はてなキーワード: 寝言とは
私はそれで会社を辞めました。
いや、手を出して問題になった、とかではなく、自分がそうしてしまいそうで怖かったからですけどね。
=自分の希望で好きな人を不幸にしたい? したくないよね
(浮気相手とかセフレとかいうステータスが不幸ではない、とかなら別かもしれないけど、一般常識的には、ねぇ?)
って感じで、あなたと似たようなこと、考えてたわけですよ。
自分の中で好意が盛り上がってた時とかなんか、夢に彼女出てきて、気持ち的にはすっげー幸せなんですが、「寝言で余計なこと言ってないよな?」とか無駄にびくびくすることもw
(今は時間が経過したことで、夢に出てくるようなこともほとんどなくなりましたけど)
女性を自由に好きになる権利とか考えると、
http://anond.hatelabo.jp/20070902021302
が真理だなぁ、と思ったりもします。
でも、好きになった人と自分の子どもを冷静に比較できるわけでもないですしね。
http://anond.hatelabo.jp/20070829100649の続き。
何だかえらい数のブックマークが付いていて驚いた。色々なコメントを頂いたが、どれも面白かった。それを読みながら考えたことがあるので、蛇足だろうけど少し書いてみる。
もし仮に、私が高校生のときに自分自身の文章を読んだとして、今の自分よりも賢い人生を送れる自信は無い。むしろ、軽く聞き流して忘れてしまう可能性のほうが高いように思う。自分がハーバード?MIT?寝言にしたって恥ずかしいくらい現実味の無い話だ。別世間の苦労話を聞かされたところで、せいぜい世の中広いのねと思うくらいのものだろう。
実のところ、似たような話をしたのはこれが初めてではない。大学生に話したことも何度かある。留学を既に考えている学生には大いにウケたが、そうでない学生からの反応は薄かった。特に複数の学生に同時に話した時には大概うまくいかなかった。誰かが「すごいけど俺には無理っすよ」と言うと、あっという間にその空気がグループ全体に伝播していく。「俺たちには無理ですよ」という言葉を使った奴すらいた。恐らく、仲間からの賛同の言葉を待っている。多分無意識のうちに。それは仲間関係の確認であると同時に、自分のいる階級の自己修復でもある。それが社会に縛られると言うことでもある。このセリフが出たらもう手遅れだ。彼らはもう意識のなかでこちらの話を「あり得べき現実として想像すべくも無い別世界のエピソード」として切り離してしまっている。何を話しても、それはエンターテインメント以上にはならない。それでも情報が頭の片隅に残る分だけ、まだマシだろうと思ってしゃべるのだが。
前のエントリーで、先生の言葉で普通科から国立大に進んだ話にTBを送った。これは半ば確信を持って言うのだが、この先生は他にも何人もの生徒に大学進学を勧め、そしてその大半からあっさりと断られていると思う。「大学に行ってもしょうがない」「息子をそんなところに行かせても遊びほうけるだけだから」「別に俺も大学でやりたいことなんてねーし」。上では友人の間で行われた「階級の再確認」が、ここでは親子の間で行われていく。大学に行くと言うことを想像できないのだからしょうがない。後はその「大学に行くなんてあり得ない」という気分を補強する言い訳を見つけてくるだけだ。この世の中、大学に行くメリットもデメリットも、情報は腐るほど供給されているが、もうデメリットの部分にしか目が行かなくなる。私が本屋で留学ガイドをあっさりとスルーしたのと何も変わらない。そういえば私も「留学なんて、暇と金があっておつむの弱い女子大生が語学留学に行ってるだけでしょ」とか思っていた。
結局、私が何がしかの想像力を身につけられたのは、就職して「留学なんて当たり前」と言う空気に触れてからだった。留学経験がある上司も後輩も、それが特に話題にならないほどたくさんいた。そして彼らはもちろんみな優秀だったが、目がふたつ、鼻の穴もふたつある普通の人間だったし、能力的にも絶望的な差があるとまでは感じなかった。私が留学の可能性というちっぽけな「想像力」を手に入れるためには、そんなイニシエーションが必要だった。(もちろん、そこまでのイニシエーションを必要としない人もたくさんいるのだろうが。そういう人は素直に尊敬する。)
