はてなキーワード: 大袈裟とは
1984年、高校2年生の時、A子さんは「友人の家に行きたいのだけど、道が分からなくなって」と米兵に話しかけられた。気の毒にと思って車に近づいたところ、後に隠れていた別の米兵が出てきて首にナイフを突きつけ「殺すぞ」と脅した。恐怖に震えている内に近くの公園に連れていかれ、3人に代わる代わるレイプされた。
>>「女性を強姦するのは紳士として恥ずべきだが、強姦する体力が無いのは男として恥ずかしい」などと、文化庁!長官として「紳士」にあるまじき暴言を吐いているし、自民党議員の太田誠一も「集団レイプする人は元気があって正常に近い」と発言して落選(その後バブル選挙で復活当選)した。
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女性諸君!ゆめゆめ同情したり親切にしたりしてはいけませんよ。世間ではそれを「しつけがなってない」と言って、あなた方を非難(バッシング)するのですから・
http://blogs.yahoo.co.jp/pen_tsuyoshi/15998782.html
少し前、「女性が目の前で転んだのにだれも手を貸さなかった」と男性記者が書いたものにたいして、何故か意味のよくわからない女性バッシング「助けたら痴漢扱いされるだろビッチ!!」「女は痴漢冤罪ばっかしてるんだから誰ももう助けねーよ」がかなりの数あったけど、もうそれ以前に女性の方が親切にしたくないよ。コンクリ事件だって親切にしたら…ってやつだった。本当、この記事の通り(最後のは厭味だろうけど)、助けたらこんなことされた上「女も悪い」とされる世の中。嫌になる。っていうと「イスラムよりマシだからいいじゃん」とか、男は無責任に言うんだよ(実際言ってた奴がいた)。呆れて物も言えないとはまさにこのこと。
こんな事に遭いかねないってだけで女性に生まれてきて本当嫌になる。
っていうと大袈裟だと同性からも笑われるけど。
笑ってるのって、単に現実を軽視してるだけなんじゃないの?見てみぬフリしてるだけなんじゃないの?
全員がそんなことする人ではないなんてこた分かってるが、そういう犯罪者だけ見抜けるのかっていったら見抜けないんだから、全員がそうじゃないといわれた所で正直あまり意味はない。だから何だという話で。こっちからしてみれば多くの男性の誰が危険人物か分からないのだから。
本気で嫌になる。こんな心配しなきゃいけないのも嫌になるよ。自衛しなきゃいけないのも。男だったらそんな事せずに済むのに。
気持ちが悪い。
性犯罪の刑はなんだかんだ全然軽いし。
反吐が出る。
別に生理とかはたいした問題じゃない。
女に生まれて一番何が嫌になるかって結局は性犯罪だよ。
その割にまーだ議員やら文化庁長官やらがバカ言っていたり犯人はすぐ出所するわ
こういうのを見る度生きるのが嫌になって仕方ない。
「なんでわざわざそういう主張をするの?」
という事を言う人がときどきいる。
でもそんなこと言われてもな。
主張、ってほど、そもそも大袈裟なものじゃないし……
単純にふと思ったからかいてみた程度の事って結構あるんじゃなかろか?
そう毎度毎度「この主張をした理由はあれこれこうで、こういう思想を世に広めたかったから」とか、そんなんないしな。
「なんでわざわざそういう主張をするの?」とか聞く人も、そもそもなんでそんな事聞くの?なんのために聞くの?って言われたら、「いや、なんとなく、気になったから」ってところじゃないのかな?
例えば「パフューム好きじゃないです」的な主張をした人には「パフュームが好きとかならわかるけど、なんでわざわざ嫌いなんて主張するの?」とか言ったりする人が、一人くらいいる。
大抵「好きじゃないです」とか、「○○を楽しみません(テレビとか)」とか、そういうどちらかといえば否定的なエントリにこういうレスがつく。肯定的なエントリはつかない。でも、別に肯定的だろうが否定的だろうがそんなことは増田に書くきっかけとして、たいして差があるのかね?「好きってんならわかるけどなんでわざわざ嫌いとか表明すんのよ」的な事を言う人はたまにいるんだけど、好きだろうが嫌いだろうがそこはそんなに関係ないだろと。どちらも、たいしてそこまでの理由があるもんじゃないだろうと。強いて言うなら、好きでも嫌いでも、何か書くときってのは、それが「一般的なところからは多かれ少なかれ外れている」と感じているときが多いかなとは思う。「パフュームが異常に好き」とか「なんかはてなで騒いでるけど自分は特に…」とか。「パフューム、別に、好きでも嫌いでもないです」って人は一番書く動機が薄そうではある。
「なんでわざわざ嫌いとか好きじゃないとか主張するの?」って言ってる人の多くはおそらく、「わざわざそんな事主張するってことはほにゃら……(パフューム嫌いな自分は他の人と違ってカコイイですか?wとか、本当は好きなんじゃないの?とか)」という皮肉をこめて言っているんだろうけど、そんな皮肉をこめられても困る。そんな深い意味ないし。
なんか「今日の夕飯に長芋買った」っていっただけで「え?長芋?どうしてわざわざそんなことを……ハッ!もしかしてスタミナをつけるために……ハッ!スタミナをつけてアレな事を旦那さんとするってことね!?その幸せを私にあてつけてるのね!?」くらいまで無駄に深読みされた上で「どうしてわざわざそんなこというのかしらねッ!」とか言われた気分になる。「え?どうしてって、いや別に長芋安かったんで……なんとなく……」という。
確かに公開したのは俺なんで、別に気持ち悪いといわれてもいいけど、
気持ち悪い!と言われたところで俺としては「はあ、そうですか」というだけで特に何もねーんだよな…
そうだな……敢えていうなら、気持ち悪いというたかだか五文字のことをそんな大袈裟に周りもって言うのが、俺からしたら気持ち悪い!
具体的に言うと、凄く保険かけてる感じが気持ち悪い!
ただ「気持ち悪い!」というと「そーいうのよくないと思います」と反論されかねないから、敢えて最初から「気持ち悪いのが普通なんだろうけどね、でもお前が、お前が出したんだから、悪いんだから。俺が言ってもお前がこうやって公開したんだから、気持ち悪いっていわれても、お前はしかたないんだからね??」って保険はりまくりなその臆病さがきめーよ!「気持ち悪い」ってDISり方するくらいならそんな保険はらずにどうどうと正面から「きめえ」と来いやチキン野郎!
お前らさ、いい加減拗ねすぎ。
はっきりいってお前らが「フンだ!どうせ俺なんてアレなんでしょ!」とか拗ねても微塵も可愛くない。ウザいだけ。誰も「もう、何拗ねてるのよ」とか救いの手出してくれないから。いい加減現実みろ。ハリネズミ状態になってるなよ。
「どうせ○○したら、こうなるんだろ」「どうせ○○したらキチガイどもがこういってくる」「どうせ○○したら、俺なんて存在を無視される」「どうせ○○したら、非人間扱いされる」「どうせ○○したら……」
この間スーパーで見たんだよ。お前らにそっくりな奴。
「やだ!チョコ買わなきゃやだ!」
「家にまだお菓子あるでしょ。それがなくなったら買ってあげるから」
「やだっ!どうせ、なくなってもかってくれないんだっ!ずっとお菓子くれないんだ!ウワーン!」
↑お前らこの子供。
まるっきり。
大袈裟。ちょっと今日買ってくれないだけでこの先一生お菓子もらえないとか思い込む子供。お前らは。
子連れお断り→ヒステリーファミリーがギャーギャー騒ぎ出して俺たちの居場所がなくなる!!!(お前ら予言者?)
