「命題」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 命題とは

2011-01-31

http://anond.hatelabo.jp/20110130234659

思考実験 その2

年収で生活を図ると 都心部 農村部における地価の差・生活費の差が考慮できないので 人月を持ち出してみる。

豊かな生活とはなんぞや?という定義

前提条件として教育費などは国家が負担と定義する。

 

1/4人月 で 家賃

1/4人月 で 水道光熱費

1/4人月 で 衣食

1/4人月 で 娯楽費

が 稼ぎ出せるのがベター。 これをワークシェアでと考えると 

仮に 時給800円 1日6時間労働 週休2日と仮定する 1人月28日と仮定して20労働日 120時間 だから9万6千円

1/4が2万4千円 家賃が2.4万円 水道光熱費食費で 4万8千円 で 家族4人が暮らせるか? という 命題に等しく

お小遣いは4人家族ならひとり6千円/月。

 

逆に言えば、この水準まで物価が落っこちれば無理ではないということも言える。(都心部では時給が1000円を超え農村部では下がるであろうから適当にずらすとして)

2011-01-25

http://anond.hatelabo.jp/20110125173601

吐き気がするほど頭が悪いな。

「無能を認めるかどうか」と「無能を持ち上げるかどうか」は全く別の話。

いつから「無能を持ち上げない」ならば「無能を認めてない」なんて命題が真だということになったんだ?

2011-01-22

GYAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!

はーい、今日死にたいエントリでーす、残念でしたねー

俺も残念でーす、反省してまーす反省してないことを反省してまーす

毎日死にたい死にたい言ってもちっとも行動が変化しないのは何故だろう

行動分析学的に言えば、嫌子出現や好子消失じゃないからなんだろうな

逆に言えば、好子出現か嫌子消失なんだろうな

つまり、俺は「死にたい」って言うたびに良い気持ちなわけだ、自覚なしだけど

からこそ死にたいと言う行動はなくならないばかりか強化されると

問題なのは、この行動によって自殺するという行動の生起頻度が変わるかどうかだ

命題死にたいと言い続ければ死ねるようになるか

死にたいと言う行動のみが強化されるんだから、他のものは関係ないはずだ

ただ、それは机上のことであるとも言える

ひとつの行動が複数の結果を生み出し、それが複数の行動を強化することがあっても良い筈だ

しかも、この場合しい意味ネットワーク上にある事なので、あり得ても不思議はな

ならば、どういう随伴性なのだろうか

まずは、これを定義する

気持ち悪い→死にたいと言う→気持ち良い

ここで問題なのは、気持ち悪い→気持ち良いの部分だ

ここをさらに詳しく分解すれば理解される

ここで言う気持ち悪い状態とはなんだろうか

それは死にたいという感情である

もっと正確に言えば、逃げられなくて苦しいという感情である

つまり、強化されているという事実を加味すればこういう事であると思われる

しい死にたいと言う→苦しくなくなる

この随伴性によって、死にたいと言う行為は強化されると考えられる

さて、ここで問題がある

現実問題として、多少の慰安効果はあるにしても、事実は変わらないのだ

何を言っても死ねないという事実のみが残ってしま

それは慰安効果以上の苦しさだ

また、慰安効果による快感情だけは残ってしま

苦しくない状態というのを小出しで与えられてしま

これらの要素によって、より確実な慰安効果を求めるようになる

それは発言に留まらず、こう言った文章での公表、リストカット、他者依存と段階を経て変化していく

その変化の最終的な行き場として、実際に自殺を企画・実行するという行為が待っていると考えられる

初めは未遂であったものが本格化してゆき、生起頻度が強化され、死んでしま

故に、死にたいと繰り返していればその内に死ねる可能性があるということだ

2011-01-18

http://anond.hatelabo.jp/20110118185213

こういうことですね。

∨:および

∧:また

¬:でない

 

∨¬=およびでない

 

 

最低覚えておくべき論理法則トートロジー

同一律 A⊃A

矛盾律 ¬(A∧¬A)

二重否定 ¬¬A≡A

ド・モルガン ¬(A∧B)≡¬A∨¬B

        ¬(A∨B)≡¬A∧¬B

結合法則 A∧(B∨C)≡(A∧B)∨(A∧C)

       A∨(B∧C)≡(A∨B)∧(A∨C)

対偶法則(第一) (A⊃B)⊃(¬B⊃¬A)

      (第二) (¬A⊃¬B)⊃(B⊃A)

添加法則 A⊃(B⊃A)

