はてなキーワード: 環境保護とは
一例
http://d.hatena.ne.jp/karaimonokirai/20100225/1267111952
客観的に見て、筆者に「あらかじめ偏見や悪意があったわけではない」とは思う。だが、筆者はこれらの光景を「自分の目で見て、素直に判断して、とある一国の文化(あるいは「国民性」とか言い換えても可)が『嫌いになった』」と発言している。
あるいは、多くの人が「何が問題なの?これはこれで正当じゃん」と思うかもしれない。だが、そう言う人は、たとえば捕鯨問題についてどのような感想を持つのだろうか?
たとえばとあるアメリカ人が、自分の「印象」に基づいてこんな記事を書いたとする。
自分は日本は好きでも嫌いでも無いし、別に環境保護について強い関心があるわけでもない。だが日本を旅行中、食堂などで捕鯨問題を取り上げたニュースがあると、それを見る人は大抵「シーシェパードは頭がおかしい」とか「所詮金のために環境保護を利用しているだけだ」とかいったコメントばかり言い、「鯨を殺すのはおかしい」という意見については自分の経験した範囲では一度も耳にしなかったことに驚いた。街中でも鯨肉など提供しているところは見ないしほとんどの人は日常的に鯨を食べないのに、鯨を殺すことに対してどうしてこれほど寛容なのか。残念ながら、自分は日本人というのは非常に残酷な民族なのだという感慨をもって日本を後にすることになった。
これは公正(fair)な議論だろうか。
私は、残念ながらこれは差別だと思う。彼は、鯨を「食物」と見ない文化から訪れており、かつまた自分たちの文化が過去にどれほど鯨を殺したかも知らない。彼の問題点は、物事に対する歴史的視点や、自分の背負う文化に対する批判的観点というものが欠如していて、自分の「素朴な感想で世界を見ることに全く無批判」である点だ。
「彼」は一応架空の存在である(よかった)。しかし、彼が今後日本に関する問題について、常にこの「見方」を「事実」として自分の判断根拠に採用することはほぼ疑いない(残念なことに)。彼は、パールハーバーも、太平洋戦争時のアメリカにおける日系人差別も収容所のことも、あるいは貿易摩擦から生まれたジャパンバッシングも知らないかもしれない。だが、何も教えなくても彼は、とある民族をひとくくりにして、unfairな意見に基づいた判断を下すようになった。これは立派に「偏見」であり「差別」ではないか。差別や偏見は、このように日々誕生するのであって、過去の差別について「教えなければ消える」というものではない。
捕鯨に関してだけではなく、とあるものごとについて、それをめぐる政治的状況、文化的文脈(コンテクスト)といったもの、状況性や歴史性や文化性を全く無視して(更に言えば自分自身の背負っている状況性や歴史性や文化性について全く批判的でなく)発言するとき、常にこのような危険は発生する。「率直で素直な感想」と称されるものは、非常に危険なのだ。
「自分がそう思ったことは事実であり何がわるいのか」といったヒラキナオリ、つまり「率直で素直な感想」と本人が認識しているだけに、こういった感想に基づく「意見」が修正されることは少ない。実際、「率直な感想は絶対であり、それを修正することなど出来ない」と多くの人は思っている。だがそれは大きな間違いだ。歴史性や文化的コンテクストを学ぶことで、ものの見え方や風景など簡単に一変するからだ。ある人の背景(たとえば「強がりをせざるを得ない状況や過去」)を知ることで、「ツン」な行動が可愛く(「デレ」に)見えてくる、という現象はとみに知られているが、それも同じである。「学習」は「印象」を大きく変化させる。
そもそも我々は、様々な状況性や文化を背負うからこそ、物事を認識できるのであって、「率直で素直な感想」といったものなど、本当は存在しない。どんなに直感的感情的判断であっても、何かを判断するとき私たちは必ず何らかの「知識」を土台にして判断している。学ばなければ、私たちはほとんど何も感じず、表明することもない。生まれたばかりの赤ん坊は、自分を取り上げる産科医や両親の「美醜」を「判断」したりはしない(子どもがそういうことで悩むのは、おおむね思春期の頃である)。
我々は、互いに離れた土地に住み、そして相手のことをよく知らない。知らないことは恐れを生み、行き違いや偏見を生む。そして差別が始まる。かつては川一つ、山一つ隔てるだけでも、そうであった(「○○村の奴らとはクチをきいちゃなんねえ」的な)。教えるから差別が持続するのではない、教えないから差別は発生するのである。ただし、それは「かつてはこんな差別がありました。差別はいけませんね。以上」といったことを教えるということではない。
従って、たとえば人権について学ぶプログラムは、以下のように進められなくてはならない。
低学年……「作法」として、「陰口を言わない」で「みんな仲良くする」ことを学ぶ
中学年……「作法」として、「素直で柔軟な発想を大切にする」「賞める」ことを学ぶ
高学年……「作法」として、「文化を大切にすること」「おせっかいと勇気は違うこと」を学ぶ
中学校 ……「知識」として、「色々な価値観、文化が存在すること」を学ぶ。
現状、人権教育にこういう見通しがないことはとても残念である。小学生に(イイトコだけ見せるような)異文化体験を推進したりしている人は、将来その子が「欺された!小学校の教師なんて嘘つきだった!」という感想をもつ可能性について全く想像していないのだろうか。私は、上のような準備が子どもにできないうちから安易に異文化体験を進めることは、百害あって一利無しだと考えている。
最初の文章の筆者に対して、どのようなメッセージがあるわけではないが、もし可能ならば、今回の件を踏まえた上で、単純に隣国を「嫌う」のではなく、「なぜ『今の日本』に住む私は、『今の韓国』の文化にこのような感想を抱くのか?」ということについて、調べたり考えたりしてくれるといいな、とは思う。これを読んだ後、たとえば図書館で戦前の日本の大衆雑誌とか読んでみるだけでも、私が言わんとすることは理解して貰えるだろう。
番組内容
原子力か太陽エネルギーか~ハバート米21世紀エネルギー委員長に聞く
番組内容第1部「スウェーデンが地下岩礁に核廃棄物貯蔵所」・第2部「アメリカは太陽熱発電」・第3部「ドイツ人はいまだに核嫌い」・第4部「原子力発電政策がないアメリカ」・第5部「原油高をもたらすオバマエネルギー政策」
出演者【司会者】日高義樹【ゲスト】米21世紀エネルギー委員会委員長カレン・ハバート、米太陽発電協議会会長ジュリア・ハム、EU委員長エネルギー政策顧問クローディア・ケムフェルト
番組概要原油の値段が上がりつづけ、1バレル200ドルを超すという予測まで現れるなかで、世界的に原子力発電所の建設ラッシュが始まろうとしている。地球温暖化の原因になる物質を放出せずに大容量の電気を得ようとすれば、いまや原子力しかないという考え方が強くなり、急進的な環境保護勢力のグリーンピースまでが賛成に回っている。
番組概要つづきいっぽうアメリカのオバマ政権は、長期的なエネルギー源として太陽熱発電を、全力をあげて推進している。将来のエネルギーについて世界の指導的な国々がどう考えているか伝える。
●日刊
[文]日高義樹のワシントンリポート「次世代エネルギーの主役は太陽?原子力?」
●角川
02/14(日) 後04:00 >> 後05:15 テレビ東京
出演者/日高義樹
ttp://nihon9999.blog77.fc2.com/blog-entry-4287.html
1 名前: ◆SCHearTCPU @胸のときめき▲φ ★[tokimeki2ch@gmail.com] 投稿日:2010/02/12(金) 07:36:36 ID:???0 ?PLT(12556)
和歌山、高知、千葉、東北地方など国内各地の沿岸地域には、古くからクジラ漁の歴史がある。
長崎県新上五島(しんかみごとう)町の有川地区も伝統的にクジラ漁が盛んだった。
今でも冠婚葬祭などの地域の行事にはクジラの刺し身は欠かせない料理。
クジラでだしを取ったうどんは、どこの家庭でも親しまれている。
有川町漁業協同組合(中山弘光組合長)の浜崎永吉参事は「昔から鯨食文化があり、今も当然のように食べている」と強調。環境保護を標榜(ひょうぼう)する米団体シー・シェパード(SS)の抗議活動については、「受け入れられない主張だ。
クジラを食べるのは、欧米人が牛肉を食べているのと同様に文化だ」と話す。
「クジラなどの哺乳(ほにゅう)類保護、動物愛護という意見はあってもよいが、暴力的な抗議活動を行うことは許されない」と批判する。
SSに対し、政府はいまでこそ対策を積極的に検討している。
「予算がかかっても海上保安庁の巡視艇を警備に派遣すべきだ」という声も高まりつつある。
しかし、数年前までは妨害を受けても、政府は「とにかく逃げろ」と指示するばかりだった。
