「救急車」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 救急車とは

2010-04-10

ちょっとだけ反政府運動

強制わいせつの被害の実態把握は難しいらしい。

女の子が被害にあっても、その後の調査や裁判で二重に苦痛を感じるからなかなか告発がされないそうだ。

でもこれって、児ポ規制非実在青少年の話とそっくりじゃないか?

非実在青少年なんて馬鹿げてるぞー!」と声を上げたら、

まわりからエロエロスケベ野郎だと思われそうで、

恥ずかしくてみんな声を上げられない。(事実エロエロだけど)

正直言って、問題はこのことだけじゃない。

人の羞恥心につけ込んだり、数に物を言わせたり、

声が大きいほうの意見が通ったり、権力者にしか発言権がなかったり、

この国の民主主義なんて嘘っぱちだ。

俺は心底そう思ってるんだ。

決して、エロのために言ってるんじゃない。

主張できない国日本なんて糞喰らえだ。

そこで、「ちょっとだけ反政府運動」してみる。

未必の故意を疑われない範囲でちょっとだけ反乱してみる。

これなら何を言っても恥ずかしくない。


例えば、税務署の窓口で「総理は脱税してたじゃん」とちょっとだけごねてみる。


外国人参政権に賛成している議員がいたら、ちょっとだけ選挙に行って、

ちょっとだけ知らない人に投票する。


テレビの街頭インタビューにであったら、ちょっとだけ話をそらしてみる。

編集もさせないように、テレビ局の質問にはまともに答えない。


女子高生が二人並んで歩いている。

「えーマジ、民主党支持者!? キモーイ」

民主党支持が許されるのは、団塊の世代までだよね。キャハハハハハハ」

ちょっとだけ反政府デモ


林業での雇用対策に反発。

エコと称して、春先、街中に杉の苗木を植えてみる。

ちょっとだけテロリズム


「鳩沢先生どうぞ一杯」

「いやいや、最近肝臓が弱っててねぇ」

「そんなこと言わず、次も投票しますからw ささ、ぐいっと」

ちょっとだけ暗殺


「鳩沢先生? 鳩沢先生! おい、意識がないぞ」

「疲れてるんでしょ、そっとしておこうぜ」

ちょっとだけ救急車を呼ぶのを遅らせてみる。


「0時23分、心肺停止

「いや、脈あるんだけど」

ちょっとだけ早めに死亡確認。


ちょっとだけの精神で俺たちはフリーダムになるんだ。これこそ言論の自由だ!

感動した! ありがとう! 美しい国日本! 友愛ッ! 友愛ッ!

そんなとき、後ろから肩をたたかれた。

おまわりさんだった。

「これってちょっと未必の故意じゃないんじゃないか?」

「……」

「ちょっとだけ署までご同行願います」



*この物語はちょっとだけフィクションです。

2010-04-06

小学生が振り回した傘で失明した話

雨の時期になると決まって思い出すことがある。あれは7年前、私がまだ東京大学生だった頃の話だ。大学へ向かう道すがら、私の前を3人の小学生が歩いていた。ちょうど雨がやんだときで、小学生は傘を振り回して何か漫画の真似をして遊んでいる様子だった。危ないなと思いながらも、私は大学に急ぐべく小学生の脇を通り抜けようとした。

気づくと私は右目を押さえ道端に昏倒していた。小学生が振り回した傘の先端が私の右目に突き刺さったのである。右目からあふれ出る血を左目で眺めながら、私は犯人を探した。すると小学生のひとりがげらげらと笑いながら「たいきゃくー」と叫んで走り出したのである。その瞬間、私の体の中で赤く熱いものが駆け巡り、一気に沸点に達した。怒りである。一見して深刻な事態と分かる私をよそに、当事者が「たいきゃくー」などと嘯いていることに私の感情は沸き立ったのである。私は後にも先にもあのときほど怒りを覚えたことは無い。

私は右目を押さえながら小学生を追った。それに気づいた小学生も私を振り切ろうとしたが、鬼と化した私から逃れるはずも無かった。私はその小学生の首根っこを掴むと、思い切り引き回し地面に押さえつけた。私は血だらけの顔を小学生の鼻先に近づける。そして地の底から響くような声でささやいた。「おい小学生、今から社会常識を教えてやるよ」 小学生の顔は涙と鼻水と私の血液でぐちゃぐちゃになっていた。

「まずは…」と言いかけると私の体が急に宙に浮いた。「あんた子どもに何してんだ!」 私が小学生暴行していると思った通行人たちが、私と小学生を引き離したのだ。しかし彼らは私の顔を見ると「おい血が出てるぞ、どうしたんだ」と心配し始めたので、とりあえず私は血だらけのまま一部始終の説明を始めることにした。「この小学生の振り回した傘が私の目に突き刺さったのですが、この小学生は笑いながら逃げようとしたので、それを取り押さえていたのです」 しかし周りは私の話もそこそこに「そんなことより救急車を」「いや警察だろ」とてんやわんやで119と110を呼び始めた。救急車が来るまでの間、私は一言も喋らずに小学生の肩をずっと掴んでいた。その肩は小刻みに震え続けていた。

都内の病院救急搬送された私はすぐに診察と手術を行った。実のところその間の記憶はあまり無い。気づいたときにはベッドに寝かされ、医師が私の状態について説明してくれた。簡単に言えば眼球の損傷が激しいため、従前の視力は戻らないということだった。傍らでは小学生とその親、そして小学生の担任と教頭が沈痛な面持ちで聞いていた。私は抑揚ない口調で彼らに言った。「今先生が仰ったように私はほとんど失明してしまったようです。何か言うことはありますか」 すると小学校の担任と教頭が深々と頭を下げて謝罪の意を表し、つられて母親も頭を下げて、償いはいくらでもしますと侘びの言葉を並べ立てながら、嗚咽にむせぶのだった。

「私が聞きたいのはそういうことじゃないんですよ」 自分でも驚くほど冷静な声だった。怒りは私の中で極限に達し、氷の刃へと姿を変えたようだった。私の言わんとすることに気づいた母親は、即座に息子の頭を掴むと「ほらあんたも謝りなさい」と促した。そこでようやく小学生は、帽子も取らずに「ごめんなさい」と小さく呟いたのだった。「その言葉は6時間前に言って欲しかった。もう遅過ぎます」 私はため息を吐くようにそれだけ言うと、枕に頭をしずめて、浅い眠りについた。

しばらくして警察事情聴取に訪れた。こういう場合は、大抵示談となり不起訴処分になるのが通例のようだった。小学生の両親はまた責任だとか償いだとかそういう言葉を並べたてていたので、私はそれを遮りひとつの提案をした。「もちろん治療費は頂きます。でもそれ以外の金銭は頂かなくて結構です。ただひとつだけお願いがあります」 両親が固唾を飲むのが分かる。「毎週1度でいいから、息子さんを私の住んでいるところに通わせて下さい」 初めは拒んだ両親も、私が危害を加えるわけではないことを説明すると、渋々であるが了承したのである。

そして初日。私は小学生に告げた。「人から何かを奪ったら、それと同等の何かを失うことを覚悟しなければならない」 小学生の体が強張るのが見えた。「でも怖がらなくていい。私は君の視力を奪おうとは思っていない。むしろ私はこう考えている。図らずも人から何かを奪ってしまったときは、別の何かを与えてやればいい。私は君から与えられることを望んでいる」「何を与えればいいの」 怯えたまなざしの小学生に私はこう言った。「君の成長する姿だ」

それから7年。小学生だった彼は青年へと成長した。高校に入学して彼女もできたらしい。まさに彼は青春の真っ只中にいる。この7年の間、私は彼の親と同じように、彼の成長を見守ってきた。外見的な成長はもちろんのこと、精神的にも随分と大人になったと思う。人との出会い、様々な経験、幾つかの成功と挫折。それらがすべて糧となり今の彼を形作ってきたのだ。そして今宵、私は彼が成長によって得た果実を与えられることになっている。

指定された部屋に向かうと、果たして彼がいた。傍らでは制服姿の女子高生椅子に縛り付けられている。「〇〇さん、待ってましたよ」 そう言って彼はまだあどけなさの残る笑顔を見せる。「誰なのこの人、ねえ答えてよ、何する気なの」 すかさず彼は女子高生の腹に一撃を見舞う。「ぐぶっ」と呻き声が漏れる。「少し静かにしてろ。すいません〇〇さん、騒がしくて」「構わないよ」

「俺〇〇さんの言葉忘れてないですよ。人から何かを奪ってしまったときは別の何かを与えてやればいい。俺成長したんですよ。勉強運動も頑張ってこんな可愛い彼女も手に入れて」 私はうなずく。「全部〇〇さんのためなんです」 ここまで立派に成長した彼に私も感無量だった。「じゃあ俺、外で待ってますんで」「ねえどこいくの、帰らないで、ねえあたしどうなるの」 泣き喚く女子高生に私は徐々に顔を近づけていった。「私は右目が見えないんだ。君の彼につぶされたんだよ。だから左目を見つめてくれないか。ほらもっと近づいて、ほらもっと!」

