はてなキーワード: まりかとは
お盆の帰省からも帰ってきて、また明日から似たような毎日が続く
ふと帰省中の事を振り返り色々と思った事を振り返ってみる
帰省中、実妹の息子ももう3歳を目前としておりいくつかの単語をその場に応じて発するようになっていた
物の色を言ったり、見えた物の名前を言ったりと大変にぎやかであった
妹や私の母が「だめ」だとか「そんなこと言っちゃだめ」と言いだした。
その時はなんとなく心に引っかかっただけだがその時の事を思い出し
なんとなく考えているとやっぱり「なんで馬鹿と言ってはダメなんだろう?」という考えが頭の中を回転しはじめた。
そもそも馬鹿とはその昔無知な殿様が実物の鹿を見て馬だと思ってしまった事に由来すると聞くが
要は何かを間違えたり履き違えている状態に対してそれを指す言葉である事は確かであると思う
ではなぜ「馬鹿」と言ってはならないのだろうか?
をよくよく思い起こしてみると、どうにかなる状態に対しては指摘してもOKであり
どうにもならない現状に対してその否定的な状態を告げる事はダメな事が多いように思う。
例えば、身体障害者を差別する“目くら”であったり“つんぼ”であったり
どうにもならない現状を指摘してみたところでそれらはほぼ改善しようが無い
しかし運動している者に対して“遅い”であったりと能力の足りてなさに対し檄を飛ばす事は
一般的にだめだとはされていないように思う。
では馬鹿はどうにもならないという事だろうか?
よく“馬鹿は死ななきゃ治らない”であるとか“馬鹿につける薬はない”などと言う言葉が語り継がれているが
もし実際にこれらの言葉に反する現実を歴史の中で人々があちこちで目撃してきていたら
こういった諺などは語り継がれないのではないかと思う
ここまで読んでくれた方はどちらかというと“馬鹿”という言葉に対し否定的な側面ばかりを思い浮かべたのではないかと思うが
実際“馬鹿”という言葉は誰かを罵る時だけでなく愛のある関係間においても時たま使用される事を忘れてはならない。
例えば無茶な行動であったり危険性の高い行動を取った事によって愛する相手の事や相手の持ち物を守った時などに
愛する相手はあなたに対して「ばかっ」などと泣きながら言うかもしれない
もしかしたらそういった“ばかな行動”も死ななければ治らないタイプの個人の行動特性の一つなのかもしれないと考えると
その個人の個性をよく反映した行動に対して言う事ができるのではないだろうか
よくなにかをとても一生懸命やっている人の事を“馬鹿になってやっている”などと称するけれど
馬鹿もやはり方便
よく聞く教育論に
“自分がされて嫌な事は人にもしない”
馬鹿の場合は“自分が言われて嫌な事は言わない”に帰結するのではないでしょうか
でも馬鹿も方便だという事を考えるとこの教育論を自分は訂正しなければならないと思います。
“自分がされて嫌な事は人にもしない”が正ならば“自分がされて嫌な事でもし他人が喜ぶ事があってもしない”も正になるし
屁理屈でしょうか。でも“自分がされて嬉しい事”を人にしたのに実は迷惑だったり
“自分がされて嫌じゃない事”を他人にしたら嫌がられたりという失敗は日常につきものです。
なので
“相手がされて嫌な事はしない”
また
って事も言えます。
言う動物は沢山います。犬は吠える事で何かを伝えるし、猫も鳴く事で相手を呼ぶという事をしますが
イルカ、カラス、象、チンパンジー、ボノボあたりの動物はもしかしたらそういった行動が確認できるのかもしれませんが
“察する”だけでなく“相手の意見を聞く”という行動をこれほど多くとる動物はヒトだけではないでしょうか
人の判断基準は変化する
日常の生活の中で関わる相手の性格や行動特性を理解し予想して先回りの行動にでる事は多々ありますが
どのくらいの事どんな事にその人は一定の基準があって、どんな事への考えはよく変化するのかは個人差があります
例えば久しぶりに実家に帰省する息子に母親は毎回息子の大好物を料理して待っていたとしても
次も同じ様に準備していてくれるとは限りません。事前にきちんと言っておけば食べられるのか食べられないのかハッキリするけど
もし事前に言っておかなければ“期待はずれ”になるかもしれません
そしてもし事前にお願いする事なく“期待通り”の結果を得た場合がある危険を貴方にもたらす可能性があります。
それは貴方が馬鹿になってしまう事。図らずも良い結果を得た事で次も同じ結果を期待してしまい
期待はずれになってしまった時に“作ってくれなかった母”を責めてしまいかねない心理が発生します。
たしかに言わなくても解ってもらえたりすることはとても強い幸福感を感じます。
言えば済む事でも言わずに解ってもらえたという幸福感を求めてあえて言わないなんていう行動にもでてしまったりします。
聞くべき事、察すべき事、長い付き合いにもなればだいたいにお互いを理解して
この相手には何を聞くべきで何は察するべきなのか本能的に解ってくるのではないかと思うのですが
知り合って間もない相手だと解りあえるまでの時間がかかる人もいればあまりかからない人もいる
こんな文章をこんなところまで読んだ貴方とは
わりと早く解りあえるんじゃないかな?
http://www.facebook.com/#!/awaikumo
いわゆる「アファーマティブ・アクション」(優遇措置)だわな。
あと、例に出てるものとは、あんまりかぶらないけれど「パターナリズム」とかもちょっと近い話かな。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%8A%E3%83%AA%E3%82%BA%E3%83%A0
なお、上記の情報が、お前にとって、もし既知の情報だったとしても、
「そのぐらい知ってるんじゃボケェ」とか言って、オレの善意を非難するのではなく、
「知りませんでした。大変参考になりました!」と感謝して頭をひれ伏すとよい。
手先が器用でやさしかった。
本だったらいくらでも買ってやる、と言ってくれて、
ずっと手元に置いてある。今も時々読む。
それ以降は父には今までいろいろ言われてきた。
確実に受かる私立高校、希望している公立と同じ位の偏差値の私立高校の
2つくらいを受けるのが主流(?)だった。
滑り止めなど受けなかったから、
そんなもんあるとは思うな、とか言われた。
勉強したい分野の研究室を自分のいる場所から通える範囲で探したら、
そこを第一志望にした。
俺は賛成しない。
母と、母方の祖父母は学費含め応援してくれた。
祖父母にはお祝いとして大きなお金を頂き、
なおかつ学費を貸してもらったけど、
借りた分は1年半くらいで一気に返した。
いろいろいわれたような気がする。
自分は複数人で開発を行う部署。
父はたった一人の部署。
しかも分野がまったく違うのに、
この人、何言ってんだろう?と思うようになった。
このままじゃ、いらいらしてうまく生活していけないな、
と感じたので家を出た。
恋人からはプロポーズされて、だけど恋人の配置換えや家の問題で、
なかなか話が進まず、そうこうしているうちにおめでた婚になってしまった。
そのおめでた婚になる直前くらいに、
疑わなかったらしい。
思い返してみれば、家を出てから、何度となく、
自分への断りはなかった。
何度もいろんなものを探した。
たまりかねてマジギレした。
だけど、おめでた婚の話で、とりあえずこちらが折れた。
その後こどもが生まれたが、こどもが生後3週間くらいのころ、
夜泣きがひどくなかなか寝てくれなかった。
泣きすぎで声が枯れていた。
孫かわいさで義理の実家がお嫁さんに言うアレコレ、みたいなことは一通り言われた。
医療従事者である父がいろいろアドバイスめいたことを言ってきたが、
お前は黙ってろ、と思った。
その後も何かといろいろこちらがムッと来るようなことを言われた。
かわいそうだと言われた。
私はこれを聞いて、冷静に、
そういった発言は控えてもらえないか、と伝えた。
母へ「復職について悩んでいるようだから相談に乗ってやれ」と言ったらしい。
母は、ここまでいろいろと自分と父がドンパチやりつづけてるのをフォローし、
なおかつ、自分(母)の実家でも、(母の実家の)本家の人間のように父が振る舞い、
親戚相手にドンパチやりつづけ、私の配偶者にまで気を使わせている現状に嫌気が差し、
離婚をしたい、と申し入れた。
そう言われて、その後懇々と諭す母の話を聞いて、初めて父は気づいたらしい。
今までの言動は、その場その場で終わっているものではなかったこと。
その場その場でいろいろと言われても、その後何にもなかったかのようになっているのは、
自分が好かれているからだ、と勝手に思っていたが、そうではなかったこと。
自分へはその申し入れの後にやっと謝罪が来た。
だが、これ以上配偶者まで巻き込んで付き合いきれない。
保育園へ入れるこどもが、ある程度会話ができるようになったとき、
自分たちでなんとか説得したことを
無神経に蒸し返すようなことを言われたらたまったもんじゃない。
家族を守るため、冠婚葬祭やこどものお祝い事など以外では顔を合わせたくない。
理解して欲しい、と伝えた。
今まで、優しかった父のことを信じていたけれど、
どんどんひどくなるばかりで、
もう付き合いきれない、と思ってしまった。
先生、と言われて、崇め奉られて、いい気になった結果、
父が嫌いな祖母と同じような性格の、
嫌味で誰からも疎まれる爺になった。
仲の良くない祖母とともに、疎まれて暮らしてくれればいいのに、
と思ってる。
使い切った分、残りの人生はさびしく生きてけばいいんじゃないかな。
父は後悔しているようで、
ここで追い詰めるようなことをたらふく言ってやりたいけれど、
一番追い詰めるのはこのまま無視だと思ってるので、しない。
すっきりしないけど。
なべ焦がしたり本当にこどもいるのに注意力というか、
いろいろ意識が散漫になってて危なすぎるんだけど、
追い詰めて追い詰めて、死ぬ手前くらいまでにするには、
これが一番効くんだと思いつつ。
配偶者にめぐまれ、こどもにめぐまれ、義理の実家にもめぐまれて、
自分は父のようにおごらないよう、幸せに暮らしたいと思ってる。
この血が目覚めることなく、幸せに。
http://twitter.com/invasivespeacie/statuses/218682205868793858
こちらのやり取りをみて思ったことを少し。
関心のあるひと・興味がなかったひとを惹きつける魅力あるエントリでした。
実際問題、全然興味なかったんですよ、読むまでは。
でもどんぐりばらまくことのヤバさはしっかりと伝わった。
関心を持つようになった。行動には、うつせないけれど。
ただ、invasivespeacieさんの言うように
http://togetter.com/li/253582 に見られる姿勢は???でした。
盛り上げることを他者に期待しちゃいけないんです。
思っていても言葉にしないほうがいい。
自分は"ひと・ブロガー"としてのアサイさんに関心があるけど、
ただそれだけで影響力を持てるっていうことじゃぁないと思うんですよ。
「覚悟のある奴しか発言するな、なんて窮屈だよ」にはまるっと同意ですが、
"覚悟のある風の態度"で議論を他者に投げるのは、誠意のない態度なのだと思います。
盛り上げるにはアサイさんがもっと惹きつけるエントリを書けばいいのだと思うし。
結局のところ、アサイさんはどうしたいの?どうなってほしいの?