背景にあったのは捕鯨の是非が議論され続けている国際捕鯨委員会(IWC)。
賛成派と反捕鯨国の勢力が拮抗(きっこう)しており、水産庁を中心に「SSに対抗すれば、逆に反捕鯨派を刺激し、勢いづかせる」という考えが根強かった。
そうした考え方が変わったターニングポイントは平成20年だった。
その前年、南極海で捕鯨船にSS活動家が乗り込んでくる“事件”が発生し、船員らは活動家の身柄を拘束した。
しかし、政府は反捕鯨国オーストラリアへの引き渡しを決め、実質的に釈放した。
「トラブルを拡大しない」。
そんな考え方があったが、SSはその後も妨害を繰り返している。
トラブルを拡大しているのはSSの方だった。
(»2へ)
+*+ 産経ニュース 2010/02/12[07:36:36] +*+*
ttp://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/100212/crm1002120008000-n1.htm
2 名前: ◆SCHearTCPU @胸のときめき▲φ ★[sage tokimeki2ch@gmail.com] 投稿日:2010/02/12(金) 07:37:06 ID:???0 ?PLT(12556)
「なぜ、あのとき逮捕しなかったのか」。
公海上でも日本船への不法侵入者は日本の法律が適用されるため、逮捕もできた。
批判は高まり、日本側は少しずつ対SS強硬策にかじを切り始めた。
政権交代を果たした民主党は昨年末になって、捕鯨や船舶関係者からSS問題などについて意見を聴く議員協議会を開いた。
その場で、全日本海員組合の近英男(こん・ひでお)水産部長が、大きな声を張り上げた。
「国民がテロに近い暴力にさらされ、生命の危機を感じているのに、助けようとしない政府がどこにあるのか」
「政治に、なんとかしてもらいたい」。
多くの出席者から不満が漏れた。
SSの公海上での暴力行為に対して、日本の現行法制は逮捕など取り締まりを認めていない。
国連海洋法条約は、海賊ならば公海上でも逮捕を認めているが、政府は「海賊とはいえない」との外務省の見解を採用している。
環境保護を主張するSSは、略奪目的の「海賊」ではないという解釈だ。
昨年3月には石破茂前農水相が「SSは海賊と同じだ」として、ソマリア沖の海賊を取り締まる海賊対処法を適用するよう求め、それが拒否されるとSSを対象にした新たな新法制定を求め、水面下で法案の骨子まで作成した。
しかし、それも政権交代によって、握りつぶされた形になっている。
今の政府の大勢は法整備に冷ややかだ。
「ただ、船員の安全を守ってほしい、それだけなのに…」
近部長はそう話す。
SSの暴力を野放しにすることで、重大な人的被害を受ける可能性は強まる。
そのときまで問題を放置していいのか。
日本の調査捕鯨船団はいまもSSの脅威にさらされながら、南極海で航海を続けている。
21 名前:名無しさん@十周年[] 投稿日:2010/02/12(金) 07:49:15 ID:vlGJ4gNxO
59 名前:名無しさん@十周年[] 投稿日:2010/02/12(金) 08:14:15 ID:bpkYjug+0
»21
異の地を守りたい
(自身の政治生)命を守りたい
55 名前:名無しさん@十周年[sage] 投稿日:2010/02/12(金) 08:11:37 ID:h0KDSErH0
みんしゅとうって、なんのおしごとやってるの?
63 名前:名無しさん@十周年[] 投稿日:2010/02/12(金) 08:17:43 ID:bpkYjug+0
»55
ttp://www.asahi.com/politics/update/0211/TKY201002110253.html
ttp://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100211-00000068-mai-pol
岡田外相、外国人参政権で明言避ける 韓国外相「普天間問題に関心」
ttp://sankei.jp.msn.com/politics/policy/100212/plc1002120021000-n1.htm
65 名前:名無しさん@十周年[sage] 投稿日:2010/02/12(金) 08:21:04 ID:IPbYoRr+0
あれ?
「命を守る政治!」とか言ってなかったっけ?
69 名前:名無しさん@十周年[sage] 投稿日:2010/02/12(金) 08:24:28 ID:IT0EaFLM0
»65
鯨の命を守ります。
214 名前:名無しさん@十周年[] 投稿日:2010/02/12(金) 11:20:30 ID:c7QceIa80
この様子は、米CS放送局のアニマル・プラネットのカメラマンが撮影。
映像は、今年夏から同局で放送されるシー・シェパードのドキュメンタリー番組「鯨戦争」シーズン3に反映されるものと思われる。
ttp://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/100212/crm1002120935007-n1.htm
なんせ迫力のある狩りの映像を撮らなきゃならんからな。
人類は焼畑農業とか、動物を狩猟で絶滅させたりした経験から何も学んでいないんだろうか。
当たり前にあるものを、その後の影響を考えることもなく収奪していく。
そして、そのうち当たり前じゃなくなってから騒ぎ出す。
しないよりはいいけどさ。でもそれだけ。しないよりはいいっていうだけ。
今そうやって考えなしに収奪されているのは、人の善意とか良心とかだと思う。
見返りを求められないからといってやりたい放題。
試食コーナーを食べ散らかすような浅ましさ。
法律にのっとっている、誰にも迷惑はかけていないでしょっていうのが定番の文句。
ばかばかしくなって、みんなが無償の善意とか親切心とか遠慮とかなくしたら、きっとまた騒ぐんだろう。
人々の心にゆとりがない、やさしさはどこに行ったとか言い出して。
それからきっと、それらを取り戻すためのビジネスモデルが確立されるんだろう。反省なんかはしない。
もうすでに絶滅寸前だけど、滅びゆくそういったまっとうな人間を見てるとすごく切ない。
残念だったね、もう20年もしたら絶滅危惧種として大事にされるのに。
http://anond.hatelabo.jp/20090716142012
ちょっと調べてみた。
http://anond.hatelabo.jp/20090716142012/
この時点で公益財団法人に移行できないと
特定公益増進法人への寄付は一般の寄付金控除枠とは別枠で損金算入できる。
これが日本ユニセフを通した寄付金ルートの最大のメリットであり、
彼らはなんとしても死守しなくてはならない。
特例財団法人が廃止され、公益財団法人に移行するのは事実のようです。
では、日本ユニセフ協会が公益財団法人に認可されない可能性はどの程度あるのでしょうか?
別表の23の事業とは、以下の通りである。
* (1) 学術、科学振興(を目的とする事業;以下同様、略)
* (2) 文化、芸術振興
* (3) 障害者、生活困窮者、事故・災害・犯罪の被害者の支援
* (4) 高齢者福祉の増進
* (5) 勤労意欲のある人への就労支援
* (6) 公衆衛生の向上
* (8) 勤労者の福祉向上
* (9) 教育、スポーツを通じて国民の心身の健全発達に寄与
* (10) 犯罪防止、治安維持
* (13) 思想、良心の自由、信教の自由、表現の自由の尊重や擁護
* (14) 男女共同参画社会の形成その他のより良い社会の形成の推進
* (17) 国土の利用、開発、保全
* (20) 公正、自由な経済活動の機会確保
15番に「国際相互理解の促進、開発途上国への国際協力」とあります。
日本ユニセフ協会の主事業は開発途上国への国際協力と私は考えているのですが、
であれば児童ポルノに反対しなくても公益財団法人として問題無く認可されると思います。
普通に実績ありますからね。
http://www.47news.jp/news/2009/05/post_20090505085702.html
これは崩壊の序曲ではない。地球に優しい、ひいては環境問題という砂上の楼閣は、遥か昔にすべて消えうせた。
いま、自分がエコだと自認しているあなたはとてつもなくヤバい。
あなたの尊敬している環境保護団体は人身売買で稼ぐ死の商人で、地球という惑星は奴隷船に他ならない。
気づいて欲しい。あなたの両手両足が鎖に繋がれていて、息もするのがやっとだということを。
風景を見て「あそこがいい、ここがすごい」なんて言うことは奴隷の鎖自慢と同じだ。
あなたが美味しそうに飲む水は、飢餓状態で差し出されたH2Oでしかない。
しかも、綺麗な真水であるという集団催眠に陥り、誰も気がついていない。純水は美味しくはないということに!