2010-03-27

先々週ぐらい、高熱でぶっ倒れて救急車沙汰。

それはどうにか落ち着いて大丈夫だったんだけど、その際の精密検査で他の不具合が発覚して何度か通院。

その際の検査やら薬やらの医療費がかなりの高額。健康保険入ってなきゃハサーンだったわってぐらい。

先週遠距離彼女が近くに越してきて、体調も大分良くなってきたので引越のお手伝いをしたり。

その後も1人じゃ心細いって事で今週は彼女の家に半分ぐらい寝泊まりしてる。

料理も作ってくれるんだけど、ごはん+1品な感じのを朝と夜に数度で、材料は(昼間彼女が1人で買い物行っている時は除いて)

自分が帰りに買ってきてるし、外食に行くなら自分が全部払ってる。

で、何かここ2,3日が酷い。

この1週間、彼女のために材料費外食費、1人暮らしで必要なもの、靴やら何やらで2万以上使っている。

でも家デートばっかはやだ、ホテル行きたい、ディズニー行きたい、バッグ買って、何か食べに行きたい、1日の食費が2人でいくら。

妙に金の事ばっか云う。今日自分が帰ったらあれ食べに行きたい、デザートも食べたいみたいな感じで言われてる。

もちろん彼女はこの前倒れてその後医療費がかさんで大変なことは知っている。

来月頭の通院でいくら掛かるかわからないから、色々行くのはその後にしてくれとも事前に伝えてある。

その上でもっと金出せって感じにいってるようにしか思えない。

彼女の家で何もしてないように思われてるみたいで、結構こっちもお金出してるってのが感覚に無いんだと思う。

お嬢様だし学生だし仕方ないのかもしれないけど、男が出すの当たり前みたいな感覚なら長く続かない気がする。

家計簿つけ始めたみたいで今日の料理でこちらにいくら掛けたかとか計算してるみたいだけど、

同じような感じで金出すの当たり前空気が続くなら、彼女にこちらのレシートを突きつけてやろうと思う。

追記

奇しくも前エントリと似た話題になってた。超偶然。

2010-03-20

ウンコは臭い

母親自殺未遂の後始末をした事あるぜ!

向精神薬オーバードーズして意識が混濁してて、

しかも何故か下半身が丸出しで、

元気よく歩き回ってウンコを家中にばらまきやがったぜ!

殆どヒキコモリみたいな不健康な生活を送ってたからウンコがもう臭すぎて

兄弟と父親と一緒に吐き気をこらえながら雑巾トイレットペーパーをたくさん消費したぜ!

母親は「もう嫌だぁぁ・・・人間が怖いのぉぉぉ・・・死にたいのぉぉぉ・・・」と呻きながら救急車病院に運ばれていったぜ!

掃除が終わった後のどうしようもないやるせなさと家に漂う悪臭は異常だったぜ!

しばらくは臭いが抜けないし、その臭いをかぐ度にいい年して思春期乙女みたいに

女々しく自殺未遂を繰り返す母親に対して怒りと苛立ち、

それと一緒に母親の悩みや苦しみに手助けをしてやれない無力感が湧いてくるけど、

相手は哀れな病人だって理解している、理解しているつもりだから、

鬱憤をどこに向ければいいか分からなくて、他の家族もみんな似たような感じで、

家の中の雰囲気は最悪、とっくに崩壊しているから悲しいぜ!

そして母親病院から戻ってくると少しは改善の兆しを示すけれど、ウンコの臭いが薄れてきた頃になると

再び自殺への願望を膨らませて、いつ爆発させるか分からないからもうどうすればいいのか分からないぜ!

2010-03-11

http://anond.hatelabo.jp/20100311201636

んー、いやさ、そりゃ、失敗はするだろうし、

鉄骨から落ちる確率はきわめて高いと思うけれど、

 

鉄骨の落ち方にもいろいろあるだろう、という話は確かに十分されてないかもね。

自分の実力も踏まえずに、地上1000mの鉄骨をセーフティネットもなし、命綱もなしで渡れ、みたいな話だと「はぁ?氏ねカス」だけど

何も全員が全員、そんなわけのわからない鉄骨をわたらなくてもいいわけで。

 

地上5mぐらいで命綱セーフティネットつきの鉄骨だとか、自分能力にみあった鉄骨の渡り方はあるよね。

まあ、日本は失敗したときのリスクがでかい制度になっているので、セーフティネットの網、うすいからね。だから、ベーシックインカム云々とかいう話題になるわけだけど。

 

とりあえず、おれは今、鉄骨の上にいるけどね。

まあ、落ちたら数ヶ月ぐらいはニートかなぁ。

でも、まあたぶん周囲の人間が鉄骨渡りをやってることを理解してくれているから、

鉄骨から落ちても、たぶん、誰かが救急車ぐらいは呼んでくれるだろうと期待はしてる。

鉄骨から落ちて、叫んでも、誰も救急車も呼んでくれなかったら、

そのときになってから、愚痴ることにするよ。

2010-02-27

当て先もない呪詛を吐き出させて下さい。どっかに吐かないとどうにかなってしまいそうだ

骨が折れて4年になる。潜在的には6年前か、その時はバスケットボールをしていて猛烈に痛んだ。部長であったが最後の試合も万全とはいかない不本意な状態で終える羽目となった。みんなには肝心の時に練習に参加できず本当に申し訳なく思っている。弱小チームだったけどね!

その後自転車へと競技を変えた。痛みをだましながら続け、なんとか初心者と同程度の結果を出すことができたが4年前車にぶっ飛ばされた。横から唐突に突っ込んできた車に飛ばされてガードレールに真上から落ちた。視界が遅くなるってのを味わったっけ。

今にしてみれば、その時はあまりにも興奮していて気がつかなかったのだと思う。視界がゆっくりになってくれたおかげでガードレールに顔面と腰が当たらないように体をひねることができたせいか、朦朧としながらも何とか立ち上がり救急車では怪我はあごの下の裂傷だけだと答えた。

でも実際には骨にはトドメがさされていたようで、その数週間後競技の場から去った。おまけに左肩も実は壊れていたらしい。

大好きだったスポーツもできなくなったが元来負けず嫌いであったためか競技、最低でもツーリングくらいできる程度に回復しようとすぐにトレーニングを始めることができた。今までただひたすら再起を疑わず夢見て筋肉を鍛えてきた。

かしこの一か月は現状維持どころか日常生活に支障が出ている。絶え間なく痛みをおぼえるようになり、寝ていたとて痛い。

日課だった筋トレ。背筋をしようとしたらあまりにも痛くて上半身が動いてくれない。積み上げたものが崩れたようでこれは悲しかった。

大学の授業も一コマで限界が来る、ついには寝ながらできる勉強くらいにしか没頭できるものがなくなってしまった。

国外にいるということもあり、両親にも友達にも気煩いを強いたくなくて状況を細かく話してはいない。

でも本心を言えばできる限りを尽くして体を維持しようと試みてもこの状態であり、すごく不安で怖い。人間だもの

帰国後であれば足が動かなくなろうとどうなろうと覚悟はできているんだが、帰国までのあと半年の間気合いが持ってくれるだろうか。

もし気が折れてしまえば毎日がただ辛いだけになってしまうだろう。それがただただ怖い。喝。

一度も再起を疑ったことがなかっただけに、このひと月で気の持ちようがいかに大切かわかった。信じてやっていくしかないのはわかってるんだがこんなに恐怖を覚えたことはかつてなくて、吐きだしたかったんだ。

あまりにも私的なことを書いてごめんなさいね、ありがとう。またみんなの日記を読む作業にもどるよ!