痴漢よりはるかに件数の少ない痴漢冤罪→もうだめだ!!男であるだけで人生終わりだ!!!!(それを心配するより交通事故心配しろよ)
イケメン美女カップル→どうせ顔なんだ、顔なんだ、俺なんかもう生きてる意味ないんだ!!!
ひたすらウゼぇ。
それ相応のダメージだけくらえよ。
擦り傷一つこさえたくらいで「俺の命ももうあと三日か」的な事を言うのもうやめろ。
それはお前らなりのハリネズミ型自己防衛なんだろうが、はっきりいって不毛。そんなことし続けてもお前らの人生よくならないし、俺ら的にも迷惑。何一ついいことない。
いい加減お前らもいい年なんだからさ。
あったことはあるがまま受け止めるくらいしようや。過剰に反応するでもなく、しないでもなく、それ相応の反応をしようや。擦り傷なら擦り傷の反応を。骨折なら骨折の反応をしようや。擦り傷一つで死ぬ!みたいなこというのも、骨折してるのに無駄に頑張って会社くるような真似も、どっちも「バカ」なだけなんだよ。いい加減そのことに気付かないか?
お前らみたいな「拗ね」なんて、誰も受けいれてくれねーから。いっておくけど。
漫画の中で可愛い子が「どうせ私なんておっぱい大きくないから!男は皆おっぱい大きいのが好きなんでしょ!」っていうのくらいだから。受け入れられるのは。
リアルの、それも大の大人の「拗ね」ほど厄介なもんってねーわ。
お前らちっとは成長せえよ?ちょっと精神年齢が子供すぎだろ…。「拗ねる」なんて普通12歳くらいでクリアしてる事柄だろうに……
いやいや、それどころか養育費を払わなければならない男のうち85%の男は養育費を払っていません。
平気で「男はなんとなくでいいんだよ」とかいってる無責任さに呆れるけど、ある意味それがリアルなとこなんだろうな。
実際、男はその程度しか覚悟していないし、責任感も持ってない。
最後の最後まで(一生涯じゃなくて子が無事育つまで)、子供を背負うって気がない。気がないというか、考えてない。
途中でダメそうになっても、増田の言う通り、今の日本の男はさっさと離婚すればそれで済むからね。
養育費なんて85%が払わずに、催促されても無視し続けてなんとかなってしまう世の中だから。
そりゃ男が責任感なんて持つわけないっすわー。
「なんとなく」で子供持つわけっすわー。
どうせ産む途中で不備があっても、男の身体にゃ一つの傷もつかないしねー。
別に離婚したところで、子供のためにキャリアに傷がつくとかないから(その辺りのしわよせは日本の場合ほとんど妻にいくから、妻はキャリアに傷ついたりする人がほとんどだけどー)、そのまま仕事続けりゃいいだけだしねー。
つまり日本の男はいざとなれば子と妻まるごと捨てて今までどおりの生活が簡単に出来るようになっているのですねー。
そんでまた若い女をひっかけて結婚してみたりもできますしね!子供いないから。完全フリーですから。
いやぁ日本の男はいいですねぇ!
そして増える貧乏シングルマザーに、「こんなんで生めるかよ」と脱退していく女たち!
そりゃ終わるわな、日本。
これ大袈裟な話じゃないから困るよ。
●彼女に細やかな気遣いができる。
●彼女だけを一途に愛することができる。
●彼女の髪型が変わったことにすぐ気付き、誉めることができる。
●彼女の起承転結がない面白くない話を、うなずきながら聞くことができる。
●彼女がセクロスを拒んでも、「この子は昔セクロスで嫌な思いをしたことがあるのかもしれないな。何も言わずに優しく抱きしめてあげよう。」
だがちょっと待って欲しい。かなりこのエントリには意図的なものを感じる。
●彼女に細やかな気遣いができる。
●彼女の髪型が変わったことにすぐ気付き、誉めることができる。
まあここは「ありえん」人材かもしれない(てーか、これらは全部、「男が思う、女が男に求めていること」であって、「女が求めていること」じゃないと思うけど。この両者ってまるで違うのに、男は後者は信用せず前者を信用するよな。なぜか。)
●彼女だけを一途に愛することができる。
●彼女がセクロスを拒んでも、「この子は昔セクロスで嫌な思いをしたことがあるのかもしれないな。何も言わずに優しく抱きしめてあげよう。」
しかしこれらはどうなのか?さりげなく混ぜてあるが、これらは恋愛云々以前に人としてレベルの話ではないのか?
・まず一番上から、付き合うならばそりゃ浮気などせず一途を求めるのが現代日本では一般的で、さして「こんなの女の幻想!」とかいう話ではないと思うのだが。実際男だって女が浮気した等のエントリ見たら「ビッチビッチ!」とうるさいではないか?基本的にたいていの人は彼女彼氏に一途を求めている(浮気を求めていない)。
・そして次だ。これは生理云々とかくからいかにもフェミニストな(本来の意味でなく、なんか世間一般で通ってるイメージ的な意味で)男のふるまいといった感じだが、別に生理だろうが生理じゃなかろうが風邪だろうが下痢痛だろうが、知り合いが苦しがっていたら労わるのが普通だろう。これは恋愛以前の話であると思うのだが……友達が「うぅうう腹がいてぇ、いてぇよおお」とかいってても「フーン。で?」とかいう態度とる奴ぁいねーだろ。「え、大丈夫?」くらい言うだろ。
・そして最後。これが一番酷いのだが……セクロスを拒んでもチンコ挿入せず我慢することができる。……って、いや。我慢できなかったら犯罪なのですが?デートレイプってご存知ない?彼女が拒んだら、つまり、合意が無い、ということですから、もちろんセックスはできません。したり顔で「我慢することがデキル!」じゃねえって。それって「本屋へいって、ほしい本があっても、店員のことをおもって、盗むことを我慢することができる。」とか「ムカつくやつがいても、そいつの両親のことをおもって、殺すことを我慢することができる。」とか言ってるのと同じなんですが……。
それが「理想」?はぁあ?
これを「女子の理想像」として掲げて、その反対はこれだよ、なんて男子の理想像掲げるところに意図的な物を感じるね。全然違うもの。一方は犯罪を我慢することや、人間として当然だろレベルのことが折りまぜてある自称「リソウゾウ」で、他方はこりゃほんとたんなる「妄想像」だもんw
それとこれとを「このふたつ、反転してるだけで同じコトデスヨー」って一緒くたにするのは卑怯だね。あるいは意図的にやったのでないなら単なるバカ。なにが「うわーやだやだ」だよ。そりゃやだよそんなのwこれは比較対象として全然対等ではない。
セクロスは強要しない……ってだからそれ犯罪だから。「尽くすだけ尽くしてくれるけど殺人はしない……」とかいってるようなものだから。何を言っちゃってるんだこの人は?
