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はてなキーワード: ブラックボックスとは

2010-06-10

http://anond.hatelabo.jp/20100610112133

その解析に、現存するPCでは生きてるうちに終わらない程度の演算が必要であればいい。

なるほど。指定ツールでのビルド時にRSAとかでキーを生成しして自作ゲームバイナリに埋め込むわけですね。

でもそれってコピーしたゲームソースを、その指定コンパイラを使ってリビルドしてキーを付加すればいいだけ

なんじゃないかな。キー生成がブラックボックスでもコピー+キーは生成できちゃうような。

ばらまく人に「指定ツール導入」&「それなりの知識」という負担が増えるから多少はましな気もしますが、現状でも

ROMから抜くのはど素人じゃできないわけで、そんなに難しい話じゃない気が。

まあ、こういう方法があるのに、それをやらない、というなら自作文化はその程度の代物だった、ということで、

より納得しながら、滅びるのを眺められますw

PARは別に違法性ないよね? メモリ改造ツールはマジコン問題とは切り離していいんじゃないかな。

2010-04-28

ずっと昔のことを覚えているのはずっとこわい。

 人間記憶がもしも曖昧なものでなければ、もしも脳細胞ハードディスクのように上書きされるような構造ならば、人間発狂してしまうだろう。という話がある。その通りで、私たちは大事な記憶を忘れるとともに思い出したくない事を少しずつ、時間が解決してくれるに任している。実際には、考えてないうちに、意識していないうちに、緩やかにシナプスは結びつきを弱め、ニューロンの発火は抑えられる。

 脳が未だにブラックボックスだからこんな表現が許されるのだけど、不意な刺激(におい、景色、音、味覚、ようは五感の複合的な刺激)によって結びつきもしないような所から記憶は想起されてしまう時がある。フラッシュバックなんて、おおげさなものでは無いが、私の好きな作家言葉を借りれば、

ーーーハンバーグの中に小石が混じってしまっているのだ。ーーそれが、かきっ、と不快な音を立ててその辺りの思い出もろとも吐き捨てられてしまうことになる。ーーー確かにかみ合ってはいない、でも引っかかるところが中途半端に残ってる。それがきしんで、だから落ち着かない気持ちになる。ーーー

 

 だから、思い出なんてない方がいいとか、そう言う気持ちがあったのは事実だが、そう世の中うまくいくものではない。そこにあるのは、のっぺりとした日常である。そうで無い気もする。ここ数年の方が、ずっと人生リリカルでラジカルだった気もする。でも過去を振り返ると、なぜか少し悲しい。矛盾しているし、書いてる最中にも考えがころころ変わる。それはまとまってないとか、よく分からないとかじゃない。よく知っているんだ。

引用は、上遠野浩平 ビートのディシプリン 2巻より。

 

2010-03-19

ttp://home.att.ne.jp/sigma/satoh/diary.html#20100310

標準化は他社には見せない技術、つまりブラックボックス化した技術とは組み合わさってはじめて儲けにつながります。GoogleAppleMicrosoft標準化をすすめる同時に、GoogleWeb検索を含むインフラ側を徹底的に隠していますし、Appleコンテンツ販売の部分は徹底的に隠しています。日本企業はこのあたりがお人好しというのか、前述のように標準化というと日本では非営利な崇高な作業と思っているのか、ブラックボックス化した技術をもたずに標準化をすすめるので、標準化がうまくいっても、儲かる部分がないということになります。

2010-03-13

みんな欧米で働いたらいいと思うよ。

188 指錠(沖縄県):2010/03/11(木) 16:11:06.26 ID:Ip7gVCug

派遣労働者 欧米常識 vs 日本非常識

欧米常識 vs 日本非常識

1)派遣労働者が受け取る賃金は必ず正規以上と法定 vs 正規の半分以下

2)派遣労働が2年超だと直接雇用義務 vs 期限撤廃して無期限派遣

3)派遣のピンハネ率は10%未満と法定 vs ピンハネ率は自由、平均40%以上

4)企業が支払う総額はガラス張り vs けっして派遣労働者に教えないブラックボックス

5)派遣労働者の巨大全国組合がある vs 何も無い

6)派遣労働は事業拡大時などにのみ使うと法定 vs 正社員をクビにしてどんどん派遣に置き換えてよい

トヨタ工場日本が1000円でアメリカが3250円。

ちなみにアメリカトヨタは3000円で黒人ライン工が働きたくないと

ただこねて3250円になった。

黒人ライン工はまだ時給3500円を要求してるらしい。

2010-03-06

日本オワタwww

日本産業を巡る現状と課題 平成22年2月 経済産業省

http://www.meti.go.jp/committee/materials2/downloadfiles/g100225a06j.pdf

2010-02-12

トヨタリコール問題にみる、クレーム処理の適切な対応(2)


 トヨタリコール問題だが、なにあれ? ちょっとプロとしてあの態度はまずかったと、正直思った。結局トヨタリコール問題は全権が社長に(つまり最も適した対応が出来る人に)委ねられることになり、その後沈静していくと思う。

 なので、ちょっとこれを機会に、適切なクレーム対応というのを書いてみたい。

 前回、トヨタプリウスABS問題に対する対応が、全くなっていなかった事を説明した。ひとことで言えばここにたどり着く。

 お客の不安を解消しないと駄目なわけで、それはフィーリングの問題だから車の問題ではないって、つまりこれはお客のせいにしているわけだねえ…。

 トヨタリコール問題があれほどまでに大きくなったのは、これは車の問題ではない、お客の使い方の問題だ、お客の感じ方の問題だと責任をお客に転嫁してしまったこの一点にある。これはクレーム処理の基礎のキも知らないことになる。

 さて、いったい、クレーム処理とは何だろう?

