら、膝がカクカクするような違和感があり、芥子粒ほどのかさぶたが膝の裏についている。腰や肘等の関節でも同様の場合がある。
・出掛けて帰ってきたら、室内に血液の滴が落ちている(警察が血液であること、実際に落ちてたことを確認済み)。もちろん、出掛ける際に戸締りはしている。
・朝起きると、洗面所の流しから薬品のような強い刺激臭が漂ってくる。
・玄関や勝手口のドアのチェーンが破損する。あるいは、チェーンが気付かないうちにやたらと伸びている。
・その他、家のあちらこちらが破損する(タイル、玄関灯、壁など)。
・ブログの過去の記事の文章の、語尾が自分のものと異なっている(直近のものには起こらない)。使ったことのない絵文字がついていることもある。
・身の回りのおかしなことについてブログを書いていると、脅しのコメントやメールが届く。
・身の回りのおかしなことについてインターネットで相談すると、漏れなく「統合失調症」と言ってもらえる。
・わざわざ、このおかしな状況を統合失調症なのだと伝えるために、一日中インターネットに貼りついて活動されている方も少なからずいらっしゃる様子。
・タブブラウズしていると、何枚か開いているタブのうち、見ていないタブがいつの間にか異なるページになっている。
・届いたはずのメールが翌朝になると消えている。
・庭で飼っている犬の側に、あげた覚えのないサバ缶の空き缶が転がっている(旦那も自分もあげていない)。
・防犯パトロール隊に追いかけまわされる。
・目の前で咳払いする人が増える。
・徒歩5分ほどの近辺に、訴えがほぼ同様の「統合失調症患者」がいる。
・マンションの隣の部屋には、毎日違う人が出入りしている。
・先週、ガソリンを満タンに入れたはずなのにもうなくなっている(通常1カ月もつはずなのに)。
・そのうち幻聴が聞こえてきて、「この(病院の)先生、若づくりだろ、整形してるぜ」「この先生、おっパブいってるぜ」「協力してくれていたT大の先生が、もうすぐこの犯罪がばれるから、やめて本業に戻るって言ってる」などと言われる。
・おかしな現象は決して人間の微弱な生体信号を遠隔から送受信する技術によるものではない。まさかまさか、人間の共振現象なんて利用されているはずがない。
4月から約一月、毎日8時間前後歩いたが結果は出なかった。そしてGW最終日、7連勤の最後の日にめまいで倒れ、休日だということもあり病院が探せず救急車のお世話になることになった。流石に辞めた。やってられない、本当にそう思った。
それから5月の間中次の働き先を探していたが、やっぱり見つからない。26歳、女、1ヶ月間のリフォーム営業のみの職歴しかない。どこも書類で落ちた。しかし5月の末頃、辞めたリフォーム会社の社長から電話が来た。「君が回っていた地区を他の担当が回っているが、地域の方が君のことを覚えてくれている。君が真面目にやっていてくれたことはよく分かった。もう一度、がんばってみないか?」一日考えたが、結局その話に飛びついてしまった。
まだ一週間もたっていないが正直、また後悔している。
訪問先で世間話も含めお話が出来ることは確かにある。そういうときは契約の如何に関わらず楽しいし嬉しい。しかし、やはり契約にならないと突き上げが来る。
最初に断られても粘る。粘れともちろん言われる。その結果訪問先の方に嫌な思いをさせてしまう。訪問の時点で邪魔者なのに。その上大事な家についてどこが痛んでるなど失礼なことを言う。怒るのは当たり前だ。しかし、それは怒らせる話し方をする私が悪いのだ。単純な事実。全くもってその通り。
しかし最初から話を聞いてくださる方だけ相手にしても数字は上がらない。それは4月の時点でわかっている。
そして嫌がられる粘り方をしても数字は上がらない。それは考えるまでもないことだ。だから、もっと考えなければならない。
