はてなキーワード: 恋愛至上主義とは
少し前の時代では、結婚したいという形式的なものだけでも充分成り立ったものだからなんともいえない。
相手が居なくても年頃になれば、周囲があれこれ世話をしてくれ、まあ、性格・相性が合わなくても結婚するはめになるものの、生活する手段としてある程度の、まとまり(家族)が形成されて、家庭が運営されてきたわけで。
今は恋愛至上主義?が横行しすぎていて、生きていくためのひとつの術としての、結婚もあっていいとは思う。
ただ、それがすごくやりずらいような感じだ。
めったに運命の人には出会えないわけで、(あ、俺は出会えて幸せだなあ・・・)周囲を見れば、性格も器量もいい女性が何故か独身。
(男はそれなりの理由がある、たとえイケメンだったり、優しくてマメなやつでも、このあたりがなぁ、と思える奴がいるからそれは仕方ないかもしれん)
その独身女性もえり好みをしているわけでもなく、とてつもなく努力をしているのだが、何でだろう、共働きしたいのに相手が許さないとか、わけ分からん理由で独身。
なんかいろんなとこで何度も出し尽くされてるネタな気もするけど、リアルで相談できるひとが全然いないので増田に書いてみる。
大学生なんだけど、恋愛ができない。というかどうしたらいいのかわかんない。ほんとに。
この人のこと好きだなっていう感情にはなる(ので、正確にはタイトルには誤解がありますすみません)けど付き合いたい、この人の恋人になりたい、とどうしても思えない。
もっと言うと、性的な関係になることにものすごく抵抗がある。嫌悪に近いのかもしれない。
別にトラウマがあったわけじゃない。トラウマ自慢したいわけじゃないです。
大好き!と思ってデートとかするじゃん、それでちょっと手なんてつないじゃったりする。向こうもなんかけっこうその気だし、一緒にいてすごく楽しい。
まぁ次のデートあたりで既成事実になりそうだ。そんなの告白される前からなんとなくわかる。
でもそこで改めて立ち止まってしまう。
付き合う前からそんなこと考えてる私が馬鹿なのかもしれないけど、この人と性的な行為をしたいかっていうと全然したくない。
でも恋人同士になったらそんなの避けられないっていくらなんでももうこの年だしわかってる。
自分でも毎回最低だなって思うけど、手のひらを返したように「あなたとは付き合う気ないですよ、よいお友達ですけど恋人ではないですよ」オーラを出して無言で圧力かけまくる。
告白する隙なんて、「そういう関係だよね」を言う隙なんて、与えないように細心の注意を払う。
ごめんなさいと思いながらほとぼりが冷めるのを静かに待つ。終わる。鎮火。
はあ。よくない。っていうかごめんなさい。
今まで彼氏いたことがないわけじゃない。最初の人とはかなり長いこと付き合ってた。
セックスが嫌いなわけでもなかったし、むしろいちゃいちゃしてる時間楽しかった。だから単純な嫌悪でもない気がする。
で、まぁどっちのせいでもなく別れた。繰り返すけどなにかトラウマを植え付けられたわけではない。
暴力とかも全然ない。未練もない。彼との想い出を汚したくない!とかそんなドリーミーな感情もない。
2人目に付き合った人は、よくある話だけど彼氏と別れてめそめそしてたときに優しくしてくれて雰囲気で付き合うことになった。
とっても仲良しでいっしょにいて超楽しかった。彼とは手つないだりキスしたりはしたけど、なんだかんだごまかして(実家暮らしという最強の切り札…)結局最後までセックスしないで別れた。
そんな長く付き合っていたわけでもないんだけど、でもひどいな自分…とは思った。明確に避けてた。彼のこと嫌いじゃないのに!全然!