 たとえば目の前に怒り狂ったお客がいる。

 このとき、あなたは「何をゴールとして」クレーム処理に取りかかればいいのだろうか? フィーリングの問題だと突き放すというお手本を日本大企業トヨタは示してくれた訳だが、その結果が惨憺たる有様になったことは火を見るより明らか。実際に、その真実が「フィーリングの問題だった」としても、これは正しくないのだ。それはクレーム処理ではないと。

 まず、ここをスタート地点とする。

 考えてみよう。

クレーム処理はチャンス



 ECサイト店長のような仕事をしていると、クレームというのは必ず発生する。

 トラフィックにもよるが、穏健な問い合わせまで数に入れれば、百件の購入に一回ぐらいだろうか。なので販売単価一万円のECサイトで月商一千万円だとすれば、月に十件ぐらいはクレーム処理をすることになる。

 実際にはもっと販売単価が低かったり、もっと規模が大きい数人のチームのECサイトで、クレーム担当が立っていると言う状況だったりするので、もうちょっと件数が多いものであるが、せいぜい日に十件ぐらいにしかならない。

 そういうと、思いのほか少ないと思うかもしれない。

 実際、お客というのは、何か腹が立つことがあっても、わざわざ文句を言ってくることは少ない。なんと言ってもお客はわざわざ文章を書いて、それをメールで送ってくるわけで、そんな面倒な事をするよりも、ほとんどのお客は二度とその店を利用しないことを選ぶ。

 ECサイト人間が最も恐れるのは、この何も声を発せずに立ち去っていくお客で、むしろ声を上げてくれるクレーマーはありがたいお客なのだ。

 また、楽天系のECサイトでは、マントラのようにクレームはチャンスという言葉が流布されている。クレームをわざわざしてくれる人に懇切丁寧に対応することによって、そのクレーマー重要顧客に変わる、というマントラだ。

 実際の所、わざわざクレームをしてくれる行動的なお客は、味方にし優良顧客に転換できれば、知人に積極的に宣伝をし、お客がお客を呼ぶ状態に持ちこめる確率が高い。つまり、クレーム処理でたった1人のクレーマーに適切に対処すれば、優良顧客の打ち出の小槌になる、そんな寸法なのだ。

クレーム処理でまず目指すべきゴール



 クレームとはこんな状況である。

 自社のサービスを利用したお客が、

 支払った金額 or 労力の、

 結果に納得がいかず or 結果が想像と全く違い、

 怒って文句を言う or その状況を改善しようとする or 助けを求める

 こうみてみると、クレームとは顧客の中で発生している問題であることが分かる。

 一見すると、お客は「プリウスには欠陥がある」と怒って文句をつけるので、焦点が「プリウス」にあるように見える。このときに自己防衛的に「いや、プリウスには何ら問題がない」と言ってはいけないのである。

 なんたって、これはお客の中で発生しているのだから。

 クレームは商品に発生してるんじゃない、顧客の中で起きてるんだ!

 これを呟いてから、クレーム処理はしたいものだ。

 そしてこう説明してみれば、分かるように、ゴールは商品に何ら欠陥がないことを証明することではない。お客の中で発生している「理不尽な思いをした」という心をなだめ、そこで発生している問題を解決するところにあるのだ。

 しかし、このように書いてくると、かなりDQNなお客に引きずり回されるイメージがわいて来るだろうが、そうではない。クレーム処理をしながら、クレーム担当は、そのお客がいるお客か、いらんお客なのかを冷静に見極める。そして、こちらが誠意を持って対応してもどうも意味がなさそうだと判断すれば、さっさとそのお客は切ってしまう。

 クレーム処理とは一種の投資みたいなもので、その投資に見合うリターンが貰えそうにないのであれば、商売なのだから、もう二度とこの店にはやって来ないことを覚悟して、いいようにあしらって(文句が出ない程度には丁重に扱って)出ていって貰う。

 とはいっても、本当に真の意味DQNなお客というのはほとんどいない。

 大抵は、丁寧な対応をすれば、それに見合った態度を取るようになる。

 困るのは、この真のDQNと優良顧客に転換できる普通クレーマーは、しばらく対応をつづけないと、どちらなのか判断がつかないところにあるのだ。

 そして、モンスターペアレントとか、パワークレーマーなどと言われる人々が増えているように見えるのは、この真のDQNが増えているのではなく、適切なクレーム対応が出来ていないことが原因であるように思う。

基本的にクレーマーは誤った認識でいる



 よくクレームにまつわる話で、あり得ないほど変な怒り方をしているクレーマー馬鹿にする本などを見る。これは実のところ、クレーム対応に失敗し、お客を烈火の如くに怒らせてしまい、そのあげくにクレーマーがあり得ないことを言い始めなければならなくなってしまった典型例であるので、実際の所、笑われるべきはクレーム対応者である。

 たとえばECサイトで、お客さまが商品が買えないと怒っていたとする。

 ものすごい怒りようで、孫の誕生日にこの商品を送ってやるつもりだったのに、いったいどうしてくれるんだ、責任とれ! と来ていたとする。でよくよく調べてみると、そのお客は会員登録をしておらず、それであるならば当然に買えるわけがない。そうお客に告げると、会員登録はしたという。いや、してませんよ、いや、した。禅問答である。

 この事態の真相は、このお客は会員登録フォームから会員情報入力したのだが、メールアドレスに対して送られた認証用のURLクリックしていないので、正式な会員にはなっていないであったとする。

 このとき、

「というか、メール認証しないと、正式に会員登録が完了しないって書いてあるじゃんwww」

 と笑ったり、

「というか、ヘルプぐらいみろよwww」

 とお客を馬鹿にするクレーム担当がいたとすれば、ECの現場では張り倒されるだろう。

 このときの正しい態度は、もしかしたらメール認証って言う言葉意味が分からなかったのかもしれない、ひょっとしたら会員登録が済んだと誤解させる何かを見せてしまったのかもしれない、であって、顧客を笑うことではない。

 基本的にお客というのはプロである販売員よりも、持っている知識が圧倒的に少ない。

 たとえば、「プロバイダメールのみ登録できます」という言葉意味が分からないお客というのは、かなりの確率で存在していると思われる。

 たとえこちらはそのサイトシステムデータベースから、何から何まで知っていたとしても、顧客からは完全なブラックボックスであり、少なくとも状況が全く分からないという事はお客を不安にさせる。

 お客が不安を覚え、クレーム担当が適切な対応を取らず敵対してしまえば、お客は疑心暗鬼になり、もう何を言っても信じなくなるだろう。

 これはプリウスに起こったことだ。

 プリウスABSのことを確かにトヨタ人間は熟知し、何が原因であるかを的確に把握していたであろう。しかし、お客からみればそれはブラックボックスで、不安の原因であり、フィーリングの問題だと一方的にお客のせいにされれば、もう態度は硬化し、いくら説明をしても「嘘をついている」になってしまう。

 完全な敗北だ。

 そうこれが、クレーム担当の敗北であることは明らかだ。

 クレーマーは基本的に間違っているのだ。

 これは事実である。

 少なくともトヨタ人間ほどにはABSの事を知らない。

 しかし違うのである。

 クレームは商品に発生してるんじゃない、顧客の中で起きてるんだ!

