はてなキーワード: ヒトラーとは
もし前夫が「麻原しょうこう」とか「ヒトラー」だったら少しでも関係を絶ちたい、思い出したくも無いと思うかもしれない。
まあ、実際はどんな前夫だったのかしらないが、元嫁と娘からよっぽど嫌われてるんだな。
http://anond.hatelabo.jp/20070526080017
ようは国民を取り込んで潤沢な資金システムを構築し力を増してきた
そういう方法ではぬるいんでもうあきらめて普通の女の子になったらどう?というお話。
http://anond.hatelabo.jp/20070526080017
創価学会を立て直すには池田大作なんぞではなく純粋に育てたタレントが必要だという話。
創価にも公明にも持ち球(タレント)が不足しているというのには同意。
いまのままだと中国や他の政党にとっての道具でしかないと思う。
とりあつかいが難しいからサーカスのタイオンのようなものだろうか。
ある一定の客には必ずうけるという…
http://anond.hatelabo.jp/20070526080017
これにタレント政治こそどうにかするべきだという指摘が入ったのだが、
そもそもヒトラーの政治家の手法はいってしまえばタレント政治だった。
実際のヒトラーの政治家としての能力はナチスの辿った末路をみれば分かる。
ここでサッカー選手などがやたらもてはやされる第3世界系の国を例に挙げてもインパクトに欠けるので
小泉純一郎はの趣向はタレント政治だったといえるが彼のしてきたことを
是ととるか非ととるかでこの議論の方向がまったく変わっていってしまいそうだ。
ナチスが映像を使って国民にわかりやすく物事を刷り込んだのと同じく、
顔や人柄が気に入るかそうでないかがとりあえず最初のポイント。
もっというと彼らがいってることよりもフィーリングでいい悪いを決められる。
それによって横山ノックなどのとんでもない政治家が生まれてしまうのがこの手法の良くないところだ。
創価学会に対してこのような見下された見方がなされるのは仕方ないようにも思う。
いわれてみれば40年以上やっていてこの規模というのはただの有名な新興宗教でしかない。
ここまであからさまに公明党とのつながりがニアリーイコールでさけばれているのに、
黒子であるべき人間が舞台に立っていたところどんどん色が落ちて
もはや黒子の本来の意味を成していないのにも関わらずまだ黒子ぶっているのは滑稽だ。
もうミエミエの黒子のいるつまらん劇に嫌気がさしている人も多いのではないだろうか。
血統で民族を決めるのは無理がある
そもそも移民国家であるアメリカは特殊な国家だからあまり参考にならん。
しかも彼らも個人は「中国系」とか「ユダヤ系」とか「ヒスパニック系」とかそれぞれの社会に帰属している。
そこに溝が無ければ議員だの大統領だのが選挙であれほど苦労しないだろ。
外部から見た場合では一様にアメリカ人であっても、中身はさまざま。外に対しては一致団結するのがアメリカの強さとはいえ
第二次世界大戦のときに日系移民が強制収容されたりもしてるし、アメリカ人=アメリカ民族ではないだろ…
その程度の認識でこういう議論に参加するなって。
民族に血統が大事で無ければ、それこそヒトラーのユダヤ弾圧はいったいなんだったんだと言う話。
話が混乱するからバカは黙れ。
引用するのは良いんだが、いちいち文脈をバラバラにして揚げ足を取るなよ。
制度として定められた手続きを踏まず、集団の力で要求を通そうとするならそれは強訴だ。
何でもかんでも署名を集めればいいってもんじゃない。
それこそが民主主義の本質だろ。
確かにそういう一面はある。しかしあるべき姿かと言われたら違うだろう?
それに直接民主主義なんか言葉だけの制度だ。現代国家で直接民主制とってるところなんか無いぞ。
そっちこそ直接選挙制と混同してないか?