排中律 A∨¬A

MP(Modus Ponens 前件肯定式) A∧(A⊃B)⊃B

これら以外では、

A∧0≡0 A∧1≡A

A∨1≡1 A∨0≡0 など。ただし、0は恒偽命題、1は恒真命題。 

2011-01-17

タイガーマスクよりプロボノを。

仮面の模倣者たちより、プロボノを行う人たちをもっと評価して欲しい

なにやらランドセルとかを不法に投棄するのが流行っているようなのでこのチャンスに乗じてプロボノを紹介しようと思う。

そしてこの増田エントリプロボノを知る機会になってくれたらと思って書く。きっと最も良い奉仕の行動であるから

ボランティアというと奉仕活動で困っている人や相対的に苦しい立場の人のために無償で行動すること。ってみんな理解していると思う。

ボランティアには2つの側面がある。

奉仕している人の受益

1.自分が良いことをしている事を実感する。

2.人に喜んでもらう充実感

3.体を動かした仕事をすることそのものの満足感

奉仕される側の受益

1.しにくいこと、出来ないことを助けてもらう。

2.直接的に利益を得る。

この側面が合致することが条件でボランティアは成り立っている。

どちらかが欠落してもそれはボランティアはない。

プロボノとは、自分職能を使って「直接被支援者を助けること」を言います。(語弊があったら指摘下さい)

----

普通ボランティアと聞くと、困っている人のために行う雑用みたいなもの。というイメージはありませんか。

私もなんとなくそんなイメージした

・ドブさらい

ゴミひろい

草刈り

・清掃

・要介護者への支援

など、など。

ボランティア奉仕する人の満足感が大切です

本来「困っている人を助ける。」というボランティア大義名分を合理的に果たす方法を考えてみてください。

最も自分が相対的に高いスキルを持つ「仕事」をこなし、得た給与を配分することにほかなりません。

自分価値を最大化し、それを提供することです

価値の最大化の例

・大手商社に勤めるAさんは1時間あたり5000円の給与をもらっています。

・町の美化活動委員会は、先日の大雨で詰まった自然公園排水溝を掃除するボランティアを募集しています。

Aさんが半日かけて慣れない手つきで掃除を手伝うことはとても素晴らしいことです。まさにボランティアです

「1.自分が良いことをしている事を実感」し「2.人に喜んでもらう充実感」を得て、「3.体を動かした仕事をすることそのものの満足感」もあります

しかし合理的に考えたらAさんは半日休日出勤して仕事をこなし、そのお金で清掃専門業者を5倍ぐらい雇うことができます。((※大手商社給与が高く、清掃業者への報酬が安いという偏見!という批判は命題ではありませんので割愛させて下さい。))

清掃専門業者に支払う代金を1時間あたり1000円だとしましょう。

5,000円*半日(4時間)=20,000円 == 1,000円*5人*半日(4時間)

さらに、普段運動不足のAさんとそれを生業にしている清掃専門の作業者では効率も倍近く違うかもしれません。

ということは10倍もの価値損失がおきていますね。

大抵の社会人自分が相対的に最も秀でている技術能力を使って生活費(現金)を得ています。それが最も『効率が良い』からです

つまり、Aさんはボランティアなんかに参加せず、休日仕事がある!と言って金だけ出したほうが町の美化委員会にとって何倍も助かる。という事になります

でも、なにか違うと思いませんか。

ボランティアにあるべき奉仕する側の受益がないのです

それどころか、なにか良いことをしたかったはずなのに休日出勤までして金をむしり取られた気持ちです

あるいは、煩わしいからと金だけだして知らんぷりの「嫌味な金持ち」という感じさえします。

ここが募金ボランティアの違いです。

募金より提供した側の満足感が大きいのがボランティアです

つまり、「純粋奉仕される側の事」を考えたら、本来最も良い方法はお金提供する事。なんですね。

ところが、実はもっと良い方法があります。それがプロボノです

プロボノというのは「自らの職能をもって相手を直接支援する事」です

SEが孤児院のホームページを構築してあげる。

弁護士が無償で弁護すること。((※士のつく職業は実は法律的にややこしい制限もあったりします。))

大工さんが棚や机を作ってあげる

何か違う。とお考えの人もいるでしょうか。

仕事仕事であって、ボランティアはない。とか。私も初見ではそう感じました

でも、もう一度思い出して欲しいです

奉仕している人の受益

1.自分が良いことをしている事を実感する。

2.人に喜んでもらう充実感

3.体を動かした仕事をすることそのものの満足感

奉仕される側の受益

1.しにくいこと、出来ないことを助けてもらう。

2.直接的に利益を得る。

この両方の利益を最大化するのがプロボノです

職能が直接的に相手に供される。というのは仕事で稼いで現金提供するよりももっと効率的なのです

会社で業務として行う仕事とは違い「会社利益」や管理工数等として搾取される手数料のようなものも発生しません。

自分したことが「直接相手の利益」になります

ということは、それだけ相手にも「より喜んでもらえる」のです

プロボノという働き方

http://www.shibuya-univ.net/class/detail.php?id=608

http://gkmyhn.blog106.fc2.com/blog-entry-28.html

プロボノは自分仕事スキルをフルに活かしたり、普段仕事にはあまり直接結びついてない自分の得意分野を存分に発揮して生き生きと成果を出せることにあります

普段商社デスクワークをこなすAさんにとって「排水溝の掃除」は得意分野ではありません。不慣れな場所に足を運び、持ち慣れないスコップで泥をさらう作業をすることは心細いものです

まして、気心の知れた人ばかりがまわりにいるとは限りません。

でもプロボノは日ごろ仕事で培った技術や知識をフルに披露することがそのまま社会貢献につながる、という魅力があります

そして、そこで得た経験がさらに自分仕事の幅や経験や知識になっていきます

仕事を続け、両立しながら空いた時間を使って自分経験や満足感を得ることができる社会的な活動なのです

Aさんがすべきプロボノは例えば「商社で培った人脈を生かし、公園自然保護活動に積極的な近隣の団体に声かけをする」だとか「企業広報活動の一環として組織的に手伝ってくれそうな法人や団体を探す」等だと思います。

その上で自分も手があいていたらスコップを持てばよいのです。疲れていたら寝ててもいいと思います。十分貢献したですから

プロボノ最大の問題点は「職能と助けてもらう人のマッチング」にあると思います。

私の夢はそのマッチングを行う仕事をすることです

http://servicegrant.or.jp/

2011-01-12

http://anond.hatelabo.jp/20110112135524

うん、だから、その「有意な」ってのが、「俺様に都合のいいようにベイズ統計を使ってやった感」がバリバリで、こっちとしてはまったく有意に見えないんだよw

一つ一つ返せば、

読んでないけど~じゃないの

読んでないのになんでブックマークするんだろう。

後で読むかもしれないかブクマしてんだろw前の増田ライフハックは使われないと断言してたが、皆が皆そうではないだろ?w

要するにA=Bってことでしょ

その"要するに"の部分が記事なんだよ。A=Bだと誰もがわかるなら記事にする意味はない。AをBだと導出する過程に価値がある。

なぜここでは「誰もが」なんてことを使うのに、それ以前の主張では全称命題的な主張をしているんだろう。だから上のような感覚バリバリするんだけども。

いや、A=Cでしょ

A=Cになる理由までつけないとなんでそう思ったのか分からいから、ただのドヤ顔コメントとしてしか処理できない。

100字にせよ140字にせよブログでどれだけセイロンティーな長文垂れ流そうと、俺はお前がドヤ顔として処理する様しか想起できない。

2011-01-11

http://anond.hatelabo.jp/20110110115907

2.他の人と比較してよりよい財産を持つこと

これ、結構重要だよ。

モノポリーなんかもそうだけど、 一番高い資産を持って、一番高いホテルを持てば勝てる!みたいな人がいるけど、それは正しくない。

 

モノポリー系のゲーム重要なのは、他人と自分比較して、他人が有利になる行為をしない。

面白いのは、現実は コレと同じなんだけど、さらに制約があって、他人が有利になる行為をしないということは、自分が所属する集団と、さらに外部の集団を比べて、自分の集団が不利になる行為である

 

という事なんだよね。

日本場合は、単純なモノポリーの原則で『他人が有利になる行為をしない』を強烈にやるから日本全体が不況になったり、会社倒産したり。

これを、縦割り行政と呼ぶ。

 

から、一国の大臣モノポリーをやって、物の見事に、『他人が有利になる行為をしない』を強烈にやっているのは、あぁ、日本未来は暗いなぁという話にもなる。 

 

ちなみに、家族なんかで、モノポリーうまい人がモノポリーをやる時の隠れた命題は、家族全員の1位になる数を全く同じにし、自分は全部のゲームで2番を狙う(自分が1位の回数調整を除く)。だ。

つまり、1位になったことのない人が1位になれるようにコッソリ、その人が有利になり、他の人がフリになるように調整する。

※当たり前だが、独創すれば良い1位と違って、他人のもちきん計算を正確にしないといけない2位のほうが圧倒的に難しい

 

こうすることで、家族皆がモノポリーを楽しんでくれるので、また、次の機会にもモノポリーを遊んでくれる。自分ばっかりが勝っていると、つまららなーい。という万年最下位の人が出てきて、モノポリーが出来なくなる。(他のゲームになる)