世の中には社会が無数にあって、その中で人々は想像力を縛りあっている。仲の良い友達、子供思いの親、そんな全てが想像力を縛る。私にはそれこそ想像も付かないが、親が両方ノーベル賞を取っていたり、親が両方プロのアスリートだったりすれば、また別の方向に想像力は縛られていくだろう(それが幸せなことかどうかは知らない)。プロのピアニストとか、そういう縛りがないと辿り着けない世界だってある。その想像力の縛りが格差となって現れることは前回書いた(というか、この人が書いた)。だから、世の中には格差が無数に存在する。それに、この格差が上流から下流まできれいに並んでいるわけじゃない。ピアニストを親に持ち、4歳から英才教育を受けた子供に、もし天賦の才能が欠けていたとしたら、その子供は必ずしも幸せとはいえない。普通に受験していたら高給取りになれたかもしれないのに(その頃には、本人自身そういう生き方に興味を持たない育ち方をしているだろうが)。
そうして生まれる格差のほとんどは「社会問題」としては認知されない。イェールの学生がハーバードに対して感じた格差は救済の対象にはならないし、私の知った格差を救済してほしいなどと考えたことも無い。ブックマークのコメントにもあったが、救済の対象になる格差は低所得者との間に存在する格差だけだ。つまり、最近盛り上がっている議論は「格差」についての議論じゃない。皆が議論しているのは「貧困」だ(貧困を相対的なものと捉えるならば、これは「低所得者と中産階級間に存在する所得格差」と同義となるが)。ブックマークのコメントで「今の議論とは関係ない気がする」というコメントがいくつかあったが、これは私が「格差」という言葉を一般的な定義で使ったのに対し、多くの議論では貧困の同義語(より狭義の格差)として使っているからだ。
「それなら関係ない話にTBするな」と言われそうだが、それでも前のエントリーを書いたのは、想像力の縛りが格差を生む、というメカニズム自体は貧困の話にもそのまま使えると思ったからだ(貧困は格差の一種と考えるなら、当然そうなる。ただし、所得格差の一部は想像力とは関係なく発生するが)。貧乏人は合理的じゃないかもしれない、という記事をこの文脈で考えてみてもいい。それなら、貧困ではないけれど格差に直面して得た経験と自分なりの結論は、ある程度の普遍性を持っているかもしれない。そう考えたからあのエントリーを書いた。もちろん、救済の対象にはならない様々な格差(特に、留学に関する格差)に直面している人たちにも届けたかった。役に立つかどうかは分からない。それは個々の読み手に判断してもらいたい。
====================以下、想像力とは関係ない話============================
ブックマークに付いたコメントはどれも面白かったし、納得できるものも多かった。ただ、『個々人の人生のサバイバル術と社会問題をまぜるな』というコメントに賛同が多かったのは気になった。私は個々人の生き方は周りの社会の在り様にどうしても左右されてしまうと信じている。それは個々人のレベルではどうしようもない。だからその中でベストを尽くすしかないと書いた。だからそれを持って「混ぜている」と言われているのなら、そうですか、としか言えない(何が悪いのか分からない)。
どうもよく分からないので、同じ人の書いたエントリーを読むと、大上段の議論をしていない(否定しているかのように見える?)のが問題視されているようにも見える。だが、むしろ、議論の視点として『個々人の人生のサバイバル術と社会問題をまぜるな』というのは、私が他のいくつかのエントリーを見たときに感じたことでもある。
個々の例からは個々の含意しか得られない。私が先週下痢で苦しんでいたのは、私と診てもらったお医者さんにとっては問題だが、社会問題じゃない。でも、もし市内の住民の3割が同時に下痢になったら、それは社会問題だ。市役所が税金を使って防疫したり、隔離したり、予防措置をとったりすることになる。このふたつは全く次元が違う。私個人の下痢についての経験から「あの果物は日本人には合わないから止めておけ」とは言える。けど、市役所のワクチン投与プログラムの策定について私の下痢は何も語らない。だから、私個人の経験談によって成り立つ話は、「問題のある社会に住む個人の生き方」以外の結論にはたどり着かない。大上段の話には繋がりようが無い。
