はてなキーワード: ディープとは
お前は俺か?
http://anond.hatelabo.jp/20090925111544
問題点は2つある。
中高の友達と彼女はいるけど四六時中連絡取れるわけじゃないので暇。もてあましても周囲の人々に迷惑なので友達を作ろうと彼女のマイミクにコンタクトを取る。
ヒマ持て余してるんなら『自分の』友達や『自分の』彼女に連絡を取れ。
なぜゆえに『彼女の』友達にちょっかい出すんだ。その人らは「マイミクさんのカレだから無下には出来ないんだけど、なんで私になれなれしく話しかけてくるんだろう? 友達じゃないのに」と十中八九思ってる。だから迷惑なんだ。
元増田は、ほぼ『無関係な人』に、ものすごく親しい人みたいな内容の話をしているんだよ。
新しい友達を作りたいのなら、自分の交際範囲から選べ。「いいお天気ですね」みたいなあたりさわりのない内容から、徐々に時間をかけてディープな話に持っていけ。相手のキャラが濃いからといって、いきなり濃い付き合いが出来るわけじゃない。徐々にだ。
思えば、目的や事情がない限り人を誘ったり呼び止めたりできない人間だった。気になる人がいた時はいったんその場から離れ、用件を捏造してから戻ってきて呼び止めたりもしていた。
友達ってのは、用が無くても会って話したりするもんなんだよ。なぜなら、「友達」は「自分を肯定してくれる人間」であり、「自分が肯定できる人間」だからだ。単純に「相手がそのままでいいこと」を認め合うために会ってるようなもんだ。友達との会話は「あなたにそこに居て欲しい」とお互いの気持ちを伝え合うことが主なんだ。だから、友達作りが目的のサークル活動ではディープな話にならない。研究は授業でする。サークル活動では「一緒にいて気持ちの良い相手と気持ちの良い時間を過ごす」ことが、たいがいの人の目的だ。
そうではなくて、何か大きな目的を掲げて、それを達成することを目指すのなら、生協の理事とかになったらどうかな。あれは仕事がいっぱいある。有能さも求められる。有能であれば認められる。
元増田。本当に友達が欲しいのなら、時と場所と場合を選べ。
元増田が「楽しいことをしたい時」に「楽しいことが出来る場所」で「たくさんの人から認めてもらえることをした場合」に、回りの人に「友達になろう」と呼び掛ければ、何人か友達が出来るだろう。
あ、とっておきのことを一つ教えよう。もし、元増田のことを「大嫌い」と言う人間が多くなったら、元増田のことを「大好き」な人間も増えている。「大好き」は「大嫌い」より言う機会が無いから、元増田がわからないだけで、元増田のことが好きな人間もきっとたくさん居る。世の中は元増田のことが「大嫌いな」何人かと、「どうでもいい」大勢の人と、「大好きな」何人かで成り立っている。元増田のことが好きな人と付き合えばいい。無理は禁物だよ。
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1303084.html
亡くなった著名人に対してそうウェブ上で弔意を表する人たちに、前々からなんとなしにひっかかりをおぼえていた。
「お悔やみ」は本来的には、故人の遺族などの関係者に対して「申し上げられる」ものだ。社交辞令的な側面を除けば、そこには人の死という最上級の悲しみを他者と共有し、辛さを分かち合うことで、明日への活力を得るための一助とする目的が存在する。なんとか彼の屍を乗り越えていこう。おじいちゃん最期になんていってたの? 生きろ、ってことさ。
ではウェブ上でお悔やみを述べる人々は「ワールドワイドなネットワークでディープなサドネスをシェアすれば、よりサフィシエンシーに富んだアロケイションを実践できるライフハック」でもキめようとしてるのだろうか? おそらく違う。ある種の人々にとってはウェブという葬式には不自由な場で唯一打てるの弔電であるし、別のある種の人々にとってはライフロギングの一環にすぎないだろう。そして、また別のある種の人々にとっては「本気で悲しんでる人」になるための入り口を作り出す儀式でもある。
訃報が大きなニュースとして扱われるのは各種著名人の中でも俳優、歌手、芸人などなどアーティストの場合が一番多い。ニュー速やはてなの場合はオタ寄りの人間が多いためか、漫画家や声優も比較的反響がデカい。こういった人々はアウトプットしたものが他に比べて我々の生活に入り込みやすい。あるいは、能動的に手に入れる場合の(精神的・物理的)コストが非常に安く上がる。だから、ファンならずとも「思い出してみれば、(作品を)見たこと、聞いたことがあるよね……」という気分に陥る。 仮想的な個人関係が構築される。そうなるともう「知人」だ。知ってる人が死ねば悲しい。当然の感情だ。だから、お悔やみを申し上げる。当然の論理だ。
これは「悲しんでるフリ」なのか? 否だろう。少なくとも、結果的には「本気で悲しむ」ことになるのだ。そういう結果に行き着いてしまうシステムができあがっている。そう、悲しみを指数関数的に増幅させるプロセスが。
著名人の死には思い出補正のほかにもうひとつ、故人の個人情報(しゃれじゃないよ!)、即ち通常の葬式における「彼/彼女とのおもひで パブリック版」がメディアによって無償提供される。追悼記事の体裁をとった故人の交友関係、裏事情、履歴学歴出身出自家柄家族構成年収バイオグラフィーその他諸々が暴露される。作品が繰り返し繰り返し某のりピーバキバキDJプレイ動画並にテレビでリピート再生される。掲示板でまことしやかに故人の美談が語られる。雑誌で特集が組まれ、いかに素晴らしい足跡、業績を残したかが取りざたされる。そして、ブログで「○○に関する個人的な思いデ」なる記事がアップされてエントリ執筆者に<わたし>の代入がはかられる。かくして公人としての彼/彼女の情報と私人としての彼/彼女の情報を手に入れることで、それぞれの中で実際と感情的にはさほど変わらない擬似友人関係が手に入る。リアルと違うのは<わたし>と故人をそれぞれとりまく人間たちがまるごと欠落してることだ。まぁなんて十年前に流行ったライトノベルみたいなんでしょう。君はそれで十分なんだろう。電波はどこからでも届く時代なのだし。
だから、画面上の「お悔やみ申し上げます」はいびつに響くのだ。単に遺族を知らないのあれば、自分の周囲から作者を知る人物を探し出して共有すればいい。それこそネットでは腐るほど見つかる。が、それではダメなのだ。上記のプロセスを経て構築された太くて強固な一本のみから成る関係は非常に閉鎖的で、誰の干渉もゆるさない。その上、線でつながれた二人のうち一人はもの言わぬ屍なのだから、もうほとんど俺 is world.だ。
臼井義人のような行方不明の場合は、この故人情報の提供が前倒しで行われている。(世間一般的には)一部の人にしか知られてなかった「まつざか先生の恋人爆死エピソード」やら、新宗教に関連した家庭内不和の噂やらがばらまかられ、『クレヨンしんちゃん』がベースとなった映画がピックアップされる。作品について語ったインタビューやら本やらが紹介される。そもそもがアニメのお陰で幼児~30代に絶大な知名度を誇る漫画の作者だけに、人々は自分の中の『クレしん』体験を持っている。我々はその記憶をつぶさに思い出の中から発掘し、あたためるだけの時間を時間を与えられる。今までまったく知りもしなかった作者をよき隣人よき友人として捉える様になり、ついにはこうのたまいだす。
「私の人生において『クレしん』はドラえもんとならんで人格形成に強烈に作用したいわばバイブルです。ええ、今でも大ファンですとも。ワシは臼井義人が育てた! しかし今の子供はかわいそうですね。ドラえもんとしんちゃんを同じ曜日に楽しめないとは!」(楽しめる)
既に世間は膨れあがっちまった悲しみではちきれんばかりになっている。今日に至り、「遺体発見!……か?」というニュースがダメを押した。今更後戻りはできない。「なんかの間違いであってほしい」「俺は信じないぞ」。これらは通常、死者に用いられる言葉だ。
人は自分本位ないきものだ。いわんや、(推定)死体と<わたし>としかいない閉じた、花火すらない部屋の中にあっては。死体の前についた(推定)が外れた時、ようやく理想的な関係が得られる。なぜ理想的なのか。安心できるからだ。なぜ安心できるのか。安定しているのだ。構成要素が自分しかいないから。ということは必然的に訃報からはじまる一連のシークエンス主人公はその人自身、ということなる。主人公は人の死を嘆き悲しむのだから人生という本のワンシーンとして、美しくならないはずがない。
画面越しに行われる弔いはその人の体内で循環し続けて決して放散されないのであって、つまるところ内面の問題なのだ。そこに臼井義人の親族や関係者が介在する余地などまったくない。だからこそ、人はどこまでも残酷になれる。決して、自覚することなく。
あなたは悲しむ準備はできましたか? 悼む用意は充分ですか?
私は……臼井さんが五体満足これ無事にお戻りになることを祈ってます。
何熱くなってるんだ?大丈夫か?
まだ夏休みか?
アニメイトはみんなこんな店員が酷いの?オタク向けがゆるいの?って話だよ。
それをまともに扱ってる、ってんだったら「アニメイトはオタクをバカにしているのか」じゃないだろ?
「それがアニメイト」なら、俺はオタクっぽくなかったから酷い扱い受けたのか?だろ?
