勘のいい増田は嫌いだよ
すぐ勝ち負けの話に持っていくのがおまえの悪いクセだよ
「機能の集まりである人をモノ化せずに扱うことは不可能」なので「モノ化は当たり前の認知だ」とするのが性的消費肯定派の主張で、
そうではなく「モノ化は悪いことだ」「巨乳だけを切り出して商品化するようなことをモノ化というのだ」とするのが性的消費否定派の主張だ、
という比較だろ。
そのうえで「どちらが正しいかはともかくどちらが何を言ってるのかは分かるだろ?」と問うているんだよ。
増田は旅の本質ってやつに少し手が届いていると思う。自覚がないだけで。
名所旧跡を見たとか写真撮ったとか、確かにそういうのは旅の本質じゃない。つーか、パッケージ旅行で到着した名所旧跡なんてただのコンテンツで、はっきり言えば編集したビデオ映像でも見る方がなんぼか意味ある。それでも、建築物とかは内部の構造や音の反響とかを体感できるという意味はあるんだけど、それはまあ興味があればって話で。だいたいのところ、意味ない。「有名なアレの本物を見た!」つー感動はあるだろうけど、だいたい「写真で見るよりちっちぇーなぁ……」とかだったりするので、それなら写真で見てワクワクしてた方がいい。
でもさあ。むしろ「詰まんない」とこに、旅ってものの本質があるんだと思うんだよ。コンテンツにならない違和感、非日常性。ただ「そこにいる」ということの価値。たとえば自宅に「場所としての特別感」があるなら、当然、どこか別の場所には別の場所なりの「特別感」はあるんだよ。旅行者にとっては、街がまるごとテーマパークみたいなもんだよ。海外に行けば言葉違う、通貨違う、町の人が食ってるもんも違う、隣を歩いてるおっさんの顔も違えば職業も違う。聞いたことのない人生、生活、常識がそこにある。街角で喫茶店に入る。さて何を頼むべきか?観光客がなるべく戸惑わないように、観光地のソレは「よそ行き」な顔をしているけど、本当の地元の喫茶店は「よそ行き」の顔なんかしてない。その街に行かなければ分からない「顔」をもってる。それを見て、すげえ詰まらないんだけど「おぉ~」とか思う。そういうとき、「ああ旅だなあ」って思うんだよ。
だから、
温泉だってどこのやつに入ってもそんなに違いを感じねえし、すぐのぼせて上がってしまう 脱衣所のすのこ(?)の床の質感とかはすげー好き
いいじゃんか! すのこも街によって違うぞたぶん。コーヒー牛乳が全国にあるとも限らんしな。地元の「当たり前」が旅人にとっては「当たり前」じゃないんだよ。
メシにしたって貧乏性でつい旅先でも安いものを求めてしまう いやいや、せっかく来たんだから奮発しようぜ!とときどき思って高いものを食うと、まあうまいんだけど、そりゃ高いんだしな…という気持ちが先に立ってしまって満足度が低い
いやいや、それでいい。安いものでいいんだよ。観光客向けのよそ行きのご飯じゃない飯。地元の古い店に入ってみれば、ただのカツ丼にも地元ならではのこだわりがあるかもしれんよ? しょうゆの味一つ、塩加減一つ、カツは卵と煮るかあとからぶっかけるか三つ葉載せるか、街によって好みは違うもんだ。
旅行でいちばん好きなのは宿の部屋に入る瞬間 部屋の鍵をあけ、薄暗い部屋に入っていって電気をつけるときのワクワク感はかなりある
荷物置いてそのまま寝るってことはほぼなく、そのあともう一度出かけないといけないから、あんまり気を抜いてダラダラはできねえんだけど、だからこその良さがあるというか、外出着のまましばらく横になるあの気持ちよさは替えがたい
そう、宿はいいんだよな めちゃくちゃ良い
いや、分かってるじゃねえか。自分の家ではないところで、仮の宿にいる。なんなら、そのまま宿で三日ほど過ごしてもいい。主人に謂われを聞いてみたりしてな。昔誰が泊まっただとか。実にぜいたくだ。
とにかく少し腰を落ち着ける。空気を味わう。地元の人と会話する。地元の飯食う。寝る。そして起きたら知らない街。それが「旅」情ってもんだと思うぞ。あー旅はいいなあ…。
って増田書いてたけど、だれかに怒られそうで勝手につらくなってきて消した。
メンヘラ男は需要がないと言われがちだが、他害がひどくなければ、評価されたり、ゆるくうけいれられたりする場所もありますよということが言いたかった。
何度か「何が該当するかは見れば分かる」って言っちゃってるしね、感じたモノの共通項を精一杯抜き出して「定義」と呼んでるから出せないし縛られると負けなんだろうね