あと個人的に気になるのはさ
●彼女に細やかな気遣いができる。
細やかな気遣いって何だよ。具体的に。曖昧も曖昧すぎて、ほとんど意味のない言葉じゃないか?これ。「優しい人」並に。
●彼女の髪型が変わったことにすぐ気付き、誉めることができる。
こんなん、別にしてくれんでもいい。けど、気になるのは、こんなことって、具体的に考えてみると、数ヶ月に一度、褒める言葉を数秒発するだけのアクションでしょ?こんなわざわざ一行にして書くようなことか?なんか「なんと、彼女の髪型がかわったらほめることができるんです!!」てな感じで誇らしげに一行使っちゃってるが、「好きなweb漫画サイトが数ヶ月に一度更新をしたら、拍手ツールを一回押してあげることができる」以上の大袈裟ぶりを感じてしまうんだけど……
「別に必ずしなきゃならんことでもないが、んなことくらいで威張るなやw」っていう。
もー耳タコだよ。ハイハイ、女の話は非論理的でつまらなくて愚痴ばかりと。一生言ってろ。そういう話を聞かされるこっちの身にもなれ(笑)
てかさ。こうやって一方だけ切り取るなよ。会話って一人でするもんじゃないんだよ。二人でするもんなんだよ。彼女が話すときもありゃ彼氏が話すときもある。お互い様だろうが。なんでそれを「女の話を聞いてあげるボクチン」って一方だけ切り取るのか。「男の話を聞いてあげるワタシ」「盛り上がるワレワレ」とかいろいろあるわけで。そら、色々ある会話の中で、「自分が相手にしてやること」だけを切り抜きゃ、男が貢献してるように見えるわな。こんなん単なるレトリックじゃん。
てーかそもそもこれも彼彼女以前に、人が話してる時って基本聞くだろ。いやもちろん知らない人の話は聞かんけど。それなりに親しい人の話だったら聞くだろ。「なにそれ、聞いててもつまらん」つってシャットアウトとか非常識極まりないだろ…JK…ちょっと考えりゃ分かるこった。それをやけに「女の愚かな話につきあってあげるオレサマ」って感じに飾り立てるのは逆にすげーわ。
しっかし、大阪人とかが「話にはオチがないと」とか言ってるの聞くと「話にいちいちそんな笑いとかオチとかつけてらんねーよ」とか言ってたり外人が「日本人は曖昧だよ。論理的じゃないよ」とかいうと「それが日本文化だし」「確かにそうかも」とか縮こまってるくせに、いざ男女論になるとすぐさま「自分達男は起承転結があり面白く論理的な話をします」と猫を被るんだよな。嘘こけ。見栄はるな。あんたらそんなんじゃないだろ、自分をよく思いだせ。自分を美化しすぎだ。
ほんっとウザいな
いい加減男は「男が思った、女ってこんなことを男に求めてるんじゃないかスペシャル」じゃなくて「女が言ってること」を聞けよ。前者に対して女が「え、それちがうよ」といっても「男が思った女ってこんなことを男に求めてるんじゃないかスペシャル」を信用するってもう本末転倒というかなんというか。結局この男たちは、男同士で、男が思う女像を語りたいだけなんじゃないか。「男が思った(以下略」をより支持するのも、男が発案しただけに、そのほうが「きもちいいから」なんだよ。男にとって。「女の面白くない話をきいてやる」とか女性を労わるようで女性差別てんこもりんぐな、一見女性差別とはわからぬ形ですっきり女性差別しまくれるからね。
くっだらねぇ(笑)
私は、漫画が好きなオタクです。今は大学生で女の漫画オタクです。
しかし、BLには興味ありません。寧ろ嫌悪している側の人間です。
最近は腐女子というと女のオタクの意味も表すとされる様子ですが、此処では腐女子は「BLが好きなオタク」という事にします。そっちのほうが分かりやすいからです。
漫画やアニメが大好きで、好きなキャラクターも居ました。友達との会話にもそういった話題がよくでました。典型的なオタクです。
当時は漫画が本当に大好きで、自分でも描いていましたし、将来の夢も一丁前に「漫画家」でした。
結構本気でなろうと思って、少女漫画雑誌に投稿もしました。将来は色んな人に読んでもらえる漫画を沢山描くんだと意気込んでいました。
それぐらい漫画が大好きでした。
しかし、私は「オタク」でしたが「腐女子」ではありませんでした。
少年漫画でよくある、男同士の友情や競い合いにも、変なフィルターをかけず、素直に「友情」として感動していましたし、恋愛も男同士にして楽しむ様な事ことはありませんでした。好きなカップリングもノーマルで、男と女でした。
そもそも私は、男キャラより女キャラの方を好きになるタイプだったので、男同士の世界に興味を示さなかったんだと思います。
BLの存在は知っていましたが「世の中には色んな人が居るんだなぁ」といった感じで、嫌悪したりする様な事はありませんでした。
しかし、高校のクラスメイトに腐女子が居て、彼女に出会って人生が変わりました。
人生と言うと少し大袈裟かもしれませんが、私にとって漫画やアニメはそのぐらい大好きな存在なんです。
彼女は典型的な腐女子でした。男同士に少しでも関係があれば、即BLにして楽しみます。その男キャラに恋人の女キャラが居ても関係ありません。
対象は漫画、アニメといった2次元だけではなく、戦隊ヒーローやアイドルといった3次元でもBLにして楽しみます。
オタクというと、「根暗」「無口」というイメージが定番で、私はどちらかというとこっちに分類されるオタクです。
しかし彼女は、世間一般のオタクのイメージと違い、積極的で明るく、友達も多くて慕われて居ました。学級委員に推薦される程です。
その性格はオタクの話をする時でも変わらないという事が問題でした。
「〇〇(男)は〇〇(男)の事を愛しているんだ!」といった感じでです。勿論話題に出るキャラクターにホモという設定はありません。
他にも「ノーマルは大嫌い!」とか「〇〇(BLのカップリング)は公式なんだ!」とか、学校の休み時間放課後になるとずっと話していました。
彼女はBLを扱うHPを運営していましたので、授業中にこっそりHPにアップするイラストを描いて、昼休みになると私たちに解説しながら見せに来ました。
最初は友達付き合いもあるし、「彼女には彼女の楽しみ方がある」と割り切って話を聞いていました。
しかし、私の好きな男キャラでBL萌えをしたり、私の好きなノーマルのカップリングを否定するような発言をされてから、彼女の話を聞くのが億劫になりました。
女という生き物は、常にグループに分かれて行動します。私はオタクなので彼女と他数名のオタク友達と一緒のグループでした。
他にも腐女子は居ますがどちらかというと無口なタイプだったので、彼女が積極的にBLの萌え話をしていました。
だから、本当に毎日休み時間毎に彼女の話を聞いて居ました。彼女とは帰り道が一緒だったので帰りも彼女の萌え話を聞いて居ました。
しかも私の通っていた高校は、3年間クラス替えが無かったので、最初は遠慮がちだった、BLの萌え話も年々エスカレートしていました。
同人誌を持って来た事もありました。
そして、仲良くなってからは、腐女子友達の輪を広げるんだと、私にBL萌えしろと要求するようになりました。
結局私はそっち方面には行かなかったので、最終的に彼女も諦めていました。
しかし、彼女のBLの萌え話はずっと卒業するまで聞かされていました。
本当に朝から晩まででした。他の子と話していても、結局はいつものグループにまとまるので、彼女か私が学校を休む事が無い以上、彼女のBL萌え話を聞かない日はありませんでした。勿論土日は休みでしたが。
その生活はもはや「洗脳」です。私の交友関係は狭かったですし、休み時間毎に聞かされる彼女の萌え話は、日に日に私の視野を狭くしていきます。
そして、そればかりの生活が続いて行き、私が彼女のBLの萌え話を嫌悪するきっかけが出来ました。
