はてなキーワード: 武蔵小金井駅とは
というと、1971年から1978年のことか。まさに50年くらい前の話か。
ということは、元増田は50年も前の事を今ごろわざわざ持ち出しているのか。共産党系の市長の時代はとっくの昔に終わってるわけだろ? 駅前の再開発が遅れたとかって大昔の話じゃん。
もし小金井市のことだとすると、たぶん隣の市とは国分寺市で、誘致した新駅とは西国分寺駅で、小金井市の開かずの踏切とは武蔵小金井駅の近くの踏切だろう。
だけど、これもおかしな話であって、1973年の西国分寺駅の開業は武蔵野線の開通にともなって中央線と交差する場所に新駅ができただけのことで、国分寺市が頑張ったわけじゃないだろ。しかもこの駅は国分寺市内で二つ目の駅に過ぎない。
一方、小金井市内には当時既に二つの駅があった上に、1964年には三つ目の駅である東小金井駅ができている。西国分寺駅に先立つこと9年。こちらは地元が頑張って誘致した「日本初の請願駅」として知られている。
さらに、開かずの踏切問題は小金井市が怠けていて起こったわけではなくて、中央線沿線では国分寺市も含めてどこでも困っていたのであって、これまた解決は国分寺市が独自に行なったわけではなくて、東京都が事業主体となってJR東日本と沿線の六自治体(三鷹市・武蔵野市・小金井市・国分寺市・国立市・立川市)と共同で中央線の立体交差化を行なってやっと解消したのだよ。
元住民として言わせてもらうと、小金井市は住みやすかったよ。ジブリも国分寺市ではなくて小金井市を選んだのだよ。国分寺市を選んだのは駅前書店のオババくらいだったんじゃないの?
翌25日、武蔵小金井駅前。「ゆりこグリーン」を身につけた聴衆が目につく。序盤戦の頃と比べると明らかに緑が増えた。3人の子どもと共に緑色の衣類を身にまとって小池の演説を聞きに来た母親もいた。
首都直下型地震対策、待機児童問題・・・小池は政策を具体的に述べた。体制批判はいっさい口にしなかった。
小池は核武装論者で外国人参政権に反対するタカ派なのである。核武装については彼女のHPなどで必要性を説いていた。「核ミサイルの配備」まで飛び出した日本会議との鼎談は有名である。(HPからは削除しているようだが、ウェブ魚拓が残っている)
外国人参政権については、街頭演説で「反対」と宣言しているのだ。(ただし序盤まで)
70代の女性は待機児童問題について「(解消するには)給料をあげるしかない。小池さんならすぐできる」。
小池は「空き家を利用する」「都の公園の一部を保育所にする」などと言っているだけで、保育士の待遇改善は言及していない。皆、だまされているのだ。
改革派、実行の人、政策通・・・小池は作り上げたイメージをしっかり有権者の頭に刷り込んだようだ。メディア出身だけのことはある。
集団催眠にかけられた東京都民は一体どこへ連れていかれるのだろうか?
武蔵小金井駅から大通りを真っ直ぐ歩いていくだけで小金井公園までつくので
花見客は多いのだが花見客のうざったさは近隣住人からするととても迷惑だ。
まずは歩道。
何人もの団体が歩道を3人、4人と横並びに歩き後ろにもそれが何人と続くので
通行のじゃまでしかたない。そんな集団が多くて邪魔で邪魔で週末は
イライラしていたがそれよりも許せない事があった。
それはゴミ。
その通りに面したマンションから白いビニールに入れられたゴミが道まで溢れていたのだ。
そのゴミは花見客が帰り道に勝手に人のマンションに捨てていったものだ。
ちなみに小金井市は個人でゴミを捨てる為にはゴミ袋が有料であり、
有料の袋に入っていなければもちろん持っていってもらえない。
その為、白いビニールでなんて絶対に捨てない。企業ゴミもちろん有料である。
(ちなみにその通りに面したコンビニも花見客のゴミマナーが酷いのでこの期間はゴミ箱が撤去されている。)
本当に許せない。