はてなキーワード: 菓子とは
特設会場には足を踏み込みませんが、いろいろと買ったりはします。
必要があれば、特設会場でも買うとは思いますが。
バレンタインチョコ特設会場に足を踏み入れられないというよりも
普通にバレンタインチョコみたいなチョコをわざわざ自分で買ってまで食べたい男性がほとんどいないだけだと思うけどなぁ
チョコレートは嫌いじゃないけど、食べるならチョコチップクッキーやエクレアみたいにチョコレートと何かを合わせたチョコ菓子が好きで
その増田だけど、女だよ。
でもあの大量の女で溢れるバレンタインデー特設会場に平気で足踏み入れられる男ばかりじゃないんじゃないかなあと。
菓子業界も「男が自分でチョコ買って楽しんでもいいじゃないか!」と言う風潮を流行らせればいいのにね。
マーケティングの中心を担うオッサンは「男が甘い物買いたがるなんてありえん&男は女の為と言う名目ならすぐ金を出す」
バレンタインに肯定的な男であれ否定的な男であれ
・チョコもらったら同等かそれより重いお返しをしなきゃいけないし
これのどこが「貢がれ」てるんだいったい
この貰う側の立場を理解してないってことは
君は生涯でいっぺんもチョコを貰ったことがない人間かチョコを渡す側かのどっちかだろう
こんな状況下でさらに渡す方が「屈辱的に貢いでる」ような意識なら
なおさらバレンタインなんて誰も幸せじゃなかったってことじゃないの
男も女も菓子屋もだーれも困らなくなった上に
すごく健全なとこに落ち着いたじゃないの
無理筋な男女間の干渉が無くなって困るのは
最近のGIGAZINEがまったく面白くなくなって、どんどん存在感がなくなってるのは
周知の通りだけど、最近のアクセス解析とかニュースヘッドラインとかの画像が
いちいち下品でやばい。
http://gigazine.net/news/20120206-headline/
http://gigazine.net/news/20120131-access/
http://gigazine.net/news/20111230-access/
こんなことしてでもアクセス稼がないといけないほど墜ちた原因は何なんだろう・・・。
それよりも
http://gigazine.net/news/20111031_gigazine_recruit/
>従来の稚拙な記事を読まれて「あの程度なら自分にも書ける」と誤解しているのであれば、
>後々非常に困ることになりますので、くれぐれも勘違いの無いよう、上記の点を肝に銘じておいて下さい。
とまで書いた求人記事から数ヶ月前経つけど、結局菓子レビューとアニメ、ゲーム紹介、
人選がさっぱり分からない(しかも無駄に長いから読む気がしない)インタビューと、
劣化したitmediaみたいなガジェット紹介記事と・・・他に何があったっけ。。
現実的な話ですまないが、時代、国籍、地域、家庭によって味覚ってのは違うのであって、
当然、俺の「おいしい」とお前さんの「おいしい」にも違いがあるんだわ。
日本人で言うなら、うま味…昆布出汁や鰹出しといったアミノ酸系列を他国より重視する。
隣の中国や韓国、東南アジアでは辛みが重要だったりする。ちなみに、俺は辛いの食えない。不味いとか以前にカプサイシンが胃腸に来て吐く。
アメリカのは、甘め。とくに菓子系は激甘。開拓時代に甘い物漬けになったからな。これは日本人で無理ってのが結構いるけど俺はオッケー。むしろイケる。
まぁ、和食に限定しても地域によって赤飯の味がぶれるのは有名所だな。無味の赤飯に塩を振り掛けて食うところから、赤飯自体これって餡子じゃねーのってぐらい甘い所まである。
有名どころでは卵焼きに何掛けるかとかは家庭どころか個人で違ってくるわな。
地域によってカップ麺ですら味を変えている訳で、自分の「おいしい」を他人も「おいしい」と感じてくれる保証など全くないのさ。
水の電気分解をする際に、塩(塩化ナトリウム)を投入するだろ?
