朝いつも通り会社に向かっていたのだが、駅を降りた時点で軽い便意があった。
駅のトイレはいっぱいだったため、徒歩10分弱の会社まで我慢する事にした。
しかし途上、急に便意が強くなるものの、コンビニにはトイレは無い、急ぎたくても走ると漏れそうという状況で、約5分、会社まで速歩き。
永遠の道程に感じたのは言うまでもない。
やっとたどり着き、角を曲がればトイレというところまで来たが、最後の刺客登場。
狭い通路をその男はゆっくり歩く。
トイレを目前にした安心感と刺客の牛歩戦術による苛立ちから俺の肛門括約筋は脆くも崩壊し、トランクスにうんこがぶちまけられた。
あー・・・間に合わなかったか・・・
生涯二度目のうん漏だ・・・
前やったのは小4だったか、小5だったか。
もうあの時の倍以上の年齢になっているというのにまたあの時の気持ちを味合わなければならないのか。
もうやだ帰りたい。
でもこのままでは帰る事すら出来ない。
どうしたらいいんだ・・・。
落ち着け、落ち着くんだ。
こういう状況では決断を遅らせる程状況が悪化していく。
まず状況を正確に把握しなければ。
トランクスはとてもじゃないが、もう履けない。
ということはトランクスを秘密裏に処分し、新しいスラックスを調達せねば。
だがどうやって?
という事はなんとかこのスラックスを履けるようにしなければ。
不幸中の幸いか、うんこが付いているのはごく狭い範囲だ。
まずはトイレットペーパーで丹念に取り除く。
今はこれが限界か。
次はトランクスの処分だ。
手洗い場の備え付けのゴミ箱に捨てるしかない。
しかし今は通勤時間帯、慎重に行かねば。
メタルギアソリッドをやってる気分だ。
俺もメタ視点が欲しいぜ。
足音がしなくなったタイミングを見計らい、そっと外に出る、誰もいない。
しかも都合の良い事に他のゴミで十分満たされている。
これなら発見される可能性は低いだろう。
とりあえず上着と荷物を席に置いてスラックスに付いたうんこ及びその臭いをなんとかしなければ。
エレベーターは臭いが充満する。
階段で行こう。
やっと自分の席に着いた。
上着と荷物を置き、再度トイレへ。
ペーパーにハンドソープを染み込ませ、うんこの付いた所を擦った。
うん漏した時に一番気をつけなければならないのは臭いである。
前回それを知らなかった自分は何喰わぬ顔で教室に戻ったら、クラスメイトに指摘されあっさりバレたという経験が活かされた。
俺はできるだけ隣の席の人から遠い位置に座り、できるだけ下半身が机の下に隠れるように背もたれに寄り掛かった。
なんだか偉そうな姿勢になってしまうが、背に腹は代えられない。
もしもっと俺の職場がお互いに気を使い合う暖かい職場だったら、こんな俺の異変に気付いて、同僚は声を掛けて来たかもしれない。
さらに言えば今俺はノーパンである。
うっかりチャックを開け放したりするようなことがあれば、ポロリとなり、即変態決定である。
しかしなんとか午前中を乗り切り昼休みに。
折しも空は雪模様、俺の恥辱を雪ぐにはうってつけの天候である。
まったく俺はラッキー。
スーパーに着くとこじんまりとした衣料品売り場があり、俺は心底ほっとした。
勘違いでは無かった、と。
スラックスをチェックしたが、ちょうど良いサイズのものが無い。
しょうがないので、大きめのものと小さめのものと両方買った。
そんな事でボロを出すわけにはいかないのだ。
どちらも今日履いて来たスラックスとは色が違うが、不機嫌な職場法則で、一々誰がどんな服を着ていたかなど誰も覚えていない。
だからそこはあまり気を使う必要は無い。
レジに向かうと店員のおばちゃんが、「お客さんいい買い物したねぇ、今日は7割引きだよ」とか言っていた。
はは、ホント今日の俺ってついてるらしいね・・・。
履いてみると小さめの方がどちらかと言うとフィットした。
後はもうこれで定時まで仕事をこなせば済む。
もはやうんこを漏らした今日という日はアンラッキーなのかラッキーなのかわからなくなっている。