うわーちょっとこれはやばいぞ、私ちょっとまずいんじゃないの、とうっすら思った。やっぱりそうだった。そのあとずっとそうだ。
またこんな風に別れちゃうのかもな~って思っちゃって、恋人をつくる気にどうしてもなれない。
女の子の友達には「はやく彼氏つくりなよ~~」「○○くんとデートしてどうなったの!?」とか聞かれる。
大学生はひまなんだもの、恋人がいないやつにいかに恋愛させるか、は話題として鉄板すぎるわけです。
そのいつも同じような質問にあいまいに笑って答える。「なんかめんどうなんだよね」「なんか気持ちがのらないんだよね」
ほんとは具体的にわかってる。いつもストップかける点はわかってる。
でもそんなの恋愛至上主義の女の子たちの前では、あまりに瑣末すぎる部分、だ。
「とりあえず付きあえばいいじゃん!」で終わるし、その答えに一理どころか納得できる部分が(少なくとも彼女たちのゲームのルールでは)大きくあるのもすっごいよくわかる。
付き合う前からそんなことが頭をよぎってしまう自分がおかしいのかおかしくないのか、そこでそういうことしたくないって明確な理由もなくでもかなり強く思ってしまうのがおかしいのかおかしくないのか、それすらちょっとよくわからない。
考えすぎだよ、とか言われちゃうとそれで終了なんだけど……
若いんだから恋愛しないと~、という物言いはよくわかる。でも無意識にブレーキ踏んじゃう。
恋愛したくないわけじゃない。好きな人がいてどきどきしてる時間はすごい楽しい。
でも現実的に恋人っていう二者関係に陥ると考えるともうつらい。
似たようなこと感じたり考えてきた人がもしいたら、いったいどうやってマインドを切り替えたのかあるいはあきらめをつけた?のか教えてほしい、です。
別に外国人が視野が広いって主張したいわけではないんだけども…。
ランダムに列挙すると
●平和故なんだろうけど死に対しての意識が低い。日本が自殺大国って知ってた?自殺者だけでも1日100人近く死んでるってのw
もしかして自分もしくは周囲の人が死なないなんて思ってる?それと比較して、メキシコの麻薬利権が無慈悲すぎてワロエナイ。
●日本って平和なの知ってる?国際テロ組織が自爆テロを現地でおこなっていない、数少ない先進国じゃない?
●西日本の人~。東日本のこと忘れないであげてw。個人的印象だけど、会話の節々から他人事or忘れかけてる印象を受けますw
●結婚=幸せ、の固定観念が強すぎるような…。国としては結婚して子供産んでくれないと困るわけだからメディアで洗脳するわけだけど、
この固定観念に支配されてる女性多すぎ。そしてその観念をもって、赤の他人に干渉しすぎ。あと恋愛至上主義もかな
●英語コンプレックスすぎワロエナイ。個人的経験だけども、英語ニュースを聞いててそれが他人に知られたときの否定的なリアクション多すぎ。
「英語を理解できてるわけがない」の決め付け多しw。どれだけあんたは英語できないんだよっていうw。
その根拠ゼロの非難に近いリアクションはわたしにぶつけないで、文部科学省と英語学習しない自分にぶつけてください、お願いしまつ
Togetter - 「francesco3氏」と「めがねおう氏」の炎上ツイートまとめ
その昔非モテというものがあり、今では二つに分かれ、ひとつは『関わってはならないサイト』に、もうひとつは非モテを名乗ることをそのものをやめた。
なぜそうなっているかと言えば、「ママのお人形」と形容される元来の資質もあるだろうし、他者に不快さを与える先天的な顔の造作の悪さもあるだろうし、今で言えば発達障害などの広汎的な不良もあるだろうが、いくつかの要因を元に、慢性的に幼児期からカジュアルに疎外されつづけた結果といえると思う。
カジュアルな疎外というのは、単にキモいといわれるようなこと、それだけである。
長年にわたり複数からキモいとか、なんでお前もいんの?とか、私の机に触らないでとか、二人組作ってーなどと言われ続ければ、塵も積もれば山になるのであって、人格の奥底に自分が自分であるが為にキモいという意識が形成されていく。
『自分が自分であるが為にキモい』というのはすなわち、自己表現してはならないということである。
自己を表現したら不快と思われるような存在否定の意識であり、自己表現をしないか、キモい自己表現のみが許される。服装は典型なオタクルック、闇に隠れるように地味さで、声は誰にも聞かれぬよう細々と小さく、趣味もキモいと思われるような一人遊び。
そのために非モテたちは、非モテとなる以前は名前のない誰かであった。分かり易く憐憫・同情されるほどのエピソードは持たず、しかし慢性的にカジュアルに疎外され、誰からも慰めて貰うことなく、その結果哀れで卑屈な人格が形成されているが、他者からみれば『努力不足』『甘え』と形容される、どこにでもいる名前のない誰かである。
ネット時代が到来し、名前のない誰か達に自己表現の春がやってきた。
彼らはいつのまにか集い、巣を作り始める。だが看板無き場に人が集うことはない。大きな前提条件として『モテない』が自然発生的に選択された。『モテない』は実に分かり易いカジュアルな疎外の経験として、大多数の『キモいひと』に共有されていたからだ。そして彼らは、喪板や非モテと言ったコミュニティを作り上げた。
カジュアルな疎外経験を自分語りすることによって、彼らははじめて互いに憐憫・同情・受容する場を得たのだ。
匿名か顕名というネット特有の大きな距離感はむしろ、疎外されることのない安心感としてうつった。
真の自己が孤独だと感じていた者が、自分以外の同じような経験に触れることは、なによりの癒しとなる。
