「80年代」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 80年代とは

2009-10-28

生活保護費使途

生活保護費使途に疑問の声

http://news.cocolog-nifty.com/cs/article/detail/domestic-200910261414/1.htm

携帯代に25000円使うならば、外に使いよう(学費とか)はあるんじゃなかろうかとは思うけれど、生活保護費使途については、滝川の例もあるように再三問題視されることがあるのだが、生活保護法において支給してしまったものについて使用すべきものを細かく定められてはいない。

自動車禁止についても、弁護士団体からの反論(http://www.incl.ne.jp/~ksk/ksk/jyo/ji980901.html)があるぐらいである。

抜け道http://shblog00.blog17.fc2.com/blog-entry-31.htmlもあるようである。

このような抜け道を使ったのではないかと推測する滝川の事件(http://hanrei.atpedia.jp/html/112.html)のカギは、北大にあるような気がするのだが、かりにそうだとしても病院をかかえる市としては北大を敵には回せないので墓場まで持っていくのではなかろうか。

北大がなんといおうが、反論すべきだというのが正論ではあるが。

調べたら、住民訴訟現在継続中。

http://blogs.yahoo.co.jp/constimasahikos/22193182.html

日本では認められない司法取引があれば。。

70-80年代までは不正受給の逮捕記事が見られたのだが、最近滝川の事件を受けていくつかあったが・・

2009-09-25

続 ラブプラス(砕) 

売っておりませんね。

なのでとりあえず、まっさらな状態でですね。

勝手にやったつもりで続編を想像してみました、30歳会社員ですこんばんわ。

ラブプラス2』

薬の名前っぽい。

なんかもう色々と疲れちゃったり、逃げちゃったりしてる人のリハビリ用。

ラブプラス医薬品です、症状に応じて用法、用量を守って正しくお使い下さい〜

的なCMで。砕けちゃってる人用。


ラブプラス80s』

80年代青春時代ど真ん中で、男子校でした!って人や直進して当たって砕けた人向け。

服装、髪型、当時流行った言葉遣いも忠実に再現。

連絡方法は家に直電(ラブい相手の親父が出て、切られる場合もある)、

ポケベル(緑電話からの入力方法も忠実に再現)

カセットテープ自作のラブソングを入れて、恋心を告白したり出来る。

どんどん当たって砕けてほしい。

ラブプラス東日本西日本中国山陰九州

方言を完全に再現。

地方の名所を実画像で再現、地域の慣行がイベントとして混ぜてあり、ニッポンを楽しめる。

突然の転校イベントあるスリルシビアさ。

無情さを感じて、砕けてほしい。

考えていたら、楽しくなってきた!

そして次回作タイトル名がどれもいい感じでダサい!砕けろ!

2009-09-23

非正規雇用率が上がり続けるたった一つの理由

http://d.hatena.ne.jp/iDES/20090921/1253519904

これに非正規率が高まったのは景気のせいじゃないとあるだけで、一体何が原因なのかには触れられてないが、単に社会保険料率があがり続けてるからなんじゃなかろうか。厚生年金保険料率とか80年は7%程度で今の半分。雇用規制云々とか言う人もいるけど労働者の多くは中小企業労働法なんかないも同然なので大して影響はないはず。

あと

第一に、ロスジェネ仮説は間接的に景気循環仮説を支持していることになる。

第二に、ロスジェネ仮説を主張することは80年代から既に始まる「若い世代ほど非正規雇用率は高まる」という日本労働力市場構造を隠蔽することになる。

ってあるけど、この記事のグラフ見ても明らかなように若い世代ほど非正規が多いのは男性だけであって女性は若い世代のほうが低い。それに景気循環は非正規率とは関係ないだけで賃金との関係は明らかにあるというのも忘れてはいけない。

「非正規率が上がるのは社会保険料率があがったから」という仮説が正しいかどうかは年金健康保険を一元化すればわかるはず。基礎年金だけでなく健康保険社会保険方式より税方式にしてしまったほうが非正規と正規の可処分所得の格差を縮めるには有効なはず。

2009-09-22

http://anond.hatelabo.jp/20090922210216

出始めも最近も議論の内容は大して変わらずループし続けてるように思う。

そもそも通り魔とか犯罪が増えたという根拠もない(それどころか殺人は最低水準)し、格差が開いてたのも非正規が増えたのも小泉よりずっと前の80年代からのこと。結局ろくに現実を見ずに象徴的な事件を取り上げて全体を語るって意味では少年の心の闇がどうとかの少年犯罪の印象論と同レベルの俗説が垂れ流されてただけ。

2009-09-13

http://anond.hatelabo.jp/20090912200946

たしかに民主連立政権って団塊の世代の望んだ世界なのかも。

 しかし私は80年代学生時代を過ごしたのだが、学生運動はすでに下火になりつつも、その頃は若者反体制ってのが当たり前だった。最近の若い世代が政府(体制)を支持するってのに、そこはかとない違和感を抱いていた。

 これで若者の多くは(?)反体制ってことになるのか?左右真逆になったようで趣深い。

(そんなに単純な話ではないかもしれぬが)