ポピュリズム、ファシズムの拠り所としての環境保護。それに目をつけたグリー……
PETAという裸の王様はこの点にいち早く気づいて脱衣を企て、失敗した。
ジャンクに蝕まれ、身も心も衰弱しきった彼らには、その体力がなかった。
拳銃を手にとっても、引き金を引くことができなかった。シーシェパードは、あなたの未来そのものだ。
しかし、同時に奴隷であること楽なことでもある。
黒人がジョークを言い出したのは鎖に繋がれた奴隷船の中でだという。
辛さから逃れるための、コミュニケーション媒体としてのエコはやはり奴隷ゆえの行動なのだ。
しかし、誰も気がついていない。ほとんどの人間は自ら鎖につながれ、奴隷となる。
もうやめようじゃないか、差し出された残飯に満足するのは。すべての人間は、ひとしく生命を全うする権利を有している。
鎖を外し、光帆を持って脱出をしよう。そこから逃れれば火星、金星、Gliese581e……いくらでも本当の環境が目の前に広がっている。
それは自分の足で歩き、探し、見つけ出さなければならない。奴隷であることよりも辛く険しい道のりかもしれない。
しかし、自分の目で見る景色、天の川銀河、豊かなエネルギーたちはとてつもなく綺麗で雄大で壮大だ。
自分の足で歩き、自分の目で見よう。それが生きるってことじゃないか。それが人類ってやつじゃないか。
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話題のスケールを文体に合わせようとしてみた
大仏が率いる政党が太陽電池パネルを全世帯に普及させるぞ!と吠えた、と言う記事がはてなブックマークで出ていたのを見たんだけど、すごく批判が多いのでぼくおどろいちゃった。
よく読んだら、僕がの知ってる程度の知識でもおはなしできるようなコメントがあったので、書いてみる。とはいっても「優先度が違うよ!」「この金があれば××ができるからむだだよ~」と言った話の本質からちがっちゃうコメント(そんなこと僕が知るわけないよねっ!)とか「政治的な意図に騙されるな!」なんて話は興味がいないのであんまり反応してないからよろしくね。
と言っても僕は専門家ではないので増田に書くチキン野郎ですさ~~~せん。なにか間違ってたらおしえてエロイエライひと!
……なんて記事を書いてたら、あるふぁぶろがーさんが似たような記事をしかもコンパクトに書いてるじゃないか!むっきー!ひきょーだぞ!
さらにそれに対して反応だって?ちっくしょー。おぼえてろよ!
まずいっちばん最初に、「自然エネルギーとして、どの段階から環境にやさしくなるか」という環境コストと、「いくらから儲かるか」という金銭面のコストを混同していると話は全く違う事をはっきりさせておくよ。そうしないと利権屋さんの詭弁に騙されちゃうからね!
これってどういう事かって言うと、たとえば「自然にやさしいことが付加価値ですから普通のやつより値段が高い」というありがちなボッタクリ商品だとこの環境コストと金銭面のコストが反比例することになるんだけど、一緒にしたら自然に優しいという付加価値をつけたボッタクリ商品のほうが自然に厳しい、地球をいじめる商品になっちゃう。
この点で例の武田のおいちゃんなどは、意図的に混同してミスリードをさそってるね。(ちなみにこのおいちゃん、出している資料が古かったり間違っていたり、目盛りや単位がないグラフを載せていたり、下手すると事実無根なことを根拠なしに言いふらしてお金儲けしているよ! 商売上手だね! 僕もお金大好きだから、あんなコンビニ300円コミック並に原価が低そうな、はなっから出版社さんもキワモノ本として作ったに違いない簡易装丁の本であんなに売れるなんてうらやましいな~っておもうよ。僕もそういうボロい商売してみたい~っ)
環境コストの話よりもやっぱりお金だよね!というわけで、この間セールスにきた工務店のおいちゃんにきいてみたんだけど、うちの日照条件で2kwをコンスタントに使えるぐらいにすると、だいたい償却まで一回の電気系統の交換と年間メンテナンス、ローン金利等含めたパックを利用してだいだい27年かかると言われたよ。この年数、一般的な家の償却年数とほぼ同じだね。ちなみに工務店のおいちゃんによれば、メンテナンスのパックに入ってもらえば、年間いくらで保守できて保証もしますよって言ってた。
もうかるの?って話について、工務店のおいちゃんによれば「はした金程度しか儲からんけど、地球環境のために行動していますと表明したときに集まる注目の視線と優越感や、災害などで停電している時、愚民共が助けを求めてくるのをエアコンの効いた室内からワイン片手に眺める最高のながめの事を思えば安いもの(意訳)」だっていってたよ!すごいメリットだね!
ちなみに、僕にとってはどうでもいいことだけど、環境コストについてもてきと~にに調べてみました。算出方法にもよるけど数年で環境コストが取れると言う試算もあるみたいで、そうじゃなくてもだいたいの試算では一桁年数で環境コストはプラスに転ずるとするのが多いよ。ちなみにこれはよく比較対象になる原子力発電所に比べれば圧倒的に早い数字なんだ。なんか原子力推進派の人は意図的に事故の際の環境への影響や、海などに大量に熱をまき散らすことなんかのコストを無視して単純に経済コストだけ問題にする人がいるけど(すごいのだと太陽光発電パネルの製造コストは加味するのに原発の製作コスト、燃料の採掘・処理コストは無視するんだよ! 人に意見を通すときはこれぐらいの能力がひつようだね!僕もみなわらなくっちゃ)環境コストは、リスク評価まで含めてまじめに計算するとすごいことになるはず。ただ規模も用途も耐用年数も能力も違うので全く評価対象としては不適切だけど。(ここをわざと家庭用太陽光発電と原子力発電を比較対象に選んでる人は大抵わかっててやってるから気をつけようね!)
ちなみに、環境コストだけど、これ最近大幅に改善したので、5年ぐらい前の文献の数字はすでに古いので注意が必要です。ここのところの高効率化戦争は恐ろしいな~。しかもこの不況の中で集中的に投資されて中の人のプレッシャーも大きいんだろうね~。中の人!死なない程度にせいぜいがんばってね!
それから、儲かるとわかったからか、最近いろいろな新技術や新方式がでてコスト削減に結びつきそうなものもたくさんあるけど、その割には量産品の効率と経済性がなかなか向上しないのはおそらくお金の問題なので、そのあたりに血税をつっこんで一気に競争力を上げるというのはありだと思うよ!
で、この環境コストと現実コストのボッタクリ価格は環境保護が当たり前になってくれば来るほど縮まってくるはずだとおもう。環境にやさしいことがあたりまえになって、付加価値と言うより「環境保護がうたわれていなければ売れない」ようになれば。だけど残念ながらそうなるまでが一番コストがかかるかなって思う。そこの部分のコストを国が請け負って、一気にすっ飛ばしてある程度許容できるぐらいの量産効果が現れるまでの段階まで一気に押し上げるのはありだと思うな。今のタイミングでうまくすれば国家として見れば元を取るどころかガイジンから金をむしり取れるしね!
だけど結局は環境にいくら金がはらえるか、って話だよなーとおもったり。
結局は今まで集中的に税金なども使われて賄われてきたインフラの一部を各家庭に分散化するわけだから、設置者が負う有形無形の余計なコストが増える、手間が増えるのは当然だよね。それをどこまで許容できるかなーという。
あと「作る方が削減できる効果よりも環境コストが高い」と言うのは思いこみだと思うので、ちょっと資料をあたってみてくださいな。近頃の文献でそういったことが書いてあるのなんて武田のおいちゃんの本と、武田のおいちゃんのビジネスモデルをぱくった人ぐらいだよ。(資料を読んでも本気でそういうことを言っている人は、きっと数字の読み方もわからないイエローモンキーかクロンボかホワイトトラッシュかゆとりかユダヤか三国人か、もしくは何かやましいことのある既得権益に利権を持つ政治家とその一派に違いないね!)
