はてなキーワード: ソルジャーとは
わたしは何年かユー子SIerに居て、飽きてWEB屋に転職しました。
人それぞれだと思います。
いわば資本主義社会の「産業廃棄物」「スクラップ」「規格外部品」
進学校の勉強にはついていけないので商業高校を受験し文系科目に絞って3年間
通信教育に励むものの英語の成績が低すぎて、Fランク大学に推薦で合格。
Aランク大学の学生との研究会のディスカッションで人間と猫くらいの知能の差を実感。
バイクに乗る→アクセルとブレーキを同時に作動させ身体ごと宙に舞って受身で落ちる位運転下手の上方向音痴。
コンビニのバイトはレジ・品だし・接客・他のバイトとのコミュニケーションがからっきし駄目で1ヶ月でクビ
駄目なところを直そうと卒業後は周囲の反対を押し切り使い捨てソルジャーになるが1年でクビ。
懲りずに接客のバイトで欠点を是正しようとするが結局直らず2年でクビ。
無能が酷いから周りから蔑まれ疎まれても「自分の無能が周囲の空気を悪くしているから何を言われても仕方ない」と思い込んで
奥歯が半分に磨り減るほど耐えてきたが限界が来たみたい。酷いこと言われる度に自分の無能を棚に上げてキレそうになってた。
(当時「自己啓発ブーム」を真に受けてた。)
数年後、フリマや日雇いの仕事を重ねることで外に出れるようになってきた。閉じこもっている間に勉強した語学を生かして
なんとか毎月飢え死にしないで生きていけるだけのお金を誰にも雇われずに稼ぐ事ができるようになった。
最近、周囲の就職に対する期待が重たい。「あなたは正社員で就職できるはず」と思われてる。
空白期間が数年あってこれだけクビになり他人への気配りができず運転も下手でレジも苦手でしょっちゅうどもる30超えた人間など
資本主義社会の規格外部品。バイトですら雇いたがる会社はないだろう。
「来世にご期待ください」と言ってI can flyしたくなる時もあるけれども死にたくない。
なぜなら二度も川の深みに嵌って死に掛けたから(自殺ではなく川遊びで)息ができなくて喉に水が入り身体は浮かばず沈んでいくあの時の絶望感は言い尽くせない。
寿命が来ても死にたくない。周囲を不幸にしようが私を必要としてくれる人が皆息絶えるまでは生きていたい。
そんなわけで
増田はずうずうしくも自分で頭を使わず人が作ったマニュアル通りに仕事すると毎月給料が貰え周囲の人達から蔑まれず認めてくれる安心感が欲しい。
増田の知能の程度では難しいから「来世にご期待ください」という答えは分かっているのだけれども今日も届かない2次面接の結果のメールを待つ。
3年間くらい無能を蔑まれる生活を続けてた間に増田は悪い方向に根性がひねくれました。
「他に向いた職場が・・」 →増田脳自動翻訳「お前に勤まる仕事なんかねーよ」
無能で迷惑を掛けつつ自分より頭が良くて高慢な人々に軽蔑されながら一生を生きてくつもりでございます。はい。
皆様これからもよろしくおねがいします。
そして自分よりも若く頭の悪い人を見下すような言い方はしないように気をつけながら生きて生きたい。
増田はこの世に自分が産まれてきた事すら迷惑で軽蔑されても蹴られても仕事場では無能は耐えるのが当然と思い込んだ時期があった位には辛かった。
どんなにイライラしてもああいう事はしたくない。
日本は通貨が高いから、ソルジャーは一層な地獄な訳で、だからこそ、なんちゃってでもいいから経営を教えて、ソルジャーにもシステム運用側の視点を身につけてもらわないといけないと思ってます。なにかしらの形で、末端の仕事は海外移転できるんだから。なんちゃって数学を教える労力でそれぐらいできるでしょう。
ソルジャーはソルジャーのままでいい、って考え方なら、通貨を安くして、ソルジャーでも家庭を持てるような冨の再配分が必要でしょうな。でも、こちらはあまりうまくいっていないでしょう。
http://blog.riywo.com/2009/02/27/120733
を読んで、なかの人から見て考えたことをまとめてみます。
ちなみに私は地方国立大学の複合領域系(文系とも理系ともどちらとも言いにくい)の准教授です。今年は卒修論それぞれ数本ずつ指導しました。
退学届けを提出されたriywoさんお疲れ様。
一応の大学人としては退学なさったのは残念とも思いますが、むしろ他の学生と違う選択を積極的に行ったその勇気に敬意を表したいと思います。(余談ですが、お金払って来ているのに、教授会で承認されないと退学できない仕組みってヘンですよね。893や新興宗教じゃあるまいし。)
