はてなキーワード: 定期テストとは
現文って正直授業でやる意味なくないか・・・?と常々思ってます。
・教科書に載ってる文章を教師がひたすら解説
・生徒はとりあえずノートに書き写す
・たまに音読させられたり意見を発表させられたりする
・定期テストに出るのは授業でやった文章、点数を取るには授業とノートの内容を暗記すればよい ←ここ重要
まず、お受験でぶち当たるのはほぼ確実にその時点で初遭遇する文章なわけですよ。
初見の文章をどう読んで、どこに線を引きどうやって選択肢を消去しどうやって規定文字数に収めた文を作るか。
こういったことを教えてくれるなら話は分かる。受験対策としてだけど。
教科書作る側で推薦図書でも用意して授業中自主的に読ませるとかでも分かる。
読書量確保できるから確実に文章読むのにも慣れるし知識の底上げもできるから勉強になる。
でも現状は教師の教師による(あるいは教科書作った人の)解釈を雨あられのように生徒に浴びせて「さあ俺の解釈を覚えろ」が現文のお時間だと思います。大多数の中学高校で。
生徒の興味とかガン無視で毒にも薬にもならないような評論の解説をして、それを暗記させたところで受験でも社会に出てからでも何の役にも立たないと思うのですが。
定期テストを前にしても現文の勉強だけはやる気しないのはきっとそのせい。
無理して教師の要約文を丸暗記してもまるでカンニングの練習をしているようで非常に気分が悪いです
たぶん、人生で日記という物を書くのが初めてだ。改稿変だし、チラシの裏だが書く。
一昨年の高校最後の夏休みの初めに人生で初めての受験をする事を決意した。親からは驚かれた。
その時まで自発的に勉強した事もなかったし、高校も面接だけのところを選んだし。
中学高校のクラスでも最下位に近い実力であり、何より勉強が嫌いだった。
いざ「受験勉強」というのを取り込もうと思っても何をしていいかわからなかった。
今思えば当然だった。今まで勉強という事に対して真面目に取り組んだ事がなかったからだ。
中学レベルの知識すら自分にはなかった。副詞・形容詞・形容動詞の意味すらわからなかった。
それでも参考書を買い漁り、それに書いてある内容の熟読を試み、シャーペンを走らせた。
そんな馬鹿な俺でも必死にやったお陰か、クラスの定期テストで上から2番目になれた。
友人達には驚かれたし、先生に勉強の事で始めて褒められた。自分でもよくやったと思ったし嬉しかった。
そんな幻想に浸っていた私の優越感は全統模試によって吹き飛ばされた。ほとんど解けなかった。
学校単位で受けていたので学年の中では上位だったが、全国レベルでみると標準の下の下。驚愕した。
それでも勉強に対して諦めきれず、去年のセンターに挑むも惨敗。
私大も幾つか受けたが結局地元の俗に言うボーダーフリーの大学にしか受からなかった。
号泣した。自分はこんなものだったのかと。あれだけやってこの結果かと。やっぱり俺はどこまでいっても馬鹿だと。
諦めきれなかった。だから私は両親の同意を得て浪人をして、国立を目指す事を決意した。
その時決めた。この一年間は一人で生きていこう、友達を作るのはやめよう、受験一本でやっていこう、と。
夏休みぐらいまで自分を必死に追い込み勉強した。予備校で何度も周囲に声をかけられたが見向きもしなかった。
だけど不思議とやる気はあった。自分はまだ可能性がある。まだやれる。この頃はパソコンや漫画などに目も向けずひたすらに勉強を続けた。
先に大学に進学していった友人達、先輩や後輩も皆応援してくれた。お守りもたくさん貰った。とても嬉しかったしやる気もあがった。
そして夏休み終わりの記述模試。結果は去年に比べて毛が生えた程度。この頃から自分に対して失望し始めた。
勉強もし続けたがやる気がどんどん失せていった。毎日通っていた予備校の自習室も徐々に行かなくなっていった。
鍵付きのタンスに封印していたパソコンを起動させて、暇をつぶす事も増えてきた。
冬も間近に迫った最後の模試の結果を見て、完全にやる気がなくなった。目の前が真っ暗になった。
その時に思った。そうか、自分には勉強は向いてないのかもしれない、と。
徐々に行かなくなった予備校はほとんど行かなくなり、家で現実逃避する日がいくらか続いた。
センター間近だというのに、周りの受験生は必死だというのに、皆が遠くで応援してくれているのに、
やる気が沸いてこない。何もしたくない。死にたい。もう生きたくない。そんな事を思ってた。
結果は惨敗。しかし、この日を境に再び勉強をし始めた。何故だかわからないけどやらなきゃいけないんだと思った。
運のいいことに、センター利用で出していた日東駒専レベルの私立(去年落ちた)が何故かA判定が出ていた。
そして今に至る。昨日それより少し上のランクの入試を受けてきたがたぶん落ちてる。そしてこれからも入試が続く。
国立も足切りが無く、二次比率の高い所に出したので可能性はまだある。E判定だけど。
俺はもうどうしたらいいんだよ。
中学2年のとき。
私は学年トップクラスの成績だったのですが、見た目はあまり賢そうに見えなかったらしいです。
それでなのか、担任の英語教師が、単語テストのときに私の席にやってきて、突然答案用紙をめくりました。
その瞬間はいったい何をされたのかわからなくてポカーンとしてしまいましたが、あとからあれはカンニングを疑って確かめようとしたのだと思い当たりました。
母がその教師に抗議をしたらしく、母への謝罪はあったようですが、私本人への謝罪は一切ありませんでした。
それ以来、私はその教師の授業を受けることを拒絶しました。
教室には居るし、教科書も机の上に出す。しかし耳をふさぎ、窓の外を見たり考え事をしたりして授業は完全無視。
塾に通っていたので勉強はそこでしました。
そして定期テストでは満点を取り続けました。
おまえの授業など意味がないのだと教師に見せつけるように。
おとなしい優等生の私にできる、精一杯の反撃でした。
自分がいい加減な人間だということを認識したのは、高校生の最初の定期試験だった。
いや、正確に言うと、そのときに認識したわけではなく、大学受験に失敗して自分の人生について(たった18年だが)反省をしていたときに、高校生の最初の定期試験に対して「ああ、良い具体例だな」と思ったわけ。
単純に考えれば、進学時によくある洗礼なんだよ。
進研ゼミのDMの漫画にあるような、「高校生の勉強は中学生とは違う!」という脅しのような、でも、実際の話。
それまで、つまり、中学までは、自分は勉強らしい勉強はしていなかった。あくまで、「勉強らしい」という部分が大事で、まったく勉強していなかったわけじゃない。教科書は配られた日にはあらかた読んでしまっていたし、暇なときも読んでいた。親は漫画やらゲームやらを買ってくれる人ではなかったから、それしかなかった。
そんなわけだから、授業のノートも適当にしかつけていなくても、試験期間前に努力せずとも、基本的に成績は超絶優秀だった。当たり前だろう、四六時中、それこそ暗記するまで教科書を読んでいるような人間だったんだから。
これについては、余談だが、言いたいことがある。
「子供のときは努力で差がつく。大人になったら努力では差がつかない。才能で差がつく。そして努力しない奴はひたすら落ちていく。」
一般化するつもりはないけど、ま、そんな気がする。
で、話を戻そう。想像するまでもなく自分は相当尊大な自意識を持って高校に入学した。もちろんトップクラスの進学校だ。
最初の定期テストまで、本当に中学校の延長で「勉強」していた。試験前も最初から試験を切っている奴や試験から逃げているような奴と一緒に部活に精を出していた。
いや、結果をみてビビったよ。人生で90点以下の試験なんて、小学校の時に無理やり受けさせられた日能研の全国実力試験の時以来だったから。無理やりというか、母がママ友から「一緒に受けよう」といわれて断りきれなくて、そのとばっちりを受けたのだけど。しかも、あのときは、何十人か一緒に受けた同級生たちの間で唯一全国ランキングに名前が載ったし、教科書にない問題は基本的には解けなくて当たり前と当時は思っていたわけだから自尊心に傷は付かなかった。
また、脱線した。要するに、高校の最初の定期試験の点数をみてビビった話だ。平均点以下だった。自分では正解を書いているつもりが、結構間違っていた。しかも平均点以下。おいこいつら、みんな俺より頭がいいのかと思ったら、冷や汗の出る思いがしたが、あとで、話を聞いて驚いた。過去問があったらしい。
さすがに将来シケプリを作成するような連中は違うなと今なら思うけど、まあ、最初は酷く彼らを嫌悪した。
それでも、90点以下の点数を取ったという事実に変わりはなく、そのことが自尊心を大きく傷つけた。それでも「教科書はトモダチ、恐くない」な自分からすれば、試験前の期間に試験対策をすれば、また再び成績優秀者に戻れたんだけど。とにかく、定期試験なんてそんなものだ。自分のターニングポイントは其処だったのだけど、まあ、当時は気が付かないよな。とにかく、いい加減な人間だ。<先頭集団にいられれば、それでいい>と思っているのだから。何か、野望とか目標とか夢とか、そういった焦がれるものがなかった。ただ、「下は嫌だな」と漠然とした感覚だけがあった。だから、ダメになってから気が付く。それは、攻めて行って失敗した<ダメ>じゃなくて、<なんか、これじゃダメ>の<ダメ>だ。
部活仲間に「お前みたいに『何でも常識の範囲だろ?』って顔をしている奴はいつか痛い目に合う」といわれたことがある。多分、本人も親や先輩や、塾の先生かしらないが、言われたことがあるのだろう。
一浪して、必死こいて勉強して、東大に入ったが、そこで再びビビッたのは、どんだけ努力しても勝てねぇっていう連中に何人も出会ったこと。何を血迷ったが、自分はそこで降りてしまった。競争することから。意識して努力することから。もとから、そういったものからは半分足を踏み外している状態だったから簡単だった。あとは、もう、流れるようなものだ。「下でもいいか」と。
といわれたときに耳が痛かった。
<先頭集団にいられれば、それでいい>といういい加減なモティベーションは、先頭集団に入れないとなったときに、いとも簡単に外される梯子だ。高校の部活仲間に言われたように、僕は痛い目に合った。僕のいい加減さが招いた結果だ。
まず全教科の学力をチェックする。本人に直接聞いてみること、成績表をチェックすること、必要なら簡単にテストしてみる。
あとは本人が将来何になりたいのか、とりあえず高校受験ではどのあたりの学校に行きたいのかを教えてもらう。
英語はどの程度の文法事項を理解しているかを聞いてみる。
理社については成績表を確認させてもらう。
国語については小学生レベルの漢字が読めない書けない、文章が読めない書けないは致命的なので、
もしそうだとしたら、そこに戻って指導をはじめる必要がある。
なぜ致命的かと言えば小学生レベルの国語が出来ないということは、
とりあえず定期テスト対策に漢字練習と読解問題を少しずつ解かせていけばOK。
好みの読書ジャンルを聞き出して、そのジャンルの本をたくさん読んでもらうのも効果的。
数学についても国語と同様で、小学生レベルの計算問題につまづきがないかチェックする。
小学生レベルの数学(というか算数)ができない場合は理科の化学・物理分野が危ぶまれるので
やはり克服しておく必要がある。
たとえば、少数の四則計算、分数の四則計算ができるかどうか確認してみるといい。
できていれば、中学段階でつまずいているところがどこなのかを把握し、そこから学習させていく。
授業には、解答・解説が丁寧で、要点のみを太字にしてあるようなシンプルな印刷で、かつ薄い参考書を選んで使用する。
英語の学力チェックは中一・中二の文法事項をまとめた小テストを用意して解かせてみる。
中一の小テストで8割取れていない場合は中一から学習をはじめる必要がある。
中一の小テストをクリアしていたら中二の小テストも解かせてチェックする。
中二のテストも8割とれるなら英語はとりあえず問題なしなので、
定期テスト対策をしてあげればいい。
中一、中二のどこかでつまづいている場合には、そこに戻って指導をする。
授業には、これは数学同様だが、
授業には、解答・解説が丁寧で、要点のみを太字にしてあるようなシンプルな印刷で、かつ薄い参考書を選んで使用する。
英語は基本的な文法をおさえることが第一。長文読解が第二、必要に応じて単語暗記が第三。
理科・社会については、成績表を見ればだいたいどの分野が苦手なのかわかる。
定期テストの出題範囲をおさえつつ、苦手な分野を一課ずつつぶしていく。
理社の指導は自習がメインになる。そうしないと指導時間が足りないから。
英国数を中心に指導することで、生徒自身が勉強のコツを理解してくれれば、
理社に関しては生徒にお任せでも何とかなる。
適度に宿題を出して分からないところを授業で聞いてもらう形式で良い。
学力チェックで生徒の現状を確認したら、高校受験の目標を知る必要がある。
こちらから目標を押し付けるのではなくて、どうなりたいのか、どうしたいのかをゆっくり聞いてあげると良い。
生徒が将来どんな方向を目指すのか、そのために高校はどのあたりを受験するのかをはじめに確認すれば、
どの教科をどの程度まで指導すれば良いのかが分かり、必要以上に力を入れなくて済むようになる。
特に、受けたい学校を早期に絞り込むことができれば、
たとえば英・数・国だけで受験可能な高校などを探し出して、効率的に対策に取り組むことができる。
自分で大型書店に足を運び、より生徒にフィットする参考書を探してきて紹介するほうがベターだと思う。
参考書を生徒に買ってもらう場合には、
まず親御さんに対して、その参考書がなぜ必要なのかを説明し、参考書代を出してもらうよう了解を取る。
もちろん無駄な出費はさけてもらうため、購入する参考書は精選する。
地域によっては、公立高校受験時に中学校の成績が重視される場合がある。
生徒や親御さん、家庭教師派遣センターやネットでの情報などを通して確認しておきたい。
メンヘラってのと、毎回の指導時間が1.5時間しかないのが厄介だね(普通は2時間)。
指導開始当初に、生徒がどうしたいのか、親御さんの期待していることは何かというのをよく聞いて、
無理の無い最終目標を設定をし、それを親御さんに納得してもらえないと途中で契約を切られてしまうかもしれない。
親御さんの期待したとおりに成績が伸びなかったから指導打ち切りになるケースはわりと良くある。
増田のように苦労している教師もいれば
こんな低能ぶりで金もらえるのかよって教師が蔓延ってる地方中学もある
まず、予定と金の管理が驚くほど適当。
絶対にこれを一般企業でやったら許されないってのが学生の自分にもわかるレベル
前提がそれなので、まともな授業は展開していないらしく教科書も全部網羅できてるのか怪しい。
この辺は本人がアホなだけの説もあるが、
それを度外視しても、定期テストの平均点はとても悪く外部のテストの平均点は目も当てられないので
勉強ができない側の学校であることは確か。普段がそんなだから進路指導なんかもまともなわけもなく適当
オマケに行事も適当。毎度毎度やっつけ感がすごいらしい
それなのにやたら残業してる。なにしてんのかよくわからん。非効率で時間がかかってるだけなような気がする
でも勤務時間だけで見ると結構長いから、「忙しくて残業多くて・・・」ということをほのめかすんだってさ
俺の本命高校も3科で170??180くらいが合格ラインだったから、そこも同じだなぁ。
なんとかしてね、どうしても入りたい高校があって。
中学生くらいの頃って、カッコイイものに憧れるじゃん。その高校に通う、ってことがなんかカッコよく思えたんだ。
だからってわけじゃないけど、SAPIXみたいな塾じゃなくて、本当に住宅街にひっそりとある地元の公立高校に受かるための塾で「高校への数学」とか毎週のように解いてた。単に宿題ではあったんだけど、別増田が書いてるようにパズルみたいで楽しかったのよね。ラサールとか慶応とか、東大寺学園くらいまでなら戦えたけど、開成だけは特殊な解き方とかあるらしくて無理だから手をつけるな、みたいなこと言われたりして。
ベッドタウンの公立中学でそんな勉強法やってたもんだから、学校の定期テストの数学なんてウンコみたいなものだった。既定時間の1/3くらいで解いて寝てたら、計算ミスしてて「余裕こいてんな」って怒られたっけ。
んで、学校の数学の時間に内職で「高校への数学」をやってたら、同じく国立の高校狙うような女の子(M美)に声かけられた。「あー、それ今度貸して」って。
俺は私立高校狙いだから3教科(国語、英語、数学)しかほとんど勉強してなくて、M美は国立狙いだから5教科(3教科+社会、理科)を勉強してた。教科が少なくて数学の影響が色濃く出る3教科では俺、バランスが重要な5教科ではM美、学校の定期テストではそれぞれ猛威をふるっていたわけだ。
そんな、ライバルっていうか戦友っていうか、「地味キャラ同士www」みたいな関係だったんだけど、俺は好きだった。ああいうタイプが好きなのって、ここが源流だろうな。この頃から一貫して、好きなタイプは「やや太めヲタ女」だなぁ。
当時、携帯電話もなければ電子メールもない時代に、なぜか俺は「想いを伝えるのはこのタイミングしかない!」とか思っちゃって、「高校への数学」の巻末に、読者アンケートみたいなハガキがついてたのよね、そこにラブレターをセロテープとかでくっつけて、M美に貸した。
あっ、長くなりそうだし仕事中だし、後編に続く。
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後編
[上層ノンマニュアル][文化資本][文化的再生産]裕福な家庭の子が進学で有利
子どもたちの相似は強制の効果である。卒業するや強制が終わる。
常識とは18歳までに身につけた偏見のコレクションのことをいう
益川さんと小林さん、文科相ら表敬…教育行政を手厳しく批判 : 科学 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
大学受験などで、難しい問題は深く考えず易しい問題だけを選んで解くよう指導している学校の現状を指摘。
「これでは、考えない人間を作る『教育汚染』だ。親も、じつは教育熱心じゃなくて『教育結果熱心』だ」と教育のあり方を手厳しく批判。
日本の子どもを幸福にする23の提言―LOOK FORWARD! | 中村 修二 | 本 | Amazon.co.jp
エリート教育のやり方の違い。日本では高校卒業時に詰め込み教育を行い、フランスでは高校卒業後に詰め込み教育を行い、アメリカではそれが学部後半以降になる、それだけのこと。
能力をほめるのをやめよう
【脱ゆとり教育】フィンランド、日本より授業数少ないのに好成績…授業数増で「詰め込み教育」に戻るのは避けたい
経済協力開発機構(OECD)の国際学力調査では、授業時間が日本より少ないフィンランドが好成績をあげている。
授業増が学力向上につながると考えるのは早計だろう。
「ゆとり教育」で成績アップ ホントなのかウソなのか : J-CASTニュース
ドイツは1400,デンマークは1500時間です。これだけ働いて何を得ているのでしょうか?家一軒も買えない場合が多い。
はてなブックマーク - わが子に「学校」はいらない(AERA) - Yahoo!ニュース
家庭が裕福なほうが高学歴を得やすいという話をしているのだが?
単純に進度が速いのだ。
多くの有名私立高校では2年の終わりか3年のはじめで終了させてしまう。
単純に早く終わるというだけでも、
有名校に行くために自己推薦が重視されるため、ボランティア活動ばかりに精を出す人もいます。
一概にどちらがいいとは言えないかもしれません。
『カトリーナ募金』とか『ツナミ募金』といったグループを結成して自分がリーダーになろうと必死。
大学受験で、ボランティア活動の実績やリーダーシップ力が問われるから。
なんだか皮相的な感じがするのよねぇ。」
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先日、友人の家族と夕食を共にした席で、大学3年生のお子さんが言いました。
「小学生の時に父さんに言われてサッカーのクラブを通ったが、僕はいつも天気が悪くなるのを願っていたよ。
雨でも降れば練習に行かなくてすむと思って」。
聞いた友人はしばらく沈黙し、「お前がそこまで嫌だったのか。父さんは悪かった」と謝りました。
東大に入る人と私の差というのは、「東大に入ろうと思ったか否か」に尽きると思う。
私の親はやや過激な学歴主義者であって、3歳か4歳の頃に「湘南高校に行って東大に入ってくれたらなあ」などと言われた記憶がある。だが、私は幼少の頃から、自分がそれを達成できるとは思えなかった。というより、自分のこととして考えていなかった。東大に行くのが学歴社会において100点であると考えながら、100点を目指そうとしていなかった。結果、70点ぐらいで妥協をした。この妥協するかしないか、100点満点を自分が取れると考えるのか考えないのかというのが、私と東大生を分けている最も大きなポイントだと思う。
とくに「妥協せずに」頑張ったということはないなあ。
小学生の頃は何もしなくとも90点以上がとれた。
中学生の頃は学校の宿題をこなすだけで300人中20位以内くらいには入れた。
高校になって、学校での成績が受験に影響しないことを知って定期テストでは手を抜くようになった。とりあえず上位30%くらいの中にいたと思う。それでも実力テストなどの範囲が過去に教わったこと全てというテストではやはり上位5%くらいの成績を取っていた。
高校3年生の受験勉強では、周りと同じ時間だけ勉強していた。塾に行ったりはしなかったので、東大や医学部目指してる友達に比べると時間・量ともに少なかったように思う。
高校(地方の進学校)に入学したときに、1年生は進路希望に東大か京大って書いておけと言われて東大と書いた。
そしたら3年間、そのまま進路希望先を変更しなくてすんだ。
周りと同じだけ勉強をしてたはずなのに、なんで周りは私よりできないんだろう?とずっと思い続けて東大に入った。
大学に入ってみると、努力してきたのね、という人がたくさんいた。
でも、自分と同等以上に頭が良い(含:勉強できる)と思う人もたくさんいた。
高石市で、かなり信じられない事件が起こりました。
清風南海(大阪屈指の進学校)の稲津という先生が、元教え子(20)の家屋に忍び込み、下着を窃盗。18の弟に見つかり、300m離れた地点で捕まる…という、ありえない事件。
実は私の知人2名がそこを卒業しており、彼らの心境は複雑といった感じでした。
2ちゃんねらじゃないけれど、さすがこれが大阪クウォリティなのかと。
さっき清風南海のコミュを見てみたけれど、稲津という先生、あまり生徒から信頼されてはいなかったようです。むしろ嫌われてたみたいで、事件が起きて清々したといった、そんな書き込みがちらほらと見られました。
『授業1回しかやったことないのに定期テストして、親からクレームが来た』って、一体どんな先生だよ。
1年半くらい前だったでしょうか、茨城・常磐大学の波多野勝先生が、学校見学に来た生徒に対して誤って自身の卑猥なシーンビデオを見せてしまったという事件がありましたが、この波多野先生もあまり学生たちからは好かれていなかったようです(彼は前期の授業の7割を、ビデオだけという授業にした過去があります)。
まぁ、これを見て解ったことは、やっぱり生徒は見抜いているということでしょうか、先生の素質を。
別に、働きたくないわけじゃほんとないのだけれど、でもほら、何やかんやいってまだまだこの国では同性愛者って差別されてるじゃない? 言いたくないんだよなあそういうこと。周りの人に。自分だってそんなことわざわざ聞きたくないし。カムアウト信仰ってのも何か眉つばなような気がするしなあ。だからといってこのまま働かないで暮らしていける程自分は決して裕福な身分ではないので、さて、どうしたもんだかと途方に暮れている状態なんだ。
特技とかそういうのもないしね。ほら、学校で勉強勉強って詰めこまれて、で、そこで行った努力が今になって何の効果も発揮してないという現実。悲しいね。普通のサラリーマンなら、真面目に勉強をするというその辛抱力が大いに会社で重宝されるのだろうけれど、自分の場合、そうした、普通のサラリーマンにはなれなかったからな。
つまりは、実力がなかったってことか。うん。きっとそうだな。定期テストでいい点を取ったからといって――結構、その為にエネルギーも注いだのだけれど――何も、自分に利することなんてないのだな。
性欲強すぎるしなあ、自分。好みの人を見ただけで、うわわわわーっと盛り上がって、で、その人と、別に深く人間らしい付き合いをした試しなんて、これまでいちどもないもんな。つか、相手に、自分の「ラブ」を気取られないよう、そういうことにばかり腐心してきたからな。
ん? とすると、先に書いた、定期テストを頑張ることで培ってきた辛抱力ってのは、こういうところに、生かされているということになるのかな。それは、ちょっと、やだなー。
そろそろ貯金もつきかけていることだし。お金を稼がないと。だが、どうやって? 六本木に行き、日本の笑い展が見たい。今の自分には、とてつもない贅沢。