むしろ私は、個々の「不幸な話」を持ってきて、そこから「格差社会」を語ってしまうケースが多いことの方が気になる。もし社会を語るのであれば、少なくとも特定の「不幸な話」がその社会である程度の普遍性を持っていることを示すべきだ。それから、救済の対象が特定の個人なのか社会なのかもはっきりとさせた方がいい。格差社会を解消しようとする試みが、冒頭の特定の不幸な人の救済につながるとは限らないからだ。前の例でいけば、もし住民の3割が罹患したのがたちの悪い伝染病なら、市役所がすべきことは患者を一箇所に隔離してそれ以上の伝染を抑えることだ。その結果、隔離された患者は孤独のうちに死んでいくかもしれない。患者を救うことと社会を救うことは違う。
両方を同時に救うことが可能だと言う前提に立つのなら、個々の議論と社会の議論を混ぜてもかまわない。ただ、そう主張するなら、それなりに丁寧で具体的な説明が求められると思う。そうでないのなら、大上段の議論の根幹に経験談を持ってくるのは余りお勧めできない(あくまでも一例に過ぎないことを明示しないと議論がずれやすい。統計とかを使ったほうが議論としては分かりやすくなると思う)。
その辺りのフレームワークをおざなりにしたまま議論をしようとしても、「世の中にはかわいそうな人たちがいる」「この社会が間違ってる」と悲憤慷慨する以上には議論が進展しない気がする。
さて、同人誌作家が“わいせつ”で逮捕されて、警察は委託ショップと印刷所も関与したとして追求していうく方針だというニュースが流れているわけで。
この夏のコミケ前に日本同人誌印刷業協会は独自のガイドラインを「各サークルへの要請」という形で発表し、実際、成人向ジャンルの入稿に関しては従来より厳しい措置がとられた。
今年に入ってコミケや委託ショップの側でもシンポジウムを開催するなどして、同人誌における表現についてのアピールを行っていたにもかかわらず、このタイミングで“著作権”ではなく“わいせつ”での逮捕に踏み切ったということは「お前等オタクが自主規制だのなんだの抜かしても関係なくやるよ」という意思がみてとれる。
所轄は異なれど、まったく同時期に唐突にビデ倫にガサ入れというニュースもあわせて、陰謀論じみた大きな動きを感じざるをえない。こわい!官憲こわい!ひー!
で、ここで蹂躙されているものこそが「アキハバラ精神」とやらではないかと激しく思うのですが、その解放を声高に叫んでおられた団体の皆様におかれましては、いままさに危機に晒されんとする同人誌の表現についてアピールをするどころか、おマヌケな内ゲバごっこのあげく僕達普通ヌルオタに戻りますってな発表ときたもんだ。
こんな連中が「アキハバラの解放」とか訴えていたと思うとゾッとするね。自分の考えで動けない奴、踊らされるのが好きな奴を否定はしないよ。でも誰に踊らされるかは考えようぜってこった。
いざ「アキバの危機」ってときに何もしてくれないどころか、過激派ゴッコに明け暮れている様な連中の指揮で何が主張できるというのか。今回の事件に対して正当なアピールを行おうとしても、色物に見られるようなことになれば、アキバ解放どころか背後から一斉射撃食らってるようなものですよ。
踊りたければ、ウヨだのサヨだの邪念のある連中とは関係なしに、オタパレードなりなんなりするべきだったと思います。ニコニコ動画でのダンスだの、フラッシュモブだのいうイベントの高揚感と達成感は否定すべくもないんだからさ。その楽しさをアホな連中に利用されるなよ。
最大の敵は、バカな身内とはよくいったもので…徹夜行列でコミケ運営に負担をかけるのもオタクなら、キセル自慢で晒されるDQNもまたオタクなんだ。悲しいけどこれが現実。
このままじゃ何かがダメになるよ。だから、口パクパクの鯉でもかまわないから、少しだけ、自分達の好きなものを傷つけないためにはどうすればいいのか、みんなも考えてください本当に!!