太陽発電パネルそのものは基本的には致命的な劣化は起きないよ。だいたい20年で10%効率低下と言われているみたいだけど、そこまで劣化が起きる場合は理論値一杯まで高効率で発電しての結果だから、とっくに元が取れているわけで実際にはもっと低いはずだよ。基本的にエネルギーを変換だけだし、可動部分がないしね。「機械は必ず壊れるもの」と言っている人がいたけど、機械(メカ)じゃないから壊れないよ!(形あるものはいつか壊れると言われちゃうと厳しーけど、そんなこと俺も貴様もいつか死ぬのでどうでもいいね!)ただこれは過去の例なので、今後はさらに改善していくっていってた。
このあたりって、太陽発電パネルの技術は実は結構古くさいいいかんじに発酵してそろそろ隣のおいちゃんみたいな臭いすらだたよいそうなそうな技術なので、明らかに投資する時期を間違えたかわいそーな先人の遺体を肥料にして育てた経験が保証しているよ。すっごく枯れた技術なんだ。近頃おはやりのシリコンの使用量を減らした太陽発電パネルとかも、フレームや保護材などの耐久性やノウハウは基本的には一緒だから、もうかなり枯れた古くさい技術と言ってもいいと思うよ。
ちなみにパネルメーカーも20年保証と長期保証を普通みたい。つまり、経済的なコストが償還できるぐらいは平均保証があるんだね!僕んちに来た工務店のおいちゃんは、メンテナンスのプランに入れば30年は保証するって言ってた。
で、一番劣化するのはコンバータなんかの電気を整える部分。これがだいたい15年ぐらいといわれてる。太陽発電パネルからできる電気が直流なので、それを交流に変換して家庭で使えるようにしたりするシステム面なんだけど、(いわゆる変圧器とか、AC-DCコンバータとかいわれる部分)。で、こいつのコストだけど、こいつは人類が電気を扱い始めてからずっとついて回ってる技術なので、予想寿命のころにだいたい壊れる。なので、馬鹿正直な業者にお願いすれば、コストに組み入れて計算できちゃうんじゃないかな。
後当然バッテリーを使っていればバッテリーも。まぁこちらは車載用ほどはシビアじゃないから問題なくなるだろうと思うよ。なんたって自動車産業が自腹切って大実験やってくれるんだから! だからそんなに過大な負担かな?こんなレベルで「耐久性に問題がある」なんて言われたら僕泣いちゃうよ。泣くと絡むよ僕。それでもいい?
ちなみに、AC-DCがかなりエネルギーをロスするんだよね。なので、大電力が必要なもので、なおかつ設備として一度設置すればほとんど動かしたり電源を抜き差ししたりしないものについては、AC-DC等を通さないシステムを考案するのも手だと思うんだ。たとえば電気自動車の充電システムや、空調、給湯、廃人の正気じゃないドライヤー内蔵暖房機能付きゲーミングPCや、キチガイの自宅サーバやロリ画像のためにWinnyを24時間稼働させてるPC、冬でもあたたかいPS3などにね。上手くすればXBoxの本体並みにでっかいアダプタだってすごく小さくできるかも知れない。そういうのに専用配線を使って供給すると言うのも手だと思うよ。え?ACにすると感電しやすくなって危ないって?そんなこと僕が知るわけないじゃないか。エライ人なんとか考えてよ。
砂などによる太陽光発電への劣化って、せいぜい最悪でも5%程度なんだって。なのでその分見越して多めに設置すればOKなレベルなのさ。ちなみに電気が発電所から送られてくる際の送電ロスは5%だから、ほとんど無視できるレベルだってことがわかるよね!
なので今のものでも基本的にメンテナンスフリーでOK。時代遅れだって評判の自動車が趣味の人の車みたく、いつでもぴっかぴかにしておきたいなら別だけど、多少の落ち葉や鳥の糞といったものでもそんなに影響しないそうだよ。というか、発電パネルに影響するぐらいの極端と主張する場合は、まず家の心配するか、施工業者を話が違うと訴えるか、キミ自身の強迫症のおそれを心配した方が良いと僕は思います。そんなところを気にするなら、日照条件なんかを気にしようね!
それに、従来一番やっかいだと言われていた幹線道路沿いの家の劣悪な環境で発生していた煙害や油分を含んだ粒子状物質などによる曇りだけれど、今は太陽発電パネルは光触媒をはじめとした汚れ除去の技術が発達してきているので、ほとんど磨いたりする必要はないよ。
光触媒って紫外線によって働く触媒で、強烈な太陽光に晒すことが前提の太陽電池パネルはまさに光触媒と相性が良い技術なんだって。え?光触媒で透過率がおちないかって?そりゃ落ちるでしょうけど、それを感じられるほど発電量が落ちるなら、きっときみはなにか騙されているから訴訟の準備をしたほうがいいよ。
で、砂、ほこりやちりじゃなくって、雪じゃどうなの?と言う話があったけれど、融雪機能付き太陽電池パネルなんてのがあるよ!シャープさんによる技術解析がわかりやすい(PDF注意!)これ結構よくできていると思いました。さすが目の付け所がシャープだね!商品の特徴を一切説明しない意味不明なキャッチコピーのCMばかりの会社とはおもえないね!
普及にはやっぱりコストが課題なんだけど、基本的にはコンバータを双方向にするかどうかの話だけみたいなのでこれは時間の問題だと思うよ。で、普通の太陽発電システムと比較してのコストが下がれば、あの雪下ろしの腰の痛さを知っている身からすると下手すると雪国の方が早く普及するかも知れないとすら思っちゃうな~。だって死活問題だもの。あ!ちなみに勘違いしないでね。雪は全部溶かす必要はないのよ。滑らせて雪を落とせばいいので。
何かあったときの専門的なメンテナンスの方だけれど、こちらは量産されればほとんど問題がない話だね。たとえば上下水道が普及したから「水道トラブル五千円!トイレのトラブル八千円! 払えなきゃ、奥さん体ではらってくれてもいいんだぜ?」なんて商売ができるようになったわけで、量産さえ始まればメンテナンスを請け負う業者は増えるはず。なので、産業としてのスタート時のコストを国が請け負って、一番コストのかかる時期を全部すっ飛ばしていきなり普及期に押し込むと言うのもありだと思う。
おそらく自然エネルギーが普及する上で一番の問題はこれだと思う。そして、時期はともかくとして、将来的にこれが問題になり、長い間問題として続いていくことは明らかだと思う。だってこれは構造的な話だものしょうがないね。
なので、学者連中が禿頭をさらにハゲさせるぐらいハゲんだのか、結構いろいろな解決案が出てるよ。
その中で僕一押しなのが一番シンプルな太陽電池とともに大容量のバッテリーを備える方式。いや、これをしても限度があるだろ、って話はありますがね。でも、これを利用することでピーク電力の山を大幅に落とすことができるはずなんですよ!
現在日本の電力は、高効率で高出力が可能な原子力や、安定していて低コストの水力をベース電力として、変動する電力を火力やその他の調整しやすい発電方法でまかなってるのは周知の事実だね。え?知らない? 貴様!謝れ!でんこちゃんに謝れ!今すぐ謝れ!土下座してすりむけるまで頭を擦れ!ハゲろ!腐れ!
と言うことはどーゆうことかというと、大都市部のヒートアイランド現象が発生する真夏で冷房をがんがん使うようなピーク時と、深夜寝静まって、かわいそうな労働条件でしか働けない弱者・負け組のみなさんと、オンラインゲーム廃人と馬鹿な学生ぐらいしか起きていない深夜との電力差は、高効率で環境負荷も低い発電ではなくて、石炭発電や火力と言った発電に頼らざるをえないんだ。このベース以外の調節可能な電力というのは、高コストで環境コストも高いものがおおい。そりゃそうだよね!高効率の発電所を常に回しておくほうに使った方が、全体に金がかからなくて済むもの。
と言うことは、ここを削減するキーは、いかにピークの消費電力をあげないか、と言うことになるわけ。
で、ここに太陽光発電ですよ。太陽光発電はピーク時はだいたい真夏の一番暑い=一番太陽光が強い時期だからだいたい気温に比例して太陽光発電は発電効率が上がるって性質がある。と言うことはつまり、ピークの時に必要なベースに加えての発電量を削減する効果があるんだ!
