はてなキーワード: ムービーとは
ロボットのパイロットが髪が目に入りそうな状態でヘルメットをかぶっていたり、あるいはそのヘルメットを脱いでもヘアスタイルがキープされていたり、外骨格スーツで高速飛行してるわりに髪がちょっとなびくていどだったり……
そういう描写は気になるんだけど、けっきょく「アニメだし、まあいいか」で済ませてしまう。これは正しい反応なのだろうか。
そういうハッタリに対する抵抗(もっとリアリティにこだわった作品を作ってやる! とか)もしくは偏愛(それがアニメだ! 様式美だ! とか)を突きつめていくと取り返しがつかなくなっちゃうのかな。
※ちょっと書き直しました。例にあげたのは前二者が絶賛放送中の機動戦士ナントカ00、後者はオープニングムービーがオンラインで公開されていたトリガーハートナントカに関するものです。妙にTBが伸びたなーと思う春休み。
Eames - power of ten
<object width="425" height="344"><param name="movie" value="http://www.youtube.com/v/A2cmlhfdxuY&hl=ja&fs=1"></param><param name="allowFullScreen" value="true"></param><param name="allowscriptaccess" value="always"></param><embed src="http://www.youtube.com/v/A2cmlhfdxuY&hl=ja&fs=1" type="application/x-shockwave-flash" allowscriptaccess="always" allowfullscreen="true" width="425" height="344"></embed></object>
30代のサブカルを少しかじった人でも知っている
EAMES FILMS:チャールズ&レイ・イームズの映像世界
アマゾンで見る
画面が徐々に10倍にふくれあがり、そしてしぼんでいく。
ミクロとマクロや、宇宙ヤバイなどの世界観入門としても名高い。
なんとなく眺めていた。
Po10以外はあまり見ていなかったのだが、
Toccata For Toy Trains
<object width="425" height="344"><param name="movie" value="http://www.youtube.com/v/h5p9EMdXRsU&hl=ja&fs=1"></param><param name="allowFullScreen" value="true"></param><param name="allowscriptaccess" value="always"></param><embed src="http://www.youtube.com/v/h5p9EMdXRsU&hl=ja&fs=1" type="application/x-shockwave-flash" allowscriptaccess="always" allowfullscreen="true" width="425" height="344"></embed></object>
http://www.youtube.com/watch?v=h5p9EMdXRsU&hl=ja
2歳になって間もない息子が汽車や車などの車輪モノが大好きで、
きかんしゃトーマスあたりになると目の色が変わる。
それはそれでかわいいわけだが、
いっつも同じのを見せるのはなんか催眠術の様で避けたいところ。
とはいえ、そこまで息子が食いつくムービーやコンテンツもそんなに知らないわけで、
むしろwiiとDSの区別がつく息子を見てちょっと笑ってしまう自分がいる。
別にトーマスばかり見ている訳じゃないんだが、
せっかくなら息子の好きな汽車の良質な映像を見せてみたいと思っていたところだった。
30代のお父さん達もプラレール好きの息子がいたらこのトッカータのムービーも見せてみましょう。
どんな反応が返ってくるでしょうね。
明日息子に見せてみようと思います。
これはあくまで私の独断と偏見だけど、ボーカロイド界隈とか東方とか、あとその他のニコ動とかで流行るネタの多くに言えるんだけど。
あれらはあれを持ち上げる人たちの色んな理由によって「高く、高く持ち上げざるを得ない」ものになってると思うんだよね。
アマチュアDTMerでも歌を入れてみたい、けれどネトアでは物足りないし色々と互いに負担が大きいし、かといってプロに依頼できるほどの腕も用意できる報酬もないし。
でも、ボーカロイドならそれらの問題が簡単に解決できる。
自分で描いた絵や曲やアニメーション・ムービーをみんなに見てもらいたい、自分でちょっと踊ってみたので見てもらいたい。
でも「キモい」「つまんない」「ナルシスト乙」「ヘタクソ」って言われるのは怖い。
でもモチーフを東方の世界観に入れ込んでしまえば、曲を東方のアレンジにすれば、踊りをウマウマにすればみんなも違和感無く乗ってくれる。
もちろんそれによって「自分の世界を表現する」ことを失うのはデメリットとして大きいんだけど、
それでも「みんなで1つの世界を共有して、皆で常にそこからはみ出さないように表現し続けること」で「絶対にすべらない」のはそれ以上にメリットとして大きい。
だから私達はもうボーカロイドや東方をみんなで高く持ち上げて、これでやっていこうと決めた以上、今更下ろすわけにはいかないんだ。
ひとりで勝手に手を下ろしてオリジナルでも発表しだすと、相当な才能の持ち主なら「流石ですね!」とも言われるだろうけど大半はそうはならない。黙って無視されるようになるだけだ。
だから大方の中途半端なクリエイターはもうこの神輿を下ろせない。そういう状況があって、
それ故にこの状況を自分達で無意識下に正当化するために、「ボーカロイドがあればもう人間いらない」とか「東方ほど面白い世界は他に無い」と言い続けないといけないんだ。
と思う。
RIP=RELEASE【巡音ルカオリジナル】‐ニコニコ動画(ββ)
http://www.nicovideo.jp/watch/sm5992615
これはすごい。
まだ機械音声だと分かるが、技術が発達すれば現実と区別つかない機械音声が実現するのは目に見えている。
3DCGの技術も現実との区別が困難なレベルにまで到達しつつある。
FF13の公式サイトで公開されているムービーのリアルさに驚いてる人が多いが、
いまの3DCG技術の最先端はあんなものではない。本当に現実と見間違えそうになるほどにリアルなのだ。
例えば、