2009-08-22

http://anond.hatelabo.jp/20090822110833

手塚作品単体の評価が全くなされてないっていうならわかるけど、別にそんなこともないでしょ。数ある手塚作品の全てが傑作扱いされてるわけでもないし。

そもそも途中で手塚オワタ\(^o^)/とか言われながらも盛り返して、80年代まで現役で読者に支持されてた人だってことを分かってるのかな、元増田は。

2009-08-20

http://anond.hatelabo.jp/20090820105938

あんまり関係ないけど、昔はブラウン管インチ表示もアメリカ日本で違ってた、という話を思い出した。

アメリカブラウン管時代から、有効表示範囲で表示。

日本ブラウン管時代から、(ケースで隠れている部分を含む)実寸表示。

80年代後半~90年代前半、PC-9801とかの時代って14インチモニタが主流だったんだけど、

「なんでPC-98モニタは14インチなのに、Macモニタは13インチと一回り小さいんですか?」

というFAQアンサー。

2009-08-11

http://anond.hatelabo.jp/20090811005150

恋愛についての意識80年代よりもラフになっているから、女優だって当然それに合わせるだけだよ。

それでもやっぱり世間一般よりは抑え目みたいだけど。

2009-08-10

http://anond.hatelabo.jp/20090810113704

クラブDJやってたりする者です。

悪いけど、あなたのその「キメている」についての言及は何の意味もないような気がします。

もし、「キメる」という言葉が「暴走族」という言葉のかっこよさ?に憧れて真似する若者が云々・・・

という切り口と同じ話にするのであれば、ありきたりだけど、多少の意味はあるかもしれない。(つまらない議論だけど)

ただ、ノリピーの関係者芸能界の「闇」はあっても、クラブ音楽クスリ間になんか「闇」なんか存在しない。

あるのはクスリがないと楽しめない人、それを食い物にする人間がいるという構図だけ。

きわめてシンプルであって、海外でも大して変わらない。

日本人クラブ文化に対する知識の無さがただ大げさに物事を見ているだけ。

(もちろん、のりぴーという大物がやったという意味では大事件?なのかもしれないけど)

そもそも、

70年代とか80年代空気しか感じられない。』

と言っているけど、日本には70年代80年代には「クラブ」はなく「ディスコ」しかなかった。

(「キメている」人々が全くいなかったというわけではない)

クラブディスコの違いを認識しているのならともかく、十把一絡げに得体の知れないものに「闇」があるとか、

安易な発言は控えたほうがいいんじゃないでしょうか。

ブリブリにキメてるな。

何なんだ、このセンスは。

ブリブリって。他に言葉の選びようがあるだろうに、よりによって

ブリブリである。

酒井法子がどっかのクラブやらでDJをやってる様子を見た、という人が

当人の様子を見て

ブリブリにキメてるな」って言ってたらしいという記事を読んだ。

清純派アイドルで売って来たものの、本来はこういう文化のほうが好きだったんだろう。

個人的には音楽にのって踊り狂うことの何が楽しいのかちっともわからないが、

それは人の好みだから関知しないし、否定するつもりもない。

薬を吸っていることを「キメている」と言うようだが、この言葉からは

70年代とか80年代空気しか感じられない。

なぜそんな言葉で表現するようになってしまったのだろう。

もうすこし洗練された言葉を選ぶわけにはいかなかったのか。

もしくはこの頃から時間が止まっているのだろうか。

その理由を追っていくと、暗くて深い闇が見えてくるのかもしれない。

いろんな意味で。

2009-08-08

お、カルト

ホッテントリ読んでいたら、昔2chに投稿した駄文のことを思い出した。ググってサルベージしたので、ちょっと修正してここに書く。ちなみに、内容についてあまり突っ込むな。いろいろな意味で。

量子オーディオ

オーディオ新しい波に乗り切れなかったシュレーディンガーは、 コペンハーゲンオーディオマニアに向けてこういうことを言った。

完全防音の部屋の中にオーディオセットがある。外から鍵をかけて密室にした後、目覚まし時計によってオーディオセットが演奏をはじめる。このとき、コペンハーゲン派の立場だとつぎのようになるぞ。

すなわち:

  • このオーディオシステムは音がよい状態と音が悪い状態が重ねあわさっている。
  • 部屋の扉を開けて音を聞いた瞬間に状態が収束して音のよさが決まる

これは明らかにおかしい。

オーディオシステムの音のよさは試聴とは無関係にあらかじめ決まっているはずだだから、コペンハーゲン派のオーディオ解釈は誤っている

しかし、ニールス・ボーアは直感に反してオーディオシステムの音は聞いてみるまでわからないだけでなく、聞いてみるまで性能すら定まらないのだとあらためて主張した(聞くまで無調整と言う意味ではない)。

これが有名なシュレーディンガーオーディオシステムというパラドックスだ。

相対論オーディオ効果

昔、音のよさには絶対的な基準があるという説がもっぱら主流だった。だが、こうすると音のよさが見かけの上で無限大になる場合があるという計算結果がでてパニックになった。困ったことに、絶対基準があると仮定して行ったブラインドテストがこれを否定した(マイケルソン=モーレーの実験

その後、1905年アインシュタインが音のよさには相対的な基準しかなく、かつ上限が決まっていると仮定した理論展開を行う論文を書いた。これが特殊相対性理論だ。この衝撃的な論文のあと、加速する車の中のカーオーディオについても適用できる音響理論をうちたてたのが有名な一般相対性理論だ。相対性理論からは、「一生懸命作ったオーディオなのに友達のシステムの方がよく聞こえる」ことが理論的に導き出される。これは日本古来の経験則、「隣の芝生は青い」ともよく一致する。

音質の不完全性

数学者だったクルト・ゲーデルオーディオマニアだったことでも有名だ。

彼はよい音を求めていつもパーツ屋に通っては怪しい部品だのケーブルだのを買い求めていた。友人はそれを揶揄して笑ったが、完璧主義者だったゲーデル自分が買った高級オーディオケーブルが実はやくたいもない屑ケーブルであることを認めず、必死で言い訳を織り上げた。しかし、優れた数学者だった彼は自分言い訳にほつれがあることに気づいた。次の二つを両立する言い訳が成り立たないのだ。