だって考えてもみろ、今日の朝うんこを漏らしていた男が昼過ぎには何ごとも無かったかのように働いているのだ。
これをラッキーと言わず、何と言う。
そして定時を迎えた。
俺はかつてうんこが付いていたスラックスの入ったカバンを持ち足早に会社を出た。
やった、乗り切った。今日という日を。
しかし油断するな。
「家に帰るまでが遠足です」
そうだ、家に帰るまで油断は出来ない。
決して満員電車には乗ってはいけない。
各停で帰らなければ。
そして駅前の、いつもとは違うクリーニング屋にクリーニングを出そう。
嫁にだってバレてはいけないのだ。
なんとかクリーニングも出し、やるべき事は済んだ。
はあ・・・、それにしても今日は大変な一日だった。
なんとか乗り切れたのはもうほとんど奇跡と言って良いレベルだろう。
さっきも言ったが、ラッキーなのかアンラッキーなのかわからない。
だが人間うん漏くらいならなんとかなる。
しかもなんだか問題解決能力が上がった気がする。
これはもう本を出すしかない。
これだ、ベストセラー間違いなしだ。
アフィリ叩く奴も自分が仕事で収入得ることは否定してないだろうし、「嫌儲」というレッテル自体がミスリードなんじゃないかと思う。
「どのような手段であれ儲けることは絶対悪」という人なんかネットでもネット以外でも見たことないし。
悪かどうかは儲ける手段によるということなら儲け批判というよりその手段批判と見るほうが妥当なはず。
絶対、違う。
バカをみた理由は「正直だから」とか「真面目だから」とかじゃなくて、「バカだった」からだろうが。
正直や真面目が原因みたいにいうなよ。
バカをみた原因は、よく知らないのに手を出したり、考えが足りなかったり、安易に信じたり、甘く見積もってたり、
つまりはバカだからだよ。
知ること、考えること、疑うこと、想像すること、
そういうことを放棄したから、バカを見た。
そういうことをしないから、バカのまま。
みなさん概ね「バカを見た理由は正直だからではない」という点は同意していただけてるようで嬉しいです。
みなさんのご意見を読んで思ったことを、簡単ですがいくつか書きたいと思います。
もしかしたら自分をさらけだすこと自体が、ハイリスク・バカなことで、
うそをつくことはローリスク・賢いことなのかもしれませんが、
そう思いたくない自分がいます。
「正直(バカ)だからバカをみた」とつじつまがあってしまうけれど、
それでもやっぱり、正直=バカとは思いたくないです。
結論でてません、むずかしいです。
http://d.hatena.ne.jp/moguusa/20090308/1236499645
バカをみないために「知ること、考えること~」を追求するのは、たしかに少々現実的ではないかも…。
楽な結論におちいる気持ちも、痛いほど理解できます。
たとえバカを見ても「自分で判断した」ことと「自分はここまでしかしてなかった」と反省することはせめて
していきたいですね。(バカ定義追加→ 以前の失敗を糧にできない)
http://d.hatena.ne.jp/hrkt0115311/20090308/1236491217
構造や運用に問題があると正直者がバカをみることもあるよ、というお話。
現実、自衛だけじゃ防げないものもあるから、そういった「落とし穴」を共有したり
みんなで埋めあったりできたら本当に素敵です。
そしてそれができるのは今のところインターネットだけかも、と思いました。
(だけどバカって、どんなに小さな落とし穴でも平気で落ちる気がするんですよね…)
「大企業批判=善」と書いてなくても「大企業批判=善」と思ってるから「大企業批判=嫌儲」という人が嫌儲け擁護に見えるんじゃないのという話をしたんだが。大企業批判が善じゃないとおもってるなら、「大企業批判=嫌儲」という人がいても、その等式は成り立たないという指摘はしても擁護とは思わないでしょ。「大企業批判=嫌儲」というのは嫌儲擁護じゃないと思ってるならこっちと認識は同じ。