あと、昨日の増田で話題になっていたドラ最終回よりもエロを取り締まれっていうのは、自分が嫌いなものを切り捨てる、という発想にしかみえない。自分は藤子ファンかつ、エロ同人誌にはあまり興味がないオタクだけど、それでも「エロなら取り締まっていいですよ」という生贄のような態度は、同人誌文化を考える上では正しいものとは思えません。
そもそも著作権とわいせつの事案は全く別物であるけど、少なくともコミケという場においては「ドラえもんのエロパロが子ども達に影響を与える」ようなことがないような運営が心がけられているし、委託ショップなんかも最近は神経を使っている。違法なスキャンが掲示板にうpされるとか、そういうところから問題になることが考えられるけど、これはネット利用のゾーニングの問題だと思います。
「アレなら取り締まっていいよ」ということをしてしまえば、そこから綻び始めて、気がつくとその影響は自分のいる場所にも及ぶでしょう。そうならないためには、表現への寛容さを維持しつつ、その影響が及ぶ範囲を意識して個人個人が律する、すなわちコミケの精神そのものが求められる……ということで、オタクのみなさん、文化が無いとか寝言をいう自称ジャーナリストもおられますが、とんでもない。
自分達の愛する文化を誇れ、だからこそくだらない利用のされ方をするな。と主張したい。とりとめもない長文で激しく主張したい。
以上、いちオタ増田が思うことでした。
私が生まれた3年後に妹が生まれた。その12年後に両親が死んだ。
それからというもの私と妹の二人暮らしなのだが両親がいたときと大分異なった生活を送っている。
食事は同じものではなく缶詰一つだ。それを妹は机で、私は床で食べさせられる。
最初はその扱いに憤り文句を言ったのだが妹はまるで聞き耳を持たない。
腹に据えかねた私は、不本意ではあったが力にものを言わせることにした。
が、妹は私より力が強く、呆気なく撃退されてしまった。
それからというもの、床で缶詰を食べさせられている。
他にも私から服を取り上げたり、どこからか持ってきた首輪をつけさせたり、そして夜中にその姿で私を外に連れ出したりする。
もちろん、文句を言い、暴れたのだが、結果は同じで、私は仕方なく従った。
そんな日々に耐えかね、逃げ出してやろうと何度も思うのだが、同じベッドに寝ている私を強く抱きしめて、涙を流しながら寝言で私の名前を呼ぶ妹の姿を見る度に、その気は失せてしまう。
妹もやはり寂しいのだろう。それが歪んだ形で現れているだけで。やはり彼女は私の妹なのだ。だから私が守ってあげなければいけない。それがどんなに恥辱にまみれた行為であろうと、彼女のためならば耐えてみせよう。
ジョンと呼ぶ彼女の頬をつたう涙を前脚で拭ってあげながら私はそう決意したのであった。
かといってホストがオトコの中で最高位にいるかというとそんなことはない。
http://anond.hatelabo.jp/20070801110715
地位とステータス?同じじゃんww
ま、揚げ足取りはこれくらいにして。
二十歳過ぎても恋愛だの合コンだの言ってる奴はドロップアウターであって
どんなに女好きする遊びや格好してても社会ではあんま評価されてないことを
知っといた方がいい。
あのね、オトコが地位を求めたり金を追求したりするのはね
それ自体が目的ではないの。
高い地位、たっぷりのお金でもって、いいオンナを手に入れるためなの。
だからね、40を過ぎた今になっても恋愛だの合コンだのxx社の受付嬢は何点だの好きな体位だの思い出のセックスだのそういうことをいっつも考えてるの。
それにね、どんなに出世して社会的地位が高くなったとしても、オンナにモテないってことは男社会においては致命的な欠陥なの。
だから、鍛えた体に甘渋いマスク、LEONに載ってたようなコーディネートのモテオヤジは評価が高いの。あ、ビンボーはダメよ、ビンボーは。
好きな人のいろいろな物を受け止めてあげたいものだ。と思う。
特にいろいろな感情を自分の中で溜め込んでしまうタイプの人だから、思う存分吐き出させてあげたいと、思う。
でもこういう言葉は増田に書いていても無意味で、ちゃんと本人に対して伝えなくてはいけないものだな。と思っている。
脳内の妄想だけが暴走しても現実は何も変わらないのだから、ちゃんと現実が動くようなことをしなくてはいけないとは、一応思っている。
でも、他人には偉そうなことを言っている癖に、私もどちらかというと脳内で考えるだけでいろんなことを実行するのはあんまり得意ではない。当然やるべきことを、いろいろやってない。
それならまだしも、平成不況の時に若者の正規雇用を大幅削減して非正規雇用ばかりにしたのは、バブルに浮かれて無謀な投資をした自分たちが原因の一端のくせに、
(本当に働けないほど体が弱っているのに、年金受給できずに老骨に鞭打って働いている老人がいる一方、元気にあちこち遊び回っていて子供もたくさんいるのに月にン十万円も年金をもらってぐうたら生活を満喫している老人がいるなんて、すごく不公平な世の中だ。若者を怠け者呼ばわりするくらいなら、働ける老人は怠けず働け!)