2010-02-26

http://anond.hatelabo.jp/20100226111906

人の死といっても色々あるよね。

つい最近、おばを看取った。白い顔が更に白くなった。

それでも体は暖かかった。1時間たっても暖かかった。

しかし、よいよお棺に入れる段になり、持ち上げたその体の冷たさに背筋が凍った。

祖母は10年ほど前に亡くなったが、私はその時に間に合わなかった。

死を実感するまもなく、あれよあれよという間に遺骨になってしまった。

そして祖母のいない生活が始まった。家のあちこちで祖母のいた風景フラッシュバックしては呆然とした。

その数年前には、亡くなる直前の他人に遭遇した。

夜、国道に面した駐車場自販機に向かっていた私は大きな音に振り返ると、火花を散らすトラックがいた。

そして無残な乗用車もあった。しかし、運転席に人影はなかった。

運転手は道路に倒れていた。私が何をしたのかはっきり覚えてないが、耳と鼻から血を流していたこと、途方にくれたこと、いつの間にか手に血がついていたことを覚えている。

救急車で運ばれて行ったが、後日、それが死亡事故だったと知る。

今でも現場事故現場に遭遇すると、その時何をすべきだったのか、今度同じようなことがあった時、何ができるのかと考えてしまう。

2010-02-25

残業しすぎで体に現れる変化の報告

ttp://ikuzi2.blog73.fc2.com/blog-entry-6666.html

1日平均 16時間労働が4ヶ月つづいたある晩

残業中、同僚に「そのハサミ取って」とお願いしようとしたら

「ハサミ」という単語がどーしても出てこない。

「なんか、俺オカシイ!」と言いたくても「俺」が、

出てこない。みるみる内に日本語がわからなくなり

訳わからない事言い出し(現状を訴えようとしてたんだが、)

しどろもどろの後、やがて口をポカーンと開けてただ沈黙

自分名前も忘れてしもーたよ。本当にアホになったんだ、急に、

周りの連中が慌てて救急車を呼んでくれた。

緊急オペのあと ずっと入院してました。

後日、病院で「あと少し遅かったら死んでましたよ」と言われた。

まさに、社蓄だな・・・・

2010-02-08

昼過ぎ、2階の自室でボケッとネットサーフィン(死語)してたら、不意に車の急ブレーキの音と「ガシャン!」という音が。

窓の外を見ると俺の家の玄関前で軽自動車自転車の接触事故が起こったようだった。中学生高校生らしい二人組の男子生徒が脛を抱えて道路の真ん中にうずくまっている。

俺はすぐさま携帯電話119番に通報。そして110番にも通報した。

家を出て様子を見に行くと、どうやら自転車は二人乗りだったらしい。中学生にしてはやたらと長い髪型からして、あまり真面目な生徒ではないようだ。

平日の昼間に住宅地の中を自転車で二人乗りしてる時点で普段の素行の程も知れる。

軽自動車に乗っていたのはごく普通のおばちゃんだった。しきりに悪ガキ二人を心配しているが、肝心の悪ガキ二人は「大丈夫だから」「もう痛くない」と繰り返してそそくさとその場から離れようとしていた。

冗談じゃない。

思わず俺は彼らに割って入り、悪ガキ二人に今すぐに救急車に乗って病院検査を受け、保護者に連絡を取れと迫った。

二人はさんざん抵抗したが、渋々携帯電話を取りだしてそれぞれの母親に連絡を取り始めた。

救急車が到着した。

二人は乗車をかたくなに拒否したが、集まってきた近隣住民が口々に乗りなさいと言い始めたので悪態をつきながらも乗り込み、救急車サイレンを数秒だけ鳴らして2kmほど離れた総合病院へと走り去っていった。

その後警官バイクで現れ、軽自動車のおばちゃんへの聴取が終わった頃、悪ガキ二人のうちの一人の母親現場に現れた。

息子はどこかと尋ねられ、病院名と大まかな場所を伝えると、母親は信じられない事を俺に言ってのけた。

「息子に余計な事をさせないでください!」

さすがにこれには俺のみならず、軽自動車のおばちゃんも近隣住民も驚いた。

母親曰く、悪ガキが電話した際、すぐに家に戻ってこいと厳命していたらしい。

「あなた、我が子が車にはねられたのに病院に行かせないつもりですか。」

「行かせないとは言ってないでしょ。行かせる必要もないのに無理矢理行かせた事に怒っているだけです。」

「必要がないとどうして分かるんです?」

電話で本人がそう言っていました。」

「車とぶつかった際に頭を打っているみたいだし、骨も折れてはいなくともひびが入っている可能性もある。医者じゃなければ大丈夫かどうかは分からないでしょう?」

と、こんなやりとりを5分かそこら続けていたわけだが、次第にこっちも疲れてきたので、

「とにかく息子さんの所に行ってあげてください。」

と切り上げようとしたら、「私は息子に病院に行けと言った覚えはありません。だからあなたに迎えに行けと言われる義理はありません。息子は勝手に帰ってくるでしょう。」とまで言い出す始末。

もう何がなんだか…。

ここで俺なら「じゃあ勝手にしろ!後は知らん!」と吐き捨てて家に引っ込む所だが、近隣住民(のおばちゃん達)は違った。

母親を取り囲んでの大説教大会である。それは、加害者であるはずの軽自動車のおばちゃんがいたたまれなくなる程に苛烈なものだった。

もう出る幕じゃないと悟った俺はそそくさと自室に戻り、ヘッドホンを引き出しから引っ張り出して装着し、音量を最大近くまで引き上げてニコニコ動画を開いていた。

1週間ほどして、軽自動車のおばちゃんが旦那と一緒に菓子折を持ってきた。とおりもんうめぇ

2010-01-22

警察の対応がすごく気に食わない…と、最後にみんなに教えてほしいことが

http://anond.hatelabo.jp/20100123002835#tb

よかったら最後の文だけでも読んでほしい

あとブログ転載なんで文が雑です。

僕の年は20代前半です

1月4日空き巣に入られて現行犯逮捕した

その空き巣の件で相模原警察がまたこのまえ家にきた

もう5回目くらいだ

20日昼間友達と遊んでたら電話が来て

夕方までにかえってこれるか?

ってきて、俺は厳しいから明日にしてほしいっていってんのに

今日はすこしでいいからあいてるか?としつこくきいてきて

なんか重要なのかな?って気がしてきたから

まぁ夕方にいるかもしれないですって言ってきった。

夕方頃家でごろごろしてたらまた電話がきた

家にいるか聞かれたのではいと答えたら20分位で来た。

前に何度も事情聴取した人の一人がきた

「すいません。…OO君?怪我は平気?」

「ああ、まぁまだ爪のとこいたいですけど。」

「そっかじゃあここにサインしてくれる?」

その書類には

自宅に入られて犯人ともみくちゃになって怪我はしましたけど

怪我のことは私はどうでもいいと思ってますので

不法侵入をした犯人に厳重な処罰をお与えください。

ってなかんじで書いてあった

なんかすごいひっかかった

しかもこの前の引っかかり方と似ている

この前この人はこの前母親から聴取受ける時にもお菓子とかもってきてて

それはおいしかったけどでもその時なにかがひっかかってた。

あいつは回りくどい言い方をしはじめた

「とにかく我々としてはあいつを長く牢屋にいれたい、

だからここに、怪我はどうでもいいから、あいつを長く入れておきたいという君の大人のハンコがほしい」

「はぁ」

正直ピキっと思った

大人ってなんだよ。完全になめてんじゃねーか

怪我はどうでもいいってお前にわかんのかよ

俺がいら立ってるのをあからさまにすると警察犯人の説明を始めた

犯人は昔職人をやっていた。

家をもてなくなると空き巣で生活を立てていた

千葉では何十件もしてる常習犯

そこで以前住んだことある緑が丘付近をたよりに

戸締りのなってない家で盗みを働いてたらしい

どうやら空き巣の中でもエリート

一度どこを盗んだか自白させるよう千葉でやらせたら

一度の見回りで数十件やってることがわかり

見立てでは60~70件はかたいらしい

ニートのおれに捕まるとは運のない奴だ。

いやバイト探してるけどね。

不景気のせいかもしれない。家があったら盗みをしてなかったかもしれないけれど、でも悪い奴だから」

「そうですね」

俺はこういうやつは不景気関係なく落ちぶれて盗んでると思うけど

主張の強いおっさんなのはわかってたから言わなかった。

犯人牢屋に長くいたほうがいいとも思った。

治るわけがないと思ったし。

それからも内容は忘れたが話は続いた

なんだか俺はめんどくさくなってきたので

ハンコをおすことにした。しつこさに根負けした。

ハンコを押した後警察は本領を発揮した

「我々としては犯罪者は許せないんですよね。」

「はぁ」

「本当は殺したいんですけどね」

「はぁ(え?)」

法律が変わりませんから^^」

「そうですね(マジキチ)」

犯人刃物を持ってた可能性はあるからああゆう無茶はやめてねと言ってやつは帰って行った。

建前で世の中は成り立ってるのかもしれないがこいつが何を言っても俺にとってはかんに障るだけだった。

帰った後口がうまい奴で、法律さえなけりゃなにしてもいいくらいの危険性を感じるやつだと思った。まぁ警察にいたらそうなっちゃうのかもしれないけど。

そして物事を整理して非常に腹がたってきた

丸めこまれすぎだということだ

あいつがお菓子を持ってきたのは黙らせるためだ。

しかも

「これで黙っといてください」ではない

「これをやっとけば黙るだろう」だ。

怪我のことはどうでもいいというフレーズ

訴訟回避ではなく治療費が出ないという言う意味。なぜ?