何で真逆に受け取ってるんだ。理解できん。
ブクマに対するコメントなんだから、ブクマ含めて読んでくれよ…
たった一行だぜ…?
アニメイトって、たいしてディープな世界でもなければ、個人商店でもないと思うんで
単純に社員教育方針だと思ってるんだが。
大人になってからどうやって友達作ればいいかわからない。
真剣に相談出来る親友が二人いるから、悩みや過去を共有した親友は増やさなくてもいいんだが
自分が欲しいのは所謂オタ友という部類。
親友にもオタは居るが、ジャンルが違う。格闘オタとアニメオタ位。だからディープな話が出来ない。
かといって自分の周りにそれっぽい人はいない。職場もリア充だらけだし、いたとしてもニコ厨レベル。
更に現実でのカミングアウトは失敗した時取り返しがつかない。リスクでかい。ただし当たったら付き合いやすい。
じゃあ仮想現実で?
うん、事実某板のスレで討論始まったときのwktk感は並ならないものがある。
だがしかし常に討論している訳でもない。
では趣向の合ったサイトの管理人にラブメールして仲良くなるとか?
・・・そこまででしゃばれん。拍手する位。
では友達募集サイト使ったらって、年齢層がね。mixiやgreeも身バレ怖い。そもそもマイミクひとりorz
自分でサイト作って反応待ちってのもいいし、似たような趣味のサイトと交流するうちにと言うのも手。
だが飽きが来たとき、そもそも事あるごとに付き合い(チャットとか)やり取りするのがきつかった。
何が一番致命的って、ネット上の人をリアルにすることに抵抗がありまくる点だね。
オフ会とか行きまくってる友達見てて自分無理だわと思う。サイトヒキ、リアルでも仕事と友達いなきゃヒキコモリだろう。
先天的に駄目なんだわなw
初対面の人とそう簡単に打ち解けられる玉じゃなし、自分から行くこともなし、ウケミン。
「親友」より軽い「友達」「知人」「職場仲間」層を作れない、要は人間との関係性を薄く広く持てないタイプ。
輪の中心にはならず、輪からちょっと離れて黙って輪を見守る系。
という訳でオタ友作るのは半ば諦めてる。
別に居ないと困る訳でもなし、なんとか吐き出し口はネット上にこうしてあるわけだし。
ってだめじゃん!
にげちゃだめだにげちゃだめだにげちゃだめだ
以下最初に戻る
濡れた。ただその才能に。
勃起が止まらないの増田があまりにも遠く音にもきけとばかり響きわたり、
素敵な梅雪眼にも麗しきその才智を肥でディップしたかのような台無しさ。
ああ、これこそが無常なのではないか。
年齢は34~37ぐらい。
・ロマンティックがとまらないという曲を知っている世代
時事にも詳しく、ネットだけで情報を追っているとしても古くからのディープダイバーだ。
・ジェロとその曲名を知っている
・「**して何が悪い!」
・中心で愛を叫んだ
後悔ではなく悔恨など、情緒的ないい回しに心が砕かれている。
上等な教育をうけているうえ非常に多くの語彙をため込んできたことが垣間見れる。
さて一番の問題は
「わらしべ長者(佳彦)」
さて、改行のない文章にはいくつかの背景がある。
・情緒に問題がある。
この場合は後者な気もするがどうだろうか。狂気をはらんでいるのは間違いないが理性もまだあるきがする。
いやいや、あんたたちは宴会でしか酒飲んだことないの?
自腹で一度も飲んだことないの?
いわゆるワタミだの白木やだのといった大衆居酒屋なら、普通の人は好きなもの飲んで、好きなだけ食っても5000円ぐらいしかならない。
5000円でも多い。せいぜい、3500円。
だったらコースで5000円よりフリーで5000円の方が良いと思わない?
柔道部やラグビー部の宴会なら無理だけど、一般の社会人の宴会だとそれぐらいで十分収まるよ。
実際、ここ何年かコースではない飲み会でも5000円以上出したことないよ。
まぁ、毎回ゲロや昏睡が当たり前に出るようなディープな集まりはそうも行かないのかもしれないけど、会社の宴会ではそんなバカスカ飲む人居ないしね。
いろいろと違和感を感じている者ですが、別の意見があればというお話のようなので、少し文章をまとめさせて頂きたいと思います。
一番違和感を感じたのは、「日本人女性の精神が~」というところでありまして、例えば私なら「日本人の精神が~」とするところです。それならば対して文章にひっかかりを感じないのです。なぜ「日本人女性」にこだわったのか、その辺りの考察は少し後回しにするとして。あと「軟弱」というのもこの場合、適当であるのか、ちょっと違う気もするのですが、おおよそ同じ意味で「軟弱」としておきます。
ディープな話にのってこないのは、いまや男性も女性も一緒だと思います。女性を「軟弱」と言うのであれば、男性も「軟弱」です。
男性だって不満を直截には言わず、臭わせるように言って、最終的には「あいつバカ」と他人に言うのは、書かれている「ネチネチしている」の例とまったく同じで、だた性別が男女逆転しているだけであると思います。
無理難題をふっかけて、それができないことをいつまでも他人に愚痴るというのは、なんというか自分の親を思い出してしまいます。その点で言えば、不満を臭わせる態度を見せ続けるのは、昨日今日出てきたものとも思えません。もうずっと以前から、不満を臭わせ、なんども臭わせ続け、最終的にその人格の否定するというのは、見てきていて知っています。
さてここでなぜ「日本人女性」としたかについての私の推測ですが、かつては「我慢するかより強く要求」していた女性が変わってしまったことに気が付いたのでしょうけれど、それは単に「女性」が「男性」の手法を真似るようになったからではないでしょうか。臭わせて臭わせて最終的に陰で人格否定するのは、そもそも「男性」の手法であったと思います。
さらに言えば、ただの模倣であることが「日本人女性」の異常性ととらえるほどになったのは、ようするに「男性」の手法が「女性」のコミュニティに合っていなかったということではないでしょうか。私は「女性」のコミュニティが年々小さくなり続けていることがその異常性というか違和感を、より大きなものにしていると思います。
ジェンダー論はとりあえず明るくないので、軽く言わせていただきますが、女性は女性であるというだけで、世の中とっても生きにくいのだと思っています。少なくともいろいろ男性よりはしんどいと思いますよ。
例えば核家族化とか、そうした環境のなかで生きていくと、どうしても横の繋がりができにくくて、主婦とかはかなりコミュニケーションレスな生活になるような気がします。身近なコミュニティはPTAであるとか限定的なもので、たくさんのバリエーションささえられているようには見えません。欧米ではご近所でのバーベキューとか、大小のコミュニティを作ってコミュニティ不足を補完しているように見えます。男性が「我慢するかより強く要求」ようになっているなら、それはよりコミュティにおいて充実しているからではないでしょうか。いまではネットを使うというコミュニティ参加もあるわけですが、これが「女性」たちにどれだけの充実感を与えているかは正直わかりません。充実感を与えていないのでしょう。
「人のせいにする」のはむしろ私は欧米の専売特許であったと思います。政治などを見る限り、バッシングは一つの手法であるますし、個人同士で使うなら、「人のせいにされる」「されかえす」というのが基本で、まだそれが一方通行なのであると思います。あるいは一方通行になってしまったか。その意味でいえば「軟弱」になったと言えるかも知れません。「男性」も「女性」も。タフでいることはすげーくるしいことです。フィリップ・マーロウではありませんが。不必要に我慢強くなるより、誰かのせいにするほうが、ずっとバランスのとれている人間だと思います。
私は「日本人女性」とはとらえず「日本人男性も女性も」ととらえますが、会話のからまわり感は非常に危惧しています。気心が知れていると思っていた連中が、突然空中分解を起こす恐怖は、何度味わってもいいものではありません。
そういう意味で言えば、女性のコミュニティの健全化やコミュニケーションの発達は、状況を大きく変えるのかもしれません。欧米化がいいとはなかなか言えない所ですが、牧場ぐらいやってもよかったんじゃないかと。
とりあえずざっくりと。
以前日本人女性と付き合っていた経験から言えば、明らかに今の日本人女性の精神は軟弱になっている。
これは一種の社会問題だと思うので、ここに書こうと思う。
俺は日本に住んでいたが、成人してからはアメリカに住んでいる。
しかし、たまに日本人女性と交友を持つ機会はあり、日本人女性の精神構造をかいま見る機会はある。
そこで思ったことだが、日本人女性はなんでも男性のせいにするというある種の甘えが常態化している。
なるほど日本人は甘えの強い民族だということは、「甘えの構造」を紐解くまでもなく今や世界的に当たり前の認識であるが、
ここで言いたいのはそういうレベルのことではない。
今の日本人女性にはこれまでの日本人に見られなかった新しい傾向が広く見られるのである。
それは、どういうことか。こんな例がある。
女性が男性に限らず他の人間に何らかの不満を持ったとする。この時に、不満の解消を相手にさりげなく求めるような行動をまずとる。
これは人間として自然なことであり、とくにおかしなことではない。度を過ぎると問題ではあるが。
次に、この行動の結果として、相手が不満に気づいてないかのようなレスポンスを返したとする。
そうすれば女性はなぜ不満に気づかないのかと少し怒って、より不満を強く主張する。
ここまではいいのだ。ここまではなんということのない人間らしい行動である。