あれは、イオン交換の効率が上がって実験が早く進むからなんだが。
それを予見して、適切なナトリウムを投入するなんぞ実験の手引きが無い場合、総当たりでグラフ書くしかないわな。
実際、時間が有ったらそういう実験をさせてみるのも面白いと思う。
さておき、料理人と呼ばれる人たちは、それぞれの生の味、それを焼いた時、煮た時の味などの引き出しを持っており、
その中から、「店の味」になる素材、料理法を組み合わせて客に提供してるわけ。
そんなん、ご家庭で簡単にできてたまるか。
まぁ、そんな料理人も大量に料理作って、失敗して、それが経験になってる訳で。
まずは、レシピ通りに作るってのは基本なんよ。
料理が苦手って人の多くはそんな考えをするわな。
鼻歌交じりに材料切って、焼いて、鍋に放り込めば出来上がり~♪ とはいかない。
材料を切るにも後工程(焼く・煮る)、火力(ガスコンロ、オーブン)によって切るサイズが決まる。
焼く際には、温度と時間が必要。化学的にいけば、素材によってメイラード反応温度が違う上に熱伝導率も異なる。
熱伝導率は素材の形状によって調整してある為、集中するべきなのは温度と時間である。という事になる。
煮る場合も大体同じ、この場合は、苦み、えぐ味の元になる水溶性たんぱくが熱変性して浮かんでくるので、和食では取り除くことが多い(灰汁取り)。
そんなん、レシピ通りに進めた方が楽に作れるに決まっている。
パンなんぞ、分量間違えるだけでイースト菌が全滅して発酵せずにゴミ箱行きだ。
カレーを作れば水を入れすぎてカレースープ 記載されている作り方のとおり作ってもらえればいいのに、そのマニュアルを読まない 生ラーメンもゆですぎてトロトロラーメン まずっ タイマーかけろといってもかけない 出来ることはお湯を温めるだけ 本当に 俺がいないときはインスタントカップ麺ばっかり あとツナ缶 お米を炊いてあれば、漬物だけで済ます ガスを使う料理が出来ない 卵焼きも出来ないときた 焦がす焦がす
こんな状態なら、適当に作ったものとレシピ通りに作ったもののどちらが美味いかなんぞ明確だろ。
横だけど。
嫁が真面目に訓練受ける気になるなら、そりゃどうにでもなるんだろうさ。
元増田の文章読んでる限り、嫁がそういう気になるとは思えんけどな。
料理できるようになる必要も感じてないんだろう、嫁は。
カレーがカレースープになろうが生ラーメンがトロトロになろうが、一向に改善しようとしないわけだろ。
いい大人になっても毎食カップラーメンで問題ないなんて手合いは、そもそも「食」への意識が低いんだから
「たかが喰い物」に「お湯入れる」以上の手間ヒマかけるのバカらしいんだよ。多分な。
信頼関係とやらも、あるようには読み取れんし。
http://d.hatena.ne.jp/potato_gnocchi/20111203/p1
を真に受けるとバカを見るよ、という話。
とは別の処で、↑みたいな意見を目にすることが多いと思う。
つーか、OB訪問とか知り合いの社会人とかにも言われると思う。
が、信じるな。
社会人の言う「個性を見せて欲しい」とか「型にはまってツマラン」とか「おなじに見える」というのは、
「AKBは全員同じ顔に見えてツマラン」レベルの話をされてるんだと思っとけ。
チョコエッグって覚えてるか?
企業は欲しいのは、アレのレアなやつだ。マッコウクジラとダイオウイカが絡んでる奴とかな。
決して、規格外のが来て欲しいわけじゃない。
『リラックマ いちごスイーツパーティー』を集めようとしている時に、『ブローノ・ブチャラティ』が来たら異様だろ?
並べらんないだろ?
そりゃジョジョで揃えてるんだったら、スティッキィ・フィンガーズみたいのが欲しいとか、リサリサ来ないかなあとか言うのは判る。
判で押したように「空条承太郎」ばっかりきたら「Part3だけがジョジョじゃねーだろ!」と言いたくもなる。
しかしだ、だからといってお前の普段を見せようと思って「アイアンマン」持ってったら、「個性を履き違えている」とかしたり顔で言われるのがオチだぜ?