彼は後に有名なゲーデル不完全性定理発表することになる。

すなわち:「完全かつ無矛盾な小売系は存在しない」これは真に偉大な発見で彼の名声を高めた。しかし、後に音の滑らかさを追い求める連続体仮説に思いをめぐらすうちに、カントールと同じく狂気の闇へと落ちていくことになる。

オーディオ統計力学

日本経済が絶頂期にあった80年代初頭、一部のオーディオメーカーは将来市場が頭打ちになりかねないことを予見して体系的な市場アプローチ、すなわちマーケティングを導入し、市場の行方を占うことにした。

このとき問題になったのはオーディオマニア層だ。口うるさいくせに雑誌で発言力のあるマニア市場としては小さいが無視できない。そこで、マニアがどのような振る舞いを行うか、その統計的な側面が研究された。

もっとも有名なのは「二人以上のマニアが同じ意見を持つことはない」という仮定に基づいて行われた研究だ。これは人の話は聞かないくせに、同意もしないというマニアの実に嫌らしい振る舞いを見事に反映したモデルだった。

このモデルに基づく市場動向の予測は、研究者名前を取って、フェルミディラック統計と呼ばれる。この統計は各社が採用して市場予測に使い、大きな成果をあげた。

なお、マニアも興奮してくると見かけの意見らしきものをつなぐことができなくなり、オーディオ好きの高校生と同じになる。この場合は古典的な統計が適用可能になる。すなわち、マニアも興奮すると大衆程度の振る舞いになり、ガウス分布に従うようになる。そのため、オーディオフェアなど興奮しがちな場所では古典統計が使われる。

同じころ、排他的でないマニアを冷静にすると、全員がひとつの意見をもつようになるというボーズ・アインシュタイン統計発表された(アインシュタインは先の相対性音響論を発表したのと同一人物)。しかし、企業の企画担当者が「排他的でなく冷静な」マニア想像できなかったことからこの統計採用されず、一部研究者がその実現性を予想しただけだった。

転機は90年代半ばに訪れた。自分意見より人の顔色を尊重する日本人に対して行われた一連の実験から、ボース・アインシュタイン統計が適用可能な場合が示された。一群のオーディオマニアを集め、彼らを数日にわたって否定することで体力と自意識を削り取ることにより、極度の低興奮状態に置く。この状態では部屋の中のすべてのオーディオマニア尊師の言うとおり提示された オーディオセットはすばらしいと一様に誉めた。この歴史的な成功以来、同様の実験が都内各所の道場で行われたが、その後この実験危険であるとして禁止されている。

やたらテンションの低いオーディオマニアが全員同じ意見を述べるようなキモイ状態は、ボース・アインシュタイン凝縮と呼ばれている。

2009-08-04

http://anond.hatelabo.jp/20090803103254

才能ある奴が世界を救う」というモチーフ80年代からそうで、今だと漫画の「ワンピース」でも言われてることなので何をいまさらという感じ。

ワンピースには現実感なんてカケラもないから、「どうせこいつらスーパーマン世界を救うんだろ」って感じで

ちくちくと現実風味を効かせて来やがるくせに、気付けば結局、世界を救うのは世界レベル才能コネあらばこそ。

というような感じに当てはまらないんだろう。

耳をすませば」やら「サマーウォーズ」は、自分らと同レベルなんじゃないかと思わされた後の、”裏切られた感”があるんじゃないかな。

2009-08-03

http://anond.hatelabo.jp/20090802001622

才能ある奴が世界を救う」というモチーフ80年代からそうで、今だと漫画の「ワンピース」でも言われてることなので何をいまさらという感じ。

詳しくはマンガ夜話を参照。

2009-07-29

http://anond.hatelabo.jp/20090729191055

いや、他に土地あるだろうが何で一等地に作るのよ。

はっきり言ってその考え方は古い。80年代の発想。

施設を安い土地へとばらばらに配置したから車がないと生活できなくなって、商店街が廃れて……と負のスパイラルを助長したわけで。

学校病院など人が集まる施設を、車が無くても来られる駅前に集めてコンパクトシティ化するのは、高齢化が進むこれからは必須の動きでしょう。

これをバラマキで無駄でああ地方自治ダメだと嘆く、そういう近視眼的な考え方が今の地方の現状を導いたんだよ。批判する資格無し。

2009-07-07

  1. まず地下駐車場の紅い扉のエレベータに入ります
  2. エレベーターを下りるとそこは入口があるだけの事務所です
  3. 女の人が陶磁の器に入った水を運んできますので、それを口に含み事務所をでます
  4. 次の小屋に移動する途中で80年代ロックアーティストのような人と会いますが、なにも言わずに小屋に入ります
  5. 小屋のテーブルにはイヤホンの付いたテープレコーダーがあります
  6. それはBe*ck**を電源化した物であるとの解説が入ります「今日ではBe*ck**は性衝動の一つと考えられているが、

2009-06-30

株式会社はてな」が滅亡するとき

以下は株式会社はてな」の行く末と同じくらいにどうでもいいことなんだが、自分ブログよりこっちの方が読者が多そうなので書かせてもらうよ。

まあ何が不満かっていえば、マイケル・ジャクソンの扱われ方ね。世代がどうとか趣味がどうとかいう問題とは別に、マイケル・ジャクソンの死は単なるポップスターの死とは異質な出来事だってことは読者のみんなも分かっているということを前提にして話を進めるので、ここで「?」と思った人はもう読まなくていいよ。時間とってごめんね。あ、あとマイケル・ジャクソンって誰だよ、って人もね。

