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はてなキーワード: アルファベットとは

2010-08-23

気持ち悪い

全角でアルファベットを書くのは許すとしても、全角半角混じりで書く奴って何なの

神経を疑う、脳に障害でもあるんだろうか

2010-08-08

貧乳なめてんのかコノヤロー

おいコラなんで店頭に並んでるブラがBからなんだ。

アルファベット最初の一文字をなんだとおもっとるけしからん

あげくに「大きいサイズ有りマス☆」「胸の大きい人注目vv胸をちっちゃくほどよい大きさに!」…だと…?

いらぬ。そんなものは全力でいらNeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeee!!!

つべこべいわんとA70を出せやちくしょーくやしくなんかないんだかなこのやろー

なぜきょぬー市場があってなぜひんぬー市場がないのだ。ゆるせん。

普通にちょっと小さいサイズ作って店においてくれればいいのに

なんだ、そんなにひんぬーは少ないのか?うそでしょ?うそだといってよワコ○ル!!

2010-07-19

サボり魔は一生そのままなのか?

私はサボり魔である。筋金入りで予後不良の。

幼少の頃から厭なものから逃げ続け気がついたら三十路になってた。そんな私はサボり癖が元で精神を病み社会生活を送れない体になってしまった。

ふつう精神疾患なら投薬と適度な休養で概ね治るはずなのだが、私の場合はサボり癖という精神疾患の根元になるものがあるので質が悪い。投薬も5年以上続いているし、休養も自分でもうイヤだと思うほど取った。でも治らない。ある程度回復したと思い就職活動して仕事を始めるが長続きしない。そしてクビになってまた精神的にダウナーになり休養が必要になる。こんなのを何度も何度も繰り返した。真面目に職歴書いたら30近くになるんじゃないだろうか。20代もそんなのに翻弄され暗黒の時代、黒歴史になった。気がつけば三十路である。もう後はない。

少しづつ焦りだしてきた私はふと考えた。何故こんな風になってしまったのだろう、と。

私のサボり癖の根元を語るには幼少の頃からの話をしなければならない。


私がまだ幼稚園にも入る前の事だ。当時の私は英語に非常に興味を持っていた。よく買い物に出かけた横浜駅ジョイナス地下駐車場英語ブロック分けされていて、それを見て初めてアルファベットという物に触れた。何故か判らないけどアルファベットが非常に気に入ってしまい英語という物に少しづつはまるようになった。

ある日TV英語教室CMをやっているのを見て母に「これかよいたいー」とせがんだことがある。母はその申し出に協力的で父に頼んでみる、と言ってくれた。それを聞いてワクワクしていたのを覚えている。

しかし父は「まだ習い事するなんて早い!」と、私の幼い願いを一蹴した。英才教育なんて言葉があった時代か判らない。グローバル化のグの字もまだ無い時代だったし英語の将来性を見いだせなかったのかもしれない。ともかく私の願いは絶たれてしまった。

そのことについて父を恨むつもりはない。でもちょっと根に持っている。だってもしその時英語教室に通っていたら私の人生は大きく変わっていただろうと思う。飽きっぽいけどのめり込む時はとことんのめり込む私のことだ、通訳とか外資系エリート・・・なんて言わないけど少なくても英語には不自由しない人生を送れたかもしれない。

それから数年の時が過ぎ私は小学校3年生になった。

ある春の日のこと、私は父に呼び出された。そして「出かけるぞ」みたいな事を言われ、半ば強引に車の乗せられて駅前のダイエーに連れて行かれた。何が起こるのか全く判らない私、何も言わず私の手を引っ張る父。?マークを頭に3つくらいグルグル回しながら連れられて行き着いた先スイミングスクールの上の階の階段を下りた先の小さな部屋だった。父は「ほら行け」と言わんばかりに私をその部屋に置いてどこかへ行ってしまった。

何ここ何が起きるの?

幼いながらも恐怖した。

部屋には私と同い年くらいの子供が数人いた。大人も何人かいて、何か冊子のような物をを配っていた。私の順番がきて冊子を渡される。そこでようやく理解した。冊子の中身は全て英語だった。

父がどう心変わりしたのか判らないけれど、私は数年越しに英語教室に通うことができたのだった。

しかし、だ。

それは遅すぎた。

小学校3年の私はもうすでに英語に対する興味を失っていた。正直、いまさら?だった。

それから4年間英語教室に通った。楽しいこともあったし、友人もできたけど根底にあったのは「苦痛」だった。

その苦痛が形としてでることがあった。それは「逃避」。有り体に言うとサボリだ。一人で自転車ダイエーに行くのでサボることがバレることは基本的に無かった。何度か買い物に来た母親にサボってコロコロ読んでるところを目撃されて大目玉を喰らったことがあるがそれでもサボる事は止まらなかった。年数が経てば経つほどサボリはエスカレートしていき週一回の教室に月3回サボるなんて酷い事態になることも多々あった。何が厭だったのかは今となっては思い出せないがサボりたくなるくらい苦痛だったのは覚えている。

小学校5年の時に友人の誘いで公文に通い始めた。

初めの頃は問題もスラスラ解けて楽しかったのだけど、ランクが上がって難しくなってくると少しずつ「苦痛」になってきた。苦痛になると私は逃避を始める。サボリ始めたのだ。きっかけは些細だった。友人が「今日サボんね?」と言ってたのだ。それに乗ってしまって後はそのままズルズルと・・・。これも週二回の教室で月数回しか通わない程になり公文講師のおばちゃんに「ちゃんと毎回来なさい!」と毎回言われたものだった。

それから中学に入って少しして英語教室は辞めた。学校でも英語の授業が始まったしこれ以上受ける意義を当時の私は見いだせなかったのだ。

公文はサボリながらも中学卒業まで続けた。高校受験の時はさすがに真面目に公文勉強した。でもそれは友人が周囲にいっぱい居たからであって、私一人だけだったらどうなっていたかは判らない。

義務教育が終わりを告げ私は高校生になった。

一番の志望校じゃなかったけど目標にしていた地元の公立高校に入学した。

高校時代は楽しかった。今までの人生で一番楽しかった。友人もたくさん居たし、心から楽しいと思える授業もいくつかあった。そのせいもあって驚くことに三ヶ年皆勤卒業式の時に表彰されメダルを貰った。

なんというか極端だな・・・と。

しかし、その影にも私の逃避、サボリ癖はあった。

高校では三年間図書委員だった。特に理由はなかったけれど図書委員になっていた。

図書委員の活動は図書室の貸出係の業務と月一回の委員会活動があった。貸出係は昼休み放課後に当番であったのだけどこれに私は全くでなかった。当番は殆ど放課後だったのだけど、早く帰ってゲームしたい盛りだった私はとにかくサボってサボりまくった。たぶん3年間で10回出てないんじゃないかと思う。委員会は強制参加なので仕方なく出たのだがその時よく「貸出係をサボる輩が居ます。ちゃんと出ましょう!」とほぼ名指しで委員長に言われることがあった。挙げ句には「てめぇいい加減にしやがれ!!」とキレられたこともある。それでもゲームがしたい、寝たいばかりにさっさと自転車で家に帰る自分が居た。救いようがない。

この頃まではサボっていても何とか回っていた。学力はそこそこあったしテストでも苦手科目の数学以外はそれなりの点数を取っていた。

しかし、だ。努力する者としない者。その差をまざまざと見せつけられることになると当時の私は知らなかった。

高校二年の冬のこと。そろそろ大学受験視野に入れなければならなくなってきた。周囲でも予備校に入学して対策を講じる者が増えてきた。

私も「予備校かー、どうしようかなー」と脳天気なりにも意識し始めていた。ある日、図書室の前にあった予備校案内のチラシを見て何枚か持ち帰り検討し、その中から一行選んで入校することにした。両親は特に何も言わずに入校を許可し私は予備校に通うことになった。

地域ではマイナー予備校だったが友人もいることが判り喜び勇んで予備校行く・・・はずだった。

予備校は私が想像していた以上に過酷なモノだった。英語は毎回英単語テストがあったし数学は高校よりもずっと高度だった。正直ついていけなかった。ついていけない結果はテストダイレクトアウトプットされる。志望校合格ランクDとかEとか当たり前だった。

今までどうにかなっていたモノがどうにかいかなくなってしまった。劣等生。そんなレッテルを貼られた気がした。

それはとても苦痛だった。苦痛苦痛で仕方なかった。

苦痛の先にあるのは小学校からやらかしているサボリ、だ。

高校3年になって予備校に行かなくなった。辞めたわけでなくサボるようになった。劣等生な自分を認めるのが厭だった。劣等生であるという事実を突きつける予備校に近づきたくなかった。英語の授業は友人が来いとうるさかったので月に数回出た。数学は全くついていける気がしなかったのでチューターの人に怒られるまで殆ど出なかった。高3から受講し始めた化学は授業がすごく面白かったし得意科目で余裕でついていけたのでこれだけは出席率が高かった。それでも7割ってところだけど・・・。

がんばった者とがんばらなかった者

努力した者と努力しなかった者

逃げなかった者と逃げた者

そんな二通りの人間審判が下される時がきた。

大学受験--

無論私はボロボロだった。無惨だった。

センター試験自己採点。数学は2点だった。得意の化学でも5割いかなかった。

死を覚悟した。

一般入試が始まった。

私は高校担任教師の薦めで無名のFラン大学化学科を受けた。目標にしていた大学は「絶対に無理だからやめろ」と言われた。返す言葉もなかったので大人しく言われた大学受験した。

結果。補欠合格

はは、引っかかちゃった。

当時の私は安堵した。浪人生活をしないで済んだから。浪人は落第者で敗北者だと思っていた私は本当に喜んだ。

でも、気がつかなかった。おまえは運が良かっただけだ。

だって・・・「努力したのかい?」

大学生活が始まった。中学からずっと同じの友人が一緒の学校だったので初めはよく一緒に登校した。学科は違ったので登校と昼休みくらいしか一緒ではなかったけど知る人が居ない学内ではとても安心できるものだった。

大学1年の授業は楽しかった。特に有機化学と分析化学が好きだった。2年から生物化学の授業があってそれを目標にしていきたいと思った。

しかし、異変は訪れる。とある教科を落としてしまった。有機化学の概論。難しい授業だったけど好きな授業だった。ただ落としただけなら来年取り直せばいいだけなのだが、この授業はとても大きな、そして致命的なものがあった。

この教科を落とすと生物化学を受講できない

偏屈で有名だった生物化学教授が設けたハードル。私はものの見事にそれに引っかかってしまったのだ。

何かが壊れた。

大学2年。目標生物化学を受講できず腐った。さらに悪いことにほかの授業が難しくなった。特に物理化学は私が苦手だった物理概念が入って手に負えなくなってきた。

大学苦痛になった瞬間だった。

苦痛になると訪れる甘い囁き

「逃げちまえよ」

それにあがらえる訳がなかった。

初めは大学内の図書館で本を読むだけだった。それから街のゲームセンターになって・・・兎に角大学に近づかなくなった。金だけは親から必要額貰っていたので不自由はしなかった。適当に旅に出て時間つぶして家に帰るとかざらだった。

