2016年04月01日の日記

2016-04-01

あのクイズのやつ、おもしろ回答集は見たいけど下手するとid まで表示されたり真面目に回答して間違えたのが晒されたりしたらイヤだからこのままでいいです

1回合格したら次からテスト受けなくてもログインできてるみたいなんだけど、

はじめからテスト受けなくてもログインできてたのかな?

この人たち、なぞなぞ認証存在も知らなさそう。

http://anond.hatelabo.jp/20160331223440

トラバしくってた・・・

みんなこの程度の問題はある程度心におさめて頑張ってるもんなのかなー

http://anond.hatelabo.jp/20160401090156

なんでセカンレイパーオタクだって分かるんですか?

さべつじゃないんですか?

http://anond.hatelabo.jp/20160401094418

そうなのか。

恥ずかしながら、わからない問題があるんだよな。

悔しいから検索はしないぞ。

http://anond.hatelabo.jp/20160401095839

単純にセンスないよね。

タダで享受してるサービスから実験だと言われれば文句を言う筋合いじゃないが。

面白いと思ってやったなら、馬鹿じゃねぇーかと思う。

人間ですか試験のおかげで

はてな匿名ダイアリーの『人間ですか試験』、寒天問題に悩みすぎて、ここに何書こうとしたか忘れた。

結構大きい悩み書こうと思ったはずなんだけど。俺の悩みは寒天に負けるくらいの規模だったんだろう。

匿名ダイアリーもっと人気サービスになり得るんだから

今回のエイプリルフール企画はてラボに初めてログインした人もいるんだろうし、

同時に匿名ダイアリーリニューアルでもしておけばよかったのに、と思う。

それにトラックバックやすいようにした方が良いと思うし、それこそトラックバックという呼び名もやめてただのコメント欄にすれば良いのに。

あれわかりにくすぎるでしょう。

http://anond.hatelabo.jp/20160327083637

増田安易互助会会場にしてもらいたくないんでこーゆーのもうやめてくんないかな

はてな認証試験くっさ

クッソつまらんし

センスなさすぎっしょ

マジ寒い

http://anond.hatelabo.jp/20160331150720

自分はいいけど、関係者めっちゃいであろう両親には絶対無理だわ

大々的にやることが社会的必要とされる人とそうでない人がいるっていう大前提は、看過されるべきではない

あとブコメにもあったけど、そういうたくさん人くる場合だったら御霊前で負担はそんなに大きくならないだろうし、

一生に一度、しか最後最後で、何よりも大事にしないといけないものが何かを履き違えるべきではない

お金ぶっちゃけどうにでもなる

何が一番大事かを考えて、どう最後を迎えるかを決めたい

俺はケチだし孤独死する予定だからどうでもいいけど、親はちゃんと見送ってやらないといけないとは今から考えている

企業エイプリルフール企画について

しょーもないのやるなら、やらない方がいいよ。

スベってる企業多すぎだからね。

はてラボセンター試験認証

おもしろ回答が思いつかないとリロードちゃうよね。

みんなのおもしろ回答って見られないの?

やらしさを失わないでくれ。

弱いところをいたぶり、

互いに責め合い、

どこの国の人たちともセフレになろうとする気持ちを失わないでくれ。

たとえ、その気持ちが何百回裏切られようと。

それがわたし最後の願いだ

あーよかった

ってなるかぼけ!

なんだったんだー

なんだったんだー(テストを受けた感想

http://anond.hatelabo.jp/20160331150720

はてブ見ると自分はこれでいいとか参考になるとか言ってるのが一部に見受けられるが

死体の口の中鼻の中尻の穴に詰め物をする覚悟が本当にあるのかと問いただしたい

これを安易に真似したら大火傷じゃすまんぞ

http://anond.hatelabo.jp/20160331190443

このオタクたちによる被害者へのセカンドレイプを見て、犯罪者オタク報道するなって言い分がちゃんちゃらおかしくなったよ

まだ被害者を叩いてるバカオタクも居るし

オタクたちもオタクマスコミフェミ攻撃されてるとか被害妄想で騒ぐ前に、自分達のお仲間の言動が一番オタクイメージをドブに叩き込んでる事に気がつけよ

「ごめんなさい」もしくは「黙れ」

インターネット掲示板ブログコメント欄は、さまざまな雰囲気を醸し出している。

罵詈雑言に満ち溢れていたり、平和だったり、少々へりくだりすぎ(慇懃無礼)な場合もある。ざっっと見た感じ3:5:2の比率ではないだろうか。まるで朝・昼・夜の理想的カロリー摂取量比率みたいだ。

その中で『へりくだりすぎ』について書く。

以下は、3年前の話だ。

私がよく訪問するブログに、Yさんという人がかなりの頻度でコメントをしていた。Yさんもそのブログ常連であった。

そのブログにはYさんや私以外にもたくさんの人が訪問しており、なかなかの人気ブログだった。

しかし、1つ問題があった。Yさんの過剰な謙虚である

Yさんはコメント欄で長文を書いては「長文ごめんなさい」などと何行にもわたって謝り、またある日は何らかのアドバイスを書いて「おせっかいでごめんなさい」などと何行にもわたって謝っていた。

そこに誠意はあったのかもしれないが、私にはそれは過剰に思えた。

私や他の人は「いやいや、いいよ」と対応し、しかしそのように朗らかな対応をしつつも「どうしたもんかな」と思った。自分が何か悪いことをしているような錯覚さえ抱いた。そのくらい過剰だったのだ。誰が責めているわけでもないのに「ごめんなさい」と謝るYさんは、私からすると不思議しかなかった。

問題は、誰も悪くないということだった。例えば誹謗中傷などであればその人に責任があることが明確だ。しかしYさんの降ってわいたような「ごめんなさい」によるとってつけたような『責任』は、行き場もなくそブログを覆い始めた。

Yさんは頭も性格も良い方だ。「ごめんなさい」を除けば何の問題も無かった。

私は、まさか人生で「ごめんなさい」に悩まされるなんて、それまで考えたこともなかった。

私はある時からこう思い始めた。

Yさんはきっと「黙れ」と言いたいのだ。「ごめんなさいって謝るから何も指摘しないで。頼むから黙ってくれ」と言いたいに違いない、と。

それは同情に値する話だった。Yさんはおそらく心に傷を負っているのだろう。しかし私もどうしようもなかった。私もまた(Yさんより大分劣るけれども)自分に同情した。

そして私はそのブログを去った。

それから3年が経ち、さきほど久しぶりにそのブログを覗いたら、Yさんはまだいた。「ごめんなさい」と書いていた。

私は「ああ、、」と思った。それと同時に、Yさんはそのブログコメントを書き続けることで生きながらえているような気もした。本人にとっての生き甲斐は、他人理解される必要はないのだ。

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