つまり、皆をいかに楽しませるか?がゴール。

一国の大臣が、こういう考え方を持たずに、自分が1番1番言うのは、ザンネンでもある。

一番大切な国民の気持ちというものを独占出来ていない、独占しようとしない。独占しようとしたのはお金や、順位であるのはザンネンだ。とまとめて見るテスト

論理学あるある

古典論理を一通り学んで日常会話の文を拾い上げて

裏や逆や対偶を取ったり論理和や含意を考えて人の誤謬を指して笑ったりするんだけど

時系列を扱うために時制論理を学んだり

事実命題、当為命題価値命題いうあたりからだんだん理解が怪しくなってきて

矛盾許容論理を学んでついに「論理的」とは何かがわからなくなって口を噤む

2011-01-10

http://anond.hatelabo.jp/20110110052850

IT化が命題って気がついたことはすごいけど・・・

コンピュータ世界は、変化が激しいので、建てるのに4年もかかるような建物では、たったときには時代遅れなんではなかろうか?

一年に私が社長になり、それから間もなくの九四年、一○○○万部の世界最大部数を達成した。この時巨人軍も、日本一に輝いた。

押し紙問題があったあとに、発行部数世界一って持ち出されてもなぁ。

この人は、輪転機ビジネスを進めていたから、世界最大部数になっている。という事実と、輪転機ビジネスは嫌だったという話と 矛盾していないか

IT化を推し進めていたのか?それとも、押し紙を推し進めていたのか・・・どっちなんだ?

と文章を読んで思った。

2011-01-08

http://anond.hatelabo.jp/20110108065825

補足 横ネタ

ホメオパシー は 科学的か? という 命題に対する2つの答え

 

1 科学的の意味は多様であるが、非専門家においては、科学的に証明されていない、効果がない という意味非科学的という言葉が使われることがある。

2 ホメオパシーには諸説あるが、ブラセボ効果のような心理学的効果は存在する。

3 ホメオパシーには、薬学的効果は現段階では、有意義に証明されているとは言い難たい。(少し譲って、議論中である

4 よって、ホメオパシーは、十分に証明されてない、否定されている学説が主流であるという事を前提として

  日常会話で ホメオパシー は 非科学的と使われる分には 一定の合理性がある。

回答1 ホメオパシー は 非科学的(日常会話に置いて)

A ホメオパシーは 医学が発展途上の際に 薬を飲めば直る という誤った知識が広まっていたことを1つの背景にしている。(以後 暗黙的にホメオパシーはという前提でを省略する)

B 貴族の奥様方などが、善意から 高価な薬を他人に飲ませる 飲ませたいという要望があった

C しかし、医薬品医薬部外品などの分類が十分に出来ていなかった時代、薬の投与を素人が行うことは危険であった。

D しかし、善意の薬の配布という事は、禁止しても科学的知識がないから行っているという層なので、実施されてしま

E こう言った自体を防ぐために、偽薬を配布することには一定の合理性がある。

F 偽薬の配布には偽薬であるので、偽薬に効果があると虚偽の申請をする必要があるが、それは科学である

回答2 ホメオパシー は 科学的(薬物の乱用を防ぐための偽薬配布という目的に対して)

 

元来、薬物の乱用を防ぐための偽薬配布メソッドであるホメオパシーに対して、薬理的効果を追求することは合目的性という観点から非科学であるし、必要悪世界なので、悪い行為であるという指摘はナンセンス

営利目的ホメオパシー考慮しない。

 

よって、ニセ科学の合目的性を考えず、異なる合目的性を主張して非科学的という行為そのものは非科学である

 

ニセ科学その物は、パニック防止、誤用防止などの心理学的な分野から施工されている事があるので、そういった、分かってやっているものに対して

ニセ科学非科学的とするのは、正しくなく、実に科学的な必要性から、嘘をついてるニセ科学科学である

http://anond.hatelabo.jp/20110108023724

2、科学者科学知識をもった人がやっていても、ニセ科学批判という行為そのものは科学じゃない

科学科学証明法という手法である

科学証明法によって証明されることを科学的と呼ぶ。そうでないものは、科学的に現段階では証明できないとよぶ。

科学証明法によって、不可能なことが証明された場合、XXはありえない。と言うことも科学である

よって、否定する行為その物が科学的か否か?はその他の状況によるので、証明が必要。

  

ニセ科学批判という行為そのものは科学じゃない』という命題は、どのよう科学的に証明されたのか?が書いていない。

よって、命題2は成り立っていない。

よって、命題4は未証明命題2を使っているので、同様に証明が成り立っていない。

よって、命題2の証明を要求する。

2010-11-30

面白い命題になったね

http://anond.hatelabo.jp/20101128211802

犯罪を罰しようとすれば、必ず、国家犯罪をすることになるわけだ。

うーんと。(ちょっと待って)