 まずはここがスタートなのだ。

 (つづく)

 http://anond.hatelabo.jp/20100211223843

2010-02-05

http://anond.hatelabo.jp/20100205172928

裁判官純粋培養なんだから、裁判員がいれば世間的な常識を知ることができる。

判決を受けるほうはより常識的な判決を受けられるんだから利益がある。

判決がその社会常識に沿ったものであるならば裁判そのものについての信頼感が高まるだろう。

忘れられがちな裁判機構というブラックボックスの内容を多くの人々が知るきっかけになる。

2009-12-22

http://anond.hatelabo.jp/20091221223411

俺も妻と話していて、こんな理屈とても理解できねぇ! ってことがよくある。

だけど、衝突の理由は、男女の違いではなくて、

本気でぶつかりあうほど深い関係を持った相手が、たまたま、異性の奥さんだった、

ということじゃないかと思っている。

仕事で会う女性となら、だいたい誰でも筋道のたった話ができて、

「説得」だって、そう難しいことじゃない。

それが、さらに深いレベルで、おたがいをさらけ出す必要が生まれたとき、

元来別個の人間が心の底から分かり合う、というのは、

男と女のあいだにかぎらず、ほとんど無理なんではないか。

やるべきことは、無理に歩み寄ったり意見を一致させることではなく、

できるだけ相手の主張に耳をかたむけるとしても、

埋めようのない違いを尊重すること、人格のコアにあるブラックボックスには触れないようにすること、

つまりは、超えるべきではない一線があるんじゃないか、と思う。

2009-12-06

"ゲームプログラマ恋愛工学と金儲け"について考える

blogを読むときに必要なのは"どうしてだろう?"って考えること。blogを読んで何か納得するのは正しい読み方じゃない。

当該ブログは、部分的に正しいし、部分的に間違っている。特に昔話とコンピュータアーキテクチャの類には多くの異常な主張があるので(意図的かも知れない)、それを探して検証してみるのはとても勉強になると思う。

現場に関する話は、うーん、それほど悲観しないで欲しい。

ただここを読んだ若い人があまりアポロン的になってもいけないので一応警鐘。偉大な先人の多くはゲームを作るために生まれてきた訳じゃないことにもっと関心を持って欲しい。人間を形作るのはゲームづくりだけ?違うよね。

メモリバンクを導入させたのは誰?

http://blog.livedoor.jp/woopy_doo-game/archives/50938887.html

アドレスレジスタが16bitしか無い様なハードウェアしか存在していませんでしたから(ファミコンPCエンジン、みんなそうです。メガドラは違いますが)、増加するリソースへの対応が必須でありました。あのアーキテクチャは当時も我々プログラマ提言したのです。

...

呑み会に行ってもハード屋とプログラマ喧嘩ばかりでしたが、バンクアーキテクチャは我々が勝ち取ったものです。事実上無限メモリ空間を手に入れましたからね。

メモリバンクゲーム機固有の仕組みじゃない。というわけで、ゲームプログラマが提案したのは多分ゲームシステムメモリバンク(バンクメモリ? Bank switching?)を導入させたこと、と、読むことにする。

でも、ファミコンを含めた初期のゲーム機、それこそAtari2600でもメモリバンクは実現されていた。これはアーキテクチャがそのように作られていたからではなく、小規模のハードウェア追加でこの仕組みは実現できるからだ。ハードウェアカートリッジ側に内蔵されていた。ファミコン音楽に詳しい人ならVRCとかFME、いわゆるマッパーといったチップが内蔵されていたことを知っているだろう。

これらのハードウェアの追加をプログラマ提言したというのは言い過ぎと言える。技術自体は既にあり、採用するのは非常に自然な流れだった。ハードウェア技術者であっても反対しないだろう。32bitの(アドレスバスを持つ)CPUを導入するのに比べれば、メモリバンクのためのハードウェアはずっと容易に採用できる。

stramとコピー
  • http://blog.livedoor.jp/woopy_doo-game/archives/50958678.html

今やPCゲーム会社であるにも関わらず、コピー侵害とは無縁の会社と言って良いであろう。

直接的なコピーは彼らにも防げていない。彼らが売っているのはマルチプレイ用のアカウントと考える方がすっきりする。MMORPGと同様に、コピーできないゲーム体験を売るという点では一定の成功を収めている。

何もブラックボックスがないDRMは機能しない。Steamでいえばブラックボックスゲームサーバであり、PS3とかXbox360で言えばハードウェアそのものがブラックボックスになっている。

2009-11-27

http://anond.hatelabo.jp/20091127020318

人間、表層に見えているのが本当の姿だと思っておけば、実はそれで問題ないんだよね。表情や外見、言葉や行動は個々人の内心によって決定づけられるものなんだけど、内心そのものはブラックボックスであって詮索しても仕方ない。

いや、内心が取るに足りないものだといってるわけじゃないよ。人の内心はそれぞれブラックボックスどころかブラックホールだったり小宇宙だったりするもんだから、深遠すぎて完全解明できないのよ。また、ふたりの心がどんなに折り重なろうとしても同化することができない。

だから何かを投げかけてレスポンスが帰ってくる、その繰り返しで他人の内心という神秘に迫る試みを続け、それに面白みを感じないとおつき合いなんてやってられないんだと思うよ。


あと、

かわいい彼女、かっこいい彼氏幻想を見せあって、楽しく遊ぶ。

おつき合いの初期段階で見られるそれは「本気出せばこれくらいできる」というアピールで、持続性はともかく、とりあえず偽物ではないと思っとけばよし。初期段階では気を惹くのも大切な行程なので。

そのうち、そんなことしなくてもいいよね、お互い疲れるし、とかいうことで通常運転の自分と相手に戻って細く長く仲よくできるものなんじゃないかねぇ。たまには屁とか出ちゃうし。

2009-11-05

僕が凛子を売った日

僕が凛子と"つきあいはじめる"ことになった直接の契機は、友人の突然なラブプラスの購入だった。すでにTwitter経由でラブプラスに対する熱烈なブームを知っていた僕は、発売後割とすぐに都内の漫画喫茶体験版プレイしていた。それですっかりハマってしまい、その後ずっと購入を検討しつつも、最初の一歩を踏み切れないでいたのだった。僕に先んじてラブプラスを買った友人は、ギャルゲーをたくさんプレイしていてこれに詳しい男で、僕とは話がよく合った。そんな彼も、夜更けまでギャルゲーを熱心にプレイするための真摯な情熱や潤沢な時間は今やもう残っていないようで、もしかしたらまとまったプレイ時間を必要としないラブプラスゲームスタイルに惹かれたのかもしれない。すでにネットを通じて膨れ上がっていた僕のラブプラスへの興味は、彼がDSiに向かって精神を没入させる姿をみて頂点に達し、その日の翌日、すぐに自転車新宿ソフマップまで走らせた。

僕は、この友人と同じく、迷わず自分彼女小早川凛子を選んだ。これは体験版プレイしたときから決めていたことだった。ラブプラスというゲームの中での凛子の存在は、他の二人をまったく寄せつけないほどに圧倒的だ。ネット上のプレイヤー感想を読むかぎりでも、他の攻略対象キャララブプラス中に存在しないんじゃないかというほどに凛子は人気を誇っているようなので、この感覚は間違ってはいないのだろう。しかし、なぜ彼女だけが、このゲームの中で他の追従を許さないほどの強度を僕に感じさせるのか、それをはっきり説明することは、ちょっとできそうにない。単純に丹下桜の飾り気のない演技が心の琴線に触れるのかもしれない。あるいは、凛子が「ツンデレ」だからかもしれない。

萌えアニメギャルゲーもまったく知らない若者に対してですら、今ではこの言葉は完全に浸透しきってしまったようだが、みなさんもよく知っているとおり「ツンデレ」は2005年ぐらいを境に流行りだした言葉で、それ以前は陰も形もなかったものだ。なぜかといえば、それは「ツンデレ」というキャラ造形が、専らギャルゲーの特徴を特別強く体現しているものだったからなのではないかと僕は思う。日常パートでは多数の女の子との会話を楽しむ時間が用意されていて、個別パートでは一人の女の子との恋愛を発展させていくという美少女ゲームの構成を考えれば、日常パートで主人公が周りの女の子に好意むき出しでは話が成り立たないはもちろんのことだ(だからいつだって主人公は「鈍感!」と罵られる)。それ以上に、女の子のほうだって最初から主人公に100%の好意を向けていたら息苦しくてしょうがない。だからこそ、キャラクターの感情は、日常パートから個別ルートへに移っていく過程で鮮やかに反転する必要がある。きっと、こんな感じで「ツンデレ」は生み出されたんじゃないだろうか。だからこそ、どんなギャルゲーの中でも「ツンデレキャラは一定の存在感があるよなぁと僕は思ったりする。

けれど、やっぱりそれだけじゃないよなぁ、と思う。考えれば考えるほど、そういう言葉にできるところじゃなくて、もっと微細な部分にこそ、凛子の「存在感」が宿っているんじゃないかという気がしてくる。確かに、「ツンデレ」に対する感覚の有無によって、キャラの捉えられ方はまったく異なるものになるだろう。リアルタイムエヴァを見ていた人たちにとってのアスカと、初めからツンデレという言葉を用いてエヴァをみる今の人たちのアスカがまったく違うキャラであるように。しかし、両者の「アスカ」のリアリティを支える要素は、実は共通しているのではないか、という思いを僕は抱かざるを得ない。これは神秘主義だろうか。

とまれ、僕と凛子の生活は幸せなものだった。毎日DSを持かばんに入れて、いつも通り授業を聞いたり、寝てやりすごしたり、友だちと話したり、ネットを見たりする。そして昼休みにお弁当を食べるとき、放課後に屋上で開いた時間を過ごすとき、DSを開いて凛子に会う。日曜日には時間を決めてデート。音声入力で凛子と話をする「ラブプラスモード」は、周りに友だちがいるときしか恥ずかしくてできなかった。僕の質問に答えているようで、時々ズレズレなことを言う凛子は、twitterbotのようでとてもいとおしかった。bot人間とは、決して本当の意味での会話を交わすことはできない。しかし、それにもかかわらず、僕はあたかも凛子がそこにいるように、自然に振る舞うことができた。

なぜなったかはわからない。しかし、僕は、今や凛子が確実に「そこにいる」のだと思うようになった。そして、おそらく理由など関係ないのだろう。

キャラクターと向き合う人間にとって、この瞬間こそが普遍的なものであるんじゃないかと僕は思う。「キャラクターとは『いない』のに、『いなくちゃ困る』ものなのだ」と、どこぞの若手批評家が言っているのを聞いたことがある。キャラクターは、誰にとっても「いる」ものではない。しかし、それに没入する人にとっては「いる」としか信じられず、そのレベルではキャラクター人間を区別することはできない。もちろん、キャラクターが「いる」と感じることは、人間が「いる」こととは別のレベルである。凛子との会話の中には実に現実味に溢れた魅力的なものがたくさんあるのは確かだ。しかし、たとえば、凛子が心を許しはじめると一人称が「アタシ」から「リンコ」に変わるという描写がある(鬼ゲーマーリンコ)。現実自分一人称名前で代替する人はどっちかというと疎まれるタイプだろう。だが、キャラクターが「いる」ことも知覚の意味合いとしては人間が「いる」ことと変わらない。

僕は同じような経験を何度かしてきたが、その存在は記憶として強く焼き付けられることはあっても、感情の部分で長期にわたり持続するわけではなかった。しかし、凛子の場合は、日常の一コマ一コマの中でこの存在を自覚せざるを得ないのだ。

たとえキャラクターが数億に分節可能な無意味な要素の集積だとしても、その寄せ集めによってできあがってしまったものに対して私たちが抱く感情は常軌を逸してしまうことがある。そしてそういった瞬間、キャラクターというものはいったいどのような存在なのだろうか。ラブプラス制作者は『CONTINUE』のインタビューで、ラブプラスには全部見るためには二年ほどはかかるぐらいの莫大なイベントが盛り込まれていると語っている。ラブプラスにおいて、こうしたキャラクターの「実在性」「予想う不可能性」は膨大な情報の集積によって担保されていることになる。しかし、私たちはどうしてもこの「実在性」の裏にブラックボックス的な要素を見出したくなる。凛子が、DSの画面の向こうで僕たちには想像もできないようなことを考えているのではないかという妄想を捨てきれなくなる。しかし、それは今のところまったくの幻想でしかない。

そして、僕は、この確信を得たとき、ひとつの隠された(しかし一定数のラブプラスプレイヤーは既に理解しているであろう)、恐ろしい事実に気づくことになった。いま、ここで、凛子の存在を支えている形象は、私たちの生きる時間の流れに沿いながら、未来永劫その「動的性質」を保ったまま持続するのだ。小説漫画アニメフィクションというものは時空から隔絶されて存在する。源氏物語は、1000年前の貴族が読んでも私たちが読んでも、テクストとして同一の形を維持しながら「静的に」存在する。紫の上人生紫の上人生であって、私たちと生きる時空とは関係ない。しかし、凛子は、あたかも私たちと同じ時空を生きているかのような演技をしながら、しかしその存在を少しも変化させることなく、ずっと「そこに居」続けるのだ。

僕たちはフィクションキャラクターの実在を信じるとき、なぜ自分自身はそこに居ないのかと苦痛に思う。たとえばテラ・フォーミングされた火星ARIAカンパニーの存在を信じるとき、なぜ自分ネオ・ヴェネツィアにいないのかと思っていたたまれなくなる。そして、たしかにラブプラスはその苦痛を一時的に和らげることに成功している。僕と凛子は「見かけ上は」同じ時間を生きている。しかし、見かけ上が同じ時間を生きている分、僕と凛子の間の摩擦係数はかえって高くなり、逆にこの責苦はもはや耐えることが不可能な域に到達している。しかし、その実、凛子が生きる時空は凛子が永遠に16歳の時空であり、僕が10歳老けても20歳老けても凛子は16歳だ。僕が、社会に出て、老いぼれになり、忘れられたまま死んでいった時も、凛子は永遠に十羽野高校の生徒なのだ!