「うちにはキミみたいなのは合わないと思う」とかマジで言われるし、言ってる側も善意で言ってたりする。
だから、そういう「個性を見せて欲しい」とか「バイトとサークル以外のなんかないの?」っていう話は、
要は「ホントのとこ言ってくれよ、勉強して無くて通り一遍にしか遊んでない十把一絡げは落としたいから」が本音だ。
才能があるなら良い。
その才能が自社に欲しいと思う企業は必ずあるし、流石に企業もそこまで落ちてない。
自分に特殊な能力がなく、「スタンド使えねーかなー」とたまに思うようなヤツは、無難に行っとけ。
面接を数こなすと自然に対人折衝能力はあがるし、そういう人材が必要な企業も日本にゃまだまだ多い。
橋下徹弁護士が昔金髪だったのを既に思い出せないように、日本の社会にはそういう「言わなくても普通判るだろ」っていうルールがある。
間違っても普段の自分を見せようと思って、「スーツじゃなく普段着でお越しください」って処にジャージで行ったりするな。
元々大人しい性分ではなかったが高3から浪人時代、ひどく荒れた。
合否発表の日は郵便がくるのが嫌だと郵便受けに石を詰めたり郵便物に火を付けようとしさえした。
家の鍵が掛かっていれば玄関を蹴破って家に入り、ムカつくと大声で罵詈雑言を家族に浴びせ窓さえ蹴破った。
全て落ち浪人時代も2chの大学受験板ばかり見てその受け売りで再び受験に望み、
親がたまたま複数日程を出願した大学のみ合格し不承不承入学となった。
バイトが決まらないとか学校が遠いとかこんな田舎に住みたくないとか不平不満や罵詈雑言はあるものの
週三日学校に行けばいいとかで単位もそこそことって4年はゼミはとらないそうだ。
かといって家で見る限りskypeのようなボイスチャットで遊んでいたり、
mixiで偽アカウント作って「釣り」をしてボイスチャット仲間と観察して夜遅くまで遊んでいる。
義務的に最小限に学校に行って帰りに銀座や表参道など高級菓子店で自分の為にケーキを買ってきて(ふらっと買える)そういう生活がしたいという。
これから試験があるそうだが傍から見て一科目だけも受からないだろう。
就職活動だって大学受験と同じに一覧表があってその通りに受けていけばいいと思っている。
公務員ならスケジュールが予めある程度予測できるが、民間はそうはいかない。
これからまた弟が荒れて家の中が文字通りめちゃくちゃになると思うと、
ちなみに各種機関に相談したが、「xxについては○○へ」とたらいまわし状態で本人に病識がないと病院も受信できない。
また(住んでいる)家を捨てて家族でどこかに逃げろといわれるがそうして残した家で失火したら誰の問題になる?