どこまでが裁量による問題でどこまでが法律自体の問題かだって個々人の解釈なんかで幅が出るケースが多いし、TPOでも変わるんだから、お門違いともいえないだろう。
一部に関しては具体例を挙げなかった俺が悪かった。
量刑は刑法で上限が決まってるので、感情的に納得いかなくても裁判官はどうしようもない。上限以上の刑を課すことは出来ないから。
無戸籍児に旅券を与えろって話にしても、行政に対してメチャクチャ言いすぎだろ。
行政は目いっぱいゆるい裁量してるじゃないか。なのに「姓が違うのは嫌」とか、そもそも親がいい加減な事したからこんな事になってんだろ。
そこら辺を全部棚に上げて、「私たちは不正と戦います」みたいな顔されても納得いかない。
もちろん子供に罪は無いけどね。
あと、「どこまでが法律自体の問題か」っていうのは明確に基準があるので解釈やTPOで変わったりしない。
末端を責める前に立法の問題とするのはコンビニや外食店の店員の接客が悪いからといっていちいち株主総会で役員を糾弾するのと変わらない。
ところでヒトラーを選んだドイツ人やブッシュを選んだアメリカ人というのは賢人なんだろうか。
日本国憲法第15条では「選挙人は、その選択に関し公的にも私的にも責任を問はれない」と書いてある。責任を問いたいなら、末端の国民を責める前にまずは憲法自体を問題視すべきなんじゃないかな。
何が言いたいのかわからない。
俺は責めてるんじゃない。
自分たちがやったことは棚に上げて国が悪い、私たちは被害者って言ってる奴らに怒りを表明しているんだ。
そしていつ俺が日本人より外国人のほうが賢いなんて言ったよ?賢人なんて居るわけ無いだろ。なにが「ところで」だ。
法的責任を問われないからと言って、一国民としてのモラルを忘れていいってことじゃない。
一回くらい、他人のために国のために自分に何が出来るのか考えろって話をしたかっただけ。
庶民様には受けが悪いことくらい分かってるよ。
ただ、さまざまな問題において批判されるべきなのは上の人間ばかりじゃない。
http://anond.hatelabo.jp/20070505110904
それこそが民主主義の本質だろ。あなたは代議制とか三権分立とか立憲主義とか法の支配と民主主義を混同してるんでは?
直接民主主義というのがあるように民主主義だからといって間接じゃないといけないと言うわけじゃない。
しかしだ、問題が役所の裁量を超えたところ、つまり法律自体にある場合に
人数を頼んで役所に押しかけて「なんで我々の要求が通らないのだ」と喚くのは文字通りお門違いなのである。
どこまでが裁量による問題でどこまでが法律自体の問題かだって個々人の解釈なんかで幅が出るケースが多いし、TPOでも変わるんだから、お門違いともいえないだろう。
ところが国民は往々にして末端を責める。それでは事は動かないばかりか、立法府が定めた以上のことを行政や司法に求めるのは
自らの主権をないがしろにしていることと変わらない。
末端を責める前に立法の問題とするのはコンビニや外食店の店員の接客が悪いからといっていちいち株主総会で役員を糾弾するのと変わらない。
ところでヒトラーを選んだドイツ人やブッシュを選んだアメリカ人というのは賢人なんだろうか。
与えられたものの価値を知りもせず、囃し立てられるままに踊り、文句ばかりを垂れ流しながら責任は取らない。
日本国憲法第15条では「選挙人は、その選択に関し公的にも私的にも責任を問はれない」と書いてある。責任を問いたいなら、末端の国民を責める前にまずは憲法自体を問題視すべきなんじゃないかな。
google:生活保護法がある限り、経済的理由での中絶は認められない。
[多数論証][アローの不可能性定理][多体問題][じゃんけん]
[ロバ売りの親子][粉屋と息子とロバ]粉挽きとその息子と驢馬
[ホトトギス][不如帰][時鳥][織田信長][豊臣秀吉][徳川家康][上司]
「合理的無知=コストパフォーマンス的に、政治の勉強に膨大な時間を費やすより、適当に暮らしてた方が合理的。」
