生き方を複数持っていることと、それを自覚的に切替えられることは、精神の健康におけるリスク分散として重要なことだと思う。
増田の言う、いくつかのコミュニティに属するというのは、それを実践する手法の一つだろう。
別の手法として、遠藤周作は名前を複数持つということを勧めていた。
複数の仕事や趣味を持ってそれぞれのカラーに合った通称を使うことで、自覚的に、別の世界にスイッチする・複数の世界を持つことができるということだった。
どこにいるんだろう
だから現代芸術なんだろうけど。「これを理解出来る私ってセンスある」って思っている人たちに向けての商売で、個人的にはちっとも面白いとも画期的だとも思わない。バンクシーが描いたかもしれない落書きみたいのを小池百合子が大騒ぎしたのとかも本当にウンザリさせられた。面白がる人もいるんだろうとは思う。今、地方興行もやっていてびっくりする。そんなに広がっているのかと。
おまえの身銭で雇ってるわけでもないんだから気にするなよ
アファーマティブアクションのあてがえ論は何の問題もないからね。
「自分の意見に近いから心地よい」「〇〇を批判していて立派!」「弱者の味方で偉い!」って所で止まっていて面白い興味深い物が見当たらない。あと風刺する人の自意識が肥大していてウンザリしかしない。
まぁ言ってる本人が一番自分が歪んでることに気付いてるんでしょうけどね
弱者救済ってそういうところよ
弱者は賢くも優しくもないし何も成さないの、破壊すら齎す奴らもいる。そして不満ばかり言いまくる。それがまた新たな不和を生む。
それでも環境を変えたり、飲むお薬を変えたり、自分が混乱してしまう原因から遠ざけたりすることで
ちょっとは働けるような人間になることがあるから弱者を救うことは尊い訳で
そういう意味でどっぷりと付き合える人か、色々あるみたいだけど自分が嫌な思いをしない限りは関係を切るほどでもないなぁと思える人が向き合えばいいと思う
私は弱者ですとインターネットで表明されても、元から人気者でもない限りは同情する余裕すらこちらにはないもの。