4Gamer.net ― リアルタイムレイトレーシングで描かれるRuby。「Ruby Verite」ロングバージョンのムービーをUp(ATI Radeon HD 4800)
http://www.4gamer.net/games/045/G004578/20080930002/
を見てもらいたい。
視覚・聴覚だけでなく、触覚も現実をシミュレートできるようになっていく。
すでにオナホは現実マンコより良いとの声が多いし、リアルダッチは実際の女性とは違って好きな服を着せて好きなプレイが出来る。
欲望のままに自在にカスタマイズできることが、現実との大きな違いと言えよう。
USBオナホの技術が完成すれば、3Dアニメキャラとの一体感ある擬似セクロスが可能となるなど、視覚・聴覚との連係も豊かになっていくだろう。
これからはバーチャルで欲望を充足する時代になっていく。
ネックになっているのは制作に要する労力。
電波を受信したため、以下の妄想を書きなぐる。この文章に特定の意図など欠片も無いと言っておく
新作の度に増える東方界隈人口!そしてより一層進む「お客様化」によるトラブルの増加!界隈はこのやっかいな「お客様」の受け皿としての商業化を熱望した!そしてついに神主も本格商業化に踏み切ることにした。神主にしても自由気ままに作品を作るにはあまりに界隈が巨大になりすぎたという事情もあった。彼の同人活動は「のんべえ会」の非東方作品で続ける事となった。
プラットフォームがXBOX360と決まったあたりのゲハ板はいつものハード信者たちの罵り合いにくわえ、東方厨とアンチ東方厨が加わりいつも以上にカオスというかいつも通りであった。しかし「紅魔郷」からの本家が移植され、神主の気まぐれで長年放置されてきたレザマリバグだの文花帖号外だのといった懸案事項も開発チームが組まれることにより次々と解消され、界隈は商業化を快く受け入れることになる。まあソフトの値段が当然高くなったり、追加ステージの有料配信とかで金が吸い取られるようになったが、金を払うことによるファンの意識向上によりトラブルが以前よりも減少した事は特筆すべきことである。
コンシューマ化による他の変更点としては
第2章:アニメ化第1期第2期
ゲームのコンシューマ化と平行してアニメ化の話も進んでいた。制作スタッフはそこそこの面子である。第1期(全12話)は紅~妖の幻想郷パートと外の世界の秘封倶楽部パートが平行するという構成になっており。第1話が秘封パートから始まった事での困惑も大きかった。作画的にはいい時と悪い時の差が激しく、咲夜さんの登場回がちょうど作画の「谷」にぶつかり実況板が祭になった。一部ファンが作画のよかった美鈴のファンに八つ当たりする事も。ちなみにフランはDVD特典の特別編にのみ登場する。紅以降殆どストーリーに絡まなかった為である。そして第1期は八雲紫との弾幕戦と、秘封倶楽部のメリーとを重ね合わせるような構成で幕を閉じる事となる。
第3章:アニメ化第2期
DVDセールスも好調だったのか、1年後に「永夜」を扱う第2期(全26話)が放映された。何せ4チームそれぞれがバラバラの思惑で動き、時に敵対するという原作であるためか、アニメの時系列を殆どバラバラにして巧みに組み合わせるような感じで作られ非常に難解な構成となっていた。どれくらい複雑かといえば「第1話の冒頭が「永夜返し」から始まる」と言えばわかってくれるだろうか。あまりに内容が入り乱れるため脱落するファンも多かったが、作画は1期よりも格段によくなっており、とくに妹紅との弾幕戦の回は神回と評判が高かった。この放映後はソフトセルのみの「花」とか第3期と続いていくが省略する
第4章:同人界の流れ
アニメを見たりプレイしたり楽しむのみのライト層と、同人に漬かるディープ層の住み分けが進み、規模は漸増を続けていたが混乱は他作品の同人界隈と殆ど区別がつかない程度まで落ち着く。アレンジCDを出したりするときに多少の制約は増えた(例えばZUN以外の作曲家による東方曲の扱いについて)がそれ以外は特に変化は無かった。まあ「締め出しを食らった!俺たちは切り捨てられた」と騒ぐ大手アレンジャーの主語の大きいファンとかは少しばかりいましたが。
第5章:斜陽、冬の時代へ
隆盛を誇った界隈も、リリースされるゲームに決算期対策とおぼしいミニゲーム集が目立ってきたり、アニメが一通り原作を消化した事でなんとなく下り坂の黄昏に入っていく。神主はマイペースにコミケで作品を頒布し続けている。ファンもじょじょに脱落していき、残ったファンは細々と活動していく。まあ最初期に戻ったようなものである。
その中でも3は傑作だと評価が高い。割とおっさんの中でFFといえば3。
ボスがどれだけ強いか、レベル上げが楽しいかといったバランスが全てだった。
ある程度グラフィックが満足に表示できるようになったお陰もあり
テレビアニメより若干劣るレベルのグラフィックを手に入れたFF。
ゲーム性は確保しつつ、ストーリーをSFCのグラフィックを使って表現する。
表現力はSFCでは足りないのだけれど、そこはプレイヤーが脳内補完する。(これはアニメでも同じこと)
この脳内補完が逆にプレイヤーにとってのリアリティになって、4,5,6を未だ神格化する人も多い。
一方で6の美麗グラフィックによるストーリーの演出は今後のFFの方向性を決めたともいえる。
そしてPSの登場。
3Dグラフィックとムービーの多様によって7,8,9では表現力が圧倒的に増えた。
その影響もあってストーリー偏重となった。ゲーム性ももちろんあったんだけれども。
ストーリーが気に入った人はそれを好きになり、そうでない人はクソゲーと叩く傾向が激しくなった。
また、これまで脳内補完してきた人たちは脳内補完できるところが無くなって逆にリアリティが無くなってしまった。
一方でPSのグラフィックでは不十分で脳内補完した人たちは逆にストーリーを楽しめた。
9のデフォルメキャラはこういう脳内補完を行わせるための解決策だったのかもしれない。
次にPS2が登場。
FF10の発売。PSよりもさらに圧倒的なリアリティを持ってよりストーリー偏重になったFF。
ワールドマップはなくなり、ユーザが自由に世界を冒険するというゲーム性はほぼなくなった。
しかし、その圧倒的な表現力でストーリーに没入できるようにもなった。
FFは50時間かけて見るストーリー、そしてそれを見続けさせるためのゲーム性として進化した。
これほど長い時間をかけるストーリーはゲームでしかあり得ない。大河ドラマでも50時間もかからない。
ストーリーをほぼ放棄し、ゲーム性を高め、他の方向性を見出すためにFF11というナンバリングを付けたのだと思う。
これらの成果を活かし、もう一度ストーリー性とゲーム性を兼ね備えたRPGを作ろうとしたのがFF12だと思う。
FFはその時代に合わせ、先を見据えたゲームを作ってきた先導者であったと思う。
ストーリー性とゲーム性という相反する2つをどうやって共存させるかというテーマを
FF13では解決できるのか、PS3は解決策となるのか、そしてその先はどうするのか。
自分としては非常に期待している。
www.midnighteye.comより、雨宮まみの「弟よ!」経由。
長いので二つに分けました。
日本のアダルトビデオ、略してAVと言われているがそれは驚くべき多様性の世界でもある。もし欲情を喚起するためにセックスを描写し、売り物にするのがポルノグラフィの定義なら、どこからどう見てもそれはポルノなのだ。AVは安価で日本中至るところで目にすることができる。この国のどんなビデオショップに行ってもこのジャンルの商品はたいてい、大きな棚を占めている。
しかし、日本の映画表現が欧米で多くの信者を生み出す一方、アダルトビデオはほとんど顧みられていない。日本の得意とする怪獣もの、アニメをはじめとする全ジャンルに関する日本映画のフェスティバルはヨーロッパ・北米で花盛りだが、AVはどこにある?もちろん、日本のポルノは性器を直接描写できないという問題を抱えている。それらは処理画像の向こうにあり、欧米の視聴者にとってはいささか奇異に映るものだ。にもかかわらず、AVは魅力的な分野である。
まずは、ピンク映画。これは1960年代初頭から制作されている。小林悟の「肉体の市場」がおおまかにいってこの分野のさきがけといえよう。性への大いなる情熱、そして時には理由なき暴力や変わった性的ファンタジーまで描写する一方、ヌードシーンは一部に限られ、疑似性交が主を占める。
そして裏映画(訳注:日本語ではブルーフィルムがより的確な表現だと思います)、こちらはさらに映画史の初期にまでさかのぼることができる。こちらは本番ありの無修正、たいてい8分から10分の短い映画だ。白黒映画時代に欧米に存在したブルー・ムービーは時には手の込んだプロットを開陳していたが、日本のはたいてい伝統的な畳の部屋で性交にいそしむ男女を描写するにとどまっている。裏映画が上映されるのは、だいたい温泉街であった。男の客にとっての温泉街でのくつろぎは、しばしば買春と結びついており、そうした街の赤線地帯では法律で固く禁じられている裏映画ショーを楽しむことができた。今日では裏映画は裏ビデオに取って代わられ、そうした未修整のポルノビデオはビデオショップで信用のある客にのみこっそり売られている。
ビデオデッキの普及に伴い、アダルトビデオは1980年代初頭に成長をとげる。家庭で映画を見る習慣が広まり、そしてもちろんビデオデッキが接続されたテレビでセックスを鑑賞することを人々は望んだ。初期AVは、東映や新東宝といった大手ピンク映画会社により支配された。撮影済みの映画をビデオ化し、自宅向け市場へと流したのだが、短いバージョンであることもしばしばだった。市場の急速な拡大につれ、それらの映画会社はビデオ専用の映像を制作するようになった。これらの映像は直接ビデオで撮影されているにもかかわらず、ピンク映画の伝統を踏襲し、ピンク映画のルール・制限に固執した。
ピンク映画会社の制作するAVは、高額な費用をもって制作され、ほとんどの場合有名女優を主役にすえていた。しかし新世代の野心あるポルノ映像作家はビデオという形態は安価であり、あらゆる種類の新しい可能性を提供してくれることに気づき始めた。つまり機材取り回しの容易さ、無限ともいえる長さの尺をとてつもなく低コストで撮影できるということである。
これらの新しい可能性を最大限に生かした最初の監督が、かつてピンク映画の監督だった代々木忠である。「ドキュメント・ザ・オナニー」シリーズ(80年代初め)にて今日のAVにて見ることのできる根源的要素を彼は取り入れた。本番の導入、そして素人俳優の採用によって秘められた日本のセックス事情をドキュメンタリースタイルで描写したのだ。
「ドキュメント・ザ・オナニー」は驚くべきヒットを記録し、映像に関心のなかった投資家連中という新しいグループの注目を引くことになった。裏本・ビニ本業者はAV制作会社を設立し、金鉱とも思えるそのビジネスに飛び込んでいった。
少額の予算でピンク映画会社に勝つために、本番は彼らの切り札となった。こうした決断は大島渚の刺激であるともいえよう。著名な日本人監督である大島がフランス資本で撮影したアートシアター系映画である「愛のコリーダ」(1976年)は、命がけの悲しい情熱を最大限に表現するために実際のセックスをいくつものシーンにおさめた。一方で、非合法である裏映画からの強い影響も見てとれる。裏モノである「洗濯屋ケンちゃん」が一躍注目を浴びることになった。いつ、誰が作ったのかは現在に至るまでまったく不明である。しかし多くのフィルムが出回り、それらはビデオにコピーされた。主要雑誌はこの映像について書き立て、大きな話題となった。裏映画の直コピーの常として、「洗濯屋ケンちゃん」はもちろん非合法なものであったが、新しい本物のセックスという報道記事によって、どんなにお金をかけても得ることのできない宣伝性を得ることになった。
もちろん、新しいAVにおけるセックスは本物であったが、いぜん審査されていた。セックスシーンでは役者の全身はおろか、クローズアップも映し出されていた。しかし、性器とヘアーはAV業界でいうところの「モザイク」と呼ばれる電子的処理画像に隠されていた。処理画像がある限り、スクリーン上のすべてが許された。精液が処理画像から飛び出して、非処理画面に映る女優にかかってもおとがめなしである。ピンク映画では役者のモチモノは家具や植木鉢をレンズとの間に置くことによって隠されていたが、いまや自由な撮影が可能となった。編集の段階でモザイクをかけ、ぼかすだけでいいのである。
そうした映像処理は、海外映画の審査に起源を発している。ヌードシーンはこれまでカットされることはなかったが、俳優の性器は黒塗り、もしくは白のぼかしで隠されていた。この和らげられた映像が、ある程度本来のイメージを知る、手がかりになったのである。
こうした規格を確固たるものにし、政府の取り締まり・警察の逮捕といった危険からAV産業を守るため、AV会社により自主審査団体が設立された。映倫(ピンク映画を制作する業界により審査委員会が運営されている)をモデルとしたビデ倫が設立された。業界トップは、AV監督がアナーキーな連中の集まりであることを正確に把握しており、最初から強い手段をとることにした。ルールを守らせるための必要な権威づけのために、ビデ倫は審査委員会に警察官僚や役人の天下りを呼び寄せたのだ。