お菓子と今回の書類はそれで

犯人の罪についての説明は

ハンコをおさせるために俺の正義感に働きかけたこと

俺はめんどくささもあったがやつの言う正義にのった

あいつらにとって俺たちはただ犯人を捕まえたやつで

書類上の被害者でしかない

事件以降一貫して犯人のことしか考えてない

都合が悪くても粘って会おうとしてくるし

この「書類上の」というのはおおきい

警察全体のシステムがよくないのかもしれないが

あいつらは「事件にかかわる一般人」に対する配慮が全くない

俺が病院治療を終えて

警察に着いたのが2時すぎだったのに

帰らされたのは6時過ぎだ。

しかも6時から自宅で警察が調査

母親は8時から仕事なのにだ

その内容がまた疑問をもつのだ

俺は3時間以上拘束されたのに実際に調書にするとたった2枚だ

800文字以内。

母親なんかたった一枚で500文字以内、しかも俺と違って時間がめっちゃあまってたのだ

greeで1時間以上はゲームしてたらしい

俺は警察母親は明日早いから

先に送っててくださいって言ったのに

適当にはぐらかし、俺と一緒に帰らそうとしてた。

あとで自宅で調査をするから二度手間を防ぎたかったんだと思う。

それだったらまずは先に母だけでも帰らせてあげてほしかった

ゲームする暇があったら休む暇があったはずだ

署内で人員が3、4人しゃべりながら余ってるように俺には見えた

ずっとそこでしゃべったたからだ

二度手間かもしれないけれど一人くらい割いてほしかった。

こういうのを知ってる人間が身近で事件が起きた時に

関わろうとするだろうか?

俺が犯人と戦ってる間俺は助けを呼んだ。

でも誰も来なかった。怖いからだけじゃないかもしれない

こんなめんどくさいことに関わる気になれない人間がいてもおかしくない。

明日仕事があるやつだったら手伝わなくてもしょうがないんじゃないかな?

万が一調書が長引いて、会社に遅れる奴が現れたら冷ややかな目を向けられる、そういう会社だってあると思う。たとえ人助けでも。

それは社会の流れが悪いのかもしれないけど。そんで最後には政治にいきついちゃうのかもしんない。

もう大人が子供に声をかける時代じゃないんだよ。

市民レベル利害関係について国家権力はもうちょっと考えてほしい。

おもいやりは余裕がなければ基本的にはだけど生まれないんだよ。

マザーテレサがいると思うな。

でも学習になったかも。

俺が空き巣を追いかけて捕まえたのは

根本的には盗まれたものを取り返すためだ。まぁなんもとってなかったけど。

そしてそれができたのは俺は前勤めてた店で刺青いれた万引き犯を2回逃がしてる

それが本当に悔しかったし、2回目なんか家で狼狽してたもん。

その時危機ってのは誰も助けてくれないもので、

自分でなんとかしなくちゃいけないって学習した。

だから空き巣に対して反射で動くことができたんだと思う。

今回の警察のも失敗であり学習かもしれない

たしかに俺は犯人は長く監獄にいたほうがいいと思う

でもあいつらがもってきた書類の「怪我はどうでもいい」ってのはやっぱみそだと思う。

書類には俺が犯人に厳重な処罰を望むよう書いてあるが、

それは俺たちの気持ちをくみ取ったものではない。

あいつらがただそうしたいだけで、俺が必要だっただけだ。

それは警察としての役目をはたしているかもしれないが

それ以外のことはきにもかけていないと思っていいと思う。

ハンコをするならただ漠然とするのではなく、

あいつらの思い通りになるのを承知してしなければならない。

社会性無視ならハンコを拒んでもいい。

あいつらには愛がない。だから拒んでもよかった。

サインするときはなにか引っかかるときは必ず時間をもらうようにしよう。

そして事前に内容を聞いておこう。とおもった

次の日治療費くらいでないものかと気になったので

今日また警察電話してきいてみた

何回かたらいまわしにされた後ようやく担当の人になった。

「怪我のことはどうでもいいって書いてあったんですが治療費出ないんですか?」

「君も怪我してるけど相手も怪我してるからでないよ」

「あいつがこなかったら怪我してないんですけど」

「でも空き巣にあってる人はほかにもいる、みんなお金を返してほしい、

もしそういうのを請求するなら民事裁判になる」

「はぁ…またわかんないとこあったら電話していいですか?」

「ああいいですよー。はいしつれいします」

法律わかんねーから適当に会話してきった。

すっげーめんどくさそうにしてた。短気っぽい性格の人だからめっちゃむかついてたと思う。

だったら最初から言えっつーんだよ!っていいわすれた

なんで君も怪我してるけど相手も怪我してるで俺を最初ごまかそうとしたんだ?

それがさっぱり意味わからん。俺のほうがむかつくわ!

やっぱ書類サインしたしもう無理っぽいな

しかも俺以外のやつからもサインもらってるぽい

たらいまわしにされたときいつ空き巣になったかきかれたし

いつ頃警察が来たか聞かれたし。

あ、今気付いたおれ警察に対して言ってたのに

いつの間にか容疑者のやり取りにすり替えられてた

あーもう最悪だ。メールのやり取りならそういうのきづけんだけどなー。

いまさら言っても警察ではそういうのやってないで終わりだよな。

もうかったるいしどうでもよくなってきたかも。

だけどやっぱむかつく

救急車使えって最初から言ってほしくないくらいだ

半分くらいの警官がこっちの体のことは心配してねーだろどうせ

形式的あいさつかもしんねーけど、上辺ならいらない。

-やっぱりこういう犯罪者を捕まえた際に怪我した治療費ってでないのかな?

最初は治療費くらいでるよなーとか思ってたんだけど…

捕まえた当時ははぐらかされてやっぱ自費だよなと丸めこまれたけど

大けがおってもやっぱ保障とかないってこと?

「盗んだものを取り返してくれって言ってる人もいるから無理」みたいに言われたけど

怪我を負って治療費警察に請求するのって別問題じゃね?

こうやっていちいちきかないと警察って何にも答えてくれないのかな?

やっぱひっかかる。

なんか怪しいと思うのであらぬ予想までしてしまう。

いまさらかんはあるけど。真実だけ知りたい。

意見を聞きたいです

2010-01-20

久しぶりに増田向きの経験をした

 高校卒業以来8年も会ってなかった女の子から「映画見に行こう」って連絡があった。僕は外に遊びに出るのなんて年に数回あればいい方というハイレベルインドア派なので最初は遠慮しようと思ったのだけど、高校時代は色恋関係なしに仲良くしてた子で、当時を思い出したら懐かしくなってしまって、億劫ながら出て行くことにした。ただ気になったのが彼女電話口で「私の事見て驚かないでよ」って言ってたこと。どういうことだ?ものすごく変貌してるとか?なんて思案しつつ、待ち合わせ場所へ。

 で、現れた彼女

 変わってなかった。あのころからそのまま時間だけが経過したみたいだった。

「おう増田~」

 って気さくな挨拶も昔のまま。ほんとに8年も経ったのか?と思うほど。ただし両手首に包帯が巻いてあった。結構派手に、というかまあ、これ見よがしに、といった方が正確だろう。

 聞くと先週リストカットをして救急車で運ばれたということだった。もちろん常習化しているらしい。二重の意味でうわぁ痛い…って思いつつ普通に映画を見て、昔話をしながら夕飯を食べてたら家に誘われた。

 言われるままにノコノコついていったら大量にお酒を飲まされて、「なんか眩しいね」って電気消されて、そのままカーペットに押し倒された。そして超すばやい動作で上着を脱がそうとしてきたので、まだ残ってた理性を総動員して「ストップ、ストップ!」って押しとどめたら泣き出してしまい、よしよしって感じでなだめてたらなぜか「キスだけしてくれたら今日は最後までするのは諦める」という話になったのでチュってしようと思ったら舌が入ってきてそのまま5分間くらい濃厚なディープキスをして、泊まって行けと言うのを振り切って帰ってきた。

 で一晩明けて、今そのときのことを思い返してるんだけど、なんかまだ頭の中がぐちゃぐちゃしてる。とりあえず、

・部屋までついて行くべきではなかった。

酩酊するまで飲むべきではなかった。

キスだけでもすべきではなかった。

メンヘラが性にだらしないというのは事実だったのか。都市伝説だと思ってた。

 というところ。

2009-12-09

反省して、で、結局そのままとかないわ。

なんか、太平洋戦争時の日本ジャーナリズム(個人ではなく、一つの報道機関としての)って

「国のため」が「自分のため」に変わっただけでなーんも変わってないとしか思えない。

ゆとり教育でうっすらならった日本史記述をふと思い出したけど、そこから何も変わってないじゃんとしか思えないよ。

「悪かった、だからトップだけ変えてやっていきます」

責任の取り方の一例としてはアリなのだろうけども、それでその業界内の思想はかわらないよね。

いや、個人個人として変わったとしても、空気嫁文化内だから結局全体的には変わってないのかもね。

あと自分で変わった、といっても、それを誰かがみたとき変わったと思ってもらえなければ、それは変わってないのと一緒だよね。

 

それで今まできちゃったから、人の口に戸はたてられないよなネットにあげられている内容と、

新聞とかTVとかマスコミのいっている内容が違うんだろうね。

 

でも、確かに「そうじゃない!」と思っている人たちが報道機関にいるからこそ、

ネット新聞とかTVとかででていない情報がでてきたりもしているんだろうね。

今のジャーナリズムというかそういう報道機関の姿勢が嫌なら、変えるための動き、何ができるかをほんの少しでいいから考えて、

ほんの少しだけでいいから実行すれば、何かかわるのかもね。

しかし私は自分でいっぱいいっぱいだからと逃げる。

誰かがやってくれるさ、と。

 

ただ救急車呼ぶ時の注意事項のことを思い出す。

倒れた人のまわりに大勢の人がいると、みんな誰かが通報しただろうって思って、誰も通報していないっていう事態が発生する。

だからかならず誰かを指定して救急車を呼んで!といわないといけない。

だから、うん、この考えって危険なんだろうね。

でも私はきっと誰かがやってくれるさ、と思うんだ。

 

まったくもってよろしくない思考だこと!

2009-11-26

http://anond.hatelabo.jp/20091126113028

配偶者兄弟姉妹が居れば老老介護出来ても残った最後の一人はどうするの?

独居になるでしょうね。それかホームに行くか。

ホームに入れないから選択の余地なく独居というケースも多いらしいですよ。

独居老人でも老人ホーム入れっぱなしでも、身寄りが居るのと居ないのとでは全く状況が違うよ。

近所に90代独居の爺さんがいるけど、娘さんが頻繁に来て買い物とか通院とか手伝っているよ。

恐らく全く身寄りが無ければ独居は難しいだろうし、無理に独居したとしても介護要員派遣無しでは生活不可能だろうね。

老人ホーム子供費用払っている場合もあるし、そもそも家族が居るのと居ないのとでは全然違う。

それは幸せなケースだと思います。

身寄りがいるのに何年も面会にもこないなんて、めずらしくもないんですよ。

身寄りがいる=面倒みてもらえる、と考えられる増田幸せですね。

例えば体調崩した時、家族が居る人なら救急車病院運んで家族に連絡して終了(後の事は家族がやる)だけど

家族が無い人だったらそれ以上に金と手間隙がかかるわけで。

同居しているはずの身内に「連絡してこないでください!」といわれちゃうケースもあるらしいですよ。

そんなこと言われても……ですよねぇ。

親にかかる税金と子にかかる税金は分けて考えるのが筋だろ。

親にかかる(というか親が障害者だからこその)税金を言ってるつもりなんだけど、そうは読めませんか?

なので、

「2倍マイナス」って、障害者の子にかかる税金は健常人の親を持つ子にかかる税金(と言っても金持ちから貧乏人まで幅広いから

何を基準にするんだっつー話だが)の2倍かかると言う意味なんだろうけどどこからその額が出たの?

これは論点が違うのでスルー

そもそも、障害者の子にかかる税金普通の健常人の親を持つ子にかかる税金の差額と

その子が将来納める税金+親の面倒を見る事で減る親にかかる税金の額、の

どちらが高額になるかなんて分からないよね。

そりゃそうですね。

これからどういう仕組みになっていくかもわかりませんもの。

だから子供にどうこうは言ってないでしょ?

親の問題だからして。

2009-11-20

http://anond.hatelabo.jp/20091120151400

はっきりと「嫌だ」と言うだけで大抵は終わるんだけどな、そこまでしなくても。

体のいいイジメ対象があればいいので、抵抗しそうなヤツには絡まない。

それで駄目なら殴ればいいと思うが、殴るよりもっといい手がいくらでもあるだろ。

---

俺の友達がやったイジメ撃退法

その1

その後松下技術部に入るぐらいのメカマニア。下駄箱を開けたらロケットが飛び出すようにした。

相手は火傷を負った上、明らかにイジメてたヤツが犯人だが、証拠が全く無いので何も出来ず。

その2

喧嘩が強くて正義感のある人間の前でわざとイジメられ、逆にイジメてた連中がボコボコに。

その3

殴られた瞬間倒れて、頭が痛いとずっとうなされ続ける。誰かが通りがかるまでずっと。とにかく痛い痛いといい続ける。

救急車で運ばれ、どうしたと言われたら「あいつらに殴られた」。で、医者に対してもずっと痛い痛いといい続ける。

大問題に発展して相手は全員退学。

その4

イジメられた瞬間に机を投げつける。大きな音と、机が滅茶苦茶になるので、最終的には絶対に教師を絡めた話し合いになる。

話し合いの場ではとにかく泣き叫んで、相手が何か嘘をつくようなら勢いで全否定。

相手自宅謹慎

2009-11-12

母親救急車で運ばれ急性一過性精神病性障害と診断され医療保護入院して退院して通院して先日特に問題なしと判断され無事通院も終了。トータル2ヶ月半くらいかかったんかな?母親がおかしくなったのが母方の祖母(母の実母)の死がきっかけで6年ほど前に同居の父方の祖父が死んだときも今回ほどひどくなかったにせよちょっとおかしくなったことがあったんで再発はするでしょう、またちょっとでもおかしくなったら連れてきてくださいというのが医者お話。身近な人の死で母親がおかしくなるっつーことはなんか突発的なアクシデントがない限りあと最大3回(母方の祖父、母の姉である伯母、父が死ぬとき)は大変な目にあうんじゃないかと考え込んでしまってgkbr人間おかしくなったらそう簡単に話が通じなくなるっつーのは母親よくわかったのでまた何かあったときに簡単に病院に連れていけるのかとか父親がいるときならなんとかなりそうだけど弟があんまり頼りないから父親死んじゃったらどうしもうもなくね?とかどんどんネガティブな方向に考えてしまう。最悪自分樹海に行けば楽になるなあと思うんだけどそれはそれでまた母親がおかしくなるきっかけだと思うと頭をかかえる。まあ樹海行きはないですけどね。そうそう身近な人の死は続かないだろうからまたその時が来たら考えればいいんかな。でもこの不安はずっとかかえて生きていかなきゃならんよね。やっと家が元に戻ったのに父親にこんなこと言うのもなんだし友達にこんなこと言ってもどうしようもないからここに吐き出し。すっきり…はしないけど吐き出すところがあるだけいいかな。

2009-11-11

もう一度言うが、リカちゃんの足は救急車の味がする。

2009-11-09

気持ち重た気な雰囲気掌編

陰鬱な空から雨が降り注いでいた。街が灰色に蝕まれていく。くすんで、濡れそぼっていく。

宵口の窓辺から覗く世界は、ほんのりと濃紺に染まっていた。行き交う車のヘッドライトが煌々と筋を刻んでいる。等間隔に立ち並ぶ街灯は、どこか所在がなさそうだった。漏れ出す家々の明かりがやけに白々しく見える。

閉め切ったガラス窓に、水滴がぽたぽた、打ち付けてはゆっくりと流れ落ちている。やがてひとつになって、窪地に溜まり、淀み、溢れて排水溝に流れ、支流は河へ、本流となって海原へ……。白光のもと、再び上空へ駆け昇っては、いつもみたいにどこかに降り注ぐ。

滑り落ち始めた一滴をなぞりながら、この雫はかつていつこの街に降っていたのだろうと考えた。数日前かもしれないし、数週間前かもしれない。数ヶ月、数年などという期間も候補に考えられなくはないような気がした。そもそも、混ざり合い、どこの、いつの雨なのかが分からなくなってしまっているのだ。数十年、数百年、数千、数億年――あるいはもっと、それ以上にも及ぶ悠久の時を深海の底で眠り過ごしてきた初めての一滴である可能性も捨てきれなかった。

可能性が選択となって、頭の中で遮るものなど何もない広大無比な高原の如く展開していく。そのあまりにも壮大なスケールに、思わずくらくらしてきてしまった。軽い眩暈瞳を閉じて、冷たい硝子に額を押し付ける。

透明な境界は、視覚的に透明であるために捉え難いだけで、確かにいまここに存在している。なるほど、姉にとってはこの敷居を跨ぐことがなによりも大変で、困難で、恐ろしいことだったのだろうなとぼんやりと考えた。

顔を上げる。後頭部を窓に、背中からもたれかかるようにして立ってみる。何年もの間、碌に光が差し込まなかった、内からさえも照らし出されなかった小部屋の中には、染み付くかのように重たい、へばりついてくる、濃厚で濃密な掬い取れるかのような闇が沈んでいた。