努力した者と努力しなかった者

その差は歴然と表れる。

次の年、私は留年ギリギリだった。

いままでどうにかなっていたものがどうにかならなくなった。

背中に火を付けられたような感じがした。

兎に角焦った。

焦って勉強をする。でもついていけなかった。下の学年の授業を受けることも多々あった。誰あいつ落とした上級生?だせぇ。そんな声が聞こえてきた気がした

屈辱的だった。変にプライドの高い私には凄まじく苦痛だった。

苦痛を感じると出てくる麻薬のような囁き。

「ニゲチャイナヨ」

でも逃げると今度は留年だ。

逃げちゃダメ

逃げちゃダメ

逃げちゃダメ

14歳の少年は逃げずに立ち向かうことを選択したのに20歳のアホは逃げることを選んでしまった。

このあたりでだんだん精神的におかしくなってきた。

不安焦燥感、誰かに笑われてる感覚、必要以上に自分を責める。木の棚にカッターで何度も切りつけて酷い跡が残ったこともあって母親にそれを見られて酷く心配されたことがあった。

ロクな精神状態じゃないときにロクな思考はできない。

真っ暗な夜道の中をひたすら逃げているような状態だった。

次の年の春。私は留年した。

その日私は父親に叱責された。この後どうするんだ、と

ロクな精神状態じゃなかったので思考は回らず兎に角逃げることしか考えられなかった。

がんばるから、がんばるから

この時はそれで何とかなった。

留年生活のことは正直覚えてない。思いだそうとしても頭がアクセス拒否をする。

唯一判るのは焦ってどうにもならなかったこと。そして逃げ回っていたこと。

翌年、再び私は留年した。

二度目の父との対話。

今度はなかった。

こうして私は大学中退した。

そして社会に放り出された私は働かなければならなかった。当時は引きこもりニートという言葉もなかった。父親には働けと強く言われたので働くしかなかった。

ハローワークにあししげく通って何度も何度も追い返されてとある会社研究所に拾われた。

そこは農薬を作っている会社研究所で初めはそこの農場のアルバイトと言うことで面接を受けた。

でも、せっかく化学バックグラウンドがあるんだしということで話が少しぐらついた。

とっさだった。とっさに私はこう言った。

お金貯めて大学に復学したいんです!」

何でこう言ったのか今では判らない。

しかしそれは項をそうした。「じゃあそういうことなら勉強する意味も込めて」と研究所助手採用してくれることになった。

運が良かった。

研究所での仕事は本当に楽しかった。学校で習いきれなかった事も学べた。とにかくがんばったので会社も評価してくれた。

「今はアルバイトだけどがんばったら正社員にもするよ」なんて総務の部長さんが冗談めいて言ってくれた。

本気にしてがんばろうと思った。

でも、なんでなんだろうね。上手く行かないときはとことんうまくいかない。

入社して少し、変な奴が研究所にいると言うのを知った。

ほぼ同じ歳で今年正社員入社。しかも京大大学院卒。

「同じ位の歳だし仲良くしたら?」と言われてそいつに会いに行った。

すんげぇイヤな奴だった。

京大大学院卒というのをさりげなくアピールしてFラン中退の私を見下してくる。

正直あんまり関わりたくなかった。

ある日、通勤バスの中でふと考えた。

なんでだろうって。

殆ど歳同じなのにあのいけ好かない奴は京大大学院卒で正社員、私はFラン中退バイト。この差はなに?

それがずっとこびりついて離れなかった。

それはそいつと顔合わせなくても研究所内に居るだけで考えてしまう。

苦痛」だった。

とにかくとにかく苦痛だった。

また別の日、通勤バスに乗っていると不思議なことが起こった。

降りるべき停留所に近づくにつれて妙に息苦しくなるのだ。そして頭が真っ白になって「ニゲロゲロ」って告げてくる。

そして降りるべき停留所が来た。

降りられなかった。

こんなことは初めてだった。なにが起きたか判らなかった。

その日は慌てて次のバス停で折り返して事なきを得た。

それから数日同じ事が何度も何度も続いた。症状はエスカレートする。降りるバス停が延びていき遅刻が酷くなる。それを上司に注意されたら今度は体調不良で休むととっさに電話で言うようになってしまった。

さらに数日して何とか出勤できた日、所属部長に呼び出された。

最近休み多いけどどうしたの?」

怒っているわけでなく本当に心配しているようだった。なので症状を正直に話すと

「無理はしないようにしてほしいけど、勤怠が悪いと正直こっちも困る」

と言われた。

その日早退し精神科を探した。

小さなクリニックで老医師がこう言った。

「そりゃウツだ」

そう診断され一日三日分のホリゾンを貰った。

ホリゾンを飲んだけど少しぼんやりしただけであまり変わらなかった。

それからも朝の戦いは続いた。負け戦ばかり。

休みが10日ほど続いたところで家に電話がいった。

「大切な話があるから明日は必ず来るように」



翌日。何とか私は出社した。

研究所入り口総務部長が待っていた。

そのまま会議室に連れて行かれた。

そこには研究所の所長と所属部長が居て3対1の面談が始まった。

単刀直入に言う。辞めてくれないかな?」

総務部長がそう言った。

そのときの私は妙に冷静でその言葉意味もきちんと理解した。

あぁ、クビか。

後は事務的に話は進みその日のうちに私は解雇された。


それからいくつかの会社を転々とした。

どこも悪いところではなかったけれど、必ず不思議なことが起きた。

朝起きて家を出ることはできるけど電車バスで最寄り駅に近づくと呼吸が荒くなって怖くなる。頭は囁く「ニゲロゲロ」と

そんな状況に陥り全く出社ができなくなってしまったのだ。

最長で半年、最短で一日。これはクビになるまでの日数。

職歴は正確に書くと30は行くんじゃないかと思う。

ここ1・2年はさらに酷くなり、部屋から出られなくなってしまった。

朝起きてその時点で恐怖発作と「ニゲロゲロ」という囁きが頭を支配する。

精神科にはもう6年かかっている。

はじめはホリゾンだけだったけど今は抗鬱剤3種類と抗不安薬睡眠薬まで貰って飲んでいる。

挙げ句には自立支援の申請をして精神障害者手帳まで交付された。

ふと思った。何でこうなってしまったんだろう、と

最近また会社をクビになったので少し考える時間ができた。で、考えを整理するためにこれを書いている。

結論を言うと私のこの病気の根元は「サボり」だと思っている。

苦痛」からの「退避」。小学校の頃の英語教室からずっと続いているこの癖。これが原因じゃないかと考えている。

おそらくこれは正しい。

正しいことは判ったが対策がわからない。

生来のサボり魔たる私はどうしたら正常の社会的な生活を送れるのだろうか?

そもそも私の病気は何だ?

鬱病適応障害?それともただの怠けでサボリなのか?

精神科で投薬治療は受けているがこれだけでは改善にいたっていない。というかここ最近悪化しているとすら思う。直近でクビになった会社では不安の恐怖、あと鬱的思考から自殺をほのめかすメールを送ってしまい大騒ぎになった。

年々悪化しているこの「現象」

いったいこれは何なんだ?

どうしたら治るんだ?

どうしたら社会的な生活を送れるんだ?

だれか、教えてほしい

2010-07-08

はいリライト

容姿良 性格良 =まんべんなし。モテ力A。

容姿良 性格悪 =まんべんなし-常識人+だめんず好き。モテ力A+。

容姿並 性格良 =性悪美男と同等モテ力と思う奴は視野経験が不足。モテ力B。

容姿並 性格悪 =異性側の妥協対象の射程内、モテ力B-。

容姿悪 性格良 =異性側の妥協対象の射程境界~外界、モテ力C。

容姿悪 性格悪 =外界。モテ力C-。



※注1:リライトついでにモテ力はアルファベットに統一。単位バラバラにしないのは基本。

※注2:元の表は、モテ力を浅く広く受ける力か狭く深く受ける力か考察が不足してそうに感じた。

※注3:仕事も遊びも人の成果を叩き台にする要領のよい自分が好き。

http://anond.hatelabo.jp/20100708143504

2010-07-05

http://anond.hatelabo.jp/20100705162538

もちろんそれはあるだろうけど、やっぱアルファベット26文字と漢字数千文字の差はでかいと思うぞ。

おまけに英語を組み合わせる柔軟性(笑)もある。アメリカ人日本語物質名詞名前に使うケースはおそらくほとんど無いでしょ。

日本アップルちゃんとかつけちゃう奴の逆バージョン

英語圏であっても言語学的に英語に近い場合はやっぱり奇妙さの度合いが薄れるんじゃないか。

2010-06-29

http://anond.hatelabo.jp/20100629125035

アルファベットの発音を正確にするということは、母音を5つで済ませるのではない、しっかり[æ]や[ə]、[ɜ]のような日本語には存在しない母音体型の習得と、二重母音のような連続的変化のされる音韻の習得が不可欠。

さて、今の教員がそれができているでしょうか(私の通った学校ではそもそも母音の数の違いすら説明しませんでしたが?自分の発音が下手くそだと悟られたくないのでしょうね)

「今生きている日本人が」それを体得できるでしょうか(耳にする機会が増えたから以前より格段に学びやすくはなっただろうが)

残念ながら、私は今生きている日本人英語を死ぬ前までに習得できるためには、日本語廃止も視野に入れた強攻策を取らないと無理だと思いますがね。

2010-06-19

間違ってたらごめん

ブラジャーのサイズに見られる、B75などの記号についてのお話しをしようじゃないか

このアルファベット部分は一般にカップ数と呼ばれ、トップバストとアンダーバストの差を表す

基本的に10cm差のAから始まり(AAAAAなども存在はしているが)、2.5cm刻みでサイズが大きくなっていく

Dカップは17.5cm、Eカップは20cmほど、トップとアンダーに差があることになる

アンダーバストとは、おっぱいの下側、一番細い部分の外周。アルファベットの後ろについている数字がそれだ

そしてトップバストとは、おっぱいの頂点部分、一番出っ張っている部分の外周だ

たまにここら辺を混同したキャラ設定で、F100の巨乳ちゃんなどというキャラを見かけるが、

いくらDやEやFカップでも、アンダー100越えなど基本的にドラえもん体型であり、見目麗しい状態ではない

それどころか痩せた際、著しく目減りする可能性を考慮すべきである

さて、ここで変態紳士諸兄に質問してみようか

C80とD75ではどちらのおっぱいが大きいか。答えは簡単だな。「どちらも同じ」だ

下着はアンダーサイズに応じて収容量が増える仕組みで、サイズをひとつプラスした場合、アンダーをひとつ下げると大体容量が釣り合う

一般的なおっぱいサイズをB75と定義した場合(私調べ)、それはA80、C70、D65なんかと容量的に同じなのだ

ではB75とB80ならどうか。もうわかるな? 正解はB80の方が大きい、だ

ただしアンダーバストが大きいということは、体型に違いがあるわけで、一概にどちらがよいおっぱいかということは言えん

故に紳士諸兄がお好みのおっぱいこそが正義であり、最上至高のおっぱいであると言えよう

ちなみに増田C75である。揉めよ増やせよ。

最後に一言だけいいか。キレイな下着は高いし、お前のために頑張って選んでいるので、引ん剥く前に少しは愛でろ!