引っ越して縁切って終わりにはならない。
その女の子がどういう女の子かわからないけど、女の子に勧めるなら桜庭一樹作品が良いと思う。
最近直木賞取った作家だからオタクコンテンツに偏見があったとしても抵抗が少ないし
お気楽なエンターテインメントが良ければ「GOSICK」を、重めの話が良ければ「砂糖菓子の弾丸は撃ち抜けない」を勧めてみてはどうだろう。
「少女には向かない職業」も良い。
・どこに行く時も文庫本を手放せない
・暇な時はつい、辞書やチラシ等、手近にある活字を目で追ってしまう
・本を買う時はつい、文字数÷値段でコストパフォーマンスを計算してしまう
http://www.nikkei.com/news/latest/article/g=96958A9C93819491E0EAE2E2E38DE0EAE3E3E0E2E3E3E2E2E2E2E2E2
このニュースをお笑い芸人たちは「シャレがわかってない」「つまらない事をした」などときっと擁護するのだろう
しかし考えてほしい
芸人たちはよく「素人から芸をしてよと言われるけどそれは仕事だからただでやる事はできない」などと言っている
それと同じ事だろう
元となった「白い恋人」はブランドとして名前で仕事をしているのだ
そもそもシャレでやるのであれば事前に確認を取りロイヤリティを払えばよかったのではないだろうか
これは訴えられたという事はロイヤリティを払う訳でもなく許可を取ったわけでもく名前を使用していたという事だろう
あきらかに「シャレ」などではなく商売なのだ
「シャレ」や「空気を読め」といった自分のルールをみんなのルールとして「笑い」という幅を縮めている芸人は辞めてほしい
という防衛線をはっておきたい
この先このような事を言う芸人が出てきた時のために
http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20110908/222523/
両者はオタクとヤンキーくらい(根本こそ共通しているけれども)実態は全く別のモノだと思う。
中二病というのは、元はといえば
日常生活に支障をきたすレベルでアイデンティティに深刻なダメージを持っているものが
空想レベルでもいいから、とその傷を癒すためにやむを得ず取り入れた空想じゃなかったのか。
文章中に示されていた「懐の中の剣」がちょうどふさわしい例だと思う。
基本的に実行に移されることはない無害なものだ。ほうっておいても問題はない。
興味があったら相手にしてやる、程度でいい。
そういう意味で某ラノベの「砂糖菓子の弾丸」という表現はとても的確だったと思う。
毒電波からロボットまで色々あるけど、非力な人間の空想に過ぎない。
オッサンたちが「中二病」というのは明らかに問題がある。
確実に有害である。ほぼ確実に行動に移され、よろしくない結果をもたらすからだ。
そこには中二病のように空想でとどまらないプラスアルファの何かがある。
生暖かい目で見守っていたら、本人だけでなくこちらまで迷惑を被る。
ましてそんな「オヤジ×中二病」が集団をなして何かをなすときたらこれはもう並の宗教より危険だ。
宗教だって基本的にはトップがお金儲けする以外は信者は妄想たくましいだけのおとなしい人間だが、
「オヤジ×中二病」集団は、おとなしくしていることは考えられない。
85歳のヤンキーが最大手メディアのトップというこの国はいろんな意味で愉快すぎる。
20XX年には核の炎に包まれてヒャッハー化することを期待。
一人のAC体験の先輩として、この問を否定する内容で記事を書く。
今葛藤の真っ只中にいる人には、すぐには受け止められないと思うけど、何かしら伝わるものがあるといいな。
アダルトチルドレンは深刻な問題ではある。
特に「完璧主義」はアダルトチルドレンに共通する特徴であり、これがACの回復を著しく困難にする。
他者からの評価を押しつけられ、自分の感性を極端に否定され続けてきた人間は、自分の現状や目標を自分で設定することに困難を覚える。
「求められていることをこなしている」間はすごく頑張るのだが、少しでもそこから遅れをとったり、間違いを指摘されると急に動けなくなってしまう。
あるいは、外面上は完璧にできていることを装うために、不都合なことを隠しがちで、いわゆるホウレンソウがしっかりできないとサれることがある。
これを、なにもしらないオッサンたちが「最近のこどもはひ弱だ」というが、根本的に間違っている。
また一般的に指示待ちとかアスペと言われる現象もACに起因することが多い。指示内容が不十分だったり曖昧だと、行動しなかったり戸惑ったりする。
自分からイニシアチブを設定することができないほか、権威のあるものに認めてもらわないと行動ができないのもACの特徴とされる。
(実際はそれだけじゃないんだが、ACの人たちは、すべての問題を自らのAC体験に還元してしまう傾向があるため、これを無視することはできない)