問題はこの次である。この次に、相手がやはり不満に気づかずに、不満の原因となっている言動をとり続けた場合である。
このとき、今の日本人女性は、不満をより強く主張することはせずに、「ネチネチした人間だ」とみなすのである。
ここが非常におかしい。今の日本人女性の極めてねじまがった精神なのである。
そのようなおかしな精神が一部の人だけならまだしも、それが当然であるかのように日本人女性全体に見られることが、なおさら異常である。
では、これの異常性についてより詳しく見てみよう。
アメリカの女性のばあい、相手に対する不満を持続的に感じたばあいには、相手が分かるまで強く改善を要求する。
昔の日本人女性のばあい、相手が不満点を改善しない場合、我慢するかより強く要求するかどちらかであった。
ところが、今の日本人女性はどうだろう。相手の人格のせいにするのである。これは自我を守るための一つの有効策ではあるだろうが、
さすがに過剰反応であり、それだけ強く自我を守らねばならないほど日本人女性の精神が軟弱になっていることを意味する。
言うまでもないことだが、相手が不満点を改善しない原因にはいろいろあり、人格というのはその一つに過ぎない。
人格以外に、不満点を相手が自覚していない、不満な気持ちが相手に伝わっていない、特別な事情があって相手に不満を与えているその言動を止めることができない、
といった原因があるものである。これらの原因の可能性を考察することなく、すぐ人格のせいにしてしまうのは、
じっくりと相手について理解を深めながらコミュニケーションをとることを最初から放棄しているのである。
なぜ放棄しないといけないかというと、それくらい自分を速やかに防衛しないと自我を健全に保てないからであり、それくらい精神が軟弱ということだ。
思うに、こうした日本の風潮のなかで育った子供は、コミュニケーションを粘り強くすることを学ばず、
いつでもコミュニケーションは切ることができるものと考えるようになるだろう。
そういえば、メールのやりとりでもすぐにブチる日本人女性が多いように思う。まことにゆゆしき事態である。
このように着脱が自由なコミュニケーションというのは便利で身軽な面もたしかにある。そういう意見はたしかに一理あるとは思う。
しかし、そのような考え方が日本、とくに日本人女性のあいだで広まったことで、日本人女性の精神の軟弱さが加速するのではと心配である。
粘り強くコミュニケーションしたり物事を理解したりする練習を教育に取り入れるべきである。
ネチネチしてる→そんなことはない。サラッとした文章でもないけど。これくらいで嫌悪感持ってるようじゃ、他人の意見聞く耳がなさすぎる。それじゃ世界観狭くなるよ。もしあなたが男性ならちょっと引く。/今気づいた。長文だからネチネチしてると言われてるのか?それだったら別問題だな。
周りに配慮を求めすぎている→いや自業自得だから勝手にしろと思ってたけどさすがに危機感持ったので文章にした次第。日本だと「郷にいれば郷に従え」で自己正当化する所があるからなあ。
俺も相手の人格のせいにして自我を守ってる→とくに守ってないけど。ネチネチしてると言われたのは俺ではなく知人。「あの人ネチネチしててやだ」って俺に愚痴ってきたわけ。本人の前で「ネチネチしてる」って言えるくらい精神強かったら俺がこんな文章書くことも無かったろうに。
ふられたかなんかあったんですか→いいや?ディープな会話に差し掛かると身をかわすところが日本人女性特有だなと興味深く思って。興味深いけどよくよく考えるとこれってヤバイ状況だなと。
比較対照はWASPですか→サンプルに偏りがあるのは致し方あるまい。反例があるなら提出してもらいたい。
観察対象が狭いだけ→だから反例を。確かに狭いとは思いますよ。
日本は「気(心)」でアメリカは「言語」でコミュニケーションする→その通りだね。アメリカでは多様な価値観の人が共存しているから、相手の気持ちをそう簡単に推測出来ない場合が多い。ちゃんと話し合わないと分からない。
派閥とか同調圧力では→周りもゆるくコミュニケーションしてるから自分もということ?確かにそれもあるけど、それを続けることで粘り強いコミュニケーション能力が失われ、
精神が軟弱になるという面もあるよね。その面から書いたのがこの文章。
見当違いのコメ多くね→予想はしてたけど、なんでかねえ。ネットだからか。ちゃんと相手の言ってること受け止めないで勝手に解釈してコメントしてるって感じ。
わざわざこんな長文を書くということは、増田はまだ日本人女性に期待しているということか→なぜ長文なのかがまず分からない。日本人女性には別段期待してるわけではないが、同じ日本人としてしっかりして欲しいとは思う。
おっさんを見てみろよ。キミの指摘がピッタリ当てはまるよ。→ん?おっさんはゆるーいコミュニケーションとは対極のコミュニケーションをとっていると思うけど。
おっさんが、「これだから若者は」などとすぐ言うのは、別に精神が軟弱だからではなくて、単に頑固だから。どちらにせよ、自我を守っての言動には違いないけど。
不満点を改善することを簡単に諦める+人格のせいにする+コミュニケーションを絶つ=相手が根気よく付き合うほど自分にとって重要な存在じゃないorむしろ切り捨てがメリット(不満→人格ではなく人格が不満を産む)
→もちろん相手の重要度は、対話を諦める時の一つのファクターだけど、他のファクターとして精神の強さもあるでしょ。
その精神の強さが昔の日本人女性と今の日本人女性と比べた場合、危機的レベルにまで弱まっているということを言ってるんだけど。
何人と付き合ったのよ→自慢ではないが恋愛が俺の人生の中心にあるので結構たくさん恋愛経験してるぞ。とはいえ100人もいないわけだから、あなたは少ないと言うんだろうね。
私の周りの女性は強いけどな。もはや男性に何も期待してない。→男性に期待してないのは強いと思うけど、ここで言ってるのは粘り強い対話をするための強さだからね。
「男性なんてくだらないわ」という感じに男性との対話を拒絶しているのであれば、その強さは自我を殻で守って維持しているから強く見えるだけだよ。
積極的に自我を相手に晒して対話を続けていける人のほうが、たとえ見た目でやんわりした印象があっても実は強い。
我慢して付き合わないといけない男性ってビジネス以外でそういると思わないのだが→その見方は悲しい。恋愛相手、友達、たくさんいるだろう。それにあなたにとって
粘り強い対話は「我慢」かね。それも悲しいなあ。
上にも書いたけど、「どこで対話をブチるか」という決定には、相手の重要度以外に、精神の強さという因子も関係してるでしょ。
自分の精神の弱さを棚上げにして、「あんな奴大事じゃないからブチったのよ」ってのは、違うと思うんだよ。
一般化しすぎるのは良くない→気づいたらすぐ発言する。これが俺のやり方です。間違ってると思うなら反例をどうぞ。
そもそも比較対象の昔っていつくらい昔?明治とか大正じゃないよね?→本文読めば分かると思うけど。
上から目線で語る→勝手にそっちが自己卑下してるだけじゃないの?でも仕方ないのかな上下関係を重んじるからね日本社会は。
不満があると人格のせいにする欧米女性もけっこういる→人格のせいにすることを問題視しているのではなく、大した対話もなしに人格のせいにせざるをえないような精神の軟弱さを問題にしているんだよ?
男と比較した実例を出せ等の批判→みかんの物価が値上がりしているという証拠を挙げるのに、りんごとの比較は必要か?つまり、そういうことだ。
日本人女性の精神の軟弱化を証明するのに、男性との比較は必要ない。ちなみに、俺は明らかに性差があると考えている。
アンタが女性にメールしても切られまくる→そんなことはないよ。あなた女性でしょ?そういう茶々を入れてないで現実に向き合って欲しいものだ。
日本の催しももう少し子供が積極的に参加する物があるといいのでは→そうですね。催しに限らず能動参加をたくさん教育に取り入れるべきだと思います。
「たまに日本人女性と交友を持つ機会はあり」程度の情報でしかない→多忙だから継続的に交友を持っている日本人女性は少ないが、
たまに交友を持つ女性・一時的に交友を持つ女性はたくさんいるという意味なんだけども。
べつに恋愛関係や友人関係ではないよ。仕事や趣味などでお話するような相手ね。一般化しすぎという意見が多いが、それもまた少々過剰な意見だ。
帰納した結果を反証するような事例があったらそのたびに主張を修正していけばいいのであり、全ての事例を集めてから帰納して主張しないといけない道理はないよ。
類は友を呼ぶ→少なくとも俺はそうやすやすと対話をブチったりしないけれども。
ある視点からは“軟弱”と感じられるようにならざるを得なかったジェンダリズムがあるのでは?→そうだね。それもあるし自業自得でもあるから放置してたんだけど、
先日日本人女性に「あの人ネチネチしてんのよ」って愚痴られた時に、よくよく話を聞いてみればどうも女性側の早とちりであるらしいことが分かったのを機に、
もしかしてこの状況ヤバいんじゃないかなと思って、他の人の意見を聞く意味でも文章にした次第。
改善を要求するコストが高いなら関係性を絶った方が現在の社会では安上がりなので、合理的。つまり、あなたの代わりはたくさんいるってこと。ま、女性の方が合理的ってことかもね
→面白い意見。女性のほうが計算高いから改善を要求するよりもコストの少ない、関係性を絶つという選択肢を選ぶ、ということだね。
しかし、相手をよく知らずに関係性を絶つことは激しく不定なリスクをともなうよね。そこまで計算してる人なんているのか?