殺人」だけがダメな理由を考えてるから。

犯罪者を一般社会から切り離し、生活や教育を与えることは、犯罪者自身の更生に役立つことだから、犯人側にもその犯罪を受け入れることで利益が生まれる」

しか

殺人に限っては、一方的に断罪されるだけで、更生の機会も与えられない」

よって

殺人に限り、国家が容認することを認めない」

2010-11-25

トラバ先に追記をよせて

 貴方の仰るところの『ナンセンス』とは、つまり『別々のものは、同じである』(矛盾した命題である)ということに対する指摘です

 私が言うところの『ナンセンス』とは、『別々のものは、別々のものである』(トートロジーである)ということに対する指摘ですね。ちなみに、私はこのような命題こそがレッテル貼りなのだと思っていま

http://anond.hatelabo.jp/20101125215643

レッテルを貼るという行為は、差異を把握するという行為である

 私自身の個人的な意見では、定義は上記の命題において果たされます


「あるものと、あるもの……つまり、分かたれている二つのものが、同じものであるとするような判断はナンセンスである

 ヴィトゲンシュタイン氏が以上のようなことを仰っていたという記憶があります

レッテルを貼るということ

『差異の原理は距離である

 という命題があります


 つまり、あらゆる差異は、空間的な位置の差や、時間の流れによって生み出されるということです


 例えば、ある人間社会的に信頼されているとして

 何故、そうでない人間に比べて、彼は信頼されているのでしょうか?

 何故、そこにおいて彼のような人間と、彼とは異なる人間との間に差異が生じるのでしょうか?


 その原理は、すなわち距離です


 生まれた場所が、北朝鮮よりもほんの数百キロずれていたか

 生まれた時代が、ほんの数百年ずれていたか

 あるいは、彼の両親の遺伝子配列が、ある特定の形をしていたから、いわゆる劣等な遺伝子配列とは、位置的に差異のある形式であったか


 彼は、社会的に信頼されていると言えます


 すなわち、差異とは非常に瑣末なものなのです


 それが右にあるか、左にあるか

 それが十秒前にあるか、十秒後にあるか


 そういった些細な差異を把握し、言語化する行為

 それこそがレッテル貼りなのです

 そして、レッテル貼りが同じように瑣末な行為であるということもまた、自明なのです

2010-11-21

http://anond.hatelabo.jp/20101121144854

だから間違ってる主張ってのは「縦3m横5mの長方形の面積を3+3+3+3+3=15という計算で求めるのは、左辺と右辺で次元が違うから、誤り」という命題だよボケナス。今までさんざん言ってきただろクズ

俺の面積に関する2つのレスを見てもらえばわかるようにこの誤りというのは相対的なものでなく絶対的なものだから、お前の言う「お前は自分意見が認められないと納得できないようなクソガキの尼ちゃん」というような煽りは全く持って意味を成さない。

議論が行き詰まるもなにも、そもそも俺や他の人たちは元々かけ算・面積に関して純粋数学的に議論していただけであって、そこに馬鹿どもが首をつっこんで「説明がわかりにくい」やら「かけ算の順序なんてどうでもいいからどうやって教えるべきかを考えるべき」だなんてまるで論点のズレた横槍を入れてきただけの話。そういうクソレスに対してまともに返してやっただけありがたいと思えゴミクズ

ういう話の筋を履き違えてる奴らに対して「私の主張はそこではない」と言って何が悪い

それとお前のコメントの冒頭:

「それはどうして間違っているの?「正しい」状態があるから、「間違って」いるのだよね?そういうことを話せば良いだけ。」について、これはまさしく面積についてのレスで述べているだろ。

マジでお前の指摘は何がなんだか意味が分からない。

これ以上相手してても仕方ないし、延々とナンセンス突っ込みを入れ続けてくるんだろうからもう落ちるわ。

ここまで読解力の無い馬鹿が多いとは思わなかった。やはりまともなのはほんの一部だけだな。期待して損したもうこのサイトには当分きません。

では。

2010-11-10

http://anond.hatelabo.jp/20101110175210

それでさ。それでさ。

「彼ら」のコミュニティとやらが分断されてるとして。

「彼ら」の所属するコミュニティっていったい何なの?結局。

相変わらず肝要な部分が綺麗に抜け落ちてるんだけど。

http://anond.hatelabo.jp/20101110173902

こんな空虚命題しか読み取れないんだけども、この理解でいいの?

