「『旧姓を公的に使えるようにするとしたら』税や健康保険、配達物なんかはどうするんだ?」ってことを聞いたんじゃなかったの?
ここからはまったく余談だけど、
ついでに男でも女でも複数名前を持てる遊び心ある社会も良いなあ。
現にあったのよ、この日本でね。
幼名、号っていうのがそれです。
はてな匿名ダイアリーはこわい。いや、それに限らずネットが怖い。
体感してわかったけど、1000ブクマを越えた辺りからは「確実に知り合いも読んでいる」と思った方がいいくらいだ。
そして、人気の出るテキストってのはおおよそ自分の得意分野のものになるわけで。
俺を知ってる人が読めばそりゃ「あいつだ!」ってなるのは道理なんだけども。そうはいっても油断してた。
俺はテキストサイトが流行る少し前、パソコン通信のちょっとあとくらいからネットを使ってるんだけど。
当時は、ネットとリアルの垣根が今よりもっと高かった。「有名サイト」と言っても、せいぜいがデイリーアクセス数万の世界だった。
ところが、現在はまとめサイトはおろかネットニュース媒体まで登場し、拡散力がハンパじゃない。
そして、多少なりとも価値があったりおもしろかったり特殊だったりするテキストは、絶対に誰かが保存している。
自分が忘れたころに流行りだすこともあるから油断できない。数か月も前に立てた2chのスレが唐突に流行ってたりする。
そういうわけで、「おまえあれ書いただろ」となってしまうわけだ。怖い。ホント怖い。
しかし、これは考えようによっては自己表現の場が増えたというわけでよいことなのかもしれないけれど。
今のネットの評価はかなり信用できる。面白いものを書けば必ず誰かが評価してくれる。でも怖い、それでも怖い。知り合いバレ怖い。
面白いものを書いて人を楽しませ、そのブクマをニヤニヤ眺めることが正直楽しい。これはほとんど中毒で今更やめられない。
開き直って実名を晒し、有名ブロガーみたいな存在になるのもイヤだ。俺はテキストだけで評価を受けたい。
「書き手の情報」というフィルタを通して読まれても面白みに欠ける。なにせ、カネにもなんにもならないネットに垂れ流しているんだから。自由にやりたい。
ネームクレジットをつけて文章を書くのはダルい。どうしたものか。
そういうわけで、俺の友人知人たちはネット上で俺を見かけても、生暖かく見守るようにしてほしい。
本人に報告はいらない。むしろ、それはタブーということになってほしい。そんなネットマナーが今必要なのではないか。俺のために。
粘着されるだけでいいこと何もないしね。。
趣味よりも、価値観が近いor違う価値観を受け入れられる姿勢があることのほうがずっと重要なんだよな。
趣味が似てる人を探すことは今の時代、簡単だけれど(ネットコミュニティやツイッターで探せる)、
価値観が似てる人を探すにはどうしたらいいのやら。
うんまぁそりゃそうなんだけど、「使い分けるのめんどくさい」という理由については「別に使い分ける必要はない」と言いたかっただけです。
てかいまどき郵便ポストの名前や表札なんて無い家もたくさんあるからその辺は特に問題起こらない気がする。
うちも嫁の旧姓宛の郵便物とかなんの問題もなく届くし。
>旧姓を公的に使えるようにしたのなら、公的機関は旧姓使用に対応してないとおかしいのでは
出羽守がどれだけ幅利かせるかにかかってるわ。
日本人は柔軟だしどっちでもやってける、ってか誰かが決めちまえばどっちでも従うだけだろ。
そんなの知ってるって。
だからアメリカは日本より男性もボディコンシャスなのは事実だって書いてんじゃん。
でも
この趣向はすごくゲイくさいよ。
って言ってるの。
つまり
もうちょっと注意した方がいいよと。
せっかく諸々含めて書いてるのに
うんざりする。
サービスには多くを求めるべきではない。
何についても自分にとって最も大事な1個、どうしてもなら2個、
評価ポイントはそこだけに絞るべきだ。
たいして必要でもないことまで軽い気持ちで要求して
サービスする側に多大な負担を負わせることになったらそれは両者にとって大変あほらしいことだ。
コンビニで許せないのはこれだけ。
これ以外はどうでもいい。
なんなら店員が仏頂面でもタメ口でも商品の並びがガタガタでも店の照明が半分切れててもいい。
レジさえパッと入ってスパッと打ってくれれば他のことはなんも期待しない。たかがコンビニとコンビニ店員。
強いて次点を探すなら
これよりずーっとずーっと優先度下って、
まあそんなの買わなければいいだけなので文句言うほどじゃない。
何事も自分が重視するポイントを1個(どうしてもなら2個)に限定すると
だいたい大らかになれるし、どうしても文句言う時もポイントが明確になる。
オススメ。
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20120319-00000003-trendy-sci
比類ない自分撮り機能の良さに香港の女性が絶賛、SNSで広がる。
「スペックではなく、若い女性の気持ちが多くのフォロワーに伝わった」
いやぁ、反対している連中はグングツグンクツばかりだよ。
ただのヘイトスピーチですね。男性の人権が侵害されていると訴えている男性も大勢いるのに。
こういう男性を見るとますます言葉の裏を探り本音建前を見わける必要性を感じます。
つまりこれもある種の被害ですよね。
「ホンダはどうした」「ホンダらしくない」という批難の声が、社内外のあちこちから聞こえてきた時があった。現場で車を作っている身としては、針の筵に座らされているような日々を送っていた。そんな時に本田さんが言った。
「君たちは、腹がへって死にそうな人に、『すき焼きの肉を買いに行きます』なんて言うのか!」
それは、どんな人たちの声よりも鋭くわたしの胸に突き刺さった。
[中略]
上級車思考が進んでいた時のことだ。わたしたちも、従来のものよりずっと性能のいい上級の車を投入したり、アメリカ向けに開発した大型車を急遽、日本市場に投入したりしていた。が、いずれもお客様の動向を的確に捉えているとは言えなかった。
お客様のニーズを最優先するという仕事の基本原則を忘れてしまっていたのだ。その結果、頭でっかちになり、地に足の着いていないことを考え、お客様にそっぽを向かれてしまったのである。
以来、わたしは、仕事では「お母さんのおにぎり」をお手本にしようと考えるようになった。
材料は決して特別なものを使うわけではない。しかし、なんと言っても母親は子どもの好みを知り尽くしている。「好み」とは、好き嫌いや味だけではない。どれだけ食べるか、どんな大きさなら食べやすいか、食べやすい形は何か、栄養的にどうか、暑い時期ならいたまない工夫も考える……。
さらに、そのおにぎりが日々のお弁当なのか、遠足なのか、いつどこで食べるのか、体調はどうか……までを考えて、作り方を変える。そして、こう作ろうと決めたら、子どもが喜ぶ顔を思い浮かべながら、やわらかすぎず硬すぎず、心を込めて握るのだ。
それは、どんなに仕事に慣れても、いや、仕事に慣れた時こそ、忘れてはならない仕事の基本だと思う。
おなかをすかしている子どもに、先々のすき焼きの話をしたって喜びはしない。