はてなキーワード: パイスラとは
エロい目で見てるかどうかはすぐにわかるとおっしゃりますし、多分その見立てに間違えはないと思われます。
そして、逆はあまりないように思われますが、同じ現象には心当たりがあります。
それは、キモがっているかどうかです。夜道にしばらく同じ方向を歩いた場合、あるいは閉所に一緒にいた場合、多くの人がこちらを警戒しキモがります。
これは生物的な自然な反応なのでしょうがありませんと反論する人がいそうですが、それをいうと、エロがるのとキモがることにどれだけの差があり、どれだけひとがそれを隠したままでいられるか。そして「(隠すなんて)簡単なことだろ?」と無責任に言ってのけることができるのか?
エロいと思う感情、キモいと思う感情もコントロール下に置けないことでは同等ではないでしょうか。感情を持つ人種性別に貴賎はありませんし、感情の種類にもそうです。笑い、怒り、悲しみ、エロさ、キモさ、全ての感情はひとの持つ感情として平等のはずです。
そしてそれらを努力で抑えることは難しいはずです。「私の方が絶対に努力してる」と言い切れる指標はどこにもないからです。
パイスラ広告を性的でキモいという感情とパイスラ広告を性的でエロいという感情に実は差がないです。不満の声をあげるかどうかだけです。
パイスラ広告を性的でエロいと思う目線がキモいと思う目線がキモいという袋小路に入り込むので今回は何がいいたいのかというとせっかくのエロがキモキモで消えていってもったいないなと。
なんかTLで流れてきたけど、やっぱわかり合ってないなぁって
走るために腿出した女学生Aとそれに興奮して勝手にブロマイドを出して販売したBとそのブロマイドを買い占めた上学校に腿出させるなと抗議した父親C
なんでもない事をBが性的なものにしてるのが悪いって論理だけど
それって「勝手に」性的なものにしてしまったのが悪いんであってAと合意してれば問題なかったでしょ
個人的に何を性的に思おうが自由だけどそれを社会的に後ろ盾するとか謎理論述べてるけど
表現の自由はどこ言ったよ
パイスラがエロコンテンツになったからカバンを前にかけるのやめた?
勝手にやめろよ
着衣が全裸よりエロいってポスターあったら服脱いで全裸になんのか?
https://twitter.com/rtyuiotyuijn/status/1186685863377289217
「②それを写真に収め「剥き出しの美脚」とブロマイド販売した者」が問題 → わかる。肖像権の問題もあるし「現実に存在する具体的な個人が本人が了承しない形で性的オブジェクトとして消費された」ことは批判されるべきだね
「イラストにおける女性表象も「女性をその内面性から切り離し男にとっての快楽の手段(鑑賞物)として切り取ろうよ」という提案なので、紛れも無く②に該当」 → は?
前者は人権問題にかかわってくるけど後者はただの絵なので誰の権利も侵害しない。しかし並べて語ることによってあたかもそれが現実の女性に対する性消費のように映る。一連のツイートではこういうのを論理のすり替えが巧妙に行われている。
https://twitter.com/rtyuiotyuijn/status/1186702407960420352
パイスラ絵を批判する上記のツイートもそうである。ただのパイスラ絵が実在する女性の性消費だと一直線に結びつけるのは論理の飛躍だが「漫画」と「被害者の告白(?)」を並べることでその飛躍を押し通そうとしている。
漫画の内容も誤認を狙っている。オタク的なものを愛好しない女性が行くであろう本屋やそのエリアにかようなポップが立つことはまず考えられないが、上記ツイートの漫画ではあたかもそのような事があったかのようにミスリードしている。まさに今回の献血ポスターがそれだと言いたいのかもしれないが、「僕たちはパイスラッシュから目が離せない件」のようなアオリもなにもない絵をただ巨乳だからと同一視するのは被害妄想が過ぎる。
https://twitter.com/rtyuiotyuijn/status/1186897084139491328
「「①女性とはこういうものだ」という共通のコンセンサスが作者と読者の間に取れてるから「ウザい」キャラ付けに意味が出てくる②ですよね?」
これも意図的なすり替えが企図されている。正しくは「うざキャラとはこういうものだと作者と読者の間でコンセンサスが取られているから【宇崎花】というキャラが成立する」である。性別は関係ない。なぜなら男性でもうざキャラは成立するからだ(『デュラララ!!』の折原など)。しかしツイ主は意図的に女性の性消費の問題に回収しようとする。その方が当人にとって都合がいいからだろう。
https://twitter.com/rtyuiotyuijn/status/1186685972995379200
漫画の神様・手塚治虫は1978年刊行の『マンガの描き方』で女性の乳房を「どんなに大きく描いてもよい」とした。実際、手塚治虫の作品には巨乳キャラがたくさんでてくる。
日本最古のエロゲは某ハドソンの『野球拳』か某光栄の『ナイトライフ』とされているが発売は1982年。時系列を確認するだけで根拠のない妄言であることは明らかだ。
ツイ主は批判に対して「客観的データはありますか? お気持ちで喋ってませんか?」と反論しているが、ツイ主自身が客観的データに基づかない思い込みで喋っている。
もし「エロゲの技法である乳袋」なるものが確実に存在するというのであればまず「乳袋」とはどれぐらいの大きさの乳房を指すのか、そしてそれがいつどのエロゲ作品によって確立されどのような漫画作品に持ち込まれて今があるのか「客観的データ」に基づいて明らかにしてほしい。
ツイ主は「“ただの走りやすい格好”や“ただの泳ぐ為の格好”を性的オブジェクトとして扱うな」と主張しているが、それに即して言うのであれば「ただの巨乳絵を実際の女性の性消費につながる性的オブジェクトとして扱うな」。以上。