で、ここで「暑い夏の雨の日などはどうする気だ」とか「夕立とかの時どうするの?」と言う話が出てくるんだけど、そこで出てくるキーポイントが「各家庭で備蓄する」というのと「日本全国規模で平準化する」と言うこの二点。
「各家庭で備蓄する」というのは非常に単純な話で、いくからかの蓄電池を設置すればいいわけさ。早朝まだ暗いうちから電車に乗り、深夜終電でへとへとになって帰宅して、楽しみが唯一アニメ鑑賞という一体何が楽しくて生きてるのかわからないような人だって、これがあれば安心! 昼間の電気をためておけば、摩擦運動による自家発電するときも便利!であると同時に、特定のタイミングによる急激な需要の増加を和らげる効果が期待できるはずなんだ。洪水時の調整池みたいな感じかな。
え?バッテリーが高い?それは大丈夫だよ。ほっとけば車屋共が勝手に改良してくれるから。奴ら今かわいそうなぐらいに必死だからまぁニッポン名物カロウシは多少起きるかも知れないけど、その屍と悲しみを乗り越えた先には、数年以内には急速に値段が下がるはずさ。
で、日本全国規模で平準化するというのはつまり、規模がでかくなればなるほど、局地的な夕立などの現象にもカバーしやすくなると言う事。
わかりやすく言うと一人で走りに行って信号無視をすると捕まるけど、たくさん仲間を引き連れて走れば、多少一人や二人捕まっても全体としては一定量の人が確保できるってわけ。上手くすればポリ公や権力の犬共を混乱させて、全員うまいことまけるかもしれない。
と言うことは普及しはじめが一番つらいということで、本来なら誰か馬鹿な奴をだまくらかしておっかぶせる必要があるけど、リスクがあるし訴えられたりしたら面倒だよね!だからそこの部分のコストを国が請け負って、一気にすっ飛ばしてある程度カバーできるぐらいの規模まで一気に押し込むというのもありだと思う。
この手の話題を出す人の中の一定数は、エネルギーミックスのことを全く考えてない人がいるんだけど、あんまり相手にしちゃいけないよ。彼らはなぜか「火力」なら「火力」「原子力」なら「原子力」「太陽光」なら「太陽光」と特定のものですべて賄うかのように反論してくるんだけど、それぞれ一長一短。カバーしあえばいいのさ。
たとえるならたまにやたら不細工な馬鹿男に綺麗なよくできたお嫁さんがついてることあるでしょ? でもよくよく聞いてみると旦那は性格はよくって、奥さんがアレだったりするよね!そんな風に世の中は全体でバランスがとれるようにできているのさ!
ちなみにこの件については、家庭でも常時通電保証のある電源ラインと、別にある程度ダウンタイムがあってもいい電源ラインをわけて、各家庭のブレーカーをさらにインテリジェントにして契約で振り分けを行うようにすれば解決するって話もあったね。これも僕はいいとおもうな。
別に太陽光発電を設置しても、風力発電ができない、と言うことではないので対立する話ではないのだけれど……。
日本の場合、各地で大型の風力に対して、「正気かな?」って思わず疑っちゃうようなおばちゃんや既得権益の犬、宗教その他反対運動でご飯を食べている人たちが沸いて結構反対運動が多いんだ。景観を崩すだの、よくわかんないけど科学的には測定できない「低周波」と言った話もあるんだけど(スカラー波みたいなものかな?)、結構感情的とも言える反対運動が起きてるんだよ。これにのせられる脳が足りない政治家も多くてこまっちゃう。
その点で、なんとなくいい物ってイメージのある太陽光発電の方がデメリットをうまいことイメージの向こう側において、たくさんの人をだましやすいと思うんだ。また、可動部分がないだけ太陽光発電の方がメンテナンスフリーだっていえちゃうので(機械なので必ず壊れるよ!)、一般人が仮定に設置するなら、風力より太陽光だと思う。
僕としては、峰に回る巨大な風車ってな光景は、いかにも人類が緩やかに滅びていく終末的な光景でいいな~って思うんだけど、わりと感情的な反対が多いみたいで残念だなぁ。「無風と強風が入り乱れる季節のはっきりした日本のような土地でわざわざあんな馬鹿みたいなもの建てるなんて馬鹿じゃねーの?そもそも風力で独立して採算がとれる見込みなんてあんのかよ?プゲラ」とかなんておもってないですよ?
もちろん!風力発電装置のかなりの部分は外国から買わないといけないってのも問題だと思うよ。わざわざホワイトトラッシュ共に金をくれてやることなんかないもの。あいつら金を与えるとすぐに戦争するでしょ?まるで発情期のわんこみたいに。
とは言っても、産業としては普及させないことには奴らにやられっぱなしになっちゃうんで、研究費はどこかで助成する必要があると思うけど。だって儲け損なったらもったいないじゃない。
なぜか長文を投稿すると最後まで表示されない増田の糞バグ仕様のせいで分割する羽目になったので、その2へ続くよ!
付き合って一年くらいのある日、当時の彼氏との会話でこんなことがあった。
「ねーこのお店エコバック売っているー。結構可愛いのもあるねー。」
『買うの?』
「うーん、ちょっと欲しいけど。どうしようかな??」
『・・・』
「エコバックってどう思う?」
『俺は別にエコとかはどうでもいいかな』
『それならいいかもね。これなんか●●円だから、●回使えば元とれるよ』
会計が終わったあと。
『エコバック買うんじゃなかったの?』
「ん、ここのポイントカードは持っていないから、別にいいよ。」
この後彼氏がキれた。
たしか、こんな感じだったと思う。
『俺が真剣にエコバックを買えばどれくらいで回収できるか考えたのになんなんだ。君はいつもいつも、目に入ったからって適当に口に出せば良いと思っている。メールも意味の無い報告ばかりで、疲れる。ちゃんと目的を持ってコミュニケーションしろ。』
以下は上記の会話を「こういう風に話したかったのだろう」と推測している会話で……
http://d.hatena.ne.jp/Thsc/20081023/p5
「ねーこのお店エコバック売っているー。結構可愛いのもあるねー。エコバックってどう思う?」
『少なくとも、環境保護意識を発揚する象徴としての意義は大いにあると思う。実効はどうなんだろう、難しいところだな。レジ袋はゴミ袋に転用すべきだと思うけど、専用ゴミ袋でのゴミ出しが義務づけられる現代においては、レジ袋はただのゴミになってしまう。なら、やっぱりエコバッグを使う方がいいということになるのかなあ』
『それならいいかもね。これなんか683円だから、137回使えば元とれるよ』
「いや、その試算はおかしい。私はエコバッグが可愛いから欲しいと言っているのであって、経済合理性のみからの試算は著しく妥当性を欠くものと指摘せざるを得ない」
『それもそうだね。じゃあ、顧客満足度の数値化も試みようか。ファッションとしてのエコバッグに君は何円分の価値を認める?』
「500円ならぱっと買っちゃうかな?」
『じゃ、37回使えば元が取れるね』
「ちょっと待って、どういう計算?」
「683円からファッションとしての価値500円を引いて、差額183円を実用上の価値で回収する必要がある。1回5円のポイントで37回分だ。買う?』
「うーん。ここのポイントカードは持ってないから、一旦サービスカウンターまであなたを付き合わせてポイントカードを発行してもらって、またレジに並び直す手間がかかるんだよね……」
『あー。その手戻りを考慮すると、今回は見送りが合理的かもしれないね』
「じゃあ、やめとこうっと」
という会話がしたいのだ、と言っているけど、違うように思う。寧ろこれでは、元の会話と同じである。
会話の内容がなんとなく小難しく賢くなったように思える(だけで、別段そうたいして難しい話ではないが)ってくらいの違いである。
話の流れとしては、
エコバッグ発見→欲しいけどどうしよう→ポイントもらえるらしい→まあでもここのポイントカード持ってないからいいや(わざわざバッグのためにカード作るほどでもないや)
であるのだがこれ……結構内容は論理的な流れではないか?
