コロナで中止やら延期になる色々なイベントへの反応をインターネットで見ていて思った
怒りであったり許しであったり、そういうものを向けられる対象が自分にないなと
アニメや漫画は見るけどそんな、人生観が変わるほどの感銘は受けてないし
どうしてみんなそこまでアイドルやバンドや、ソシャゲやその他もろもろの趣味にお金を落とせるんだろうって思う
僻みではなくただただ羨ましいと思う
ただ、そのアイドルが見ているのは富と名声であって、呼びかけている相手は「ファン」っていう巨大な括りの「なにか」だ
ただ、野暮なのはわかってるし一応オタクの側にいるつもりだからこんなこと言いたくないけど結局のところあれは「絵」だ
自分の車を持って好きにカスタムしてドライブするのはかっこいいなと思う
ただ、自分はそこまで財をつぎ込もうとは思えない
みんながみんな好きなものがあるから、自分も好きなものがある振りをしているけど、実のところみんなほど好きではない
この比較がよくないのかも知れないけど、それにしたって働いて給料を得た先になにかモチベーションになるものがない
魅力的な人間になりたいなと思う
それは自尊心のためだ
魅力的な人間ってなんだ
「自分の好きなものに一生懸命打ち込んでる人は素敵だ、魅力的だ」ってインターネットで誰かが言っていた
というかそもそも、一生懸命打ち込める好きなものなんて、探すまでもなく見つかってるはずだと思う
何を好きと思おうが、インターネットを見ていると上には上がいて、勝手にマウントをとられた気になって諦めてしまう
インターネットをやめればいいと思うが、インターネットの空気と文化はそれなりに好きだし居心地のよさはある
結局今日もこれといった結論らしいものもなく、「きっと同じようなことを思ってる人が世の中の3割くらいを占めているはずだ」という
小学校4年生から3年間運動会で鼓笛隊をやった。運動会前1ヶ月くらい練習して行進曲等を披露する奴だ。
大抵の児童はリコーダーか鍵盤ハーモニカだが、6年生は特別に太鼓などの珍しい楽器で演奏できることになっていた。
楽器を選ぶ権利は4年生からずっと続けていた人が優先で選べる。今年初めて鼓笛隊をやる6年生は大抵は人数の多いアコーディオンだった。さらに余ったアコーディオンは5年生に回される。
私は3年間続けていたわけでもちろん優先的に選ぶことができたのだが、この希望が選べなかったのである。誰かと被って争いたくなかったのだ。誰も手を挙げない楽器があったら挙げよう、と思っているうちにほとんどの楽器が決まっていき、いつの間に5年生からの児童も希望の楽器についており、気づいたらアコーディオンしか残っていなかった。
私はアコーディオンは3年目の学生がやる楽器じゃないだろう、と思って悲しかったが、まあ手を挙げられなかった私が悪い、と諦めてアコーディオンをやるつもりでいた。(一応申しておくと別にアコーディオンを下げているわけではない。他の機会で演奏したがとても楽しかった、いい楽器だと思う)しかしここで幸運が降ってきた。先生がうっかり楽器リストに鉄琴を入れるのを忘れていたのである。
これ幸いと私はじゃあ鉄琴をやります、と宣言し、無事鉄琴役を勝ち取った。なんだかズルみたいに勝ち取ったなぁ、という記憶がある。
実際の練習はちっとも記憶が無いが、つつがなく楽しく終えたのだと思う。
こんなしょうもないエピソードから何を結論つけるか難しいのだが、自分の希望を出せない内気な私は今でも健在ということは言える。現代日本では自分でやりたいと希望を出せる能力はとても大事である。私は現代日本には必要とされていないのだ。ただの真面目系クズは求めれられていないのだ。しんどいなぁ。
就職決まったのに死にたい。ほんとに無理だわ。薬飲んでも他のことしても相談窓口にコールにし続けても薄れんわ。幸福感は一瞬で無くなる。酒は飲めない酔えない。もうコカインでもなんでもいいから夢みさせてくれや。眠れないのに動くのしんどいよね。エスモカとコーヒーでなんとか動いてる。就労前に死ぬ方が迷惑のかけ方としてはマシだよなぁ。ほんとずっとずっと辛いんよ。奇声あげてたらカップルから憐れみの目で見られたわ。キモくてすまんな。言いたいこと誰にも一生言えんわ。社会のお荷物や。もう無理や。もうね全部空っぽよ。何もないよ。もうさ無理なんだよ。ほんとに誰か助けてくれよ。全部使い切ってもう何にもない。残ったのは死にたい気持ちだけよ。もう無理なんよ
でもそれはサポ違うで
じゃあ青葉を代わりに無罪にしよう
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