ここ最近、リベラルアカをTwitterで開設して遊んでみているが、結構楽しいので紹介しようと思う。
まぁやることは簡単だ。
キーワードは今なら「ジェンダー/フェミ/性的役割/LGBT/反ネトウヨ/在日/日本解放/∃/プロテスト」あたりだ。
これをまとめてリスト登録する。このリストは適宜修正すると良いだろう。
鍵リストなら登録された側からは見えないし、よしんば見えてもリスト名を「信頼できる人」とか「フェミニスト」とか「人権関係」とかにしておけば問題ない。
ここら辺の連中はメンタルが知覚過敏なので「どこから見つけてくるんだよ…」と戦慄する程のコンテンツ収集力を見せてくれる、重要なアンテナだ。
後はそいつらの紹介文をコピーして人権とか倫理的に当たり障りのない内容に直して代入、適当なヘッダーとアイコンを作る。
誰にでもある「尊重されたい」という思いがポリコレを支えているからだ。
だが、皆が「尊重されたい」と考えるだけでは集団は回らないし、何よりも「運動で消費した時間」は帰ってこない。
「尊重されたい」という思いに問題はなく、その為の運動は悪ではない。
しかし人権を盾に誰もが甘えているのでは運動は形にならず、出来上がるのは無駄な運動に興じてただ年を重ねた無力な自分だけだ。
つまり、ポリコレには根本的に認知と現実の不協和をおこしやすいという欠陥がある。
正しいことをやっても過程が間違っていれば結論はおかしくなって当然だ。
だが、Twitterで呟きを連打するポリコレ狂人どもは既に手の打ちようがないレベルで詰んでいるので今さら引き返せない。
ポリコレフィッシャーマンはこの認知の歪みを利用し、破滅に向かう他人を見て楽しむ趣味だ。
反ポリコレの理論は基本的にはこの人権社会では成り立たないと思って良い。
何故なら「個人の人権を尊重する」ために賢い人が考えて政治的に調整した結果がポリコレだからだ。
ポリコレは正しい、何故ならポリティカルでコレクトだからだ。このトートロジーある限り、ポリコレに従えば道徳でマウントを必ず取れる。
この優位性を活かして、「別になんの解決にもならないけれど、苦しんでるやつの気持ちの受け止めだけ行う肯定文」ツイートを社会学・フェミニズム用語と絡めて連打する。
そこでいいねかリツイートした奴がカモ候補だ。十人に一人はポリコレ狂人か病みアカである。
また、病みアカは大体イカレポンチ同士で横の繋がりがあるので、そこを釣り堀に定める。
後はそいつらの承認欲求をひたすら満足させるツイートを投げるだけである。
ここで大事なのは「あなたはそのまんまでいいんだよ」という主張を一切崩してはいけない、という点だ。
そもそも詰んでるからポリコレ狂人とか病みアカに成り下がっているのであって、そのまんまではダメに決まっている。
彼ら彼女らには現実と向き合い、人生を損切りして、地べたに這いつくばって生きるべき時がもう来ているのだ。
こうして見つけたカモ候補に承認という餌をやることで、コイツらは「正しいことを言って承認されている」にも拘らず「クソとしか言えない現実にしばかれる」という認知と現実との不協和で頭がバグる。
後は七転八倒する面白コンテンツと化したポリコレ狂人を飽きるまで楽しく観察するだけである。
最初の釣り餌が思い付かなかったらリストから適当な発言をコピペして語尾を変えるだけで良いからだ。
コピペのやりすぎで論理矛盾を突っ込まれたら「申し訳ないです、勉強中なので…」と述べてから、相手の主張をおうむ返しにしていれば大抵満足して黙る。
ポリコレは政治的な折衷の結果の産物、なぜそのように折衷されたかは誰も論理的に説明できないので、説明する側も決定打は打てない。
つまり、論理矛盾を突っ込む側のやりたいことは実のところ単なるマウンティングなのだ。
俺も同じことをやって、Twitterで遊んだことあるわ。 ただ、あまり楽しくはない。 有意義とは思えなくて、止めた。