そんな部屋の中央に、天井から輪が釣り下がっている。簡素な机と、スチール製のベッド以外に、例えばポスターだとか、本棚だとか、CDラックだとかが病的なまでに何もない部屋の真ん中に、タオルで作られた即席の絞首台が設けられている。

込み上げるようにして息を吐き出した。そこに浮かんでいた表情が、安息そのものだったことを思い出す。彼女はやっと苦しみから解き放たれたのだ。姉は絶望的な辛苦から逃れることに、その手段を用いることに成功してしまっていた。

視界の右端、壁に面した机の上に、一冊のノートが置かれている。先ほどざらりと読み終えたばかりのノートだ。全ての紙面を埋め尽くそうとしていた心象は、あるときは言語であり、あるときは稚拙な絵であり、スケッチとなり、あるいは音階となって私の目に代わる代わる飛び込んできた。そしてその内容は、私が思っていた以上に、家族が知っていた以上に壮絶なもので、どうして姉が今日までの日々をこの小さな部屋の中で完結させなければならなかったのか、あるいはどうしてその部屋の中からさえも逃れなければならなかったのかを如実に示してきていた。

『やさしさノート』と題されたその一冊は、これまで姉が関わってきた人たちに対して、こんな自分をまだ見捨ててくれないでいる家族に対して、そしてこの世に存在しているありとあらゆる人たちに対しての謝罪を冒頭に据えて、つらりつらりと始まっていた。

ごめんなさい。

その一言を、姉は一体何度このノートの中で繰り返したのだろう。対象となった人の人数は? おそらく、私がこれからの人生で頭を下げることになる人数を優に一万倍以上超えているはずだった。姉は自らがここに存在していることを呪い、悲しみ、恨み、溜まりに溜まった申し訳ない想いを吐き出すために何度も、何度も何度も何度も何度も、ごめんなさいと謝り続けるしかなかったのだ。

完全に他者を排し、愚直に紙面とだけ対峙しながら、強大な感情に取り憑かれてペンを走らせ続けていた姉の姿を想像する。漆黒に染まった部屋の片隅で抱いていた苦しみを、廻りまわり続けていた激憎を、決して消えることのなかったその業を思い、私は再び絞首台に目を投じた。

「大変だったんだね」

彼女に向けることのできる言葉は限られている。姉の苦しみは、絶対的に姉にしか分からないものだし、他の誰かが、とりわけ私になんぞは共有できるものではなかったのだから。

姉は、小さい頃から聡明で、何でもできて、いろいろなことを知っていて、たった三つしか歳が離れていなかったはずなのに、幼い私にはまるで全知全能の神様のように映っていた。同時に、幼稚園いじめられていないかと心配をしてくれて、守ってあげるからと毎日一緒に通学してくれていた。姉の掌はどんな時も私の小さな右手を包んでくれていて、そのぬくもりを、感触を抱いていられれば、私はどんなことにも立ち向かっていけるはずだったのだ。

歯車が狂いだしたのはいつのことだったのだろう。気がついたときにはもう修復など効かなくなってしまっていた。歯はぼろぼろに欠け落ち、空回りをするばかりでうまくいかなくなってしまっていた。

姉が賢すぎたのかもしれない。本を読みすぎたのかもしれないし、私に気を回しすぎたのかもしれなかった。あるいはそれは私の問題で、そして姉を取り巻いていた周囲の問題でもあって、徐々に変化し拘泥していった姉の人格を見抜けなかったからなのかもしれなかった。様々な事柄をたったひとりで考え処理するのにはまだ小学生にすぎなかった姉は幼すぎたし、置かれている状況も恵まれすぎていた。

多眠が始まったのがちょうど中学生になった年で、以降姉は塞ぎがちになり、与えられた問題を集中的に考えることができなくなった。部屋から出られなくなったのはその翌年だ。どうすることもできないまま姉は自らの精神によって自室に追いやられ、そこから抜け出すことができなくなってしまった。

姿を、心無い人は蔑み、揶揄し、大袈裟に嘯いた。面白おかしく吹聴する者もいた。何を隠そう、私自身がそうだった。

情けない姉、駄目な姉、わがままだから絶対的に社会に求められない。荒んでも、落ちぶれても、ああはなりたくないよ、などと知ったような口をはいていた。友達と家族の悪口を言い合う行為は、思春期を迎えた嗜虐的な子供心にはとても気持ちのいいことだったのだ。纏わり付いている繫がりというものを、私は心底疎ましく思っていた。

だから、姉が私に謝る必要などないのだ。どちらかといえば私のほうこそ彼女に謝らなければならなかった。苦しみに喘いでいた姉に細心を払うわけでもなく、あろうことか邪魔者扱いをしていたのは私だったのだから。

姉は、どんな時も私のことを穏やかな視線で想い続けてくれていた。この小部屋の中にいなければならなくなりながらも、想像を絶するような苦しみの中にありながらも、真摯に私のことを心配し続けてくれていた。

それを、それを私は――

……後悔など、するだけ無駄だ。淀みの中から掬い上げて振り返り続けることなどは無意味だった。高校に進学し、幼い恋を、出会いと別れを重ねて、大学に入学する前にはちゃんと理解していた。

いまここにいる私には、彼女に言わなければならない言葉がある。

「ごめんなさい」

姉に対して、何もできなかったことを、何もしなかったことを、それどころか邪険に思い扱っていたことを。実家を離れるようになってから、ずっとずっと謝りたいと思い続けていた。

床に降ろした腰に冷たい感触が伝わってくる。膝を抱えて小さく、誰もぶら下がっていない絞首台を見上げた。その小さな輪が作り出した痣を思い出してぐっと震える唇を噛み締めた。

階下では、両親が恐慌をきたしながら救急隊の到着を待っている。通報からもう二分ほどたっただろうか。意識を失った姉に付きっ切りで、私がいなくなっていることには気が付いていないようだった。

お姉ちゃん……」

こんなの駄目だよ。ずるいよ。私が永遠に謝れなくなってしまうじゃないか。

勝手な考え方だとは理解していた。もしくはそれこそが姉の願いであり、最初で最後の、多大なる復讐なのかもしれなかった。でも、それでも私には、姉にまだ言いたいことがたくさんあったのだ。

大学生活がどんな風か。好きな音楽小説のこと、テレビ番組のこと、おいしい喫茶店のこと、教えたいことがたくさんあった。姉には私を知ってもらわなければ駄目だった。かつて守ってもらっていた、ずっと心配してもらっていた姉には、伝えなければならないことがたくさんあったのだ。

ギブ・アンド・テイクの関係性。貰っていた寛大な想いに、私はまだひとつも返事を返せていない。だから――

「駄目だよ。まだ死んだりしちゃ」

握り、額に押し当てた両の手に祈りを込めた。幸い、発見が早かった。不穏な物音に只ならぬ予感を抱いた私が、姉の部屋の扉を蹴破ったのだ。きっとまだ助かる。絶対に助かる。助からなければならないはずだった。彼女はまだ生きなければならない。他の誰でもなく、彼女自身のためだけに。

救急車サイレンが近くなる。家の前で停車。救助隊が声を上げながら駆け込んでくる。

気を失っていた姉はすぐさま運び出されて、両親と共に病院へと運ばれていった。離れていく救急車を、留守を預かると決めた私は、姉の部屋からじっと見送る。

伝え足りない想いがあるのだ。

霖雨の中を点滅する赤色灯を、角を曲がって見えなくなっても、私は凝視し続けていた。

2009-11-05

自然死ってなんだろう

祖母が亡くなってから、半年が経った。

96才だった。

寝たきりだったけど、ボケてもなくてしっかりしていた。

会話はできたから、家族みんなで仲良く面倒見ていたほうだと思う。

市立病院

デイサービスから直接、市立病院救急車で送られた。

デイサービス所属看護士が血圧不安定と判断したからだった。

その際に先生から、家族の意向の確認があり、市立病院の意向を伝えられた。

「ご家族自然死を望んでいらっしゃいますか?