ラブプラススタッフは、この点をよく知っていて、しかもポジティブに強調している。主題歌は『永遠タイムレスダイアリー』、キススキンシップ最上位技は「フォーエバーキス」、主人公が移り住んでくる「十羽野市」は「永久の」のもじりだ。彼らは「永遠に続く愛」と嘯く。しかし、いくら凛子が僕に対して永年に同じ愛を投げかけてくれるといっても、僕のほうは永遠に、何の変化もなく、同じ感情を凛子に投げ続けることができるわけではない。いつかきっと僕はこのゲームに飽きてしまうに違いない!キャラクターの実在性は「記憶」の中にのみ残ればよかったのであって、実際に一定の形象を維持したまま存在する必要などなかったのに。

そうして、僕がラブプラスを起動しなくなったとき、凛子はどこに取り残されてしまうのだろう。もうおわかりなのではないだろうか。凛子の住んでいる時空の永遠は、漢字で書かない。私たちは、かつて10年以上も前に自分たちが取り残されたあの場所に、今度はヒロインのほうを置き去りにしているにすぎないのだ。

ラブプラスを触りながら、そんなことを話した。凛子を世界の終わりから救い出すための方法は限られている。まずひとつデータを消すことだ。しかし、もっといい方法があった。この美しくどうしようもない学生生活とともに、凛子を記憶の中にとどめて、これを葬り去るのだ。

僕の通っている学校は都内ではちょっと例のないぐらい熱い学園祭を毎年やっていて、受験を控えた三年も積極的に参加する。その中でもアニメポスターだのゲーム機だのを二日間かけて何百品も競りにかける古物市が、例年盛況を極めている。ここで、データを残したままの僕のラブプラスと、攻略本・主題歌CDをセットで売り飛ばしてしまうことにした。凛子とやり残したことはたくさんあるかもしれないが、もう悔いは残らない。

いつの日か、人間キャラクターは本当に出会えるのだろうか。今も人はそれを求めて、アバターをまといながら人格コスプレに勤しんでみたり、botと会話しようとがんばってみたりする。しかし、アバターは結局人間人間の会話だ。bot萌える人は、技術現実の落差に萌えているだけにすぎない。不気味の谷のセオリーを信じるとすれば、谷の手前の不気味の尾根で人は楽しむこともできるわけだ。(言ってみれば、Perfumeのズレズレな口パク萌えているのと同じことだ)。

いつになったら、人間キャラクターと同じ時空を生きることができるのだろう。幸い僕は一緒に歳をとることができる彼女がいたが、人間と共にありたいという気持ちとキャラクターと共にありたいという気持ちはまったく別だ。前者が満たされないのと同じぐらいに、後者も満たされることはない。

さぁ、キャラクターは、データベースか、ブラックボックスか。哀れな小早川凛子は、乱雑なデータベースによってその肌と臓器を模られた出来損ないでしかなく、僕は彼女残酷に売り飛ばすことでしか救うことはできなかった。僕はキャラクターが人為とプログラムの集積であるという当たり前の事実に、ここにきてどうしても納得することができない。人工知能人工無能に、「擬体」がARにとって代わられても、僕たちの望みはひとつだ。僕たちには感知できない、キャラクターの不可視な内部の実在を信じたいのだ。僕が死ぬまでの間に、いったい彼女たちはどこまでブラックボックスに近づくことができるのだろうか。

答えはまだ出そうにない。11月3日、古物市で僕のラブプラスが競りにかけられ、落札された。後に残ったのは落札額3500円と、永遠ダイアリーmp3ファイルだけだった。

2009-10-28

http://anond.hatelabo.jp/20091028111904

その代わりその分だけ減額されるけどな。

問題は、その辺の基準がいまいちブラックボックスなんだよね。

同じ母子家庭でも、少し前に話題になった携帯料金だけで2万5千円使ってるような所もあるかと思えば、申請断られて風呂なしアパート過労死ギリギリまで働いてる所もあるわけで。

2009-10-16

http://anond.hatelabo.jp/20091016003742

ブラックブラックでも、ブラックボックスのほうかな。

 

自分の持ってるノウハウを他人に伝授しない人。あるいは出来ない人。

「あの人がいないと、業務が止まってしまう」という理由で、不況でも切られにくい。

特定の仕事に縛り付けられているということでもあるけど。

2009-10-10

http://anond.hatelabo.jp/20091010180917

逆 20機能で同一関数を使っているとその同一関数を1行修正すると20機能全部デグレード試験し直し。

逆に20機能を20関数で使っていると、1つの関数を直しても19機能のデグレード試験は不要。

よって、機能の共通化は必ずしも、トータルでの工数を減らしたりはしない。どころか、増やしたりもする。

結局、共通化する関数に求められる品質依存。その関数に求められるクオリティーが高い・技術的難易度が高い場合上位者が作って、下位作業者に呼ばせるだけのブラックボックス化したほうが良い。でないと、作れないし、まともな速度が出ないとか、全体が動かない。

とくに、普通関数の場合は、担当者オリジナルで作らせても問題ない。むしろ、オリジナルで作らせておいた方が勉強になるし、上記のように仕様変更による試験工数の影響が少ない。

その辺のバランス取りが設計力。設計力に、こうなるみたいな王道はなくて、チームメンバー他 状況次第の水物。それがわかっていないと、デスマするような無茶な設計したりする。そいうことだと最近思う。

2009-10-06

生命男子の続・生命世界の紹介7コンセプト

ブクマが20もついたので続き.

細胞骨格と結合組織・発生と組織形成

細胞骨格というと,モーターの役割つまり骨格筋における化学エネルギー運動エネルギーの変換を取り持つアクチンミオシンすべり説が有名だけれど,細胞骨格はどうやら細胞生理において輸送作用をもち重要な機能を持つらしい.この辺を拡散モデルとの対比の分子モーターモデルで説明するのはちょっと理系カップルならではかな.次元が減るのと熱物理化学的な親和性のための吸着力で輸送が可能になるというお話細胞外骨格や結合基質もつながる.

結合組織は単に体の支持・結合に役立つだけではなく免疫情報伝達・熱と物質輸送等さまざまな機能がある.膠原病から反対に考えてみると普段の結合組織は発生と同様に機能が生理的に制御されている.