2010-05-27

ウェブサイトでよく使われるデザインや機能の呼称のまとめ

「あちこちでよく見かける『あの機能』を実装するためにCSSのテクニックとかJSライブラリとか探したいんだけど、どういうキーワードで探したらいいのかわからない…」という人向け。

注意

※この呼称が正しいとは限りません

※この呼称に統一されているわけではありません

ブロック要素等の角を丸め

角丸

複数の画像を一枚にまとめてCSSbackground-positionで制御する(メニューのマウスオーバーなどでよく使われる)

CSSスプライト

フォームにうっすらと説明文が表示される & フォームにフォーカスすると消える

プレースホルダ

フォームに入力された文字にあわせて入力候補を表示する

サジェスト

ページ内リンク等をクリックした際に滑らかにスクロールさせる

スムーズスクロール

他のメニューを押しのけるようなアニメとともにサブメニューが表示される & 開いているメニューは常にひとつだけ

アコーディオンメニュー

メニューの横にある+マークなどをクリックするとその下にサブメニューが表示される & 複数のメニューを開くことができる

→ ツリーメニュー

水平メニューから垂れ下がるようにサブメニューが表示される

→ プルダウンメニュー

横一列に並んだアイテムスクロールバーでスライド表示 & アイテムが床面に反射したようなエフェクト

カバーフロー

水滴のように光沢のあるデザインボタン

→ アクアボタン

画像サムネイルクリックするとオリジナルサイズの画像が画面中央に表示される

ライトボックス

警告ウィンドウ等が画面中央に表示される & その他の操作を受け付けない(※指摘を受けて追記しました)

→ モーダルボックス

説明文等が書かれた小さな吹き出しをマウスカーソルの隣に表示させる

ツールチップ

タグアルファベット順に並べる & その使用頻度等に応じてフォントサイズや色を変えて表示する

タグクラウド

ひとつの記事を分割してページ番号を振る

ページャー、ページネーション

フッター部分が常に最下部に固定されている

→ フッタースティック

2010-05-24

半角カタカナ

http://anond.hatelabo.jp/20100524215748

文字化けする」って正当な理由があるからなあ。使っちゃダメだってのはわかるんだけど。

むしろ、普通の文章は「全角数字」「全角アルファベット」にしたほうが、プログラミング言語用の記述と区別できて、都合がいいんじゃないかなあ?

http://anond.hatelabo.jp/20100524215748

それも、規格的にはつかわないでねって方向。

一つの文字集合に、同じ文字が複数あるのはまずいから、一つにまとめましょうってことで、半角カナや全角アルファベットは使わないでねってことになってる。

2010-04-27

ユーミンと私

1981年生まれの私に、ユーミンの歌はいつも隣にいてくれた。

私のユーミン好きは母の遺伝。

気づいたときには耳に入っていた。

小学校の頃によく聞いていたのは「ひこうき雲」「MISSLIM」「COBALT HOUR」とか。

高学年になる頃には「天国のドア」や「DAWN PURPLE」。

特に「DAWN PURPLE」は車の中でよく聞いた。DAWN PURPLEの1曲目の出だし「ガーン ガーン」の音が聞こえると妹と盛り上がったものだ。

当時まだCDを買えるような身分ではなく、親の買ったCDからダビングしたカセットを使っていた。

ネットもない時代、歌詞を知る方法がない。

親のCDからこっそり歌詞カードを抜き出し、学校休み時間や家で一生懸命書き写したっけ。

なんだかんだで2冊くらいにはなったと思う。アルファベットに苦労したな。印刷物のaの書き順がわからなかったしw

友達にもユーミン好きがいて、帰り道二人して歌って帰った記憶がある。「満月のフォーチュン」とか。

そうそう、DAWN PURPLEの歌詞カード、結局ボロボロになった上になくしちゃったんだっけw

いつバレるかってひやひやしたわ。透明なシートだけは残ってるんだw

遠足の帰りのバスカラオケをすることになって。

たしか「情熱に届かない ~Don't Let Me Go」を歌った。ひとりで。もうちょっといい選曲もあったろうにw

男子に「英語のところも読めるなんてすげー」と言われた記憶がある。

小学生だったか中学生だったかは記憶にないけど、誕生日に買ってもらったCDが「U-miz」。

11月エイプリルフール」の出だしがアメリカ横断ウルトラクイズっぽいなーっていつも思ってた。

Julyが結構好きだったな。

中学生の頃の夏休み田舎に帰り、自分の車のヘッドライトしか見えないような道で流れていたのが「ダイアモンドダストが消えぬまに」の「霧雨で見えない」。

これにはかなり切なくさせられた。初恋の真っ最中だったのもある。

地元から遠く離れた田舎へ来て、流れる白線を眺めつつこの曲聞いたりしたらもう・・・。

今でもこの曲が私の中のユーミンNo.1。

SWEET DREAMS」とか「TUXEDO RAIN」もやばいね。

これもこのくらいの時だったか。サンタの正体を知っていつつも、とぼけたふりしてクリスマスプレゼントを期待していた頃。

目が覚めると枕元には小さな包みが。

開けてみると「ALARM a la mode」と「VOYAGER」と「時のないホテル」だった。

おかん・・・いいセンスしてるぜ。

繰り返すが、ネットも大した小遣いもない時代、家にあるCD以外に聞ける曲などテレビくらいしかなかった。(レンタルは高校からだったな)

だから全然聞いたこともなく、しかも「時のないホテル」とかは総じて暗いし、だけど好きになって繰り返し聞いていた。

高校へ入って半年ほど、彼氏ができた。恋愛に憧れていつつも、何をしたらいいのか、何をすべきなのか分からなかったあの頃。

初めて二人で行ったカラオケで、最初に歌ってしまったのがこれ。「Delight Slight Light KISS」の「リフレインが叫んでる」。

イントロの部分でもまだ気付かなかった。歌い出してからしまった!!と思ったw

「どうしてどうして僕たちは出会ってしまったのだろう~~」急に止めるわけにも行かず、最後まで歌い通したけど・・・。その後どうしたっけ。

高校に入ると流石に小遣いも増えるし行動範囲も広がって、ユーミン一色にはならなかったけど、親が買わなかったCDを借りたりして

「SURF & SNOW」とか「OLIVE」「悲しいほどお天気」とかも聞くようになる。

「悲しいほどお天気」は大好物!



ふとユーミンを聞きながら深夜に洗い物をしていたら、急にこういう思い出が蘇ってきた。

ユーミンの歌を聞いて、歌ったり切なくなったり。ユーミンの歌とリンクする人生がこの先あるんだろうかと考えたら少し泣けてきた。

結婚して子供もいて。安定してるし、幸せでもあるんだけど、若い人を見るとちょっと羨ましいなと思ったり。

小さい頃から「結婚するならユーミン好きな人にしよう」なんて思ってたけど、残念ながら好きでも嫌いでもないみたい。

数人と付き合ったけど、みんなそうだった。残念。


取止めもなく書いてみた。本当にユーミンが大好きだ。無人島に1アーティストCDだけ持っていって良いって言われたら、迷わずユーミンです。

2010-04-16

ジャパニーズスタンダードウェブデザイン

単なる思いつきである(と、最初に逃げておく)。

よくある言説だ。「日本の街並みは汚い、欧米の街並みは美しい」という言説。

2chのネトウヨもそれは認めざるを得ないようだ。いくら「電柱の趣が……」と言ったところで、日本の街並みが雑多であることは否定できない。

さらに言えば、東アジアの街並みは日本に似ているという話は良く聞く。

平たく言えば、何か安心する雑多な街並み。

単なる印象論だが、それは、ウェブデザインにも通じるところはないだろうか。

例えば、楽天に出店している店舗のページを見ると、雑多な印象を受ける。

あざといとも言える広告のようなページだ。

印象論ということを前提に呼んでいただきたいのだが、その点、欧米オンラインストアのページは洗練されたスマートデザインの様な印象を受ける。もちろん、欧米でもアダルトサイトは、例のごとく、迷宮のように雑多なデザインの所が多いけれども。

それで、街並みとウェブサイトが類似している点がないかな、というのが私の思いつきだ。さらに思いつきを続けると、日本の街並みとウェブサイトが「雑多」にならざるを得ないのは、「漢字」の存在が大きいような気もする。漢字象形文字的側面が大きいので、(アルファベットに比べて)表現としてダイレクトなのだ。例えば、日本語に「ひらがな」しかなかったのならば、日本でも欧米のようにスマートデザインが嗜好されていた可能性もあると思う(もっとも、基本、ハングルだけの韓国の街並みは雑多なようだが)

「雑多」なページというのは、ある意味で下品なんだろうけれど、逆に安心できたり、(ドンキホーテの商品の並びように)ワクワク出来たりするデザインである。名前の通り、「雑多」だということは、様々な価値観が入り交じっているということでもあり、許容できる価値観の幅が広いということだ。多分、そこ人に安心感を見出すのだろうし、頭の悪さという意味での敷居の低さを感じるのだろうと思う。

反対に、スマートな美しいデザインサイトで要求されるのは、「何をどう割り切るか」というセンスであり、その結果としてのシンプルユーモアであろうと思う。グーグルアップルはこちら側の代表例だ。こちらも主に人類普遍性という意味で敷居が低い。

私は個人的には「万人に共通する絶対的価値観」という物はないと思っている。

ある個人として信奉する「絶対的価値観」が真実に近かったとするならば、必ず、それと反対側の価値観真実に近いと思っている。

だから、両方の価値観を知らないと、世界全体を俯瞰することは出来ないのではないかと思う。

(もちろん、これも一つの価値観なのだが)

もし私の考えが合っているならば、日本インターネットグーグルに代表される米国IT業界に対抗するには、「雑多性」を追求するべきなのかも知れない。

実際、グーグルは「インターネット情報を整理して見通しを良くしよう」としているように見えるが、最近、元気なGREEなりmixiなりモバゲーなりは、「(いろいろなサービスがごちゃ混ぜになっている、デザインが野暮ったい等の)雑多性」もそうだが、「(グーグル検索に引っかからない)SNSという仕組みでネットの見通しを悪くし、多様な価値観を許容出来るような方向性」を目指しているように見える(大体、検索の性能が良すぎるから、自分意見の違う人間を見つけやすいのであって、争いが起きやすいのであって、殺伐としやすいのである)。

すでにウェブ上に落ちているアイディアかも知れないし、そんなに大した話でもないのだが、何か日本におけるウェブサービス収益化のヒントになると嬉しい。まあ、増田に書いたところでどれだけの業界人が見てくれるかは分からないけど(自分ブログに書いても誰も見ないだろうしなあw)。

2010-04-13

英語教科書を見ると耳が真っ赤になり油汗が出る、吐き気がする。

受験で大失敗し、そこから一年経っても全く立ち直れてない。一生引きずりそう。

こんな状態で勉強しても頭に全く入ってこないのは、ある意味当然かもしれない。脳が拒否ってる。

やらない→出来ない→やらない→出来ないの不のスパイラルを続けることもう7年近い。

あと1年凌げばアルファベットと強制的に向かわされることは無くなる。

もう嫌だ。

英語が俺の人生壊してる。

2010-04-07

過去の遺物

読書メター、ブログtwitter 他にもアカウントを多数持っているが

そういう日々更新していく様なWebサービスが多すぎると思う。

自分は特に読書は好きだから、読書メーター更新頻度高いし、

コメントも結構考えて書く。読んで終わりにしない為に利用している。

その割にお気に入られは少ない。同じぐらいお気に入りも少ない。

でもそれでいい。なんと言うか他人のコメントを読むぐらいなら、

その時間をもっと他の本を読むのに費やしたいと思ってしまう。

中には自分のように下手な文章を長くだらだら書いてしまうのではなく、

短く簡潔でも的を射ていたり、要点を押さえていて感心する人もいる。

でも、大多数は何も書いていないか、書いても一言感想だけの人や

amazon の評価宜しく星やアルファベットで評価するだけの人、等など。

使い方は個人の自由だから、その点をとやかく言うつもりはないけれど

そういう人でお気に入り数十人から、100人以上いる人も結構いる。

この人たちはお気に入りしている人のコメント全部見ているのだろうか?