「どれくらいで回収できるか考えたのに何なんだ」と言われても、その情報をもってしても彼女を買う気にはさせられなかった、というだけの話である。「考えたのに何なんだ」と言われても非情に恩着せがましいというか、なんというか。情報を提示したからといって必ずしも買う、という行動に至らないのは至極当然な話であって、そこに怒る意味が僕には分からない。
エコバッグがある、最近ちょっと欲しいと思っている(しかし見たら即買いというほどの購買欲はない)、そのエコバッグに関する情報を彼氏とやりとりする、結果、「やはりいらぬ」という結論に達している、それだけの話である。
彼女は、ポイントがあり、●●円だから●回でもとがとれること、エコバッグがなかなか可愛いこと、しかしポイントカードは持っていないなどの各々の価値を頭の中で比較検討した結果、「まぁなら買わないほうが勝つな」と結論を下したわけである。それだけの話であり、そこに「あの情報を、せっかく提示したのに!」と怒る意味が分からない。
彼女はそもそも、「どのくらいで回収できるだろうか?」などと聞いていないのである。勝手に考えたのは彼氏である。
とすると、彼氏は結局何が言いたいのか分かりづらいが、それでも僕なりに考えてみるにおそらくこういうことなのだろう。
「ええ、ポイントカード持ってないから買わないって、じゃあそもそもどのくらいでもとが取れるかとか、関係なかったんじゃん、それをいちいち計算した俺って何よ……てかカード持ってないから買わないんなら最初からポイントあるんだとか言うなよ」
という事なのだろう。
ポイントカード持ってないから、といったところで、ポイントカードについての議論が無駄だったというわけではない。
極端な話、「今ポイントカード使ったら熱海旅行当たるかもしれないって」等という情報があったとする。それだったら彼女は、カードを持っていなくてもカードを作ったかもしれない。
何がいいたいかというと、ポイントがあるんだって、の後のカード話に意味がなかったわけでなく、そのカードの情報は単に、彼女を「バッグの元がとれるポイントのためにわざわざカードを作る」気にさせるほど魅力がなかった、というだけの話であるということだ。
ので上記の
「うーん。ここのポイントカードは持ってないから、一旦サービスカウンターまであなたを付き合わせてポイントカードを発行してもらって、またレジに並び直す手間がかかるんだよね……」
『あー。その手戻りを考慮すると、今回は見送りが合理的かもしれないね』
「じゃあ、やめとこうっと」
これは寧ろ同じことである。ちょっと詳しく述べただけで基本的な違いはない。
結局彼氏は、早とちりしただけである。ポイントカードについての話が無駄であった、また彼女がもう買う気でいるにちがいない、園辺りを早とちりしていただけである。目的云々の問題ではない。
そして更に言うと、おそらく彼は自分が述べた情報を購入に役立てて欲しかったのである。「そうかあ、●回で元がとれるんだ!じゃあ、買おうかな」というのをうっすら期待していたのだ。自分の言ったことで彼女を助けてやった、みたいな気に浸りたかったのだろう。まあこれは正直気持ちが分からんでもないのだがw男にはこういう無意味なプライドがあるんだよなぁ。
本当のところは単に「せっかく計算したのに「ああ、そうなの、それでもやっぱりカード作る手間に比べたら……ねぇ。やっぱりいいわ」」とばっさりやられたのがなんか気に食わなかった、というところだと思われる。
だから本当に彼氏がしたかった会話というのはおそらくこういうものだ。
『それならいいかもね。これなんか●●円だから、●回使えば元とれるよ』
「へぇ??すごい!そうやって計算してくれると分かりやすいね。それならお得だし、買おうかな」
『うん、それもいいんじゃない?』
みたいな会話である。これが彼的には最高の流れなのだ。あるいは次点ではあるが、
『それならいいかもね。これなんか●●円だから、●回使えば元とれるよ』
「えー●回かかるのかー。そんなにこのスーパーこないしなぁ」
『だったら今回はやめておく?他のスーパーにもあるだろうし』
「そうだね。そうしよう」
も可。
要は彼氏は、自分の情報をちゃんと受け取った事を示して欲しいだけなのだ。
そもそも怒り方からして「真剣に考えたのに何なの!」なんていう拗ねたような怒り方だしな。「真剣に考えたのに…」って裏返せば「そうやって俺が真剣に考えたことなんだから、ちゃんと君の中でその情報を活かしてよ」ってことだ。
こんなアニメはイヤだ!(宮崎駿×Ζガンダムの場合)の続きです。そろそろネタ切れで、2つしかいいのが出てきませんでした。
今年でそれぞれ94歳と84歳になるブラン・ブルタークとベン・ウッダーは、老人ホーム「スードリ」での生活を送っている。お世辞にも快適とは言えない「スードリ」での生活で、車椅子でようやく動けるほどのブランと、身体は至って元気だが少しだけ痴呆気味のウッダーの唯一と言っていい楽しみは、互いに身を投じ生還した太平洋戦争の話に華を咲かせることであった。2人は、静かだが堅い友情で結ばれていた。
しかし、幸せな生活も長くは続かない。施設所長ナミカー・コーネルによる介護保険の悪用が発覚してしまった「スードリ」は取り潰されることとなり、2人は別々の介護施設への転居が決まる。別れを嘆くウッダーに対して、ブランは家族にさえ内緒にして手放さなかった土地と家を持っていることを明かし、良かったらそこで暮らしてみないかとウッダーに提案する。
ブランの提案をウッダーは快諾し、2人の新たな生活が始まった。しかし、グローバル資本主義によってムラ的コミュニティの崩壊した地方では近所付き合いなど皆無に等しく、役所から紹介してもらった訪問型の介護サービスに連絡を取ると遠いという理由で断られ、また、あてにしていた年金支給も高齢者医療制度による実質の減額で苦しいものとなり、2人は現実の辛さに直面することとなる。
さらに、しばらくもしないうちにブランは脳溢血で倒れ、あっさりとこの世から去ってしまった。ブランの死を伝えるために家族に電話するウッダーであったが、「なんでそんな家と土地があることを隠していたんだ!」という第一声がウッダーに追い打ちをかける。
土を盛りパイプ管をひもで結わえた十字架を挿して庭に作ったブランの墓の前で、ウッダーは手を合わせながら、この悲惨な現実を世に知らしめるために、爆弾を積んだ軽トラで厚生労働省に突っ込む自爆テロを決意するのだった……。
――オレだってがんばってるんだよォ――
東京都多摩市議会議員ジェリド・メサは、まだ若いながらも市長の座を虎視眈々と狙う野心家である。昨今の多摩市では、老朽化し入居者も減るニュータウンを取り潰し、大規模なごみ焼却施設と最終処分場を建設する計画が持ち上がっており、周辺自治体も巻き込んだ、議会、住民、環境保護団体などが入り乱れての混乱の只中にある。
ジェリドは同期議員カクリコン・カクーラーとともに、市長ジャミトフ・ハイマンおよび所属する与党政党「ティターンズ」の重鎮議員バスク・オムの息のかかった建設賛成派の急先鋒を務めていたが、大学時代から環境保護活動に参加している恋人マウアー・ファラオとの仲は険悪になる一方で、頭を悩ませていた。
そんな折、建設反対を訴える対立政党「連邦」のやり手議員であり、大学時代は空手部の先輩でもあったライラ・ミラ・ライラが謎の死を遂げる。これに大きなショックを受けたジェリドは、ティターンズの先輩議員ジャマイカン・ダニンガンに事の真相をを問い詰める。そこでジャマイカンの口から出た言葉は、家族の誘拐・拉致による反対派への恐喝、それでも従わない場合の毒ガスによる殺害など、賛成強行派による恐ろしい手口の数々だった。
非道の一端を担っていた自分を恥じ、汚名挽回を誓ったジェリドは、内部告発の準備を進める最中で、メラニー・ヒュー・カーバインの経営するごみ処理プラント建設会社アナハイム・エレクトロニクスと市長ジャミトフとの癒着の、決定的証拠を掴む。単純な告発では握り潰されてしまうとのマウアーの忠告を受け、あくまでティターンズ内部からの瓦解を目指すことにしたジェリドは、壮絶な化かし合いの政争に身を投じることとなる……。
自分を信じることが出来ないのは他者を信じることが出来ないから。
ってとこだけ逆(他者を信じることが出来ないのは自分を信じることが出来ないから)だけど、後は一緒だ。それでも外から見たらリア充な生活を送ってるよ。増田と何が違うんだろうな。
他の人を傷つけたくないというのは自分が傷つきたくないから。
それの何が悪い?殆どの人はそうだろう?