たとえ資格の勉強はできなくとも、その時間を自分の能力を向上させるために使うことはできるはずだ。
なにもしなくてもよい期間を捨ててはいけない。
俺はネトゲ(MMORPG)を現実経済の縮小モデルだと思ってる。
MMORPG の世界では、「金を払うべきところには払って当然」という考えが誰にでも理解できる。
ネトゲでクレクレ君と言われる人たち・・・お金払わないのが当然だと思ってる連中・・・はものすごい嫌われてる。
相場より高く売る奴がいてそれを嫌儲が叩くと、逆に嫌儲が叩かれる。「自分の考える価値に見合わないなら買わなければいいだけじゃない」ってね。
「相場がわからない」という質問君がいると、大抵「労力と経費がいくらかかったかで自分で決めろよ。」「高すぎたら買わないだけだ」と諭される。
老舗と言われるようなプレイヤーがいる。数年鍛冶屋をやってるとか。そういうプレイヤーの商品は多少相場より高くても売れる。固定客がついていて、データ上は何の違いがなくても付加価値が認められているからだ。
「とにかく売れればいい」と原価割れで商品をばら撒く奴がいると、同業者から白い目でみられる。だからといって口裏あわせて高くしまくるわけでもない。高すぎれば、「高すぎたら買わないだけだ」と買う方が考えているから勝手に自滅する。結果的に、貨幣価値と需要と供給によってバランスのいい所に相場は落ち着く。
物を売っているプレイヤーには、「儲ける儲けない以前に、高すぎたり安すぎたりすることは市場の体力を低くするだけだ」という感覚がある。
インフレやデフレがどのようにゲーム内の世界に悪影響を及ぼすのかを、経済に興味が無い子供でも体験的に理解している。
だれもが生産者や販売者になりえる。商品にどの程度の労力が払われているかを調べられる。購入者が取る行動がどう相場に結びついているのかを実体験できる。その気になって労力と時間を払えば、自分が相場を変えてゆくことができる。
逆に、金の流れがわからなくなるような要素があれば、嫌儲的思想が増える。例えば、「一部の連中しかしらない儲かる方法があるらしい」「こっそり仕様が変わっていて、それを利用してるんじゃないか」とか。それでも、MMORPG には万人に「調べて試す自由」があるから一過性のものだ。調べる努力をせずに騒いでるだけの嫌儲は嫌われる。
何もしてなくてもただ佇んでいるだけで笑いを誘うのはなんでだろう・・・・・・
友達に聞いたら「雰囲気ってゆーかオーラみたいな?」だって。
笑っちゃう服装でも顔でもなくてそういうことじゃないんだって。
じゃどうすればいいのか?
別に俺は大企業批判が善であるかどうかの話なんかしてないんだが。
はてサの大企業批判が善だろうが悪だろうが、はてサ=大企業批判=嫌儲だなんてミスリードは、ネット上の小商いをヒガミで叩いてるだけの実際の嫌儲の行動とまったくそぐわない、と言ってるだけで。
はてサはむしろ大資本に出来ない小商いで飯を食うネット上の個人活動に溜飲を下げる側だろ。自分もそうなりたいと思ってるんだろうし。
独りで生きる強さ(笑)を他人に教えろと言うのは大いに矛盾があると思います
まだ勘違いしてるようだが
もし「大企業批判=嫌儲」が成り立つなら、「大企業批判=善」ならば「嫌儲=善」になるという理屈。
「大企業批判=嫌儲」が成り立つかどうかの話をしてるわけじゃない。
言い換えれば「大企業批判は嫌儲」と指摘する人がいると、「大企業批判=善」という価値観の人にとってはそれが「嫌儲け擁護」に見えるということ。
自分は「大企業批判=善」という価値観じゃないので、「大企業批判は嫌儲」という指摘を見ても「嫌儲け擁護」には見えなかったなって事を言いたかった。
今試したら50万ちょっとヒットした
マイケルとかジョンとか系の西欧系でありふれた名前だからね(笑)
ちょっとした検索よけになってる
いや、「大企業批判=善という価値観の人の間では嫌儲も善」って君の発言のほぼそのまま引用なんだが、自分を否定してない?