 それならば、安易な気持ちで救急車を呼ばないでください。

 救急車の隊員は使命を全うします。

 つまり自然死とは違う方向に進みます。

 市立病院のベッドも限りがあります」

というような主旨だった。(と記憶

もっともだと思った。家族も納得した。

その際、主治医への手紙も預かった。

その後、デイサービスには行けなくなった。


近所の主治医

訪問して往診くれるので何かと助かった。この点は非常に感謝している。

でも、自然死を望んでいると伝えているのに、

すぐに市立病院入院させたがったのには閉口した。

薬も少し過剰に思われた。

「おばあちゃん、下痢でもこんなにがんばっているんだから入院させよう」

こう言われたときには入院させた。

入院して輸血してもらうと元気が出るよ」

さすがにこのときは入院させなかった。

輸血すれば・・って何言っているのと思った。

その後、主治医の勧めで訪問看護にも来てもらい、週に何度か点滴をしてもらうようにした。



訪問看護看護士さんたち

訪問看護の初日、翌日の点滴のために、針をそのまま残す方法がとられた。

翌朝、血管が詰まって手がパンパンに腫れた。トマトみたいになった。

38度の熱への対応。

「水枕して」

「熱を逃がすために、掛け布団は手すりにかけるように」

「水を入れたペットボトルを凍らせて脇に挟むといい」

そこまですべきなのか疑問を持った。

「おしりが赤くなっていたのでテープを貼っておきました」と言われた。

おむつかぶれではないので、次から貼らないでくれとお願いした。

点滴をしてもらう日は気疲れした。

その後、腫れなかった手の血管が使えなくなったため、腫れたほうの手に点滴をした。

そしたら容態が急変した。

祖母の最期の言葉は「肺がいちゃー(痛い)」だった。

血の固まりが肺の血管を詰まらせたようだった。

看護士さんたちを別に責めるつもりは無いし、一生懸命やってくれたと思っている。



ケアマネージャ

当初、市内には訪問看護を行っている施設は無いと言っていた。

その後、調べたらあったらしく手配をしてくれた。

ときどき容態を見に来てくれた。

ケアマネージャ・ケアプランという仕組みも必要なんだろうと思う。



寝たきりの生活が、彼女人生を豊かにしたのだろうか。

税金をたくさん使ってしまった。

これで良かったんだろうか。

年金をもらっていなかったけど、

もらっている家族だったら思いは変わるのだろうか。



高齢者医療ってなんだろう。

介護ってどこまで看ればいいんだろう。

自然死ってなんだろう。

半年経っても良くわからない。



どこかに、記しておきたかった。

2009-10-23

近所の兄ちゃんが自殺した

半年ほど前になるが、向かいの家の兄ちゃんが自殺した。

私には面識がなく、大きなショックは受けなかったのだが、遺族はどんな風に感じていたんだろうか。

その人の歳は30代前半。

普通に就職して家を出て、結婚して子供もできた。

でも鬱持ちだったらしい。

そして子供を置いて実家に戻り、しばらく引きこもった末に自殺である。

ある日、家の前に救急車がやってきた。

そして救急車は誰も乗せずに帰っていった。

お向かいさんの家族は何も言わなかった。

田舎なのでご近所付き合いも盛んな地域普通はすぐに情報が回るのだが、近所の人はみんな何も知らなかった。

ひょっとしたら兄ちゃんが自殺したんじゃないか?そんな憶測が飛び交っていた。

そんな中、隠れるように親戚だけで葬式が行われた。

近所の人は誰も呼ばれなかった。

ここではじめて誰か死んだんだと確信を持てた。

葬儀が終わってからしばらくして、お向かいさん家族の口から兄ちゃんが死んだと聞いた。

でも自殺とは口にしなかった。

葬儀に誰も呼ばれなかったのは、自殺というのを知られたくなかったのだろうか。

また葬儀に呼ぶ知人がいないほど、人間関係破綻していたのだろうか。

どちらにせよ遺族にしてみればしんどいことだっただろう。

2009-10-19

http://anond.hatelabo.jp/20091019135147

自分も昔、痔の手術して、感動?したので書かせてくれ。

自分の場合は、イボ痔と切れ痔といろいろで、自分でもかなり酷いと思うレベル

押しても戻らなくなって、痛くて座れないくらいになってしまった。

これはやばいと思って、大きな病院肛門科の、肛門一筋二十年くらいの先生にみてもらった。

痔で痛いんですって言ったら、とりあえず薬付けて様子みようかって言われたけど、

肛門見せたら、こりゃ無理だわ、切るしかないわって言われた。

そして、その場(!)で麻酔して切られて、大丈夫大丈夫って言われながら、鬱血した血管を5本くらい取られた。

この血管すごいねーって言いながら切り取った血管見せられた。何が凄いのかわからんし見せんな変態

ちなみに日帰り。出血したら救急車呼んでねって言われた。

切った傷が直ると、びっくりするくらい楽になった。先生ありがとうって本気で思った。ありがとう。

そして、きっと、また痔になるから、2年後くらいにまた来てねって言われた。

痔で悩んでるひとは、絶対病院行くべき。本当に楽になるよ。

2009-10-03

この前近くのコンビニに歩いて買い物に行って、帰りに小さい小学生ぐらいの女の子見かけたのよ

自転車ペダルの所にしゃがんでしゃくりあげてて、通り道だったからそのまま近づいていったんだけど、

自転車のチェーンが外れてて途方に暮れて泣いてたわけ

今の自転車って基本的にベルトチェーンでそんな事はまず起きないんだけど、

たぶん親戚や兄弟お下がりとかで、若干古臭いデザインだった

そこそこ田舎だから人通りが多いわけじゃないし、見過ごすのは流石に可哀想だったから声を掛けたんだけど、

こっちを見た瞬間に一目散にその子逃げ出したわけ

最近は物騒だし、親とかからよく言い聞かせられてるんだろうなあと思ったんだけど、

後々よく考えてみたらその時の俺の格好がそもそも物騒だった

茶髪グラサン耳にはピアスノースリーブダボダボ迷彩パンツ、どう見てもDQN

でまあ、逃げ出したその子に大声で言ったわけ「直しとくから後で取りに来いよ」って

自分がガキの頃はチェーンが普通だったし、大暴れするガキだったから自転車もよくぶっ壊してた

その度に自営業だった父親に泣きついて直して貰ってて、それを一緒に見てたし、

最終的には自分で直し方を覚えて、壊すたびに自分で何度も直してたから直すのは簡単だった

んで、ちゃちゃっと直してその場はさっさと後にした、居てもしょうがなかったしね

次の日の仕事帰りに遠回りしてその場所を通ったんだけど、自転車はなくなってた

なくなってたのはいいんだけど、自転車があった場所の家の石垣はぶっ壊れてるし、

明らかに車のヘッドライトウインカーの破片が散らばってるわけ

家帰って母親に聞いたらさ、昨日の夕方過ぎに交通事故があったんだって

そういえばコンビニから帰った後で救急車の音聞いたなとか思い出してさ

その時点で半分パニック状態だったんだけど、そのまま母親に詳しく話を聞いたわけ

こういうときの悪い予感ってのは的中するもんでさ、その交通事故被害者

どう考えてもあの時の子でさ、おまけにほぼ即死だったらしいって

家から母親と一緒に自転車を取りに行って、その子が急いで自転車まで駆けて行って

自転車のチェーンを見ようとしたら、わき道からまっすぐ飛び出してきた車に轢かれたって

いったいどこでそんなに詳しく聞いたのか知らないけど、そういう顛末だって聞かされた

その場は何とか平静を装って部屋に戻ったけど、頭を強く金槌で叩かれたようなって表現、

ああいう感情のときに使うんだろうね

いったい俺はあの日何をしたんだろうね、今でもさっぱり意味が分からないよ

2009-09-17

通報した話

駅の線路で男の人が頭から血を流して倒れていた。夜の無人駅で周囲には誰もいない。俺が助けるしかなかった。

怖かった。なにが怖いって当時は少年公務員を線路から突き落としたって話が世間では持ちきりだったからだ。自分犯人扱いされるのが怖かった。

でも男の人が何かうめいていた。思考は吹っ飛んで119番。アタフタしていて何を言ったのかすら覚えていない。

近くにおじさんがたまたま通りかかって、こっちに来てみると何か慌てている若者男性が線路で倒れているというシチュエーション

考えれば「どう見ても犯人です。本当にありがとうございました」ってなレベルだ。

人のよさそうなおじさんだった。そんなことは後から分かったことなのだが。夜の無人駅は暗い。暗くてどうなっているのかも分からない。

とりあえず何かおじさんは手馴れた感じで、俺と二人がかりで線路からその人を動かす。後から分かったことだがおじさんは介護仕事をしているらしい。

救急車が来て警察が来た。電車はわずかに30分に1本だから、止まったところで大した問題にならなかったのは幸いだ。

その後で俺は警察の人から質問をたくさんされた。このときに最初の思考がよみがえってくる。

まあそのときは20分くらいして来た電車に乗り、そのまま帰ったわけだが。

その人は助かり、俺は後から表彰された。別に表彰されること自体はどうでもよかったのかもしれない。

ただ、おじさんに「ありがとう」と言いたかった。

そのときに聞いた話だけれど、最近は俺みたいに通報する人は少ないらしい。見て見ぬふりをする人が多いんだそうだ。

そうして助かったはずの人が何人も、いや数えられないくらい死んだのかもしれない。

理由は色々とあるのだろう。俺と同じ理由かもしれないし、単に面倒くさいからかもしれない。どうなんだろうな。

でもこれって、俺も含めてみんな動物になっているってことなのかもしれない。ひたすら冷徹に考えれば、通報したのが正しかったのかはわからないけれど。

そうじゃないんだ。感情の方がよっぽど人間にとって大切な持ち物だと知ったような気がした。

昔がよかったとか言うつもりはない。昔のことなんてどうでもいい。

ただ。みんなも一分の優しさでもあるならば。そんなときには通報してほしいんだ。

2009-09-09

http://anond.hatelabo.jp/20090909120346

タクシーでも救急車でもなんでも呼んで病院に行くんだ。

救急車はちょっと……と思うなら、タクシーで。

救急車を呼ぼうか迷った時、診察可能な病院がわからない場合は、

消防署電話してもOK。

都内なら東京消防庁救急相談センター(#7119)でもOK。

おだいじに!