AC問題の恐ろしいところは、一度はまると加速度的に状態が悪化していくため、回復が不可能に思えてくるところだ。
ACの人間は、上記のようにACでない人間にはまったく理解出来ない「ささいなこと」で躓き、そしてそのことをいちいち深刻に受け止めがちだ。
世間のACでない人間からは「ささいなこともできないやつだ」として無能扱いをされると、ただでさえ完璧主義なのに、ますます自己イメージが低下し、無力感に囚われて何もできなくなってしまうケースが多々ある。ひどい時には、動けなくなり、ACが関係ないすべてマイナス要素を自らのAC体験に還元することで自分を慰めるしかできないような人間になってしまうこともある。私も一時期この罠にはまりかけた。数年間何もやる気が起きず、ひきこもり続けていたりもした。
それでも何とかなった。その体験から、ACはあくまで認知の歪みであり、その気になれば抜け出せると思っている。
というのを前提にして、一昨日くらいに話題になった記事の感想。
過渡期というか、正念場を過ぎて言葉を発することができるようになった状態だな、と思う。
確かにこの人の母親の歪みは事実だろう。そして、それによって書き手の人が傷ついたのも事実だろう。
でも、その事実にいつまでも支配されなきゃいけないものなのだろうか。
この人は母親の歪みを過去ではなく現在進行形で自分に悪影響を与えるものとして語っている。
表現の端々ではもう過去のことだとか、自立したとか言ってるけど、また囚われている感がある。
しかし困難を感じつつもなんとかその過去のつらい思い出を整理することで、今の自分との間に距離を設けようとしている。
過去が辛かったから今の自分がこうなんだ、とは言うまい、と前向きに考えようとしていると思う。
当然その途中の段階だから、余計なおせっかいを焼きたがる人もいれば、「それは正しくない」という人もいるようだが、
書き手の人はそのうち先の段階に進むという予感がある。
きっと、すごく、頑張ったんだなぁ、と自分の体験に合わせてしみじみと感動する。
問題は、彼女に便乗して「私がアダルトチルドレンになった体験を聞いてくれ」に始まり「今私がダメなのも親のせいだ」って擦り寄っている人たちだ。
yuhka-uno さん、thor さん、私はあなたの味方です。私はあなたの仲間です。
あなたがた二人が何を思おうと、なにを言おうと、なにをしようと、
ほかに世界のどんな人たちや思想や宗教や、あなたがた自身があなたを否定しようと
また、私の頭できるだけ客観的に考えても(純粋な客観なんてそもそも存在しませんが)
この世で少なくとも誰かひとりが、
(中略)
同じく私は宣言します。
ここでyuhka-uno さんに対して、
批判的なことや否定的なことを書いてらっしゃる方々。
あるいは書かずとも、心に批判的なことや否定的な気持ちをお持ちの方。
あなたがたがどんな常識や、論理や、手段や、量的な優位性をもって
yuhka-uno さんを批判したり否定したり、
反論するし、私の心の中には、
あなたがたに反論し続け、反論し切るだけの想いや、
あなたの言っていることは多数派の社会の常識に沿っていて、そういう意味では正しい。
だけど、間違った育てられかたをした人は間違っていて当然であり、それを矯正するために「親は間違っていた」と言って自分の歪みを直そうとしているところに首を突っ込んで何が得られると言うのでしょうか。
歪みをただそうとしている手段を封じて、甘えずに直せとは、言っていることが矛盾しています。
黒さんが見ている世界は、頑張ればできる人間しか生き残れない、恵まれた世界です。
自分が駄目だと思い込んでいる人間は、生まれてから何十年もずっと自分は駄目だと思い続けてきたような人間ばかりです。
少ない努力で報われた経験を積み重ねた人は、自分が正しいと思い、成功経験を積み重ねていきます。
どれだけ努力しても報われない人は、自分が何をやっても間違えると思い、罪悪感を積み重ねていきます。
そして、少ない努力で報われる才能溢れた人たちは、自分の努力がこんなに大きな成果を上げたから自分は正しい、
同じだけの成果が出せないのは自分より努力が少ないからだと言って他人を説教したがります。
本当に不幸な目に遭って苦しみ抜いた人ほど、どれだけ努力しても報われない人がいることを体験から受け入れており、できない人に甘えだ怠け者だと言って追い詰めたりしません。
なんというか、いじめられっ子が、他にも孤立した人を見つけると擦り寄って集団をつくろうとするのに似ている。
その人が仲間を求めているかなんて分からないのに、自分がいじめから救われたいばかりに「私はあなたの気持ちがわかります」といって勝手に仲間ヅラをしているようなそんな感じ。
そんな「ぬるい連帯」をyuhka-unoさんが本当に求めているだろうか?