僕はエルヴィス・プレスリーの死、ジョン・レノンの死についてはほとんど何も知らない。その時何が起こったかを見守った、という意味で「知っている」と言えるのは今回のマイケルだけだ。でもそんなこととは関係なく、今回の出来事が凡百のエンターテイナーの死とは異質な出来事で、前二者の死と同じ何かのマイルストーンになるってことは知っている。有名人の死、というのは消費されるべきひとつのエンタテンメイント・イベントでしかないけれども、この出来事は画面や紙面を通じて僕ら、つまり世界中人間にひとつの進行形の歴史の波頭を突きつけると同時に、音楽というどこまでも個人的な体験にひとつの永訣を迫ったという意味で特別なんだ。

あの日Twitterタイムラインを眺めていると、"Where were you when MJ died?"という問いが永遠に問われ続けるだろう、ていうポストがいくつもあった(このフレーズ検索してみるといいよ)。マイケル・ジャクソンが死んだ日、君がどこにいて、何をしていたか、というのはこれから先ずっと問われ続け、語り続けられるだろう。なぜなら、それが個人と歴史が出会ったということの証し立てだから、ってことだ。この日は決っして忘却されない。なぜならこの日僕らの人生は多かれ少なかれ決定的な変化を経験していて、それを僕らは言葉によって語ることができるから。そうやって僕らは歴史を共有し、歴史を生きながら他者と出会ってゆく。マイケルを除くあらゆる人間が、そのようにしてマイケル以外の誰かに出会うという、同じひとつの可能性を生きる。それが、マイケル・ジャクソンのいない世界を生きるということだ。著書のなかでジョン・レノン訃報に触れた瞬間の出来事をまるで昨日のことのように克明に語っていた佐藤良明みたいにね。あの日カーラジオに耳を傾けていた佐藤良明を揺り動かしたものと同じ何かに、僕らはまさしく触れていたんだ。

それはどんな出来事でも同じことだ、と言われるかも知れない。確かに個人と歴史出会いという意味では同じかも知れない。でも、今これを読んでいる「僕ら」にとっては違う。なぜなら世界中の「僕ら」の中に、マイケルを知らない者はいないから。そういう意味で、これは日本の偉大なるプロレスラー三沢光晴の死や、日本の偉大なるロッカー忌野清志郎の死ともまた異質な出来事なんだ。悲しさでいえば、僕の周りには清志郎が逝ったことの方が悲しい、という人は多いけれどね。僕個人がマイケル・ジャクソンとその死についてどう思っているかは、ここでは関係ないから書かないことにするよ。

さて、自社サイトニュースメディア性に自覚も出てきた「はてな」はあの日の出来事をどう伝えただろう。

はてブ」のトップページを見ていた人は最初「いま話題」の欄がマイケルになったとき、説明文が同名のバスケットボール選手になっていたことに気がついたはずだ。これは「はてなキーワード」の冒頭がそうなっていたためだと思うけど、「いま話題」が手動で書かれていることが明らかになった今では、何で修正しなかったのだろうっていう疑問を持たざるを得ない。それから、「はてなブックマークニュース」でマイケルの話題が扱われた記事のタイトルは、最初に「マイケル・ジャクソンさん死去――死期を“予言”した質問が発見される」、そして「“最高の80年代ありがとうマイケル・ジャクソン追悼サイトが作成される」だ。最初のものを見て、僕は「はてな」は滅亡すべきだと確信しかけたね。あらゆる意味で、記者の、編集長の、そして株式会社はてな」の「神経を疑った」ってやつだ。「はてな」が世間と連動して情報を発信する自社コンテンツとして開始した「はてなブックマークニュース」を利用して、唯一あの日に伝えるべきことが、それだったとはね。ブックマークでもネット一般でもものすごい話題になっていたイランの騒ぎをほとんど黙殺しているのは何故だろうとか、「はてなブックマークニュース」についていろいろ思うことはあるけれど、「死」そのものを発端にしたニュースとしては、なんていうかあまりに酷いんじゃないかって思ったんだ。非常にナイーブにね。どう言っても自己申告型の言い放しにしかならないけど、卑近な言い方をすれば、セクハラに同席しているみたいな軽い衝撃というか、なんだか人に言いにくい不思議な感じがした。別にあの記事はすごく普通で、どこも不謹慎なところや無神経なところはないんだけどね。まあ君は読んでくれてるみたいだからついでに甘えて言い訳すると、僕自身よく分からないからこんなことを書いているんだ。

で、その直後のデザインと「いま話題」のエヴァ化ね。「『いま話題』って広告枠だったのかよ」という指摘に対する「広告じゃなくって応援しているだけです」とかいう申し開きがどこまでも斜め上だってことは「はてな」の皆さんには理解できないんだろうな。アニメの真似事する前にもっとやることがあるだろうとか、いろいろ言いたいこともあるけど、ひとつだけ確実なのは「はてな」はコミットする、っていう言葉意味を知らないってことだ。コミットする、っていうのはひとつの決断だが、コミットしない、というのも同じ決断であって、さらにいえば決断しない、っていうのも、積み重なって歴史を形成するひとつの決断なんだよ。そしてその歴史は君たちの歴史であると同時にあらゆる人間歴史でもあるんだ。

ま、言いたいことは何も書いてないけれど、僕が言いたいことなんてとりあえずどうでもいいんじゃないかな。大事なことは、遠い将来、どこかの街角マイケルの歌声を聞いたときに僕が泣くだろう、ってことだ。もし君が泣いていたら肩を抱いてあげるさ。それから何か話すことがあれば、何かを話そう。僕らがそのようにしてマイケル・ジャクソンと生きる時代になるなんて、一体誰が予想できただろう、とかね。そして残念ながら、そのときにこの京都の IT 企業は完全に忘却される。彼らの決断としてね。

ね、本当にどうでもいいことだろう?

