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お互いに助け合って生きていける信頼できる国だから
日本政府が台湾に提供した新型コロナ用のワクチンを載せた日航機に深々と頭を下げた謝長廷代表=2021年6月4日、成田空港
【台北=矢板明夫】日本の対台湾窓口機関、日本台湾交流協会は18日、台湾人を対象にした対日意識の世論調査結果を公表し、「台湾を除いて最も好きな国」として日本を選んだ人が3年前の前回調査から1ポイント増の60%でトップとなり、過去最高を更新した。
昨年、台湾が新型コロナウイルスのワクチンが不足していたときに、日本がワクチンを提供したことなどが寄与したとみられる。同2位は中国で5%。3位は米国で4%だった。
「台湾が最も親しくすべき国」との質問でも、日本が46%で1位、米国は2位で24%、中国は3位で15%だった。前回調査では日本(37%)、中国(31%)、米国(15%)の順番だった。中国が頻繁に台湾の防空識別圏(ADIZ)に軍機を進入させるなど軍事的圧力を強めてきたことや、米国が台湾への支援や関係強化を図ってきたことで米中の順位が逆転したとみられる。
一方、「台湾に最も影響を与えている国」は米国が58%で1位。前回1位だった中国は20ポイント減の25%で2位となり、日本は2ポイント減の13%で前回と同じく3位だった。
調査は台湾の民間調査機関に委託され、1月5日から同20日にかけてインターネットと電話で行われた。台湾に住む20歳から80歳までの1068人の男女を対象とした。
2021/6/13 10:07
6月13日付産経新聞に掲載された、ワクチン提供に感謝を伝える広告
13日付の産経新聞に「ありがとう日本!」などと題した2枚の全面広告が掲載された。新型コロナウイルスワクチン124万回分を台湾に無償提供した日本政府と国民に対し、感謝の気持ちを伝えるため、約130の台湾系企業、団体などが共同出資して掲載されたものだ。
「台湾人有志一同」と署名された一枚の広告は、「患難見真情」(まさかの時の友こそ真の友)ということわざを引用し、台湾が困っていたときに迅速に救いの手を差し伸べた日本に対し、台湾民衆の素直な感謝や、コロナ禍の後、日本の友人と早く再会したい気持ちが込められているという。
金融機関の聯邦銀行グループ、大手紙、自由時報グループ、総合不動産企業、瓏山林グループが協賛した。聯邦銀行の林鴻聯頭取は「ワクチンを提供してくれたことに対し、私たち台湾人は本当にありがたく思っている事を日本の皆さんに知ってほしい」と思いを語った。
6月13日付産経新聞に掲載された、ワクチン提供に感謝を伝える広告
6月13日付産経新聞に掲載された、ワクチン提供に感謝を伝える広告
一方、台湾を代表する動物「黒熊」が登場する2枚目の「感謝」の広告は、財団法人、台湾伝統基金会の呼びかけに応じ、わずか4日で126社の企業や団体が集まった。IT企業、証券会社、病院、学術団体、スポーツ関連団体など業種は多岐にわたり、日本や米国の台湾系企業、団体も複数参加した。
これらの企業と団体は、今回の広告を通じて、ワクチン提供への感謝とともに、これからも日本と友好関係を推進したい気持ちを日本の読者に伝えようとしているという。(台北 矢板明夫)
https://www.sankei.com/article/20210613-KMKLKJWFKZIIZE3UBHQCMFPXCU/
なんか色々と混乱してて何から整理していいのかわからないから、書き出してみることにした。
私は1992年生まれの17歳(大学受験生)で、父が死んだのが1996年で3歳の時。今は2010年だから、14年経ってる。
父に関する記憶は、ほとんど無い。あるとしても、棺が焼却炉に入っていく場面しかもう覚えていない。
17年間生きてきて、母から父については何も教えてくれなかった。「3歳の時に事故で死んだ」くらい。
だから私は周囲の人が「父はこういう人だったんだよ」と言ってくれるのを頼りに、自分なりの父親像を描いていた。
きっと父がいたら、こうしているだろうな、とか。父さえいれば、とか思ってた。
そんなこんなで今日2010年7月、私が家の掃除をしていたら、いつも閉まっているはずの金庫が開いていた。
母が書類を持ってどこかへ急ぎ足へ行ったことから、急いでいて鍵を閉めるのを忘れていたんだと思う。
私は興味本位でその金庫を覗いた。するとそこには、家の契約書?とか保険?の書類とか、そういうのがいっぱいあった。
なんだつまんないと思いながら見ていくと、埃がかぶっている分厚い真っ黒のファイルを見つけた。
すると、父に関する書類がたくさん出てきた。遺産相続、和解契約書、戸籍、新聞の切り抜き、資格の何か免許書?、献血の賞状、弔辞…
見るのが怖いと思いつつ、開けちゃったから見ちゃおうという好奇心から、全部読んだ。