私は本文を読んで全くそうは感じなかったが、彼女たちは切羽詰まってるからそんなこと考えたこともあるまい。
断言するが、彼女たちの求めてるものと、yuhka-unoさんが求めているものは違う。ぜんぜん違う。
実際に、彼女らの過剰な摺り寄りに対してyuhka-unoさんが、慎重に切り分けを行っているのだが、
そこを読もうとせずに、人の庭でぎゃあぎゃあと騒ぎ立てるのは醜い行為ではないだろうか。
過去が気の毒であったことはわかるが、それを盾にして現在の自分を正当化し、しかもその恨みを世界にばらまかずにはおれない苦しみ。
対等に話ができる状況で、自分たちを意図的に低い位置におき、相手に譲歩をねだるその卑屈さ。
同じAC体験者として気持は痛いほど良くわかるけれども、それは決して私たちが「一般人」と呼ぶ人には伝わらないのだ。
そうやってコミュニケーションを取ろうとすれば、こじれることはあっても何かが良くなることなど絶対にありえない。
ただ自分が嫌なことをされたから、それを返そうという機械的な反応をしているに過ぎない。極めて非人間的だ。
自分たちが醜くて卑しい存在であるということを承認してもらいたいのだろうか?
「醜くて卑しいけどそれは親のかけた呪いのせいだ」というのを他人に認めさせれば何か状況が良くなるのだろうか?
「毒になる親」とか「良心を持たない人たち」を読み返し、AC仲間で共有しあって、自分たちを哀れんで、それで自分の世界が少しでも救われるのか?
いや、哀れんでもいい。「自分たちが悪かったのではなかった」という確認はとても大事だ。
でも、なんでそこで立ち止まっちゃうわけ?なんでそこから先に進もうとしないの?
甘えるなとか言いたいわけじゃないけれど、純粋に疑問だ。そこで立ち止まってて幸せなのかい?
幸せならそれでもいいけど、前を向いて進もうとしているyuhka-unoさんを、自分の惨めな人生に引っ張り込もうとするのはやめたほうがいい。
「なんか嫌なものねぇ。」と多惠子さんが言った。「胃が痛くなってしまう」
「やっぱり?」とわたし。「後味悪いよね。まるであたしがいじめたみたい。」
「私はできるだけ、あの子にも気を配ったつもりだったんだけれど。」
「あたしだってずいぶん我慢したわよ。」
「お互い不幸になってしまう。」
「もっとひどい不幸から逃れるために、あたしを引っ張ったのよ。二人で一緒に耐えましょうってなもんでさ。」
「でも、つっぱねなかったんでしょ。」
「めんどうくさくてね。」
「わかる・どっちにしても、自分じゃないような。」
「そうそう。」
「かかわること自体、間違いであるような。」
「そうそう。」
「どうしてあげればいいのか、わからないわ。」
「わからない。でも、あたしが彼女の望む通りになって一緒にかばいあったとしても、彼女は本当には幸せにはなれない。それはわかる。」
過去に自分を支配させるな。あなたたちの語る言葉には過去しかない。現在も未来もない。それじゃあもったいない。
どれだけAC同士で傷の舐め合いをしても、傷が癒されることは絶対にない。
「西洋菓子骨董店」とか読め。過去を修正したり、傷を治そうとするんじゃなくて、
もうそれはどうしようもないものとして受け入れて今の自分と向き合ったときに、初めて前にすすめるんだ。
ちなみに先ほどの引用には続きがある。
「正しいのは、実はあの子かもしれない。」
「本当にそう思う。みんな他愛ない話してるじゃない。平和でいいな、と思うことある。」
「みんな決して悪い子たちじゃない。楽しそうにしてるよ。もしかしてそれがしあわせってやつかもしれないって。
だけど」
詰まってしまった。多恵子さんも沈んでいた。
その後の気持ちは、今の万倍の勇気を出してさらけ出さないと、言葉にできそうもなかった。
今の自分は、まだそこまでの成長を、幸か不幸か、していないのだということを思い知った。
yuhka-unoさんはこのことを自覚して、勇気を出して先に進もうともがいている。