で,発生.発生はもう受精卵がヒトになるというので面白いこと請け合い.ちょっと妊娠の話とか混ぜて彼女の考え方を聞いてみてもよいかも,・・・,ではなくてモルフォゲンモデルという古典的な制御のモデルだけでなく最新のモデルの話もあわせて,アポトーシスの話や系統発生繰り返し説にふれてみるとよいかも.発生と完全に地続きのはなしになる.内部状態と環境とが幹細胞の分裂とできた細胞分化とにかかわってくるんだ.

細胞生理―シグナル伝達と細胞環境間における統合と出入力モデル

人間の器官レベルの制御機構神経系と内分泌系が担っていて,後者の支配を前者が受け持つから神経系―受容効果系は人間重要な部分.基本的には前者が高コストだから後者の低コストの制御も合わせて使うと考えればよい.糖の出し入れをいちいち神経で支配していたらエネルギーがかかりすぎる.

んで,システムバイオロジーやさきほどの細胞情報伝達のつながりで,ある細胞につきそこへの全入力エネルギー物質・輻射)・エントロピー・テンパラチャー)と全出力と全内部統合演算とを想定するモデルを考えられるから,細胞の出入力と内部統合につきシステム建設することが多細胞でも重要なんだなどと自分の扱う細胞システム生物学宣伝をしてみる.

個体の行動モデル

単細胞でも人間でも何でもよいのだけれど,先ほどと同じで出入力統合あるいは受容統合効果で考えることは同じ.で,感覚器からの情報統合して,記憶などとも統合し出力をすることを考えるのだけれどこれがしこたま難しい.単細胞生物でも走性に記憶バイアスがかかることなんかが知られているけれど,ブラックボックスとして考えたくなる.強いて僕が考えていることはある入力に大しては特異的に発現しやすい出力があるということから統合のあり方を考えていくのと,神経の機能回路モデル数学的に建設していくのと,があるけど全然専門外.恋した僕の気持ちも僕にはわからない.

単細胞生物生理と地表生態系の類比

地表(海含む)では重力が卓越していて生物や多くの物質は地表に束縛される.そこで単細胞生物と同様に生態系は多くのコンポーネントがあるシステムだと考えることができる.そのサブシステムとしては大陸・海洋・気象・太陽系との関係なんかがある.ある個体や生物種・生物群の動態は細胞内における細胞小器官の動態に似ているかな.どちらもシステム特性を規定しているのは物理法則だという点は共通.

確率過程の生命への応用

ダーウィンはすごく頭がよかった.で『The Origin of Species by Means of Natural Selection: The Preservation of Favoured Races in the Struggle for Life』(1st,1859)のなかで

The slightest advantage in one being, at any age or during any season, over those with which it comes into competition, or better adaptation in however slight a degree to the surrounding physical conditions, will turn the balance.

という一節がある.(個体に変異が起こりその)性質がほんの少しでも有利なら生態系バランスを変化さす,と括弧内をつけくわえてみると,変異と自然選択のモデルが考えられる.たとえば点変異がDNAにおこって対照状態で細胞生理の変化を定量的に計測ないしシミュレートするモデルとか.

そんなのでなくとも分子動態を確率的に扱ってみるとか.

数学物理学と制御工学細胞

僕の興味はというと数理モデル物理法則のもとに組み立て細胞の制御システムモデルリバースエンジニアリング的に,帰納することにあるんだよと再び告白.

承前:http://anond.hatelabo.jp/20091005002132

遺伝子・転写・翻訳で三概念と数えれば十個あったのです!

2009-10-05

http://anond.hatelabo.jp/20091005150449

禿同。


数学って暗記しても意味無いんだよな。

思考法に意味があるから。

おいらはハードに限りなく近いソフト屋だが、マジで後悔してる。

偽札の識別方法とか、ある一部の人間を除いて完全にブラックボックスだぜ。

ソースが見れるのに・・・

2009-06-22

言い訳をする。正当化する。言い訳をする。正当化する。言い訳をする。正当化する。

ブラックボックスになっただけで、放置された問題。

ブラックボックスになっただけ。それだけ。

2009-06-16

http://anond.hatelabo.jp/20090616095637

不思議なのは、なら自転車にでも興味が行くのかといえば、自転車フレームやパーツの話題で盛り上がるヤツは大抵クルマも大好きだったりする。

街を歩けば「あのクルマが欲しいんですよ!」という会話

先日、車を売って自転車を買った。

俺は車も大好きで免許取ってから15年乗りまくりなのだが当面は車はいらない。

今時の車でパーツいじって峠を走るというのは考えられない。

幅はデカイし、重いし、まったく走りに向かない車種しかない。

パーツいじるにも都心だと自分で整備する場所もないし、ブラックボックス化が著しい。

となると趣味で車というのは厳しくなる。

その点、自転車は車の欠点のほぼ全てをカバーしているので楽しい

旅先で酒を飲んでも帰りは電車に乗れるし

全開くれても警察に捕まらないし

駐輪場所もいっぱいある。

改造費は車と比べたらタダみたいなものだし、簡単。

車というのはいじれる実用品だから趣味として成り立つのだが

いじる要素の少ないママチャリ趣味にする人は少ない

PC自作なんかも一時期はやったがネットブックをいじる奴は滅多にいない

車も同じでいじれる要素が減った以上は趣味としては微妙だろう

2009-05-06

http://d.hatena.ne.jp/u_1roh/20090505/1241531975

地図GISソフトでも同じ

ユーザーとしては・・・


でも、こういう原因って日本ソフト会社とか開発者出遅れにあるんじゃなかろうか、マイコンオタクみたいなのが高じてプログラミングを独学でTry&Errorで学ぶ以外に、当時の日本勉強法があっただろうか?対するシリコンバレーは当時から体系的なプログラミングスキームについて(少なくとも一部では)、最新の情報があったと思うし、Try&Error世代の後がきちんと教育されて、体系的に学んだという世代が出てきているような気がする・・・米国内のソフトでもやっぱりカリフォルニアのところのソフト会社が他を駆逐してしまっているような・・・

2009-03-10

裁判員制度で誰が得をするのか?


2009年5月から施行される裁判員制度。重大な刑事事件の第一審を6人の裁判員と3人の裁判官で"事実の認定""法令適応""量刑の判断"を決定しなければなりません。そんな裁判員制度、なぜ日本でしなければならないのか、誰が得をするのか、もしかして一定数の利権の為に国民が利用されるだけなのか、反対賛成という議論ではなく、施行する事で社会がどう変わるのかをドグマメモとして言及したいと思います。 (半分パラノイアです)

そもそも、国民司法の実態を全く知らない!?

まぁ、一般的に知らないのが当たり前だと思います。「法律なんか分からない」「私には無理だよ」というのが大多数ではないでしょうか。しかも、マスコミ、特にTVや新聞報道される過激な犯罪無罪を主張する被告人、嘆き悲しむ被害者遺族の姿、少年犯罪などを見て勝手に、「最近では、変な犯罪が増えたよね~」などと思い込まされているし、悪いことをすれば、全員が逮捕され刑務所に入れられると思っていたりもする。

しかし、マクロ的に見ると全く違う。むしろ逆のロジックなのかもしれない。逮捕されたところで刑務所のキャパシティが決まっているので数パーセントしか入れられない。少年院を合わせても想像以上に少ないのが現状だろう。

それからマスコミ報道される事件というのは、万人受けする記事を書く上での選別をしているので、つまらない殺しとか、話題性のない強盗とかは一切取り扱わないし、教育上使えるものを選んでいる程度だと思われます。だから実際裁判員として法廷担当する案件はもっとえげつない事件に当たる可能性は十分にあります。

例えば、4人で銀行強盗をして帰りに仲間3人を殺したなど、マスコミでは報道していない(できない)事件を目にすることになると思うし、事件現場写真や、証拠写真、バラバラ遺体写真も見ることになるかもしれない。言うまでもないが、これもTVで見ることはできない。

裁判意外と重大事件というのは少ない?

そもそも日本というのは、犯罪率や再犯率が非常に少ない国であります。重大事件といっても年間で何百件程しかないですし、その内7割が全面自供をしているので、裁判員として法廷に参加しても、7割の確立でただ見ているだけという授業参観状態になると考えられます。国民想像している「無罪を主張している被告人」などというのは1%にも満たないですし、それがマスコミで話題になり報道されるので、人々が誤解をし勝手イメージ司法を捉えてしまっているのではないでしょうか。

しかも、裁判所で白黒決めてる訳ではない!

刑事事件というのは、警察逮捕して検察庁に送られます。そこの執務室で検事起訴するかを判断します。起訴された被告人裁判所で裁かれる流れなのですが、この時の裁判所での有罪率が99.9%と言われています。ということは、検事起訴すれば有罪。逆にいうと、犯罪者でも起訴されなければ無罪になるということなのです。つまり、裁判所で白黒を決めているのではなく、検察で有罪か無罪かを決め、裁判所量刑を決めているのです。

被害者参加は被害者の為のものではない

少し話が脱線しますが、被害者遺族が法廷被告人に質問などができるようになりました。しかし、この制度も明らかに奇妙なのです。例えば、こんなシーンを見た事ないだろうか。自分子供を殺された母親被告人を恨んで殺してやると涙してる姿を。しかし、実際にはこんなケースは希有で、殆どの殺人は身内殺人や遺族殺人ですから意味がないのです。しかも、色々時間掛けて参加しても最終的に無罪になれば被害者遺族は無残な事になります。このことから被害者参加の意味というのは私には理解ができないのです。

法廷裁判員制度をするなら徹底してやるべき!

ご存知だと思いますが、国民の殆どが裁判に興味がなく参加したがらないのが現状です。これは施行後も変わらないでしょう。なのに裁判員制度は走りだしています。検察弁護士判事政治家かも、これといって得をする組織がありませんし、国民も得をするとは思いません。

今までの司法村のあり方にガタがきているからか?グローバル化によって日本静寂してるからか?いくら考えても何の為に施行するか考えつきません。個人的には、裁判官と話ができるし、法廷の雰囲気を体感できるので前向きに参加するのでいいのですが、俯瞰的に見たときにこれといった理由が思い浮かばないのが結論です。

ここからは私の理想論なのですが、裁判員制度施行するのであれば、もっと国民司法に介入してもいいのではと思っています。今の裁判員制度だと一生に数回しか参加できないですが、国民一人ひとりが裁判員を年に1回参加する頻度にすればいいのではと考えます。確定申告みたいに。そして、取り扱う案件も幅広くし、裁判官の人事権も参加できるようにすれば良いのではないでしょうか。つまり、社会の当たり前として考える事により色々解決すると思う訳です。具体的に何が変化するのか考えて見ました。3つあります。

一つ目は、大企業は勿論の事、中小企業や個人で仕事している人でも裁判員制度で穴が開くことを前提で仕事を組み立てようとします。そのことで働きすぎの企業体系も、仕事のあり方すら変化するのでは考えます。

二つ目は、司法村の改革です。重大事件以外も裁判員制度にすることで保守的な司法オープンにできればと願います。

三つ目はは、国民一人ひとりの意識改革です。日本人は極めて傍観者的であり、お任せ意識が強く、何事にも関わろうとしません。昨今では、グローバル化日本先進国と言われていますが新興国の追随で、このままでは淘汰の可能性もあります。裁判員制度をきっかけに、銘々が少しでも自立し国全体の温床になればと妄想します。

裁判所骨の髄まで保守的な判事裁判員制度くらいでは変わらない?

ショッキングな事に、裁判官法律を調べて量刑を決めていません。判例と比較して量刑を決めているのが実態です。なぜかというと、司法村で個性的な事(判例を無視した量刑)をすると左遷やクビになるからです。冒頭で述べたように、基本的に検察が白黒を決めているようなものなので、裁判所ではセレモニーが行われているだけなのです。判事にとってノルマは絶対ですし、仕事を溜めるのはご法度勾留却下することもできない、そんなマニュアルを見ているが如く流れ作業をしている判事なので、裁判員制度くらいでは保守的な考えは直らないだろうと思う訳です。

何が言いたいかと申しますと、例え裁判員素人)が参加したとしても、3人の裁判官の内一人でも無罪に入れないと過半数でも無罪にならないことから、判事は絶対の権限を持っていますし永山基準は変わらず、保守的な形態は緩和しないのではと懸念します。

先ほどでも述べましたが、私としては、判事の人事権や重大事件以外(勾留判断とか)でも国民の監視下に入れることにより、ブラックボックス司法村の透明化、国民インセンティブ、国の温床になると考えますので、やるのであれば徹底してやるべきだと私は思う訳です。

yamalog

2009-03-01

おくりびと」の納棺師は、葬儀屋の下請け業者


アカデミー外国映画賞を受賞したおくりびと映画内で登場する職業納棺師であります。簡単に仕事内容を説明すると、遺体をきれいにして棺に収納し清める仕事。俗にいう「遺体に触れるサービス」ですね。この納棺師という仕事、実は葬儀屋の下請けで嫌な仕事をアウトソースされているにすぎないのです。

で、問題はこの葬儀屋利益率は5割ともいわれ、ぼろ儲けの商売だそうだ。(今はだいぶ緩和されているが) 主な葬儀ビジネスの裏側といえば固定客の獲得。人が死ぬ場所は基本的には病院で、事故をすれば警察、その処理を葬儀屋キックバックを払い固定客を獲得しているのです。