・「今時の若いのが結婚しないのは、自己中心的だから」と決め付ける
・本当は「少子化」より「高齢化」こそ問題なのに、後者を無視して前者ばかり問題視し「利己的な若者が子供を作らないから日本が滅びる」などと若者に責任転嫁する
・「子供を作らない奴は年金を受け取る資格がない」という嘘を若い世代に吹き込んでいる
(子供を作った夫婦だけ年金受給資格があるなら、そもそも年金制度なんて要らない、自分の子供に直接養ってもらえ)
日本が不景気をどうにか乗り越えてきたのは、平成不況の時に二十代だった世代が、自分の職業や出世や結婚や子供や将来を犠牲にしてまで苦しい生活に耐えてきたからなんだ(景気が回復してきた今、そろそろその貧乏クジ世代にもいい夢を見させてやっていいはずなのに、残念ながらそうはなっていない)。
それを自覚もせず感謝もせず、当たり前であるかのような態度で「正社員の職が見付からなければ、もっと探せばいいじゃない」「結婚できなければ、相手を探せばいいじゃない」「所詮、今の若者って努力が足りないのよ」などと勘違いな寝言をぬかしてる老人にはほんと腹が立つ。
ビリーズブートキャンプに入隊して早一週間。寝る2時間くらい前に始めるから非常に寝付きがよくなったけど、なんだか何時間寝ても寝た気になれないなあ、ということが続いている。その寝不足がたたってなのか、午前中は集中力が低下し、足が1日中重かったりと、色々な害が表れはじめているのだ。
そんなことを話したら、昼ドラを録画して夜中に消化するため僕より就寝時間の遅い嫁が「その睡眠時間の最初の1時間はいつも腓返りしてるから仕方ないかもねー」と返した・・・って、そんな記憶全く無いんですけど?
詳しく聞くと、どうやら俺はその1時間の間に何度か、腓返りを起こして「あいたたたたあああ」とのたうち回っているという。そして一通り収まると、再び深い眠りに落ちていくのだそうだ。ううむ、本当に全く記憶がないんだが、次の日の足の重さの原因はコレか!と納得はした。
しかし、その次の嫁の報告に俺はさらに驚かされた。
「でもねー、気に病むかもしれないと思って今まで言わなかったけど、ブートキャンプ始める前は『ウフフフフ』って笑いながら、私の太ももとかをまさぐってくることが多かったよ。」
「あと酷いときは、私がそろそろ寝ようかなーと思って布団の中に入った途端、私をくすぐりながら『ウフフ』『ですよねー』『てぇーかさあー』って呟いたり、突然腰を振りながらすりよってきたりして、私が寝ようとするのをジャマするのよ! あんまりひどいんで、一度『起きてるんでしょ!』ってキレたこともあったけど、何度調べてもホントに寝言なんだよね・・・」
やべー! 怖えー! マジでそんな記憶無いんですけど! てゆうか「腰振って」って恥ずかしいよ!
他に寝言とか奇行とかない?と確認したんだが、いつも寝ぼけているときは上記のような動きばっかりらしい。いやあ寝てる間に「篠原いずみと結婚したい」とか奇想天外な事言ってなかっただけ良かったなぁとホッとしていると、嫁はその表情を見抜いてか「寝言に返事すると、寝言言ってる人の寿命が縮まるっていうから、今は返事してないんだよねー。」と釘を刺されました。
マスメディアの連中どもは所詮匿名だからと言ってタカを括って徹底無視するかもしれないが
この際だからほざいてやる。
会津の首切断少年に関しては警察も小出しにしか情報を出さないので「少年犯罪を減らしたい」と言う隠れ蓑で
事件の内容に興味津々でついでに青少年どもにひたすら説教したい気持ちは良く判るんだよ。
だがはっきり行っておこう
て め え ら 大 人 も ど き の い っ て る こ と は 意 味 が 無 い ん だ よ
む し ろ 純 粋 に ゲ ー ム と か 漫 画 を 楽 し ん で る 奴 ら を
傷 つ け て る だ け な ん だ よ
確かBPOじゃ、:「いっときますが、広場のみんなは、そんなバカじゃないのです。」と寝言を言ってるようだが
翌朝狼狽する家族を尻目に何食わぬ顔で起きてきたまではいいものの、
なぜか俺の持っているものは何でも「食べ物」だと認識するらしく、
俺が投げる雪をことごとくたいらげ、夜中に下痢&お漏らしで大騒ぎ。
しなもん会長と同じ犬種だったから超短足で、雪が降った日にはよく埋もれていた。
一度、記録的な大雪(と言っても雪国ではないからせいぜい1Mくらいなのだけれど)の時に
完全に埋もれて行方不明になった。10時間後に除雪車に乗って帰ってきた。
自分を犬だと思っておらず、他の犬が来ても挨拶をしようともしなかった。
でかいドーベルマンをずっとシカトしてたら向こうがキレて、首根っこかじられたまま