2010-11-07

http://anond.hatelabo.jp/20101106161007

「生きる目的は何ですか」という問い自体には、

「生きることが目的に対する手段である」という命題が前提に含まれているよね。

日常なり自然の事象を描いたり説明するために言語なりロジックなりが生まれて構築されるわけだけど、

ロジックというのは抽出したルールなので

今度は逆に事象すべてにそのロジックを適用しようとするのは無理があったり間違っていたりする。

本来、体感する感覚世界の事象こそが全てであり正しいはずなのに、

いつのまにかそれがロジックとすりかわって、ロジックに溺れていってしまう。

「手段」と「目的」という論理関係がまずあり、

手段に「生きる」をあてはめたとき「目的」には何があてはまるのだろうか?という問い自体が

自然の事象には存在せず、ロジック世界にだけある問いかけなのかもしれなくて、

それもそのはず、問いかけっていうのは「論理関係」でしかないのよね。

「生きる」という行為なり状態自体っていうのは自然世界、事象の話であって、ロジック論理関係の事象ではない。

「頭で考える」というのはすなわち「ロジックで考える」ということで、「答えを出す」も同様。

自然の事象である「生きる」に私たちの存在でもって肉薄するには、まずロジック世界を離れる、

つまり頭で考えないということが重要なのかもしれない。

「文章」も当然ロジック論理関係の事象なので、「文章化しない」でいい天気の午後にひなたぼっこでもしましょう。

2010-11-04

http://anond.hatelabo.jp/20101104142423

いや意味不明じゃねえって。

「持続可能性」と「なりやすさ/なりにくさ」は(純粋命題として見たとき)全く無関係だろ。

実際は関係あるかもしれないけど、そこの関係性については俺は何も言ってないわけ。

基本すぎるが「見た目が良い⇒持続可能」の真偽と「見た目が悪い⇒持続不可能」の真偽も無関係だぞ。

背理法とか勉強し直した方がいいんじゃないか。

2010-11-01

http://anond.hatelabo.jp/20101101111806

まぁ、まず存在しないだろうね。

中学のときの担任は、熱血体育会系教師で、ノリがよくてイベント盛り上がってみんなに好かれていたけれど。

逆を見ると、「1位になるぞぉ」の言葉一つで運動できない生徒を追い詰める先生でもあった。

「順位なんて関係ない」と言ってほしかったわけでもないが、クラスの平均点を上げるだとか、そういう命題を「なんの策もなく」ただ生徒に与えると、足を引っ張る生徒を苦しめる。

そういうことに気がつく先生は、非常に少ないよ。

2010-10-16

http://anond.hatelabo.jp/20101016122358

横だが、http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A9%AD%E5%BC%81を見ればいいだろう。

「誤りである論理展開を故意に用いて、発言者に都合良く導き出された結論、およびその論理の過程を指す」である。

普通であるかそうでないかは統計を取ればいいのだから、この命題自体それで結論が出る。増田も使っているようにマジョリティであるかどうかが問題であって、それ以外には問題がなかろう。

2010-09-25

例えば、増田とかで画面の向こうの誰かにアドバイスを求めることの危険性。

言い換えれば、思考を他者に任せる、委ねることの危険性。

こういう習慣があると大変なことになる。


別に、回答者匿名であることはさして問題ではない。

心ない中傷や罵倒をされたとしてもそれぐらいは承知の上であろう。

ちょっとネットに慣れていればそれぐらいは予想できるし、ある程度耐性もできていたりする。




問題なのは、そういう、例えばこの増田

http://anond.hatelabo.jp/20100922191511


こういう問題について増田に書き連ね自分の頭で考えることを放棄していると、そういうことを習慣的にやっていると

次第に、何か解決すべき問題が浮かんできたとき 自分の頭で考えることができなくなるのだ。

面倒くさいからすぐに助けを求めてしまうようになるのではなく、それが苦手になるのではなく

大事なことだから二回言うが、本当に考えることができなくなるのだ。

"考えないという行動をとるということは、また一つ考えないという習慣化を助力すること"

なのだ。 基本的に習慣というものは、物理学でいう慣性、惰性のようなものだと思ってもらって構わない。


さて、


>問題解決(英語:problem solving)とは、問題を解決する、すなわち解を発見することであり、思考の一部分である。

>すべての知的な機能の中で最も複雑な思考であり、高次元の要求の認識定義されている。

>それには、より筋道の立った手順及び基礎的な知識の操作、調節が必要となる (Goldstein & Levin, 1987)。




問題の本質はなにで、その問題の解決策をMECEに洗い出し、評価をし判断をし実際にどう動くかを決めるという一連の作業をしっかりできている人は

意外と少ないのである。欧米などに比べ、比較日本人論理的思考を重視しないので 現状において日本人はそういった問題解決能力は平均して、決して高いとは言えない。

逆を言えばそれができるだけで日本人の中では相当の強み、アドバンテージになることは私が保障する(本来、資源で勝負できない日本がこんなことでは駄目なのだが)

最近やたらロジカルシンキングクリティカルなんだのが重要だの喧伝されるが、その試みに比して問題解決全般における平均的な能力はさして向上していない。体質的に受け入れがたいのだろうか?)