The Ultimate English: ディベートのジャッジについての考察
はてなブックマーク - 審査員を審査する(仮題) : 作品情報 - 映画.com
1年生の算数の時間に、先生が「2-1は1、では1-2は?」というので「-1」と答えたら不正解にされた。
「パパが教えてくれたもん」
「おまえのパパは気違いだ」
群臣は趙高の権勢を恐れ、「これは馬です」と答えたが、「鹿です」と答えた者は暗殺された。
相手を黙らせたからといって、相手の意見を変えさせたわけではない。
相手を黙らせたからといって、その人を説得できたわけではない。
ジョン・モーリー
はてなブックマーク - ディベート教育とか、キモイので、やめてほしい(ほしかった) - 女教師ブログ
ymScott 社会, 思考 ディベートってのは「自分ですら本気にしていない事を詭弁を駆使して観客に納得させるゲーム」のことだろ。
何でそんな詐欺技術を教育しなきゃいけないのか未だに解らない。
ディスカッションをこそ学ばせるべき。
チェリー・ピッキング (英: cherry picking) とは、
数多くの事例の中から自らの論証に有利な事例のみをならべたてることで、
命題を論証しようとする論理上の誤謬、あるいは詭弁術。
ストローマン(英: straw man)は、
議論において対抗する者の意見を正しく引用しなかったり、
歪められた内容に基づいて反論するという誤った論法、
あるいはその歪められた架空の意見そのものを指す。
藁人形論法ともいう。
衆人に訴える論証(しゅうじんにうったえるろんしょう、羅: Argumentum ad populum)とは、
論理学における誤謬の一種であり、多くの人々が信じているという理由で、ある命題を真であると論証結論付けること。
多数論証、多数派論証とも。
88% の人々が UFO を信じているのだから、UFO は実在する。
世界中の大多数が神を信じているのだから、神は実在する。
人身攻撃(ラテン語: ad hominem、argumentum ad hominem)とは、
ある論証や事実の主張に対する応答として、その主張自体に具体的に反論するのではなく、
それを主張した人の個性や信念を攻撃すること、またそのような論法。論点をすりかえる作用をもたらす。
人格攻撃論法ともいわれる
偽善者は素晴らしい約束をする、約束を守る気がないからである。
[多数論証][アローの不可能性定理][多体問題][じゃんけん]
科学哲学者のカール・ポパーは、反証可能性を持つかどうかを「真の科学」であるかどうかを見分ける基準として提唱しており、それ故彼は精神分析学は科学ではなくて疑似科学に過ぎないと断じた。
[天動説][地動説][コメンタリオルス][コペルニクス][ガリレオ]
7対1の賛成多数によって判決は下された。
[差別]黒人が人間だと考えることは不可能である。モンテスキュー
1932年7月の国会議員選挙ではナチ党は37.8%(1930年選挙時18.3%)の得票率を得て
230議席(改選前107議席)を獲得し、改選前第一党だった社会民主党を抜いて国会の第一党となった。
「ソ連軍に包囲される前にベルリン市民を脱出させるべき」という進言を退けたヒトラーは嘯(うそぶ)く
選択肢が3つ以上あるとき、
定義域の非限定性、全会一致性、無関係な選択対象からの独立性、非独裁性をすべて満たす
コミュニケーションにおける最大の問題はそれが達成されたという幻想
韓国地下鉄火災事件における「多数派同調バイアス」と「正常性バイアス」
多数の者に人気のあるほうが善いというふうにはならない。セネカ
多数決をとってみたところでそれが正しさの保証とはならないデカルト
[同調圧力][空気の研究][馬鹿]同調圧力・空気の研究・馬鹿・いじめ
多数論証
88% の人々が UFO を信じているのだから、UFO は実在する。
世界中の大多数が神を信じているのだから、神は実在する。