現在ではAV業界は一大産業を形成している。しかしその内訳はさまざまである。ピンク映画会社が今もなお重要な役割を果たす一方、無数の小さな会社があり、世には知られぬ顧客の嗜好を満たすべく特異化をはかっている。とはいっても、AVには二大分野が存在する。つまり、「単体」と「企画」である。単体ものはふつう、大きな会社が扱うが、大予算とひとりのスター女優に焦点を合わせるところに特徴がある。美しい女の子を起用し、なるだけソフトに、かわいく作られる。一方企画ものでは4、5人の女優が一本のビデオに出演する。彼女たちはかわいくもなく、見た目がイマイチであるのは決して珍しいことではないが、カメラの前での行為は大胆不敵である。企画ものはセックスについて変わった側面を取り上げることが多く、小さな会社が制作している。企画ものの方が予算が安く済むからだ。単体女優はスターであり、一本につき100から200万の金を手にする。企画女優はというと、10万から20万といったところだ。にもかかわらず、ふたつのやり方は相互補完的だ。多くの男性視聴者は女の子にふたつのことを望む、つまり可愛らしさと変態さだ。
日本では魅力的な若手女優が必要とされており、単体の女の子はスターでありアイドルでもある。企画の女の子はというと、タレント的であり、それはアマチュアを意味する。こうしたタレント募集のやり方はまさしく日本的だ。モデル事務所やタレント事務所は多くのスカウトマンをかかえている。スカウトマンは若い男連中であり、ファッションに敏感な若い子でにぎわう東京の一角に、前途有望な娘を見つけるべく徘徊している。彼らは若い女性に声をかけ、音楽・ファッション業界の仕事をもちかける。実際、ファッションモデルやテレビのエキストラになる場合もある。レコード会社が特定の容姿を歌唱力より優先させたい場合には歌手になることも。一部の女の子たちは、スカウトマンから声をかけられ、そうした仕事に着くことを夢見ながらおしゃれして渋谷・原宿の通りを歩く。しかし多くの場合、モデル事務所はAVの仕事をもちかけ、そして多くの女の子が「いいですよ」と答える。街角からリクルートされたタレントたちの登場するAVの信じられない本数が示すように。彼女たちはたいてい手っ取り早く金を稼ぐためにAVに出演する。もしくは冒険や遊び心、モデルキャリアへの道を見いだしているのかもしれない。
企画もののスタイルやジャンルを一覧にするにはいささか数が多すぎる。しかしその中で最も重要であり、かつ一般的なものをあげるとしたら、ピンク映画の時代から続く、ずばりそのものの異性間セックスが最初に来るであろう。教師・女生徒・看護婦といったちょっとした嗜好を交えたり、レイプ(AVでは一大分野だ)・緊縛などの暴力の一形態を伴うこともある。しかしAVはビデオならではの特異なジャンルも拡大しつつある。ブッカケ(集団男性が女性の体に射精する、顔がより好まれる)や密着ドキュメンタリーの特殊なケースであるハメ撮りなどである。
ドキュメンタリー的手法は日本のAVの多くに見られる。しかしハメ撮りほどドキュメンタリー的なものはないであろう。手短にいうと、ハメ撮りはポルノ的日記の一種である。それは男性(たいていカメラマンや監督である)の主導のもと、タレントや女優をフィルムに収める作業である。カメラ片手にしゃぶってもらったり、テーブルに置かれたカメラで性交を記録したり、時には行為中にずばりそのものにカメラを向ける。こうしたやり方がたぶん、映像にじかの力を与えているのだろう。キャストなし、クルーなし。ただふたりがやって、その男がまさしくそこでセックスをしている、非常に個人的な視点を視聴者はまっすぐに見せられる(原注:残念ながら、筆者は女性による女性の視点からのハメ撮りにお目にかかったことがない)。
しかし、ハメ撮りの売り物はセックスだけではない。セックスと同じくらいの興奮を呼び覚ますのが、ふつうの、一般的な女の子がどうやって「演じる」かという点だ。彼女たちは朝、地下鉄であなたの隣りに座っていたかもしれない、夜にはビールを運ぶウエイトレスだったかもしれない…夢みたまえ。ハメ撮りが売るもの、それは夢であり、日本の男たちが望むけど実現不可能な、あるいは現実には十分に得られないような性的出会いがあるかもしれない、という夢だ。でもそのイメージはリアルである。それこそ手に取れるくらいリアルだ。
<カンパニー松尾: ハメ撮りの達人>
今日のようなハメ撮りを作ったのが、カンパニー松尾だ。ハメ撮りという生まれたてのジャンルを親密な映像体験に仕立て上げた。彼の代表作である「オークション01」「オークション02」は2004年に制作された。これらの作品(デジタル撮影され、DVDにて販売されている)は松尾が出会ったさまざまな女性との個人的な出会いを多く収録している。
たいてい松尾はレディースコミックに広告を掲載し、彼と会う勇気を持ち合わせた女性を募集する。作品の各章は彼女たちが実際に電話をかけるところから始まる。松尾は彼自身が電話を取り、待ち合わせ場所を決めるシーンをカメラに収める。次に私たちが見るのは、松尾が彼女のいるところに向かって移動するところだ。松尾はおおいに旅を楽しんでいるように見え、それを日記スタイルで撮る。いろんな駅のシーン、車窓からの眺め、日本の日常光景は常に導入部分となり、彼の行き先を示す。最終的に彼は女性が指定する場所で面会する。その場所は彼女の住む町だったり、リゾートだったりする。女性はときに彼をからかう。居場所を推測させたり、行き先の張り紙を残すこともある。しかしたいていの場合、駅などの待ち合わせ場所に彼女たちは素直に現れる。松尾は非常におだやかに話す、好ましい感じのする男だ。こうした資質がものごとをうまく進める理由であるに違いない。しかし最初から明らかなのは、彼女たちはお金を受け取っていて、なにやらセックスのようなものがこのふたりの参加者のあいだで始まることだ。
まず第一に、松尾は女性のことを知りたがる。彼らはしゃべり、冗談をとばし、お互いが容易になじめるみちすじを探す。そしてすべてはカメラに記録される。今回の出会いに至った動機、いつもの生活、そして夢。ついに彼らはホテルや彼女の自宅へと向かう。
この段階において、視聴者はすでに彼女について十分知っている。とても親しく感じられる。ある娘たちは積極的にセックスに至ろうとするし、渋々な娘もいる。なんであれ、松尾は撮影する。彼女が「だめ」と言う時でさえ、松尾はありのままにカメラにおさめる。驚くべきことは、女性たちは作品の中では自らについてとてもあけすけで、その多くがセックスの段になっても決してシャイではないことだ。日本の女の子が実際にどうやって考え、何を求めているか知りたければ、多くの洞察がここから得られよう。
松尾は1965年、日本の中央に位置する愛知県に生まれた。高校時代から、松尾はテレビ業界を希望していた。専門学校を卒業すると、松尾は音楽番組制作会社に入った。この仕事には彼は大いに失望させられた。音楽のことを考え、バンドの内面を映像化するかわりに単調な台本を追う日々だった。ひょっとしたら意外でないかもしれないが、会社はほどなく倒産した。失業した松尾は飲み屋で昔からの友人に会う。友人はAVの世界への参加をもちかけた…ここからは彼自身の言葉で語ってもらうとしよう。
