全日本弓道連盟の影山某という人物がその四文字熟語を引用してきて、初心者に教えすぎだと、学ぼうという意欲が沸いた時に適切に教えるのが良いと宣っているけれど、そもそもその適切とやらは指導者の側でしか判断し得ないと思うのだが、その判断が適切だと誰が保障するのだろう?
また、一人が多くを教える弓道界で、同時とやらを実現できるほど、弟子を見てやれるというのだろうか?
自分は理事とかをやっている偉い大人物なので、常に適切な判断しかしえないし、全ての弟子を鳥瞰してそれらの学ぶ意欲を常に把握できているとでも思っているんだろうな。
いやはや、大変な自信家だ。
私には絶対に真似できない。
指導者は教えられる時、教えを請われている時には最大限教える。
その時、教えられる側が理解できなかったとしても、その教えが正しいものであって、教えられた側がその教えを覚えておこうという努力をしているようであれば、いつかその教えに気づいて理解できるときが来る。
それでいいではないか。
というか、そんなこと誰しもわかっていることだろう。
それを「啐啄同時」なんて偉そうな禅語を取り出してきて、何か偉そうなことを短い文面で宣おうとするから、誰でもわかっているような事柄と異なることをいってしまうことになるんだろう。
それは表面だけ繕って、実がない。
なんかこの影山某という人物がそうだと言うわけじゃないけれど、近年の全弓連全体に揺蕩っているものと同種に感じる。
そっちの方をよっぽど先に案じるべきだと思う。