思いっきり振り回されたこともある。さすがにその時はビビった。
犬とは仲良くできないくせに、なぜかベランダのカラスとは仲良くなっていた。
「カー」「うわぅ」みたいな会話をしていたのを覚えている。
祖父と地震を何よりも恐れていて、祖父が来るのが分かると(祖父は足が悪いので足音で分かる)
真っ先に自分の寝床に戻って寝たふりをした。祖父がいなくなるとリビングに出てくる。
地震が起こるとパニックを起こし、必ずと言っていいほどおかんのベッドの中に逃げ込んだ。
その度におかんの布団を毛だらけにして怒られていた。
夢を見ることも多いらしく、よく寝言を言っていた。ひどい時は寝ながら足をバタバタさせて
キャンキャン鳴いていた。何に追われていたんだろう。
俺が帰ると必ず2階の階段から顔を出して「お帰りなさい」をした。
「遊ぼうか?」と言うとボールを咥えてきた。
「散歩?」と言うとロープを咥えてきた。
そう、全然「馬鹿」じゃない。俺の親馬鹿かもしれないけど、むしろ賢い部類に入ると思う。
よほどのことがない限り実家から連絡は来ないので、何事かと思って慌てて電話に出てみると
母親が掠れた声で「愛犬の死」を伝えてきた。
原因は「地震にびっくりして階段から落ちたこと」だそうだ。その時に頭を打ったらしい。
直後は何もなくピンピンしていたのだが、少しずつ脳から出血していたらしく、翌朝母親が
起きた頃にはもう虫の息だったそうだ。
幸か不幸か、弟二人もたまたま実家にいて、俺以外の家族全員に見守られながら静かに逝ったらしい。
この報を聞いた瞬間、悲しみよりも前に「ああ、うちの愛犬らしい間抜けな最期だな。」と思った。
うちの愛犬は馬鹿だった。物凄く馬鹿だった。「地震に驚いて階段から落ちて死ぬ」なんて、
今時お笑いのオチにもなりゃしない、物凄く「馬鹿な死に方」をした。
あいつは俺と出会った瞬間からその最期まで、一度だって俺を悲しませることはなかった。最期の最期まで。
■2013.6.22
http://anond.hatelabo.jp/20070315211335
http://anond.hatelabo.jp/20070317102842
ソ連中国とか国家神道の大日本帝国とかヒンズー教のインドとか。
にもかかわらず、一神教のせいで戦争になるかのように言うのは偏見。
そうやってあなたみたいに宗教を攻撃したがる人がいるから争いが起こるんでは?
宗教法人なんてみとめなくても、精神の自由さえみとめておけば十分。心の中でそれを信じていればいい。洗脳で集団をつくる行為を、法的に保護する必要は無い。
信教の自由だけでなく、結社の自由だって憲法で認められてる。
税金の優遇は宗教法人が安いというより営利企業から高くとりすぎなんだよ。法人税なんか廃止したほうがいい。
皆が常識的に理解している程度の科学とは折り合いをつけろ。いつまでも古い考えをひきずって、何を頓珍漢な寝言を言うか。予言とかバカじゃねーの。
そもそも常識なんて多数派の思い込みにすぎないだろ。それと折り合いをつけるべきということなら、世界では一神教が多数派なんだから、あなたこそ一神教と折り合いをつけるべきなんじゃないの?
それに古い=頓珍漢というのも単純化しすぎ。科学理論だってながい年月検証を耐え抜いてきたものほど頑健でしょ。文化だって長い間続いてるのには何らかのメリットがあるからこそ。
夜の闇を恐れたり、自然災害のメカニズムがまったくわからなかった時代なら、それらに対する不安を解消するために、とにかく作り話で回答を作るのもわかるが、先人たちが積み上げてきた科学知識がある現代において、神の怒りが云々などというのは科学に対して失礼千万だ。
だからといって科学が万能だとは科学者ですら思ってないでしょ。科学知識を理解できる人ばかりでもないし。それなら作り話で不安解消できるならそれでいいだろ。
何をあがめようが個人の自由だろ。鰯の頭でもスプーン曲げでもすごいと思うなら素直に感動すればよろしい。
神はいない。それだけのことです。心の中で何かを信じるのは自由です。でも、団体に所属したり、集団で儀式を行ったりするのはやめましょう。宗教を問わず一般化したような行事はいいけど、特定宗教に限定した儀式はやめましょう。他宗教を排他した行為はすべて辞めましょう。教会施設には他宗教の神も祭って誰もが出入り自由にしましょう。
集会結社の自由ぐらい認めろよ。企業だって政党だって学校だって団体作ったり儀式したりするだろ。特定政党だけ特定企業だけで儀式をしたら駄目なら党大会も入社式も卒業式もできないだろ。それに宗教施設に限らず部外者立入禁止なのはよくある事。犯罪の被害にあったら君が責任取れるの?