2006年の2月に私は東京のファッショナブルなエリアである原宿にある、新しく広々とした松尾のオフィスで彼に会った。ちなみに原宿は日本の若者文化の先端を行くホットスポットとして知られている。
ちょっと違うような気がする。
あれは究極的にはゲームを楽しむものじゃない。
用意されたシチュエーションやキャラクターに酔うためのゲームだ。
・世界を救わなくても良い
・最初から世界中を旅することが出来る
・そこらへんに生えてる草花すら採取可能
・街の人間も殺せる
これらのことは
・何をして良いか分からない
・情報が多すぎて混乱する
などのデメリットが多く、能動的に主人公になろうとしてる人でないと、さっぱり楽しめない。
ムービーゲーは自由度を捨てた代わりに、やるべきことが単純化されて難易度も下がり、カジュアルプレイヤーにやりやすいゲームになってる。
ボス戦で微調整なんぞしなくとも、とどめは必殺技で決めてくれるし、格好良いEDシーンがプレイヤーが慌てて凡庸なシーンに成り下がる事もない。
CoD4のラストシーンで、格好良く3発で決めるか、無駄弾撃ちまくってクールじゃなくなるか、操作したい人もいるだろうし、勝手に殺って欲しい人もいる。
ムービーとプレイのバランスが悪いと感じたなら、あなたのバランス感覚が、メーカーが期待してる購買層のそれと噛み合わなかったと言うだけの話だと思う。
それに嫌気がさして、だからといって他のゲームを探すほどゲームが好きでもないなら、止めるのをお勧めする。
娯楽を買って、ストレスを感じるなんて、ばかげている。
ちなみに、こうしたときに「絶妙なバランスのゲームを出してくれ」とか言う論調は、好きではない。
それは「あなたの感性に合う」だけで、私の感性には合わないかも知れないから。
どのくらいが絶妙なんだろうか、どの程度までならムービーが許せるのか、さっぱり分からないし、多分私とは異なっていると思う。
元増田だけど、ゲームハードの性能向上はプレイヤーを舞台から蹴落とす理由にはならなくね?
作る側が、「物語を語るにはプレイヤーを締め出さないと無理」って考えてるから
ムービーなり、プレイヤーを締め出したイベントシーンなりを作るわけでしょ?
それは別に性能に依存しないと思うんだけど。
最近はFPSとかでも俺を舞台から蹴落とすヤツが増えてきてるのがちょっと悲しい。
「FPSよ!お前もか!!」って感じがしちゃう。全部が全部じゃないけどさ。
CoD4は上手くできてたけど、アレは主人公が物語を左右できない単なる一兵士だから出来た感じもちょっとする。
そういう風に作るしかないのかなぁ?
クソゲーは今も昔も掃いて捨てるほどあるんだけどな。名作なんて何千何万の一握りじゃないか。寝言は寝て言えよ。
って書くのはあんまりだから映画っぽくなった理由は考えりゃすぐ分かるだろってことだけ書く。
昔のゲームは性能を上げることに必死だったからソフトもハードも必死こいてた。で、技術が揃い始めた頃にムービーとアニメとボイスが出た。
その頃からだと思うよ。ゲームが段々と八十年代と九十年代のゲームやってた連中からしてつまらなくなったのは。
皮肉にもゲームの性能を上げたがゆえに映画みたいなことが可能になっちゃったんだよ。コストを無視したらどっかの3D映画ができる世の中だ。
本来、ゲームはゲームのよさがあるのにないものねだりでゲームのよさより映画のよさに飛びついちまったんだ。
結果は見てのとおりだ。映画でやりたいなら映画やればいいのに、どこかの阿呆はゲームで無理矢理やって駄作にした。
ただ悲しいことに、ハードの進歩やソフトの進歩は買い手の俺たちも願っていたんだ。
SFCが出たとき興奮したろ。PSが世に出たときびっくりしたろ。
当時は性能のすばらしさの時代だった。性能のすばらしさを追求したら最後の方に映画みたいなゲームができた。それだけの話だ。
ここから先は熟成したもんをぶち壊して別方向にベクトル向けるしかないから、別方向に興味がないなら古典(今までのゲーム)がいいっていっても別にいいんじゃねえの。
初代マリオにハァハァするやつも、ムービー大作主義にハァハァするやつも、レイトン先生にハァハァするやつも、皆等しくゲーム好きだ。間違いじゃない。
新作待ってるときのあのwktkもクソゲーに対する阿鼻叫喚も叩きも名作やって脳汁出しまくって目から汗流しまくっているのも同じなんだ。
人間ですからオナニーのおかずをだらだらと探すこともあるだろう。
(中略)
という訳で、 Pathtraqを使って「Yourfilehostのハブとなっているサイト」を調べてみました。
中身は全く吟味していません。
http://www.warhammer-online.jp/teaser/
これか。
確かにムービーはすごいが、戦闘ゲーは疲れそうだ。
対人やりたくてうずうずしてるやつにはいいかもな。
おれは今、本当に狼狽している。こんなに頭の中がわけわからなくなるなんて。
さっきテレビをボチボチ変えていたら、千葉テレビでお色気番組をやっていて、その中でビデオ屋で自分のビデオを紹介するコーナーがあった。出てきた女の子はかわいく、お!と思った。ジャケ写では脱いでなかったし、紹介していたその子も脱いでいなかったからグラビアアイドルなのかな、と思った。それで終わるはずだった。
しかしコーナーの終わりに気づいてしまったのだ。「山下佳代!」
山下佳代は、今のようにU-15DVDがたくさん発売されていない頃、ビデオテープ時代にU-15アイドルとしてイメージビデオを出し、おれはそれを買った。あり得ないほどかわいいと思った。今でも思っている。
ビデオ自体は、今と違って露出度も低く、抜くために使えるようなものではない(おれは使っていたけど)。
ただ、そのかわいさは究極的、圧倒的だった。他のその手のイメージビデオの出演者が3万人でかかっても倒せないほど、かわいかった。しかし、他のその手のイメージビデオの出演者と同じく、タレントとしてテレビに出られるようなことはなかった。
だからと言っておれの日常は過ぎて行く。数年後、思い立ってグーグルで検索してみた。なるほど、名古屋でローカルタレントをやっているのか、写真で見た感じは劣化してるな、あのかわいさは永遠にビデオの中だけになったわけだ。そこそこ視聴者からは好かれているようではあった。
「・・・山下佳代!」ついさっき千葉テレビに出ていたその子は伊東遥と名乗っていたが、それは間違いなく山下佳代なのだった。イメージビデオをまた出したのかな? ずーっと前に出ていたことをおれは知ってるぞ、と少し誰に対するでもない優越感を持っていた。検索した。
AV!!!!!!