しかし嫌だ。何が嫌かというと自分が嫌な人間になるのが嫌だ。丁寧に誠実にやっているつもりでも嫌がられるのは当たり前だし、焦りや疲れや未熟さなどから本当に失礼なことをしてしまうことも多々ある。
本当に、もっと考えれば良かった。
昨日泣きながら考えて、ふと気づいてしまった。私は、自分の幸せがなにかについて真剣に考えたことがないことに。
毎日歩いて目にする、マイホームを持って天に恥じることなく幸せそうにしている人たちを見て、この方々と自分との差はなんなのだろうと思っても答えは出なかった。けれども気づいた。
私は幸せのために生きてきたのではなく、楽な方へ逃げて逃げて流されるがまま生きてきて、だから今の自分がいるのだと。
そう思ってしまったら、安易に仕事を辞めることも、このまま続けることも選べなくなってしまった。
でもこれから出勤だ。もう支度をしないと間に合わない。
いってきます。
先々月叔父が亡くなった。60代だったか。筋金入りのパラヒキニートだった。旧帝大の大学院(理系)まで出ておきながら一度も就職せず、祖母の面倒をみることを条件に兄弟が生活費を渡していた(祖母の年金もそこそこあったし)。その祖母も亡くなって遺産相続でもめると「首くくって死んでやる」と兄弟たちを脅して困らせた。頑固で、厄介な親戚だった。病気で、汚宅化した家のコタツのまえからもう一歩も動けなくなっている叔父を発見して救急車を呼んだのは同じくパラヒキニートの兄だ。トイレにも行けなくて壮絶な状態で「兄ちゃん、兄ちゃん(わたしたちの父)」とに助けを求めていたそうだ。
連休中に汚宅の掃除にかりだされた。幾層にも積み重なったゴミやチラシや新聞の間から、丁寧に切り抜かれた求人広告がたくさん出てきた。3年ぐらい前のものからあった。福祉とか介護系のバイトばっかりだった。おじちゃん、まだ働く気あったんだ。とてもやりきれない気持ちになった。兄にとってはもっと辛かったろう。掃除の最中いちどだけ自嘲的に「ボクもこんな最期になりますかね」なんて云うから、そうならんためにおじちゃんだってこんな切り抜きしてたんじゃないか、と怒った。でも叔父だって結局は働かなかったからな。正直今でも叔父のことを考えると片付かない気持ちになる。
世間はわたしを甘やかすためにあるんじゃない。欠点をあげつらったりバカにしたり騙したりするひとには事欠かない。でも、世間に出なかったら、わたしは存在してないのと同じなんだ。友だちができたり、些細な成果を上げたり(もちろん時間あたり800円の給料もだ)、感謝されたり…わたしを支えてくれることも、世間にしかない。だからビクビクしながらも、仕事に行く。出会った人と話す。勝ち組なんていない。負け組もいない。自分が一歩踏み出さないと、何も起こらない。そのことだけは身に染みた。
兄ちゃん、頼むからあんな死に方しないでくれよ。
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祈祷師 山内日豊@20100524193941 (2010/05/24 19:39:41)kazu119211kazu119211 append
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こんにちわ。誰にも自分の病気を理解してもらえない苦しみ。いつ発作が起きるのか。一日一日が恐怖の生活です。パニック障害の発作に苦しんでいます。愛知県豊橋市の男性(名古屋大学を休学中)です。息苦しさに苦しんでいます。僕の病の発端はテレビで関西の電車事故のニュースと呼吸困難になって死んでしまった人の番組を見てしまってから始まりました。テレビを見ていたら、なんだか自分も息苦しくなってきてしまったのです。なにか、心に衝撃が来たのを覚えています。その日の夜、やっぱり苦しくて深夜の救急で診察を受けました。そしたら、そのときは喘息という診断を受けました。またそれから一週間後ぐらいに過呼吸もおこし、また救急車で運ばれてしまいました。これから社会人になればハードな生活が始まることは分っています。でもそれは圧迫感というよりはむしろ期待の方が大きいと感じています。もちろん漠然と不安はありますが、それは誰にでもある程度の不安だと思います。明るい今後の人生を楽しむためにも何とか以前の元気な精神と肉体を取り戻したいと考えています。そのためにはどうしたらよいのでしょうか。どうか、教えてください。 A護国寺鹿児島別院。山内日豊です。予約して下さい。http://www.gokokuji.com/soudan.form.htm
母が入院した。83歳で救急車で運ばれたのだから、もう、いよいよかと親戚に連絡を回しまくった。これがいかんかった。
母には10歳年下の妹がいる。妹だからか気軽にこき使ってる。突然電話して「明日、草むしりに来られない?」って調子だ。そんなことは私に言えばやるのだが、母は何かと非効率的なので、まともに言うことを聞いていたら、何日かかっても終わらない。段取りを組んで3時間程度で終わらせようとすると「そんな乱暴なやり方じゃだめだ」(実際には、母のほうがはるかに乱暴だ)と難癖つけてくるので、ついつい腰が重くなり、「妹なら、私が言った通りにやってくれるから、妹にやらせる。もういい」と頼まなくなってきた。実は、妹は清掃業をしている。私などよりはるかに(効率的にやりたい)と思っているはずなのだが、母には逆らえないようで、黙々と非効率的な作業に1日を費やす。なんでも、妹は50年前に大病して、4歳と0歳の子供を母に預けて入院していたことがあるらしい。しかも入院費も母のほうで出したらしい。それで恩があるというのだが、いくら世話になったといっても、もう恩は十二分に返していると私は思う。
で、この妹、私からみて叔母が、母の入院先に毎日現れて、毎日3時間から4時間、病院で過ごしているらしいのだ。
入院して最初に主治医の先生からお話があったとき「どなたか、窓口となるキーパーソンを決めてください」と促され、叔母が「私がっ」と声を上げた。父と私は目を剥いた。夫と実の娘を差し置いて出る幕ではないだろう。こちらに時間がなければ有り難い話だが、あいにく、父は仕事を引退して隠居暮らしだし、私は小間使いとして実家に仕えている。母のために割く時間はある。というか、そのために、私は外に働きに行けないので、私の代わりに叔母が小間使いをしてくれるのなら、私としては万々歳だが、まさか、73歳の叔母をつかまえて「お手伝いさんしてください」と言うわけにもいかない。第一、父は母の言いなりになっていて、父の要望に耳を貸さない叔母が嫌いだから、毎日家に来られたら父がノイローゼになりかねない。父は認知症があって、肝心な話を聞きそびれると困るので、結局のところ、私がキーパーソンになった。
病院側は、いろいろな相談事を、私に電話してくる。私は、母の周辺に人たちにメールで状況を報告する。車で30分で行ける病院なので、毎日見舞いに行く。するといろいろと物が増えていたり、物の配置が変わっていたり、私が聞いて知っていることを、叔母が看護師さんに聞いていたりする。黙っていては伝わらないと思ったので、はっきり言った。
「物については十分揃えてあるので、勝手に買い足されても迷惑です。母に何かしてくださるのなら、励ましてやってください」
次の日、叔母は「マッサージ」と称して、母の足を揉んでいた。母は「痛い痛い」と悲鳴を上げる。「痛いのー。でも、動かさないと寝たきりになるよ」と叔母は足を動かし続ける。看護師さんが来ると止めるのだ。看護師さんから「足が痛いとおっしゃるんですが、何か既往症がありますか?」と訊ねられた。「腰には腰椎すべり症があって、前々から腰や足が痛くなるとは言ってました」と答えると「どこか、ぶつけられたりしたことはありませんか?」と重ねて聞かれる。入院する前には、そういうことはなかった。
母は今、自力ではほとんど動けない。
叔母は、母の側に3時間もいて、いったい何をしているのだろう?