それが間違いだったのかもしれないと今思ってる。
父は××運輸で働いていたらしい。色々な資格の証明書があった。どんだけだよ。
父は献血が好きだったようだった。表彰状があった。126回ってどんだけだよ。
父は学生時代から行動派だったようだ。毎週キャンプとかどんだけだよ。
そこには私が教えてもらった父と、知らない父とがいて、とても面白かった。
生きていればよかったのにって思った。
父の死因が明確に記載されていた書類を見つけた。
「平成8年×月×日、××町にて、ブームを倒して駐車中の40tクローラークレーンのオペレーターが、10tトラックで入荷してきた止水矢板を卸すため、ブームを約33度に上げたうえで、40tクローラークレーンを約7m前進し停車したところ、その反動で主巻ボットンブロックをフットピン部に固定してあった台付ワイヤーが切断し、ボットンブロックが前方にふられて、荷姿の写真を撮影中の故 父の名前 氏に当たり、同氏は午前8時10分頃死亡した。」
はっきり言って、これの意味が全く理解できなかった。でも、次の新聞記事で少し理解した。
「作業を始める前に、クレーンの重さ約三百五十㌔のフックが、近くにいた父の後頭部を直撃、父は脳挫傷で即死した。警察の調べによると、クレーンの運転手が、フックを固定していたワイヤを外さずにアームを上げようとしたため、ワイヤが切れ、反動でフックが振り子のように動いて、約五㍍離れたところで作業報告用の写真撮影をしていた父に当たった。父はヘルメットを着用していたが、フックがぶつかった際、はね飛ばされたという。」
この時昔の記憶が一気に戻ってきた。そういえば小さい頃おばさんが、
「病院に運ばれたけど、目が開いたままで植物状態だったんだって。もう植物状態でもいいから生きてほしいってあの時は思ったよ。朝の5時に出勤して8時に死んだんだって、気の毒にね。」
みたいなことを私に話してくれたのを思い出した。
なんかもう、今まで父のことをそんなに考えていなかったのに、これ読んだ瞬間涙が止まらなかった。よくわからない感情が頭の中を動き回ってた。
少しだけ、クレーンの運転手を憎んだ。あんたさえいなければ父は生きていたのにって、その時は思った。今は思わないようにしてるけど。
戸籍を見つけた。父のものだった。私の名前、母の名前が載っていた。でもそれとは別に、違う人の名前も載っていた。
戸籍によれば、父はバツイチだった。しかも私の5歳年上の長男もいるようだ。
自業自得で自分勝手だと言われれば否定はできないけれど、小さいころから信じていたものが一気に崩れていった気がした。
しかも、年金手帳を見ると、母の名字も今と旧姓とは異なるものが書かれてあった。母の戸籍はなかったけれど、母もバツイチなのかもしれない。
遺産相続の書類には、私の名前と母の名前、長男の名前とその母の名前、そして住所が書かれてあった。
父が働いていた会社のお偉いさんの名前も沢山書いてあった。住所も。
金庫の隅にA4の黄色い紙が、綺麗に折られてた。開いてみたら、赤いペンで絵が描いてあった。
私はすぐにわかった。これは3歳だった私が、人から「父は頭を怪我して死んだんだよ」と伝えられた言葉を頼りに描いた父の絵だった。
あの頃の私は、何を思ってこれを描いたんだろう。
頭から血が流れている父の姿は、どうやって想像したのだろう。
なんかもう、よくわからなくなった。
何をしていいのかわからなくなった。
何をすればいいのかわからなくなった。
私はこれから、どうすればいいですか。
この記事を書いた増田です。
いきなりですが長文すみません。
この間吐き出すだけ吐き出してからずっと椅子に座って、ぼーっとしてました。
今ブクマ見たら凄いことなってて驚きました。ありがとうございます。
色々なことを考えました。殺した相手を復讐するか、血のつながる兄に会いにいくか、もっとたくさんの情報を仕入れるか、
家族とは何か、父とは何か、一番良い死に方とは何か、片親であることは悪いことか、などなど。
自分の中で答えが見えないものを、ただひたすら探し回ってました。答えなんか出る訳なく、殆ど眠らぬまま今を迎えました。
でもブコメを見て考えていくうちに、ほんの少しだけ理解できるようになりました。
一方的に受け取るのは申し訳ないと思ったので、少しですが答えさせて下さい。
■何で増田に書いたのか■
恋人や友達にいきなりこんな話したってどうしていいのかわからなくなるだろうし、
母や親族に直接聞ける話題でも無いし、そうなると人間で話を聞いてくれる人は私の周囲にいません。
Twitterだと連投は嫌がられるし、元々そのようなツールではないし、ブログなんて持ってないし、mixiやってないし、
一番の理由は、身元を知られずに誰かに聞いてほしかったからです。匿名性があるから、私が誰かわからないと思います、多分。
■「普通に」生きればいい■
逆に普通って何ですか?
だってごく一般的な、両親が揃った家庭を普通とするならば、私は3歳から異常なわけで、
異常な私がすることって普通とは言い難いのではないかと思います。
今回の件を水に流して忘れて生きるというのが普通ならば、そもそも水に流そうと思っている時点で人とは違います。
普通に生きることって簡単なようですごく難しいです、今の私にはさっぱりわからない。
多分、世の中から父の存在を消せば、普通になるのかもしれませんが、それは無理なので一生普通には生きられません。
■何故父に不満を持つのかわからない■
私は小さい頃から父の人柄や評判を積み上げてきました。
それはみんないいことばかりだったので、私にとって完璧な父が頭の中にいました。
だから今回離婚歴があると知って、ショックでした。
私の思っていた父とは違う、と思いました。まあ、私が勝手に妄想していただけの自業自得ですが。
街中で父母子が手を繋いで歩いているのを見て、ああいうのが本来の家族であって、父さえいれば私もああだったと思ったこともありました。
でも今回の件で気づいたことは、愛が移動することで、笑顔の場所が変わるということです。
だって離婚する前は、違う人たちにその笑顔を振りまいていた訳です。
そう考えると、なんか、納得いかないというか、すみません上手く表現できないです。
母とはあまり話しません。性格が180度違うのに自己主張が強い為、話す度にぶつかり合います。
私が遅れてきた反抗期というのも少し関係しているかもしれませんが。母の口から父の話を聞いたことはありません。
母は父が死んでから高血圧になり、ちょっとしたことで倒れるようになったそうです。
だからもし私が父の話をしたら、母は具合を悪くするかもしれません。
もうこの話題はタブーなのかなと思って、父に関することは他の人に聞くようになりました。
これ以上仲良くしようとも思わないし、仲悪くしようとも思いません。
■また悩んだら増田に書けばよい■
もう増田に書きません。なぜならここは悩み相談をする場所では無いからです。
なので今回私が一方的に思ったことを吐き出したことに罪悪感を感じています。
不快に感じられた方もいるようで、本当にごめんなさい。
ですがブコメを読んでいくにあたり、少しずつ整理していこうと思うようになりました。
おそらく多くの人はこれを見ないと思いますが、私はどうしてもお礼を伝えたかったのです。
こんな風にしか伝えられませんがお許し下さい。
誰特?
矢板インターチェンジ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%A2%E6%9D%BF%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%81%E3%82%A7%E3%83%B3%E3%82%B8
福島トンネル http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A6%8F%E5%B3%B6%E3%83%88%E3%83%B3%E3%83%8D%E3%83%AB
白石インターチェンジ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BD%E7%9F%B3%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%81%E3%82%A7%E3%83%B3%E3%82%B8
花園インターチェンジ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8A%B1%E5%9C%92%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%81%E3%82%A7%E3%83%B3%E3%82%B8
小仏トンネル http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E4%BB%8F%E3%83%88%E3%83%B3%E3%83%8D%E3%83%AB
大和トンネル http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%92%8C%E3%83%88%E3%83%B3%E3%83%8D%E3%83%AB
沼津インターチェンジ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%BC%E6%B4%A5%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%81%E3%82%A7%E3%83%B3%E3%82%B8
富士川サービスエリア http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%8C%E5%A3%AB%E5%B7%9D%E3%82%B5%E3%83%BC%E3%83%93%E3%82%B9%E3%82%A8%E3%83%AA%E3%82%A2
岡崎インターチェンジ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%A1%E5%B4%8E%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%81%E3%82%A7%E3%83%B3%E3%82%B8
瀬田東ジャンクション http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%80%AC%E7%94%B0%E6%9D%B1%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3
米原ジャンクション http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B1%B3%E5%8E%9F%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3
四日市インターチェンジ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%9B%E6%97%A5%E5%B8%82%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%81%E3%82%A7%E3%83%B3%E3%82%B8_(%E4%B8%89%E9%87%8D%E7%9C%8C)
長峰トンネル http://www.w-nexco.co.jp/local_event/kansai/topic/h21/0204/
宝塚西トンネル http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%9D%E5%A1%9A%E6%9D%B1%E3%83%BB%E5%AE%9D%E5%A1%9A%E8%A5%BF%E3%83%88%E3%83%B3%E3%83%8D%E3%83%AB
大坂トンネル http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E6%9D%BE%E8%87%AA%E5%8B%95%E8%BB%8A%E9%81%93#.E6.A6.82.E8.A6.81