結局、何をするにしても"問題解決能力"がものをいう。それの向上や、駆使することを

(あの増田槍玉に挙げるが、あの文章では普段からろくに物を考えてなさそうだ)

放棄し、比較的難易度の高い生き方とされる 「働かずに生きる」という目標を実現させようとするその愚。

まずはそこを指摘するべきであろう。 あれに回答しているトラバブクマコメも全員バカ。衆愚。 上から目線で人にものを教えるなんて勘違いも甚だしい。

これでは梅田などにその知的水準の低さを指摘されても仕方がない。バカなものはバカなのだ。



一連の情報連鎖が目も当てられないことになっていたので、気まぐれにまた一つ鎖を繋いでおいた(=リンク=連鎖)

バカの中にも見込みのあるバカが一定数いるものだ。

願わくは、そういう一定数いるバカが、それから脱却できることを。




老子「授人以魚 不如授人以漁」





【追記】



トラバブコメに救いようのないバカが散見されたので、各自反面教師とするように。



増田ロジックは読めても人の心は読めない子なんだなぁ。理屈で解決する問題じゃないじゃんw


まず、この増田は"働かずに生きることはできますか"と命題を投げかけている。

命題とは真偽の判定が可能、かつ真か偽である条件(必要条件)などについて論じること、かつ

パターンMECEに洗い出すことは十分に可能なのである。人間には本来そういう力が備わっている。

まずそういう根本的なところを突き詰めないで、思考を放棄し、"できますか"と尋ねるバカな増田

下手に出たことをいいことに、現実世界で、社会的に蔑にされ、重要人物たりえないバカな俺でも上から目線に、偉そうに意見を述べられるぞ!チャンスだ!

とここぞとばかりに ノイズをまきちらすバカどもが。

不確定要素はあれど、思考し尽した痕跡情報連鎖の中に何一つない。私はそこを衝いている。

バカは人の主張さえも理解できないのか。そんな調子でよく今まで平気で生きてこれたな。


バカは自分がバカであることすらもわからないほどバカらしいが

ここまで親切に書いてもわからないかな? 下手な言い逃れに躍起になるより素直に自らのバカさ加減と

向き合った方が、今後の人生において利口だと思えるのだけれど(まずバカはデメリットだらけ。そのままでいる理由がない)

まあ勇気のいることなので、ゆっくりでいいよ。ゆっくりしすぎたらバカのまま死ぬかもしんないけどね。



根本的なところを突き詰めないで枝葉末節をつっつくのはバカのやること。

あるいは雑談ならその程度で良い。しかし目的雑談か? "雑談をしている"、のではなく"雑談しかできない"無能しかいないのではないか?

見るからにそれはそう。 普段から頭を使っている人間は、ある程度の問題解決能力がある人間がわずかながらも情報を連鎖させているのであれば

ああいった様相を呈すことは、まずない。



ああいったやり取りで"何か有意義なことをしたような気に"なる奴らっているんだろうなあ。


そういう奴らは働かずに満足して生きることも成功することも到底覚束ないであろう。

構造的に無理なのだ。なぜ無理なのか。それはこの世が、社会がろくに思考をしないバカどもにとって都合の悪い構造、仕組みになっているからだ。

というより、そういった都合の悪い要素を集めた存在を"バカ"と呼ぶのかもしれない。

(あと、トラバブコメにいる俺に刃向うような、楯突いている人間は全員バカ。的外れ。ちょっと指摘すれば次の瞬間にはもう全く何も言い返せなくなるような脆弱意見

  もう何も言わない。わかる人にはわかる。 "ああ、バカが湧いてるな" と。 これ以上失望させないでおくれよ)


はてなが普段頭しか使ってないだけで頭が良いと勘違いしているだけの、ただのバカによって形成されたコミュニティでしかないことを願いたいところ。






バカはノイズをまきちらすだけだから邪魔ゴミクズウイルス。一掃されろ。ネットで何かを発信するな。テレビみたいに受信だけして満足しとけボケ






 

老子「知者不言、言者不知」





2010-09-18

アンケートあなた考える人権の(直近の)根拠は何ですか?