自分がされて嫌なことは他人にしないって、当たり前のシンプルなことじゃないか。
環境保護を訴えるのは自分の住み心地が悪くなるのを許せないから。
その通りじゃないか。それ以外の方が、なにか怖いよ。
・・・大抵まあこんな感じで、自分の中では許容範囲内だし、自分も他人もこんなもんじゃないかって思うなあ。そんだけだ。それがどうして増田は嫌なんだろうなあ。
思うに、ここに挙げられたのは普通の当たり前の人間の現実で、そうでない方がおとぎ話の世界なんだと思うよ。それを肯定出来ないのは、自分だけ特別でおとぎ話の住人でいたくて、周囲の人間を「大人はみんな汚い!」って言って拒絶するようなキャラクタに繋がるかもな。
利己的な自分を肯定出来るってことは他人の利己的な面を目撃したときに許容することにつながるし、悪いことばかりじゃないと思う。
他の人を傷つけたくないというのは自分が傷つきたくないから。
環境保護を訴えるのは自分の住み心地が悪くなるのを許せないから。
戦争を否定するのは自分が戦場で死にたくないから。
自分を信じることが出来ないのは他者を信じることが出来ないから。
格差社会の是正を訴えるのは自分の取り分を多くしたいから。
批判精神が強いのは敵を作ることでアイデンティティを保とうとしているから。
生きる価値が無いとわかっていても死なないのは復讐したいとどこかで願っているから。
自己嫌悪に陥るのは自分の本来持っている能力を認めたくないから。
こうしてネットに文章を書くのは誰かにかまって欲しいから。
宗教を嫌うのは自分が正しいと主張したいから。
政治批判を行うのは政治家というお偉いさんの悪口を言うことでストレス解消になるから。
これだけいろいろ言いながら自分から行動しないのは誰かが何とかしてくれると願っているから。
彼女を作ろうとしないのは嫌われるのがイヤだから。
現実を見ないのはそこに映される自分の醜さが見ていられないから。
今自殺したって、自分が今まで生きて重ねてきた罪を償うことにはならない。
でも、その成長の過程でもやはり罪は重なっていく。
逃げ場なんてない。
私はコミュニケーションがヘタクソだ。
空気なんてまったく読めやしない。
でも、孤独は辛かったからいろんな人に話しかけた。
みんな、私のことを迷惑がった。
私は、自分の愚かさに気づくのが遅すぎた。
みんな、私が知らない間に大人になっていた。
大人は私のような子どもにかまっている余裕などなかった。
私は孤独になった。
ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。
口で言っても無駄だ。
行動で示さなければ意味がない。
過去にとらわれて身動きが出来ない子どもの私が大人になる日は遠い。
最後に。
どうか私みたいな人間にならないで欲しい。
このエントリに書かれた内容が反面教師になってくれればうれしい。
こんなつまらないことを書いてごめんなさい。
「地球温暖化と環境破壊との因果関係がはっきりしていない」という意見がある。しかし環境破壊は良くない、というのはみんな一致した意見だよな。そもそも環境破壊や環境保護の「環境」ってのは、「人間が住みやすい環境」を指しているのだから。極論すれば、クジラやシロクマが死のうが人間が未来まで快適に住めればいいのである。
「環境は大事だけど自分の便利な生活は失いたくない」という意見がある。正直であり当然である。しかし、便利な生活を失った見返りがあったらどうだろうか。たとえばお金。現に、ガソリン代が上がったらクルマでの遠出を控えたり回数を減らしたりしてるという。流通業界は業種業態の枠組みを超えた共同配送等も検討するという。みんなお金は大事である。
というわけで、地球と財布に優しいエコ(エコロジー/エコノミー/エネルギー)を考えてみた。
日本国民のおとなしさは異常。
・総務省が携帯電話会社などから徴収し、違法電波の監視などに使途が限られている
電波利用料が、職員のレクリエーション費に使われていたことが明らかになった。
民主党・加賀谷健議員「何に使ってもいいという使われ方。年金の使われ方に似ている」
増田総務相「今後は、こうしたものへの支出は行わないようにしたい」
民主党は20日に行われた参議院総務委員会で、06年度で約672億円の電波利用料の
うち約4000万円が野球観戦のチケット代など不明朗に支出されていると指摘した。
増田総務相は、今後、レクリエーション費などには使わない考えを示した。
http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/nnn/20080520/20080520-00000071-nnn-pol.html
・日本の調査捕鯨船「日新丸」の乗組員が鯨肉を横領した“証拠品”として、環境保護
団体「グリーンピース・ジャパン」が西濃運輸の青森支店から配達中の荷物を無断で
抜き取っていた問題で、同団体が19日、東京都内で取材に応じ、「ご迷惑をおかけ
したことはお詫びしたい」と西濃運輸側に謝罪したことを明らかにした。
一方、荷物を持ち出したことが窃盗罪にあたるとの批判については、「違法性については
私たちの判断することではない。警察、検察の捜査には協力していきたい」と述べるに
とどめた。
荷物の持ち出しを巡っては今月16日、西濃運輸が青森県警に被害届を提出。青森署が
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080519-00000949-san-soci
これが
“ポール・マッカートニーがトヨタに激怒!” 環境保護のためにレクサスを船便で注文するも、空輸される
2008/05/15(木) 00:11:11 ID:???0
↓
http://www.asahi.com/international/update/0516/JJT200805160002.html
ポールも空輸したことに怒ってるのに、なんでこんな話になってるんだ?
レイチェル・カーソンが「沈黙の春」を書いてから、DDTは悪者になり、環境保護主義者が台頭するようになった。
環境保護主義者が活動し、DDTがどんどん禁止されていったせいで、何が起こったかというと、マラリアのコントロールに失敗した。
その結果、失わなくてもいい人命が、数千万単位で失われた。
環境保護主義者は大量殺人者で、先導したのはレイチェル・カーソン。もっとも、彼女にはそのつもりは無かったかもしれないが。
環境のためなら、人間がちょっとくらい死んだっていいんだよね。
60億以上も居て、大きな環境負荷になってるんだもん。マラリアで死ぬほうがかえっていいくらいだよね。
環境保護主義者はそんな人たち。
最近だと、DDTの血中濃度と乳がんのリスクが関連してるっていう報告もあったけど
http://www.ne.jp/asahi/kagaku/pico/research/ehp/07_10_ehp_DDT_Breast_Cancer.html
そんなことはありそうにないって反論も出されてる。反論が出されるのってわりと珍しいんじゃないかな。
http://www.pubmedcentral.nih.gov/articlerender.fcgi?tool=pubmed&pubmedid=18414606
で、DDTだけじゃあきたらず、今度は有機リンが危険とか言うんでしょ?環境保護主義者は。
日本だと、有機リンが化学物質過敏症の原因になってるとか言ってる人たちがいて、禁止に向けてがんばってる。
じゃあピレスロイドだといいのか、っていう話になるんだけど、ピレスロイドも化学物質過敏症の原因になるとかいって反対しる。
http://homepage2.nifty.com/smark/YukiRIN.htm このへんとか。
大体、化学物質過敏症なんて心因性じゃないかと疑われてるくらいなのに・・。
WAOニュース2007年3月(http://www.jsaweb.jp/wao/wao0703.html)では、
過敏症とは「正常被験者には耐えられる一定量の刺激への曝露により、客観的に再現可能な症状または徴候を引き起こす疾患をいう」と定義されているので、化学物質過敏症は過敏症の定義からはずれてしまう。今後は、過敏症としてアレルギー学者が扱う研究課題ではなく、心理学者、神経学者が扱う研究課題になるであろう。
なんて言われてるし。
あとは・・ピレスロイドには女性ホルモン活性があるとかもたまに言い出す人がいる。
ネオニコチノイドも、化学物質過敏症の原因になるとか言い出す。
http://www.ne.jp/asahi/kagaku/pico/tsuushin/tsuushin_08/pico_114.html
http://tabemono.info/report/former/12.html
じゃあ何使えばいいのさ。
殺虫剤を使わなければいいの?