お気に入りしてくれたから、お気に入りにするという人が多いのだろうが

(というのは、その2つのユーザの並びがほぼ一致しているから。

個人的に2つをまったく別物にしたいと思うが前述の理由でうまくいかない)、

その人たちのコメントを読むだけでも相当な手間なのではと思ってしまう。

コメントに星をつけるのも、真面目に読んでそうしてくれれば嬉しいが

自分が読んだ本の読友のコメントに手当たり次第に星をつけている人や、

自分お気に入りしてくれている人が星をつけてくれても

その人がその本を読んでいないと、何故つけたのか首を傾げてしまう。

読書メーターだけで、こんな具合だからその他、色々アカウント持っていても

とても全部のサービスの本当に生かして利用しきれなくなってきた。

なんだか疲れる。こういうサービスの特徴は「繋がり」なのだけれど

大勢の人と大した交わりもなしに、ただ繋がっている気分になってくる。

適当言葉が思い浮かばない。言いたいことが伝わるか不安だ。

文章書いていると、自分の語彙や表現の乏しさに毎度うんざりする)

サービスも利用している人は、どう使いこなしているのか非常に気になる。

これほど個人が情報発信しやすい状況はないけど、自分はほぼ垂れ流しだ。

元来、新しい物には疎く、どちらかと言えば古典的なものの方に

魅せられることが多い人間だが、皆がそれらをを使いこなしているなら

とても付いて行けないな。それこそまるで過去の遺物のようだ。

2010-04-06

http://anond.hatelabo.jp/20100406202036

宇宙を何巡すればで思い出したけどさ、『宇宙クリケット大戦争』で無限引き伸ばされワウバッカーってやつが宇宙を何巡もしてたな。

宇宙生命全てをアルファベット順に侮辱するとか何とか言って何十億年も宇宙を駆け回ってんの。

宇宙ってそんだけ広大なんだよな。

2010-04-01

メイドいんジャパン」からぶっこ抜いた構造http://anond.hatelabo.jp/20100328131122#tb)に、この前映画館で見た、『誰かが私にキスをした』から連想したものをぶち込んだらこうなった。男一人で恋愛映画を見に行くのは正直キツかった。不自然なところをこれから直していっている途中なんだけど、無理がでてきた。出てきた無理を直していく作業に苦労している。「どんな言葉をぶちこむのが適当か」を判断するもの(思考ツール?)を用意しないまま思いつくままに言葉をぶち込んだのが敗因か。ぶち込まれる空欄(=以前に増田に貼り付けたもの(http://anond.hatelabo.jp/20100328131122#tb)のアルファベット)間の関連性をもっと意識すべきだった。というか、それさえ意識すれば何とかなるんじゃないだろうか。というか、それを意識して、いま思いついているものをぶち込みなおしたら、すんなり物語の形になるのではないだろうか? アルファベット間の関連性について今週の土曜日までに考えてみる。ぶちこみ直しの作業は土曜日に始めて土曜日に終わらせる。


 神酒薫(ミキ カオリ)が視点浮動者として存在する。高校二年生の女子。視点浮動者は、自分がどの視点から物事を見るか、どの記憶から物事をデコードするかを決められないでいる。

 視点を決定すると、通常ならば、その視点向けのコマーシャル(=企業が配給する良質のドラマ)を見ることができるのだが、県から支給されたモバイルを使っている神酒薫は、コマーシャルを見ることができない。だから、視点を決定するインセンティブがない。

 モバイルによる拡張現実は、学校での授業に必要になる。モバイルから発せられる電界が、それを身につけている者のコンタクトレンズ眼鏡に像を映す。神酒薫の父親は特別に教育に厳しい人なので、薫に個人向けのモバイルを買ってくれない。

 津島の神酒との思い出が存在する。

 時間の一回性が存在する。

 他人のTL上の自分を気にすることが存在する。

 神酒薫は他人からの視点を気にせずに生きることを求める。タイムラインに、他人が発言した自分の振るまいが蓄積されるので、自分の振るまいが正しいかどうかがひどく気になる。視点を決定している人たちは、自分の視界内の発言しか見る余裕がないので、他人の視点というものを気にしない。というか、視点を決定すると、カーソルの初期位置から一番近いのが返信欄になり、それから遠く離れたところに検索欄が移動するので、他人を検索すると言うことが少なくなる

 神酒には、勉強ばかりしているというイメージが、他者のタイムラインの中では固定化されている。高校一年学校祭の準備のとき、神酒はキキに励まされながら土砂降りの雨の中を自転車木材を運んだ。それをきっかけに、ポジティブアクティブ自分に変われそうな気がした。しかし、学校に戻ると、

「このときの神酒さんとイメージが変わった」

 と、クラスメート過去タイムラインを見せられる。クラスメートは肯定的な意味合いでそれを言ったのだが、神酒はとても恥ずかしくなる。もう、自分イメージからはずれた行動はしないようにしようと決めた。

 視点を決定しなければならないという切迫感が存在する。

 神酒薫は視点を決定しなければならないという切迫感を取り除くことを求める。

 電子アシスタント存在する。電子アシスタントはキキを含む。キキは、白いウォンバット。常に神酒の近くを付いてまわり、神酒を常に必要としてくれる。

 電子アシスタントは、その所有者が設定したように、その所有者を誉めたり注意したりしてくれる。モバイル勝手ソフトインストールすることを父は怒るのではないかと神酒は思ったが、キキの機能を見て、彼はキキを気に入る。

 キキを持っていることで、神酒薫は視点浮動者であることを隠す。電子デバイスに興味があるんだというフリができる。

 津島修一は、神酒と同じ中学校・同じクラスだった男子。神酒薫にキキをくれたのは、津島修一だった。

 津島は、男子からはハナコと呼ばれていた。というか、誰かに対して陰口で使っているハナコという呼び名を、津島に当てはめると、無矛盾なのだった。だから、津島=ハナコは憶測。

 ハナコの良いところは顔だけ。ハナコは男なのに生理がある(精神が安定していない)。ハナコは……。

 ハナコがハナコと呼ばれるようになったのは、ハナコが男子トイレの個室で泣きながら、ボールペンの先端を彼の腕にぶつぶつと刺していたから。

 卒業式に、津島修一に呼び出される。呼び出されたその瞬間まで、会話をしたことは一度としてなかった。卒業式の日に、神酒薫を好きだと言って、その贈り物だとしてキキをくれた。津島修一が勝手に、神酒薫のモバイルインストールしてしまったので、神酒薫はキキをアンインストールする方法を知らない。それに、日本語を喋る存在アンインストールすることは、殺しと同じことに思えてしまい、できない。

「ヒメ! ヒメ!」と、キキは神酒の足にすり寄る。

「うざかったら、ワンス・ア・ウィークって言えば、彼はしばらく動きを止める。週に一回くらい、電子アシスタントですらうざくなるときがあるでしょう?」と、津島は言う。「今日の夜八時に、キキが指定する場所に来て」とも。

 そのとき神酒は、「うん、行く」と答えてしまう。

 神酒は、クラスの中核をなす声の大きい集団からはジミーズと呼ばれていた。仕返しに、神酒は心の中で、声の大きい集団を、彼らの化粧のけばけばしさを由来にケバブと呼んでいた。ジミーズはジミーズなりに地味な人同士で集まっていたので、ケバブが思っているように友達がいないわけではない。卒業式の帰り、仲の良かった友達とカラオケに行く。神酒の視界の中には、まだその存在になれられないキキがいた。キキは、友達に見えないようにしてあった。

 カラオケからの帰り道、道の関係で一人になった。信号待ちをしていると、ラブホテル横断歩道を隔てた向かいに建っている。

 ラブホテルの裏道から、高校生カップルが、自転車の二人乗りをしてでてくる。

 ラブホテルの電光掲示が目に入る。

『まだまだ寒い夜 あつあつのラーメンを! プレミア価格5○○円(会員様)』

ラーメンって、おいしい?」キキが訊いてくる。

ワンス・ア・ウィーク」キキを黙らせる。

 給食で食べたソフト麺のベチャベチャした味が、舌の上で思い出された。その味をかき消すために、津島からもらった連絡先のメモを、小さく、小さく畳んで、制服スカートのポケットに入れた。ポケットに紙を入れたまま、洗濯機スカートを入れ、スイッチを押した。

 キキがしゃべり始めるたびに、「ワンス・ア・ウィーク」をした。そして約束の八時が過ぎ去るのを待った。

 津島タイムライン卒業式前後のものを見ないようにしようと決めた。見ないために、神酒は視点浮動者になることを選んだのだ。

 自分に自信を持てていない神酒薫は、彼からの告白を何かの悪いいたずらだと思い、津島修一とは連絡を取っていない。しかし、津島修一と神酒薫は同じ高校に通っているのだ。ときどき廊下ですれ違うと、気まずい。

 ほかの人は、タイムライン上に友人との約束記憶させる。神酒はキキに約束を覚えさせる。どちらも、モバイルを使って約束管理しているので、他者は神酒がすでに視点を決定しているのだと勘違いしている。

 神酒薫は、他人のタイムライン自分がどう記録されているかを気にすることを取り除きたい。

 電子アシスタントは他人のTL上の自分を気にすることを取り除く手段になるように見受けられる。神酒はキキに、神酒が他人のTLを気にしたらキキが神酒を注意するようにコマンドする。

 神酒薫が他人のTL上の自分を気にすることを取り除くことは失敗する。キキの注意が煩わしくて、神酒はイヤフォンと眼鏡を外してしまう。ワンス・ワ・ウィークしなかったのは、キキに自分を注意するようにコマンドしたのに、注意を理由にキキを黙らせるのはかわいそうだと思ったから。

 友人との会話:「モバイルを忘れたら、記憶が不確かになって約束の1日前に待ち合わせの場所にいることになって、困った」

 イヤフォンも眼鏡もつけずに図書室に行く。

 そこには、一人の女性がいる。上靴のいろは赤なので、一つ学年が上の三年生の先輩。神酒が一年生のころ、彼女は貸し出しカウンターの内側にいたことを神酒は覚えている。彼女ノートには、たくさんの三角形が書かれている。また、たくさんの三角形が書かれているページの反対のページには、三角関数表がセロハンテープで貼り付けられている。

 図書室の端に行くと、先輩が突然、「私のアシスタントを動かさないで」と言う。神酒はあわてて、拡張現実を身につける。

 キキがしきりに神酒の足下で、「ヒメあぶない! ヒメあぶない!」と言っていた。先輩のアシスタントは、天使の羽。神酒がぶつかった勢いで、空中を漂っていた。

アシスタント自分のことをヒメって呼ばせているの?」

 五時間目の授業から、モバイルオープンにしたままだったことを思い出す。(授業中はオーソリティが先生に移るため、電子アシスタントオフになる。)

「痛い男が、彼女を呼ぶみたい」と先輩は言う。「彼氏からプレゼントされたの?」

 神酒は、終わった、と思った。誰か男にキキをプレゼントされたとタイムライン上に記憶されたら、全てが終わってしまう、と神酒は思う。

 神酒は先輩のタイムラインを展開しようとする。彼女が、伊庭瑠璃という名前の三年生であることが表示される。偶数組だから、文系クラスだとわかる。ローディングを示す輪がくるくるまわり続けるだけで、タイムラインが表示されない。

「私の知ってる男も、彼女をヒメって呼んでいて、痛々しい」と伊庭は言う。

彼氏からもらったわけじゃなく!」と神酒。

「ヒメ! ヒメ!」とキキ。

「キキ! ワンス・ア・ウィーク(黙れ)!」

 キキはぴたっと止まる。

「そのアシスタント津島修一からもらったわけだ」と伊庭。

「え」

「だって、ワンス・ア・ウィークって、シュウイチってことでしょ?」

「そうだったのか!」

 キキをもらってから二年間、ずっと気づかなかった!