上記エントリに関連してコメントさせていただくと、大学人としては、大学が「学問」の府であるというのは絶対に譲りたくない主張です。しかし、その一方でほとんどの大学の目標の1つに、高度な職業人を輩出することが上げられていることから、就職予備校という役割があることは社会的に見て当然のことではないかと思っています。
もっとも、常々私はこの議論の前提がおかしいのではないかと思っています。その前提とは、「学問」というのは崇高なもので、民間でのお金儲けとは違う。というものではないかというもの。教員をしていると常々思いますが、本当の意味で社会から必要とされていない研究は研究とは呼べません。その意味で全ての学術研究は何らかの社会的意義があり、社会的なコスト負担を伴って推進されるべきものです。ただし、その性質上そのリターンの回収が困難なので税金を使って基礎研究をやる必要がある。つまり公共財的な性質を持っているというだけの話ではないかと最近思うようになりました。
その点では、大学の教員も立派な普通の職業であり、大学も1つの産業セクターであることは間違いないです。そのために、少なくとも自分が価値あると思っている研究を推進するために、世の中の大学教員は(自分のポストも含めて)必要な資源(金、人、もの)をかき集めて成果を出すために必死になっているのです。公的な資金を使う事が多いというだけで、本質的な構造はビジネスと変わってないのです。その意味では、博士課程は研究者のための職業予備校みたいなものです(余談1)。
そのように書くとまるで私が学問を貶めているかのように思うかもしれませんが、もちろん人類の利用できる知識、認識を増加させる学問という行為はかけがえのないもので、かつ人間にとって根源的な欲求であると思っています。そのおかげで貧困をはじめとした様々な社会的問題を解決してきたのが人間の歴史だと思っています。
しかし、その一方で、何が何でも学問こそが唯一の価値であり、その他の様々な産業セクターより優れているという考え方は私は持ちません。小売業も金融業もそれぞれ社会で固有の価値を持っています。それと同じようなレベルの産業セクターだと思っています。もっとも、このような認識を一般の大学人は認めにくいでしょう。それはどの産業セクターも同じだと思いますが、自分たちのやっていることは他と比較して特別な価値があると考えているものです。
その点で、大学人が研究を神聖視するのは当然です。ただし、やっかいなことに大学というのは、優秀な能力と意欲を持った若者層を教育する機関でもあるのです。当然、教育課程を通じてその若者たちに学問のすばらしさを説きます。そして、場合によっては学問のすばらしさをわかってない学生にも研究上必要な作業の協力を得たりすることも多いのですね。その背景には大学で優秀な研究者が大学以外の民間企業の環境を知らない事も遠因になっています。(余談ですが、就活指導をする教員が通常の就活をしたことがないような事例はいくらでもあります。)
それがしばしばいわゆるソルジャー問題として噴出したりします。もっとやっかいなのは多くの(特に理系の)研究室で、学生に対して教員の持つ権限が専制的だということです。教員の取り替え(研究室変更)もなかなかできない。人間同士なのだから、相性の悪いことも一定の割合で発生するとは思うんですが。そこで、様々な問題が発生する原因にもなります。特に、先生の指導に根本的に問題がある場合は、若者の有為な数年間が残念な期間に成り下がるリスクがあります。なので、特に大学院(研究室といった方が適切か)の選択は慎重に行って欲しいものです。
反面、学部から大学院への進学は極めて容易になってきています。成績がそこそこあれば、無試験で進学できる制度を採用している大学が多い。特に学生が研究に対する意識や、自分の人生についてのしっかりした考えを持てないまま、3年冬の就職か?進学か?という選択を迫られたときに、もう2年のモラトリアムを延長するつもりで進学する学生が後を絶ちません。これは不幸の始まりです。
