高校1年のとき、体育祭で赤青白と3組に分かれて、色別のはちまきを巻くことになった。
俺の好きな女の子は青組だった。
どういう話の流れでそうなったのかは覚えていないが、体育祭のあと、その女の子からはちまきをもらうことに成功した。
体育祭の勢いもあったのだと思う。
家に帰り、手元にあるその子のはちまきを見て、どうしてこれをもらってしまったんだろうと後悔の念が少し押し寄せてきたが、思い出ってことでと、机の引き出しに押し込んだ。
それから2年間、はちまきの匂いを嗅ぎたい衝動と戦い続けた。煩悩との果てなき戦い。
引き出しを開けては、手に取り、いやこんなことをしてはだめだとしまい込むことを繰り返していた。
そして迎えた卒業式の日の夜。
こんな煩悩ともさよならしなければと、意を決して匂いを嗅ぐことにした。
めっちゃ埃っぽく、かび臭かった。
もう一度言うが、変態ではない。
Google先生に聞いたら、67歳〜69歳
10年くらい前は「60歳で団塊の世代が引退する」みたいなニュース合ったけど
あの頃定年が65歳に引き上げられたところ割りとあったから、生き残ってたんだよね
でもそれもほぼ居なくなったわけだ(70歳のところもあるけど)
なんで俺たちは、割り算を「分ける」でイメージするように教わったんだろ。
2/3=4/6=3/6+1/6=(1/4+1/4)+1/6=(1/4+1/4)+1/4×2/3なので、
2/3の中に1/4は「2+2/3」個(=8/3個)入る。
2/3÷1/4=2/3×4=8/3で同じ答えになるのでこの計算の仕方で合ってる、と納得してる。
4割る2分の1は、4の中に2分の1はいくつ入るか、と考えてる。
これはパッと8個と分かると思う。
例えばドラゴンボールの悟空が、恋愛モノや推理モノの漫画に登場したら、感情移入できない気がする。
日本だと頭数の問題で、同じ役者が違う役をやるのは仕方ないにしても、ハリウッドなら、映画ごとに全部違う役者を使えるのではないか。
図はなんかちょっと違う気がするけど、この説明でバッチリじゃん。
分けるじゃなくて