それに、女性の精神の軟弱さを合理的だからそれでいいんだよと自己正当化してるのではという疑念は拭いきれないな。
外国住まいで恋愛が人生の中心とは何というスイーツ男性→スイーツという言葉の誤用。
「こうした日本の風潮のなかで育った子供は、コミュニケーションを粘り強くすることを学ばず、 いつでもコミュニケーションは切ることができるものと考えるようになる」それなら、女性限定ではないのでは?
→男性は女性に好かれるために粘り強く相手を受け入れる必要があるので、それが良い訓練になる。だから、男女を比べた場合、
男性のほうがまだ本文の意味で精神が強靱ということになる。しかし、今後は男性もますます軟弱化していくのではないかな。
要約すると、“日本の女性の皆さん、僕は人情の機微に疎いのではっきりわかるように言ってくれないと困ります。鈍いからといって嫌わないでください。”
→はっきり言わないことを問題視しているのではない。本人の意志でさりげなく伝えようとしているのであればまだ救いがあるのかもしれないが、
最近の日本人女性はそれさえも早々と諦めている。俺はよく恋愛相談に乗るから分かるが、好きな彼氏に対してさえも粘り強い絡みが出来なくなってきている。
だから、相手が重要でないから切っているんだよという批判は当たらない。社会学では「ヤマアラシのジレンマ」という言葉があるが、
その話で言えば針が刺さった時に与えられる痛みが以前より激しくなっている。だから「ゆるーく絡める彼氏が欲しいな」という女性が最近やたらと多い。
うつ病や不安症などが日本人女性の間で増加するなど精神的な弱さが表面化してきていた時点で、日本人女性大丈夫かよと心配していたが、その予感は的中したようだ。
個人的には僕も含めて日本全体が「人のせいにする」ようになったと思う。要は増田も人のせいにしてるんだろうね。
→1:1のコミュニケーションでは入念に自分のせいであるかもしれない可能性を検討すべきだというのは同意だけど、
日本人女性全般を語る時まで慎重になってたら誰も何も社会問題指摘できなくなっちゃうよ。
それに、観測者が俺であることによるサンプルの偏りには気を配って、今回の一般化に踏み切っているよ。
というのも、俺はいろんな人が証言する日本人女性の話やいろんな日本人女性がする俺以外の人間との人間関係の話を聴いてきている。
だから、「お前がメールして切られまくってるんだろ」等の「俺側に問題あるんじゃね」という形の批判の多くは的外れだと思う。
確かにこんな面倒くさそうな男に積極的にコミットするような粘り強さは持ち合わせていない。→上のコメント読んでほしい。
この増田みたいな欧米かぶれには「もっと対話しろ」と言われる一方、保守的な日本人からは「もっと慎ましくしろ」と詰られる。日本人女性ってホントに大変だね。
→慎ましさは積極的に対話しないこととは別では?
「我慢せずに受け入れない」選択肢が増えただけでは?→そう。コミュニケーションが着脱可能になった。それによって、粘り強いコミュニケーション能力が衰退した。
その結果、粘り強いコミュニケーションをとるには多大な努力を必要とするようになってしまった。教育改革が必要である。
それから、上のヤマアラシジレンマについての箇所読んでほしい。大切な人と仲良くすることさえ出来なくなっていることから、単に受け入れない選択肢が増えただけではなく、
精神が軟弱になっているのだと分かる。
鏡を見ろ→類は友を呼ぶに対するコメント見ろ。
なんか、0か1しかない、みたいな(カミングアウト絶対無理!=全部捨てなきゃ!)考えしなくていいんちゃうか。
趣味嗜好や妄想って、別に旦那に全部ぶっちゃける必要ないでしょ。
つーか身内にライトヲタクがいるんなら、そこに乗っかればいいじゃないか。
どこまでディープかなんて、ヲタク同士だって様子見ながら小出しにするのに。
釣りなんかぁ…
ま、今ジタバタした所で不治の病だと思うよ。
やあ、腐女子だ。
文章上手くないけど、今の心境とかだらだら語るのでヒマな人は読んでやってくれないか。
顔は普通だけどそんなに悪くないはず。体重はやや細身だが最近腹がプニプニしてきた。まあいわゆるそこらへんの女子。
洋楽とか良く聴く。服と靴と鞄が好きで可愛い物と動物とおいしいものが好き。テレビはあんまり見ない。
7年ほど付き合ってる彼氏がいる。
レトロゲームが好き。今はRPGはほとんどやらないな。ドラクエとかDSのゼルダはおもしろかった。
アニメやラノベには全く興味がないし、いわゆる「萌え」的なものはどちらかというと苦手な方なので、世間で言うところの所謂「オタク」とはちょっと違うかなと思う。
最近「腐女子」という言葉の意味合いが変わってきてるみたいだけど、ここで言う「腐女子」は男同士を絡ませたがる人種のこと。
腐歴は結構長い。ほぼ読み専(※読む・見る専門)だが、中学頃から目覚めて一時期解脱したり舞い戻ったりで、多分10年は越えてる。はっきり言って腐女子的知識はかなりディープだと思う。
基本2次元が好きだけど、ナマモノ(※実在する人物)にハマったこともあったし、半ナマ(※ドラマとか映画とか)に萌えてたこともある。
今好きなジャンルはマイナーすぎるので伏せておくが、ゲーム系。美青年よりおっさんが好き。
ここ1年ほどそのジャンルで二次創作サイトもやってる。もちろんホモ。
あと、商業BLも結構読むしBLゲームにも目覚めた。最近は鬼畜○鏡がお気に入り。
一般社会では腐ってることを隠してる。要するに羊の皮をかぶった801ちゃん本体。
隠れ歴は大学時代に舞い戻って以来ずっとだから、もうかなり長い。あまりに隠れ歴が長かったので、隠れなきゃという意識もないぐらい自然に隠れてる。
もちろんオフラインの腐女子友達なんて一人もいない。リアルに誰かと萌え話なんて想像もできないし、別にしたくない。
攻め(※入れる方)と受け(※入れられる方)がまぐわってモエスモエスとかエロい話とかリアルで口にすることを考えただけで寒気がする。っていうかそんなの恥ずかしすぎるしキモすぎる。
私にとって腐女子妄想は性癖であり、一人でコッソリ楽しむ物であって、誰かと盛り上がる物ではないんだ。
これはもう性質的なもので一生このままだと思う。
PCに向かえばエロ絵だって描けちゃうし、サイト閲覧者ともコメントやり取りできちゃうのに、生身になるとできないっていうのもおかしな話だけど。ネット人格なのかも。
で、ここまでが前置き。長くなってすまんね。
結婚して一緒に住むってことは、今までの生活を180度変えなくちゃならない。
今は家に帰ったらamazonから届いたBLを読みふけり、萌えブクマサイトを巡り、自サイトの二次創作更新に勤しんで…といった状態。
それが、これからは常に他人の目を気にして羊の皮を被り続けなきゃいけなくなるんだ。一生だ。
気が付いたら意外と増えてしまったこのBLマンガ・ゲームの数々はどうしよう?
ハードディスクに溜め込んできた萌えお宝画像・小説の山はどうすれば?