しかし反面で教員にとって、進学してくれる学生は一緒に研究をすすめていく上で重要なパートナーです。場合によっては箱入り娘よろしく、専門分野以外の世間をあまり見せないようにする、一方で研究のすばらしさのみを説き続け、研究活動に全ての資源を投入するように誘導している教員も散見されます。特に理系では伝統的に就職活動に時間を取られないよう、大学(教授)推薦による就活を主体にしているところも多いのではないでしょうか?もちろん推薦にも一定のメリットはあるのですが、推薦先を決定する権限を持っている教員に(研究指導も含めて)過度に権力が集中しているのでは?という疑念を抱かずにはいられません。
個人的には、そのような権力が教員サイドに集中する環境にいる、(いわば「学問」という名の宗教的な組織にいる)学生が、もっと自発的に自分たちの人生や将来をよく考えた上で、大学のあり方について自ら対抗して欲しいような気持ちもあります。ですが、現状の学生の問題意識や行動様式を見るにそれは難しいことのような気もします。
それどころか、就活までの時間的猶予がある時期に、進路についてよく考えなさいと指導をしても、全く考えようとしない学生が多いのには困ります。(もちろん私個人の指導力不足も原因。)一例として、大学で勉強したこととその社会的な評価によって、生涯賃金ベースで数千万円は平気で変わってくると説明しているのですが、うまく伝わらないという問題を抱えています。結局のところ、適当に卒業すれば自分の人生何とかなると考えている節が見受けられるのですが。
http://d.hatena.ne.jp/next49/20090222/p2
先日上記のnext49さんのエントリに大量のブクマがつきました。
同業者として、next49さんぐらい学生のことを考えてくれる教員に指導される学生はいいな等と、興味深く眺めていたのですが、私の疑問はなぜ自分で考える事ができない学生を無理矢理にでも卒業させてやらなければならなかったのか、またそうさせてしまう深刻な大学の持つ雰囲気です。
自分自身そのような環境にいますから、卒業論文以外の単位と内定先をそろえた学生に卒論で不可をつけることがかなり難しいことは百も承知なのですが。自分で考える習慣を身につけられなかった学生にもっと考える時間を与えることが望ましいと思うのですが、今の日本の大学のもつ雰囲気としては、無理矢理にでも卒業させようというところが多いです。自分の大学ですとそうなった場合指導教員が内定先にお詫びの連絡を入れる風習があるそうです。なぜ教員がお詫び?というのは不思議で可笑しいです。(自分はまだやったことがないですが。)
この問題はかなり根が深くて、大学の最短修業年限にこだわる学生と「(留学などの特別な事情がないのに)留年する学生は要領が悪い?」と社会が見なしていることが問題のように感じています。ホントかどうかわかりませんが、留年生が増えると文科省の評価が下がるということを同僚から聞いたことがあります。学生の学ぶペースはそれぞれで、遅ければ遅いなりにしっかり本質を獲得する可能性もあるのに、とにかく画一的な年限で卒業させようとする雰囲気が強いのは困ります。
優秀な学生も、学習内容の獲得に時間がかかる学生も、外部から見たら区別がつかないのが今の大学の現状ではないでしょうか。(もちろん社会が大学で学ぶことにそもそも期待していない(と考えている)風習も遠因でしょう。でも本当にそうなら、卒論が未了で卒業できない学生でも企業に採用して欲しいものです。)その点では、それに限らず、様々なところで大学教育の画一性が現場で深刻な混乱を招いています。文科省の大学設置基準をはじめとした時代にそぐわない規制が未だに現場を支配しているのが現状です。もっとも、文科省の責任になすりつけるのは不本意で、大学のなかの人のマネジメントが成功しているとは言いにくいという点も付記しておかないと不公平でしょう。
ちなみに、博士課程進学者の就職難が問題になっていますが、個人的には研究者というのはリスクの高い商売で、小説家に近いような印象を持っています。小説家が作品のセールスに失敗しても誰も同情してくれませんが、博士課程に進学したのに満足に仕事もないと文句を言う人が多いのは、博士課程という高学歴が社会的成功と線形の関係を持つと考えている人が多いのでしょう。実際には研究テーマも自由に決められるのだし、そんな単純なものではないと思います。もっとも、一度終の棲家に就職してしまえばサラリーマンですが。
ソルジャーはやってないからその辺は心配に及ばない
やっぱこれおかしくね?
社会人がコピペしてるとどうして学生がコピペしていいことになるんだ?
お前がプロジェクトを率いることになったら分かるよ。
コピペだけでは、勝てないんだよ。
著作権フリーの素材コピーしてくるのは低コストで時間を節約できるからセーフ。でも他社のプロジェクトをコピペしたらパクリだっつの。違法性はなくても信用はなくなるわ。
どうやったらビジネスで勝てるか、という正解のない問題を解いているんだ。そこで正解の近似値に至るまでのプロセスが重要となる。別に学生時代にやっていたゼミや研究室の手法をそのまま使えるとは言わない。プロセスを想定して問題を解決するというマインドの話。
そもそもさ、簡単にコピペできるようなビジネスなんてすぐ没落する。実業では資本の壁があるからすぐというのは誇張かも知れないが。
そのままの意味で。
資本主義が崩壊しない限り、いつでもどこでも戦争(=ビジネス)は起きてるんだから、戦場(=職場)はいくらでもある。
すぐクビになる? 当たり前だ。傭兵ってのは、局地戦の打開のために投入されるもんなんだよ。
一方、制式軍たる正社員は、戦線の状況がどうあれ、軍隊(=組織、会社)を維持・運営していかなければならない。
腐っていく組織だと分かっていても、自分の飯の種はその組織なんだ、潰れないように終わらないように各種の政治工作は続く。
生き方が違うんだよ。
組織に対する忠誠も責任も問われない代わりに、自分で戦場を見付けて自分で稼げ、というのが派遣社員。
逆に、まず組織ありき、忠誠も責任も自己犠牲も強いられる代わりに、稼ぐための戦場は組織が見付けてきてくれるというのが正社員。
つまりは、どっちもそれなりのリスクを負ってるわけだ。
そのことを忘れて、傭兵の生き方を選んでいるくせに、戦場がねえ、稼げねえと騒いでるのは勘違いもいいところだ。
てめえは傭兵なんだろう? だったら自分の戦場は自分で探して、自分で飛び込んで稼いでこいよ。
それが嫌で制式軍に入りたいと言うのなら、そうすればいい。それを目指せばいい。
実際に入ってみれば、周りはもともとそっちの生き方を選択してきた叩き上げばかりだ、軋轢も色々とあるよ。
傭兵上がりが何を言ってんだ? という感覚は常識としてみんな備えてるよ。
本当に有能なソルジャーは、傭兵から制式軍に行こうが、制式軍から傭兵になろうが、ちゃんとした戦果を挙げられるもんだ。
今あの「村」に寄ってきているのは、傭兵として生きる才覚もなく、制式軍に入る覚悟もなく、だけど惨めな人生は嫌だと泣き喚く連中でしかない。
そんな奴らを、誰が、何の義理のために、救ってやる必要があるんだ?
戦えないなら死ねとまでは言わない。戦えない人もいるのは分かる。
だが、自分が戦えないなら、他の戦っている人間が支えてきている社会に対して、申し訳ないけれども自分は戦えないから、どうか養ってもらえないだろうか、という懇願があってしかるべきじゃないのか?
戦場に出たら二秒で死ぬような弱者が、他人が命を張って作ってきた前線の後ろで、何を勘違いして「救え!」と強がっているのか、理解できない。
お前が戦うのが筋なんだぞ、それが戦えないというなら、土下座して涙を流して哀願しろ。
「こんな役立たずでも、どうか生かして下さい」と。
話はそれからだろう?
あいかわらずイカれてる
だがそこがいい
10位:ロイドさんの過去(第12話 過ぎ去りし日 チャコールグレイ・フォルクローレ)
9位:ベネチアン初登場(第7話 涙の素パスタ!オーバー・ザ・レインボー)
8位:勝治のおじいちゃん(第8話 鎮魂歌!リビング・レジェンド・グッド・ナイト)
7位:リュウセイ暴走(第24話 試練!ワンダー・ミラクル・ハート)
6位:マンソン(第41話 裏切りの序曲!ノイズ・アンド・ファンタスティック・ハーモニー)
5位:勝治ネ申回(第31話 王様は絶対!スキャンダラス・マジェスティック・エゴイズム)
4位:飛行機(第39話 墜落!?エアボーグ・ナイン・ナイン)
3位:地下バトル(第29話 危険地帯!ダークバトル・ソルジャーズ)
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1199536.html
最近の邪気眼の傾向は学園異能バトルだけれど、そういう条件だからこそナヨ型主人公が成立するわけで、三十代や四十代のおっさんが主人公を取って頑張るシチュエーションはどこにもない。別に学園物でなくてもいいのだけれど、主人公側の成長と覚醒要素が入り込む能力バトル物に三十おっさんの出る幕がどこにあるんだろうか。子供が主人公を取れる理由は成長と覚醒要素があるからなわけであって、成長と覚醒要素もないお話に十代の主人公なんぞ出す必要はないじゃないか。そんなに三十代や四十代の男達が頑張る話を望むならば、今から戦場の兵士や任務遂行型の話を買いに走ればいいだろうに。何が不満なんだろうか。
少なくとも、FFに大塚ボイスのような主人公のキャラグラと設定を登場させるならば別物の戦闘システムになるはず。キャラグラや設定は話に合わせて使うから真価を発揮しているのであって、例えば異能バトル物の訓練シーンがアメリカソルジャーのような嫌にリアルに傾いている内容だったら邪気眼特有の面白さはなくなってしまう。ナヨ型主人公とゴツ型主人公は状況によって使い分けるようなもんだろう。キモヲタが主人公を取るとどこかシュールになってしまうのも同じような宿命だ。
http://anond.hatelabo.jp/20080609182133
こんなクソったれた世の中に新しい命を送り込んでどうするの?
こんなクソったれた世の中だが、俺は生きてる。幸い戦争もないし、働けば明日食うには困らない。ネットもテレビもあるし、頑張って働けば欲しい車だって手に入りそうだ。何より生きてて良かったと感じることがたくさんあるぜ。
この文章、後半書き換えて「こんなクソったれた世の中に生きててどうするの?」としても同じこと言ってるように感じるがどうか?
子供ナメんなよ。オマエの思い通りに「苦しんで苦しんで、挙句死ぬ」とでも思ってるのか? ふざけるな。それとも、オマエは長い人生生きてきて、自分の子供に「苦しんで苦しんで、挙句死ぬ」方法しか教えてやれないっていうのか?
子作りにおいて負担は圧倒的に女性の方が高いわけで、頑張れ頑張れ言ってるだけのくだらん生き物である男がこんなことで悩む資格はないのだけど
悩む資格がないと言っておきながら悩んでるじゃねぇか。どっちなんだよ。
今つきあっている彼女は好きで一緒に暮らしたい
そんな人と出会えただけで、オマエさんの人生素晴らしいじゃないか。
だが、そんな風にしか人間を見れないヤツの子供には生まれたくないな。オマエが俺の親じゃなくて良かったよ。
俺が毎日こんなに大変な思いをして生きているこの不完全な世界に、新しい命を送り込んで同じような思いをさせるのは本当に忍びない
毎日大変な思いをせずに生きれる完全な世界ってどこにあるの? そんな理想世界じゃないと子供つくれないの?
とりあえずワンピースが理想だと思ってるならオマエは漫画読むのやめたほうがいいよ。
なんだろうなぁ。つか、人生の伴侶に足るよき人に出会えてまでそんなこと言えるなんて、すごくオメデタイと思うぜ。客観的に見て幸せそうなんだが、おまいさん。
俺はどうやって責任を取ればいいんだろう。
責任なんてとりようがないだろ。誰にも。それでも責任云々言うなら、子供が幸せを感じられる人間になるように、がんばって育てればいいじゃんか。
また極端だなぁ。まさかおまいさん、仕事で失敗したり、会社倒産して返せないような借金背負ったら、そのまま首つって一家心中するタイプ? やめやめ、そんなの。ばかばかしいからやめれ。
呼吸をして飯を食い、日々を過ごすごとに他人に迷惑をかけていく。
他人って誰?
最初から生まれてこなければよかったのに。
そうか? でもおまいさんが生まれてこなければ、彼女はさぞガッカリだったろうな。
父親のチンポから母親のマンマンに一斉に俺たちが放たれた時、俺の横にいたあの時の精子君が卵子に飛び込んでいれば、こんなことにはならなかったのに。
そうかなぁ。
優秀すぎてイヤミなやつになってたと思うぞ。たぶんもう少し謙虚じゃなくなってただろうな。
罪悪感で胸が一杯です。早く俺と言う存在を消してしまいたい。
まあまあ。おちつけ。
憂鬱にもならないし、迷惑も蒙らない。ただただ、おまいさんの死を悲しんで、おまいさんの分まで生きようとするだけさ。みんなそうだし、たとえばおまいさんがの周りで誰か死んだら、おまいさんだってそうするだろう。それともおまいさんは誰かが死んで「迷惑を蒙った」と思うような人間なのかい?
どうすりゃいいんだ。どうすりゃいいんだよ。
どうもすんな。生きろ。幸せをつかめ。
知ってると思うけど、ないよ。
いいけど、もうちょっとマシなことに使おうぜ。
本当にごめんなさい。生まれてきてごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。
謝るな。胸張って生きろ。でないと子供がまっすぐ育たないぞ。どんなクソッタレな人生でも、親がガンと胸張って生きてれば、子供は親を尊敬するもんだ。逆にどんな成功者でも、うじうじしてるヤローはダメだ。親をバカにしちまう。だがそれは子供にとって一番悲しいことじゃあないのか? 俺はそう思うが。あんたはそう思わないか?
あんたは良い親になるよ。期待してる。俺が将来、あんたの子供に会ったら、助けてやるぜ。だからおまいさんも頑張って子供育てろ。