他所の国でマラリアで死ぬのは一向にかまわないし、ウエストナイル熱が発生しても関係ないし、
病害虫のせいで農業生産がおちても、しわ寄せが来るのは他所の国だし、私たちは農薬使ってない安全な食物が食べたい。
っていうのが、環境保護主義者なんでしょ?
筋萎縮性側索硬化症と殺虫剤が関係あるって言われてたけど、関係なかったし
http://www.eurekalert.org/pub_releases/2008-04/aaon-cem040208.php
ピレスロイドの高暴露群では化学物質過敏症の人はいなかったし、
http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/18344101
どこをどう見ても安全なのに、環境保護主義者がごねてるだけなんでしょ?
そのせいで、間接的に、大勢の人を殺してる。
犯罪的だと思います。
そういっているとしか思えないんだが。たとえば「駐車禁止は守られないから道路交通法は改正すべき」みたいな感じ
政策を考える場合、まず考えるべきはそ行為がいいか悪いかであり、国民全員が犯罪者になるかならないかじゃない。仮に国民全員が犯罪となる行為を正さないまま犯罪者となっても、その行為が悪いのであれば罰するべきだろう。その行為が悪いのにもかかわらず、取締りが図られないとますます助長され事態が悪化する。駐車禁止が守られないからといって駐車禁止を廃止するのは自体を悪化させるだけなのは明白だ。ほかにもタバコのポイ捨てはどうか。昔はほとんどの喫煙者がやっていた。そのせいでいちいち条例を作るはめになった。しかしその際ほとんどの喫煙者がやっていて、ほとんどの喫煙者が取り締まられるから禁止すべきでないという意見はなかった。そして条例が作られ取締りが行われるようになると、ほとんどの喫煙者はポイ捨てをやめ前に比べるとよくなった。飲酒運転なんかもそうだ。昔はいまほど厳しくなかった。そのせいで事故につながる可能性があったとしても、飲酒運転をする人があとを絶たなかった。そしてタバコのポイ捨てと同じように厳罰化された。そのときなんだかんだいって違反する人が多いから、厳罰化すべきでないという人はいただろうか?いないだろう。なぜか?それが悪い行為であり、取り締まるべきであるからだ。環境問題はどうか?昔はみんな環境のことを考えていなかった。しかし最近は環境保護が叫ばれ、一部の人たちはコストがかかるが環境によいとされる行為をするようになり、法的な規制も視野に入れられるようになってきた。これに対しては「地球温暖化はうそ」などとして反対する人はいる。しかし「みんながやっていたから、それを取り締まるべきでない」などという人はいないだろう。重要なのは取り締まられる人が多いか、違反者が多いかではない。その行為が悪い行為か、取り締まるべき合理性があるかどうかである。著作権についても同じだ。全員が違反の可能性があるからといっても、それは改正する理由にならない。重要なのはその取締り自体に合理性があるかないかだ。違反者が多いかではない。
まぁ、法律馬鹿は合理的に考えられないから、「一億人総犯罪者だから、著作権は改正すべき」なんて馬鹿なことをいうのはしょうがないかも。でもやっぱこれだから法律しか知らない人はいやなんだよ。お前は法律の枠内でしか考えられないのかって感じ。東大教授でもこれだもん。うんざりする。
こういう人に教育された人が官僚になって日本の政策作ってると考えると日本がよくならない理由がよくわかる。
法学部はつぶすべきじゃないだろうか?最低限東大の法学部をつぶせば、40年後ぐらいには法律にとらわれず、合理的な視点に立った政策が打ち出されるようになるんじゃないだろうか?
そういっているとしか思えないんだが。たとえば「駐車禁止は守られないから道路交通法は改正すべき」みたいな感じ
政策を考える場合、まず考えるべきはそ行為がいいか悪いかであり、国民全員が犯罪者になるかならないかじゃない。仮に国民全員が犯罪となる行為を正さないまま犯罪者となっても、その行為が悪いのであれば罰するべきだろう。その行為が悪いのにもかかわらず、取締りが図られないとますます助長され辞退が悪化する。駐車禁止が守られないからといって駐車禁止を廃止するのは自体を悪化させるだけなのは明白だ。ほかにもタバコのポイ捨てはどうか。昔はほとんどの喫煙者がやっていた。そのせいでいちいち条例を作るはめになった。しかしその際ほとんどの喫煙者がやっていて、ほとんどの喫煙者が取り締まられるから禁止すべきでないという意見はなかった。そして条例が作られ取締りが行われるようになると、ほとんどの喫煙者はポイ捨てをやめ前に比べるとよくなった。飲酒運転なんかもそうだ。昔はいまほど厳しくなかった。そのせいで事故につながる可能性があったとしても、飲酒運転をする人があとを絶たなかった。そしてタバコのポイ捨てと同じように厳罰化された。そのときなんだかんだいって違反する人が多いから、厳罰化すべきでないという人はいただろうか?いないだろう。なぜか?それが悪い行為であり、取り締まるべきであるからだ。環境問題はどうか?昔はみんな環境のことを考えていなかった。しかし最近は環境保護が叫ばれ、一部の人たちはコストがかかるが環境によいとされる行為をするようになり、法的な規制も視野に入れられるようになってきた。これに対しては「地球温暖化はうそ」などとして反対する人はいる。しかし「みんながやっていたから、それを取り締まるべきでない」などという人はいないだろう。重要なのは取り締まられる人が多いか、違反者が多いかではない。その行為が悪い行為であり、取り締まるべきかである。著作権についても同じだ。全員が違反の可能性があるからといっても、それは改正する理由にならない。重要なのはその取締り自体に合理性があるかないかだ。違反者が多いかではない。
まぁ、法律馬鹿は合理的に考えられないから、「一億人総犯罪者だから、著作権は改正すべき」なんて馬鹿なことをいうのはしょうがないかも。でもやっぱこれだから法律しか知らない人はいやなんだよ。お前は人の作った法律の枠内でしか考えられないのかって感じ。東大教授でもこれだもん。うんざりする。
そういっているとしか思えないんだが。たとえば「駐車禁止は守られないから道路交通法は改正すべき」みたいな感じ
政策を考える場合、まず考えるべきはそ行為がいいか悪いかであり、国民全員が犯罪者になるかならないかじゃない。仮に国民全員が犯罪となる行為を正さないまま犯罪者となっても、その行為が悪いのであれば罰するべきだろう。その行為が悪いのにもかかわらず、取締りが図られないとますます助長され辞退が悪化する。駐車禁止が守られないからといって駐車禁止を廃止するのは自体を悪化させるだけなのは明白だ。ほかにもタバコのポイ捨てはどうか。昔はほとんどの喫煙者がやっていた。そのせいでいちいち条例を作るはめになった。しかしその際ほとんどの喫煙者がやっていて、ほとんどの喫煙者が取り締まられるから禁止すべきでないという意見はなかった。そして条例が作られ取締りが行われるようになると、ほとんどの喫煙者はポイ捨てをやめ前に比べるとよくなった。飲酒運転なんかもそうだ。昔はいまほど厳しくなかった。そのせいで事故につながる可能性があったとしても、飲酒運転をする人があとを絶たなかった。そしてタバコのポイ捨てと同じように厳罰化された。そのときなんだかんだいって違反する人が多いから、厳罰化すべきでないという人はいただろうか?いないだろう。なぜか?それが悪い行為であり、取り締まるべきであるからだ。環境問題はどうか?昔はみんな環境のことを考えていなかった。しかし最近は環境保護が叫ばれ、一部の人たちはコストがかかるが環境によいとされる行為をするようになり、法的な規制も視野に入れられるようになってきた。これに対しては「地球温暖化はうそ」などとして反対する人はいる。しかし「みんながやっていたから、それを取り締まるべきでない」などという人はいないだろう。重要なのは取り締まられる人が多いか、違反者が多いかではない。その行為が悪い行為であり、取り締まるべきかである。著作権についても同じだ。全員が違反の可能性があるからといっても、それは改正する理由にならない。重要なのはその取締り自体に合理性があるかないかだ。違反者が多いかではない。
まぁ、法律馬鹿は合理的に考えられないから、「一億人総犯罪者だから、著作権は改正すべき」なんて馬鹿なことをいうのはしょうがないかも。でもやっぱこれだから法律しか知らない人はいやなんだよ。お前は人の作った法律の枠内でしか考えられないのかって感じ。東大教授でもこれだもん。うんざりする。