人権

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%BA%E6%A8%A9

かつては、人権の根拠は自然法つまり神(宗教権威性)に求められていた。しかし、世俗主義民主主義国家において、特に、日本においては、人権そのものが、根拠・命題自然法論で主張される(トートロジー)。これが日本においては個人の尊厳に求められる。日本国憲法第13条の「個人の尊厳」はこの意味に解される。この場合人権観念憲法も含めた法律の上に位置付けられるという法学者が多い。一方で、法実証論においては、人権の根拠は単純に法律(ほとんどの国では憲法)にあるとされる。

また、自然法および社会契約説は虚構であるとして、人権概念を否定し、公民概念をもってこれにおきかえる主張もある。

公民

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AC%E6%B0%91%E6%A8%A9

公民権(こうみんけん)とは、公民としての権利のこと。公民としての権利とは、公職に関する選挙権被選挙権を通じて政治に参加する地位・資格公務員として任用される権利(公務就任権)などの総称で、参政権市民権とほぼ同じ意味である。


人権のよってたつ根拠を、神や法律人権そのものに求める立場がある。

世俗的な国家にとっては、ちょっと神はないだろう、となる。人権トートロジーも心身二元論みたいで整合性がなくなる。

法律が根拠というのはかなり正しく聞こえる。ということは国ごとの、あるいは国の間のものであり、国主体ということになる(EUはあるけど、各国の国民投票欧州憲法より優先されているはず)。


気になるのは公民権なのよね。参政権人権全体にとってかわる? 足りないものが多すぎる。自由権とか社会権とか受益権とかどうすんの。

それとも人権概念の根拠は参政権だといいたいのだろうか。それなら分かる。公民国家アクセスできる仕組みが参政権なので、参政権がない=公民国家アクセスできない=国家公民に一方的にアクセスすること(これが問題になるということは大抵は人権蹂躙状態になっている)を防御できない、ということだろう。

何か在日韓国人参政権欲しがる理由が分かるような気がするな。参政権がないということは、国や地方アクセスできないのに、国や地方アクセスは受けねばならんということだ。そして人権は蹂躙される(というか、そもそもあるべき人権が認められていない)。それはモノスゲーイヤだろう。俺がアメリカンドリームで一山当てるためにアメリカに行ってそういう扱いだったらファックだぜ。

だったら国籍取ればいいじゃない? そう、ここで第五の条件、身分証明書が出てきた。人権には国籍戸籍住民票のような身分証明書が必要で、それが人権を支えているのだろうか?


というわけでアンケート

あなた考える人権の(直近の)根拠は何ですか?

1:神

2:人権そのもの

3:法

4:参政権

5:身分証明

6:他の何か(内容も書いてください)

気が向きましたらお答えください。

2010-08-13

http://anond.hatelabo.jp/20100813125043

なんか主語でかいっていうか、「皆無」とか全称命題を臆せず使ってて、こいつ頭大丈夫なのかという疑念がまず過るわけなんだが。

2010-08-12

http://anond.hatelabo.jp/20100812072220

という主張で記事を締めておいて、「なにやら」のあてが外れたら「万人に都合のいい仮説が存在するか、が本題なんですが」とさらっと言い変えてのけるってのもすごいなとは思うけれど。

http://anond.hatelabo.jp/20100812000012

の一番頭に書いているのに、どうして気がつかないふりをするんでしょうな。「もう少し言えば」と書いているのですから、何が本題であるかは読み取れるはずで、まさか枝葉末節の「煽り」と本題を峻別できない程度のひとなんでしょうか。

さて

現実との整合性の検証やら論証をすっ飛ばして滑り込ませてる前提

社会のどの程度にまで当てはまると推測されるか

の検証をせずに暗黙の前提として採用することを「論者に都合のいい仮説」と言っているんであって、

現実」をよく見てみれば、それは選択可能な事柄ではなくて、単に受容するべきものでしょう。もしくは自ら選択するものか、選択させられるもの。

ですから「現実」に含まれるある種の前提を含んでいることは当然であり、「現実」を受容できなかった人や「現実」を拒否した人にとっては、「現実」の前提から外れていることは自明なのですよ。

なので「論者にとって都合のいい仮説」というのは、論者の論証にミスがなければ、正しくは「現実にとって都合のいい仮説」です。

じゃあ受容できなかった人や拒否したにも受容可能な「現実」を想定して、もう少し普遍的な命題を設定することが可能であるのか、となるとぼくは難しいと思います。だから万人にとってのくだりがでてくるわけですし、現実スコープを持たせる限り、常に「論者にとって都合のいい仮説」という批判は出てきてしまうわけです。なので、あまり「論者=現実にとって都合のイイ仮説」という批判は、あんまり意味が無いんじゃないかと思うんですよ。次に論証のミスをつつくことでしょうが、うーんあまりエレガントではないでしょう。

あと、別の増田が言っていることは、「現実を拒否した人」についてのことでしょう。

もっとも、現実を作っているのは次々現実に参戦して勝利を収めて生き残った論者なので、と正誤にかかわらずルールを強化してしまうのでしょうが。

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん