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2012-09-01

http://anond.hatelabo.jp/20120901085209

だんまりかってお前何してほしいんだ?

eufonius自殺ホームレスにでもなれば満足か。日本人は醜い人種になったもんだなぁ

2012-08-15

baka論

お盆帰省からも帰ってきて、また明日から似たような毎日が続く

ふと帰省中の事を振り返り色々と思った事を振り返ってみる

帰省中実妹の息子ももう3歳を目前としておりいくつかの単語をその場に応じて発するようになっていた

物の色を言ったり、見えた物の名前を言ったりと大変にぎやかであった

ある時その子が「ばか」という言葉を口にした時に

妹や私の母が「だめ」だとか「そんなこと言っちゃだめ」と言いだした。

その時はなんとなく心に引っかかっただけだがその時の事を思い出し

なんとなく考えているとやっぱり「なんで馬鹿と言ってはダメなんだろう?」という考えが頭の中を回転しはじめた。

そもそも馬鹿とはその昔無知な殿様が実物の鹿を見て馬だと思ってしまった事に由来すると聞くが

要は何かを間違えたり履き違えている状態に対してそれを指す言葉である事は確かであると思う

ではなぜ「馬鹿」と言ってはならないのだろうか?

言っていい言葉 言ってはいけない言葉

をよくよく思い起こしてみると、どうにかなる状態に対しては指摘してもOKであり

どうにもならない現状に対してその否定的な状態を告げる事はダメな事が多いように思う。

例えば、身体障害者差別する“目くら”であったり“つんぼ”であったり

どうにもならない現状を指摘してみたところでそれらはほぼ改善しようが無い

しか運動している者に対して“遅い”であったりと能力の足りてなさに対し檄を飛ばす事は

一般的にだめだとはされていないように思う。

では馬鹿はどうにもならないという事だろうか?

よく“馬鹿は死ななきゃ治らない”であるとか“馬鹿につける薬はない”などと言う言葉が語り継がれているが

もし実際にこれらの言葉に反する現実歴史の中で人々があちこちで目撃してきていたら

こういった諺などは語り継がれないのではないかと思う

ここまで読んでくれた方はどちらかというと“馬鹿”という言葉に対し否定的な側面ばかりを思い浮かべたのではないかと思うが

実際“馬鹿”という言葉は誰かを罵る時だけでなく愛のある関係間においても時たま使用される事を忘れてはならない。

例えば無茶な行動であったり危険性の高い行動を取った事によって愛する相手の事や相手の持ち物を守った時などに

愛する相手はあなたに対して「ばかっ」などと泣きながら言うかもしれない

しかしたらそういった“ばかな行動”も死ななければ治らないタイプの個人の行動特性の一つなのかもしれないと考えると

馬鹿”とは他人と比べ優れているか劣っているかに関わらず

その個人の個性をよく反映した行動に対して言う事ができるのではないだろうか

よくなにかをとても一生懸命やっている人の事を“馬鹿になってやっている”などと称するけれど

馬鹿もやはり方便

よく聞く教育論に

自分がされて嫌な事は人にもしない”

というものがありますが。

馬鹿場合は“自分が言われて嫌な事は言わない”に帰結するのではないでしょうか

でも馬鹿も方便だという事を考えるとこの教育論を自分は訂正しなければならないと思います

自分がされて嫌な事は人にもしない”が正ならば“自分がされて嫌な事でもし他人が喜ぶ事があってもしない”も正になるし

屁理屈でしょうか。でも“自分がされて嬉しい事”を人にしたのに実は迷惑だったり

自分がされて嫌じゃない事”を他人にしたら嫌がられたりという失敗は日常につきものです。

なので

“相手がされて嫌な事はしない”

自分がされて嫌な事でも人はどう思うかわからない”

自分がされて嬉しい事でも人はどう思うかわからない”

また

“相手がされて嬉しい事でもされたいかどうかはわからない”

って事も言えます

 聞く動物 人間

言う動物は沢山います。犬は吠える事で何かを伝えるし、猫も鳴く事で相手を呼ぶという事をしますが

動的に“聞く”という行動を取る動物どうでしょう

イルカカラス、象、チンパンジーボノボあたりの動物はもしかしたらそういった行動が確認できるのかもしれませんが

“察する”だけでなく“相手の意見を聞く”という行動をこれほど多くとる動物はヒトだけではないでしょうか

 人の判断基準は変化する

日常の生活の中で関わる相手の性格や行動特性を理解し予想して先回りの行動にでる事は多々あります

どのくらいの事どんな事にその人は一定の基準があって、どんな事への考えはよく変化するのかは個人差があります

例えば久しぶりに実家帰省する息子に母親は毎回息子の大好物料理して待っていたとしても

次も同じ様に準備していてくれるとは限りません。事前にきちんと言っておけば食べられるのか食べられないのかハッキリするけど

もし事前に言っておかなければ“期待はずれ”になるかもしれません

そしてもし事前にお願いする事なく“期待通り”の結果を得た場合がある危険を貴方にもたらす可能性があります

それは貴方が馬鹿になってしまう事。図らずも良い結果を得た事で次も同じ結果を期待してしま

期待はずれになってしまった時に“作ってくれなかった母”を責めてしまいかねない心理が発生します。

しかに言わなくても解ってもらえたりすることはとても強い幸福感を感じます

言えば済む事でも言わずに解ってもらえたという幸福感を求めてあえて言わないなんていう行動にもでてしまったりします。

聞くべき事、察すべき事、長い付き合いにもなればだいたいにお互いを理解して

この相手には何を聞くべきで何は察するべきなのか本能的に解ってくるのではないかと思うのですが

知り合って間もない相手だと解りあえるまでの時間がかかる人もいればあまりかからない人もいる

こんな文章をこんなところまで読んだ貴方とは

わりと早く解りあえるんじゃないかな?

http://www.facebook.com/#!/awaikumo

2012-07-30

http://anond.hatelabo.jp/20120729214643

一番最後の、女流棋士うんぬんのところは、

いわゆる「アファーマティブ・アクション」(優遇措置)だわな。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%96%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3

あと、例に出てるものとは、あんまりかぶらないけれど「パターナリズム」とかもちょっと近い話かな。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%8A%E3%83%AA%E3%82%BA%E3%83%A0

なお、上記の情報が、お前にとって、もし既知の情報だったとしても、

「そのぐらい知ってるんじゃボケェ」とか言って、オレの善意を非難するのではなく、

「知りませんでした。大変参考になりました!」と感謝して頭をひれ伏すとよい。

2012-07-22

http://anond.hatelabo.jp/20120722161304

俺は逆で、消費を推奨する社会はもうオワコンだと思ってる。

理由は資源がないから。

経済を回すにはエネルギーが要る。まさに今そのことで大揉めに揉めてるじゃん、電気どうすんのって。

経済が回った方が今生きてる人間にとっては気持ち良いけど、ツケが回る未来の世代にとってはたまったもんじゃない。

一方科学技術進歩人間の作業が減って、失業率が上がってる。これは悪い事なんじゃなくて、働かなくてもいい時代が始まりかけてるって事。

これからはいかに経済を回さないで人が幸せになるかを考えていかないとダメだと思う。

2012-07-11

例のキチガイがいないので一日中静まりかえっている

父親と実質的に絶縁した。

自分中学上がる前くらいまでは自慢の父だった。

手先が器用でやさしかった。

本だったらいくらでも買ってやる、と言ってくれて、

図書館で何度も借りた美術書は、何度か引っ越したけれど、

ずっと手元に置いてある。今も時々読む。

それ以降は父には今までいろいろ言われてきた。

自分が高校受ける頃、公立高校を希望してる場合

確実に受かる私立高校希望している公立と同じ位の偏差値私立高校

2つくらいを受けるのが主流(?)だった。

自分時代(私とは27歳違う。確か)は

滑り止めなど受けなかったから、

そんなもんあるとは思うな、とか言われた。

大学は新設される学部へ進学を決めた。

勉強したい分野の研究室自分のいる場所から通える範囲で探したら、

新しい学部研究室が移動するということだったので、

そこを第一志望にした。

新しい学部なんて就職できるのか?