ですが私はBLが好きではありません。好きなカップリングはノーマルです。
しかし、少年漫画の男同士の友情を見ていたら「BL」に見えてくるのです。
特に少年漫画は恋愛より友情を重視する傾向がありますから、友情が多く恋愛はオマケみたいなものです。
そうなると、少年漫画で恋愛をされても「このキャラは〇〇(男)が好きななのに、本当に彼女の事が好きなのか?」と頭の中で疑念が湧きます。
私が好きなカップリングが重視されていた話でも、同様の事が起こります。そのカップリングが大好きでずっとその二人の事を追いかけて読んで居たのに、水を差されたように、私にあった情熱が冷めて行きました。
私の好きな男キャラが出てきても、「〇〇(男)の事が気になるんだな」と思うようになってしまい、素直に「カッコイイ」と思えなくなります。
そうなってくると、私は彼女のBLの萌え話を聞くのが嫌になりました。
しかし、既に形成されてしまったグループを抜ける事は、友達が居なくなる事と等しい行為でした。
なので私は、彼女に「BLの萌え話をするのを止めて欲しい。」と言いました。
けど、彼女は理解してくれませんでした。
彼女のBLの萌え話はいつもと同じ内容で、自分の萌えを周りに言って回りたい性分は変わりません。
それでも私は何回もやめて欲しいと言いました。
そして彼女は「あいつは他人の趣味を理解しない心の狭い奴だ」と言う風な目で私を見てきました。
他のクラスメイトに「あいつは腹黒だ」「悪魔だ」「私の事をいじめて来る」と大きな声で言いました。
彼女は上記で書いた通り、慕われていて学級委員をする程交友関係の広い子で、一方私は友達は少ないし無口で暗い典型的なオタクです。
周りが私の事を、彼女を通して知る事に障害はありませんでした。
私はクラスメイトから「腹黒」だと思われました。逆に1度「彼女の方が腹黒だ」と言ってみたら、ものすごい剣幕で「は?そんなわけ無いじゃん!腹黒はお前だろ!!」と言われました。親友の言う悪口は笑い事でも、親友の悪口は結束を固めて反論する。それが女子の世界です。
私はそれをきっかけに、彼女に何も言わない事にしました。
それに丁度3年の1学期頃だったので、早く卒業してしまおうと思いました。
卒業して彼女と別れてしまえば、もう苦しむ事は無いだろうと考えたからです。
しかし、卒業してからも私の苦しみは変わりませんでした。
彼女とは全く会っていませんが、私の思考にあるBLのフィルターは無くならなかったからです。
それに彼女と別れてしまった事で、前に「あいつは腹黒だ」とクラス中に言って回られた事を思い出し、怖い思いもしました。
高校の友達と遊んでも「もしかして…」と思うと、友達の笑顔が恐ろしく思いました。
次第に、あんなに苦しんだのにまだ苦しまないといけないのか、そう思うと「BL」の存在が腹立たしくなりました。
BLを嫌悪していくと、その分BLのフィルターが強調されてしまうみたいで、もう男同士で会話しているシーンでさえ、見るのが苦痛になって行きました。
こうなってしまうと、漫画を読む事そのものが嫌になって来ました。少年漫画は極力読まないようになりました。
少女漫画でだって同様の事が起こります。それに少女漫画の方が、BLをネタにしている事が多いし、過去にBL同人誌をだして居た漫画家さんだっているぐらいです。
少女漫画が大好きで、昔は少女漫画雑誌に投稿していたぐらいですから、将来の夢をもぎ取られたような気分がします。(私が漫画家になれる技量があるかは別にして)
特に最近は「となりの801ちゃん」や「腐女子彼女」といった腐女子を取り扱った書籍が出たりして、BLや腐女子を見る機会も多くなったような気がします。
その事がさらに私を苦しめます。どうして私はBLが嫌いなんだろうか。いっその事BLが好きだったよかった。と自己嫌悪に陥ります。
漫画やアニメを見ても、昔の様に純粋に楽しむ事が出来ません。大好きなキャラやカップリングが出てきても嬉しくありません。
昔はキャラの絵を描いたりしていましたが、それも出来なくなりました。
私はオタクなので、今までずっと漫画やアニメ中心の生活でした。絵を描くのも大好きでした。将来の夢は漫画家でずっとそれに向かって頑張って来ました。
しかし、此処に来て、楽しみがなくなってしまいました。
今は漫画もアニメもあまり読んでいませんし、絵を描こうという気にもなりません。
だからといって、別に何か趣味があるというわけでもありませんから、本当に毎日同じような生活しかしていません。
彼女はもともと行動力もあるし、普通の友達も多いので普通に話していたらとても面白く、思い出自体に不満はありません。
私が1番楽しかったのは高校の時です。
だから、中学の時に決意した将来の夢も諦めようと思うようになりました。その事がさらに私のBL嫌いを悪化させました。
本当は、そんな毛嫌いをしたくはありません。それに、漫画を楽しむに当たって、BLというジャンルは切っても切れないものだと言う事も理解しているつもりです。
それに、今でも漫画家になりたいと思っています。
けど、現実で私は今でもBLのフィルターに苦しめられ、楽しかった事を楽しいと感じる事が出来なくなりました。
腐女子が取り上げられて居ると、不愉快な気分になるし、極力関与しないようにしています。
最近ではオタクの女を総称して腐女子と呼ぶ様になっている事も嫌で、「私は、私を苦しめているあいつらとは違うんだ」と言って回りたい気分になります。
本当はこんな醜い感情を抱きたくありません。皆さんと仲良くしたいんです。
しかし、どうやっても出来ません。
腐女子への嫌悪は一向に収まらないし、BLなんて単語を見るのも嫌なぐらいです。
「ホモが嫌いな女子なんていません!」なんて言葉があるようですが、私には侮辱にしか聞こえません。
BLが好きな人が多くても、全員がそうであるわけではありません。
自分自身もオタクである事には変わりませんし、普通の人から見れば、オタクのくせにオタクを嫌って…という風に見えてしまうとも思います。
私にも問題があるとも思っています。
簡単に「じゃあBLを好きになっちゃえよ!」という風にもなりませんし、そうならないから苦しんでいるんです。だからといってこのまま嫌悪し続けていても何も変わりません。
ただの愚痴でしかありませんが、私はどうすればいいでしょうか…。
非モテ批判の矛盾サンプル - 或るオタクの遠吠え-Over the Rainbow-
http://d.hatena.ne.jp/heartless00/20080829/1219998324
これを読んでて少し自分の頭の中で線が繋がった感がするので文章にアウトプットしてみる。
あれだよ、きっと『非モテ』ってのは、ある程度社会的に思春期も終えて一人前の自我を形成し、社会人になるべきとされている時に
何らかの要因(環境、自らの外見、幼少からの経験、それらから作られる自身の自己肯定感etc.)で自身の発達課題がクリアできないでいて
まだ自分で自分の自我が用意できない場合に、ヘルプ的に借りることができる『非モテ』という統一規格の自我なんだと思う。
だから『非モテ』は自分では自分が何者か規定できない。あくまで粛々と非モテのルールに則って非モテらしく在らなければいけないし、
(もちろん非モテの中でもいくつかの派閥はあるけど。はてな的非モテとかメンヘル的非モテとかジェダイ派非モテとか(これは最近あんまり見ないね))
同じコミューンの中の非モテ同士はみんなでできるだけ統一した価値観をもっていないといけない。あんまり1人で逸脱しちゃいけない。
だからどう、って話じゃないんだけど何となくそう思った。