遠山の金さん」と裁判員制度

民智が偏向裁判サヨク判決を覆していくのか

****************************************

遠山の金さんといえば庶民感覚犯罪者を裁いた”名裁判官”として歴史に残る。通俗大衆小説モデルにもなり、何回かテレビドラマにもなった。

お白砂には花吹雪舞う刺青松方弘樹扮する金さんが颯爽と登場して悪を懲らしめ、弱き庶民から拍手喝采あびる

裁判官ヒーローがいたのだ。

江戸時代までは検非違使伝統が息づいていた所為か警察検察司法が同じ行政機関で行われた。警察逮捕し、検察起訴し、裁判所が法に従って結審するという近代概念はなかった。火つけ強盗改めの長谷川平蔵も然り。

大岡越前守も温情主義裁判で庶民に人気がある。考えてみれば南町北町奉行所の同心だけであらゆる民事裁判をまかなっていたのである。

江戸時代世界同時代的に俯瞰すると日本はたいそう治安が良かった。日本人裁判沙汰を好まなかった証左にもなる。

水戸黄門様は印籠をかざして即席裁判。これは超法規行為であり、そもそも黄門様は司法独立って概念を知っていたのかな。

そういうわけだから日本人は争い事が嫌い、裁判は避ける。なにごとも裁判で決着をつけ、交通事故でも弁護士をよぶ米国とは法律風土が違う。

だが世の中が変わり「国際化」というアメリカ化が進んだ。外国人犯罪ばかりか、外国企業との軋轢、特許係争が頻発し、あげくは米国からの強い要求が突きつけられる。日本弁護士が少ない、と。

この結果、二つの政策が実現した。まずは大学に雨後の竹の子のごとく誕生した法科大学院

米国陪審員制度に酷似

そして日本に馴染むかどうか不明な新制度、すなわち裁判員である。しかもこの裁判員が臨む裁判と言えば殺人傷害致死放火身代金誘拐などの重大犯罪であり、死刑量刑無罪かを決める「大岡越前」の小型ヴァージョンとなる。実際に最初の判決が八月初旬に実現し「業界予想よりすこし思い」量刑が下った。世間の常識裁判官常識を変えた例になった。

ともかく裁判員制度の発足は米国からの圧力が遠因、これに財界の要求が一致し、日弁連が便乗した。奇妙な、面妖な裁判員制度日本にうまれた。

左右の境界線がないまま賛否両論が渦巻き、「ともかく始めてみなければ分からない」ということになったわけだ。

さて裁判員制度本質的問題点とは何か?

議論は曖昧なまま、米国へのジェスチャーのごとくに審議が進み、国民が誰も知らないうちに米国流の「陪審員制度誕生となったことは述べたが、米国には黒人奴隷制やリンチによる縛り首があった。日本とは異なり犯罪者も多く、弁護士は百万人以上、なかには悪徳弁護士、アンビュランスチェイサー救急車を追いかけて患者から事故弁護士成功報酬でいかがかと注文をとる)もいれば、マッチ・ポンプもいる。セクハラでっち上げ日本企業から大枚をせしめた手合いもいる。

だから伝統重視の保守派がいきり立って反対の論陣を張る。教養の低い、裁判官に比べると法律知識のない素人にそんな重大犯罪を判定させて良いのか、それこそ左翼の思う壺ではないのか、と。

第一に無知蒙昧なる庶民が重大犯罪を裁けるのか。冷徹な判断が出来ず情実に走り、死刑を避ける傾向が顕著になるのではないのか。

第二に陪審員は買収されやすく誤審冤罪が多く死刑執行後に真犯人がでるケースが米国では頻発している。だから「逃亡者」というテレビは大ヒットした。反面で、陪審員黒人ばかりにして、妻殺しの「無罪」を勝ち取ったO・J・シンプソン事件のような法廷テクニックの悪用がおこる。

第三にこれは基本的に人民裁判であり、ソクラテスの「法は法なり」と言って毒杯をあおいで死ぬようなケース、あるいはマリー・アントアネットのように左翼お得意の人民裁判が復活する恐れはないのか。

上告審には適用されず、なんのために必要なのかは不明

細かな問題点はほかにも多々ある。

一、選挙管理委員会リストを元に無作為に選ばれる「裁判員候補者」は面接で拒否されることもあるシステムとはいえ、拒めば罰金とか、法廷密室での協議内容は一切喋ってはいけないが、違反した場合、数十万円の罰金とか馴染めない特徴あり。

二、籤による選任が「健全市井の人常識」を反映するのか

三、強制するのは憲法違反ではないのか?

四、多数決裁定することが本当に妥当なのか等々、問題点が沸騰する。

ところが新制度では凶悪犯罪の一審でしか適用にならず、高裁から最高裁へと上告するに従い、裁判員はおかれない。どのみち現在裁判で一審で終わる裁判は稀だから、それならいったい何のためにこういう「改革」が必要かも論議された。

裁判員制度導入に賛成する保守論客も意外に目立つ。代表選手コラムニスト高山正之氏だ。

高山氏は産経新聞ロスアンジェルス特派員時代に多くの裁判を傍聴し、陪審員制度精通し日米の裁判に関連する著作も多い。

法律解釈しか知らない裁判官、世間知らずの無知裁判官より大衆の叡智、つまり民度が裁いたほうが適正な判決が出やすく、主知主義、インテリの暴走、左翼優勢といういまの偏向状況を覆せる嚆矢になるかも知れないという。世間智の欠如甚だしきインテリの裁きより大衆のほうが賢いという日本人への信頼がそう言わせるのだろう。これぞまさしく遠山の金さんの時代への回帰ではないか。

ただし米国陪審員制度といい、今度の日本裁判員制度といい、これらは民主主義の発展とは相関関係にはない。司法民主化などというお題目寝言の部類であり、推進側だったはずの日弁連ですら一部は反対に回っているそうな。

 「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」 

     平成21年(2009年)9月9日水曜日

        通巻第2702号 

2009-09-01

母がガチでおかしくなった2

http://anond.hatelabo.jp/20090830204423

の続き?完結だといいなあ。

昨日母が手に負えない状態になってきてしまったので結局夜に119番して救急車呼んだ。最初自分電話したんだけど119番で「暴れるようなら警察に~」とか言われて軽くパニック起こして結局父に代わってもらって救急車にきてもらう。田舎だからか野次馬さんがちょこちょこいた。そして生まれて初めて救急車に乗ってそのときはなぜか余裕があって救急車の中観察したりしてた。病院では血液脳髄液の検査をしてもらうものの異常なしで精神科入院決定。医療保護入院という形。今は鍵付きの部屋&場合によっては拘束もありと言われてそのときは父は何度もかわいそうだなあとぼやいていた。日付も変わってしまってもう夜も遅いのでと言われタクシーで帰ってちょっとだけ寝て今日また病院で父と共に医師の説明を受ける。一過性のものであろうという診断でちょっと安心したけどまだどうなるかはわからんよなあみたいな。入院に必要な荷物を病室に持って行ってそのときはまだちょっとトイレで暴れてたみたいだけどそのあと足りないものを売店に買いに行ってまた病室に行ったら母が看護師さんの付き添いうけて歯を磨くところだった。相変わらず言動はアレだったけどおとなしくはなってたので昨日薬で眠ってたからちょっと落ち着いたみたいだなあと父と安心した。歯を磨くとこを見て拘束もテレビドラマとかで見るようなガチガチなものではないようだと父は安心していた。早く母が落ち着くといいな。まあなんかまだいろいろ大変だとは思うけど頭の中の整理も兼ねて書いてみた。自分メンタルケアもしなきゃならんなあ。心療内科の予約は来週なんだけど明日電話して診てもらえるようなら行こうかな。なんか落ち着かないというか不安というかgdgdです。さすがに父にこれ以上負担かけたくはないし踏ん張らないと。

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん