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2012-06-29

アサイさんへ

純粋ブログのいちファンです。

http://twitter.com/invasivespeacie/statuses/218682205868793858

こちらのやり取りをみて思ったことを少し。

どんぐりかいぎのエントリは、すばらしいと思いました。

関心のあるひと・興味がなかったひとを惹きつける魅力あるエントリでした。

実際問題、全然興味なかったんですよ、読むまでは。

でもどんぐりばらまくことのヤバさはしっかりと伝わった。

関心を持つようになった。行動には、うつせないけれど。

ただ、invasivespeacieさんの言うように 

http://togetter.com/li/253582 に見られる姿勢は???でした。

 

盛り上げることを他者に期待しちゃいけないんです。

思っていても言葉にしないほうがいい。

そういうの、反射的に「上から目線」って感じちゃいます

自分は"ひと・ブロガー"としてのアサイさんに関心があるけど、

ただそれだけで影響力を持てるっていうことじゃぁないと思うんですよ。

慢心と取られてもしかたがないかなー、と感じました。

覚悟のある奴しか発言するな、なんて窮屈だよ」にはまるっと同意ですが、

"覚悟のある風の態度"で議論を他者に投げるのは、誠意のない態度なのだと思います

盛り上げるにはアサイさんがもっと惹きつけるエントリを書けばいいのだと思うし。

結局のところ、アサイさんはどうしたいの?どうなってほしいの?

熊森関連に関してはいち読み手としてとても不明瞭にな印象を受ける。

一部の叩きたいだけの放射脳とあまりかわらないような。

なんて、増田に書いて届くかはわからないけれど、

ファンで、応援したい気持ちがあるから、ひっそりと記しておきます

2011-10-29

削除された「熊森活動備忘録」を拾ってみた

日本熊森協会ツキノワグマヒグマ保護活動に対して、その手法精神性の両面について問題が大きいことは各所で指摘されている。

取り上げられることが多いのは、「ドングリ運び」「ドンプレ」と称される「お腹をすかせたクマに食べ物を届ける」活動である

2010年秋、協会は大々的に全国からドングリを募集し、一部をヘリコプター山中に運ぶという活動を行った。

(通常のドングリ運びを含む)本件については、野生動物研究者によって問題点が指摘されているほか、ブログtwitter上等で是非について議論が続いている。

2011年4月、「協会の元スタッフ(既に除名措置を受けているとのこと)」である男性が、「熊森活動備忘録」と題するブログを開設し、協会内部の問題点について指摘を始めた。

ブログは削除済みである

著者John Smith氏(氏はブログ内で本名を公開している)は、ブログ最初の記事でこう記している。

私は、2008年から2010年まで足かけ3年間、「実践自然保護団体 日本熊森協会」(以下「熊森」と呼ぶ)にてボランティアをした経験を持つ。このブログ目的は、一言で言えば「糾弾」と「懺悔である。足かけ3年の経験において、私が見聞きし、感じたことを記し置き、熊森という団体の実態を明らかにすることがその手段である。「これから熊森に入会しようかな」とか「ボランティアをしようかな」と考えている人や、一般の熊森会員が、このブログを読んで熊森という団体についてご一考いただければ幸いである。


ブログ上では、氏が熊森協会会長および幹部の数名を実名糾弾し、会員数のごまかし、協会運営上の不審な点、不透明な金銭、自らが受けた理不尽な扱い、クマや森の保全活動と銘打った活動の問題点等を指摘している。

しかし、5月中旬ブログは削除され、一度別のブログサービス移転するものの、再度削除された。

John Smith氏はこの件に対し、twitter上で「熊森協会からブログ運営に、プライバシー侵害および名誉折損を理由とする削除申し立てがあった」こと、また「John Smith氏自身の所属組織に対し、協会から電話による嫌がらせがあった」ことを明かした。


この「熊森活動備忘録」が削除されたことで、ブログ内で指摘された協会の様々な問題点についての信憑性が逆に高まることになったのは言うまでもない。

該当ブログは二件とも削除済みであるが、WEB上で読めるものを拾ってみたので、以下にリンクを示す。

はじめに-熊森活動備忘録(4/9日の記事、ウェブ魚拓

雑記帳3 ドングリ運び、電話攻撃に思うこと-熊森活動備忘録(4/21の記事、ウェブ魚拓

熊森活動備忘録(4/18から5/19までの記事のテキストデータrssリーダ


John Smith氏の意思である、”「これから熊森に入会しようかな」とか「ボランティアをしようかな」と考えている人や、一般の熊森会員が、このブログを読んで熊森という団体についてご一考いただ”く参考になればと思う。

2011-01-20

レイプされた女が悪い

っていうのは煽りタイトルなんですが(一部界隈でホットなので、自らセカンドレイプしかけてみる)

こういう事例というか、「自助努力が欠けているからそうなったんだ」という俗流自己責任を持ち上げる輩はわりといますね。

で、ちょっとトポロジーな類例をふたつばかり考えてみたので、ひとまず被害程度の問題を無視して、読んでみてください。


いじめられた奴が悪い、あるいは、いじめられる奴にも原因がある

要するにこれは、レイプの話題で言えば「胸を露出させる服を着ているのが悪い」とか、「ひとりで夜出歩いているのが悪い」的な言説ですね。いじめられる側の隙を探して、いじめる理由に足るものを指摘して、「お前がデブハゲでバカでフケ散らかしてるのが悪い」って話です

レイプ含め、性犯罪を根絶することは不可能でしょう。同様に、いじめを根絶することも無理だと思います。起こってしまったときに、適切な対応と、理解を促すぐらいしか、方策はないように思います。

ニートになる奴が悪い、無い内定になるのには原因がある。クビになるのはお前が悪い

別方面でもそれなりに話題になりがちなテーマですね。よく「コミュ障だから内定がない」となかば自虐的に書き込まれるケースが多いですが、それ以外にも「社会人としての自覚が足りないからだ」とか「甘えてるからだ」とか、飛躍して「○○大学なら当然だな」とか、無い内定になるのにはさも当人に落ち度があるのだから当然という主張がまかり通っています。

学歴に依る差別は合理的なものだから、区別であって正しい、という主張をする人がまだまだ多いです。それを盾にして「だから低学歴無い内定になって当然。今までの努力が足りないツケだ」と主張すること自体も正統的な目線で見られがちです

そもそもの話として、自助努力というのは存在しうるのでしょうか。こういう場で使われる努力というのは「最適解」を前提にしています。つまり、努力しようがしなかろうが、当人にとっての最善の努力だろうが、実現しなければ「甘え」であり「努力が足りない」ということです

性犯罪で例えれば「深夜にバイトをしないで生活できるように、最善の努力をしてこなかったお前が悪い」とか「努力せずに低学歴になったんだから性風俗のような相応の産業で働いてあたりまえだし、その帰り道でレイプされてもどうせ売春婦なんだから一回ただ働きしたようなもんでしょ、適切な努力した人はそんな事されない」とか臆面もなく主張してくるわけですね。

社内いじめが功を奏してクビになってしまったとしても、それは政治力のないあなたが悪い、とも言われてしまうわけです

能力がなくてクビになったとしても、勉強する時間を創ってこなかったお前が悪いと、誰も取り合わないわけですサビ残ばかりで終電帰宅毎日でもね。

根本に見える「因果応報」「火のないところに煙は立たぬ」「スーパーマン」の思想

されたのが悪い、されたのはお前に原因がある。

これらに共通するのは因果応報の思想です

努力すれば報いがあるのだから、報いがないのはお前の努力が足りない、というわけです

ベクトルとしても、主張は成立します。

負の努力をすれば負の報いがくるのだから、正の報いがないのはお前が負の努力をしているからだ、ということです

先天的にせよ後天的にせよ、それを改善しようと努めないなら相応の報いを受けるのだ、というのは一見聞こえはいい(自分に火の粉は降りかからいから)ですが、弱肉強食に塗れたキケンな思想だと言わざるをえないでしょう。他責的言説が支持されないのはこういう背景があると睨んでいます(他人の因果がなぜ自分と関係があるのか!と思う人は多いんじゃないかな)

で、そういう弱肉強食的言説はスーパーマンを期待します。

そして自分が喰われる側となれば「もっと努力すれば」とスーパーマンを期待し、

喰う側となれば「もっと努力しろ」とスーパーマンを期待し、

相互で相互のハードルを上げあって、互いに息苦しくなる(もちろん、この息苦しささえ「それはお前が弱いからだ」と言い切る人もいるでしょう)

他者理解と歯車認識

よく、「社会歯車」という表現ネガティブに用いられます

自律意志を持たず、ひたすらルーティンワークをして錆止めの油(給与)を与えられるだけのサラリーマン皮肉ったものとして。

しかし、すべての成員は歯車だ、と私は思うのです。どちらかというとポジティブに。

運命共同体、と言えばいいでしょうか。

つまり自分歯車として機能しているということは、他の歯車も機能しており、自分馬力が他人に作用している何よりの証拠なのです

すべての事象は、社会に参与するすべての人間に関係があるのです

からこそ、他者理解が必要なのです

なぜ、熊森生態系撹乱を無視してまでどんぐりを森に撒くのでしょう。

なぜ、我が国の文化ガラパゴスとして他国からCrazyと思われるのでしょう。

なぜ、いまホメオパシー信仰は絶えないのでしょう。

なぜ、起業しろと、起業ノウハウも金銭もない人間に主張するのでしょう。

なぜ、学生起業しない、できないのでしょう。

すべての因果は、わずかなりにも自身に影響があります

すべてを理解しろと言っているのではありません。超人はないのだから、私とて理解できないモノだってあります

ただ、出来る限り理解すべきです。他者を寛容にすべきです

自己を律するのは勝手ですが、同じだけの律を他人に求めるのは不寛容です

そして、できるだけ、すべてを包摂していくことこそが求められるべきです

 
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