 納得したことで、もう隠しようがないことに気づき、神酒は硬直する。

「いや、でも、気のせいかもしれない。津島修一なんて人が私の知り合いにいたかは、タイムラインを確認してみないとわからないな……」と、苦しいとりつくろいをする。

 伊庭は、ふっと笑いを漏らす。

「そういえば、私の知り合いに津島なんていないかもしれない。私はタイムラインを持ってないから、確かめようがないや。名前なんて忘れちゃった」

「伊庭先輩は、視点浮動者なんですか?」

 伊庭はうなずく。「私とあなたの間には、一年の学年の違いが横たわっている。だから、私は視点浮動者というよりも、視点を持たないものと言った方が正しいかもしれない。県が私に貸し出したモバイルは、タイムラインを見る機能を持たない」

「伊庭先輩の親も、個人用のモバイルを持つことに反対なんですか?」

「ううん。中学受験のために塾に通わされたときに、安全のためのモバイルは持たされた。私は親に反発して、モバイルを川に投げ捨て、塾にも行かなかった。それ以来、親は私にモバイルを与えようとしない。そして中学受験をしなかったから、私はいま、公立高校であるこの学校にいる」

 図書館で話していても大丈夫か、すごく気になる。遠くで、溶けた雪がどさっと落ちる音が聞こえたから。それに、伊庭のアシスタントがあまりに寡黙だから。しかし、三月の土曜登校日の放課後なので、二人のほかに誰もいない。

「私は前の図書局局長だから、私がルールみたいなものだ。大丈夫」と伊庭は言う。「私と貴方の関係は、少し長いものになると思う。私が名前を忘れた誰かのせいで。貴方の呼び方を決めていい?」

 先輩は手を振る。視界上に、私の情報を展開したのだと思う。

「神酒さんって呼ぶのは、距離が遠くて好かないな」

「呼び捨てで、いいですよ」

「呼び捨てと、さん付けの間をとって、ミキクンっていうのはどうかな」言った伊庭先輩が、ひとりで笑う。「変だな」

「慣れれば、慣れますよ」

 伊庭先輩は、ミキクン、と十回繰り返した。「やっぱり、変だよ」自分が言い出したのに、くすくすと笑っていた。

「土曜登校日の放課後図書館でなにをしてたんですか?」と神酒。

「私の彼氏ーー名前は忘れちゃったーーは、一つ下の学年にいるんだけどーーつまりミキクンとおなじ学年なんだけどーーその、名前を忘れちゃった彼氏は、精神的に不安定なところがある。だから図書館にいる」

彼氏さんとの関係に、疲れてしまったの?」と神酒。

「ううん。疲れていないから、ここにいる。臨戦待機中」

「それと、その三角形とどういう関係が?」

「ただ待っているだけだと、頭が暇になる。かといって、彼から連絡があったときに何かに没頭していると、すぐには動けない。だから、私と私のアシスタントと彼のアシスタント三角形の頂点に見立てて、彼のアシスタントと私との間の距離を求めていた。彼のアシスタントは、彼の近くにいるから。彼を意識しながら、頭に作業をさせることができるから。そして彼が「死にたい」って言ったら、すぐにでも私は駆け出す。死にたい気分を、逸らしに行く」

死にたい気分って、そんなに簡単にそらせられるものなんですか」

「なんたって私は、彼より一年年上のお姉さんだから」

「どうやって?」

「その」伊庭は、一瞬迷う。「一緒にラーメン食べに行こう、とか」

「へ!?」

「え……」

「……」

「……」

 給食ソフト麺のべちゃべちゃした味を神酒は舌の上で思い出す。二人の間にすごく微妙空気が流れる。訊いたことを、神酒はすごく後悔する。

 伊庭先輩は、タイムラインを持たないので、神酒は、自分タイムライン上でどういうキャラクターであるかを気にせずに、勇気を持った行動をできる。津島と伊庭先輩を引き離そうと決める。伊庭先輩のために。

「伊庭先輩が津島くんを支えようとすることは、よいことだとは思わない。きっと、彼の負の力に引きずられてしまう。彼の行動をタイムライン記憶してる友達を、何人か紹介するよ。それを見たら、伊庭先輩はきっと津島くんから離れようと決心してくれる」

「私はタイムラインを持たないから、複数の他者の発言を根拠に、いますでに読みとっている彼からの愛の意味を変更することはできない。それに、彼の愛から読みとった意味は、私の内部にある。タイムライン上の外部化された記憶のように、消しされるものではない。そして私は、私がもう津島を助けられないという言葉を私のタイムライン上に蓄積することができないので、津島を助け続けなければならない」

 デスクトップから書き込んだタイムラインはないかと、伊庭瑠璃名前検索する。伊庭瑠璃から見える津島を知りたかった。しかし、伊庭瑠璃デスクトップ上のタイムラインも所有していない。

 検索ワード「図書局局長」でサーチをかける。彼女についての噂を書いているタイムラインが、いくつかある。図書室だより、生徒会だより、男性からの、そして女性からの、あこがれのまなざし。「どうしてハナコが、図書局局長と付き合っているんだ」という、いらだちの声。図書局局長は、自分の身を削って他者に尽くす、素晴らしい人間だということになっている。「八方美人だ」と言って、彼女を攻撃する人間にすらも。

 視点浮動者である神酒薫は、津島修一のタイムラインを見ることができる。見ないと決めたものを見ていることに、罪悪感がある。しかし、彼女が見ないと決めたものは卒業式前後記憶だったので、決めたことをやぶっていることにはならないのだ(と、神酒は自分をだます)。 

 津島修一は精神不安定なので、膨大な数の書き込みがタイムライン上に堆積している。津島修一は過度に記憶を外部化している。それを読む限りでは、津島修一は伊庭瑠璃からの自立を求めているらしい。伊庭に依存してばかりいる自分の弱々しさを嫌っているらしい。

 津島タイムライン上で、他人の反応を待ち続ける。しかし、他人がこない。反応がくるまで、じっとうずくまる。しかし、どれだけ待ってもこない。死にたい気分になる。その気持ちを消したいがために、他人の反応を待ち続ける……。他人の気持ちを引くために、自虐を繰り返す。そして、自傷をする。アップロードされた自傷画像には、ハナコがそうしていたのと同じ、ボールペンを腕に突き刺したものもあった。傷が治癒していく経時変化もアップロードされている。「そういうことをやめろ」という声が、彼には心地よい。しかし、心地よいのだが、しかられたダメージはしっかりと受けている。スパイラルは、次第に破滅的な方向へと落ちていく……。

 津島の頭の中では、津島タイムライン上に書き込まれた、伊庭瑠璃からの「愛してる」がリフレインしている。だから、伊庭瑠璃から離れることができずにいる。「愛してるから、なんでもできる」と伊庭瑠璃過去において言ったことを口実に、津島は伊庭に依存している。いや、その言葉自分に言い聞かせることで、伊庭が自分をいやしてくれるという現実から、抜け出さなくてもいいのだと自分をだましている……。

 伊庭の都合の良さは、まるで電子アシスタントみたいだ。そして電子アシスタント的な伊庭に依存している津島生き方は、独りよがりで弱々しくて、気持ち悪い、と神酒は思う。

「伊庭が記憶を外部化していないことを理由に、津島記憶の外部化をやめさせられるのでは。ペアルック的な感覚で」と神酒は思う。

 津島の神酒との思い出が存在する。神酒は津島タイムライン遡行していると、自分のことについては外部化されていないことに気づく。

 廊下の端。普段なら、カップルがそこにいるような場所。そこで神酒と伊庭は待ち合わせる。

 伊庭は、天使の羽を背中につけて待っている。それは、伊庭の茶目っ気でもある。伊庭のねらい通り、それをしている伊庭を神酒はかわいいと思う。伊庭のアシスタント天使ではなく天使の羽なのは、伊庭は天使ではなく天使になることを求めているから。

 人が少ない場所。伊庭はタイムラインを、モバイルではなくデスクトップ上でしか見られない。伊庭と神酒の二人で津島について話をするため、電界通信をオープンにして、伊庭と神酒は手をつなぐ。二人の拡張現実が共有される。

「伊庭の都合の良さは、まるで電子アシスタントみたいだ。そして電子アシスタント的な伊庭に依存している津島生き方は、独りよがりで弱々しくて、気持ち悪い」と神酒は言う。伊庭は表情変えずに、「そうね」と言った。

「伊庭が記憶を外部化していないことは津島修一が津島記憶の外部化を取り除く手段に、きっとなるよ」と、神酒は伊庭に言う。「だって、たとえば、私に告白したことを津島くんはタイムラインに載せていない。全ての記憶タイムラインにゆだねているわけではない」

 津島が、二人のいる廊下の端に現れる。三角測量で、伊庭の位置を知っていたのだ。文系の伊庭が三角測量で津島の居場所を求めていたのは津島の影響をうけていたからだったのだ。

 津島が現れたとき、伊庭はびくりとして、手を引く。

大丈夫だよ」

 神酒は伊庭の手を押さえる。

 知らない、大人の女性の声が聞こえる。

「他者のために尽くす貴方は素晴らしいわ……」

 声のするほうを見ると、伊庭のアシスタントがいた。

 伊庭は、彼女電子アシスタントの声を聞かせたくなかった。だから、彼女電界クローズドにしたかった。しかし、神酒が手を押さえたために、それができなかったのだ。

 津島三角測量は、伊庭のとは比べものにならないほど優れている。伊庭が緊張のためにかすかに肩を膨らませると、津島三角測量の、小数点以下の数字の変動としてインディケートされる。

「君たちは、僕について語っているのだろう?」と津島。「君たちは、悪である僕について語る。そうして、善であることを偽装したいんだ。そうだろう? 二人で語るだけで、実際には善の振る舞いをしないにも関わらず。僕は来てやったよ。善をなし得ない、君たちふたりの為に。どうだ、潔いだろう」

(ここから)

 津島が、タイムラインに載せていない記憶を持っていることは、津島タイムライン依存していることを取り除き得ない。高校時代における津島精神脆弱さのきっかけは、ほかならぬ、神酒による津島の拒絶だったのだ。津島タイムライン依存しているのは、タイムラインに載せることのできない記憶存在しているからこそなのだった。神酒が津島を振ったトラウマは伊庭瑠璃津島修一からの自由を得ることを阻む。

