2024-06-01

MeToo必要だったもの

そもそもMeTooとは何だったのか

社会的に弱い立場にあることが多い女性セクハラ被害等に声を上げても、強い立場にある当事者男性による圧力とか、世間からバッシングとか、いろんなものによって潰されてしまうことが多い、または潰されることを恐れて声を上げづらい。

なので一緒に声を上げましょう、連帯して支え合いましょうという運動だったと俺は思っている。

 

から声を上げた女性に対しては、真偽の究明よりも先に、まず連帯支援を表明して支え合いましょうとなる。

決して褒められたものではないが、じっくり見定めてたら女性が潰されてしまいかねないという現実を前にした面もあり、一概にダメとは言いにくい。

実際に声を上げたもの支援が足りなかった女性がどうなるかといえば、園子温の一件でグロテスクなほどわかりやすく示されている。

 

欠けていたのは、自らの言論や行動に対する責任感。

もし訴えが虚偽だった場合被害男性に対しても被害女性に対するものと同じくらいの熱量や物量をもって、名誉や損害の回復に尽力するという姿勢

連帯を示した当事者として、批判をおこなった当事者として、賛同し声を上げた当事者として、それらに責任を持つという当たり前の覚悟

これがまるで欠如していたことが草津の一件でこの上なく明確に示されてしまった。

そんなもん賛同を得られるわけがない。

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん