はてなキーワード: 通過儀礼とは
御陰さまで30にして随分歪んだ性格を持つに至った訳ですが、高齢童貞なんて手に負えない生き物なので関わり合いにならない方が良いですよ。
こちらにはこちらの都合があり、そちらが全然ありと思っても、こちらは全然なしなので、放っといて頂ければ幸わいに思います。ある種の通過儀礼を、一般的に妥当と思われる時期に果たさなかったというのはそれはそれで自分が社会から疎外されていると信じ込むに十分なインパクトがあります。少なくとも私には。
なので、そういうお付き合いはお互いが不幸になるだけなので、手をつけないのがよいと存じます。もし泥仕合に付き合う覚悟があるのならば話は別ですが。
このぶんしょうのもくてき
この文章の想定読者
三日坊主の俺および俺と同じように、三日坊主地獄から脱出したいと思ってる人かつライフハックって何?って人。
この文章で扱えないレベルのひと
ライフハックに興味がある人、そのレベルだったら、普通にアタリマエのことしか書いてません。
この文章に書いてあること
俺が三日坊主地獄から脱出した方法、できなかった方法を、比べてなんで差が出たのか……慢心・環境の違い……
一番重要な、継続させる方法は「複数の通過儀礼によって、行動に理由をもたせ、意欲を維持させる」ってことだけど、結局は根性論やねん。
文章を読むにあたって
書いてから気づいたけど、夢を叶えるゾウという啓発本に似てると思う。手放したので確認できないけど、コピペではない…はず。
あと、最初は丁寧に書こうとおもったけど、飽きっぽいので後半は自分の言葉で書いた。
この文章を書こうとおもった理由
去年の4月ごろに、よい習慣をつけようと思って、いろいろ模索してみた。
試行錯誤の結果、定着した方法、定着しなかった方法があった。
どういう方法が俺に定着したのか、定着しなかったのか方法は何故俺に合わなかったのを確認する。
俺が習慣を形成する上において、何がインセンティブあったのかをあぶりだしてみたい。
俺が習慣形成をしようとした理由は、能力を効率良く上昇させるためである。
「習慣が定着した具体的な方法、それはPDCAの徹底」
ほな、これを、俺にどうやって定着させたかを記録する。
>1.習慣化したいことを決める。(PDCAのPlan)<
このプロセスで、必要なことは、決定である。
24時間という限られた資源を利用して、何を生産するか、ということを決定する。
そして決定したことは、記録することは、習慣形成に正の効果を与えた。
理由は二つ。
「習慣形成に与える第1の正の効果」
第1に、本当に必要な習慣かどうか判断出来る。
記録というのは、棚卸に似ている。
本当にこの商品を棚に置いてある価値があるのか、ということを考えるきっかけになる。
発想したときは「この習慣絶対必要なんや!ワイはやるで!」と、よく思う。
でも、記録してみると、「これはワイのホンマにやりたい事とは、ちゃうんちゃうか(和訳:違うのではないか)…」と、思うことが多い。
これは、正直落ち込む。しかし、よく考えてみると、ズレてることを発見したときは、ラッキーである。
ラッキーな理由をaとbに分けよう。
a:24時間という予算を、より自分にとって必要な習慣に使える。
b:長期人生設計とズレてるものは、やろうと言う気持ちにならない。
やる気が無くなる。習慣化に失敗する。俺はできないと学習してしまう。
そして、「ダラダラすんの最高や!ワイには習慣つくりなんて最初からいらんかったんや!」と、いう思考法になる。
この思考法により、(楽しいかどうかは関係なく)能力増加のための蓄積に利用できる時間を、空費することになる。
ズレの発見により、この空費を減らすことが出来る。
習慣にしたいことを決定したら、一度アウトプット(記録)する。
蓄積された記録を俯瞰し自分で判断するという作業は、時間節減効果が期待できる。
「習慣形成に与える第2の正の効果」
記録することによって得られる、二つ目の習慣形成に有効な効果は、自信を持って選択出来るということだ。
選択の迅速化によって、時間を節減できるし、やる気の増加にもつながる。
選択の迅速化によって、時間を節減することが何故ええんか言うと、利用できる時間が増えることがええことなんやね。
利用できる時間が増えるということは、習慣化できることを増やすことである。
習慣は、能力増加の蓄積を目的としている。また、やる事を増やさんでも、一つのことに使える時間が増える。
時間を費やせば費やすほど、できることは増えていくから、正の効果ある。
だから、一つのことを主に極めたい!言う人も、時間を節減することは大切。
これは習慣形成の話とは関係ないけど、時間投資によって得られるリターンは、やっぱ逓減していくんちゃうかなー。
収穫というよりは効用のほうな。
以上が、「することを決定すること」・「することを記録すること」に、よって得られる効果である。
「習慣化することを、何に記録する?」
じゃあ、何に記録する?という話だけど、これは自分の好きなものに記録したらいい。
以下に上げる二つ条件を満たせばいい。
条件1:自分にとって、負担のない方法。
めんどうだなあ、と思うやり方は、記録自体が続かない。
今自分が習慣化してることでやれば、負担は小さいやろな。
2chが辞められへんねんやったら、2chの過疎板でスレたててソコでやればいい。
あとは、twitterとか、そういうネットサービスを利用してもいい。
ただし、新しく始めるんじゃなくて、今習慣化してることを利用した方が、続く可能性は高い。
条件2:自分にとって簡単に見直すことが出来る。
何のために習慣化したいことを記録するのか、というと、効果1「必要かどうかの判断」を、すること。
よくやった失敗に、その辺に書きさらして後で、見直してみると……
「字汚すぎて、読まれへんわ!」とかいう失敗。
でも、これ記録した時間がもったいないし、アイデアも失って二重に勿体無い。
だから、簡単に見直すことができるやり方がいい。
これらの条件を簡単に記すと、「より小さい記録コストで、情報保存性に優れるもの」、ということ。
より小さい記録コストってのは、本人の主観に影響されるので、「情報の保存性に優れる」ことで俺がやった失敗を記す。
俺が記録失敗したことと、その理由と対策
失敗1:ワードで綺麗に作って、印刷して壁に貼る
理由1:生産にかかるコストが大きいので、まず作った時点で満足してまう。
そして、壁って、そんなに見ない。だから、印刷物も見ない。
良く考えてみれば、壁をしげしげと見る習慣は俺にはなかった。
壁を眺める習慣のある人間には、有効だろう。
あとデスクトップの壁紙にしてみたが、こちらも、いちいち見なかった。
対策1:俺には向かなかったので、やめた。
失敗2:ボイスレコーダーに記録する
理由2:再生が結構めんどうくさい。
何よりも一覧性がない。ぱっと見て判断したほうが、時間の節減になるので書き出すのが、二度手間。
ただし、録音は考えてることを、ダイレクトに記録できるので、短期記録にはすごく便利。
しかし、これで長期記憶をすることは俺に不便だった。
対策2:俺には向かなかったので、やめた。
失敗3:チラシの裏に書いて行方不明。適当に保存したから行方不明。
理由3:たとえばツイッター利用したなら、どのツイートに書いたとかわからんとか。
対策3:ついログ((http://twilog.org/))を、利用するとか、パーマリンクをブラウザのブクマに入れるとか、なんか分かりいいとこに保存することがいい。
チラシの裏に書いた場合は、ファイルとかに入れとけば、なくなくることはあんまりない。
同じところに、まとめてると見やすい。
「実際に記録してみる」
では、記録する方法を決めたら、さっそく、習慣化したいことを、思うままに書いていく。
この時点では、「あ、これええな」とか、「これも、やらな」とか、「これあったらええなあ」思う程度で、充分。
判断・選別は、記録した情報が出揃ってから、実施するので、欲望のままに記録しよう。
「全部出揃った!これでかつる!」
って状態になったら、優先順位をつけてみる。
宿題とか、やらなあかんこと、ってのは、上につけると社会的信用を失わずに済む。
行動出来る範囲が狭まると、能力上昇効率が悪くなる。
それは、自己実現から遠いので、まず「やらなあかんことをを上にしたらええ」
やらなあかんこと、ってのは、勝間(2007)のフレームワークで言う、「消費の時間」(p.110)に該当するカテゴリのこと。
勝間は、緊急かつ重要、と、規定している。((無理なく続けられる年収10倍アップ時間投資法 勝間和代))
「消費」を優先することは、藤田(2003)も「まず仕事を最優先させること」(p.43)と訴えている。((資格がいままでの10倍早く取れる本 藤田康雄))
ただ、習慣化したいをアウトプットしたはずなんで、消費カテゴリが、あまり出てくることはないと思う。
やらなあかんこと、ってのは、基本的に強制力があることやし。習慣化させられてる可能性が高いんよ。
むしろ、やりたい事で沢山出てきてるのは、勝間(2007)でいう、空費(緊急ではなく低重要)や投資(緊急ではなく重要)だと思う。
で、24時間しかないのを、どう配分するのか、というのを、自分なりに判断してみる。
優先順位の付け方としては、藤田は「仕事(消費)>勉強(投資)>持ち帰り仕事>趣味(空費)」
勝間は「消費(仕事)>投資(資格)>浪費・空費」やけど、その優先順位ってのは自分がやりたい通りにやる方が続くと思う。
というのも、個人的な意見なんやけど、仕事>趣味って絶対かあ?
別にゲームをする時間を、前に持ってきたってええやろ。漫画を読む時間を、もっと増やしてもええやろ。
そういう時間を捻出するためには、能力を上げて転職してブラック脱出したり、所得を増やしたりする必要があんねんや。
でも、海外ニート(2010)のいう「労道教」(( 日本では「労働」が「労道」になっている http://kusoshigoto.blog121.fc2.com/blog-entry-345.html))の信者なら、趣味の時間を節減することによって、業務から得られる収穫を増やすことにもつながるで。
これは、自分が信仰されてる宗教によって、選択したらええ問題ですわ。
まあ、どっちかよう分からんわ……いう人は、アレや、労道教を信仰した方が、所得は増えるで。
資本蓄積した後に、どう使うかってことを考えると、できる幅も広がるわな。
リーマンとか、そういう可処分所得が小さい人間やったら、所得を稼ぐ手段である、仕事を大切にすることは、合理的な判断やと思います。
ここが一番難しい。では、失敗例を検討してみる。
Doの分野で、俺が続かなかった例を記載する。
失敗1:帰宅して、9時から英語の教科書13ページやる、10時には国語の問題集に移行して、11時には数学のry
理由1:予定通り進みません。そして、やる気なくなる→「やっぱワイにはできへんかったんや!」と、できないと学習してまう。
そして、時間を空費する。
対策1:あそびを持たせる。予定ってのは、理想の状態やから、それをトレースするんは難しい。
一回約束を守ったら、もー守らんでもええかなーって、学習してまう。
守らんでもええ、という気持ちは、やる気の減少に繋がります。
失敗2:あれもこれもと、自分が使える時間以上のことをやって、結果何も身につかない。
理由2:まあ、ほんまかどうか知らんが、効果が出て来るまでこんだけ時間がかかるらしい((初級システムアドミニストレータ「150時間」 http://alfalfa.livedoor.biz/archives/51422676.html))
単純な話やりたいことを増やし「すぎる」と、投入出来る時間が分散されてしまう。
そんで、結果でるのは時間が遅れる、ってことは確実。結果が出ないとやる気が無くなる→「やっぱワイry」現象。
対策2:やることを厳選すれば、効果が出やすい。
最初は厳選して、それを高いレベルにすれば、必要な時間が短くなる。
この文章読んでるってことは、日本語の勉強特別にやらんでも、日本語読めるやろ。
そんで余った時間に、やれなかったことをやれば、できる総量は増えるんちゃうか?
失敗3:ダイエットは明日から~♪ダイエットは明日から~♪と、念じていれば痩せると思っていました
理由3:なんか目的を作ったら、満足してまう。目的の設定は、ナビを設定しただけやねん。目的地まで走らな、つかへんのや……。
対策3:具体的にやる方法を、計画・決定し、実際に行動する。((これがムズイんや!うまく自分を操縦してくれ!))
よく言われることだけど、やりだしたら結構、止まらないってことが多い。
だから、最初だけしんどいとおもう。具体的なやり方は、いろいろ議論されてる。
知らない人のために何個か()の中は個人的な感想
・机を綺麗にする(これは、掃除してまうと思う)
・時間を決める(これは、難易度高いと思う。残業でたり、うんこ行きたくなったりしたら詰む)
・何かの行動に続けてやる(トイレ→手洗い、飯→歯磨きみたいな)
ちなみに俺は「1日サボると、取り返すんめんどいなあ。後回しする方が、めんどいなあ。せやから、やったほうが得やな」って、自己洗脳してます。
またある時は「この時間を、勉強に費やした方が幸福度高そうやな。ここでゲームすると、今は楽しいけど、後で苦労するで!純幸福度はどうやろ……」とか、そんな感じ。
「じゃあ、俺のアクセルは、どうやったらかかんねん!」
普段どういうときにアクセルかかってるのか、考えてみたらええかもせえへん。
そこにヒントがありそう。
「もっと知りたいんや!」やる気 方法 で検索すればアホみたいに出て来るから、お知恵を拝借すればおk。
でもなあ、あんま検索せえへん方がええかもせえへんで。
というのも、実際アクセルかかれば、どんな方法でもエエんやから。
愚直にやればアクセルあったまってきたりする、これが一番の方法かも。
ところで、これ読んでる人は、一昨日何食べたん?
これ即答できへん人やったら、辛い思い出も覚えてない可能性が高い。
何が言いたいかっていうと「辛い思いもいちいち覚えてへんのや!」ってことです。
「あーだるいわー。でも、3時間後にはこのダルさ忘れてるしなー、よしやろう」
この考え方、8月31日は毎年地獄の俺には、ちょうどよかった。
ほんまに辛いこと覚えてるんやったら、毎年8月31日は地獄にならんて。
失敗4:時間は作らなできへんのちゃうか?これって、よく指摘されることだけど、俺の場合はなかなか気付かなかった。
対策4:なかったら作ればええんや!
よっしゃー、時間は作るでー。
ただ、「何時に宿題」とか言う、時間の作り方は、俺には継続が難しい。(業務とか、授業とかは別・強制力の働かない状況で)
ほな、どうするか。
俺の出した答えは、定石である「スキマ時間の徹底利用」だった。
人間の集中力は15分。つまり、最初の15分は、かなり効率良くトピックを頭に入れることができるということだ。
これを利用する。たとえば、受験生の場合なら、覚えたいトピックを、ノートに記して、すぐ取り出せる場所に配置する。
そして、授業の合間とかでも、先生が「今からプリント配るからー」とかの、空き時間に、ノートを開く。
5秒もあれば、そのトピックを確認出来るはずや。
そして、ソレに対する解釈をし、理解を深める。
受験生は暗記したがるし、実際暗記も大切。((暗記せな対応出来ない試験とか多いし))
でもなあ、大切なことは勝手に覚えるから、概念理解するほうが楽やで!
ただ、あくまでもスキマ時間の利用であって、また先生がお話始めたらちゃんと授業聞いた方がええで!
なんでかっていうと、内職よりも、教師との情報交換によって、トピックへの理解を深めた方が、おもろいとおもうから!
うまいこと自分なりに発見して、自分なりのやり方作ったらええんちゃうかなあ。
探すんもおもろいし、いい気分転換なると思います。
ポイントは
・簡単に参照できる
・すぐやめれる
この二つやと思います。
失敗5:なんだかんだ言って続かへん……
理由5:できへんもんは、できへんのや…
対策5:自分の中でやる理由を作る
要はドクトリン形成。このドクトリンは、他人からコピペしてもうまくいかん。
似てきてもええから、自分なりのアンサーを出すことが大切や。
ちなみに、俺のドクトリンはただひとつ。
重要なことは、蓄積をすること。
これを、俺の中で暗誦するんだけど、その度に、昔剣道の先生が言ってたことが思い出される。
「みなさん、私は1日どれだけ素振りをしていると思いますか」
剣道の先生やで、めっちゃ素振りしてると思うやん、せやから、そう言ったんや。
そしたら「お酒を飲んでしんどい時も、1日1回以上を目標にしています」当時は意味わからんかったわ。
でも、今なら、ちょっと分かる。
たった5分でもええ。
重要なのは、辞めないこと、毎日続けることやねん。
つまり、目標達成のための時間蓄積、時間蓄積のための行動、そして習慣化。例外を作らないことや。
できへん壮大な目標をぶちあげて、時間を空費することは、もう辞めたらええねんや。
5分でも愚直に蓄積すれば、0分より全然ええと思うで。
ほな、その5分を蓄積しまくればええねん。
>3.実際の行動を記録する。(PDCAのCheck or Study)<
やったことは記録する。
行動記録はモチベーションの維持の効果がある。
では、失敗例を
失敗1:正確に記録しようとする、やる気が失せる、ワイ略
理由1:記録が目的になってしまう
対策1:記録はかなりゆるい範囲でいい。3分しかやってなくても5分で記録すればいい。
重要ようなことは、蓄積することであって、記録することではない
失敗2:記録が続かない
理由2:めんどうだから、続かない
対策2:簡単に記録できるようなシステムを構築する。
エクセルとかで気合入れて作ろうとすると、結構つまずいたりする。
次の2つの条件を満たせばOK
条件1:簡単に記録できる
条件2:後から確認しやすい
これが達成出来るなら、パソコンにこだわらず、カレンダーに時間を記していってもいいし、シールを貼っていくのもいい。
英語を合計で30分やったら青いシールとか、1時間やったら☆とかそういのもいいかもしれない。5分毎にシールはるのもいいかも?
クエリで平均何時間とか本格的に分析して、細かい数字を出すのも楽しい。
でも、時間の蓄積計測は目的じゃなくて、時間を投資した中で何を自分のものにするのかが、目的だから、そんな精密でなくてもいい。
そして、記録は分析にも利用できる。
たとえば、「お、寝る前は効率良くやってるな」とか、「朝起きたときのほうが、はかどってるかもー」とか、そういうのを抽出できればラッキー。
その時間に積極的に、時間をつくっていけば、より短時間でたくさんのトピックを覚えることが出来る。
この辺の分析方法は、俺は、試行錯誤中。
たぶん経営学のあたりの範疇から、インストールできる概念多そうだと思うので誰か教えてください←主題
>4.改善点を見つけて、アップデート。(PDCAのAct)<
分析して、上がってきた課題を、次の計画に組み込む。
そんでアップデートすれば、同じ時間で、よりたくさんのことができるはず!
ってか、改善まで来てるってことは、三日坊主は脱却してるやろ!
もっと出来ること増やして、みんなが自分の理想を達成出来ればええね!
最後はあきっぽさ炸裂で、竜頭蛇尾や!!
あなたがたが通うことになる早稲田大学は、1学年につき約1万人ほどもの人が通うマンモス校だ。当然いろんな人がいる。いろんな出会いがあり、いろんな出来事が待っている。
それは数ゆえの、そして早稲田という土壌を目指したある種の人々が織りなす一大青春劇! である。
その劇中でどのような役割を演じるのか、どう動いていくのか、というのは、個人の意識に依るところが大となるのはもちろんのことだ。
しかしもう一つ、大きな脅威が、早稲田で暮らす者たちを待ち受けている。
それは学友たちでも、教授がたでもない。左翼や宗教の勧誘でもない。
最大の敵にして、現在の学生が抗えず、また抗おうともしない相手…… 『早稲田大学職員』である。
四月一日の入学式に向けて、すでに東京入りしている新、一年生も多いことだろう。
大学側から公布された大学全体の入学式、そして学部入学式。科目登録の日付を手帳に記して、新しい日々に夢を膨らませているかもしれない。
マイルストーンを購入して、授業やサークルの情報を読み込んでいる人もいるだろう。
大学生活の日々を活力にあふれたものとするものの最有力候補、サークル活動。 私もこの大学の四年間は、イコールサークルでの四年間であった。
早稲田大学に存在する、公認、非公認問わず全体で数百にものぼる数のサークルたちは、春になると例年のごとく、戦争に突入する。
入学式に参加する新入生に甘言の羅列されたビラをバラまき、大学構内にブースを並べてカワイコちゃんをはべらせ、新入生はタダだと謳い飲み会に誘う。
あらゆる手練手管でほかより多くの新入生を取り込み、その戦力を強化せんとせしめる。
その争いは熾烈を極める。走り来る自動車を物ともせず、警備員は総シカトである。新入生が手を差し出そうものならば、いたいけな彼(彼女)が思った10倍のビラが返ってくるとみてよい。
すべてが去ったあとには、踏み散らされた哀れな紙吹雪しか残らない。
これが通過儀礼であり、また儀式を遂行する首長たちの姿なのである。
ところが近年、この自然な営みを圧迫する、大きな陰が早稲田大学を覆いはじめている。
この『新入生歓迎』行事という儀式の姿を、根本から変えようとする勢力が、早稲田大学には潜んでいる。
さながら中世における西洋からの侵略者。その圧政の影響は、私が入学した頃からこの儀式の様態をたどれば明らかだ。
私が入学した2006年、新勧活動における最初の洗礼は、(事前に大学に来たものでなければ)戸山キャンパスの正門である。
新入生は、全体入学式をうけるために正門から体育館まで歩くことになる。その道は数多の上級生によって作られ、
体育館に入るまで、両脇に並んだ上級生にビラを渡され続ける。一度手を出したが最期、その上に積み重なること山のごとし。
次の年、2007年以降、戸山キャンパスにおける以上のような新勧活動は禁止された。
基本的に、大学での新勧活動は、大隈講堂で行われる学部入学式か、大学構内に構えたブース、そして戸山キャンパス脇にある学生会館内に限定される。
早稲田に(ほぼ)初めて訪れた新入生を圧倒し、勢いでサークルに勧誘するという極め技を奪われたのである。
この時点で、上級生、そして新入生においても、話術があまり得意でない者が、新たな繋がりを得る可能性が一つ、失われたことになる。
翌2008年は、私も幹部学年として新入生勧誘にあたっていた。この年については、あまりに忙しすぎてよく覚えていない。
さらに翌年の2009年は、就職活動で忙しくあまり顔を出せず、覚えていない。
そして今年、2010年度の新勧活動は、著しい制限を受けることとなったようである。
それは、新勧活動を許可される時期の早期化だ。
例年の新勧活動は、4月1日から一週間弱ほど行われていた。
それが今年は、3月30日から4月3日までしか許可されないというのだ。
この、『許可』というのは、大学構内でビラをばらまいたり、ブースを設けることが出来る期間であって、各サークルが独自で行う飲み会や、部室においての新勧活動を含むものではない。
しかし、より多くのサークルに、よりオープンな感覚でもって接することができるのは、野外に設置された、「誰でもカモン」「誰でも見やすい聞きやすい」ブース、そして数多くの勧誘員とふれあう『新勧活動期間』である。
入学式が始まるのは、例年通りの4月1日。
この始まりの日よりも前に、誰が早稲田大学を訪れるだろうか。
もちろん、いち早く情報を得ていたり、気の早い者、モチベーションの高い者、行動力のある者は30日から大学へ向かうだろう。
しかし早稲田大学は、そのようなものばかりでもない。
多くの新入生にとって、学生生活を充実させるはずの素敵な出会いが失われること、必定。
このような 改 悪 を決定したのは一体どのような勢力なのか。血気盛ん、天下無双のアウトロー集団たる早稲田大学の学生たちに、このような理不尽を強いることが可能なのは誰か。
それが、 早稲田大学職員 なのである。
彼らは私たちの学生生活を陰から監視している。
私たちの親から余分なほどに吸い上げた養分で腹を膨らまし、私たちの自由を、青春を、なんの考えもない規制によって締め付ける。
これはなにも、新勧活動に限ったことではない。
学生会館は彼らによって完全に管理され、開館時間や部屋の利用、部室の使用権まで、私たちは「与えられている」状態だ。
夜22時まで残っていれば、わざとかと思うほどにいやらしい警備員の館内放送を聞くことになるだろう。
大学のネットやシステム関係はザルで、少しでも変な登録、操作をしようものなら部室のキー登録が消え、ネットの使用が不可になる。
迅速なアフターケアはない。
大学で授業があっている時間は、09:00から21:30である。
彼らは0900から1700までしかいない。
一般企業、大企業、公務員、など様々な職種への就職活動を支援する就職課の職員は、どう見てもエキスパートに見えない。
なにごとにも融通が効かない「お役所仕事」。これが、すべての職員に通じる言葉だ。
そして少し調べればわかることだが、彼らは、 なかなかに、 高給取り である。
彼らは私たちの大学生活に必要なものではあるが、不必要な部分もおおいにあるように、私はこの四年間で感じた。
このような、決して便利ではない、しかし不可欠な大学職員が早稲田大学には巣食っている。
彼らはこれからも、私たち学生たちの自由をせばめ、彼らの怠慢を増やしていくのであろう。
そのことに気付かずいや、気づかないフリをして、「円満」に学生生活を送ることは可能だ。
しかし、私たちは入学した時点で、すでに既得権益によって不自由を強いられている。その事実は、決してなくならない。
私たちは、戦うにしろ、無視するにしろ。 それを知った上で、自分なりの行動をとることを迫られているのである。
………………だから、 新入生のみんな、 3月30日から、新勧活動やってるので、早稲田大学にきてね! (私は卒業しているのでいませんケド
*大なり小なり、様々な誇張を伴なう表現を駆使しておりますが、言いたかったことは結論の一文くらいです。すべてが真実であるという保証はありません。
女子はどうなんだろ。
気になって軽くググってみた。
http://www.babycom.gr.jp/birth/min/min8.html
通過儀礼とは、本人が自分のそれまでのアイデンティティーを卒業して、新しいアイデンティティーを獲得するためのものでもあり、周囲にそのことを知らしめるためのものでもある。そうした儀式を通して、自分もまた周りも「この人は母になった」と自覚するためのもの。
確かに、「出産して母とならないと一人前の女性と認められない」という古い価値観はまだあることはあるね(それが正しいといっている訳ではない)。
「大人は読書をする時、それまでの経験を踏まえ、解析を試みながら”読む”。つまりは半ばその是非を疑いながら読むのである。」
「子供は読書をする時、経験が無い為に移入する。そのものに成り切ってしまうように。その世界観に染まるのである。」
これも極端な話だ。読書中に大人がスキゾで子供がパラノとはね。
と考えると、ワタシは「読書中に限り」子供でパラノイアだ。自分で言うのもアレだが、移入の鬼だろう。
小説のキャラクターの台詞をパクってそのものに成り切ったりとかね。コスプレだよコスプレ(笑)
しかしながら、普段のワタシはそれを否定する。裏切る。
『網状言論F改』だろう?「オタク」の奴。アレは当初物凄い没頭した。
でな、2年前に裏切ったんだ。呆気なく。切っ掛けはスラヴォイ・ジジェクだった。(例の東さんもお好きなようですが・笑)
要するに「裏切りの過程」を全部見せていた訳さ。ひょっとすると、今までに無いパターンだったのかもしれない。
「そのものに移入し、それが後になって全否定される。」という強烈な振り幅。
因に『身体なき器官』の冒頭に有った「対話こそ哲学に対する最も際立ったアイロニーである。」は今でも正しいと思っている。
『山月記』の詩人は人と一切交わらず虎に成っただろう?虎のままで居たければ人と交わらない事しか無いんだろうか?
哲学とコミュ/非コミュ、詩人/虎、大人/子供。それにな、今は「メディア」が介入する。
情報公開/非公開という要素は案外無視出来ない。過去の日記は非公開にしている。
最近じゃ「自分の所有物である」という主張すら止めた。だから増田。それも今年で終わりにしようと思う。20世紀が終わったからだ。
でもこの状況でも「怪物」と言えばマイルス・デイヴィスだ。エヴァンゲリオンの方がネタとしては解り易いかもしれない。
TV版の最終回は単なる「悪戯」だ。だが「通過儀礼」でもある。
アニメという強シンクロ、「見たまんまが総て」という全能感からたった2晩でそれを総て裏切る。
と言っても所謂「酷いオチ」では無く、総てへの裏切りである。失恋に近い感情を抱いた人が多かったのだろう。
(これ実際有りましたよそりゃ。良い歳こいた大人が「はぁ〜」とか言いながら人生語ったりするのよ。エヴァ語りながら・笑)
で、次の映画版のラストは前も言ったけど「中途半端な破滅願望」な。
「失恋すると世界が終わるような幻想を抱く事で自分の精神を防衛する」これはアンナ・フロイトが言っていた事だけど、
世界が終わっても結局シンジとアスカが残っていた訳。これは新しいパターンだよ。「破滅した。だが人類は滅亡していない。」
後輩の女の子がエヴァ劇場2作を振り返ってこう解釈していた。「あれはアダムとイヴなのだ。」とね。
で、次だよ。今のシリーズ。
「アニメは言わば強シンクロの世界だ。そこに映る物で総てが説明出来る。」とは『アフロ・ディズニー』のネタなんだけど、
先の『破』はとてつもない強シンクロの世界。シンジは男らしく、レイは女らしくなった。恋をして、守ろうとした。言うなればただそれだけ。
それだけに素晴らしい。監督が自分の望む世界を雄弁に語った。それに尽きると思う。
評価は分かれたな。移入出来れば、まるで自分が恋をしているかのような感情すら抱くと思うし、
出来なければアレだ。「今更庵野と手を組む気は無い」とか言ったりする。両方ともファザコンに近いなぁもう。
東の新作は実はコッソリ読んでみようと思う。哲学談義が現在大パニック状態なだけに多分面白い。(好事家なので)
やっべ。クソ長ぇ文に成っちまった。多分こんなのまともに読まれないだろう。
(まぁ、誰か読んでくれるかもしれないからこのまま落とす。)
いるいる、ごくたま~にいるよな、そういう短絡思考に捕らわれちゃう東京ネイティブ。あるいは安くない引っ越し費用をかけて上京したもののなーんか「憧れの街TOKYO」とは違ってて、その認知的不協和を誤魔化すためにますます東京を過大評価し、自分の出身地を意味も無く憎んじゃう奴。「車しか移動手段が無い」とかもうね、素人は満員電車の中でどうしようもない孤独にあぁボクはさいなまれて涙あふれてろよと。
元増もあれだろ、上京して内定もらった会社に挨拶に行ったら「やっぱり東京はいいだろ、地方のダメさがよく分かるだろ」とか何とか言われちゃって傷心気味なんだべ? まあ元気出せって、これ通過儀礼だから。いやマジな話、おのぼりさんの10人に1人はこういう事をやられてると思うね、いや知らんけど。いやいや。
逆に、地元に帰ろうとするともっと酷い事言われるぞ。人生を棒に振るのかとか何だとか、社長じきじきに説教喰らうんだぞ。あれにはさすがの俺もまいった。恥ずかしいからやめてくれと言いたくても言えなくて切なくて耐え切れなくてwow-wowあーなんかどうでもいいわ。飽きた。寝る。お前らも寝ろ。
ふと思ったのですが、鳩山内閣とは「日本人にとっての通過儀礼(イニシエーション)」なのではないでしょうか?
思い出していただきたいのは、麻生政権時代の話です。あの時、私たちはなにかモヤモヤとしたものの中にいたような感覚を感じていたのではないかということです。自分自身に不確定感を感じており、自暴自棄な部分があったり、八方ふさがり感を感じていたり、手応えの無い生を生きている様な感覚を感じていたのではないでしょうか?
つまり、あのまま、自民党政治なり、麻生政権が続いていたとしたら、私たちは、自分たちが溶けてなくなるような感覚に襲われていたのではないかということです。
戦後民主主義というマッカーサーの誘導通り、生きている事にリアリティのない、夢見がちな子供こそが日本人であるということを日本人自身が真面目に実行してしまい、日本人の精神年齢は永遠の12歳に閉じ込められてしまいました。つまり、団塊世代を含めて、子供が多数派になってしまったという現実があると思います。
そして、その結果として、野党が多数派となり、鳩山内閣になったという訳です。
今までは、誰かが(この場合、自民党が)、親のように国民の面倒を見てくれましたから、親に子供が不満をぶつけるように、国民も野党もマスコミも外部からヤジを飛ばしていれば、責任を果たした気分になっていました。しかし、いざ、自分が権力を持ってみると何も出来ていないのが現実としてあります。
鳩山首相というのは、今まで、外部にいた国民や野党やマスコミが……外部にいた人間が、鏡に映った場合にどう見えるかという事の体現者です。彼を無能、正常な精神状態でない、歪んだ笑顔が醜い(そこまで言ってませんね)と責め立てた所で、それは結局、国民自身が自分自身を批判していると言える事が出来るのではないでしょうか。
ですので、結果的にであれ、どうであれ、鳩山内閣とは「日本人にとっての通過儀礼(イニシエーション)」として機能してしまっているというのが実情でしょう。
以前、こんな記事を見ました。
「三国志の中で誰になりたいか?」という記事です。中国では狭義心に富む「関羽」が人気でした。アメリカでは有能で策謀謀略に長けた「曹操」が人気でした。日本では天才軍師の「諸葛孔明」が人気でした。
これが何を表しているかというと、自分の立ちたい立ち位置を表しているのではないでしょうか。
つまり、「トップに立たずに、冴えたアドバイスをする「知恵袋」として活躍したい」というのが日本人の心情な訳です。
これがそのまま、日本人の野党体質に繋がっているのではないかと思います。
例えば、ある社会学者があるジャーナリストをなぜ、実際に著名人をどんどん引き連れて政治工作しないのか?と責め立てる訳です。ジャーナリストは「自分がやりたいことをやりたい」と答えていましたが、要するに、誰も当事者にはなりたくないのです。その社会学者も、孔明的な立ち位置に立ちたくてそんな事を言ったのでしょう。でも、責任は取りたくない訳です。ジャーナリストにしても政治運動の当事者になる事は「やりたい事リスト」の中に入っていない訳です。やはり、孔明的な立ち位置でやっていきたい訳です(その点、勝間女史を悪く言う人がいますが、そういう人達のサバイブ能力は、彼女以下であることは間違いないと思います)。
結局、政治の当事者ではなかった自民党時代の民主党も、国民も、マスコミも、(当事者からすると無責任な)冴えたアドバイスをしたい訳です。何か偉そうな事を言いたい訳です。その欲望が中心にあったのだと思います。
しかし、鳩山内閣とは「日本人にとっての通過儀礼(イニシエーション)」は、日本人をことごとく死地へ向かわせ、容赦なく、当事者にしてしまうでしょう。逃げ切れると考えている団塊世代も例外ではありません。財産に対する猜疑心に否まされ、孤独死してしまう人も多いのではないかと思います。そして、実際、氷河期より就職事情は厳しいですし、経済的な脱出口は見つかっていません。また、ご存じの通り、外交も迷走しています。
多分、日本人がこの通過儀礼を無事乗り切るかは分かりませんが(最悪、中国の植民地だと思っています。もっとも、チベットのように民族浄化されるかも知れませんが)、ある種の諦観と、自身しか当てにならないというサバイブ能力を持たざるを得なくなるでしょう。
レイプ問題を熱く議論するのは結構ですが、現実問題として、全ての男を隔離されている日本より、女性が鉄砲を持ち迷彩服で町中を歩く日本の方がリアリティがあるのではないでしょうか?(現に、アフリカでは似た様な状態の国もあるらしいですし。そして、残念ながら、非常に残念ながら、日本のレイプ発生率は低いのです。いずれにせよ移民は増えると思いますが、容赦なくレイプ発生率もグローバルスタンダードに近づくでしょう)
そして、そして、そして、そんな困難の時代を生きるあなたに、格好の情報があります!
色々、本を読んだり、試したりしているが、難しい。
今までやってきた方法論と考え方をある程度、整理するために、自分の考えを書きながらまとめていこうと思う。
議論はしたくないが(ハイ、チキンです)、ご意見をいただけると嬉しい。
正直、純文学は俺自身よく分かっていないので、エンタメ小説の話という事を前提に読んでいただければ、と思う。
まず、物語のパターンに対する有名な言説として、『村上龍の「穴に落ちた主人公が、穴から這い上がる」「 穴に落ちた主人公が、穴の中で野たれ死ぬ」の2つしかない』というのがある。おそらく、これはエンタメ小説の基本形だと思う。「そもそも穴はどうしてできたのか?」「主人公は本当に穴の中にいるのか?」「そもそも主人公はなぜ主人公なのか?」のようなことを延々と逡巡するのが純文学かも知れない(純文学は読まないので、間違っていたらごめんなさい)。純文学は、(面白い/鋭い/ビビットな/より本質的な)問題提起自体が重要であって、それを読者に考えさせることが主題である……様な気がする。ただ、純文学の作者にせよ、物語の基本を踏まえたうえで、あえて外すからサマになるのであろう、とは思うが。
話を元に戻すと、エンタメ小説の基本を俺なりにさらに単純化させると、「主人公が問題を解決するか/しないか」であると思う(以前、増田の「5分で物語を作れるにようになるコツ(p://anond.hatelabo.jp/20091002081424)」が話題になっていたが、この増田の考え方はそれほど間違っていないと思う)。ただし、エンタメ小説は、エンターテイメントである以上、読者を楽しませなければいけない。問題が解決するにせよ、しないにせよ、きちんと納得の行くオチにすべきであろう。そうしないと、読者は満足感を得られないだろうし、満足度が低い店に行かなくなるように、ファンもまた離れていくと思う。
もちろん、将来のファン離れを心配する前に、やる事があるのではないのか?というのはごもっともな意見だと思うが、やはり、自分でも読んでいて面白い物語を書きたいし、途中まで書いていて、自分でも面白くないなあ、と思った事がたびたびあるのでその辺を考えていきたい。
では、面白さとは何か、という話になる訳だが、「主人公が問題を解決するか/しないか」に絞って下に挙げてみよう。
(1)基本的に、読者は「主人公が問題を解決するか/しないか」分からないから、ハラハラドキドキする。サスペンス性(→suspense 不安感。特に、映画や小説などで、観客や読者が危機的な場面にはらはらする感情)。あるいは、大抵のエンタメ小説の場合、「主人公が問題を解決してしまう(読者も基本的には楽しむために読むので、ハッピーエンドも望んでいるはず)」ので、どのように解決するのかという点が重要。
(2)問題設定の面白さ(舞台設定/キャラクター設定/問題の大きさと主人公の能力のバランスなど)。”奇(変わっている事)”であり、”妙(巧妙さ。全体のバランスも含めた緻密な設定)”なほど、評価が高いのではないか?ジャンルがSFやミステリの場合、いかに凝った問題設定と解法を用意するかがキモになると思われる。ただし、あまりにもぶっ飛びすぎていると、読者が感情移入できなくなる問題も発生するような。
(3)間口の広い感情移入の仕組み。感情移入できない主人公の小説というのは、エンタメ小説の”てい”をなしていないのではないだろうか。主人公に感情移入出来なければ、他人事と捉えられてしまい、熱中して読んでもらえなくなる。想定している読者になんらかの”共感”を持たせるような主人公を用意すべきではないだろうか?(例えば、何らかのコンプレックスを持たせる)
(4)展開のドラマチック性。(1)の”サスペンス性”にもつながってくる話だが、「読者が想定している期待度を超えるという意味で、予想を裏切る」展開が重要になるのではないか。展開が二転三転して、劇的な勝利(問題解決)をするというのが理想かも知れない。もちろん、より読者にドラマにのめり込んでもらうためには、(3)の”間口の広い感情移入の仕組み”が必要でないかと思われる。
つまり、教養小説(ビルドゥングスロマン)的側面。通過儀礼(イニシエーション)としての小説。これこれこういう理由で、彼は”強く””大人に”なったのさ、というお話としてのエンタメ小説。
また、面白さとは何か、を追求していくと、以下のような視点も考えられはしないだろうか?
(1)読者の想像力を喚起させる事
例えば、文章レベルで言えば、情景が浮かんでくること。読者に、痛み/恥ずかしさ/快感などの感覚を想起させ、リアリティを持って受け止めさせ、疑似体験させる事。”体験的なもの”として、読者に受け取ってもらえるか。文脈レベルで言えば、展開の読めない”不安”感、手に汗を握る”緊張”感、問題解決による”達成”感などを過去の展開の蓄積により実現しているか?
(2)読者の欲望を刺激する事
例えば、女の子の描画。ポルノでも萌えでも女の子のかわいらしさをどういう風に表現し、読者の想像力を喚起させるか。あるいは、食べ物の描画。うまそうな食べ物をうまそうに(文章で)描画できるか。カッコイ戦闘機をどう格好良く(文章で)描画できるか。外には、ファッションなど。粋なファッションを粋に表現できるか。読者が関心がある事柄に対して、いかに”幻想”を抱かせ、”欲望”を感じさせるか、という点。
(3)教養としての側面
さりげなく、”うんちく”を混ぜる。例えば、中世ファンタジー物だったら、朝食は貴族しか取れなかった事を説明しながら、朝食を要求する元貴族の商人の心理を読者に想像させるなど(ライトノベル「狼と香辛料」にそんなネタがあったはず)。個人的には、少々苦手。資料用に読んだ本で気に入った設定はメモっておくなどしているのだろうか?
(4)虚構と現実の境界性
例えば、伝奇ものの面白さ。現実の実在の人物(や場所?)がファンタジーで出てくるというハイブリット感。あるいは、2chのどこまでネタか分からない感というか。
(5)比喩表現の面白さ
暗喩と直喩。村上春樹は独特の比喩表現で有名になった訳だが。(1)の”読者の想像力を喚起させる事”や(2)の”読者の欲望を刺激する事”に密接に関わってくる。例えば、「彼女の組んだ腕の上には双丘が気持ちよさそうに並んでいる」の様な表現などはどうだろうか。
(6)気の利いた会話
最近流行りの会話劇だが、コントや漫才、ネット上のやりとりなど、トレンドの文脈をある程度押さえつつも(気に入ったネタはストックしておくべきか)、表面だけの真似に留まらないために、自分の言葉による体験的要素も問われるのではないか。
(7)説得力のある説教
ガンダムの富野氏の説教くらいに説得力がありつつ、面白い説教するためには、独自の価値観を持っている必要がある。大抵の人は人生経験を積めば、それなりの一言を持っているはず。一人の人間としての成熟性が問われる、のかも知れない。
(8)笑いの要素
ギャグ/ユーモア/パロディ/言葉遊びなど。個人的に苦手な要素である。自分の場合は、どうも野暮ったくなってしまう。センスや基礎教養が問われるからかも知れない。とにかく面白いと思う話を大量に読み、小話を書いたりして、自分にあったやり方を発見するしかないのではないか。自分の場合は、実にどうでも良い事を真剣に議論していく話がウケが良いようだ。
(9)恐怖の要素
笑いと恐怖は近いものがある、と言われている。(8)の”笑いの要素”がうまく書ける人は、恐怖もうまく書けるのではないか。これも個人的には苦手な要素だ。ホラー映画も苦手だし。単に読者のトラウマを刺激しても、嫌われるだけだろうし……。ただ、最近のトレンドにはこの要素が絡んでくる作品も多いのではないか。また、サスペンス性を上げるという面でも重要な要素であろう(ジェットコースターのようなスリルと快感の関係というか)。それから、演出技法としては(1)の”読者の想像力を喚起させる事”と関連性が高いと思う。スティーブン・キングなどを読んで勉強すべきかも。
(10)恋愛的な要素
いわゆる一つの萌え要素、と言う訳でもないが(ほら、スベった)、自分の中にある理想のヒロイン像を具現化して駆け引きを思考実験するという意味では、裸になって踊るようなものだと思う。慣れれば快感になるのかも知れない。ただ、個人的には最近、食傷気味。
(11)バイオレンス
闘争本能を刺激する要素。”読者の想像力を喚起”させ、重みのあるリアリティとして受け取ってもらえないと、単なる茶番になるような気がする。
……ひたすら要素を羅列してきたが、要するに、”読者の感情や価値観を揺さぶる”という点が重要なのかも知れない、と思った。
(文字による心理操作によって衝撃を与える、という意味では、詐欺師に近いものがあるというか。嘘をつくのがうまい人間がお話を作るのが上手、というのも頷ける。本来、エンターテイナーというのはそういうものなのかも知れないが。ヤクザな業界というか。現在最強の任天堂さえ。というか、任天堂こそが勝つべくして勝っている”名博打打ち”なのではないか。そもそも、経営という概念自体が(ry)
あと、話題になっている、うまい=面白いでない、という件について。
テクニックは描いた量に比例する(作品の)魅力は考えた量に比例する
物語の中だるみについて。
途中からなんだか間延びしている、なんだか乗れない、と感じたとき、物語の推進力が低下している。
主人公を追い込んだり、障害を増幅したりして、推進力を高める必要がある。すなわち障害やクリア条件を上げていくのである。
主人公は最後のゴールに簡単に到達してはいけない。ハードルが最初よりも下がってはいけない。敵が最初よりも弱くなってはいけない。
考えてみれば、続刊の出ない、あの小説やあの小説も、すでに、主人公を危機に陥れる「強い敵(難しい問題)」が取り除かれてしまったのではないか。あとは、シミュレーションゲームの終盤局面のように力押しで何とかなる状態というか。主人公がリアルに死ぬ/臨死体験するくらいの危機が常にある状態で、最後の最後で、”おおかた”の問題が片付くのが理想かも知れない。
文章力の磨き方。
基本かも知れないが、自分の好きな作家の文章を写す(タイプする)。良さが理解できない作家の文章を写しても多分、意味は無いと思う。文章を写すだけのヒマがない場合は、ラインを引きながら読むだけでも違うような気がした。逆に思ったのだが、好きな作家の文章をラインを引きながら読んでいると、作者の認識力の限界を見切る事がたまにある(例えば、そもそもの問題設定の矛盾とか、作者のルーツ(根源)はどこにあるとか)。その辺が大切なのではないか。また、好きな作家は最低二回読むべきかも知れない。
(Webより引用)
正しく見るためには二度見よ。
美しく見るためには一度しか見るな。
実は、優れたツリーの裏側に何十枚もの「デッサン」がある。
例えば医者コントってテーマを決めたら、オーソドックスな医者コントを、だーっと全部考える。
それだけでも充分おもしろいっていうネタにしておきつつ、更に松本がやった作業って言うのは、 部分部分で、どれだけ予想できる笑いを裏切るかって作業。確かにこれでもおもしろいけど、ここはこうやったらもっとおもしろい、こうやったらもっと裏切ってる…そういうのを延々繰り返していって、どれが一番ベストな裏切りかなぁってことを積み上げて、ネタを磨き上げていくんだって。
例えば、小説の創作手法にシミュレーション的手法を取り入れるということなのかも知れない。つまり、何回も思考実験を繰り返して、ドラマチックな展開のものだけを商品化する、という考え方。確かに、小説は元々、思考実験的な物を含んでいると思う。
その他。
「最初からフルスクラッチすると、効率が悪すぎる(1から作るのは大変であり、ベーマガのプログラムを改造しながらプログラミングを覚えていったように、まず改造する)」「問題を小さく切り刻む」「リファクタリング」的な要素を考えると、二次創作のSSをとにかく大量に書き、慣れてきたら、規模を増大させていく、徐々に設定も作り込んでいく、の様な方向になるのではないか。
まだよく分かっていない事。
あかほりさとるの新書に、「見たいシーンを書け」と書いてあったが、全く別のWeb上の指摘で、「最近のドラマは、脚本家が見たいシーンだけ繋げていった感じで、物語的な山場や整合性が軽視されているのではないか?」のようなものがあった。その辺の解決法。
文章の勉強以外であまり再読をした事がないので、よく分からない。
何かを創り出そうというタイプの人間には多かれ少なかれ、精神的な「欠損」があります。
その欠損を埋めようとするところから、何かをクリエイトしたいという欲望や欲求が生まれてくることが多いのです。
もちろんそれだけじゃないけど、そういうケースはしばしば見受けられます。
問題はその欠損をどこまで「普遍的なもの」にまで高めていけるかということだと思うんです。
中にはその欠損の欠損性にいつまでも拘泥しているという人もいます。
それでは本当の芸術にはなりませんよね。そのためには、人はもっと広く世界を見なくてはなりません。
人生は長期戦ですから、ゆっくりとしっかり息をしながら、前に進んでいってください。
まとまらないけど、以上。
補足。
(1)確かに、とりあえず、稚拙でも一作書き上げるという考えもありかも知れない。試してみるか……。
(2)色々本の紹介、ありがとうございます。
(3)Webからの引用元を書かないのに、他意はありません。面白いと思った文章は個人的にスクラップしているのですが(ローカルのメモ帳にコピペするだけ、のようなもの)、URLまでは保存していませんでした。申し訳ないです。
(4)確かに、あるパターンの繰り返しや場面転換の組み合わせというのは、あまり考えた事がなかったですね。なるほど。……少し見通しが立った感じです。ミクロレベルとマクロレベルの視点を重視しすぎて、中規模レベルのパターン認識がうまくいっていなかったようです。皆さん、ご意見ありがとうございました。(さらに追記すると、これは上に書いたあかほりさとるの新書の話にも繋がってきますね。それなりに問題意識を持っていたけれど、もう一押し足りませんでしたね>自分)
なんかもう、ワケ分からん。まず、スポーツ好きな人が分からん。
野球好きのおっさんは自分がひいきする球団の試合見て一喜一憂するし、キッズどもは、通過儀礼のように野球チーム入って、坊主にして、練習に励んじゃう。
そんで、文集に○○選手のようなプロになってお母さんにラクさせたいとか言う。
それ、100%言わされてるやん。サッカーにしろ、他の陸上にしろ水上にしろ、何であんなにファンは熱くなれるのかわからない。
カッコイイと思うのはイメージの刷り込みでしょ。
へえへえ、私は競争本能が薄れた弱者ですね。君たちは思うさま、私を睨みつけ、嘲笑し、勝ち誇り、情けをかけなさい。とにかく、なぜそんな全世界中がスポーツに熱くなれちゃうのか。
スポーツは戦争の代わりだ。全然健全じゃないのに、なぜ「僕たちスポーツ観戦をたしなむ善良な市民です」みたいな顔するのか。
なぜそんな、競争させて優劣付けたがるのか。
確かに、一番熱くなれるエンターテイメントなのかもしれない。
確かに競争がないとシラける。みんなでお手手つないでゴールするリレーでは、本当の平和を体現できているとは言い難い。
その子ども達は次の日からテストで優劣を決められ、偏差値で人間性を決めつけられる。そうなのだ。確かに社会に生きる上で競争は必然だ。
え?本当に?ほんとに生きることって競争なの?競争しない社会は不可能なの?競争が必要な社会を作ってるから、オリンピックみたいなのに熱くなれちゃう人も出てくるんじゃないの?
競争させて得するのは誰?感動を共有できた気になってる観衆?いや違う。得するのはカネを得る人間、主催者側だ。
平和とかきれいごとぬかしてんのも主催者。(「平和」なんて、選手が戦ってる最中に考えてるワケがない。全てエライさん同士のご都合。)
当然、私と同じ、スポーツなんぞどうでもいい派の石原都知事はどうでもいいスポーツ予算を削り上げる。「どおでもええんじゃ、スポーツなんぞとっとと廃れろ!」
と言ったかどうかは知らんが、
石原都知事個人にとってスポーツはどうでも良かった。しかし「東京都」という視点に立ってみれば、オリンピックほどおいしい話はない。
もし東京がオリンピック開催地になれば、苦しい借金を一括返済、それどころかあまった利益で毎日遊んで暮らせる!
このオイシさに気づくや否や、早速、石原都知事は地域活性化計画をでっち上げ、オリンピック招致を開始。
ところがこれに民衆は怒る。「なんだい、さんざんスポーツ予算削ってたくせに!あいつ絶対私腹を肥やそうとしてるだけだろ!都市開発なんて、一体どこの東京都民が望んだんだ!」
で、結局土地も向いてない、という直訴が通じたのか、招致は失敗に終わった。
184 :名無しが氏んでも代わりはいるもの:2009/07/27(月) 00:52:59 ID:???
庵野がEoEで傷つけた萌えオタを「ごめんね、レイとぽかぽかにしたからごめんね」として謝罪、萌えオタは謝罪を受け入れ庵野についた
返す刀で金にならないサブカル厨を切り捨てるためにさまざまな仕掛けをセット
・シンジさんにキツく加持ごときに憧れている惣流を更迭、新たにシンジさんラブラブアスカとして式波を投入
・綾波と式波ではエロ要員が不足するので、エロメガネ要員として真希波を投入、尻を振らせるが今のところ桃屋状態のまま
・EoEでは通過儀礼として乗り越えるべき大人の象徴として描かれていたミサトが突然シンジさんを全肯定、「やりたいようにやんなさい!」とスポイル爆発
・リツコが解説者として解脱
・ゲンドウに「よくやった」と言わせて萌えオタの心の傷を若干和らげる
・トウジの妹も全快
・加持やカヲルをホモ要員として配置、腐女子の財布も逃さない磐石の体勢
その他
・全体的にシナリオを簡素化、換骨奪胎してゆとりや腐女子、パチンカスのオッサンたちにもわかりやすくしてある
・EoEで視聴者の喉元に突き刺すような演出(リツコの親子二代不倫、アスカの加持への憧れ、巨大綾波、アスカの廃人化)は極力排除、全体的にぽかぽかとした雰囲気を重視(水族館など)
・上記のためにシナリオは完全ご都合主義化、帰ってくるかどうかわからないシンジさんが綾波と融合したら「やはりあの二人だったな」と後付で強弁
なんていうか、酒井法子の失踪に関してネットのダメなところがいつもにもまして爆発しているような気がする。
普段からこういうニュースに便乗して下らない輩が跋扈するようなことはまあ日常茶飯事なわけだけど、今回は特にひどいというか。
おそらく今回の事件、本当の意味で「真実を知っている」人は現時点で本当に限られているはずなんだ。
ごく近い親類や関係者だけはもう知っているかもしれないし、もしかしたら今も当の本人だけが知っている、考えたくないけどもう現時点では誰も知らない事になっているかもしれない。
本当にそれくらいのごく限られた人数しか、今の時点で知らないはずの情報を、さも知っているように語る人たちが多すぎる。
・Twitterやブログを介して本当は何も知らないのに、さもそれっぽい嘘情報を流す輩
・特定のイデオロギーのようなもののために、この騒ぎに乗じて「○○は△△関係者なのにマスゴミはそれを隠している」的な特定のどこかを貶めるために嘘陰謀論を語るタイプ
・そしてそれらをとりあえず逐一拾って人目を引くタイトルとスカスカな中身でとりあえずアクセスと小銭を稼ぐJ-CAST系のネットメディア
・mixiニュースやYahooニュースのコメント機能を介して本当は何も知らないのに自分の推理をもう当ってる確信を持っているかのように語るタイプ
・ただみんなに「すごーい、社会の裏に詳しいんですね」って言われたい、思われたいだけの知ったかタイプ
・特定のイデオロギーの(略)特定のどこかを貶めるために嘘陰謀論を語るタイプ
・女だから信用できない、女だから悪い事をしたに違いないという観点で「もう死んでるよ」「じっと社会の制裁に耐える矢田を見習え自分だけ逃げたメス豚」「薬が抜けるのを待っているに確定」とか語るミソジニータイプ
・そしてそれらの戯言群に何の価値もないと知りつつも、「ネット上では様々な反応が続出」という感じのまとめ記事でもういっちょアクセスと小銭を稼ぐJ-CASt系ネットメディア
あっちこっちでみんなが、この国民的二時間サスペンスドラマを、それこそ自分が「オバサン刑事」になったかのような観点で、無責任にそして大胆に楽しんでいる。
そして真実は消費されるだけでどこにも見つからないし、ふだんネット一人居士がよく言う「マスゴミは嘘をつく、ネットには真実がある」的ないい草は自ら否定することになっていく。
これもネットと言う文化の通過儀礼なのかしら。確かにあと何回か祭りが起きればみんなバカバカしくなって、今のような異様な盛り上がりはなくなりそうだけど。
小中高の時に体育の授業でやることがないと
周りの人達はどうだったか憶えてないけど、正直自分はどっちも興味が無かった
高校ぐらいになると適当に突っ立ってるだけで問題ないのだけど、
小学校、中学校ぐらいだとちゃんとやろうとしてもすげー文句言ってくる人が必ず居て
今思い出すと非常に鬱陶しい
だけど当時の感情としては多分悲しいとか切ないとかそんな感じ
なんでこんなに文句言われなくちゃいけないんだろう
何でサッカーとか野球やってるだけで偉そうにされなきゃならないんだろう
実際スクールカーストって小学生だとサッカークラブとか野球クラブに入ってる人達が頂点だった気がする
別にあの頃から非モテだったんだな俺は、という僻みを言いたい訳ではなくて
まずサッカーか野球をやってないと理不尽な対応を受けるっていうのが
通過儀礼か
忘れるように努力しても、やっぱり忘れられなかったことを引き摺っていたことに気づき、忘れるために遠くに離れたのに、遠くにきて益々自分の中ではきれいな記憶になってしまったりしていて困る。
煮え切らない関係を数年続けて、仕舞いはあっさり訪れ、お互いその頃は何かに忙殺されていて、疎遠になり、何かの行き違いが重なり重なりついに連絡が途絶えたり、よそよそしい関係になった。
連絡に対して応答がなくなったときは、それはそれは落ち込んだ。それでも、もとより自分の手に負えるような女ではないと思っており、荷が重いと感じていたので、多少は安心した。
顧みるに自分の煮え切らなさ過ぎる態度は相手からすれば不安だっただろうし、ときには侮蔑のように感じたかもしれないし、勿論相手に成り代わることは出来ないので、実際の所は分からないのだけれど、きっとだれもがそのように感じる筈。こっちはこっちで生活の忙しさと、自分とは大凡釣り合いの取れないような人と、仲が良いから先に進んでしまいそうなことに不安とかその他を感じながら過ごしていて、何でこうなってしまったのだろうと自問を繰り返していたりした。
そうこうするうちに僕らは互いに年を取り、多くの人が世間に対してある程度を示すべき時期が近づいてきていたっぽい。それはそれはそつのない人間に見えるので、てっきりもう適当な相手を捜して、ある種の通過儀礼を済ましているものと推測しているのだけど、こちらと致しましては知人関係にその様なことはついぞありませんでしたと言って回っているので、相手の消息は知れず、憶測だけが募る日々。連絡先もうっかりなくしてしまってさてどうしたものかと考える物の、一方でどうしたものかと逡巡する。
思えば連絡が途絶えたのも、ある程度は自分が望んだことなので仕方がないのかもしれない。どう考えても此彼の差は大きく、何で俺なんですか、意味分からないですとか、お前と付き合うのは俺ではないとか、もっとマシな男を選べよとか思っていて、毎回会う度、これが今生の別れだと思っていたりもした。
一方で、その後思い出す度に、もう一度同じ機会があれば今度はもう少し上手くやれるのにと思ったりもする。女というのは好きと言わせたい生き物だというけれど、今なら上手くその仕掛けに乗れそうだ。
何でそもそもそう思うかというと、やっぱりということになるんだけど、その辺はありがちな言葉、つまり、自分に素直になれなかったとか、気づかなかったとかそのようなものを充てておいて、なので自分でも思い残した所があるのでということになるんであろうなあ。こんな無趣味で無教養なののなにが気に入られたのかはしれないけど、そしてそれはまた別の話。
そして、会いたいと思えば思う程、会うべきではないという思いもあり、もはやどっちに転ぶか自分でも予想がつかない。唯一今の状況に収まっているのは、周りの人間に連絡先を訪ねないからで、恐らく知っていたら今更どっかで会う約束を取り付けてるのだろうなあ。
そういうことで、どうしたらいいかさっぱり分からないし、相手の迷惑もあるのでなんともしがたいのだけど、増田さんならどうするでしょうかという話です。
多けりゃいいってもんでもないんだけど、Follow数とか被Favを異常に気にする新世代Twitterユーザーのために。
まぁ、あるひとりのアルファーユーザーとして書いておく。誰も見ないだろうけど。
難しく言うとTwitterは独り言を垂れ流しつつも、だけどホントは誰かに承認されたり仲良くなったりしたい、出来ればうっかり付き合っちゃったり結婚したり人がたくさん死ぬとかいうドMな日本人心にマッチしている素晴らしいサービスなので、だからそういう使い方を積極的にしたら良いだけ。
つまり簡単に言うと、とにかく思わせぶりに動けば良いということなんです。R&Bされない程度に、ね。
具体的な手順は次の通り
キーワードでついったー○○部というのがたくさん作られているのでそこから興味の合いそうな人を数人ずつFollowしていこう。
発言は数十Postなのに、Follow差500とかあると逆に気持ち悪い。
もしそれがいつも自分のTimeLineとは違う話題になっていたら、それは君の初期Followデッキが失敗、とまでは言わないけど、ちょっと向いている世界が違うのかもね。
よく意味が分からなくても『ああ、○○ね。分かります』とかwakatterPostしておこう。
たとえ無関係のFollowerだけだとしても壁に向かって話しかけるように話題を提供し続けよう。
これをやるとまるで話題が豊富な、友達が各方面にたくさんいる人みたいに誤解される。@(リプライ)なしの独り言で頑張ろう。
それだったら、とにかく他人のPostにFavをつけよう。
特に片思いFollowな相手にこれは有効だよ。
逆にそういう相手が居たらFollowして友達になろう。いつもFavしてくれる人、を増やすことがとても大事なんだ。
相手を愛称で呼ぶ。愛称とかわかんねーって時は適当に平仮名読みでいい。
ただし気になる相手が複数リプライ(.@xxxx,@yyyy,@zzzzz ただいまー)などしていたら、それらを全てFollowしていこう。効率よく関係を拡張出来る。
たとえどんな言い方をしてもネガティブな論調に受け取られるし、相手に不安を与える。男は黙ってRemove&Block。
ただし常に抽出タブを用意しておき、晒されているIDには承認申請を送っておこう。
よろしく~とかは要らないし、実際にSkypeする必要も全くない。通過儀礼のようなもの。
別にどうでもいいことに@リプライしてくる、執拗にRTでリプライ&コメントしてくる奴は適当にスルーしよう。
どうでもいいリプライにはどうでもいい返事しかしようがないので、自分自身がつまらないIDだと誤解される原因になる。
誰もお前が選んだおもしろRTPostなんて見たくないし、本当におもしろければFavられている。
原文:一日中涼ちんのこと考えてた。もとい考えている。
作例:一日中めいぼうちんのこと考えてた。もとい考えている。
おすすめはTween,P3,Twitなど海外開発者のものを含めたくさんある。
けれども、日本語で要望や不具合報告などが通じる例示したクライアントから選ぶのが無難。
作者をFollowする必要は全くない。お礼はお米券を送付しよう。挙動がおかしかったら黙って最新版を探そう。
ライトユーザーはクライアント導入時に戸惑うことがあるかも知れない。それもTwitterで聞いてしまおう、立派な話題だ。
リプライタブだけでなく、自分の愛称なども対象キーワードにしてタブを作っておくとはぴはぴはっぴー♪
気にしなくていい。別に最初っからお前は居なくてもいいんだ。みんなそれぞれのTimeLineを見ている。偏執するようなものではない。
やーすば!!!!
積極的に個人情報にも近いような自分のモテぶり、仕事ぶり、財力、地位などをほのめかすPostを繰り返せばここから一気に人気者になれます。
口先ひとつで人気者です。うそでもなんでもいいです。とにかく他人の気を引きましょう。
被Followバランスも自分からFollowすることなしに、3:5、あるいは2:5くらいでも成立するでしょう。
ふぁぼったー上位常連とかでなくてもこんくらいになります。コンテンツ力の足りない人でも安心だね。
面白いUstreamをはじめ、面白いOFF会/忘年会、面白いリナカフェに顔を出したり出されたりしましょう。
呟いてもひとり。寂しいですね。
これまでチヤホヤしてくれた人たちはそそくさと新たなコンテンツへと興味を移します。アルファーユーザーの宿命というやつですね。
多けりゃいいってもんじゃないけど、情報発信したり、仕事の話したり、なんとなく会ってみたり、だべったり、ケンカしたり、アニメみたり、ゲームしたり、rblgしたり、人を殺したりする同時多発性の混沌さがTwitterの魅力ではないでしょうか。
でもこれ、ボクはとにかくみんなに承認されたいんだ! という人には向いてないと思う。
最初は良くともこうしてFollowを繰り返していく内に自身が希薄になっていくのを感じるから。
本人に余程のコンテンツ力がなければ自我を保てないのではないでしょうか。
逆に大したコンテンツ力がないのに頑張っちゃっている新世代Twitterユーザーの方々は常にストレスフルな状態でTwitterしていることになるのだと思ったのです。
それがこの記事を起こした切っ掛けでした。
承認欲求を満たしたいのなら、Mixiに戻った方が良いです。あすこの方がよっぽど安全です。パターンオレンジですし。
最近どうやら日本の世間的にもTwitterが流行りはじめているようで、これからこういう愚かなる若者が、つまり人がたくさん死ぬと思います。
人が承認欲求にかかるストレスで死ぬんです。恐ろしいことです。Twitterの即時性が承認中毒を誘発するんです。
そもそも人間、無理に仲良くしようなんてしなくていいし、無理におしっこ幼女とか、サーバーを落としてまで真っ赤にしなくていいんです。
僕は幼女おしっこは少し黄色がかった透明なのが好きです。すみません。少し古いネタを掘り返すのはこの辺でやめておきます。
でも、きっと日本国民の8割はエヴァ破を上映開始日に2回以上見たし、エヴァネタバレ禁止とか高次元なメタネタですよ。アスカどうして死ななかったんだろ。つまらないことになってしまった。
僕のTimeLineではそうなってる。そういう風に作ったんだ。居心地の良いように。だから正しいんだ。
とかなんとか、そういう感じになるから非コンテンツには全然ラクじゃない。
追記
id:hyaknihyak さん
石臼欲しくなったので住所Dしました。よろしくお願いします。
という、それくらいの話。
小難しいことよりもまず、今の暮らしで他人と係わっている部分をもう少し見直してみてはどうか、という流れを引き出したかったりした。
ちなみに質問主がざっと考えたら、家族関係2、実家方面2、職場方面3(いわゆる肩書きも含む)、呑み方面2、地域関係2、趣味関係3、くらいか。独身社会人でこれだ。見落としてる部分もあるかもしれない。こう考えると未成年の世界って狭いよなあ。ほんと狭い。
なんだこりゃ、結局「人の見え方」をカウントしてるに過ぎないんじゃないか?