 神酒薫は神酒が津島を振ったトラウマを取り除くことを求める。

 時間の一回性(=神酒が津島との約束をやぶったこと)は、神酒薫が神酒が津島を振ったトラウマを取り除くことを阻む。

 神酒は、津島を振ったことを謝ろうとする。

 津島は、神酒がどれだけひどいことをしたかを伊庭に語る。タイムラインを持たない伊庭は、津島視点の神酒の行為を、疑わずに信じてしまう。

「貴方は、津島にそんなひどいことをしたの? 見損なう」と、伊庭は神酒に言う。

「まって。津島くんは、私を好きだったんじゃなかったの?」と神酒は言う。

 「津島くんは、私を好きだったんじゃなかったの?」という神酒薫の発言は神酒薫が神酒が津島を振ったトラウマを取り除くことを助ける。

 神酒薫は時間の一回性を取り除くことを求める。

 「愛してる」ではどうにもならないことが存在する。

 「愛してる」ではどうにもならないことは神酒薫が時間の一回性を取り除くことの手段となる。

 「おまえの視点は確定的じゃなかったのか」と、津島は神酒に対して言う。

 天使の翼が「愛してる」ではどうにもならないことを取り除くことを求める。

 「おまえの視点は確定的じゃなかったのか」は天使の翼が「愛してる」ではどうにもならないことを取り除く手段となる

 天使の翼が「愛してる」ではどうにもならないことを取り除くことは成功する。

「私のアシスタントの声を聞かれて恥ずかしい」と伊庭は言う。

アシスタントに誉めてもらうなんて、みんなやってること。恥ずかしくないよ」と神酒。

「恥ずかしいよ! 恥ずかしくて、弱々しくて、気持ち悪い! アシスタントに頼っていないと自分を保てないなんて、一人の独立した人間として恥ずかしい! しかも、そんな恥ずかしい生き方は、私のアシスタントが求める生き方じゃない!」

 電子アシスタントは、神酒薫が時間の一回性を取り除く手段になる。

 天使の翼は電子アシスタントを取り除くことを求める。

 電子アシスタントに含まれるキキは、天使の翼が電子アシスタントを取り除く手段になる。

 伊庭瑠璃は、「神酒薫が他人からの視点を気にせずに生きることを得たこと」を求める。(どこかで神酒が、他人からの視点をとても気にして生きている描写が必要になる。そしてそれを伊庭が見たという描写も。)

 「津島くんは、私を好きだったんじゃなかったの?」という神酒薫の発言は、伊庭瑠璃が「神酒薫が他人からの視点を気にせずに生きることを得たこと」を得ることを阻む。

 伊庭瑠璃は「津島くんは、私を好きだったんじゃなかったの?」という神酒薫の発言を取り除くことを求める。

 神酒薫が視点浮動者として存在することは、伊庭瑠璃が「津島くんは、私を好

2010-03-19

八ヶ月間オナ禁してみた変化まとめ

ちなみにオナニーを断ち切る方法としてはなんかの自己啓発本に書いてあった方法で乗り切った。

何でもいいからアルファベット一つを選び、誘惑に駆られたときはその単語を頭の中で連呼するというもの。

本の説明によれば、そうすることで「もうやらない」と決めた時の初期衝動がよみがえって断ち切れるらしい。

実際、俺はそれでオナ禁に成功している。もうほとんど自動的に「ディーディーディー」って連呼してはっとしてやめる。

最初は時間節約になるから、あと健康にもいいらしいからって理由で始めてみた。

一週間目あたりから顕著に変化が現れてくる。結果としてはあまりオススメしない。

以下、箇条書き。思い出したらどんどん追記していきます。

・ものすごくむらむらする

・誰でもいいからやりたいと思うようになる

・四六時中セックスのことばっかり考える

・今まで普通に接してきた女友達がすげえ色っぽく見える

・満員電車で女が近くにいると痴漢しそうになる。

・気がついたら誰かをデートに誘っている

・ただの女友達を口説き始める

・人目が気にならなくなる。周りに誰がいようと口説く。

デート中、身体を触りまくる

・ヤッた後に猛烈に後悔する。

ツイッター女性フォロワーだけをリスト化する

普通に流して読んでたエロコメ漫画の次の回が待ち遠しくなる

ストライクゾーンが一気に広がる

小学生の太ももを触りたい、とか思い始める

・おばさんが「女」であることに改めて気づく

・ブスの基準が曖昧になる

・街で見かけた一人でいる好みの女性に声をかけようかな、と思う

・初対面の女性に積極的になる。

・躊躇なくメアドが聞ける。

初デートセックスに持ち込もうとする。

・まだやったことないプレイリスト化してみる。

辛酸なめ子制服姿に萌える

女性用下着の広告にドキッとする

マネキンを触りたい

2010-03-02

[]魔王

そもそも勇者が多すぎる。アルファベットも書けない、中学数学も解けない勇者ルイーダの酒場に入れてレジャーランド化してる現状で誰が得するのか。世界勇者20人で十分。残りは遊び人に変えてダーマ神殿実学を叩き込め

2010-01-30

プラハ共産主義博物館に行ったとき、来館者の感想を書くノートがあって。

帰る前にそれをぺらぺらめくってたらアルファベットじゃないぐねぐねした文字があった。

どこの国だろうと思ったら文章の最後に「Freedom of Iran」と書かれていた。

何を書いてるのかぜんぜんわからなかったんだけどこの人にとってさっきまでの展示はものすごくリアル意味があったんだろうなと思った。

イランは若い人たちががんばっていてえらいなと思う。

少しでもいい方向に行くといいな。

2010-01-24

プログラミングって右脳だな

プログラミングしてる時って、クラスインスタンス変数やメソッドの使い方、ロジックの流れなんかは脳の中でイメージ化されてる

アルファベットだからかもしれない

あんまり言語って感じじゃないんだよな

それよりもパズルに似てる気がする

2010-01-12

http://anond.hatelabo.jp/20100112222854

いや、「じ」「ず」でいいけど。

なんで「でぃ」「どぅ」だと思ったの?

アルファベット

2009-12-19

中途半端語学好き

語学勉強するのが好きである。でも、なんだか「語学勉強してるのよ〜」という雰囲気が好きなようで、正直身に付いているとは言えない。

英語の場合は受験という勉強目的が主だったが、いつかいろんな国に海外旅行行って楽しみたいな、というのが続けている理由。仕事では、読み書きは「使う可能性も多少ある」程度でスピーキングは数年に一度の海外出張があるかないか。英検2級、TOEICは700止まりでその後受験してない。英会話教室に通ったこともあるので自己紹介程度の簡単なことなら会話できるけれど、多分一人で英語圏に行って聞き取りとか交渉とかは厳しいだろう。

第二外国語ドイツ語を習った。アルファベットやごく簡単な挨拶なら今でも覚えているが、会話能力はなし。ドイツ自分が一番旅行をしてみたい国なのだがまだ行ったことはないので「身に着けなきゃ」という切迫感がない。積極的な勉強はせず、NHK語学番組を毎週見ている。

同じく大学の講座であった、アラビア語にも興味は示したが初めの1時間アラビア文字に挫折し、履修登録はしなかった。いつかあれを読めるようにはなってみたい。

初めて行った海外韓国で、観光旅行で必要な「これください」関連の言葉は覚えたがハングルの読み書き能力ゼロ韓流ドラマはまあまあ好きだが、はまるほどではないためTVで着いていたら見ている程度、勉強らしいことは特にしてない。

今年、初めて一人海外旅行フランスへいった。といっても現地在住の知人を訪ねただけではあるが、往復一人移動の日が多かったため、2カ月ほどNHK語学番組勉強した。特にフランス好きではなかったのだが、意外にも楽しかったのでまたいつか行きたいと思い、旅行後も公民館でやってるような初級フランス語講座に3カ月ほど通った。これもそこまで真剣に学んでたわけではないので、なんとなくフランス語っぽい雰囲気がつかめたかな程度。

どれも動機が「数日程度の旅行」なため、ひたすら貴重な金と時間をドブに捨てているような気がする(いざとなったら大阪のおばちゃんぽく日本語で押し通すという手もあるわけだし)が、やっぱりどれか1カ国語ぐらいはマスターしたいよなあとは思う。この中で妥当なのは英語だよな。

ところで「来年イタリア出張に行ってもらうかもしれないよ」と上司に言われたのだが・・・。

2009-12-08

http://anond.hatelabo.jp/20091208004450

むしろ、人類EXILE化計画の一環として、

HIROTOとかPIKACHUとか、アルファベットにすればいいんじゃなかろうか

2009-11-29

かな書きの文章はなぜ「読みにくい」と言われるのか?

http://d.hatena.ne.jp/lever_building/20091127#p1

ひとつ前の記事を非常に多くの方に読んでいただいたようです。まったく予想していなかったことなので、驚いております。とてもありがたいことです。

●時間厳守は遅刻する人に迷惑がかかるのでやめてください

この記事にたくさんの方がブックマークをしてくださり、またコメントを書いてくださりました。記事の内容についての様々なコメントもいただいたのですが、私が漢字をほとんど使わずに文章を書いていることについてのコメントもたくさんありました。

前回の記事からはだいぶ間が空いてしまったのですが、今日はそうしたかな書きについてのコメントを読んで考えたことを書いてみたいと思います。

●記事のブックマーク・ページ(1)

●記事のブックマーク・ページ(2)

●ブックマーク・ページのブックマーク・ページ

●ブックマーク・ページのブックマーク・ページのそのまたブックマーク・ページ

以上の4つのリンク先からブックマークコメント引用させてもらいます。

id:naoya_0708 [ネタ] そんな小さいこと気にせず堂々と遅刻して「へぇ、すんません」って言えばいい。そんなことよりこの人がなぜ平仮名なのか、のほうが気になるわ。

私がブログでかな書きを実践している理由については、これまで5つの記事で述べてきました。

1. 漢字について

2. 「学校という空間」をこそ問題にしよう

3. 表記が生成される場に立ち返ってみる

4. 国語廃止論序説

5. 「国語廃止論序説」への補足

5.の記事だけは、「漢字・かな混じり文」という日本語の《書き表し方》の問題にはほとんど触れておらず、主に《言語》の問題を論じています。日本で話されている様々な言語*1の中で日本語だけを「国語」として特権的に扱うことをやめましょうという提案を行っています。

ただ、この《言語》の問題と漢字・かな混じりの《表記》の問題の二つを、私は基本的に同じ論理で考えておりますので、興味のある方は、5.も併せて読んでいただけると幸いです。

上に挙げた5つの記事は、どれも長い文章なので、ここで簡単に私が漢字をなるべく使わないでブログを書いている理由を述べておきます。

それはできるだけ多くの人が文章を読んだり書いたりできたほうが望ましいと考えるからです。私は一方では読み書きができなくても何の不都合もなく生活できる社会理想的だと思っています。しかし、日本語の読み書きができないと様々な面で不利益を被ってしまうという日本社会の現状では、そうした人たちが読み書きを身に付けやすい環境を作っていくということも同時に行っていく必要が大きいでしょう。

また、私自身、文字で書かれた物を読み、また書くことによって、様々な良きものを今まで他人から受け取ってきたと思います。もちろん、私が本を読むことができるゆえに、かえって見落としたり見えなくなったりしていることはあるでしょう。だから、一方では、単純に「読み書きによって世界が広がり、見方が広がる」といって良いのか、ためらいも覚えます。少なくとも、「読み書きのできる人がそれをできない/しない人よりも広い世界と深い物の見方を持っている」などとは断じて言えないことははっきりしています。