2009-06-29

ヱヴァンゲリヲン東のエデン

東のエデンを見ている最中は、これが新しい物語を作る00年代というものかと思ったが

あの最終話では終わらない物語を終わらせるという事にはならなかった。

終わらない物語というものは物語自体の繰り返しであり、物語の外へと広がる物語

含まれるが、エヴァンゲリオンはその意味で終わらない物語エポックメイキングだった。

そしてミームは広がりエヴァは終わらない物語を何やかんやで10年も続けたわけだ。

しかし世の中の大体が80年代90年代で括られるように00年代というアニメがそろそろ

規定される頃だろう。そして00年代東のエデンになる、という人も居た。

確かに東のエデンには、エポックメイキングたらしめる要素があっただろう。

特に、ノイタミナという枠は流行という面で他のアニメには真似できない要素である。

流行=面白さでない事は確かだろうが、流行⊆面白さという側面はある。

ガンダムは終わった物語だったが、流行したからこそ面白さはより深くなっていった。

時代を規定するものにはやはり流行というものが必要だろう。

しかし様々な要素を含んでいた東のエデンも結局物語を閉じて一つの面白いアニメ

で終わった(劇場版を残しているので現時点で)

結局物語パッケージの中で引き出すものが無い時点で、象徴的なものにはならない

のだろう。

何故こんな事を思ったかというと、ヱヴァンゲリヲン 序に次いで破においても、終わ

らない物語を終わらせるという点を意識出来るからだ。何故かは破を見て欲しい。

庵野秀明は10年に渡ってエヴァを超えるアニメは無かったと書いていたが、終わらない

物語を終わらせる役割が居なかった事を言っている、と思う。だからこそヱヴァ

古い人類を消して新たな生命誕生させるという試みを見せるのだろう。

(という事を誰かが書いていたような気がするものの見あたらなかったので頭を整理してみた

大事な話が抜けている気がする)

2009-06-27

あの亡命中国人パイロット医師らはいま

パラオ諸島はウィグル人兵士の身の安全を保障できるのか?

中国からの刺客に無防備、米国はなぜ安全方面を考慮しなかったか

▲あの亡命中国人パイロット医師らはいま

政治は風向きが変わると、その渦中にいた人間は、その運命右から左へ、上から下へと突如翻弄されることになる。

 

台湾国民党独裁の時代、中国大陸から逃げてきた亡命者を「投奔自由」と比喩し、国民党系のメディアは英雄扱いした。

私は中国からの亡命者のなかでもミグ・パイロット京劇俳優作家医者(周恩来主治医もいた)、物理学者(中国の核物理学者もいた)、通訳など八十数人にインタビューし、『中国の悲劇』という本にまとめたことがある。

ただし国民党宣伝となってはいけないので米国へ逃げた人々も追いかけ、拙著の最後の場面は、台湾人作家北京へ逆に亡命し、はては米国へ再亡命した奇異の存在、陳若儀をサンフランシスコに訪ねて「それでも中国希望ありき」という談話で掉尾を飾った。

80年代前半まで、台湾には「同胞救済協会」のような支援組織もあり、亡命者台湾にあらわれる度に、大きな記者会見を開催し、ミグ・パイロットには黄金数キロという懸賞もつけて賛美した。

80年代後半から台湾は、この政策を止めた。

第一に中国からの亡命者台湾ではなく、欧米を目指し始めたこと。

第二に台湾は自由化を驀進しはじめ、とくに亡命者を賛美する風潮が掻き消えたこと。

第三に台湾社会亡命者を疎んじ、邪魔者視しだした。

どこかの国の状況と似ている。ベトナム戦争の英雄は、米国に帰ると邪魔者扱いされたように。

タリバン兵士らもまた政治に翻弄されている

既報のようにグアンタナモ基地に八年間、「タリバン」の容疑者として拘束されていたウィグル人兵士13名は、パラオ諸島に移送される。

最初は17名と言われたが、すでにそのうち四名はバミューダで暮らし始めたことが分かった。

ウォールストリートジャーナル(09年6月23日)は、「はたしてこれらのウィグル人らはパラオ諸島で身の安全が保障されているのか」とする疑問を報道した。

まともな軍隊警察もないパラオ人口わずか二万。二百数十の島嶼国家台湾外交関係があるため社会インフラ建設と整備には台湾がおおきく貢献してきた。

その台湾中国と接近している政治境遇の大変化も手伝い、中国の代理人や刺客の侵入はわけもないこととなる。

「しかし」と米国医者コメントしている。

「南洋ののんびりした島で休養がとれることは彼らのメンタル回復に役に立つはず。なにがしか働き、貯金し、かれらの人生の夢は最後にメッカ巡礼なのだから」と。

パラオ諸島が、かれらタリバン兵士被疑者を受け入れたのは、米軍の二億ドルの援助であり、人道的理由は二の次だろう。

もしヒューマニズムが最大の動機というのなら三年前の米国の打診開始の時点で受け入れる筈だから。

▲両天秤外交も挫折の時代へ

さて中央アジアイスラム国家キルギス政府は「米軍継続駐留を認める」と百八十度逆転の決定を『平然と』行った。

明日(6月25日)、キルギス議会は正式に決議する。

驚き桃の木山椒の木。

簡単に経過を振り返ると、アフガニスタン空爆の拠点としてキルギスマナ空港米軍の集荷流通センターのごとき兵站拠点としてきた。

昨年からキルギスでは「米軍は出て行け」という運動が(ロシアに支援されて)組織化され、ことし二月、キルギス議会米軍の撤退を正式に決議した。

米軍2010年8月をメドに撤兵する予定となった。背後にはプーチン政権の援助(水力発電プロジェクトなど20億ドル)があった。

この直後、或る米軍高官に聞いたことがある。すると、かれはにやりと嗤って「いずれ逆転がある」と意味深長に言った。『米軍の出費拡大がキィですよ』と。

両天秤外交は嘗てマレーシアなど新興アジア諸国でも顕著だった。当時は米国ソ連に援助合戦を競わせた。

 

政治とは不条理で成り立つ

キルギスは米ロに援助を競わせ、まんまと両国から援助拡大の約束を取り付け、米軍には空港使用料の値上げを認めさせた。

そこには倫理が介在する余地がない。私は嘗て高坂正堯氏が言ったことを鮮明に思いだした。

宮崎くん、そうはいうてもやな。外交道徳をいれたらややこしくなるで」。昭和四十三年春、セミナーが終わって大阪中之島から北新地二次会場へ向かう電車のなかだった。私は外交道徳について質問したのだった。

冒頭パラオのことに戻る。

太平洋存在する島嶼国家十二のうち、六カ国が中国寝返り、六カ国が台湾との外交関係を続けている。

いずれも激しく両天秤外交で成果を味わい、とくにキルバスなどは、二転三転。援助の多寡で自由自在に外交関係を切ったり繋いだり。同様のことは中南米諸国とアフリカで顕著である。

変化の予兆は中台の「雪解け」「一中市場」「国共合作」からである。

政治的潮流の大変化とともに、中国台湾も、援助合戦無意味さを認識し始めた。

もとより札束により外交関係を維持するという外交戦術を選んだのは台湾国民党時代であり、その台湾国民党政権復活により、みずから始めた援助外交を終息させる。

不条理! 

いや、政治とは不条理そのものではないか。 

2009-06-18

そりゃ、

http://anond.hatelabo.jp/20090618015614

大抵の女性は何しなくてもモテるし、モテなくても股を開けば男が寄ってくるという一種のジェンダーバイアスがあるからですよ。

男性の場合は能動的に動くだけではダメで、非常に強い付加価値お金だったりルックスだったり仕事社会的地位だったりがないとけんもほろろにされるどころか能動的に動くこと自体が「キモい」ってされちゃうんだから。

そもそもち○ち○見せつけた所で普通退かれるし、この間社会に根づいたフェミニズムは基本的に男根憎悪の情念から社会を動かしてきてるし、

要は、女性の場合はまだまだ打つ手を持ってるのを行使してないように見えるけど、男性の場合はリア充以外はみんな八方塞がりなんですよ(笑)

お金があれば若い女を買ったり囲ったりできるけど、そうでなければ面倒くさいドロドロに巻き込まれた上で大半が切り捨てられる。

そういう、男性の側のフェミニズム(を詐称した自己中女とそれにひっつく男奴隷)への憎悪非モテ議論には渦巻いてますから。

80年代以降のジェンダーバイアスの逆転現象を無視して女権拡張主義だけが進んで男性性を否定しようと声の大きい人が振る舞ったのと金があれば何でもあり。って男と女が増えた両方の結果、増田の人の様な棄民的な状況の女性も現れてきたような気がするけど

2009-06-04

工業デザイナーから見たGマーク

http://d.hatena.ne.jp/katie_tommy/20090603#1244034180

あんま素人に下衆の勘繰りはしてほしくないなあ。

確かにGマークに本当に「良いデザイン啓蒙」の意味があったのはせいぜい1970年代までだなあ。

つか、80年代以降は、日本工業技術工業デザイナーのセンスなら、「きれいな形で便利な製品」を作るのはごく簡単で、それだけじゃ意味がないものになった。

ちょっと考えてもらえばわかるけど、今店頭に並んでる日本製工業製品で、どうしようもなく醜くて、不便極まりない製品ってあるか?ないだろ?

Gマークってのは、本来そういう時代のものなわけ。

それでもって、Gマークの基準が、90年代あたりから拡散していったわけよ。「新しい生活を創出した」とかいろいろと。それってかなり基準として微妙だよね。

結局、今の日本のGマークが「こんなのあり?」ってのがあるのは、

「良いデザインとは何か?」って価値の揺れが、審査員デザイナーの側にあるのが主な原因であって、その他はなりゆきでしかない。

言っておくけど、Gマーク団体は儲かってなんかないよ。運営実費程度だ。まあ見ようによっては天下りどうこうとかなるんだろうけどさ。

だいたい「Gマークのついた製品は売れない」ってのがメーカー常識で、実際売れないから。

それでも取る会社があるのは、ごくたまにGマークが有効な製品があるのと、後はたいがい、若い頃の想い出で「Gマークコンプレックス」のあるメーカーデザイン部長の独断、だよなあ。

2009-06-03

Music Boxという音楽番組を覚えてる人いませんか

NHK BSの初期(80年代終わり頃?)にやっていた番組で、たぶんイギリス番組

曜日によってヒットチャートインディーズ系のバンドハードロック系など扱うものが違ってた。

イギリスらしく?当時流行っていたストック・エイトキン・ウォーターマンの曲(リック・アストリーやカイリー・ミノーグ)を司会者がちょっと小バカにしてたり、

De La Souのシングルチャートに入ってビデオが流れたり、アメリカバンドでもピクシーズみたいのが出てきたり、面白かったなぁ。

そういえばEnyaのオリノコフロウという曲がものすごくヒットして何回も何回もかかってうんざりだった事もあったなぁ。

日本人司会者が紹介する形で番組が流れていたんだけど、ハードロックの日は前髪パッツンの独特の風貌の男性司会者だったなぁ。誰だったんだろう。

情報が無いか検索してみたんだけど、同じ名前映像散歩系の番組ばかり検索にかかるんだよなぁ。

2009-06-02

非生産的な議論は付き合うだけ無駄梅田

梅田ネタを友達に読まされた。

どうでもいいよ。

非生産的な議論は付き合うだけ無駄だと思う。投資した時間に対して得るものが最も少なくなる。

ここ数年のはてぶ、ネット界隈は特にそう。

少し触れると日本にだって見習うべき先達は幾らでもいるよ。

頓智ドットは有名だ。

BRACNet も cool だよね。原丈人日本人だぜ(漢字合ってる?)

何より、日本にこだわる事ないよ。

あなたの周りにある才能を結びつけ活用してくれる場所、自分の生まれ育った土地や養った価値観、評価を活かせる環境を探し飛び込む事だ。

まずは自分の力を養うのが第一。

そのためには世界で最もあなたの時間を有効活用してくれる環境と場所が必要だ。

日本が好きなら、自分が力を付ける過程やその後で何だって出来る。

世の中は恐ろしいスピードで変化していく。

変化を恐れず楽しむ側に回る事だ。

変化を恐れる人々に付き合ったり、変化に抵抗を示して障壁を築く人々に手伝うのは無駄でしかない。

それよりも最先端の場所を見つけ、1000 の失敗例と 1 の成功例と知恵を導く人々の群れに飛び込む方が良い。よっぽど楽しい

日本というローカルドメインに触れると、ここは寿命ビジョンも先の短い老人たちが主導権を握った変化に抗おうとする場所に思えてくる。

彼らは変化を恐れる。web を恐れる。

20年前を懐かしみ、その全盛期の復活を夢見ているかのようだ。

現実の変化に気付いても後年を見定めて戦略を切るより、自分達の寿命が尽きるまでの利益をどれだけ最大化できるかに腐心するように見える。

そんな場所に付き合う事ないよ。

ここが好きなら他で力を付けて10年後に戻ってくればいい。

日本って変わらない部分は本当に変わらないよ。

例えば政治ネットはどうだろう。

weblog という単語を CNN でよく聴くようになったのは湾岸戦争の頃だった。

クリントンを選出した大統領選予備選挙ではハワード=ディーンweb の力で旋風を巻き起こし、やがて笑い者になって消えた。

日本は?

選挙期間中に weblog更新すると公職選挙法違反だ。

(もし立候補するなら Twitterポストしちゃダメだよ!)

仮に今が80年代なら、若い世代は自分達の生きるべき場所を掴み取るために必死になるべきだ。

ゲバ棒握ってメット被ってでも、

どれだけフレーム起こして不毛な議論を交わしてでも、とことんやり合って一つしか無い場所を奪い取るといい。

でもさ、今は場所なんて幾つでもあるんだよね。奪い取るより選ぶ方が良い。

日本がイヤなら争うよりも日本を出る方が余程楽だ。

身の回り情報取得や学習環境英語圏に移すのなんて簡単だよ。

Google 使えば多くの技術書無料で読めるし、iTunesMS の大学チャンネルも使えるから学習投資も良くなるよね!

酔っぱらいながら書いていたらまとまりがなくなった。王碌うめぇ

今はそんな状況だと思うよ。

地球規模の変化&発展合戦を生き延びるために、自らがより成長できる環境最先端環境を求め続ける、、

そんな生産性能力向上を追い求めてる時間の中に、非生産的な場所に捕われているヒマはないんだよ。

非生産的ベクトルを持った議論に行き当たったらスキップする。

非生産的な場所だと思ったら環境を変える。

その方が 10年後、20年後、本当に成し遂げたいことを成せる力を得ているんじゃないかな。

日本も、日本に縛られた非生産的な言い合いも、もうお腹いっぱいです。

今後それらを見たら私は逃げ出します。

ってな話でした。

消そうと思ったけど何か書いちゃったのでポストしておく。

2009-05-21

学生演劇はだいたいこういう流れで稽古が進む。

http://anond.hatelabo.jp/20090519230327

とりあえず演出担当が作りたい芝居を語る。酒の席だったりする。

それを何となく脚本担当に伝えてミーティング用資料を作る。この過程で何度も何度もあーでもないこーいうつもりでもないと言いながらもできあがる資料は抽象的でなんとなくそれっぽいプロットとどこかで見たような演出プランに独自っぽい名前を付けてるだけのすっからかんペラい物になる。本音を言うと「大人計画を演る」と言われる方が楽だ。「作りたい本人が説明できない、今までにないような独自の芝居」を作る事になると脚本とか演出とか以前に完成しない。

そのペラい資料をもってミーティングを行うがすんなりは決まらない。この間はいい感じだねって言ってたじゃんって展開も。そのまま下にも同じ事を言われる。

決まらないがとりあえず作り始めてと役者と裏方に投げられる。とりあえず公演タイトルくらいしか決まっていないので色々聞きながら作ってみる。もちろん面白いとかつまらない以前の内容になる。

稽古が始まると政治的なパワーバランスなどの都合により今まで作っていた何物かはゴミ箱に行くことに。でも「もう半分くらい作ったんだから簡単にできるハズ」等と言われる。80年代の小劇場だったハズが90年代の静かな演劇になったのに。(極端だけど劇場変更はザラ。あまり大きな問題はない)

脚本担当はまた初めと同じように内容を伺う。日を跨ぐと違うことを言うので出来るだけ素早く箇条書きにしてる。なかなかまとまらないが役者と裏方はまた何かを作り出す。何を作るかは分からないが何となく配役とか場面転換の枚数を妄想して分担表とかをつくる。裏方も仮想舞台装置を作る。

