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2014-07-25

何故、学生相撲が廃れ、柔道が人を殺すのか

中学校の必修教科として武道が制定され何年か。

柔道危険性はデータを持って示されているが、武道柔道を含んだままいまだ必修として続いている。

たとえ必修でなくても部活動としての柔道は変わることなく続いていくだろう。

しかし、柔道と言うのはデータを示されるまでもなく、それどころか部活動としてやるものとしても危険すぎる競技である

 

日本には武道と呼ばれる特殊な競技群が存在している。

主にそれは、近代までに日本で発展した人を打ち倒すための技術を競技化したものを指し、剣道を筆頭に、柔道空手道弓道居合道合気道相撲道などを含む。

武道は、特につのカテゴリーに別れ、一つは演舞を持って競い合うもの、相手を敵とせずに的もしくは協力者を持って自分技術を示し合う競技である。これには弓道居合道剣道柔道の型などが含まれる。

もう一つは実際に敵を相手とし技を仕掛ける格闘技に類する競技である剣道柔道空手相撲などが含まれる。

 

前者の安全性比較的高いものである。当然武器の目指す先が人ではない、もしくは打ち倒す目的ではないため、人を打ち倒すための技術を用いても危険性は低い。

一方で後者危険性は高い。人を打ち倒す技術を人を打ち倒すために使うため、当然のことである

後者の中で、柔道相撲は主要武道の中でも特に危険な競技である

その理由は、この二つの競技にはプロテクター存在していない、ということに尽きる。

 

剣道であれば、慣れ親しんだ防具が思い浮かぶことだろう。

空手は、生徒であれば直接殴りあうフルコンタクト式ならプロテクター必須であるし、寸止めであってもプロテクターをつけるのが普通だ。

武道でなくとも同じ格闘技アマチュアボクシングは、ヘッドギアと大きなグローブ義務がある。

格闘技でないラグビーですらヘッドギア存在する。

一方で、柔道相撲にはプロテクターと呼べるもの存在しない。申し訳程度、柔道にはたたみがあるだけである

しかし、中学高校一般的な、スプリングの入っていない、床に敷いた畳と言うものは当然硬く、危険性が大きい。

締め技関節技等の制限が行われたとはいえ、戦前から一切変わらない安全基準で行われるスポーツと言って良い。

敵の攻撃から体を守るのは基本的に自らの習得した防御技術だけと言う競技だ。

ところが、その柔道相撲部活で競い合うのは、お互いに未熟な児童生徒学生たちである

運動で体が熱くなり、試合や乱捕りで敵対すれば興奮し、普段よりも無茶な状態で無茶な技をかけることが多くなる。

プロテクター存在しない柔道相撲は、失敗した時に守ってくれるものは何一つなく、その時点で怪我が確定するといって良い。

柔道は投げ技で、相手の体を畳みにたたきつける打撃を行い、関節技で骨を痛め、締め技で意識を奪う競技。

相撲張り手で叩き、投げ技で土にたたきつけ、押し出し土俵から落とす競技。

 

体験的な話で不正確だが、中学高校柔道試合では、1つの大会で必ず1人以上のけが人を目撃する。

大相撲で怪我をしていない力士だけでとった場所が近年存在しただろうか。

 

考慮すべき安全と言うものが、武道伝統という言葉で覆い隠されている。

剣道竹刀を作り、防具を作った。空手プロテクターを取り入れた。柔道本来着ていた防具を脱ぎ捨てて、身を危険晒した。相撲は裸である

当然プロオリンピックといったレベルのものを変えるべきではないかもしれない。

しかし、そのアマチュアもしくは学校レベルの段階において有効に使えるプロテクターを考案すべきだ。

危険性があると叫ばれているが、武道を必修とするならば、その危険性を排除する努力本来必要なはずである

そうしなければ、無理強いて行わせたところで、結局は危険がために人が離れ廃れていってしまうのだから

2013-09-09

小学生の頃いじめにあっていた。

クラス男子から毎日のように殴られ、蹴られる。

増田よえーwwww。おらおら!!何とかいえよwwww」

こんなことが日常茶飯事だった。

こんな目にあうのは自分が弱いからだ。

小学4年の夏、

そんな自分でも空手を習えば強くなれるんじゃないかと思い、近所の空手道場に通うことにした。

これで強くなれる。もういじめにあわずにすむんだ!

そんな気持ちで僕は道場の門を叩いた。

しかし、それはあまりにも浅はかな考えだったとすぐに思い知らされた。

ここは小さな田舎である

空手道場といえば近所ではここしかない。

道場の中にはいると、見慣れた顔が数人いた。

クラスメイトいじめっ子である

けっきょく、この空間学校となんらかわることのない暴力の真っ只中であった。

道場に通うのはすぐにやめた・・・

中学時代は馴染めない地元から離れ、2駅となりの学校に通うようになった。

身体が大きくなったことと小学生時代反動もあって、中学の頃は喧嘩にあけくれた。

気づけば札付きの悪になっていた。

増田さんに勝てる奴なんてこの辺にはいねぇっすよwwww」

仲間や後輩からはそういわれるほど”武闘派”になっていた。

腕っぷしには自信がある。でも満たされない感情があった。

「好敵手と戦いたい!血沸き肉踊るようなバトルがしたい!」

そんなとき、久しぶりに地元を歩いていると、ある看板が目にはいった。

そう、あの惨めな想いですごした小学校時代、強くなろうと門を叩いたあの道場看板である

僕は深く深呼吸をした。

「俺より強い奴に会いにいく!!!

http://anond.hatelabo.jp/20130909213415

【追記】

元の記事はこれの転載ネタであることを知ってホッとしている。笑い話で済むならどんなに幸せであったか・・・

http://qa.news.mynavi.jp/question/9270/

なぜなら、私が訪れた道場での出来事はこんな風に笑える状況ではなかったかである

その後

http://anond.hatelabo.jp/20130911043121

2013-05-03

拳法の条文

http://anond.hatelabo.jp/20130503194549

一、空手道礼に始まり礼に終わる事を忘れるな

二、空手に先手なし

三、空手は義の補(たす)け

四、先づ自己を知れ而して他を知れ

五、技術より心術

六、心は放たん事を要す

七、禍は懈怠に生ず

八、道場のみの空手と思ふな

九、空手修行は一生

十、凡ゆるもの空手化せよ其処に妙味あり

十一、空手は湯の如し絶えず熱を与へざれば元の水に還る

十二、勝つ考へは持つな負けぬ考へは必要

十三、敵に因って轉化せよ

十四、戦は虚実の操縦如何に在り

十五、人の手足を剣と思へ

十六、男子門を出づれば百万の敵有り

十七、構は初心者に後は自然

十八、型は正しく実戦は別物

十九、力の強弱体の伸縮技の緩急を忘れるな

二十、常に思念工夫せよ

2009-12-04

自由と自衛

http://d.hatena.ne.jp/hokusyu/20091203/p1

 「男はケモノ」であるとしましょう。世の中に、人間を手当たりしだい襲うような「ケモノ」がうろうろしている場合、まっさきに対策されるべきは「ケモノ」の排除です。たとえば野犬が増えて人々の身が危険になった場合、ふつうは野犬を捕まえて隔離するか、酷いのになると殺してしまったりするわけです。「自衛」はこの野犬対策というのがいまだ貫徹しない場合においてはじめて、緊急的にやむをえずやらなければいけない対策であって、目指されるべきは、野犬がいない、つまり「自衛」の必要がない社会です。野犬対策会議において、「そんなことより「自衛」しようぜ!ひとりひとりがマッチョになれば野犬も恐くないよ!」といったことをわめきたてる人がいたら、われわれは彼に空手道場か何かを紹介して、丁重にその場からお引取り願うでしょう。



国家間で例えれば「相手が危険ならば戦争をして相手を滅ぼすのが最初の手段であって、外交努力や自衛はそれができないときにやれ」と言ってるようなものだ。

どれだけバカバカしいことを言っているのか分かるだろうか?

人間と野犬にしたって、同じだ。

野犬は危険だから、まず駆除をする。

たしかに人間の自由や権利はそれで守られるのかもしれないが、では野犬の自由や権利はどうなる?


危険」に対して最初にすべきことは、避けること。

どうしても避けられないならば、そのときに防衛をする。

それも難しいのであれば、危険を排除する。

これが当然の順番ではないか?


自由や権利は、たとえそれが当然与えられるべきものであったとしても、ときに積極的に自ら守らなければいけないものだ。

しかしそして、その自由や権利とその保護のために、他の自由や権利を侵すのは、出来うる限り最後の手段としてもらいたい。


書くまでもないと思うが、問題の原点であるレイプ等の加害行為を肯定するものではない。擁護するつもりもない。

被害者にも落ち度がある、などというつもりも毛頭ない。

ただ「最初に排除があるべきだ」という愚かな発想だけは否定したい。

2007-10-08

サイバラって案外保守的なのな

毎日かあさん4を読んで、そう思ったぴょん。

息子が空手道場に行くのを嫌がって、諭す台詞。

勉強とかできなくてもいいけど男の子喧嘩が強くなきゃいけないんだよ」

ああそうやってジェンダーをおしつけてゆくのね。土佐元ヤンらしいよね。

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