仕事終わって帰ったら家事しないといけないし、休みの日は当然彼も家にいるし、サイトの更新時間なんて取れない…っていうか、そもそもこれから家でそういうことができる時があるんだろうか。
BLマンガを読んでムッハーしたり、神サイトの小説を読んで切なくて涙でモニタが見えなくなったりできるんだろうか。
ここで言っとくが、カミングアウトってのはあり得ない。
きちんとした職業についているし、きちんとした性格の人なので、おそらく彼にはこの趣味は理解できない。
仮に婚約破棄や離婚までは行かなかったとしても、万が一許容してくれたとしても、彼は私のことを心のどこかで「気持ち悪い」と思い続けるだろう。
私自身も常々「こんなキモイ趣味持っててサーセンwww」と思いながら腐ってる。
でも自分で思うのと誰かに思われるのは違う。これからの一生を、キモイと思われながら、蔑まれながらやっていくのは辛い。
これも言っておくけど、彼氏のことは本当に大好きだ。結婚は本当に嬉しいし、したい。
でも、腐女子はやめられない。
本当に好きならやめれるだろ!って思うかもしれないけど、どうしても無理なんだ。
普通の人にだってやめられないものがあるよね。または、どうしても受け付けない物とか。それと同じで、例えば鉛筆と消しゴムを見ただけで、「鉛筆が攻めで消しゴムは受けだな」「いやいや実は消しゴムが攻めだよ」「じゃあリバだな(※リバーシブル)」なんて妄想してしまうんだ。
もう生理的なもので、「日本人は米が好き」と同じなんだ。アイデンティティの根底に結びついてしまってるんだ。
どうしてもホモが見たい。描きたい。どうしようもないんだ。本当にどうしようもない。
もしできるなら、結婚を機に自分の中の腐女子を全て消し去れたらいいのにと最近思う。マインドアサシンってマンガあったよね、あんな感じで。
そうすれば楽になれる。日常にいちいち萌えを見いださずに済む。清い気持ちで日々を過ごせる。マンガを見てはカイジ総受けだな!とかドラマを見ては(略)とか思わずに生きていける。
でもそれは無理だから、何とか隠してやっていくしかない。
腐の痕跡を全て消して、隠しフォルダにぶっ込む。サイズが大きすぎるならRに焼く。
履歴・ブクマはもちろんのこと、自サイトのファイルや最近開いたファイル、変換学習機能、辞書機能なんかにも注意。
鬱陶しいのがamazonだ。購入履歴なんて届いた瞬間抹消したいぐらいなのに、毎回毎回新しいBLモノをおすすめしてくれる。あれ、いちいち「おすすめに反映させない」にチェックを入れなくても出てこないようにできないんだろうか。
普段のブラウジングにはFirefoxを使っているが、毎回履歴を消すとなると面倒なので、まとまった萌えサイト巡りには専用ブラウザを用意することにする。軽いやつがいいが、Chromeは情報垂れ流しっぽいのが恐いな。MacがメインなのでSafariかOperaあたりか。
腐関連のメール受信も考えないと。オンラインで受信すればいいか。
今はBLCDも全部iTunesに突っ込んでるが、これからはこれも隔離しないと。iPodには入れておきたいから、同期できなくなるのが不便。
Win機にどっさり積んでるBLゲーが問題だ。彼はそれほどPCに詳しくないので、スタートアップのショートカットを消せば見つかることはないだろうが、万が一のことを考えるとアンインストールした方がいいかも。
というか、一度PCをクリーンインストールした方が早いだろうか…ファイル整理も兼ねて。
私はそれほど頻繁にBLマンガやCDを買うわけではない。にも関わらず、積もり積もって結構な量になってしまった。
こちらも整理を兼ねて、絶対に置いておきたいものとそうでないものを選り分けることにする。
いらない物品は売っ払いたいところだが、私は恥ずかしいやら知り合いに会うのが恐いやらで本屋のBLコーナーにも足を踏み入れられないほどの隠れなので、BLマンガ抱えてブックオフなんてとてもじゃないが行けない。ネットオークション系が頼りか。
ちなみに、私はオフライン(※同人誌の発行・イベント参加)には手を出していないので、原稿や在庫なんかの問題はない。
で、選別した置いておきたいブツの管理だが、これまた直接手元に置いておくわけにはいかない。
隠し場所だが、家の中は論外だ。クローゼットなんかに隠して、彼に見つかった時のことなんて恐ろしすぎて考えたくもない。
例え鍵付きボックスに入れたってだめだ。「何で鍵かかってんの?何入ってんの?」となるからだ。
となると、頼みの綱は実家だが、それもいつまでもって訳にもいかない。どうしても置かせてと言えば多分置いておけるだろうが、ブツの説明をするのが気まずい。
(母親には何も言ってないが、私の部屋に散らかったマンガの表紙やら何やらを見て察するところはあるだろう)
真剣に調べたのがトランクルーム。一番安いタイプなら月5000円程度であるみたいだ。思ったよりは安い。
金さえあれば、何とか手段がなくはないことがわかってちょっとホッとする。
一番狭い部屋で、タタミ1畳弱ぐらいらしい。電話ボックスぐらいでいいからもうちょっと安くならないかなとか思う。
でも、私は一生こんなことをやって生きていくんだろうか。生きていけるんだろうか。そもそもずっと腐り続けるのかもわからないけど。
絶対ばらさない自信なんてない。毎回隠しフォルダに鍵を掛けて、履歴も消して。居眠りして消し忘れたりするかもしれない。
トランクルームを借りたとして、一生借り続けるんだろうか。もし私が事故なんかで死んだら、連絡が行くから確実にアウトだ。
腐女子の間でちょくちょく話題になる「自分が死んだ後のブツの始末」。
私にも、私が死んだら私が腐女子だった痕跡を残らず消してくれるような友人…というか、同志が欲しい。この件に関しては、心底リアル腐女子仲間の重要性を感じる。
何度か会ったことがある妹さんは美大出身でとても絵が上手くオシャレで可愛く、同人をやっていることは少なくとも家族には公言しているよう。
しかしながら簡単にカミングアウトはできない。
どうやらジャンプ系同人をやっているようだが、ホモ度に関して言えばライトなようだから、私がエロエロ18禁BLゲーや男性声優があんあん喘ぐBLCDにまでどっぷり浸かってると知れたらドン引きされるに違いない。それにジャンルも違うしお互いの立場もあるし、仲良く腐女子友達という訳にはいかないだろう。
万が一カミングアウトに成功して彼女と秘密を分かち合っても、兄妹というごく近い関係性もあるし、何らかのきっかけでその秘密が彼氏側に流出しないとも限らない。
そうすると私と彼氏だけじゃなく私と彼の妹の関係も気まずいものになってしまう。それは避けたい。
長々と書き連ねてしまったが、結局私はどうしたいのかというと、それすらわからない。
ただ今の正直な気持ちを書いて気持ちを整理したかった。少しでも共感してくれる隠れさんがいらっしゃれば嬉しい。
今の環境が変わるのが恐い。結婚式とか新婚生活とかすごく楽しみなんだけど、けど、どうしようもなく恐い。
彼氏に愛されていい家庭を築きたい。家事もがんばりたい。けど、腐萌えも続けたい。わがままかな、とも思う。結婚は我慢って良く言ったもんだ。
一生懸命仕事に家事に打ち込められれば、そのうちホモ萌えなんか忘れて真っ当な女子に戻れるかな…
与太話に長々とお付き合い下さり、ありがとうございました。
追記
皆さんの意見を見て少し考えてみた。
それなりに書き込んでいたら亀増田&長文増田になってしまいましたが一応書いたので載せてみ増田。いわゆる一つの「増田の中心でアイマスを叫ぶ」というやつですね(違
アイドルマスター XENOGLOSSIA(ゼノグラシア・アニマス)が成功するためには何が必要か、考えてみた。ということでひとつ。
作品としてはイイ。
十分楽しめると思う。
「こんなのアイマスじゃない!」「まったくの別物!!(怒」とアイマスファンがネガティブキャンペーン張ってるだけで、ロボットアニメ好きなら、そこそこ普通に楽しめるかと。
からはじまる、アイドルマスターゼノグラシアは、ロボットアニメとしてはかなりよくできていたよ! と言う論をよんで、うんうんその通り、とうなずきつつ
まぁ声も性格も(伝聞より)まったく変えてしまって戦略として何がしたかったんだろう、って外側から思いはしたが。
よくわからんがこれ、どっか元の遺伝子残ってんの?みたいな。
その辺で元のファンの支持を得られなかったら、まぁ良くて「これはこれで悪くないかも知んないけど別物だよね」どまりだと思ったし
と言う意見や、
と言う意見にも同意できる。ゲームのアイドルマスター好きって立場から言うと「っていうかあれ何。72じゃないちひゃーなんて(ry」と言うことになるのは当然。
あれは、やよいと律子さんはよかったよね的な何かだったあれは。とはいえカニデレ万歳。なぜさん万歳。
と言う風に
的なアイドルマスターを愛するキモオタであるという立場から、アイドルマスター XENOGLOSSIAが原作ファンからも、アニメファンからも納得されるロボットアニメとして成立するためには何が必要だったのかを考えてみる。
え?ロボットアニメにする必要はない?いや、それを言ってはおしまいなのでスルーの方向で。っていうか下手に原作そのまんまアニメ化したら、くりぃむレモンのエロなし現代版(ニュージェネレーション)の二の舞になるだけのような気がする。それだったら素材として活用した方がいいと思う。そもそもプロデューサー役はどうすんだって話。(まぁいっそ女性にしてしまうとか百合に逃げると言う手はあるが…そんな中の人萌えをメインにしたようなアニメ見たいか? 俺は見たいが……とにかくそれを言ってはおしまいなので)
位置づけとしてはやはり「アイドルマスターのキャラクターが総出演で作ることになったドラマ」という扱いにすべきだったのではと思う。