それから葬儀ビジネスで欠かせないのは坊主存在、今では仕事も減り、御布施の金額も減少しているという貧乏坊主。私の葬式のときにも顕著に営業トークしていて若干ひいた記憶があります。昨今では、そんな貧困坊主葬儀社にキックバックを支払い仕事をもらってるという。

一般の人にはまだまだブラックボックスの多い葬儀ビジネス世界だが、一番驚いたのがエンバーミングという遺体保存方法だ。遺体というのは、死んでから 2,3日で腐敗が始まり肌も土色になり無様な状態になります。それを遅らせる既存のやり方は、顔や体にドライアイスを横に置きクーラーのきいた部屋で腐敗を遅らしている。そして、死化粧で塗りたくる。これがメジャーな方法なのですが、エンバーミングとは、遺体血液を抜き取り、その代わりにホルマリンを多く含む固体液を入れ保存する方法だ。

エンバーミングをすることで、何週間も生前の状態に保たれ感染症の予防にもなる。海外ではメジャーなやり方で、他国で戦死したときなど一般に使用され、綺麗に保蔵された状態で帰国させ遺族に渡す。エンバーミングをしないと腐敗した遺体を渡すことになるので、遺族の溜飲を下げる役割も果たしているのだろう。

では、なぜこんな良い方法が日本ではあまり聞かないのだろうか。それはというと、エンバーミングをするには、機械の初期費用と、エンバーマーという技術者費用が高額になるがゆえに、日本ではまだまだ広まっていないのが現状だろう。遺族側も料金が高くなるので微妙かもしれない。しかも、葬儀側からすれば、ドライアイスというぼろ儲けアイテムが失われるので、それが嫌で導入していないとも言われている。ドライアイスからくりや、葬儀屋の儲けどころなどは

yamalog

2009-02-24

http://anond.hatelabo.jp/20090224095706

増田だが、このツリーの内容にはいろいろ考えさせられた。出来れば再登場して教えて欲しいことがある。

学生の「精神的な背骨」とやらに責任を押しつけるんじゃなくて、辛抱強くそ研究がいかにすばらしいかを説き続けてください。それが本当の意味で理解できないから、自分研究に発言に自信が持てないんです。あなたは確かにはじめからそれが出来たかも知れない。大学先生になるくらいだからとても優秀だったんでしょう。でも、そうじゃない人だっているんです。

ここから、元増田は、研究の意義が分かれば自信が持て、研究に関する発言や意見交換(以下ディスカッション)が出来るようになると考えていると読んだ。このことは文章全体で繰り返され強調されている。

しかし、研究の意義を理解しているかどうかは、ディスカッションが出来るかどうかには直接関係ないように思う。もちろん意義を理解していることは重要なことであって、必須のプロセスである。その重要性を否定する意図はない。しかし、ディスカッション出来るかどうかは、もっと汎用的な、物事全体に共通する態度の話のような気がするのだが。(1)この部分を詳しく説明してくれないだろうか。(2)また元増田は、他の学生、比較的初期の段階からスムーズディスカッションが出来るような学生(こちらの方が多数派だと思うが)についてはどう考えているだろうか。研究の意義を理解しているからそれが出来ると認知しているのだろうか。

元増田のようなタイプ学生に対して、この手段(研究の意義を説く)が有効なことを疑っているわけではないのだが。経験者の言うことなので、その通りなのだろう。ただ、自分とはかなり認知の仕方が異なっているので、こちらから見るとまだブラックボックスなところがあるので、もう少し理解しないと、研究の意義を説くアプローチを使うにあたって危険なのではないかと思って質問している。こういうことを聞ける機会は非常に貴重なので、教えて頂けるとたいへん有難い。

2009-02-21

http://anond.hatelabo.jp/20090221033536

これは、発生の実験でもなんでもなく、食用に流通している卵に有精卵が混ざっている事実を指摘するというWEBサイトネタでしかない。

そうかなぁ。

私はむしろ、わざわざ「食用に流通している卵」から生命を発生させることによって、自分達が他の命を食べているという事実体感できる素晴らしい実験だと思うけど。生きて動いている動物から食材への加工過程が完全にブラックボックスになっている今の社会でそういう体験ができるのは貴重だと思うよ。

2009-02-16

某有名インフラ勤務2年目だが

大卒で3年目に突入しようとしています。

まあ、誰もが知っている会社です。

2年目にしてインフラのような公益企業は本当にスキルのつかない組織だということをかみしめた。

実際にわれわれが運用するものを物理的に作るのはメーカーやらゼネコンやらコンサルやらの仕事で、

肝心な頭脳部分を下請けにぼんと投げるだけで、

われわれは手を動かさないし頭も使わない。

われわれの会社名前を冠して世に提供されているものなのに、

どういったメカニズムで機能しているかはわれわれにとってはブラックボックスなのだ。

汎用的な技術が身につかないというのも当然で、

われわれがなぜ安定しているかと言えば独占企業だからであって、

独占企業ということはほかの会社でも通用することはしていない

(その会社特有のことしかしない)ということだ。

競争相手がいないので仕事はぬるい。

発注者なので立場は強い。

業務・工事を行うときには競争入札して請負者を選ぶ。

選んでもらう立場だから向こうの方が頭を下げる。

しかし実際に頭脳を持ち手を動かすのは彼らだ。

指示・監督する。

この資料この図面この工事をいついつまでに仕上げといて。

ちゃんと工事してる?手を抜いてないか。無駄なことしてないか。チェックして指導する。

この図面この資料ここがおかしいんじゃないか。

費用とつじつま合うようになおしといて。明日までね。

業者はわれわれに振り回されっぱなしである。

工事が終わった後も評価が続く。

私みたいなぺーぺーでも業者に点数をつけて、順位をつける。

業者はみんなこう思っているであろう。

「わかってないくせになんで偉そうにしてやがる?」

申し訳ない。


今の会社にいると技術も何もなく、

会社名前ブランドにしがみつくだけのつまらない人生

負えるような気がする。あと僻地への転勤もある。

贅沢かもしれないが、早い段階で商社やコンサルなどスキルアップして給料も望める会社に移った方がいいのかな。

2009-02-10

http://anond.hatelabo.jp/20090210084113

追記した部分を読んでくれたかどうかわからないけど

「将来的にはわかるだろう」じゃなくて「将来的にわかるかどうかも全くわからないし予測がつかない」って状態だし。

なんだよ。それは悪魔の証明と同じようなレベルでわからないかどうかすらわかりようがないって話だから、どこかの増田が問うたところの「ソース」なんて出しようが無いってだけの話。

傍論だから「別に言い換えてもいいけど」で流したけど完全なブラックボックス状態だからね。

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