俺は賛成しない。

どちらも結局自分希望を押し通した。

母と、母方の祖父母は学費含め応援してくれた。

祖父母にはお祝いとして大きなお金を頂き、

なおかつ学費を貸してもらったけど、

借りた分は1年半くらいで一気に返した。

就職したら、自分技術者としての働きに重ね合わせて、

いろいろいわれたような気がする。

自分は複数人で開発を行う部署。

父はたった一人の部署。

しかも分野がまったく違うのに、

知ったかでいろいろアドバイスめいたことを言ってきた。

この人、何言ってんだろう?と思うようになった。

このままじゃ、いらいらしてうまく生活していけないな、

と感じたので家を出た。

その後なんだかんだで配偶者となる恋人を紹介して、

恋人からプロポーズされて、だけど恋人の配置換えや家の問題で、

なかなか話が進まず、そうこうしているうちにおめでた婚になってしまった。

そのおめでた婚になる直前くらいに、

実家に置いてある私物を父に勝手に捨てられた。

「落ちていたものを捨てた。自分のだと思った」と言う。

だが、戸棚に入っている父のものとは色も形状も異なるもの

前に使っていたものと同じだから、とは言うが、

さすがに自分で使っていたものを、全部使い終えて、

違うもの買ってるにもかかわらず、自分のじゃないかも?とは

疑わなかったらしい。

思い返してみれば、家を出てから、何度となく、

実家に置いてある自分の私物は勝手に片付けられていた。

自分への断りはなかった。

帰って、いつもの場所に無い!と思って、

何度もいろんなものを探した。

まりかねてマジギレした。

だけど、おめでた婚の話で、とりあえずこちらが折れた。

その後こどもが生まれたが、こどもが生後3週間くらいのころ、

夜泣きがひどくなかなか寝てくれなかった。

泣きすぎで声が枯れていた。

風邪でもひいたんじゃないか?等々ひどい言われようだった。

孫かわいさで義理実家がお嫁さんに言うアレコレ、みたいなことは一通り言われた。

医療従事者である父がいろいろアドバイスめいたことを言ってきたが、

考えてみたら、父は患者指導できる立場には無い。

お前は黙ってろ、と思った。

その後も何かといろいろこちらがムッと来るようなことを言われた。

ついに、育休明けから保育園に入れることについて、

かわいそうだと言われた。

私はこれを聞いて、冷静に、

そういった発言は控えてもらえないか、と伝えた。

どう曲解したのか分からないが、

母へ「復職について悩んでいるようだから相談に乗ってやれ」と言ったらしい。

母は、ここまでいろいろと自分と父がドンパチやりつづけてるのをフォローし、

なおかつ、自分(母)の実家でも、(母の実家の)本家人間のように父が振る舞い、

親戚相手にドンパチやりつづけ、私の配偶者にまで気を使わせている現状に嫌気が差し

離婚をしたい、と申し入れた。

そう言われて、その後懇々と諭す母の話を聞いて、初めて父は気づいたらしい。

今までの言動は、その場その場で終わっているものではなかったこと。

その場その場でいろいろと言われても、その後何にもなかったかのようになっているのは、

自分が好かれているからだ、と勝手に思っていたが、そうではなかったこと。

自分へはその申し入れの後にやっと謝罪が来た。

だが、これ以上配偶者まで巻き込んで付き合いきれない。

保育園へ入れるこどもが、ある程度会話ができるようになったとき

自分たちでなんとか説得したことを

無神経に蒸し返すようなことを言われたらたまったもんじゃない。

もう、自分配偶者がいて、子供もいる親と言う立場である

家族を守るため、冠婚葬祭やこどものお祝い事など以外では顔を合わせたくない。

理解して欲しい、と伝えた。

今まで、優しかった父のことを信じていたけれど、

どんどんひどくなるばかりで、

もう付き合いきれない、と思ってしまった。

少年野球とか、PTAがやってるスポーツ教室室長になり、

先生、と言われて、崇め奉られて、いい気になった結果、

父が嫌いな祖母と同じような性格の、

嫌味で誰からも疎まれる爺になった。

今は、母と離婚して、今の家を母に譲り渡して、田舎へ帰り、

仲の良くない祖母とともに、疎まれて暮らしくれればいいのに

と思ってる。

今まで勝手な思い込みで勝手な振る舞いをして、

好き勝手に生きてきたんだから、もうそこでみんなの厚意を

使い切った分、残りの人生さびしく生きてけばいいんじゃないかな。

父は後悔しているようで、

ここで追い詰めるようなことをたらふく言ってやりたいけれど、

一番追い詰めるのはこのまま無視だと思ってるので、しない。

すっきりしないけど。

すっきりしないおかげでストレスものすごくて、

なべ焦がしたり本当にこどもいるのに注意力というか、

いろいろ意識が散漫になってて危なすぎるんだけど、

それでも、あいつのかわいい孫を遠ざけて、

追い詰めて追い詰めて、死ぬ手前くらいまでにするには、

これが一番効くんだと思いつつ。

配偶者にめぐまれ、こどもにめぐまれ、義理実家にもめぐまれて、

自分は父のようにおごらないよう、幸せ暮らしたいと思ってる。

この血が目覚めることなく、幸せに。

2012-06-29

アサイさんへ

純粋ブログのいちファンです。

http://twitter.com/invasivespeacie/statuses/218682205868793858

こちらのやり取りをみて思ったことを少し。

どんぐりかいぎのエントリは、すばらしいと思いました。

関心のあるひと・興味がなかったひとを惹きつける魅力あるエントリでした。

実際問題、全然興味なかったんですよ、読むまでは。

でもどんぐりばらまくことのヤバさはしっかりと伝わった。

関心を持つようになった。行動には、うつせないけれど。

ただ、invasivespeacieさんの言うように 

http://togetter.com/li/253582 に見られる姿勢は???でした。

 

盛り上げることを他者に期待しちゃいけないんです。

思っていても言葉にしないほうがいい。

そういうの、反射的に「上から目線」って感じちゃいます

自分は"ひと・ブロガー"としてのアサイさんに関心があるけど、

ただそれだけで影響力を持てるっていうことじゃぁないと思うんですよ。

慢心と取られてもしかたがないかなー、と感じました。

覚悟のある奴しか発言するな、なんて窮屈だよ」にはまるっと同意ですが、

"覚悟のある風の態度"で議論を他者に投げるのは、誠意のない態度なのだと思います

盛り上げるにはアサイさんがもっと惹きつけるエントリを書けばいいのだと思うし。

結局のところ、アサイさんはどうしたいの?どうなってほしいの?

熊森関連に関してはいち読み手としてとても不明瞭にな印象を受ける。

一部の叩きたいだけの放射脳とあまりかわらないような。

なんて、増田に書いて届くかはわからないけれど、

ファンで、応援したい気持ちがあるから、ひっそりと記しておきます

 
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