とはいえ、私自身読み書きのできる者の一人である以上、読み書きのできない人に対して「読み書きなどできなくても良い」と言うわけにはいかないし、「読み書きしたいけれどできない」という人がいる状況を正してゆく責任を負っていると考えます。

そのためには二つの方法が考えられます。一つは、読み書きの教育を充実させること。もう一つは、読み書きを身に付けるためのハードルを低くすることです。

もちろん、一つ目の課題も大事ですが、とくに日本語の場合、二つ目の 「ハードルを低くする」ことの必要性は極めて大きいといわざるを得ません。私自信何度か書いてきたことでもあるのですが、ブックマークコメントでの次の Cunliffe さんの指摘は重要です。

id:Cunliffe 「読みにくい」とか「読めない」とか難癖つけてる人みると、どうしても幻の鯖の器にケチつけた海原雄山を思い出す。漢字かな混じり文を読みやすいと感じるのは、正規の国語教育受けた大人だけなんですねー。

日本語について一通りの読み書きができる人は、その習得に非常な時間と労力がかかるということを知らないわけではないでしょう。また、そうしてかけられた時間と労力の大部分が漢字学習に費やされていることも。

日本学校教育を6年なり、9年なり受けた人でないと、おびただしい数の漢字と熟語を覚えるのは極めて困難なはずです。

いうまでもないことだと思いますが、日本社会の住民のうち、日本学校教育を受けた、あるいは受けられる人はその一部に過ぎません。一般的に学校に通う年頃を外国で過ごした人もいれば、学校に通えなかった/通わなかった人、その中には年を取ってから読み書きを学ぼうとする人もいます。また、日本学校に通っても、漢字や熟語が十分に身に付かなかった人も大勢いるでしょう。

あべ・やすしさんの次の文章も併せて読んでください。

●漢字が排除するもの - hituziのブログじゃがー

 漢字は、文字表記として複雑すぎるために、様々な文字弱者を排除し、抑圧している。

 もちろん、漢字をなくせば文字弱者がいなくなるわけではもちろんない。だが、大きく改善することがたくさんある。

 私が「漢字という障害」という論文で指摘した漢字弱者は、非識字者や識字学習者、盲人、弱視者、ろう者中途失聴者、読字障害を持つ人、知的障害者日本語学習者です。

 そうした人たちが文字情報アクセスする権利を奪っているのが、いまある日本語表記に他なりません。漢字が障害となる度合いは、それぞれ異なっています。けれども、何らかの形で、漢字は障害として働いているのです。

こうして漢字が作り出している「文字弱者」の存在を指摘しますと、こう言われることがあります。すなわち、このブログを読みにくる人たちの中にそうした文字弱者が存在するのか、と。今までに何人の人からそういう意味ことは言われました。「わざわざ大多数の読者にとって読みにくいかな書きで書く必要が本当にあるのか?」と。

こういう考え方は、たとえば次のような発想と本質的に違わないと思います。

「この街では車椅子で歩いている人を見かけない。だから、わざわざ駅にエレベータを つけたり、スロープをつけたりする必要はないだろう。」

これは一見してひどい言い分だと分かるのではないでしょうか? 必要なエレベータスロープがないからこそ、車椅子で移動する人が街に出てこれないのかもしれない。「排除されている他者の存在が、私たちによる排除の結果として見えなくなっているのではないか?」という可能性を考えなければなりません。

同じことは読み書きについてもいえます。ひらがなでも書き表せることを漢字で書く ことで、漢字を知らない人を排除してしまっているのだろうし、その結果排除されている人の存在が見えなくなってしまっていることはあるでしょう*2。

だから、「今この場所にいる人」だけでなく、「今この場所にいない人」にも向けて、この場所をできるだけ開かれたものにしていく試みは重要だと思うのです。

さて、先日の記事でいただいたコメントで多かったのが、かな書きの文章が「読みにくい」「読む気がしない」といったものでした。この記事に限らず、私はこのブログでかな書きを始めてから記事を書くたびに同じことを何度も言われてきたのですが、こうした反応はとても興味深いものだと思ってきました。

「読まない」という選択肢もあるのに、なぜわざわざ読んだ上で「読みにくい」と書き込まずにはいられないのだろうか? また、「読みにくいので途中で読むのをやめた」というようなことをわざわざブックマークコメントで報告してくださる方もたくさんいます。私の記事のようなかな書きの文章ではなくても、途中まで読んでやめることなどしばしばあるだろうに、どうして私の記事にだけ、わざわざそれをお知らせしてくださるのだろうか?

前回の記事に関して付けられた200を超えるブックマークのうち、「読みにくい」「読む気がしない」といったコメントをざっと拾ってみたら、これだけありました(他にも別の表現で「読みにくい」ということを言っているコメントがたくさんありましたが、それはまたあとで触れます)。

id:elwoodblues [*あとで読む] 読みにくい

id:baumkuchen555 みんなよく読めるな

id:ezil [考え方][教育][society][education] よ み づ ら す ぎ る \こめんと を かならず みること

id:yosuken [あとで][大学][教育][社会] やっぱ読みにくいな

id: [ネタ] 昔のドラクエみたいな文章で読みづらいぜw

id:zoumurasan [あとで読む] ひらがな ばかりは つかれる

id:Harnoncourt http://ja.uncyclopedia.info/wiki/%E8%AA%AD%E3%81%BF%E3%81%AB%E3%81%8F%E3%81%84%E6%96%87%E7%AB%A0  アンサイクロペディアの「読みにくい文章」。私この人の文章大嫌い。目が滑りまくり

id:makiyamakoji とても よみに くいね

id:feita さすがによむきがおきないね。

id:suzuchu せっかくすごくいい事をいっているのに、読みにくい。漢字を使わない理由のほうも読ませていただいたけど、そっちはただの屁理屈に思えた。

id:hotomaru [教育] だめだ よむきにならない

id:kubodee ひらがなおおくてよめない。 それと たてよみ どこ?

id:kasuga-k [これはひどい] 興味のある題材だが読む気にならない…

id:change-of-pace [社会] たいとるにはきょうみをひかれたがぜんぶひらがなでよむきになれない

id:yatt 読み物 半分読んで止めた。読む気がくじけた。

id:puyop [これはひどい][ネタ][社会] 遅刻常連者を更生できない教師とご学友というレッテルが張られることかな?/それにしても、ひらがなでちょうぶんはよみにくいぞ

id:rs6000moe [カリカリモフモフ][キタコレ][あらあらうふふ] 読みにくいものは読みにくい。わざわざ読みにくく書く人間の不誠実さには頭が下がる。/↑お、恥の文化

id:feita ボクは読みにくいものは読みにくいので素直に言っただけですよ。それ以上の意味もそれ以下の意味も悪意も善意もない。ごめん悪意は多少ある。

お疲れ様でございます。

みなさん、自信たっぷりに私の文章が「読みにくい」ということをご指摘くださって います。

「読みにくいものは読みにくい」のだ、と。それはそうですよね。読みにくいものは 読みにくい、読みやすいものは読みやすい、美味しいものは美味しい、美しいものは美しい、ですよね。

「不誠実」とまで言われました。自分にとって読みにくい文章を書く書き手は「不誠実」ですか? さぞかし良いご身分なのでしょう。

上のようなコメントはいつも頂いているので、もう慣れっこなのですが、今回目を引いたのは fromdusktildawnさんのコメントです。

id:fromdusktildawn この文章を少し読んだだけですごい疲労が襲ってきたんだけど、ブコメをみたら、ちゃんと読んでる人が沢山いておどろき。この程度のストレスに耐えられないとは、オレの脳も老いたか。

この人のコメントは、私が今まで頂いたたくさんの 「読みにくい」というコメントの 中でも、例外的なものです。それは「オレ」というご本人個人にとって「読みにくい」とおっしゃっている点でです。

なお、かな書きの文章が読みにくいはたぶん fromdusktildawn さんの脳味噌が老いたからではないと思います。ちょっとした慣れの問題ですよ(これはあとで説明します)。少なくともとりわけ年を取ってから漢字学習する手間と苦労を考えたら、すでに漢字・かな混じり文の読み書きを習得した人がかな書きの文章に慣れるのは簡単なものです。漢字を使って文章を書き表さなければならない何か合理的な理由があるならまだしも、そんなものは、あとで述べるように、漢字を学んだ人にとってのちょっとした「慣れ」以外にないのは明らかです。

ともかく、私のかな書きの記事に「読みにくい」とコメントする人たちの中で、「自分にとっては読みにくい」という言い方をする人はほとんどいません。つまり、読みにくさの原因が読み手である自分自身にではなく、一方的に書かれた文章の側にあるのだという確信があるのでしょう。だからこそ「私にとってはあなたの文章は読みにくい」ではなく、単に「読みにくい」という言い方ができる。まさに「読みにくいものは読みにくいのだ」というわけです。

そして、「読みにくさ」の原因が読み手自身にではなく、書かれた文章の側にあるという確信を支えている条件とは、「この文章は私以外の多くの人にとっても読みにくいものであるはずだ」という思い込みに他なりません*3。「みんなも読みにくく感じるはずだ」と思うからこそ(多くの人が「読みにくい」と感じているのは事実でしょうけど)、遠慮はばかりなく、自信を持って、ただ「読みにくい」と言える。

つまり、「私にとって」と言わずに、ただ「読みにくい」とだけ言えるのは、多数者によりかかるという姿勢を取る限りにおいてです。かな書きの文章に対し、ただ「かな書きである」という理由で「読みにくい」という評価を下せるのは、それが「一般的に」――というのはとりも直さず「多数者にとって」ということですが――「読みやすい」と信じられている書き方から外れているからに過ぎません。

こうした自らが多数者であることに寄りかかった、いわば権威を笠に着た発想は、次のような表現をとって現れることもしばしばです。

id:Yagokoro [これはひどい] 日本語すぎて読めない。

日本語すぎて読めない」だそうです。だいたい私にとっては、自分が書いたりしゃべったりする言葉が結果的に「日本語」に分類されるかどうかなど知ったこっちゃないのですが、この人はご親切にも(余計なお世話ですが) 私の文章を「日本語」とみなした上で、その「日本語」の名の下に「酷い」と断じるわけです。この、「自分は『日本語』の名の下に他人の言葉を評価できる/しても良い」といわんばかりの思い上がりご立派もんだと思います。

書き言葉であるか話し言葉であるかに関わらず、他人の表現を「日本語としておかしい(間違っている)」とか、反対に「日本語お上手ですね」とか評価を下すことに無頓着な人はよく見かけますけど、こういう人たちは一体何様のつもりなのでしょうか?