場に癒された者は、自らも場に溶け込もうとし、その為の経験は十分に豊富で、そしてその経験も平和的に共有されていった。
自己表現の病を抱える者にとって、名前が付くことは実に安心できるもの。しかし、非モテで安心することは、失敗である。
コミュニティが形成されれば、時と共に煮詰まっていくのは仕方ないこと。
コミュニティが生まれればそのなかで更なる承認を得たいとする意識がうまれ、ばかげた内部闘争が始まるが、全くもって無意味なゴミに過ぎない。大別すれば2種類あり、一方はとにかく『モテたい』ひと達である。自己否定の表現である『モテない』と、希求の『モテたい』はおおいに違うので、自己を非モテに受け渡した人は揉めたのだろう。
そもそも欲望の大本は何だったのか・・・といえば、彼らはただ、自分を知って貰い憐憫・同情・受容されたかった。でなければ、コミュニティが形成されることもない。
『自分を知って貰い憐憫・同情・受容されたかった』という感情。
非モテの感情を規定する両輪。慢性的なカジュアルな疎外のなかで肥大化した攻撃性と、受容されたいという弱々しい自意識。具体例を挙げるなら、秋葉原加藤の理不尽に暴発した攻撃性と、被害者よりも加害者加藤の生活史に思いを馳せてしまうやさしさ。これがいまでは具象化され、非モテコミュニティに顕現している。一方はミソジニーであり、もう一方は同族に対する共感。しかし、この共感さえローカルなものであり、矯正されるべき共感とされる。
ミソジニーといえばフェミニズムに関連があるが、非モテはフェミニズムと親和性が高い。
痴漢vs痴漢冤罪に代表される主語の大きな人たちによる性別間代理戦争も親和性の高さの表れと言えば確かにそのひとつであるが、何よりも『自分が自分であるが為にキモい』から救済されたいとする意識が、『女性性からの解放』つまり自己表現を闘うフェミニストと親和的といえる。
なぜミソジニーになるのか。単に誤爆してるだけだ。抑圧移譲。弱い者達が夕暮れ、さらに弱い者を叩く。たとえ疎外されたとしても、誰かを疎外してはならない。疎外の中で肥大した攻撃性を纏って許されるのは、『性差別構造』を背にする女性か、その立場にたつ者のみである。慢性的なカジュアルな疎外は、そのカジュアルさから『敵』を固定することができない。非モテが背にするものは何も無く、敢えてあるとするなら非モテホモソーシャル程度なので、孤独に籠もることは正しい選択肢だ。
さらに言えば、性別間代理戦争は、権利を勝ち取ったフェミニストに対する非モテの嫉妬でしかない。単純化すれば、なぜこちらを助けてくれないのかという叫び。何故お前らは『俺<男性>の理不尽な被害にも思いを馳せないのか』、という怒り・妬み・嫉みを、最も強く表現できる闘技場。『痴漢vs痴漢冤罪』は場として使われている。
すべての被害体験は理不尽なものだが、女性の被害はたまたま『構造的な問題』と合致していたが故に、同情され、受容される。もっと言えば、女性への同情・受容は、『男性への攻撃』を纏っている。誰からも慰めて貰うことない非モテは、受容される女性の姿に妬む。そして個人的な被害体験の記憶に、『なぜあちら側だけ』『なぜこの上殴られるのだ』というような思想的疎外感が加わり、ミソジニーは加速していく。
女性の被害意識が『構造的な問題』として処理されても、非モテには適用されない。なぜならば、非モテの被害意識はきわめて個人的な女性からのいじめや暴言を発端とするからで、男性・女性全般とは無関係なのだ。『男性の最底辺』が理不尽な被害を受けたに過ぎず、男女全般で見れば男尊女卑の構造は維持されているのだから、転嫁することは不可能である。『構造的な問題』があるならば、非モテが被害を受けたことではなく、被害の声を上げられなかった場合に限られ、これは男性性暴力被害者が女性のそれよりも過小視される問題と地続きといえる。男性は何があろうと、強く逞しくあらねばならない。
弱々しい自己を守ろうと、パワードスーツのごとく男性性<攻撃性>を身に纏うミスを犯したあわれな非モテの、女性全般やフェミニストへ向けられた言論なんてものは、単なる無知か差別意識の発露として処理され、一方で男性性防護服を脱ぎ捨てた非モテは、代わりに身を守ってくれる<他者のやさしさ>も得られないのだから、自らのために立ち上がるような力すら失い、わずかに残る白馬の王子的な空想を胸にして、世界との関わりから後退していくばかり。だいたい、未だに男尊女卑がスタンダードなので、このような非モテ男など取るに足らぬ『例外』に過ぎず、決して『マイノリティ』を形成するほどではないのだ。
一部の非モテたちは何を思ったのか、個人的な左翼趣味を土台に恋愛至上主義を打倒するなどと言う大いなる目標を掲げたが、残念なことに、こんなものは『例外』が個人的充足の希求を社会そのものに直結してしまった時点で無理筋である。結局、Twitterでゆるゆると馴れ合う以下の充足しか得られず、破滅に至った。
男性性を剥き出しのままにする自制なき非モテは、そのアクティブさから結婚なり、非モテを道具に用いて商売に転化するなりで成功し、それはまさしく健常な男性の姿。これが正答である。
一方、自制ある非モテは元あったところ『名前のない誰か』に戻っていった。攻撃性は厳しく律され、女性全般などに誤爆することなく、過去の記憶に、自らの内側に、抽象的な世界そのものに向かい、生まれてこなければ良かった、既に全ては終わっているという意識に至る。その自制の強さ故に自己表現の病から抜け出せないのなら、孤独のまま人知れず終えるしかない。
非モテは死んだ。出口など無い。あるものは残骸のみ。
で。
何でそうなるの??
