これはガチでそう。
元増田も言ってるけどソース至上主義が壊れて多数派のお気持ちが優先されるようになったせいでネットの頭の悪さは一気に加速したと思う。
皆とにかくワーワー喚くばかりで理論武装するこさえなくなった。
ネット人口が増えたことによってどんな異常な理屈でもとにかく大声上げれば千人単位万人単位で仲間が集まるようになって、その中でエコーチェンバーして「俺達やっぱ正しいよね」と言い合えば満足するような連中の声ばかり響く超低IQ空間に成り下がってるよ
差別が何か理解できていない奴ほどアファーマティブ・アクションを肯定しがち
しらない方が幸せなこともある
社会的に弱い立場にあることが多い女性がセクハラ被害等に声を上げても、強い立場にある当事者男性による圧力とか、世間からのバッシングとか、いろんなものによって潰されてしまうことが多い、または潰されることを恐れて声を上げづらい。
なので一緒に声を上げましょう、連帯して支え合いましょうという運動だったと俺は思っている。
だから声を上げた女性に対しては、真偽の究明よりも先に、まず連帯と支援を表明して支え合いましょうとなる。
決して褒められたものではないが、じっくり見定めてたら女性が潰されてしまいかねないという現実を前にした面もあり、一概にダメとは言いにくい。
実際に声を上げたものの支援が足りなかった女性がどうなるかといえば、園子温の一件でグロテスクなほどわかりやすく示されている。
もし訴えが虚偽だった場合、被害者男性に対しても被害者女性に対するものと同じくらいの熱量や物量をもって、名誉や損害の回復に尽力するという姿勢。
連帯を示した当事者として、批判をおこなった当事者として、賛同し声を上げた当事者として、それらに責任を持つという当たり前の覚悟。
DOAとかで男女が殴りあったり投げや関節技やってるのを見ると物凄く激しいセックスしてるようで子供の頃から興奮していた
てか調べたらあってたし
三省堂国語辞典は、この「的を得る」という表現を長らく誤用として扱ってきたが、改版にあたり再検証を実施、その結果、「得る」の字義を「うまく捉える」の意と捉えれば「的を得る」も誤用とは当たらないと結論づけ、《「的を得る」は「的を射る」の誤り》という従来の記述を撤回している。
何が珍説なんですか?
変換そのまま載っけちゃいました