なるほど、あなたは他人の言葉を「日本語」とみなすかみなさないかについて権限をお持ちだ、と。そして、あなたがそれを「日本語」とみなすとき、あなたはそれを一方的に評価できる特権をお持ちだ、と。すなわち、相手があなたたちの「標準」と考える「日本語」に一方的に合わせるのが当然だ、と。そう考えているのでしょう。本当に結構なご身分ですわね。

すでに述べたように、私は自分言葉が栄えある「日本語」という位置付けを与えていただこうがそうでなかろうが構いやしないのですが、光栄なことに「日本語」という分類に含めてくださるのだとしても、その「日本語」には様々な書き表し方が考えられますし、実際行われています。書き手がどういう読み手を想定するかに よって、「日本語」は、漢字かな混じり文で書かれることもあれば、かな書きで書かれることもあるでしょう。あるいは、ローマ字で書かれることもあれば、ハングルで表記されることもあるでしょう。点字で書かれることもあります。私は先に述べたような、またリンクした記事で述べてきた理由から、かな書きを選んでおります*4。

たとえば、ひらがなや漢字を知らないけれどもアルファベットには馴染んだ日本語話者同士が、アルファベット表記の日本語でやりとりする場合があります。おそらく、そういった場合には、第三者が横から口を挟んで「君たちの日本語は読みにくい」などとは言わないでしょう。では、なぜ私のかな書きの文章が一部の人を苛立たせ、「読みにくい」「読む気がおきない」といったコメントを誘ってしまうのか?

その理由の一つには、私が漢字かな混じり表記でも書けるのに、あえてかな書き文章を書いていることがあるでしょう。つまり、「わざわざ意図的に読みにくい(と漢字かな混じり文に馴染んだ人には感じられる) かな書きで書いてやがる」という反発があるのではないかと思います。

しかし、そこには 「日本語で書かれた文章である以上、自分たち大多数の読み手にとって読みやすい漢字かな混じり表記で書かれるのが当然だ」という前提が――屈託なしに「読みにくい」というコメントを書き込む人はあんまり自覚していないのでしょうが――あるのではないでしょうか? 普段日本語の読み書きにさほど不自由を感じずに済んでいる人は、「日本語で書かれた文章である以上、自分にとって読みやすいのは当たり前だ」と思ってしまいがちなのでしょう。だから、「日本語」で書かれているにも関わらず、「日本語」の「普通」の読み手である自分たちにとって「読みやすさ」の点で配慮されていないと感じられる文章には苛立たずにはいられない。

繰り返しになりますが、そうして苛ついたときに、屈託なくただ「読みにくい」とはばかりなく言ってのけることができるのは、多数者としての権威を笠に着ることによってです。そのことに私が気付くことができたのは、はてなブックマーカーの皆様方から「読みにくい」というコメントを度々もらったおかげです。私自身別の場面では、同じように多数者の権威権力を笠に着た物言いを無自覚なまましているのかもしれません。

次に引用するのは、コーリィー・フォードという人が1949年に書いたコラムです*5。あえて、かな書きに直して引用します。

 このごろ建物階段は、昔より勾配がきつくなったように思う。蹴込みが高くなったのか、段数が多いのか、何かそんなことに違いない。

 たぶん、一階から二階までの距離が年々伸びているせいだろう。そういえば、階段を二段ずつ上るのもめっきり難しくなった。いまでは一段 ずつ上るのが精一杯だ。

 もうひとつ気になるのは、近頃の活字の細かさである。両手で新聞を広げると、新聞がぐんぐん遠くへ離れていくので、目をすがめて読まねばならない。

 つい先日、公衆電話の料金箱の上に書いてある番号を読もうと後ずさりしているうちに、気がついたら、ボックスから体が半分外にはみ出していた。この歳でメガネなんて考えるだけで馬鹿馬鹿しいが、とにかく新聞ニュースを知りたくても、誰かに読んで聞かせてもらうしかなくて、それではどうも物足りない。最近の傾向なのか、みんながひどく小声でしゃべるので、よく聞き取れないのだ。

 何もかもが昔より遠くなった。私の家から駅までの距離も倍ぐらいに増えたし、これまでになかった丘が中間にできたようだ。……

(訳者注:原文ではかな書きで引用されている)

見ての通り、この文章はは、耳が遠くなり、また足が弱くなった年寄りの、いわば「自己中心的な」視点から書かれたジョークです。これが滑稽に感じられ、ジョークとして受け取られるのは、普通年寄り自己中心的な視点から物を言うことが許されていないからです。

文字を読むのに苦労するのは「活字が細かすぎるから」ではなく、彼・彼女が「年を取って老眼になったから」とされる。また、話し声を聞き取るのに苦労するのは「みんながひどく小声でしゃべるから」ではなく、本人が「年を取って耳が遠くなったから」と される。

だから、普通年寄りは遠慮がちに「私にとっては新聞の文字は細かすぎて読めない」と言わざるを得ない。

同じことは文章の表記についてもいえるはずです。漢字かな混じり文に慣れた多数者は、自分たちが多数者であるからこそ、自信たっぷりに大声で「この文章は読みにくい」と言える。しかし、その一方で漢字かな混じりの文が読めない、あるいは読みにくい人が、大声ではばかりなくただ「読みにくい」と言うのは難しいでしょう。彼ら・彼女らは遠慮がちに「私は読めない/読みにくい」という言い方をするか、あるいは遠慮して「読めない/読みにくい」ということを言わないか、どちらか でしょう。

そうやって彼ら・彼女らに遠慮を強いているのは誰か? それは漢字かな混じり文だけが「まとも」な「日本語」だという常識を作り上げてきた私たち多数者でしょう。

石川准さんの言葉を借りると、多数者は、自分が「配慮されている」ことを都合良く忘れる一方で、少数者への配慮を「特別な配慮」とみなしがちです。石川さんの文章を、今度はかな書きでは読みにくいという一部の人たちに「特別に配慮」して、元の文章のまま引用します。

 もっとわかりやすく言い直すために「配慮の平等」について説明する。

 多くの人は「健常者は配慮を必要としない人、障害者は特別な配慮を必要とする人」と考えている。しかし、「健常者は配慮されている人、障害者は配慮されていない人」というようには言えないだろうか。

 たとえば、駅の階段エレベーターを比較してみる。階段は当然あるべきものであるのに対して、一般にはエレベーター車椅子の人や足の悪い人のための特別な配慮と思われている。だが階段がなければ誰も上の階には上がれない。とすれば、エレベーターを配慮と呼ぶなら階段も配慮と呼ばなければならないし、階段を当然あるべきものとするならばエレベータも当然あるべきものとしなければフェアではない。実際、高層ビルではエレベータはだれにとっても必須であり、あるのが当たり前のものである。それを特別な配慮と思う人はだれひとりいない。と同時に、停電かなにかでエレベータの止まった高層ビルの上層階に取り残された人はだれしも一瞬にして移動障害者となる*6。

あえてかな書きで文章を書くことが漢字の読めない人への「特別な配慮」だとするなら、漢字かな混じりで文章を書くことも、そのほうが「読みやすい」という人への 「特別な配慮」といわなければなりません。反対に、漢字かな混じりで文章を書くことが読み手にとっての「当たり前の配慮」だと考えるならば、漢字の読み書きに困難を抱える人に配慮するのも「当たり前の配慮」です。

要するに私が言いたいのは、漢字の読み書きができるからといって偉そうにするんじゃないよ、ということです。

その上で、この文章を読まれている方に、かな書きで書くことをおすすめしたいと思います。

私は前の記事で次のように書きました。

 さて、明らかに不合理でくだらないということが分かりきったルールを守るということは、権力に屈服するということです。権力に屈服するということは、おそらく多くの人にとってみじめなものでしょう。そうしたみじめさを感じずに生きて行きたいものですね。そして、権力と戦わずにみじめさから逃れるためには、自分権力に屈服しているという事実、不合理なルールに従っているという事実を忘れなければなりません。つまり、実際は不合理なルールに従っているにも関わらず、そのルールが「合理的な理由がある」ものだと思い込めば良いわけです。

これは別の文脈で述べたことですが、実は書いているときに漢字の問題なども念頭に置いていました。

漢字の読み書きにあまり不自由しなくなった人は、そのためにおびただしい時間と手間をかけてきたはずです。また、「あまり不自由しなくなった」とはいっても、それでも実際のところ結構不自由しているでしょ?手書きで文字を書くときに漢字の書き方を思い出せなかったり、パソコンで書くときだって同音異義語があるときにどの文字に変換すべきか分からなかったり。難しい漢字や熟語が使われている文章は、読むのだって大変だし。こうして漢字のせいで余計に辞書を引く手間がかかる。漢字を知らないと恥ずかしいと思わせられたりもする。

そうやってこれまで苦労してきたし、今も日々苦労しているから、その自分の苦労を否定したくないという気持ちになるのは、ある意味自然なことではあります。自分の苦労に「意味がある」と思うために、漢字を使うことに「合理的な理由がある」思い込もうとする気持ちもわからないではありません。

id:chakimar 漢字って素晴らしい。それに気づかせてくれたすばらしい日記

id:te2u こういう発想はなかったな。守って当然と思っていた。/このエントリをみて、漢字が出来てよかったしみじみ思う。

id:qp365 日本語はひらがなとカタカナだけじゃ駄目なことが良く分かる。悪いけど面倒で全部読めなかった

id:zeri やっぱ漢字があると読みやすさが全然違う んだなあと再確認

ところが残念なことに、というか幸いなことに、漢字を使わなければならないという合理的な理由はたぶん存在しません。

たとえば、「日本語同音異義語がたくさんあるから、かな書きでは意味が通らない文章になる」ということを言う人がいます。

しかし、これは物事の順序を取り違えた議論で、「漢字を使うから、同音異義語がたくさんできてしまうのだ」というべきだし、同音異義語を避ける工夫をすれば良いことでしょう。そもそも、同音異義語はどんな言語でもあるのだし、多少それがあっても、文脈で判断できるように書き方を工夫することは簡単です。

実際、話し言葉では、そうやって文脈から判断できる範囲で同音異義語を使ったり、また文脈から分かりずらい同音異義語の使用を避けたりといった工夫はなされているわけです。もちろん、話し言葉では、イントネーションを始めとしてかな書きでは書き表せない情報を含んでいるので、単純には比較できないのですけれども。しかし、わかりにくい同音異義語が多すぎるのが問題だというのなら、新しい言葉を少しずつ作っていけば良いだけの話です。

他によくある誤解はは、漢字表意文字なのでビジュアル的に把握しやすいというものです。たとえば、次のようなコメントもそうした誤解に基づいているのでしょう。

id:koisuru_otouto 漢字って絵文字と同じだから "かな"だけの文章を読み解き辛いのは自分もだしわかるんだけど

ちょっと考えればわかることですが、漢字がかなやアルファベットと比べて特別にわかりやすいということはありません。「漢字は一目でその意味を把握しやすい」と言う人は多いですが、そういう人はアルファベットだったらどうなのかということを少し考えてみると良いでしょう。アルファベットだって同じなのです。

英語を読むのに慣れた人は、たとえば "guitar"という文字の連なりを見たときに、一目でその意味を把握しているでしょう。一方、"kltjautr"といった文字の連なり――これは いま私がでたらめにキーボードを打って作った文字列です――を見ても、ひとまとまりの物と認識することはできないはずです。

つまり、漢字を読むのに慣れた人が、たとえば「雪」という漢字や「弦楽器」といった熟語の意味を一目で把握できるのも、それとまったく同じことであって、単に「見慣れているから」に過ぎません。アルファベットであれ、ひらがなであれ、文字を読むのに適応しやすい体をもった人にとっては、見慣れた単語や連語を、文字単位ではなく、ひとまとまりの語句として認識することは簡単なはずです。

要はちょっとした「慣れ」の問題であって、「漢字そのものの特徴ゆえに、漢字で書かれた文章は読みやすい」という俗説は全くの誤りです。「漢字で書かれた文章は読みやすい」と感じるとしたら、それは単にあなたがそれに「慣れているから」に過ぎません。

(続き)

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