1の「子供が欲しい」人が、結婚して子供を産んだら「得」じゃない。
2の「生活が安定していない」人が、結婚して生活が安定したら「得」じゃない。
4の「世間体が気になる」人も、結婚して既婚という地位を手に入れて世間体が良くなったら「得」じゃない。
当人がそれで満足ならそれでいいじゃん。「一生一緒に居たいから」と言う理由じゃなくても。
そういう話のつもりだったのに、どうやったら↑のような解釈になるのかさっぱり分からん。
やっぱり「『一生一緒に居たいから』と言う理由の結婚以外は損!」と思い込んでる恋愛至上主義のスイーツだったのか。
全然話通じないと思ったわ。
超ブーメラン。
例えば軍国主義下にあったら
兵隊になる為に心身鍛えてる少年は称揚されるはずだ。
ちょいと愛国的な発言をすれば誰かが褒めたり励ましたりしてくれるかもしれない。
勉強しなさいとかスポーツしなさいとかいうメッセージの方がまだ受け取った記憶がある。
女はまた違うかもしれないが、男はそうだ。
軍国主義なら国軍、更に言えばその統帥者である国王や将軍や皇がいるし、
イスラム原理主義なら○○師、更に言えば絵に描いてはいけないあの人がいる。
こういうのは左翼だったら激しく嫌うんだろうけど
実はこれってシステム自体はそんなに悪くない。
この主義下で生きてる人達は、ふとした時に
「俺なんでこんな苦労してるんだっけ」と思ってもすぐ答えを得られる。
「それは、あの方が(私が)望んでいるからです」と。
翻って、恋愛至上主義ってのはどうだ。
「なんでそんなことしてるんだっけ」という疑問には
「あなたがやりたがったんでしょ!」という破廉恥な回答で応じる。
こんなに卑怯な主義ってそうそうない。
実際そこには
せいぜい広告代理店みたいなとこがソロバンを弾くのに必要、という存在理由しかない。
他の主義にあるような、覚悟を伴った大義や狂信が無い。
宗教としての核が無い。
誰も覚悟してないから。
この出来損ない宗教からの逃散者達がしばしば二次元フィクションに集うのって偶然じゃないんだよ。
二次元にはしっかりとご神体が示されるんだもん。
「なんでこんなことやってるの?」
「ミクちゃんが可愛いから!」
こっちの方が余程まともな信者の扱いってもの。
だけど恋愛至上主義っていうこれは実に薄汚い。
「私が望んだからあなたはそれをせねばならない」と言えない。
最終的に全くビジョンや責任者を示せなかった願望や欲求については
本当にあーいえばこーいうっていう感じの人たちが多いよね。餓鬼が屁理屈こねてるだけなんだろうけど。
特に「恋愛至上主義が俺たちに恋愛を強要する」みたいな被害者面してる奴がものすごい気持ち悪い。
そもそも非モテってのは、「恋愛をする気が無い人たち」なのか「恋愛がしたくても出来ない人たち」なのかどっちなんかね。
「彼女(彼氏)作らないの?」って聞くだけでキレる奴いるけど、「恋愛する気が無い人たち」なら「うん」で終わりで、じゃあリア充がどうこうとか恋愛至上なんとかがどうこうとかgdgd言わないでね、って思うわ。
結局人一倍「恋愛」関連の言葉にピリピリしてる奴が多いし、非モテってのは「恋愛がしたくても出来ない人たち」が大多数なんだろうね。