ただ、それ故に『非モテ』という一種の制服のような自我を借りている期間はいわばモラトリアムであり、いつか卒業のときが来る。
別に彼女ができれば卒業ってわけじゃない。彼女ができなくても非モテに拘らなくて済むようになって卒業する人も居るし、
それ以上の課題が生まれてモテ非モテどころじゃなくなって卒業する人も居る(仕事だったり学業だったり表現関係だったり)。
だから、個人的にはあんまり『非モテであること』だけをアイデンティティに生きる生き方はオススメできないし、危険だと思うけど。
まぁ好きにすれば良いんじゃない?自分も学生のときは大人に何言われても聞く耳を持たなかったしなぁ。とも思うのです。でした。
多趣味の人っていいなと思う
なんかかっけーっちゅーか
博識な感じに憧れる
自分もそうなりたいけど
趣味自体に興味があるわけじゃなくて「色んな趣味持ってて知識あってなんかかっけー人間」になりたいからやるってのは動機としては滅茶苦茶不健全だよなー
そんな動機で続くのかって感じだし
こういう場合は「ド腐れ承認欲求が!」と呟いて諦めて寝るか、
「そんな不健全な動機でもいいじゃない人間だもの」と呟いて色々手出してみるか
どっちが正解なんだろ?って正解なんて無いんだろうけどさ
大体俺ってなんでもそうである気がする、
絵が上手く描けるように練習中なんだけど、それって絵を描くのが好きだからじゃなくて、ハマった漫画の二次創作ネタが思い浮かぶんだけどそれを絵にできないから、絵にしたいから練習してるだけだし
プログラミングをちょっとかじった時期があったんだけど、それも「プログラミングとか覚えたら俺かっけくね?周りの友達とか全然知らないし俺崇拝されね?<大袈裟」とか思ったからやってただけでプログラミングがすきってわけじゃないし
SF読み始めたのも、最近周りでSFブームが起きたから、競って難しそうな奴読んでるだけだし
「そのもの」が楽しくてやってるってものがない。「そのもの」が楽しい、って経験がない。
いつでもそれは自分をよく見せるための「手段」であって、「そのもの」が楽しくてやってるってほとんどない(不純なきっかけで、やってるうちに、ちょっと楽しくなってくるってのはあるが)。
なんか自分でも無理してんなって思う、でも「そのもの」が楽しい、一晩中やってても飽きない、ってのが無いんだよな
でもやっぱ無理してる気がする
やめたほうがいいのかなーとは思うけど
でもそうしたら本当何もやることねーんだよなー……
俺って褒めてもらうために生きてるのかな?そんな感じがしてきた
おかしいなー両親から普通に愛されて育ったはずだが…なんでだ?
8月の始めから昨日までダイエットに挑戦していた。
と、いっても僕は特別太っているわけではない。
166cm、57kg(ダイエット前)とまったくもっての標準体型だ。
今回ダイエットをやり始めたのは、趣味でやっているマラソンのタイムをあげるため、と気まぐれだ。
1ヵ月間で3kg減らすという目標を立てて挑戦した。
しかし結果はタイトルからもわかるように、まぁ、失敗だ。
昨日でリタイアしたのだ。
一応、1.5kgくらいは落ちたので成功といえば成功だが、
目標まで減らせなかったこと、途中でリタイアしたことを考えると完全なる失敗だ。
僕は日常的に運動をする(毎日10kmとか走る)ので、これに食事制限を加えれば3kg減なんて楽勝だと思っていた。
食べることを我慢することなんて容易いと思っていた。
しかし、現実は違っていた。
食事制限が辛かった。とにかく辛かった。
僕は比較的やせ型だし、よく運動もするので今までの人生で食事制限なんてしたことがなかった。
食べたい物を食べたいだけ食べてきた。
それでも体型は変わることはなかった。
ただ、いざ食事制限をしろといわれれば出来る自信はあったのだ。
しかし、さっきも言ったように現実は違っていた。
食べたいものを食べれないストレス。
お腹がいっぱいになるまで食べれないストレス。
想像以上の苦行だった。
途中からは、脱力感、イライラ、人と会いたくないなど精神面にかなりきた。
「オラ、腹減って力(りき)でねぇ」状態になり、何をやっても集中できない状態になってしまった。
そして、ついに限界を感じ、昨日、約半月間のダイエット生活を終えた。
このままだと周りの人に迷惑(やつ当たり等)をかけかねないと思った。
もともとムリして痩せる必要もないので、そこまで自分を追い込む必要もない。
周りに迷惑かけてまで続ける必要も感じなかったので悔しいけれど断念しました。
振り返ってみると本当に辛かった。
まぁ、感じ方は人それぞれだし、何をダイエットくらいで大袈裟な、と言う人もいるかもしれない。
僕も前まではそうだった。
ただ、そう言う人は一度ダイエットに挑戦してみるといいと思う。
楽にできるひともいるだろうが、何割かの人は僕と同じ様に想像以上の苦痛を味わうことになるだろう。
何事も経験してみなくてはわからないのだ。
最後に。
今まで、ダイエットを失敗してる人たちを、自己管理のできないダメな人、とかバカにしてごめんなさい。
僕もダメな人でした。
ごめんなさい。本当にごめんなさい。
「かわいそうに…」という言葉が、気にかかる。というか、端的に言えば腹が立つ。
怒りを表明したいけれど、世間的にはどちらかといえば「良い言葉」扱いのため、怒りを表明したらこっちが変人扱いである。
どうしてかわいそうにと言われると、腹が立つのか、と考えてみるに、おそらく哀れまれるのが嫌いなのだろう。
同情するなら金をくれ、って言葉が昔あったけど、ああいう感覚が近いかもしれない。
小さい頃、何かあるとすぐ風邪をひく体質だったんだけど、「かわいそうにねぇ。そんな身体で」的に、オバサンとかオジサンとか同級生に言われるのが凄くいやだった。なんていうか、認めたくなかったのかもしれない。他人より不利だってことを。でも薄々それは自分で気がついていて、だからこそ、体に気を使ったり体力つけたりして「なんてことないよ。このくらい」って感じで、頑張っていたのに、それをあっさり「かわいそうに」って言われて壊されるのが物凄く嫌だった。なんというか、努力して他人よりも不利ってことを忘れようとしているのに、あっさりそれを無神経に思い出させる、というか、そう決め付けられる、という残酷さに腹が立った、というか。しかも本人たちは、「かわいそうって言ってあげてる自分は優しい」とか思っていたりするから、余計に腹が立った。どこが優しいの?こっちが嫌がってるのわかんないの?優しいどころか残酷だよって。まあそんなこと分かるわけないんだけど、当時は子供だった。
かわいそう、なんて哀れむ暇があるなら、無言で助けてくれた方がよっぽどよかった。まさしく同情するなら金をくれ、って感じだった。いっちゃなんだけど、他人からかわいそうって言われたところで、私には何のタシにもならない。そんなこと上から目線で呟いてる暇があるなら、鼻水でそうだからティッシュかってきてよ、とか思ってた。「かわいそうに」「そうなんです私かわいそうなんです」「ほんとよねぇかわいそうよねぇ」って言い合って、一体何が変わるというのか?本当にかわいそうだと思うなら手助けしてくれよ。そこまでする気がないなら、黙っていて欲しかった。かわいそう、なんて言葉はクソ拭くティッシュにすらなりはしない。偽善者だ、とずっと思ってた。かわいそうって言うことで、「哀れな者に同情してあげる優しい自分」に酔っているだけじゃないの?って。だってかわいそうって言う事によって得られるものって他に何があるのか。かわいそうって同情してあげたからってこっちの病状はよくなりはしないよ。かわいそう、って言うことは、「あなたは私よりも哀れな位置にいる」って定義付けられた、ってこと。大袈裟だよっていうかもしれないけどそういうこと。それを気付いていない人が多すぎる。ただでさえ病気のときに、「あなたは私より下」って定義付けられて、一体この大人たちはなにがしたいのか、本当に疑問だった。ケンカ売ってるの、って思ってた。
かわいそう、って言う言葉は、結局自己満足で、相手の事なんかこれっぽっちも思いやってる言葉じゃない。
寧ろそれを自覚して、厭味ったらしく言う奴の方がいい。
問題はそれを自覚せずに、相手の事なんか考えてもいないのに「相手のためになってる」と思い込んでその言葉に自己陶酔してるやつ。そういう奴は、だから、「そんな事言わないで」と相手が言うと、途端に「かわいそうって言ってあげてるのに、何なの」って反応を示す。それは「かわいそうな相手にかわいそうと言ってあげる優しい自分」像が、相手に酔って壊されたからだ。相手の事を思いやった上でのかわいそう、だったら、そこで相手がそんな言葉は欲していない、寧ろ嫌がってることに気がつき謝るだろう。(それ以前にかわいそうなんていわないだろうけど)
他人の、「かわいそうな私像」のために、ダシにされたんじゃたまらないよ。
私の体質は、あなたの自分像を支えるための柱じゃないよ。
ずっとそう思っていた。
ま、今思うと風邪になりやすいってくらいで大袈裟なんだけどさ。
でもああいった体験があって、「かわいそう」はとても優しい言葉なんかじゃないと思うようになった。今でも。
でも、かわいそう、を実際欲しがってる人もいるらしいことも、成長してから知った。
私はかわいそうなんて言われたり同情されたり共感されたりしたところで、だから何が進むわけでもないじゃないか、としか思っていなかったけど、かわいそうだね、かわいそうに、って言われることで、何故か、「そうなんだ。自分かわいそうなんだ」って心が軽くなるって人も、どうやらいるらしい。
今思うと、あの人たちも、そういう人ばかりに会ってきた、また、本人自身が「かわいそうに」と言われて嬉しい人たちだったんだろうな。
タイプが違ったのだ。
かわいそうにと言われて嬉しい人たちには、かわいそうと言われて苦しいひとたちの気持ちは分からない。
こっちだって、嬉しい人の気持ちは分からないから、当たり前の事だ。
けど、気持ちは理解できなくても、「そういうタイプがいる」ってことは、各々心に留めておいたほうがいいんじゃないか。
特に「かわいそうと言われて嬉しい」タイプには是非ともお願いしたいところだ。
こういう人たちはほんとうにこっち側の苦しみが理解できないようで、こういうことを言っても、「そんなのそっちが大袈裟に騒いでるだけだ」とか「かわいそうって言ってあげてるのにその言い草は何なんだ、偉そうに」って、そういうことを本当に素で言ってしまったりする。前は腹が立っていたけれど、今はそういうタイプの人、かわいそうって言い合うことが、嬉しいことで、コミュニケーションになっている人たちなんだなと思って割り切っている。割り切れない時も、あるけど。
それにしてももしかしたら日本人には、「かわいそうにと言われて嬉しいひとたち」の割合の方が大きいのだろうか。
字数制限で文章ぶった切られたので。
http://anond.hatelabo.jp/20080817193348
●論点7
むしろ平時に「かわいそう」の論理を追求する方が、長期的には「かわいそう」な人を増やすのではないか。
共産主義崩壊なんて大袈裟な話は必要なくて、たとえば近代医療の誕生によって駆逐された呪術医療の扱いとか、
ラッダイト運動の時点で生産性が止まっていたらとか、新興産業や技術革新が誕生した時に「かわいそう」だからと
既存の業者を温存していたら、介護産業志望者にとってその助力を必要とする要介護者は、その年齢・状態に達する
までもなく死亡し、社会問題・産業となるほどの数までは至らなかったんじゃなかろーか。要するに最初からお役ご免。
幼少時はもちろん青年期壮年期でさえ生きるのがとても困難な、「かわいそう」な人々の時代で止まっていたかも知れない。
そもそも「かわいそう」に感じる主体は誰なのか、「かわいそう」な相手は本当に「かわいそう」なのかを
考えてもいいはず。企業自身は例とされた百貨店を含め、いずれも利潤を上げる事を目的に活動している。
その意味では競合企業を「かわいそう」な目に遭わせる事を辞さないわけで、あくまで対等な競争の結果
「かわいそう」な状況に陥ったまで。そして企業自身の経営学上の実践としては、潔く市場から退出するか、
経営努力によって「かわいそう」でなくなる(≒相手を「かわいそう」にする)事を目指すかのいずれかとなる。
要するに、「かわいそう」に感じる主体(=個人)の思惑とは別に企業は活動している。百貨店なんて典型的な寡占業種。
では「かわいそう」に感じた主体が、どうしてもその感情の処理をしたい場合はどうか。すぐ思いつくのは「かわいそう」な
企業の顧客となる事だけれど、売れ残るような商品を自腹切って買うのは何となく馬鹿らしいし、仲間集めをしても実質蟷螂の斧。
よって可能であれば行政の働きに期待する事も選択肢として浮上する。けどこの場合、長期的には「かわいそう」な人を
社会全体でもっと増やしてしまう。理屈としては既出だけどもう少し、かつての銀行の護送船団方式を例にしてみる。
護送船団方式は最も弱い金融機関が維持可能なように、金利やサービスなどを行政が細かく規制する事で達成されてきた。
実はそれは同時に最も競争力のある金融機関=強者が、競争を免れ仕事ぶりに比して高い超過利潤を得る事も可能にした。
で、その超過利潤って、結局サービスの受益者である預金者や融資先の企業・家計の負担の事なんだよね。
この場合「かわいそう」の論理は「かわいそう」を他に転嫁しているだけで、弱者でも何でもない連中に援助の手をさしのべただけ。
そして社会全体のリソースの量は(経営革新・合理化が停滞する分)そうでなかった場合よりも下がる。
やがては再分配として割くべき財源も底を突くかもしれない。
他に農林水産業も同様。実際フリーターでもした方がもっと楽に儲かるかも知れないのに、規制を掛け、補助金を注ぎ、
非常に高率な関税を掛ける事で無理矢理維持している。特に穀類なんかはそう。結果、消費者レベルでは非常に高額な
(国際的な食料価格高騰でもまだ輸入した方が安い、しかもそれらは補助金で安くした価格)負担を強いられて、
エンゲル係数の高い層は「かわいそう」な状態に追い込まれている。こうした政策は消費者はもちろん、生産者個人に
とっても長期的には為にならない結果をもたらしている。食糧安保の為と言う人もいるが、異論もあるしここでは議論しない。
また敢えて「大袈裟な話」をすれば、クメール・ルージュが君臨したカンボジアがその代表例と言えるよね。
ブルジョワやインテリ、エンジニアなど高い金融・物的・人的資本を誇る階層を「搾取」の根源として「排除」または転向させ、
近代的な制度や設備を次々に廃棄、他国との交易や援助も拒否し、ほぼ全人民が農民という「理想社会」を建設した。
そこでは全員が平等に生産性が低いから、勝ち負けや格差があるという意味での「かわいそう」な人間はほぼ消失。
しかし結果的には、凄まじい生産性の低下によって餓死者が続出し、またそれを少しでも埋め合わせる為に強制的かつ過重な
労働が営まれ、それが更なる犠牲者増加を招いた。政治的粛清の10倍以上、百万単位の人間が誤った経済観の犠牲者となっている。
無知のヴェールからも到底正当化出来ない、地獄のような社会であった事は間違いない。最近じゃジンバブエも似たようなもん?
シンプルに考えると「かわいそう」の論理は、利益追求が本業でいくらでも換えの利く企業等の事業者ではなく、
本来個人に対して適用すべき話のはず。経済上の競争では敗者は消え去るわけではなく、労働力という資源としてきちんと
再利用できるように、その生活や就業機会をある程度保障・支援する必要がある。しかし(完全な)人権享有主体ではなく、
もちろん資源そのものでもなく、効率本位の存在ながらその意義を否定された衰退産業・企業は、資源の浪費を生み、
社会が利用可能なリソースを減らすという観点から、長期的には退場して、その所有・利用する資源を市場に開放するのが好ましい。
有限な資源は、それをより有効に扱えると考えられる勝ち組企業に集中させるべし。
大雑把に言えば個人さえ救済出来れば何の問題もない。個人への再分配こそ行政の目指すべき使命で、企業にはあくまで競争。
以上から「かわいそう」の論理を経営学講義において差し挟む事は論外として、それを(たとえば経済学上の実験として)
企業間の競争に適用し、行政の使命としてその論理を貫徹させる事は、社会全体はもちろん当人らにも長期的には好ましくないと言える。
あとノロウイルスなんかが蔓延した場合に「かわいそう」だから隔離は止め、なんて事になったらかなり悲惨になりそうだしね。
実際、発生当初何が何だかわからないまま被害が拡大しちゃった所が沢山あったようだけど、それがもっと酷くなる。
そもそも要介護認定という制度がある以上、あるいは医師や他のコメディカルではなく介護労働者にケアさせている時点で、
介護産業自体が大前提として「トリアージ」的論理を含んだ物と言える。専門家がいれば必ずノロの被害が抑えられたって
事もないんだろうけど、その辺の出来る事、出来ない事の区別は重要だと思う。医師ですら時にそうなるんだから、
「燃え尽き」ない為には、全能感をなるべく遠ざけておく方がいいかも知れない。
●論点8?
・・・で、倫理を批判応酬の基準に置いている以上、論争当事者の人間性について何か書いてもいいんだけど、
そういうのは本人の認識より第三者の素の反応の方が重要だと思うんで、不要な面倒を呼び込む恐れもあってパス。
他にも何か書きたい論点があるような気はするけど、面倒なので止め。
今日は私は行きつけの天丼屋で夕食を済ませることにした。戸を開けるとしゅうしゅうという揚げ物の音と食器同士が触れる音が高らかに響いている。油の中に野菜やエビが入る時に立つ、細かい泡が浮かんでは消えていく鋭い音が食欲をそそる。もちろん匂いもだ。私はこの店の大将と知り合いなのでカウンター席に座り、揚げている大将に挨拶する。
「こんばんは」
「おっ久しぶりやね」
「いやいや」
「そう言えば外、かなり曇っとるよ。雨になるかもしれんね。曇り空……いわゆる天丼、だったかな」
「こりゃ失敬」
といった会話をしていると店の奥で大声が響いているのが聴こえた。二人の人物が立っている。一人はスーツをスマートに着こなした妙齢の女性。その身なりからすると俗に言う「キャリア」だろう。一方ではすっかり禿げ上がった、ポマードの匂いがしそうなよれよれのスーツに包まれて顔が真っ赤になったオヤジがいる。この二人の間でトラブルが起きたようだ。
「なんでおまえの天丼のエビは大きいんじゃ!? ワシを舐めとんのかこらぁ!!」
「やだ、ちょっと人の丼にきっちゃない箸つけんといてよ!! あんたセコいこと言わんといて!!」
「大将!! この店は客をえこひいきすんのか!? 美人にはごっつい海老天、ワシみたいな客には甘海老みたいな天ぷら乗せるんか!?」
「うわっ、酒くさっ!! おっちゃん酔うてるやろ!?」
その言葉どおりオヤジは酔っ払っているようで目が据わっている。全く天丼屋に酔っ払って入るなんて、内臓を潰すとしか思えない愚かしい行為だ。だが、今はそんなことはどうでもいい。私は二人の所に行って丼を見て、そして言った。
「どっちも同じ大きさやと思いますけど」
「ほら」キャリアが言う。「この人も言うてるやん。同じ大きさやって。甘海老って大袈裟な」
「お前、別嬪さんの肩持つんか!?」オヤジが私の胸倉を掴む。「どいつもこいつも舐めくさって!! 表に出んかい!!」
店の中で騒ぎを起こすと、テーブルや食器を破壊してしまうかもしれない。店の評判にも傷がつくだろう。私は意を決し、「ほな表に出よやないか」と言ってオヤジの腕を払った。険悪なムードが漂う。と、その時。外から陽気な歌が聞こえてきた。
てーんてーんどーんどーんてんどんどーん
「この歌は……まさか!!」
私たちはびっくりする。大将もびっくりする。扉を開けて入ってきたのは、予想通り「アンパンマン」で活躍する重要なバイプレイヤー、天丼マンだった!! 頭の丼からは湯気が立っている。揚げたての食材の匂いが周囲に広がる。
「話は全部聞かせてもらったよ」と天丼マンが言った。
「申し訳ありません、無様なところを……」
「ちょっと味見させてもらおうか」
そう言って天丼マンはオヤジの丼から海老天を取り、口に含んだ。あまりの素早さにオヤジも唖然としている。キャリアも唖然としている。私も唖然としている。店内の人間が全員唖然としている。
「うむ、腕を上げたね」
「恐れ入りやす。住み込みで修業させて頂いた時から今に至るまで、師匠の叱咤と励ましの言葉を胸に頑張っておりやす」
「君は多分関西で五指に入る天丼師になったね。精進を怠っていない。僕とはもう紙一重の腕前かな」
「そんな、勿体無い言葉を……」
「さて」と天丼マンは私たちに向かって言う。「確かにこの海老はその女の子の海老よりも小さいかもしれない。でも、どの天ぷらもその店の主人の心と、火傷したり手に傷を負ったりして長年修業して培ってきた賜物なんだ。それを忘れるのは良くないね。おじさん、海老天一本貰ったお礼にぼくの海老天をあげるよ」
「これで今回は手打ちにしないかい?」
キャリアが言う。「私も、大人気ないこと言うて、ごめんなさい」
「天ぷら好きの人間に、悪い人間なんていないよ。では、二人の仲直りも終わったようだし、ぼくはこれで失敬するよ」そして私の方を向いて言う。「君も間に入って止めてくれようとした勇気は大したものじゃないか。最近の若者には珍しいね」