「神は存在する」ことは証明を越えた信仰の領域に属する。ならば「神がいない」こともまた証明を越えているというべきだ。いないことが証明できるなら、「いるかいないか」は証明の領域に属することになるわけだから。
つまり「無神論者」もまた信仰の輩であり、【宗教的人間】たることを免れなどしない、というのが一般的に考えた場合の論理的帰結。
さて、それを踏まえれば
結果を見れば明らかなのに、いまだに一神教を信じる人は、戦争に加担してるも同義だとおもう。正義の為に信仰を捨てるべきだと思う。どうか信仰を捨ててください。あなた方の宗教が争いを生んで迷惑なんです。
それは立派に宗教的主張であり、争いの元になります。
つまりこの人の立場は「有神論的宗教無用論信者 無教会派」ということですね。
自分が一方的な信仰で、全ての宗教者に喧嘩を売りまくっておいて「私は宗教を否定する。その根拠は、それが争いの元になるからだ」とのたまうとは、なかなか飛び抜けた思考の持ち主ですが、少なくともその立場を論理的とか科学的とか主張しないで頂けると幸いです。もしご自分を論理的だとか科学的だと主張なさるなら、自分の主張の矛盾に真っ先に気付いて下さい。
http://anond.hatelabo.jp/20070315211335
ちなみに私は、「有神論的宗教非標榜主義 教会寛容派」です。論理や科学以外の世界、つまり他人の信仰の世界に口だしするのは不幸の元だと思ってます。その意味で、確かに『不寛容な宗教などこの世になければいいのになあ』とは思ってますが、それを口に出した瞬間、それはブーメランになると心がけるべきだと思っております。
http://anond.hatelabo.jp/20070313010129
WM41は機能的に十分じゃないかな。
さぁ、ここから数学の世界だ。
まずは2.3万円でどれだけ脂肪を引き取ってもらいたいか考えよう。
1kg2万円?ならば1kgとちょっと減れば十分元は取れる。
あまり減らなくとも、気落ちしないで済む。
1kg5000円ぐらいしか払いたくないと思うのならば、4kg近く減らさないと割に合わない。がんばろう。
1kg1000円なんて寝言を言うヤツはしらん。
そんなに安く引き取ってもらえるところを探すんだな。不良債権である脂肪は捨てるのが大変なんだから。
さて、だいたいの目安が付いたら、1時間の有酸素運動でどれだけ脂肪が減るか計算しよう。
脂肪燃焼に一番効率のいいとされる心拍 60% の有酸素運動を1時間実行したとして約 800kcal の消費。(基礎代謝も含む)
この 800kcal のうち、糖質が 61% の 488kcal で、残りの 312kcal が脂質。
脂肪は 7.2kcal/g なので 43.3g の脂肪が燃焼される。
もうちょっとがんばって強度を上げても、脂質の割合が減るので1時間で消費できる量にそれほど差はない。
ちなみに脂肪燃焼の効率を 50% 以上にするのは困難らしい。
つまり長時間続けることができる運動では、1時間で約 40g の脂肪が燃焼される。
http://papalagi.org/diary/200610.html#eid656
より。
1時間歩いて40gの脂肪が燃焼される。週3回で120g、月に120*4=480g
Σ!月に500gぐらいしか減らねーじゃねーか!
うん、そうなんだ。これはフィットネス。ダイエットである食事管理も併用して月1kg減なんだ。すまない。
だけど、いままで太り続けていた人は、どっちみち食事を変えなければ、永遠に太り続けるか、どこかで死ぬので諦めるしかない。
#もっとも、痩せてもどこかで死ぬのは一緒だけど、悲しいけどこれ、人生なのよね。
さて、食事管理。こっちの方は、もうひたすらカロリー制限と脂質制限に限る。
どんな食事もカロリーを読むこと。頭の中で一日のカロリー量を暗算で足し続けるんだ。
ちなみに今、手に取ってるチョコレート。GABA配合でストレスにいいらしい。では一粒のカロリーは?口に入れるときに必ずそのカロリー量を知ってから喰おう。
油の怖さも知っておいて欲しい。あなたの腹の中のと一緒にはできないけれど、燃やすのに7.2kcalも必要なんだ。1gで。一円玉いっこの重さの脂身で。わかってもらえるかな?