引用した二人は中途半端な状態でそこそこ満足して立ち止まっている。
二人の将来は交わらないところにある。 そのことを自覚したほうがいい。
アダルトチルドレン問題は深刻ではあるがあくまでもそれは傷痕であり認知の病だ。
それに屈するのも、それを克服して先に進むのもあなたたち次第です。あなたたちの責任です。
アダルトチルドレン問題を中途半端に知って、自己正当化することを覚え、そこで成長を止めてしまった人間は、
そういう人同士で傷を舐めあって生きていればいい。いつまでも後ろを向いて嘆いていればいい。
しかし、その地点にとどまらないで、成長しようとする人の足をひっぱるのだけはやめてあげてください。
そして、願わくば、あなたたちも、今の地点で十分休んだら、立ち上がって前を向いて歩いてください。
大事なのは、肯定するのではなく、過去をひとまずそういうものとして受け止め、そこから未来を考えること。コレしかない。涙が出るほど悔しいけど。
最近、気づいたのだけれど、どうもブログを書いていると馬鹿になっていく気がする。
いや、自分に限らず周りの人を観察していても、大体そのように感じる。
まず前提としては、ネタと呼ばれるのを探す行為はインプットである。
「インプット>アウトプット」の比率の状態が続くと、情報を消化していくことにならず、消化不良を起こす。
だから、情報系のブログを運営している人は、題材を探すあまりにたくさんのサイトやブログに目を通し、
脳みその中がどんどん劣化していっている気がする。実際、不必要なものを取り入れているので、当然だと思う。
例えば、体を鍛えると言いながらコカ・コーラやピザや菓子類をつまみ食いして、食べていないよ><と言い張るようなものだ。
学んだことをアウトプットの為にブログに書く、というのが有効なのは極一部のジャンルに限られる。
プログラミングのブログなら、とても有効だと思う。読者から色々コードのツッコミが入ったり、また、コードや制作物で
実力が分かったりして、リアルでの交流・転職・ブランディングにも役立つように感じる。
書評ブログをビジネスとして書くのなら、ニーズがあるだろうし有効だろう。
でも、勉強のために書くとしたら、時間の無駄でしかないはず。書く暇の分を、実践に回せば良いし、
そもそも他人に見せるものでもないだろう(本の片隅にでも、ペンで書いておけば済むし)。
遊びで書くのなら良いが、役に立つはずと思って書くと、大体馬鹿になっていく。
見た目の良さは度外視している。
本当にずぼらでめんどくさがり(しかも貧乏)だが、できるだけ清潔に便利に(そしてできれば健康に)暮らしたいという人向け。
そんなの今更目新しくねーよってことばかりだけど一応。
俺は、めんどくさがり屋だが、それ以上にパンクしやすい人間だ。
ゴミ、未実行の工程(畳む、拭く、しまう(直すってのは方言らしいです、すまん))などが貯まると、パンク、というかショートして何もできなくなり、どんどん散らかり汚くなっていく。
だからできるだけ、工程を減らしつつ、ひとつひとつの工程のハードルを低くしつつ、散らかりにくくすっきりした暮らし方を目指している。
■オサレじゃなくていいが、すっきりと清潔にしたい
■できるだけ自炊したい(俺は人工甘味料で腹を壊しやすい体質だし、カップラや弁当を食い過ぎるとニキビができるからな)
■↓意外ににめんどくさくないこと
金のある人はもちろん外食やなんかでもいいんだが、俺は如何せん金がない。
メンドクサイ→外食、ってできればいいんだが、それができない。
メンドクサイ→でも金無い→カップラーメンとか安い弁当→体調壊す、ってなっちゃうんで、
体に良い(マシ)なものを、いかにインスタント食品のように簡単に(できれば美味しく)食すか、という風に工夫している。
ご飯やスープを冷凍していれば、カップラーメンをたべるのと同じくらいの時間で、腹を満たすことができる。
■↓失敗した!!