「本物の天丼マンさんにお会い出来てこちらこそ光栄です。アンパンマンさんによろしくお伝え下さい」
「いやいや、またどっかの天丼屋で会おう」
天丼マンはそう言って扉を開けて外に出ようとして、足を止めて言った。「ありゃ、雨が降ってきてるね」
「さっきまでは曇り空だったのにね」と天丼マンは言った。「何て言うんたっけ。曇り空のこと……天丼?」
「まさに……天丼!!」
非リア充が一つの集団の中の一人に声をかけて失敗したら
その時点でその集団から「痛い奴」や「空気の読めない奴」として総スカンを食らい、
集団から追放される。
はぁあ?んなことないない!つーか追放とか大袈裟だなw戦争かよw
非リア充にとって、たくさんの集団に所属すること自体が困難だと思われ。
あと、いくら多くの集団に属しても、アタックするたびに集団から追放されたら
流石に嫌気が差してくるだろうし。
ったく、あれはできない、これはできない、できないできないばっかりだなお前ら。
できないじゃなくてやれよ。できないと思うから、余計困難になるんだろ。
ちょっとでも不安要素があるとやらないってそれ完全に引き篭もりの発想じゃねーか。
何提案しても「それは僕には無理、それも無理、できないできない」って言うんなら、最初から黙ってりゃいいだろが。無駄な愚痴うぜえよ。共感してほしいのか?「そうだよなできないよな」って頷いて欲しいだけならカウンセラーのとこいけよ。ぐちぐちぶーたれて、何もその解決のために実行する気が無い奴の愚痴を聞いてやるお人よしなんてここにはいねえよ。
非モテたちが「俺たちは差別されてる」という感情を持っているらしいのが不思議。
具体的に一体どんな差別を受けているというのだろう?
一部の心無い人から、「えー恋人いないのpgr」とか言われる程度のことを仰々しく「この世界で一番、差別されている」くらいに表現している大袈裟な非モテが多くないか?つーかそのていどで差別されているなんていったら女性や黒人に蹴られそうだな。
その程度の悪口、多かれ少なかれ皆体験している。無論なくせたらそれはいいだろうが個人レベルでの「えー○○なのかよー」くらいでいちいち落ち込むようではちょっとさすがに弱すぎるだろう。大体お前らだってスイーツなんかをバカにしているのに。誰しも何かをバカにして生きてる。もうしょうがねえよ。どんなイケメンや美人だって陰口くらい叩かれる。
元増田は判っているかも知れないけど、誤解されていそうな所について。
メイン・フレームも馬鹿高いのですが、UNIXベースのサーバもやたら高いのです。耐用年数が到来して、買いなおしとなるとハード代だけでなく、OS、ミドルウェア等々も全部買いなおしになってしまいます。
http://anond.hatelabo.jp/20080720205422より
それは、ベンダお任せで安定な(HAな)システム更新を行うときには、常識です。「何を言っているんだ、この化石反動め!」という声も聞こえてきそうですが、まあ落ち着いて読んでください。
そのように、上から下まで1社で揃えるのは、垂直統合と言われます。そのメリットは、あらゆるトラブルについて、そのベンダにワンストップでクレームを入れて調査対応させる事が出来る事です。コンシューマでは考えられないかも知れませんが、何らかの原因でシステムが動かないときに、「ありゃ、ダメだ」では済まないシステムでは、トラブルを迅速に解決できることが極めて重要であり、重要性に応じて必要なコストは払わねばならないものなのです。安定性の重要性を無視して目先のコストに囚われても、利益機会損失などで安物買いの銭失いと言う事になります。
この垂直統合のメリットですが、その中にサポート期間か切れてしまう物や組み合わせが((OSの対応ハードとか、ミドルウェアの対応OSバージョンとか))サポート外の物があると半減してしまいます。ベンダ側も、保守コストを抑制しなければ商売出来ませんから、サポート期間も組み合わせも有限に設定せざるを得ないのです。
ですから、そのような一斉リプレースは常識と言えます。
その一方で、そこまでの安定性(可用性)が求められない場合、安い物を組み合わせた方が、コストダウン出来るのは当然です。また、トラブルが起きても、ベンダ任せではなく、自力でトラブルシュート出来る場合も、勿体ない出費といえます。しかし、自前でそんな高スキルのエンジニアを抱えていなければ、適切なトラブルシュートは出来ません。さらに、OSやミドルウェアのソースで確認しなければ((OSSを使っていてもちゃんと自前ビルドして自前でソース管理していなければなりません。単純にバージョンアップすると非互換によりシステムが動かなくなる場合があります))、そのトラブルシュートが正しい保証がありません。目の前の問題は回避出来ても、実は不十分だったり、下手したらもっと深刻な問題を発生させてるかも知れません。
垂直統合はやはり高コストになりやすいので随分割合が少なくなってはいるのは確かだと思いますが、それは、トラブルのリスクを負う事でコストダウンを図っていると言う事なのです。
http://anond.hatelabo.jp/20080721002901より
確かに、これらはメインフレームの特徴であり、オープン系からすると奇妙であり、そしてオープン系に比べてベンダ側の利益率が高い(それでも、世の中もっとボッタクリ商売はいくらでもあるけどね)もの。
この辺は、実際の所、明確な根拠は存在し得ないはず。というのは、「なんかあったら何でもやります」という料金だから。何でもやります、というのは大袈裟に聞こえるかも知れないけど、オープン系なら諦めるような事まで徹底してやるのは事実。そして、その作業の安定性への拘りも、オープンより明らかに饑えだし、安売り専門PCサーバ屋とは桁が違う。そこまで出来るのは、やはり沢山お金を貰ってるから。コストでストップ掛けずに徹底してやれる。とはいえ、今のITの世界の中では、ボッタクリと言われるような利益率なのはその通り(繰り返すけど、IT業界の中では)。
以上、元増田は判ってるかも知れないけど、万一のためと、読者の誤解を招かぬよう。戦った結果「こんなはずじゃ」というオチにならないように。
若い役人が、こう頑張るのは素晴らしい。ぜひ、その心を終生忘れずにいて頂きたい。