でだ、1、2ヶ月だけでもがんばってみることは必須。どうか数字に表れなくても続けて欲しい。あなたの身体内で脂肪が減る代わりに筋肉が増えているのだから。
毛細血管が広がって代謝が上がり、増えてきた筋肉がどんどんカロリーを無駄遣いしてくれるようになったらしめたもの。
基礎代謝という強い味方が手に入る。
2ヶ月後ぐらいから徐々に体重が減るはず。体脂肪率も一緒に減る。
明らかに自分の身体改造がはじまったのが自覚できたら、あとはひたすら楽しいので続けられる。
まえの文にも書いたけど、努力した結果がこんなに単純に現れる事って今の世の中、無い。
努力したって報われないことばかりなのに、あなたの体だけは、あなたががんばった分、答えてくれる。
体育は2が定番の俺が、日曜日は昼過ぎまで寝ていた俺が、金曜土曜の夜は夜更かしタイムだった俺が、休みの日に外に出て日の光を浴びるのが好きになった。
http://anond.hatelabo.jp/20061231234213 って、ォィォィ、
たとえばパチンコの出玉操作なら、それも含めて「パチンコという遊戯商売」だから、どこにも違法性はないが…
公営競馬で、当たり馬券数やオッズを誤魔化して不当な利益を得たら、どこかが黙っていない。どこが黙っていないかは分かるよな? もし一人前の大人や社会人なら。
宝くじの場合も同じだ。当選者の名前は本人の意向で公表したりしない場合もあるが、発表数の数だけ実際には本名は記録に残されている。
もし、「発表数の数だけ本名を記録に残さない、または、発表数の数だけきちんと該当金が受け渡されていることを本名を含めて法的に証明できる手段がない」となると・・・公営競馬と同じだ、分かるだろ?
下の方の当選金なら単なる確立論で決まるが、あれだけの大きな1等賞金などは、きちんと法的に証明されないと、「国税局」が黙っちゃいない。
一人前の大人や社会人なら、警察や、法令や自治体基準や、労働安全面法規や、税務関係などが、世の中に存在することを、当たり前のように意識しているから、
「宝くじの一等賞金のような大きな金の流れに誤魔化しがあるようなら、国税局がタダでは済まさない」ことにも、言うまでもなく気が付く。
だから「宝くじ高額賞金の配当不正」を信じるはずもないし、当たり前すぎてソーシャルブックマークに敢えて取り上げるようなこともしない。一人前の大人や社会人なら。
子供か、若年すぎるか、なら仕方がないが、
壮年や、大人になっても社会の仕組みが分かって無さすぎる人物なら、ォィォィ、だ。
●追記
『断片部 - きちがい修司の記録帖』 様ブログでの貴重なご意見
http://fragments.g.hatena.ne.jp/syujisumeragi/20070102/p1
>(みずほ銀行は販売委託を受けているだけ)
>黙っちゃいないとかいうのはバカの寝言。
「宝くじの当選金が非課税」というのをどこかで耳にしての発言だろうが、これの意味は、「宝くじの当選金は、当選した側の購入者にとっての非課税」だということを断っておく。
もちろん、発行側にとって「当選者にお金を払う」際に「国から課税」などされるわけはないが・・・もし「当選金が正しく払われていなかった」とすれば、それは「発行者の販売利益が増えた」ということになり、その「増えた利益金」に対して「課税」が掛けられるから、国税局が動くのだ。
それと、なぜ国税局なのかというと、地方自治体などが発行者であるため、各地の税務署程度の位置からでは手が出せない(権力的に捜査がしずらい)から。だから動けるのは国税局だけ、国税局が腰を上げるしかなくなるということだ。
ちなみに、「当選金が正しく払われていなかった」こと自体に対しては、国税局等は何の追求も行わない。税務とは関係がないからだ。
しかし、追徴課税などが行われた場合、「追徴課税が行われるほどの証拠がそこに存在する」ということになり、こんどは検察が動くことになる(かもしれない、という筋書)。もちろん内容は「詐欺」。