米国人の6割「原爆投下は正しかった」、米世論調査 国際ニュース : AFPBB News
米調査組織『ギャラップ』によると、アメリカ人の92%が神を信じている。
Amazon.co.jp| 神は妄想である―宗教との決別| リチャード・ドーキンス, 垂水 雄二| 本
神が宇宙をつくったなら、その神は誰がつくったのですか? - Yahoo!知恵袋
多数の者に人気のあるほうが善いというふうにはならない。セネカ
Amazon.co.jp: なぜ人を殺してはいけないのか―新しい倫理学のために (新書y (010)): 小浜 逸郎: 本
最大多数の最大幸福は、道徳と立法の基盤である。いかなる法律も自由の侵害である。ジェレミ・ベンサム
多数者の利己主義 vs 民主主義 衝撃的な引揚げ体験を目にして
「みんなのためだ、行ってくれ」
人生の大きな目標のため、日常のどうでもいいことは中庸。デカルト
公益目的でなければ、他人に関する思いで君の余生を消耗してしまうな
[権内][権外][分限自覚][エピクテートス]意志の力でどうにもならない物事
相手を黙らせたからといって、相手の意見を変えさせたわけではない。
相手を黙らせたからといって、その人を説得できたわけではない。
ジョン・モーリー
沈黙を守ってバカではないかと思われる方が、
あれこれ喋ってその疑惑を晴らすよりましだ。Better to remain silent and be thought a fool than to speak out and remove all doubt.
Abraham Lincoln
馬鹿をさらけ出すよりは黙っていて馬鹿だと思われる方がましである。
キングスレイ・ウォード
世の中で成功を収めるには、
馬鹿のように見せかけ、利口に活動することである。
「なんとなく」を可視化し、「変えられるもの」に集中する - 点と点をつなぐためのメモ - connecting the dots
[ロバ売りの親子][粉屋と息子とロバ]粉挽きとその息子と驢馬
[アローの不可能性定理][民主主義][じゃんけん][trade-off]
[最大多数の最大幸福][ジェレミ・ベンサム][全体主義][ファシズム][ナチズム]
「監視カメラ」と「防犯カメラ」とは、全く同じものを指している。どちらの語を使用するかは、本人のイデオロギーによって決めることである。
実際のカメラはどちらなのかを議論することには意味がない。
相手を黙らせたからといって、相手の意見を変えさせたわけではない。
相手を黙らせたからといって、その人を説得できたわけではない。
ジョン・モーリー
チャーチル「日本にこれほどの力があったのならもっと早くいってほしかった。日本人は外交を知らない」 : メカAG
チャーチルの『第二次世界大戦回顧録』のなかにこんなことが書いてある。
日本人は無理な要求をしても怒らず、反論もしない。笑みを浮かべて要求を呑んでくれる。
しかし、これでは困る。反論する相手を捩じ伏せてこそ政治家としての点数があがるのに、それができない。
それでもう一度無理難題を要求すると、またこれも呑んでくれる。
すると議会は、いままで以上の要求をしろという。
無理を承知で要求してみると、今度は、笑みを浮かべていた日本人はまったく別の顔になって、
「これほどこちらが譲歩しているのに、そんなことをいうとは、あなたは話の分からない人だ。ことここにいたっては、刺し違えるしかない」といって突っかかってくる。
人生の大きな目標のため、日常のどうでもいいことは中庸。デカルト
[ロバ売りの親子][粉屋と息子とロバ]粉挽きとその息子と驢馬
言葉でも文章でも相手がわからなければ何にもならないんだもの
五島昇
[思想][頭脳][論文][卒論]多量の思想を少量の言葉に収める。
多数の者に人気のあるほうが善いというふうにはならない。セネカ
何度も止められましたが、そのたびに時計や万年筆などの貴重品を渡して、見逃してもらっていました。
それがここでは女を出せと言われた。これは本当に困りましたね。
リーダー役の人物が土下座して「みんなのためだ、行ってくれ」と頼んだ。
そうやって女性を送り出していった人間が、生きのびて帰ってきたわけですから。
404 Blog Not Found:結局自己責任が一番安上がり
同じ仕事を日本人なら月20万円、中国人なら月1万円が相場とする。
搾取者は日本人をクビにして中国人を採用し、その際に他の会社と競争力を持たせるために、月2万円を中国人に払うとする。
この時点で、搾取者は月18万円の得。中国人は2万円の得、日本人は20万円の損。
泣く者は一人、笑う者は二人。合計金額は変わらないのに、この方が笑う者が増えている。
人生の大きな目標のため、日常のどうでもいいことは中庸を決め込むのは正しい
大事を小事の犠牲にしてはならない。
小事省事
議論したり反駁したりしているうちには、相手に勝つようなこともあるだろう。
しかし、それはむなしい勝利だ―相手の好意は絶対に勝ち得られないのだから。
われわれは喧嘩口論に近付いてはならぬ。
これらのことからは足を遠ざけねばならない。
無知な人々のするこのようなことは、何にせよ無視されねばならない
(このようなことは無知な人でなければすることは出来ない)。
そして
大衆がする尊敬と侮辱とは、どのみち大同小異と見なされねばならぬ。
われわれはこちら〔侮辱〕に腹を立ててもいけないし、あちら〔尊敬〕を喜んでもいけない。
くだらない質問には答えぬがよい。
ろくな答えのできないものには、問いかけぬがよい。
くだらない話には耳をかさぬがよい。
あげ足をとるような相手とは議論せぬがよい。
道をふんで訪れるものとだけ交際して、礼儀しらずは相手にせぬことだ。
荀子
争気ある者とは与(とも)に弁ずる勿れ。
荀子
やたらに人と争い競う性質の者とは
事の是非を語り合うことはしないほうがよい。
君子(くんし)は三端を避(さ)く
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ymScott 社会, 思考 ディベートってのは「自分ですら本気にしていない事を詭弁を駆使して観客に納得させるゲーム」のことだろ。
何でそんな詐欺技術を教育しなきゃいけないのか未だに解らない。
ディスカッションをこそ学ばせるべき。
もし議論に勝ったとせよ、
相手の名誉をうばうだけのことである。
通常、人間は議論に負けても
自分の所論や生き方は変えぬ生きものだし、
負けたあと持つのは負けた恨みだけである
どの港に入るのか分からなければ、どの風も追い風にはならない。
404 Blog Not Found:ΔxΔp≧h/4π(が欲しかった) - 書評 - そして世界に不確定性がもたらされた
Amazon.co.jp: 99・9%は仮説 思いこみで判断しないための考え方 (光文社新書): 竹内 薫: 本
トレードオフ 最も賢いクマと最も愚かな観光客の知能レベルは、ほぼ一致する。トレードオフ(Trade Off)
安全と利便性
リスクとリターン
一長一短
ケースバイケース
例外
論理飛躍
擬似相関
シンプソンのパラドックス: 集団を2つに分けた場合にある仮説が成り立っても、集団全体では正反対の仮説が成立することがある。
「自分の無知」を盾にして、「知ったかぶりをする相手の無知をさらけ出す」
自分の批判対象の主張を徹底的に賛美してみせ、
その論理を極限まで押し進めることによって
【処世術】馬鹿のように見せかけ、利口に活動すること【処世訓】
相手を自分の好みに変えようと思うことは相手の人格を無視した行為。
人々が自分に調和してくれるように望むのは非常に愚かだ。ゲーテ
[ロバ売りの親子][粉屋と息子とロバ]粉挽きとその息子と驢馬
浴場での出来事、つまり湯をはねかける者、押す者、罵る者、盗む者
[悪口][陰口][告げ口][お世辞][心にもない言葉]ねたみ・批判にあった時
どんな馬鹿でも、あらを探したり、難癖をつけたり、苦情を言ったりできる・・・
そしてたいていの馬鹿がそれをやる。
自分の行いが馬鹿げている人に限って、
真っ先に他人を中傷する。
中傷誹謗に対する最善の返答、
それは黙々と自己の義務を守ることである。
ジョージ・ワシントン 米国初代大統領
沈黙を守ってバカではないかと思われる方が、
あれこれ喋ってその疑惑を晴らすよりましだ。
アフガニスタンの諺
相手を黙らせたからといって、相手の意見を変えさせたわけではない。
相手を黙らせたからといって、その人を説得できたわけではない。
ジョン・モーリー
徳をもって人を支配する者は王たり。
力をもって人を支配するものは弱く、
富をもって人を支配する者は貧し。
筍子
一般に人間は犬に似ている。
他の犬が遠くで吠えるのを聞いて、自分も吠える。
人間、どんな滑稽なものでも、世界観を壊すような意見に対しては必死に抵抗したり、必要以上に嫌悪感を示したりするものだよ。あれだけ大規模に人々を熱狂と恐怖とに駆り立て、再興そして破滅に導いたヒトラー大先生も言っておられることだけれど、異なる世界観同士が折り合いを付けるよりは潰し合う方を選ぶっていうことはしばしば見られる。
宗教なんかにおいて、これは顕著。
一々うるさいから黙ってもらうために言ったんだけど、「世界を創ったのが神なら、誰がどんな捏造加えてるかもわからない聖書なんかより、今見ることの出来る、神の創った世界の秩序をこそ信じるべきじゃないの?」(言った言葉それ自体なんて憶えていないので枝葉末葉部分はかなり改変)って。そしたら、すっげー嫌そうな顔したのね。当たり前だけど。
http://anond.hatelabo.jp/20070325183828
きゃー!ヒトラー!とかで済ませちゃうのもどうかと思うので、考えてみた。
まず、大きな問題があって、強い、弱いというものはそんなに明確な基準があるものじゃない。
何が、何に対してどう強いのか。また、それを誰がどうやって決めるのか。『多様性』を保つということこそ強さだという考えもある。
つまり、『今』は役に立たない『弱さ』であったとしても、『将来』役に立つ『強さ』というものは残しておくべきだ、みたいなね。
もう一つ。
自分が弱者認定されたとき、死ねるのか。たとえば、人は必ず老いる。
一般的な生産力・創造性といわれるものはいつか自分から失われる。
そうなったとき、他人の生産力・創造性の余剰分で喰っていかねばならなくなったとき、
あなたは、死ねますか?また、自身が死ぬことが良いという価値観を持てますか?
2.妥当だとして、自分はそれに従えるのか。
なかなか、面白い問題ではあるよね。では、次のかたどうぞ。
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http://anond.hatelabo.jp/20070325215243
そんなこと書かれたほうがドキドキするよ。
クマー!危ない、危ない。うまそうなエサだったぜ。
今の時代、アニオタでもリア充でも、多くの日本人は漫画にアニメに親しんでいるはずである。にもかかわらず、オタキメェとなってしまうのは何故か?
それはたぶん、思考のベクトルが反対だからである。端的にいうと、以下のとおり。
どうしてこういう差が生まれるのかは、リアルで充実しているか否かという差異にのみ基づいていると考えられる。リアルで充実しない理由は、理想が高すぎるとか、感覚がズレてるとか、キモいとか、まあいろいろあるだろう。ヲタにキモメンが多いのは、まあ仕方ないということがわかっていただけると思う。同時に、オタ=キモメンではないということもわかるだろう。あと、充実しない理由が運勢的なものだったりした場合、脱オタする可能性があるということになるけれど、現実からズレまくってる場合にはたぶんもう戻ってこれない。
ヲタクは、リアルで充実出来ないので、充実できる世界に行きたくて行きたくて仕方が無い。だから、仮想を現実化しようとする。その情熱はミサミサの命削って、自分を危険に晒してまで新世界創ろうとしたライトくんみたいなものである。ただ、彼らの大半はデスノートを持ってないから、行動出来ない。ライトくんはデスノ持つまでは殺しなんてしなかったし。
