つるの剛士が何年も前のツイートを今更掘り返されているらしい。
要約すると「コンビニバイトの外国人の日本語の片言具合が面白くて笑っちゃった」というもの。
外国人の片言日本語「でしゅ」に笑ってツイートをしてしまう事は差別らしく、なるほど、そう言われるとそんな気がしてくる。
ただ自分に置き換えてみると。
語尾に「でしゅ」を付ける人に出会ってしまったら普通に面白いと思うし、僕はその旨をツイートしてしまうと思う。
当然それらの情報はツイの中に入れるとは思うが、相手が特定されるような情報量ではないし、
普段のツイートとなんら変わらない日常の一コマの切り取りの一つだ。
誰だってマックの女子高生の話から拍手喝采が起こったら「マックの女子高生の話から拍手喝采」とツイートすると思うし、そのくらいの話だと思う。
でも何故だろう。
たぶん僕はこの騒動を見て③のシチュエーションに出会ってもツイートしない人間になった。
でも①②だったらツイートすると思う。
差別っぽくないし、たぶん叩かれることもない、というか、日常のツイとして注目もされない筈だからだ。
「でしゅで笑っちゃうのは失礼」とか「Twitter依存しすぎ!」とかもあるとして。
それはそれとして同じ状況において、ある一定の属性の場合に限り何かをしない状況がなんだか差別っぽい。
でもしょうがないよ。
触れるのは危ないから。
その気持ち、よくわかる。
民主主義を否定するために巧妙な詭弁を使おうとしているようだがそうはいかない。
この国が滅びそうなのは民主主義が否定され愚弄され、踏みにじられ続けているからだ。
民主主義があるからこの国は滅ぶので専制君主制や封建制度の方が相応しいというように議論を持っていこうと思ったって、そうはい神崎
ある人と仲のいい人が「○○は性格いいよ」と言うのは当たり前。
それほど交友がない、もしくはそりが合わない人にどう当たるかで性格(本質なのか裏側なのか分からないけど)が見える。
のかもしれない。
当たり前だけど。