で、その下に、それは成り立たない、大企業批判者であることは嫌儲であることの必要条件でも十分条件でもない、という指摘をしてるよねえ。引用するけど、
ネット上で嫌儲と呼ばれている典型的な例では、自分の目に映るネット上での小銭儲けを叩いているのであって、ネット以外のところでの資本家や大企業の動向にはあまり関心がない。(嫌儲な人→大企業批判な人、であることの否定)
大企業批判とかをはてなでやってる連中の多くは、ネットでの自分の活動をたとえば本にしたりして儲けにつなげたいとか野心を抱いてるだろうから、嫌儲という立場にはつかないだろと。(大企業批判な人→嫌儲な人、であることの否定)
で、嫌儲思想の代表格であるサイバースペース宣言なんてのはリバタリアニズム・市場原理主義的で反著作権的であり、左派リベラルを謳うはてサとは正反対だ、との指摘も既になされているね。
アムウェイ信者になにを言っても無駄だから近寄らないのが一番だとして、アムウェイ信者に引き込まれそうになってる人間の目を覚まさせるのに短くて適切な言葉はなんなんだろうと考えた。
いろいろ考えた挙句、面倒くさいからやめた。
騙されようが死のうが生きようが構うものか。
村上かつらの漫画で「かさぶた」ってタイトルの短編があって、ネタバレしちゃうと彼氏に「このひとバカなんだ」と愛想尽かすところから話が始まるんだけども、「バカなんだ」と感じた瞬間ってこの人とは付き合えないなって思う重要なポイントなんじゃないかなって思う。
「バカな子ほどカワイイ」
っていう人の気持ちが今ひとつわからない。
たしかにまあ数時間一緒にいるだけなら楽しいかもしれないけど、ねぇ、やっぱり長時間は嫌だ。
どうしても、気持ちのなかで見下してしまう。
そして見下してしまっている自分が嫌だ。
自分にとって、どんな意味であれ「新鮮な刺激」ってことは、顔よりも体型よりも一番のポイントではある。
知らない一面をたくさん持っていてもらいたい。
でも、100も200もエピソードがあろうと、全てが「馬鹿だから」に帰結するんだったらたいして新鮮には感じない。
「馬鹿」という一面しかもってないと判断しちゃうよ。
でも、賢い人からみたら僕も「退屈な馬鹿」と判断されていたりするのかな。
賢い人って、馬鹿ばかりのこの世の中にウンザリしたりしないのかな?
僕なんかみたいな凡人だってウンザリするのに。
今日1日の行動
なんでVPCでLinuxが正しくインスコされねーのかな?ウブもフェドラも駄目ってどういう…
iPhone繋いでステレオだだ漏れとかいう超メイワク仕様で知多半島をクルージングレンジャー
海が見えてヒャッハー!とかなっちゃってもう大変だったわ。
無料の自動車専用道路では破格の時速70km/h制限の「産業道路」こと国道155・247号線を知多市朝倉付近から加家ICまで5000rpmぶん回して日頃のフラストレーションをドバッと発散させた。
風強かったからハンドル持って行かれそうになったしね。
あいつら手加減しらねえ、というかすごい気分屋なのかも。
どこが逆鱗かわかんないとこで怒ってくる。
彼らにしたらこんなにがんばっているのにという
プライドをかけた正当な怒りなんだろうけど、
こっちとしては思いやりでやってるのに。
こうしたら上にくいこめるよっていう好意のつもりなのに
彼らは絶対に自分を曲げないんだ。
それじゃいくら自分が推してやっても成功の確率は万が一に下がる。
うん、今回もたぶん決裂するほとんど99%決裂だツライ。
なんで、すごい正直で不器用であとで友達になれそうな人ほど
あっという間にツライ思い出に変わる。
いっしょにつらい目みよう、それでも検討待ち可能性があればくいつこうって思ったのにな。
深情けなんてかけないで即ダメ、次さがしなよっていうことにする。
さっさと降りた福田さんはうまくやった。
補足:今回のは性同一障害の人に自分のプライドが許す限りなるべく
外見性あわせでこいとかいろいろ余計なお世話をやいた話
でも思い返したら去年の春にも
ほかの属性の人に余計なこといって最終的に噛み付かれてるので