逆にリア充はリアルで充実してるので、そんなものは求めない。むしろ、新しく開けた世界である仮想世界にあっても現実のように充実出来るよう、現実をそこに投射する。ただ、仮想世界の出来は現在あまりにもお粗末なので、現実で張り切っちゃった方が得だし、それほど情熱的にはならない。
そう、これは戦争なのだ。リア充とヲタクとの、現実と仮想との戦争なのだ。まだまだ現実派が優勢とはいえ、日本は仮想派の大いなる砦である。「超人を生み出す実験場は東方」(ヒトラー)。そう、日本とは、人間が新たに獲得した、この広大な仮想世界の支配権……ひいては現実の統治手段を巡る闘争の場なのだ。
ネタでごめんなさい。
追記(20070313):仮想で楽しもうと楽しんでるのは現実なので、そういう意味ではヲタもリア充と似たようなものだと思ってます。あと、世界観に関係しない、スキーとかと同列での趣味のおたくは考慮してませんので悪しからず。ヲタ的にはスキーはオタ趣味の代替にはならない(あっちの世界でスキーすればいいじゃない)と考えてますので。
http://anond.hatelabo.jp/20070222010715
ロボット人間たちのほうは、それに従って生きるだけだ。これはある意味では気楽な身分だ。戦争も気候も経済も、神人たちによって制御されてしまうので、ロボット人間たちは神人たちの認める限度で、多くのものを与えられる。食物と住居も、職業も娯楽も恋愛も教育も、時には思想さえも与えられる。
ただロボット人間たちは、与えられ、操られていることを意識できないようになる。自分たちの意識では、何もかも自分で選択して勝手に生きているのだと思う。しかし、じつは神人たちがすべてを見通して、管理工場の『家畜』のように彼らを育て飼うことになるのだ。
便利なものは急速に広まる。急速に広まり、それがある一定の水準を超えたとき、それは必需品となる。必需品になってしまえば、それを用いるのが当然となる。便利さは増さない。増えたはずの余裕は、何か別の時間に当てるべきものとされてしまう。ただ束縛される。捨てることは許されない。その社会では、それを捨てては生きていけない。しかし、それに束縛される限りは、自由に振る舞える。籠の中では自由に飛べる。
そしてまた新たな枷が――
世界が童貞キモヲタで溢れてたらいがみ合いなんか起こらないのにな。
本当にイケメンや女は公害だよ。彼等・彼女たちは一人一人がヒトラーなんだよな。衆愚煽りすぎ。
童貞キモヲタが連合軍ぐらい力持ってれば世界は平和になるのにな。
例えるならば童貞キモヲタは偶像崇拝をしてる信者で。イケメンや女はそれを良しとしない過激派だよな。
街中にモテるだの勝ち組だのビラばら撒いてさ、歩く広告塔までどんどん排出してさ、テレビまで流してさ、これは戦争だよ。
なんて酷い街なんだろう、東京は。
この街に国連が全く介入してこないなんて間違ってるよ。第3世界の恵まれた人たちは俺たちを助ける活動をすべき。
ここでは人権侵害なんて当たり前だよ。日常なんだ。チェチェンなんて比じゃないよ。
俺たちは独立しようってんじゃないんだ、ただ普通に生活したいだけなんだ。それなのにあいつら、俺たちを無いものとして扱いやがる。
どこが日本は平和だよ、全世界でもっとも過酷な世界だよここは。自宅から出れば、道を練り歩くストリートギャングたちが俺たちのアイデンティティを奪い丸裸にしていく。
これのどこが平和な街なんだよ。いかれてるよ。
ヨハネスブルグなんて目じゃないよ、渋谷や原宿、表参道に行ってごらん、俺の方が凄いだろ、いやいや私の方が勝ってるわ!なんてギャング同士の抗争が勃発してる。
武装もせずに街を歩いたら囲まれてタコ殴りだ。
警察や人権団体の眼は節穴なんだよ、この街じゃ本当に誰も助けちゃくれない。弱者だろうが、言い訳なんて許されない、外見で何もかも決まる。
「へえ、あんたもナチっていうんだ」っていうのを思いついた。