そんなことがあり得るんだろうか! あの山下佳代が、、、!!!
もしも上空から神が現れて、「汝らに問いを与える。地球上でもっともAVの対義語となる言葉はなんであるかな?」と問えば「山下佳代!」とアナン事務総長も100兆%答えるとしか言いようがない、あの山下佳代が!!!!!!!
そこに(サンプルムービーに)いた山下佳代は劣化などしていなかった。もっともAVから遠い星のお姫様であったはずの山下佳代は数人の男たちからマンコやら陰毛やら乳首やらをまさぐられ、バックで突かれ駅弁揺らされ、それでもなおAVから遥か遠くにいた。おれは、、。
おれはオカシクなっている。おかしくなってしまった。これはどういうことなんだ。山下佳代は誰なんだ? 地球はグルグル46億年なのか? 2年くらいじゃないのか? 明日からどうやって生きて行けばいいんですか? お金が欲しいんですか(林檎調)? なぜ泣かないでいるの? こんなひどい夜(キリト調)
kふぁおsjg:あおjg:あksdgkがお:jg:あうぇ」j:おへfぷぁs:ぺghrj@あ@けg@」ぱkghr」@あjrg:あj:どgじゃ:おdgj:あぽjdg:ぽあhjdg:ぽあhdfgぽはspdf
via アニオタが非オタの彼女にのガイドライン anond:20080721222220
まあ、どのくらいの数の箱○オタがそういう彼女をゲットできるのかは別にして、
「オタではまったくないんだが、しかし自分のオタ趣味を肯定的に黙認してくれて、
その上で全く知らない箱○の世界とはなんなのか、ちょっとだけ好奇心持ってる」
ような、ヲタの都合のいい妄想の中に出てきそうな彼女に、箱○のことを紹介するために
プレイすべき10本を選んでみたいのだけれど。
(要は「脱オタクファッションガイド」の正反対版だな。彼女に箱○を布教するのではなく
相互のコミュニケーションの入口として)
あくまで「入口」なので時間的に過大な負担を伴うMMO・マルチメインは避けたい。
あと、いくら箱○的に基礎といっても古びを感じすぎるものは避けたい。
パズルゲーム好きが「テトリス ザ・グランドマスターエース」は外せないと言っても、それはちょっとさすがになあ、と思う。
そういう感じ。
彼女の設定は
ゲーム知識はいわゆるファミリー向け・学習系を除けば、マリオドラクエ程度は知っている。
サブカル度も低いが、頭はけっこう良い
という条件で。
まあ、いきなりこれかよとも思うけれど、「ギアーズ・オブ・ウォー以前」を濃縮しきっていて、「ギアーズ・オブ・ウォー以後」を決定づけたという点では
はずせないんだよなあ。COOPも対応してるし。
ただ、ここでFPSオタトーク全開にしてしまうと、彼女との関係が崩れるかも。
この情報過多な作品について、どれだけさらりと、嫌味にならずに濃すぎず、それでいて必要最小限の情報を彼女に
伝えられるかということは、オタ側の「真のコミュニケーション能力」の試験としてはいいタスクだろうと思う。
アレって典型的な「オタクが考える一般人に受け入れられそうなゲーム(そう箱○オタが思い込んでいるだけ。実際は全然受け入れられない)」そのもの
という意見には半分賛成・半分反対なのだけれど、それを彼女にぶつけて確かめてみるには
一番よさそうな素材なんじゃないのかな。
「箱○オタとしてはこの二つは“レバガチャレベルでも楽しめるゲーム”としていいと思うんだけど、率直に言ってどう?」って。
ある種の哲学オタが持ってるオブジェクティズムへの憧憬と、Ken Levineの演出へのこだわりを
彼女に紹介するという意味ではいいなと思うのと、それに加えていかにもレトロアメリカな
の二人をはじめとして、オタ好きのする要素をゲーム中にちりばめているのが、紹介してみたい理由。
たぶんこれを見た彼女は「ジョージ・A・ロメロだよね」と言ってくれるかもしれないが、そこが狙いといえば狙い。
この系譜の作品がその後続いていないこと、これがアメリカでは大人気になったこと、
アメリカなら実写映画監督に訴訟を起こされて、それが日本のほうに影響与えてもおかしくはなさそうなのに、
日本国内ではWii版が予定されていること、なんかを非オタ彼女と話してみたいかな、という妄想的願望。
「やっぱりシューターは2Dだよね」という話になったときに、そこで選ぶのは「式神の城III」
でもいいのだけれど、そこでこっちを選んだのは、この作品にかけるトレジャーの思いが好きだから。
断腸の思いでXBLA容量のために削りに削ってそれでもプロトタイプモード搭載・オプション充実、っていうのが、どうしても俺の心をつかんでしまうのは、
その「16:10対応」ということへの諦めきれなさがいかにも箱○的だなあと思えてしまうから。
オプションの充実を俺自身は冗長とは思わないし、もう削れないだろうとは思うけれど、一方でこれが
バンナムだったらきっちり糞ラグCOOPにしてしまうだろうとも思う。
なのに、XBOXLiveに常時セッション張ってチート不可の完全な世界ランキングを作ってしまう、というあたり、どうしても
「ワールドワイドでのスコアアタックの魅力を捨てられないオタク」としては、たとえ鷸の回転レーザーがアケと同じ方向でなかったとしても、
親近感を禁じ得ない。作品自体の高評価と合わせて、そんなことを彼女に話してみたい。
今の箱○購買層でロンチタイトルプレイしたことのある人はそんなにいないと思うのだけれど、だから紹介してみたい。
プロストリートよりも前の段階で、NFSシリーズの哲学とかゲームシステムはこの作品で頂点に達していたとも言えて、
こういうクオリティの作品がハード熟成期のみならずロンチでもプレイできたんだよ、というのは、
別に俺自身がなんらそこに貢献してなくとも、なんとなく箱○好きとしては不思議に誇らしいし、
いわゆる痛車ゲーとしてしか箱○レースゲーを知らない彼女には見せてあげたいなと思う。
Infinity Wardの「FPSとしての完成度」あるいは「マルチの面白さ」をオタとして教えたい、というお節介焼きからやらせる、ということではなくて。
「ムービーばかりの映画ゲーはいらない」的な感覚がゲーオタには共通してあるのかなということを感じていて、
だからこそロストオデッセイはムービーゲー以外ではあり得なかったとも思う。
「ゲームだからこそ表現できることを目指すべき」というゲーオタの感覚が今日さらに強まっているとするなら、その「ゲームらしさ」の
源はCoDシリーズにあったんじゃないか、という、そんな理屈はかけらも口にせずに、単純に楽しんでもらえるかどうかを見てみたい。
これは地雷だよなあ。地雷が火を噴くか否か、そこのスリルを味わってみたいなあ。
こういう原作フリゲのシューティングをいかにも水口哲也なかたちでXBLAに出して、それが非ゲーオタに受け入れられるか
気持ち悪さを誘発するか、というのを見てみたい。
9本まではあっさり決まったんだけど10本目は空白でもいいかな、などと思いつつ、便宜的にアイマスを選んだ。
GoWから始まってアイマスで終わるのもそれなりに収まりはいいだろうし、ニコニコ動画以降の箱○始まったな時代の先駆けと
なった作品でもあるし、紹介する価値はあるのだろうけど、もっと他にいい作品がありそうな気もする。
というわけで、俺のこういう意図にそって、もっといい10本目はこんなのどうよ、というのがあったら
教えてください。
「駄目だこの増田は。俺がちゃんとしたリストを作ってやる」というのは大歓迎。
こういう試みそのものに関する意見も聞けたら嬉しい。
2007年9月18日、ペンシルベニア州ピッツバーグ。ハイテクの街として知られるこ の地に本拠を置くカーネギーメロン大学の講堂で、1人の教授が「最後の授業」を行った 。
教授の名前はランディ・パウシュ。46歳。バーチャルリアリティの第一人者と称される人物だ。最後の授業をするにはまだ若すぎるパウシュだが、実はこのとき、彼には長年親しんだ大学に別れを告げざるをえない事情があった。膵臓から肝臓へと転移したガン細胞 。医師から告げられた命の刻限は「あと3カ月から半年」。
こうしてパウシュの最後の授業は始まった。スクリーンに映し出された演題は『子供のころからの夢を本当に実現するために』。それは、学生向けに講義をするふりをしながら、 まだ幼い3人のわが子に遺すためのメッセージだった????。
http://jp.youtube.com/watch?v=j2iHp-4sgGM&NR=1
↑の書籍版ムービーをみたあとに、日本語字幕版の講義ムービー1時間少しをずっと涙しながらみてた。
氏と同じ時間を、少しでも多くの人に共有してもらいたいため日記に書きます。
http://jp.youtube.com/watch?v=nrFMRuB2lbA
8月発売のコミックス23巻+アニメDVDの予約が45000枚入ったそうです。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/music/3914/1168328827/335
335 :名無し避難中。。。:2008/06/23(月) 18:59:53
2008/06/23付
*16 12 *4,617 *47,201 **4 ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序 通常版
*18 -- *3,378 **3,378 **1 ビー・ムービー スペシャル・エディション
*21 *3 *2,779 *15,587 **2 DRAGON BALL GT #11
*25 *5 *2,536 *15,175 **2 DRAGON BALL GT #10
*26 *4 *2,506 *15,288 **2 DRAGON BALL GT #9
*30 25 *2,117 *12,185 **3 河童のクゥと夏休み 通常版
*38 44 *1,748 150,782 *73 The World of GOLDEN EGGS Vol.01
*46 35 *1,442 *24,969 **4 FREEDOM特別編 FREEDOM SEVEN
*49 70 *1,416 817,590 338 となりのトトロ
*50 53 *1,390 115,126 *67 The World of GOLDEN EGGS Vol.02
書店予約の分をまだ集計していないそうなので、さらに行きそうとのことで、
かなり驚きですよね。
今回のコミックス+アニメDVDという方式は、今までのテレビアニメ→DVD化の流れが、
うまく機能していないことを考えると、アニメDVDの売り方も変わるかもしれない。
(テレビの視聴率が低いのに、DVDが売れたり、よくわからない状況)
予約締め切りは今日までです。興味あったらぜひ
コピペ。
・次世代機のスペックやグラフィック賛美を聞くと脊髄反射的に「ゲームの本質は????」みたいな感じの独りよがりな理論を暑苦しく語りだす。
・「グラフィックが向上すること自体は良いことだ」という当たり前の事実が理解できない。
・というか「グラフィックが凄い→ゲーム性低い」という短絡思考しかできない。
・ゲーム性という言葉を多用するくせにその基準は主観的でゲーム性とは何かと具体的に語ることが出来ない、そもそも定義の曖昧すぎる言葉なので無理して語っても矛盾だらけ。
・今のゲームはハードごと嫌い、端から見るとゲハ厨と化している。
・聞かれてもいないのに「俺の中の歴代○○シリーズランキング」を語りだす。
・過去のゲームをやたら美化してるくせに、内容はロクに覚えてない。
・攻略本やネットを駆使してクリアして「最近のゲームは簡単すぎる」などと言う。
・明らかに読み込み時間が遅くないゲームで読み込みが長いと文句を言う。
・自分たちのニーズがとっくにメーカーに切り捨てられたということを認めようとしない。
・頭が硬直しているので、絶対に3Dの良さを認めない。2Dでもやや解像度の低い物でないとNG。
・有名ゲームしか知らないくせに最近のゲームはつまらなくなったと言う。そもそも自分から面白いゲームを探そうともしていない。
・自分ではゲームが上手いと思っているが、実際それほど上手くはない。
・何の根拠もなく「ゲームに声はいらない」などと言う、でも昔のややチープな音質なら認めてしまう。
・ムービーが始まるとスタートボタン連打。飛ばせなくても連打、でも全く同じ時間でもドット絵のデモなら喜んで観賞する。
・ストーリーがウリのゲームで会話シーンをボタン連打で飛ばすという、まるで懐石料理に醤油をドバドバかけて食べるような下品な事を平気でする。
・昔のゲームの良さが説明できない。「ゲームバランスが」「世界観が」等の誤魔化しが得意、また未発達なシステム面も「味」などと言ってのける。
・「フィールドのないRPGは糞」とか、明らかに食わず嫌いでしかない発言をする。
・「昔からゲームをやっている人はみんな今のゲームは糞だと思っている」と本気で思っている。
・ドラクエ2のブリザードのザラキやFF3のラストダンジョンのような明らかな「理不尽」でしかないものを「手ごたえがあってよかった」と豪語する。
・「最近はストイックなゲームがない」とか不満を口にするくせに、アンサガやTOD2の良さは認めない。
・昔の低難易度は「新設設計」現代のだと「ゆとり仕様」という矛盾を平気で口にする。
・「自分に良さがわからなかったゲームは糞」という偏狭な思考。
・「製作者のオナニー」という表現が大好き。
ファミ通は、クロレビ時にメーカーからいい所取りのセーブデータとか貰ってるんじゃなかろうか。
・ムービー満載の大作RPGとかダイジェストでいい所をみるから評価上がりそうだな
・大手じゃないと「ファミ通クロレビ担当者のツボを突く、効果的なセーブデータ作成作業」まで手が回らないんじゃないかな
・ああそうか、だから致命的なバグが混入されてても気づかないのか!?
おそらく、レビュアーは自分で最初から最後まで通しではやってないんだろうな・・・。
あと、メーカーから「ここだけはコメントにかかないでくれ」って依頼があるのかしら。
・ロード時間が実はすごく遅い
・完全移植じゃない
・他社のゲームと凄く似ている
最近、エロゲー業界が変な方向に行っている気がする。何も今回の「ai sp@ce」だけじゃない。昔、エロゲー業界は「エロがあっておもしろければ何でもあり」だったはずだ。それ故に多様性も出てきた。
たとえ多くがアドベンチャータイプになった2000年以降も同じだった。ストーリーは工夫されていたものはたくさんあったはずだ。そして、それらに対する期待が、エロゲー業界を成長させてきたのではないか。
だけど今はどうだ。多様化の進むコンシューマ業界よりよほど閉鎖的なものになっているじゃないか。たかが寝取られで大騒ぎか? たかが非処女で大騒ぎか? 特にシナリオ量とCGの量が少ないと文句を言われるのはどうだ。その中身の評価になる前にクソと言われる。しかし、それを増やすということはコストをかけることにほかならない。しかも金銭だけじゃない。制作時間は同じなのだから、それらを増やすことで、それぞれの絵の質、シナリオの質が薄くなるというのは必然だ。
しかし、個別の意見を全体として捉えるのは愚だということくらいはわかっている。しかしそう思わない経営者もなかにはいる。おかげで今の現状は、薄くても量の多いシナリオ、パーツが変でもトレスでも多いCG、そんなので構成されたものばかりだろ?
PS2後期の、ムービーとかCGとか、目に見える技術ばかり上がってきて、ゲーム内容がおざなりになってゆくことが批判されていた。それがシナリオの量やCGの量、そして小手先のスクリプトやムービーという形に変わったにすぎないんじゃないか?
最近エロゲーを買っていない、というやつが増えた。それは時間がなくなったとか、nyのせいだけにすると、本当に失っているものを見落としたまま、衰退してゆくんじゃないかなんてことを思う。
正直、俺ももうどうでもいい。それは自業自得だ。このまま他の娯楽にシェアをとられて滅びるような業界なら、それまでのことだ。
2、3年前の話だけど、実家に帰省したとき、弟が「パソコンにアダルトサイトの履歴があって、それってオヤジが見てたんじゃないか」というようなことを私にこっそり話した。……いや、こっそりは訂正する。どうやら私に言う前に母に言っていたらしい。空気読め弟。
で、その時に母が返した言葉は「ああ、そんなのどうせ○○(私の名前)でしょ」だったらしい。確かにうちの父はそういうのとは無縁な感じで、真面目なだけが取り柄の人だったし、パソコンにも疎いから、雑誌等ならまだしもそんなサイトは見ないと思ったのだろう。だからって、性別:女の私の名前をさらっとあげますか、仮にも母が。
でも、まあ母の言うのも当たらずとも遠からずで、私も身に覚えがあったため、弟にも「うん、きっと私かも」と言った。けど、私が最後に実家のパソコンを使ってそういうサイトを見た記憶を辿ると、どう考えても履歴に残るほど最近のことじゃない。それに、そういうサイトを見る時は自分用のユーザー(パスワード必須のため、私以外はログインできない)でしているはずだから、疑問といえば疑問だった。
ちなみにパソコンがあるのは父の部屋で、仮にそのアダルトサイトが父の履歴だとしても、私のものだということにしておいた方が余計な波風を立てずに済むと思った。私は中学時代、ベッドに仙道ますみの『えっち』を隠していたのを弟に見つかり、家庭内で晒し者にされた過去もあるし。
しかし、濡れ衣を自ら着るなら、せめてそのアダルトサイトの傾向ぐらいは知っておきたいと思ったものの、履歴はどうやら弟が消したらしい。ならば、そういうサイトで見たサンプルムービーがどこかに残っているのではないかと、滅多に使わないRealPlayerを開いたところ、あった。案の定、残っていた。
間髪入れず、再生ボタンをクリック。そこに映ったのは制服を着た女子高生と同じく制服(確か学ラン)を着た男子学生がちゅっちゅしてるようなものだった。胸を揉んだりはしていたけれど、決して裸にはなっていなかった。何ていうか、ぬるい。ぬるすぎる。今日び、こんなぬるいサンプルムービーを探す方が難しいんじゃないかと思うくらい、ぬるかった。
父がエロ動画やアダルトサイトに興味を持つのは男として普通のことで、さほどショックはなかったけど、父がどういうタイトルでこのサンプルムービーを開き、ガックリしたのかと思うと何だか居た堪れなくなった。あるいは、父がこういうぬるいのが好きなら、それはそれでちょっと引く、という複雑な娘心。