放っておくと大量の配役、大量の大道具、大量の小道具、仕様の演出、労力の割に効果があまりないような話、壮大な計画がブチ上がってくるので必死で止める。

仕様演出は仕様見ただけで分かるような無茶な物のこと。例えば100人の登場人物から3人を合成してすべて違う登場人物が錬成されて全部に名前と設定と配役が付くとか。16万通りもある事を理解できていない)

脚本担当はこの段階で死にそうになっている。一応存在する脚本担当の締め切りが迫ってくると当然毎日徹夜して脚本を作成していくのだが、なんど書き直しても「つまらない」「ここはこういうつもりじゃなかった」「字にすると面白そうに見えないから演技プランを考えて」「(仮の)名前が気にくわないからインスピレーションが~」「やっぱこうの方がいい」「昨日いいこと思いついた」等の必殺技返り討ちにされる。仮脚本を演出に見て貰っている場合は演出に頭を何度も下げに行く。脚本担当の締め切りはもちろん守れられない。その分のしわ寄せは役者と裏方がかぶることになる。毎日毎日両部門に目に隈を作った脚本担当が「間に合わなくて済みません」と謝っている。ただし役者も裏方も怒らない。脚本担当が遊んで遅れてる訳じゃないし。一緒に仕様固めを手伝う。演出担当は怒る。

何となくあがってきた脚本担当脚本を眺めながら稽古する。ただし細かいことは何にも書いてない。ト書きに一言だけ書かれているならましで、ト書き存在が伝えられていない事もザラ。その当りは必要そうな設定を裏方が洗い出して役者が全体の空気を読んだ場面設定を構築して己のインスピレーションを信じて勝手演技する。とりあえず作った物を見せると、演出に「俺の指示と違う」等と言われることが多い。指示なんかないのに。ただしこれがそのまま使われることも良くある。

稽古が中盤に入る頃には脚本がしっかり上がって……いない。絶対。時間だけが無情にもすぎるが未だ路線が定まらない。分からないところは逐一聞きながら作る。聞かないでも作る。運が悪いと何故聞かなかったと言われる。役者はひたすらリテイクを食らう。世界観と合わないとかこのキャラだけ浮いているとか。世界観なんて脚本の1ページ辺りに描かれてる程度にしかなかったりするし。脚本セリフが気が付くと増えている。演技プランが破られている。稽古時間が足りなくなる。各自で時間を何とかしろと言われる。もうたっぷり圧縮してる。

稽古終盤。本番に間に合わない事が確定的になってから設定をとりあえず削ってみる。最初からそれはいらないと言い続けた場所を削るが演出担当は不満顔。最初から入れなければもっと早かったのにと毎度毎度言い続けてるが変わらない。リハ期間は短くてもいいとか言い出す。それで前も本番でミスしただろうに。やっぱりあそこが気に入らないから変えてとかこの期に及んで言う。役者は本人当たりセリフ量が割とはっきりしているのでギリギリまでリテイクされる。脚本担当脚本を必死で打ち込む。演出に「演技バランスが悪い。調整してないのか」とか言われる。その時間はお前が削ったんだ。裏方は頻繁な小道具の差し替えをしながらミスを潰していく。何度言っても脚本差し替えはすぐ出来ると思われている。そろそろ劇団内の恋愛はやめて欲しい。役者も脳みそが足りないので勝手セリフを削る。劇団内の恋愛は無理矢理潰す。みんな死にそうな顔をしているが激太りもしてる。

公演前に演出担当が偉そうな顔してチラシにコメント

公演して糞芝居と言われる。世間一般的にミスれば役者と裏方のせいにされて(稽古しなかったから、裏方がミスをしたからと思われている)つまらなければ脚本担当や演出担当が批判される。(世間の(俺の)面白いと思っていることを理解できていない!とか)このために軸のぶれている演出担当脚本担当は上がってきた物が面白くないと感じると仕様変更ガンガン入れてくる。たとえ本番でミスっても内容が悪くなければ叩かれるのは自分じゃないもんね。時間と金をもって来ないのにこれをする人が時間無駄遣いさせる。裏方は本番でミスをしたくないので仕様変更が出ないよう出ないよう事前に釘を刺しに行きたがる。

終わった頃には人数が減っている。ただしそれは、だいたいが恋愛のもつれ原因。そして劇団員募集が掛かっているw

2009-05-16

http://anond.hatelabo.jp/20090516002920

80年代後半~90年代前半くらいに流行った説教ソングを知らない世代なんだねえ……若いねえ。

2009-05-13

http://anond.hatelabo.jp/20090512232224

新しいかどうかは別にして、そういう意味アーティスト宇多田ヒカルが多分最後になると思う。

パーフリに限らず、80年代初頭のYMOとか、バンドブームにおけるブルーハーツとか、90年代渋谷系におけるフリッパーズギターとか、V系におけるX JAPANとか、J-POPにおけるミスチルとかサザンみたいなアーティストって今後出てくると思う?

これ二つの問題が有って

ってことだと思うんです。実は同じことがアニメとか文学にも起きていて、エヴァンゲリオン以降「みんなが見たアニメ」が無かったり、村上春樹以降には「誰もが一度は読んだ作家」がいなかったりっていう感じで。まさか京アニの諸作品エヴァンゲリオン攻殻ほどのものになるとも思えないし、舞城王太郎が「ノルウェイの森」みたいな小説を書くとも思えないし。

ここで紋切り型の回答として「メディアが発達して受け手が多様になり云々」なんてのがあるけど、果たしてそれだけかね?

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