2008-08-19

かわいそうに

「かわいそうに…」という言葉が、気にかかる。というか、端的に言えば腹が立つ。

怒りを表明したいけれど、世間的にはどちらかといえば「良い言葉」扱いのため、怒りを表明したらこっちが変人扱いである。

どうしてかわいそうにと言われると、腹が立つのか、と考えてみるに、おそらく哀れまれるのが嫌いなのだろう。

同情するなら金をくれ、って言葉が昔あったけど、ああいう感覚が近いかもしれない。

小さい頃、何かあるとすぐ風邪をひく体質だったんだけど、「かわいそうにねぇ。そんな身体で」的に、オバサンとかオジサンとか同級生に言われるのが凄くいやだった。なんていうか、認めたくなかったのかもしれない。他人より不利だってことを。でも薄々それは自分で気がついていて、だからこそ、体に気を使ったり体力つけたりして「なんてことないよ。このくらい」って感じで、頑張っていたのに、それをあっさり「かわいそうに」って言われて壊されるのが物凄く嫌だった。なんというか、努力して他人よりも不利ってことを忘れようとしているのに、あっさりそれを無神経に思い出させる、というか、そう決め付けられる、という残酷さに腹が立った、というか。しかも本人たちは、「かわいそうって言ってあげてる自分は優しい」とか思っていたりするから、余計に腹が立った。どこが優しいの?こっちが嫌がってるのわかんないの?優しいどころか残酷だよって。まあそんなこと分かるわけないんだけど、当時は子供だった。

かわいそう、なんて哀れむ暇があるなら、無言で助けてくれた方がよっぽどよかった。まさしく同情するなら金をくれ、って感じだった。いっちゃなんだけど、他人からかわいそうって言われたところで、私には何のタシにもならない。そんなこと上から目線で呟いてる暇があるなら、鼻水でそうだからティッシュかってきてよ、とか思ってた。「かわいそうに」「そうなんです私かわいそうなんです」「ほんとよねぇかわいそうよねぇ」って言い合って、一体何が変わるというのか?本当にかわいそうだと思うなら手助けしてくれよ。そこまでする気がないなら、黙っていて欲しかった。かわいそう、なんて言葉はクソ拭くティッシュにすらなりはしない。偽善者だ、とずっと思ってた。かわいそうって言うことで、「哀れな者に同情してあげる優しい自分」に酔っているだけじゃないの?って。だってかわいそうって言う事によって得られるものって他に何があるのか。かわいそうって同情してあげたからってこっちの病状はよくなりはしないよ。かわいそう、って言うことは、「あなたは私よりも哀れな位置にいる」って定義付けられた、ってこと。大袈裟だよっていうかもしれないけどそういうこと。それを気付いていない人が多すぎる。ただでさえ病気のときに、「あなたは私より下」って定義付けられて、一体この大人たちはなにがしたいのか、本当に疑問だった。ケンカ売ってるの、って思ってた。

かわいそう、って言う言葉は、結局自己満足で、相手の事なんかこれっぽっちも思いやってる言葉じゃない。

寧ろそれを自覚して、厭味ったらしく言う奴の方がいい。

問題はそれを自覚せずに、相手の事なんか考えてもいないのに「相手のためになってる」と思い込んでその言葉自己陶酔してるやつ。そういう奴は、だから、「そんな事言わないで」と相手が言うと、途端に「かわいそうって言ってあげてるのに、何なの」って反応を示す。それは「かわいそうな相手にかわいそうと言ってあげる優しい自分」像が、相手に酔って壊されたからだ。相手の事を思いやった上でのかわいそう、だったら、そこで相手がそんな言葉は欲していない、寧ろ嫌がってることに気がつき謝るだろう。(それ以前にかわいそうなんていわないだろうけど)

他人の、「かわいそうな私像」のために、ダシにされたんじゃたまらないよ。

私の体質は、あなたの自分像を支えるための柱じゃないよ。

ずっとそう思っていた。

ま、今思うと風邪になりやすいってくらいで大袈裟なんだけどさ。

でもああいった体験があって、「かわいそう」はとても優しい言葉なんかじゃないと思うようになった。今でも。

でも、かわいそう、を実際欲しがってる人もいるらしいことも、成長してから知った。

私はかわいそうなんて言われたり同情されたり共感されたりしたところで、だから何が進むわけでもないじゃないか、としか思っていなかったけど、かわいそうだね、かわいそうに、って言われることで、何故か、「そうなんだ。自分かわいそうなんだ」って心が軽くなるって人も、どうやらいるらしい。

今思うと、あの人たちも、そういう人ばかりに会ってきた、また、本人自身が「かわいそうに」と言われて嬉しい人たちだったんだろうな。

タイプが違ったのだ。

かわいそうにと言われて嬉しい人たちには、かわいそうと言われて苦しいひとたちの気持ちは分からない。

こっちだって、嬉しい人の気持ちは分からないから、当たり前の事だ。

けど、気持ちは理解できなくても、「そういうタイプがいる」ってことは、各々心に留めておいたほうがいいんじゃないか。

特に「かわいそうと言われて嬉しい」タイプには是非ともお願いしたいところだ。

こういう人たちはほんとうにこっち側の苦しみが理解できないようで、こういうことを言っても、「そんなのそっちが大袈裟に騒いでるだけだ」とか「かわいそうって言ってあげてるのにその言い草は何なんだ、偉そうに」って、そういうことを本当に素で言ってしまったりする。前は腹が立っていたけれど、今はそういうタイプの人、かわいそうって言い合うことが、嬉しいことで、コミュニケーションになっている人たちなんだなと思って割り切っている。割り切れない時も、あるけど。

それにしてももしかしたら日本人には、「かわいそうにと言われて嬉しいひとたち」の割合の方が大きいのだろうか。

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