追記:もう少し重々しく通過儀礼的なものがあるものをカウントせよ、ということであれば半分くらいに減る。しかし呑み方面の通過儀礼ってなんなんだろう(笑)
だ・か・ら
「グーグルみたいなカジュアルでクリエイティブな職場環境」と言う内的要因と
「ビジネスのオープニングとしてのマナー」のと言う対外的要因をごっちゃにする奴のために
一回でいいからビジネスのオープニングを覚えとけってだけの話なの。
たとえば、グーグルと仕事をしたいと思ってる会社がグーグルの社内イメージ見たいなのりで売り込みに行くか?違うだろ?
まずはオープニングとしてのセレモニーをやるんだよ。儀礼的にな。決闘の前の挨拶と一緒。
そこを通過してざっくばらんな話ができる雰囲気に持ち込めるかどうかがビジネスなんだよ。
新人研修なんて儀式なの。通過儀礼。イニシエーション。念押し。そりゃ退屈だろうよ。擬装擬態のテクニックともいえるもんな。
それから、たかだか外部講師の新人研修と社内の仕事の現場とはまったく別物だと思うぞ。
そっちが
なってるのが望ましいとはどこの会社も考えてると思うぞ。多分な。
今日受けて思った。
外注の講師がやってきて、まず、全否定、人格否定から始める。なにも努力していないという前提から始める。今までの人生はすべて無駄だったという前提から始める。ありとあらゆるヘ理屈と詭弁と少しの真実で、その言葉がすべて正しいように錯覚させようとする。まじめにやってきた人ほど今までのことを否定され、今できてないことを指摘され、それではだめだただの役立たずだと罵られてちぢみあがる。
そうなったところでビジネスマナーとやらを、理屈で考えるな体で覚えろ、と言われて何度も何度も練習させられるのだ。講師の思うとおりの発言をすればほめちぎられてだんだんその回数が増えていく。
正直途中から面白くなってきたのでどんどんノリノリになってしまったが、自分はもともと動作が上品とか育ちがよさそうだとかはよく言われるので特に罵られることもなかったし、褒められることもなかった。
だけどさ、考えても見ろよ。新人研修受けてないけどちゃんと社会人やってる人もいるよ。否定されて不安になったところで「これがあれば何でもできる」って出されるものは本当に必要なものかな。本当にそれさえあれば何でもできるのかな。違うよな。自己研鑽は自分自身でする必要があるし、ある程度のビジネスマナーというのは弁えていなきゃいけないけれども、それがなかったら死ぬわけじゃない。それは絶対的な信仰ではない。ただのツールだ。ただの言語だ。これはもしかすると通過儀礼なのかもしれない。一日だけだから週が明ければなんだったんだろうってなってるかもしれない。もともとうちの会社はそんなに厳しくはないし、今日来た講師もまだまだ甘い方らしいから、だんだん今日のことは忘れて、そのうちたくさん失敗をして、よいバランスを覚えていくのだろう。世の中を泳いでいくための道具としてそれらの所作は何も考えなくても行えるようになるんだろう。それが絶対だとは思わないけれども、ある程度必要なものとして習得していくのだろう。
だけどこれが何日も何カ月も続いたらどうなるのかな。「社会人」っていう宗教に入信させられてどうするんだよ。「ビジネスマナー」を教典にしてどうするよ。その教えは本当に正しいのか?絶対的に正しいのか?そしてそれで何かができるのか?それだけで何かができるのか?
元増田です。あんまりにも嫁のテンパり具合が
すぱすぱ当たってるので、ちょっと驚いた。
奥さんはむしろ自分に「仕事と育児どっちが大事なんだ」って聞きたいんじゃないかなぁ。子供におまえなんか産みたくなかった!って言いたくなるようなことがあったのかもしれないけどそれを飲み込んで増田にぶつけてるような感じもするよ。
結構、そんな感じかも。今日もキレられて
「明日から育児全部やってよ。できないならベビーシッター頼んで、
と言われた。言ってること論理的にむちゃくちゃだと
思うんだけど、追いつめられてるってことなんだろうとは
思う。家政婦のときもその論法で雇うことになったから、
また、それをやれって思ってるのかなあ。
とりあえず会話だけでおさめるのは難しいものがあるので、どういう大変なことがあるのか書き出してもらうといいんじゃないかな。こんなに家事やってる!っていうのが自分にはどうしても見えないから書き出してほしいって。そんで自分のやってる分も書く。たぶん見た目で比較できるからお互いに冷静になれると思う。
この方法は家政婦頼む時に、一回やってみたんだ。似たようなこと。
そのときは、
って話になったんだよね。。。
ありがとう。もうちょっと前向いてみる。
自分は女だが「仕事と家庭とどっちが大事なの」は一番いっちゃいけないことだと思うなぁ。だってどっちも大切なのはわかりきってるし、どっちか選ぶことなんてできないわけだし、単に困らせたいだけの質問をするひとってどうなのよと思ってしまう。
ただ娘さんがいるんだよね。もしかしたら増田のいないところで娘さんが今日はやたらぐずったとかそういうことがあったのかもしれない。奥さんもなんか体がきついとか。増田も泊まりで大変だと思うけど、体がきつい時に子供にごねられるとものすごい理不尽な目にあってるような気になるんだよね。子供ってひかないから。共働きで普段面倒みてない負い目なんかもあるんじゃないの。定時退社実はしにくい雰囲気があるとか。育児ってさ「育児」っていう仕事なんだよ。しかも顧客が意味分かんないこと言って駄々コネまくりなわけ。それで共働きというのは奥さんからすれば「仕事」と「育児」という2足のわらじをはいてる状態に等しいわけ。奥さんはむしろ自分に「仕事と育児どっちが大事なんだ」って聞きたいんじゃないかなぁ。子供におまえなんか産みたくなかった!って言いたくなるようなことがあったのかもしれないけどそれを飲み込んで増田にぶつけてるような感じもするよ。
とりあえず会話だけでおさめるのは難しいものがあるので、どういう大変なことがあるのか書き出してもらうといいんじゃないかな。こんなに家事やってる!っていうのが自分にはどうしても見えないから書き出してほしいって。そんで自分のやってる分も書く。たぶん見た目で比較できるからお互いに冷静になれると思う。
給料は同じくらいみたいだけど働いてる時間とかそういうのも込みで1週間の生活を目に見える形にしてみるといいかもしれない。予測不能な事態はたくさん出てくると思うけれども、1週間こうするつもりという予定を二人で立てて、毎日何したか書いて、1週間が終わった時に予定と比較してみる。言葉と数字と量と、そういう客観的な事実を並べるしかないよ。グーグルカレンダーでも使ってさ。二人で共有してさ。
あとさ、離婚の序章じゃなんていってないで結婚の通過儀礼だとおもってふんばりなよ。あんまりにも残業が多すぎるんだったら労基突っ込みな。週3日も泊まりはおかしいって。過労死したら何もかも終わりなんだから。
【うつ病で大人になる?】
私は、気が小さい一方で傲慢なところが多々ある少年だった。
スポーツ好きな私は、将来は水泳か野球の選手にでもなれたらいいなと無謀なことを考えていた。
特に水泳は負けたことがないので、多少野望はふくらんでいたのだった。
中学に上がると、他の小学校からの生徒もいて、その中で「俺の学校ではいちばん速かった」と言われる生徒と競争することになった。
私は、じゃあその天狗の鼻を折ってやろうとほくそ笑んでいたのだが、何と25メートルで5メートルくらい引き離されてしまった。
それはもう言い訳のしようもない大差である。水泳選手になりたいという夢など、一瞬にして消し飛んでしまった。
ただし、これくらい負けるとスッキリするもので、世の中には自分よりすごい奴なんていくらでもいると悟った私である。
それは水泳だけではなく、自分など大したものじゃないということがわかり、ちょっとは謙虚になれたのである。
ほとんどの人は、そういう苦い思いを味わいつつ、大人になっていくものではないかと思う。
しかし、中には例外もある。もう50歳になりかかっている休職中のCさんがそういう人だった。
「僕はですねぇ、ついこの間までは自分に限界などないんだと思っていました」
これを聴いてまず驚いた。確かに本来は自信満々な感じである。
実際バリバリの営業マンとして活躍、出世コースにも乗り、順風なサラリーマン生活を送ってきた。
ところが、ひとつの仕事の失敗が彼の人生を変えた。以来彼は、憂うつな気分となり、欠勤が目立つようになった。
朝どうしても体が動かないという日が続き、ついに休職となったのである。
不満の間には後輩達が彼を追い抜いていた。
「幸い面倒見が良かったほうなので、後輩は僕を立ててくれますけど…」
あるときCさんは、自分を一から指導してくれたかつての先輩を訪ねた。
その方もまたバリバリの営業マンだったが、10年以上前に思い立って脱サラをし、田舎暮らしをしている人だった。
うつ病になってしまったという話をすると、先輩はこともなげにこう言ったという。
「うつ病っていうのはね、日本のサラリーマンが大人になるための通過儀礼なんだよね。俺なんか、2,3回やったよ。
これでお前も大人の仲間入りだな」
なるほど、これは名言かもしれない。Cさんは何だか気持ちが楽になり、これからは後輩達のためにがんばろうという気持ちになったのである。
<見方を変える味方の言葉>
それを乗り越えて人は大人になっていく。
まとめ