当然ながら制作委員会名は「765プロダクション」で(C)を出すと。ただ設定はそれだけでは駄目なので、以下の点に注意すべきだったと思う。
この点だけ守っておけば、最終的には同一ですよといいわけはできたと思う。確かにそのままのストーリーでは無理があるかも知れないが、そこはストーリーを合わせることも可能であるはずなのである程度は。
後は、もう一つ。バンナム作成のゲームのデータを使った「次回予告」的な「楽屋裏」を作って、最後にワンコーナー設ければよかったのではないかと思う。もしくはアイドラで配信とかでも可。これでゲームとアニメを確実に地続きにすることができる。内容はあまりの雪歩のキャラクターの違いにとまどって「うまくできません~プロデューサーさん」と泣きつくとか、台本を初見したアイドルたちが、次回についてわいわい言うとか、そういうたわいのないものでいいのではないだろうか。(理想なのはセルフパロディだけど)アイドルマスター P.S.プロデューサーというネット配信のラジオがあるが、そこのオープニングドラマは、アイドルたちが掛け合いドラマを演じて、その最後に誰かが「○○○ですよね?プロデューサー(さん)」と呼びかけるという風に始まる。こんなかんじに「次回もがんばりましょうね!プロデューサーさん!」みたいにすればいいのである。
ただ、これをやってしまうとバンナムがいかにメディアミックスが広がろうと守っている最後の一線(たとえば亜美真美は絶対に2人であることをゲーム中では公表しない、等々)を破ってしまう事になるかも知れないが……まぁそこはラジオドラマ的な感覚でやってしまってもよいのではと思う。
というか、誰かアイマスMADでこの「ゼノグラシアの特定の話の収録後」という設定で作ってくれないかしら。今からでも、原作アイドルマスターとアニマス・ゼノグラシアをつなぐ架け橋的なものを。才能のあるプロデューサーさんの中にはアイマスもニコマスもアニマスも愛する人がいるはずである。だれか、どうか。お願いします(土下座)
ストーリーはぶっちゃけ何でもいいと思う。と言うかここは妥協すべきではないと思うが(その点では、修羅場系の部分にちひゃーとあずささんを配置したキャスティングはあっていると思う。あとまこまこりんも)しかし、中盤のやよいの出番の少なさについては断固抗議させt(ry
ただ、王道として考えるとサクラ大戦メソッドが可能ではないかとも思うが(歌と踊りとメカと萌えと燃え)それは完全に原作アイドルマスター側に振ってしまうことになるので、すでにゼノグラシアじゃなくなってしまうよなぁと思うわけで……。
絵についてはある程度しょうがないところはあると思う。2.5次元のあれをフルアニメにつかって上手く成功した例は未だかつてない。と思うので。そうなるとやはり昔ながらのぱらぱら漫画的手法のアニメーションになるわけで、そうなるとアニメ的誇張の方法をとらざるを得ないので、キャラクターデザインは変化する。
たとえばちひゃーの72が女の子のキャラクターとして成立するのは、そして、まこまこりんの真前が男前にならずにすんでいるのは、3Dを使ったぬるぬる動く、三次元的な動きの中で連続的に破綻のない映像だからであって、あれをアニメでやろうとすると、誇張がなければ無理である。
たとえば閣下が体を捻って、頭のリボンを指さす動作があるが、あれを従来のアニメでやろうとすると自然にするには相当の技術が必要である。あれは三次元的に成立しているからこそできることであって、あれを絵として描くには、立体としての形状を維持せずに誇張するしかない。つまり物理的な正しさを使用するのではなく、記号的・感覚的な部分を優先する必要があるのだ。
というわけで何が言いたいかと言うと、ゼノグラシアの中で、原作に比較的忠実な人々のキャラクターデザインは結構よくできていたと思うがいかがか。律子さんとか、おでこサンシャインとか。亜美真美とか。まぁ「お前誰!?」「特殊メイク乙」としか言いようのない人もいるが……。
まぁこれは実際の所、時期が悪かったとしか言いようがないけれど……。アニメの企画にはそれなりに金の動くプロジェクトであることもあって、年単位で時間がかかることも珍しくないそうで、そう考えるとゼノグラシアはアイドルマスターの総合的メディアミックス戦略の総称である「Project IM@S」が始まる前に企画がスタートして、動いていたことになる。その証拠にアーケード版のキャラクターしか出てこない。当然みきもでてないし、今だったらなぜさんのポジションは(少なくとも名前だけは)小鳥さんであっただろうと思う。
と言うことは、正直原作のアイドルマスターがここまでの規模のヒットになるとは全く予想外だったのではないか。始まった時点では所詮はアーケードの一部のマニアのゲームであるし、XBOX360などというメインストリームではない機種に移植であるわけだし。と言うか一体だれが予想するよ、CGM的な効果で、ネットのヘビーユーザー層やライターなどのアクティブでディープな人を中心にハートを掴み、コミュニティから口コミで人気が広がるなんて事。初音ミクだってまだ地上に現れてなかった時代だぜ。これを真の意味でピンポイントに「アイドルマスター」というコンテンツで発生するという事を予測できた奴は、そうはいないと思う。いたら出てきてくれ。とりあえず一緒に商売でもしよう。
ともかく、もしこれが今みたいに少なからずアイドルマスターというコンテンツが、非常に恵まれた環境で発達すると言うことが予想できていれば、もう少し違った戦略になるだろうと思う。というか、そうであったならば、ここまで原作と異なる事にしなかったのではないのか?そして、アイドルマスターというコンテンツからどれだけのポテンシャルが引き出すことができるか、少なくとも一番最初に目を向けさせるエネルギーとして十分かどうか、それがわからなかったので、そちらに変に依存することなく提携を切って、「原案」という中途半端な形で残してアニメだけで自立できるように改変をしたのだと思う。つまり「アイドルマスターのブームはアニメが引っ張る」つもりであったのだろうと。
たとえば今なら、アイドラ(XBOX360 アイドルマスター Live For Youで配信中のダウンロードコンテンツ)で撮影風景と称すドラマを裏を流すとか、そういう連携だってできたはずである。もし今やるのならば、提携すればよいだろう。
つまり早すぎたのである。この点で、戦略的には今の時期が一番適していると言える。
もしアレだったら961の面々に敵キャラを持っていってもおもしろいだろうし。
で、これだけうだうだ書きつづって一体何が言いたいかというと、アニマスもアイマスも両方すばらしい、と言うことである。それぞえ独立したコンテンツとしても十分成立するだけのポテンシャルをもっている。というか、アニメの方はむしろ、アイドルマスターがここまで大きくなると言うことを予測していなかった分、自立できるようにああなったと言うことも考えられるわけだがともかく。
でも、もはやゼノグラシアはアイドルマスターのファンの中では語られない存在になってしまった。では、こんな事を言っては無駄なのか?否。それは違う。
アイドルマスターはナムコではなく、バンダイナムコの製作であると言うことである。そしてバンナムと言えば、そう、スーパーロボット大戦である!
今こそ、スーパーロボット大戦でアイドルマスターゼノグラシアをやり直すべきだ!アイマスオールスターズがついにスーパーロボット大戦に出演!それでよいではないか!別にスパロボではなくてもいい。それと同じくアニメでなくてもいいので、ゼノグラシアをロボットゲームで作り直すと言う手もあるのだ。
そしてうまくいったらアニメの方の人気も再上昇で、ゲームも新しい方向性が誕生し(たとえば任天堂のキャラクター的に象徴的キャラクター化して様々なゲームに出演するとか)三つの解釈を融合させた劇場版とか……(以下妄想が続くため省略
どうだろうか。
後は、ゼノグラシア並にリソースを使い(特に音楽には、せっかくアイドルマスターの周辺には新進気鋭のアキバ系音楽を多数手がける音楽ディレクターが集まっているのだからこだわって)やれば、結構いい結果になるのではないか。
なお、最後になったが、アイドルマスター Live for Youに付属したアニメDVDをアニオタ視点で見てみると、あれは明らかにゼノグラシアの失敗をみて逃げてる。てか1回ぽっきりで音楽なんかは既成のものを使わざるを得ないにしたって、キャラクターデザインもっとちゃんと仕事しろ。さらに言えば中途半端なサービスショットなど不要だしつまらんと思う。さらにストーリーはそこらの愛のあるSSを採用した方がいいんじゃないかという、おそらく作品の質に関する要求以外の要素(予算とか)で制限があるような内容になっている。てか、Live For YouのDVD付をわざわざ買うような層はもっと高くても買ったと思うのでもう少し金をかけろよとも思う。
あれの見所は動くアニメ絵に映像にオリジナルキャストが声を当てていると言うその一点しかない。(と言いつつそれだけで十分に価値はあるが……今回はアニメが主題なので辛口評価は勘弁して欲しい)
なお、「うわぁ……」「キモオタ氏ね」「キモオタはキモオタの国へ帰れ」「病院へ逝け」と言った苦情については十分承知しているので勘弁してください(土下座)
誰かアイマスMADでこの「ゼノグラシアの特定の話の収録後」という設定で作ってくれないかしら。今からでも、原作アイドルマスターとアニマス・ゼノグラシアをつなぐ架け橋的なものを作ってくれないかしら。と大切なことなので二度言いました。
まったくその通りで、逆にある程度の量、洋楽を聴いてると、英語が理解できたとしても英語の歌声はまず「意味」より「音」なんだ、ってわかってくるんだよね。楽器の一種としての声。
そして、その価値基準みたいなものに染まってから邦楽を聴くと、「意味としての言葉の発音」をハッキリやりすぎてしまって、「音」としての性質をダメにしてることがわかってくる。
昔2ちゃんねるかなにかで書いてる人がいたけど、その人はディープパープルのレコードが発売された時、クレジットに「歌と演奏:ディープパープル」と書いてあるのを見てトホホとなったらしいんだけど、本当に日本は「歌と演奏」の文化なんだよな。両者は切り離されてる。
俺の価値基準から言えば、そんなに「意味」が独立してしまうんなら、何も音に乗せないで演説でもすりゃいいじゃんかと思うんだが。
いやー解決してよかったね。自衛はした方がいいけどまぁでも被害に遭ったのはあなたのせいではないし。
ところで増田を含め非コミュという単語がすごい違和感なんだよなぁ。一時期に比べると非コミュという単語を目にすることはめっきり減っているし,そもそも非コミュなんてリアルじゃつかわない。というか結構ディープな(笑)はてなユーザしか使ってなくないか。最近では増田もコミュニケーション不全の人のことはアスペって称することが増えてるし。攻撃性でいうなら恋愛が絡めばだいたい非モテの方が目立つだろう。なんか過去にこの件以外でも非コミュ関連でもめたことがある人なのかなぁとか思った。考えてみれば非コミュという言葉自体は昨年のこれくらいの時期にAyanoIchijoさんとAgguy0cさんが揉めて以来潮を引くように耳にしなくなったような気がする。もともとあんまり外部とかかわりたくない傾向が強い人が多かったということもあるけれども。
非コミュって一口に言っても,コミュニケーションを否定する否コミュ,コミュニケーションを避ける避コミュなどいろいろいて,非コミュつうのは単純にコミュ強者に非ずという意味なんだけどなぁ。だから自称する人が多かったし,どっちかっていうと文脈からしても「自分は人付き合いが苦手なんです…」とコミットするために非コミュを称することが多かったから,攻撃性とは全然結びついてない。
ストーカーをするタイプというのは,コミュニケーションに自信がないタイプではないよね。むしろうまく行ってると思いこんでることが多い妄想が先走る人の方が多いような気がするし,少なくとも「苦手」とか「自分はできない」という意識はあまり持ってない(持ちすぎたあまり逆方向に暴走してる人もいるが)。どちらかというとそういう意識はコミュ寄りの方だ。ただしうまくいってないのでコミュではないんだろうけれども。
でもなぁコミュニケーションをうまくとれない,人間関係にまずい部分があるといったら誰だってそういうところはあるし,モトマスダだって今回は失敗してるわけで,だったら非コミュなんじゃないのかな。そうなるといちいち「非コミュ」と総称して誰だかわからない対象を貶める大義成分がなくなるよね。返す刀で自分を切ってる。
自分も非コミュだけどストーキングにあったことがあるけど,元増田は何ていうんだろうってちょっと考えてしまった。「非コミュだから意思疎通できなくて相手に勘違いさせたんだろう,自業自得」って言われるのかな。それってセカンドレイプだよね。
あなたがこんなことがあって嫌だった辛かったって言うのは自由だし,それに関しては大変だったねと慰めてくれる人は多いと思うんだけれども,辛かったのを理由にして関係ない人を攻撃したらいらない反発を買うよ。別に非コミュという言葉を借りなくてもストーカーという言葉があるし,単純にその男がいやだったムカついたといえばいいのに,どうしてわざわざ定義のあいまいな言葉を使って攻撃される隙を作るのかとても不思議だし,心配。
あー。わかるわ。
ただ、多分それって。それこそ相手の(あるいは自分の)「テクニック」だよ。
自分も昼食や飲みの時に、仕事の話をする事は多い(軽いのからディープなのまで)
夢物語とかじゃなくて、マジ話ね。もちろん金も絡む。
でも一人だけそれこそKYな奴がいる。
女でけっこう上の立場←もしかしたらこれがダメの原因なのかもしれないけど、
普段の会議でもそいつは一人ノリノリで、みんな「あちゃー」と思ってもとりあえず反論しないで放置、ってキャラ。
飯を前にして話す時は、それ相応のテクニックが居る。
ホンネとタテマエを、フランクな場所だから割と自由に使える。
だからこそ、相手の出方をちゃんと注視しなきゃいけない。
どのタイミングで相槌を打つか打たないか、
生返事で飯食うってのも合図の一つだし。
面白いかどうかとか、話の内容は関係ない。
勿論片方だけにあってもダメ。だけど、(普通の会議でもそうだけど)ダメな奴が出張るのが一番ダメ。
KY女史はランチミーティング大好きだが誰が相手でもダメにしてるし。
逆にランチミーティングが別に大好きじゃない別メンバーだけのランチミーティングは
結構それなりにうまくいく。
”飯食いながら””短時間で制限あり”ってのは意外と有効なんだよ。
ただ飯がまずくなる(する)だけだから、すべきじゃないとは思う。
まあ「第一世代オタク」について岡田斗司夫がそーゆーことを(いくらかは逆説的なニュアンスで)言ったときでさえ、それなりの説得力はあったものの本当に「創造するオタク」なんてごくごく少数だった。アンノとかそういう人ら。(ただし、世間の逆風が強かったから「ヌルヲタ」なんてものが存在する余地が無く、必然的にディープな人間しかヲタで居続けることができなかったという事情も一応関係はするだろう(だから、岡田は言いたい放題だったということも言えると思うけど)。)
そんな風に考える自分は第二世代のヌルヲタで、時に「作る側」にまわったりしたときやっぱり元増田みたいなことを考えたりもした。なんでお前らもっと懸命じゃねーんだよ!みたいな。でもまあそれは幸福なことでもあるわな。それに創造したい/創造できる人間にとっては、状況がどうというのも特に関係は無いわけで、消費者が拡大したことは素直に喜べばいいんじゃないかと思ったりもする。
個人的には元増田は、相手が「どの文化圏の人間か」を気にするよりも「生産者か消費者か」というくくりの中で「生産」に携わるという点で外部につながっていけばいいんではないかと思う。
電波を受信したため、以下の妄想を書きなぐる。この文章に特定の意図など欠片も無いと言っておく
新作の度に増える東方界隈人口!そしてより一層進む「お客様化」によるトラブルの増加!界隈はこのやっかいな「お客様」の受け皿としての商業化を熱望した!そしてついに神主も本格商業化に踏み切ることにした。神主にしても自由気ままに作品を作るにはあまりに界隈が巨大になりすぎたという事情もあった。彼の同人活動は「のんべえ会」の非東方作品で続ける事となった。
プラットフォームがXBOX360と決まったあたりのゲハ板はいつものハード信者たちの罵り合いにくわえ、東方厨とアンチ東方厨が加わりいつも以上にカオスというかいつも通りであった。しかし「紅魔郷」からの本家が移植され、神主の気まぐれで長年放置されてきたレザマリバグだの文花帖号外だのといった懸案事項も開発チームが組まれることにより次々と解消され、界隈は商業化を快く受け入れることになる。まあソフトの値段が当然高くなったり、追加ステージの有料配信とかで金が吸い取られるようになったが、金を払うことによるファンの意識向上によりトラブルが以前よりも減少した事は特筆すべきことである。
コンシューマ化による他の変更点としては
第2章:アニメ化第1期第2期
ゲームのコンシューマ化と平行してアニメ化の話も進んでいた。制作スタッフはそこそこの面子である。第1期(全12話)は紅~妖の幻想郷パートと外の世界の秘封倶楽部パートが平行するという構成になっており。第1話が秘封パートから始まった事での困惑も大きかった。作画的にはいい時と悪い時の差が激しく、咲夜さんの登場回がちょうど作画の「谷」にぶつかり実況板が祭になった。一部ファンが作画のよかった美鈴のファンに八つ当たりする事も。ちなみにフランはDVD特典の特別編にのみ登場する。紅以降殆どストーリーに絡まなかった為である。そして第1期は八雲紫との弾幕戦と、秘封倶楽部のメリーとを重ね合わせるような構成で幕を閉じる事となる。
第3章:アニメ化第2期
DVDセールスも好調だったのか、1年後に「永夜」を扱う第2期(全26話)が放映された。何せ4チームそれぞれがバラバラの思惑で動き、時に敵対するという原作であるためか、アニメの時系列を殆どバラバラにして巧みに組み合わせるような感じで作られ非常に難解な構成となっていた。どれくらい複雑かといえば「第1話の冒頭が「永夜返し」から始まる」と言えばわかってくれるだろうか。あまりに内容が入り乱れるため脱落するファンも多かったが、作画は1期よりも格段によくなっており、とくに妹紅との弾幕戦の回は神回と評判が高かった。この放映後はソフトセルのみの「花」とか第3期と続いていくが省略する
第4章:同人界の流れ
アニメを見たりプレイしたり楽しむのみのライト層と、同人に漬かるディープ層の住み分けが進み、規模は漸増を続けていたが混乱は他作品の同人界隈と殆ど区別がつかない程度まで落ち着く。アレンジCDを出したりするときに多少の制約は増えた(例えばZUN以外の作曲家による東方曲の扱いについて)がそれ以外は特に変化は無かった。まあ「締め出しを食らった!俺たちは切り捨てられた」と騒ぐ大手アレンジャーの主語の大きいファンとかは少しばかりいましたが。
第5章:斜陽、冬の時代へ
隆盛を誇った界隈も、リリースされるゲームに決算期対策とおぼしいミニゲーム集が目立ってきたり、アニメが一通り原作を消化した事でなんとなく下り坂の黄昏に入っていく。神主はマイペースにコミケで作品を頒布し続けている。ファンもじょじょに脱落していき、残ったファンは細々と活動していく。まあ最初期に戻ったようなものである。
うーん、いまいち「大学でしか得られないディープな知識」を念頭においているのか、「批評界隈での価値」を念頭においているのかわからないんだよな。どちらについても突っ込んでおく。