■↓これから引っ越したり、新生活をはじめるやつに言いたいこと
続ける秘訣は在庫を切らさないこと、つまりはまとめ買い、かもしれない。
アルコールティッシュなんかも、
なくなる→詰め替えがない→買い忘れる→また買い忘れる→なんとなくヤル気失せる、
ってなっちゃうんで、クイックルワイパーとか、アルコールティッシュなんかは買いだめが良いです。
■追記(11/08/29)
もちろん何もかも習慣化してシステマチックに動くのが一番良いかもしれない。でもなかなかできない、ずぼらだから。でもできるだけ頑張ります。
服も何度もたたもうとしたんだが、
最初は調子よく畳む→忙しくなったりで畳めてない洗濯物がたまる→パンクする、ということの繰り返しになってしまう。
確かに俺はずぼらに見えないかもしれない。
でも俺はハウスダストアレルギーと弱い腹の持ち主なので、ある程度きれいにしておかないと、鼻水下痢お化けになってしまうのだよ。
その条件下でいかにサボるか、という風に生活していたら、こういう感じに落ち着いた。
実際俺は、一人暮らしを始めて2年くらいまでは、半年に1度くらい必要に迫られて大掃除をするだけ、六畳間が一杯になるほどゴミを貯め、食料を腐らせ、食器をカビさせ、洗い物のたまったシンクから腐敗臭をさせ、あらゆる粉類をこぼしまくり、出したものは出しっぱなし、服は床に山のようにぐちゃぐちゃに…という生活をしていたのさ。もちろん友達なんか呼べねぇ。生活の質も著しく悪い。台所がちらかって料理できないから、出来合いのものばかり食って腹を壊し、大事なモノもすぐなくす。毎日ホコリやカビのせいでかゆいし鼻水だらだら出るし。
これはそういう事態を改善するための最低限の習慣なんだよ。
そしてこれは、そんな俺にできる精一杯のことだ。はっきりいってこれ以上やることを増やすと、パンクして元の状態に戻ってしまうだろう。
まあ、ずぼらに思えないわな。真のずぼらのみなさん申し訳ない。
なんというか、別にホコリで痒くなったりしないし、腹も壊さないし、ニキビもできないし、ものをなくしたりしない人ならば、
掃除とか整理整頓とかしなくていいんじゃねーですかね。こういうのは必要に迫られてる人だけすれば良いというか。
俺も数年前までは、自分はそういうことが必要のない人種だと思っていたし。
でも、あまりにも常に鼻をずーずーやっていて目が充血、ひどい時には喉がピーピーなりだすので、
こりゃなんだろうと病院へ行ったら、ひどいハウスダスト(その他あらゆる花粉)のアレルギーだったことが判明したのですよ。
それで、抗ヒスタミン剤なんかを飲んでやりすごそうとするんだけども、眠くなったり、ホコリとかダニが多すぎて薬が効かなかったりやらで、
それに、脂漏性皮膚炎という皮膚の病気と、脂っぽいものと甘いものですぐにニキビだらけになる顔の持ち主なんで、
ところが、小さい頃から母に、
「出したものはしまいなさい!」「服を脱いだら洗濯機に入れるか畳みなさい!」「蓋を開けたらしめなさい!」「ものをこぼしたら拭きなさい!」「部屋を片付けなさい!」を、
家を出るまで言われ続け、1度もできたことのなかった俺なので、本当にできないんですよ。
「ふっ。本当のライフハッカーにゃ特別な道具なんていらねー。砂糖の袋なんか洗濯バサミでとめときゃいいんだよ」
とか思ってやってみるんですけど、その一手間「洗濯ばさみで袋を閉じる」ということが出来ず、開けたまま放置、湿気て塊だらけにした挙句、こぼす。
野菜食おうと思って野菜炒めとかつくるけど、思ったより野菜食えない割に手間かかるし美味しく作れないし、ですぐにやめる。
そんなかんじで試行錯誤してるうちに、いきついたような感じです。