前者の場合、君のアプローチはあまりよくない。「質問」ってのは、前にある質問すべき事柄があって、それに対してするものだが、その前の事柄が<知的探究心のない><頭の悪い屑ども>が大半の受講者である、授業で行われた内容にある程度限定されてしまう。だから、教員の返す回答も、そのレベルを少し超えたものになるしかない。
で、本当にディープな知識ってのは、ほとんど論文という形に独占されてる。だから、ディープな知識を教員から得るとしたら、それは論文を紹介してもらう、もしくは現物をもらうことに他ならない。その教員自体が書いたものにしても、それ以外にしても。それを積極的にやる教員もいるし、やらない教員もいるが、とにかく論文へのアクセスを獲得したら、君の勝ちだし、こればっかりは大学でしか得られない。
あと、君の「本」に関する態度は、少し甘いと思う。「シミュレーショニズム」やら「思想地図」やらに価値を置いていて、テキストなんてだめだって語り口だが、正直大学の知識体系から言ったらどっちもクソ。世の中には論文からスピンアウトしたような本(部数が少ないので高い。文系なら大体3500円が目安)が多数あり、それらからは、比較にならないほどの知識と参考文献を得ることができる。また、それを読むための基礎知識を得るために、またテキストに戻ったりもできる。こういう本を読みこなせるようになれば、もはや君は批評家の言説のほとんどを馬鹿にできる。もちろん、その専門分野においてだが。
もしくは、君は批評家にあこがれているようだが、それなら「思想地図」から入るのは少し分が悪い。なぜなら、あれにはまだそこまで権威もないし、いわゆる一般読者も少ない割には、掲載が難しいと思われるため。かといって、「現代思想」とかのいわゆる思想誌はさらにハードルが高い。
あと、思想系の雑誌で重要なのは、人間関係だったりする。「思想地図」の東、北田界隈とかはだいぶ前からかなり凝り固まってるので、その点でも難しい。どちらかというと、雑誌の中心の人間と接触しやすいこと、それが重要だったりする。「ロスジェネ」とか「VOL」とかは意外に門戸が広いんじゃないの。高円寺とか行けば適当に関係者と会えたりする。
そのためには、多分無名からは幾つかのステップが必要だろう。その取っ掛かりが、はてなだったりする。まあ個人名を出すのもアレだが、古克とかはそこそこ有名だし、面白い話ができるなら話も聞いてくれると思う(というか彼はまじめ)。あとはオフもそうだし、デモもそうだし、出版に関わっている人間はいくらでもいる。彼らと面白い話ができたら批評記事をどっかで出せるんじゃないの。冬コミでも古克や素人が新刊出してたりしたし。まあ、それが続くかどうかは、あの特有の人間関係に馴染むことができるかどうかにかかっているが。
彼女は友人の友人。自分が友人と飲んでいるときに、偶然向こうも友達連れでその場に現れて、なんとなくみんなで飲んだのが出会ったきっかけ。すごい美人、ってわけでもないけど、メイクや服装にもちゃんと気をつかっている感じで、第一印象で「お、きれいなお姉さんだな」と思われそうなタイプ。雰囲気美人っていうのかな。最初は、何となく気後れして話しにくかったのだけど、実は彼女がちょいオタだってことが分かって、話が盛り上がった。中高の頃は漫画とかアニメとか好きだったんだけど、大学生〜社会人と疎遠になって、でも最近ネットやニコニコのせいでちょこちょこ見てしまうのよね、程度の。そんなにディープなオタではないみたいだけど、それでも、女の子とそういったオタ話ができるのが嬉しくて、彼女の方も、普段できないような話ができるのが楽しいらしく、奥手な自分にしては珍しく、初対面なのにいい感じで盛り上がった。
それが8月のこと。そこで連絡先を交換して、週1〜2週間に1度ぐらいのペースで食事するようになった。自分がその時期、結構出張が多かったこと、彼女も結構仕事で忙しいことから、予定していてキャンセルになることも結構あったけど、ゆっくりとしたペースで、少しずつお互いの距離が近づいていくような感じ。2ヶ月ぐらいしたころから、平日の夜だけでなく、休日にも会うようになった。買い物つきあってくれない、とか、見たい映画があるから、みたいな、相手の様子を探り合うような理由付きのデート。お互い30に近いというのに、キスどころか、手も握っていないというスローなペース。でも、彼女と話すこと自体が、本当に楽しかった。話していると、お互いオタな趣味だけじゃなくて、昔バックパックの貧乏旅行が好きだったとか、音楽や読書の趣味とか、ものの考え方とか、そういう部分も凄く合って、ああ、こういう風に話が合う女の人って居るんだなあ、と、彼女と会うたびにしみじみと感動していた。
確信は持てないけど、彼女は多分自分に好意を持ってくれているんじゃないかと思うし、向こうも自分の気持ちをなんとなく察してくれているような気がする。さすがにそろそろ一歩踏み出したいよなあ、と思っているのだけど、一つだけ気になっていることがある。それは、彼女の仕事、というか、もっとぶっちゃけて言うと年収。本人に聞いたことはないのだけど、おそらく彼女の年収は1,000万円を超えている。で、これはボーナス抜きの金額で、ボーナスを入れるとその倍とか業績によっては3倍になる場合もあるらしい。
最初に出会った時に、「仕事何しているの?」と聞いたら、彼女は「んー、金融関係」と答えた。見せてもらった名刺は、英語と日本語の両面刷りで、自分には聞いたことのないカタカナ名前が書いてあった。あ、ちなにみ自分はメーカーの研究者。国立大の院卒で、そのままメーカーの研究所に就職したという環境なもんだから、いわゆる専門馬鹿ってやつで、正直経済とか金融とかは全然詳しくない。そんなレベルだから、彼女の名刺を見たときも「外資系の会社なの?英語できるんだ、すごいねえ」という程度の感想しか持てず。彼女は「んー、でも社員20人ぐらいの、小さいところだよ。○○(自分の会社の名前)で研究所勤務の方が全然すごいよー」と返したので、その話題はさらりと流れて終わった。
その時は気にもとめなかったのだけど、その後、リーマンショックやら金融危機やらが起こって、なにかと外資系の金融機関ってのが噂になり始めたころ。「そういや、彼女の会社も外資系の金融機関だよなあ。実は結構もらってるのかなあ」と思って、気になって友人に聞いてみた(彼女と共通の友人ではなく、別の友人)。そいつは金融ではないけれど、外資のコンサルにつとめているので、彼女の会社とか、その業界の年収とか知ってるのかなあ、と思って。別に真剣に調べた訳ではなく、たまたま飲んだ際に思い出して、「そういや、○○(彼女の会社)って名前聞いたことある?俺知らないんだけど、最近知り合った人がそこで働いてるらしいんだよね」みたいな感じで。友人は言った。「あー、有名なヘッジファンドじゃんそこ」「ヘッジファンドって、なんとなく聞いたことあるけど・・・有名なの?でもそんなに大きくない会社らしいよ」「あーいうとこは有名どころでもそんなに人数抱えてないよ。最近日本から撤退してるところも多いけど、○○は結構持ちこたえてるんじゃないかな」「へー、ああいうとこってやっぱ給料もいいのかな」「ポジションにもよるけどね」「たとえば○○(←彼女のタイトル)ぐらいだったら?」「うーん、ファンドによってかなり幅はあるけど、まあベースで1000、ボーナスがそれと同額か下手すりゃ倍とかじゃないかな。まあ今年はさすがにマーケットがこんな状態だから、ボーナスは出ないかもだけど」
驚いた。ちなみに自分はボーナス込みで500ぐらい。独身だし、このご時世にあって住宅手当もそれなりに出ているし、と、まあ満足している。雑誌なんかで「20代で年収1000万プレイヤー!」みたいなのを見ても、「へえー、そういう世界もあるんだー」程度の感想だった。それがこんなに身近なところで話を聞くとは。
女性の方が高収入、っていうこと自体には、それほど抵抗はないと思っていた。前につきあっていた彼女はSEで、残業代を含めると自分より全然稼いでいたと思う。でも、そうは言ってもせいぜい年収で100万違う、程度の話。だから、自分が付き合いたいと思っている人が、自分の数倍稼いでいる人だと知ったとき、情けない話だけどものすごく気後れしてしまった。それって、うまくやっていけるのか?たとえば今後、幸運にも彼女と自分が付き合うことになって、デートでの食事とか、イベントの時のプレゼントとか、あきらかにそんなところで金銭感覚が違ってたりするんじゃないのだろうか?
これまでデートしてきた感じだと、彼女は特段派手好きな感じでもなく、目立ったブランド品なんかも全然持っていない。あ、でも自分は正直、ヴィトンとかシャネルとか、そういった凄くわかりやすいブランドしか知らないので、自分が分かっていないだけで、彼女の身につけているものとかは、実は相当高価なものだったりするのかもしれない。食事はちょっとおしゃれな居酒屋とか、イタリアンとか。自分が提案するのも、彼女が提案してくるのも、そんな感じのところだった。でもあれも、自分に合わせてくれていたんだろうか?などと、我ながら卑屈だなあと思いつつもそんなことを考えてしまって、情けない。
彼女に告白したいと思っている。こんなに話が合う、波長が合う人はそういないと思っているし、そんな人が自分に好意を持ってくれている(多分、だけど)っていうのは、本当に幸運なことだと思う。そういった、性格面での一致の前では、年収の話なんて「そんなの、たいした問題じゃない」と思っているんだけど、なんとなく心の奥の方がもやもやっとなっていて、でも自分でもそのもやもやをどうやって解決すればいいのか分からない。
奥さんとか、彼女とかが自分よりも断然稼いでいる、って男性がいたら、是非教えてほしい。そういった感情は、どうやって解決すればいいんだろう?