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2021-10-29

anond:20211029160047

熊谷 徹 @ToruKumagai

東京へ行くたびに日本社会の幼稚さに驚く。テレビに溢れる「ゆるキャラ」。バススクリーンには「パンツ大明神」のアニメ流れるバスの車体にも動物アニメイスラエル教授が「日本は良い国だと思いましたが幼稚なキャラクターの氾濫にはうんざりしました」と語っていた。恥ずかしかった。

2018-06-14 03:46:52

2021-08-12

希望戦争国民が現政権を支持するのはコロナで全国マヒして日本が滅んでほしいからだ

anond:20210812143053

こんな国は滅びてしま

コロナ大明神さま日本を滅ぼして

俺と俺以外の日本人の9割がそう思っているんだよ

サヨクも一緒に滅びろ

2020-10-26

増田神社

増田神社ますだじんじゃ)は、佐賀県唐津市肥前町にある神社

日本で唯一の警察官を祀った神社として知られる。

神体増田太郎巡査の木像。

 

主祭神

巡査大明神(増田太郎巡査)

1869年明治2年8月10日熊本県合志郡泗水村(現・菊池市泗水町)生まれ

幼少の頃より体格は立派であり、性格温厚と誰からも好かれる人物であった。

永島塾では漢学を、後藤塾では数学や測量学を学んでおり特に数学に秀でていた。

その後、 阿蘇郡馬見原(現・山都町)の用水路整備や北海道開拓事業地元泗水村での養蚕業などを経て佐賀県巡査教習所現在警察学校)へ入所する。

増田上記私塾では学業を修めていたこから一般教養に秀でており、本来3か月かかる巡査教習所の教習課程をわず10日で習得卒業する。

1895年明治28年7月17日佐賀県巡査を拝命し、19日には唐津警察署へ配属されることになった。

 

歴史

1895年明治28年)、日清戦争終結に伴い外地から兵士が帰還すると全国的コレラ流行する。

この年の患者数は全国で55,144名、死者は40,154名になっていた。7月には佐賀県東松浦郡入野村高串(現・佐賀県唐津市肥前町高串)でもコレラが発生し、真性40人、疑似34人、死者9人と猛威を奮った。

〜中略〜

増田交通手段のない山道を超えて巡査を拝命して4日後には高串へ到着する。

増田区長相談の上で「コレラ感染を防ぐには、一刻も早く患者健康な人との接触を断たなければならない」と対策を講じ、発症者の家には縄を張り巡らせて消毒の上で人の往来を禁じた。

また、住民には生水を飲まない、生で魚介類を食べないなど厳しく指導して回った。

中には薬を飲んでから亡くなった発症者もいたこから誤解して「毒薬なんか飲まない」と言う発症者もいたが、増田はその患者にも根気よく説得し続けた。

また、感染を恐れて発症者の遺体運搬が拒まれていることを見かねて、増田自身遺体を消毒し、むしろに巻いて背負って傾斜が急な坂道を何度も登っては墓地に埋葬していった。

住民不眠不休献身的に働く増田に対して次第に胸を打つようになったが、疲労が祟って高串着任の3日後である23日にはついに自身感染してしまう。

容体は急速に悪化し、「とても回復する見込みのないことは覚悟しています。高串のこれらは私が背負っていきますから安心下さい。十分お世話せねばならぬ私が大変御厄介になりました。」と言い残して24日午後3時には死去する。その言葉通りに、猛威を振るっていたコレラは終息し、再び発症する村人はいなかった。

 

増田が死去した2日後、コレラ罹患した2人の子供を看病していた中村幾治の許に増田巡査が夢枕に立ったという。

夢枕の増田巡査は、白シャツ姿に剣を抜いた大男で現れて「余はこの世になき増田太郎なるぞ、高串のコレラはわが仇敵にして冥府へ伴い行きれば安んじて子らの回復を待て、ゆめ看護を怠りそ」と厳かに言って消えた。

翌日には増田巡査の死とその最後の言葉を聞いた中村は夢枕の内容との一致に驚き、子供を懸命に看病した結果、子供2人も無事回復した。

中村のほか同様の夢枕を見た住民は他に2件あり、伝え聞いた住民の間では増田巡査神様として認識されるようになった。

 

https://ja.wikipedia.org/?curid=4004366

2020-10-05

anond:20201005163345

そのAB大明神ってさ…俺の「ちくわ大明神」より″強い″の?

anond:20201005163050

AB大明神聖帝閣下様の悪口言うとは

貴様さては大和民族では無いな!

成敗!成敗でござる!!

2020-09-08

つのまにか、マスク大明神で、僕もマスク でも気をつけるのは、濃厚接触

つばや、会話を控えるようにとは言われなかったような気がする。

そのあといわれたこと、マスクをしていれば大丈夫だけど、熱中症に気をつけて。自粛警察マスク警察

2020-04-13

anond:20200413054737

病は気からというし

N95大明神マスクだと当人が信じていれば本当にそうなんじゃないの

2020-03-02

平家物語時代からヨッピー存在していた

与一目をふさいで、「南無八幡大菩薩、我国の神明日光権現宇都宮那須のゆぜん大明神、願はくはあの扇のまんなか射させてたばせ給へ。これを射損ずる物ならば、弓きり折り自害して、人に二たび面をむかふべからず。いま一度本国へむかへんとおぼしめさば、この矢はづさせ給ふな」と、心のうちに祈念して、目を見ひらいたれば、風もすこし吹きよわり、扇も射よげにぞなったりける。

与一鏑をとってつがひ、ヨッピーてひやうどはなつ。小兵といふぢやう十二束三伏、弓は強し、浦ひびく程長鳴りして、あやまたず扇のかなめぎは一寸ばかりおいて、ひィふつとぞ射ったる。

正直しめさばが気になりますわ!正直しめさばが気になりますわ!

2020-02-17

anond:20200217171555

ワコチンがないか上級国民にも平等感染する世直し大明神なのが都合が悪いんだろう

2019-09-16

新説 金太郎

金太郎 幼少編

むかしむかし足柄山の山奥に、金太郎という男の子がいました。金太郎は小さなから力持ちで、子供ながらに薪割りの手伝いをこなすほどでした。ある日、森の動物たちが栗拾いに行かないかと金太郎を誘いました。金太郎は快諾し、栗拾いに出発しましたが、道中、岸にかかっていたはずの橋がなくなっていました。しかしそこで諦めないのが金太郎、得意の斧で木を切り倒し、即席の橋を作って渡りました。そして無事に栗の木のところまで辿り着くと、そこには拾いきれないほどの栗が落ちていました。金太郎動物たちは栗を拾い始めますが、突然巨大な影があらわれました。熊です。この栗の木は熊の縄張りだったのです。熊は金太郎相撲での勝負を持ちかけました。いくら力自慢の金太郎でも熊相手には非常に苦戦しましたが、動物たちの声援もあり、なんとか勝利を収めました。

酒呑童子 幼少編

むかしむかし越後国に、のちに酒呑童子と呼ばれる事になる少年がいました。その少年はとても成長が早く、4歳の頃には大人顔負けの知能と体力を持っていて、その常人離れした才覚から周りから鬼っ子」と呼ばれていました。そのうえ容姿は人並外れた美少年で、女性から恋文を貰うことは日常茶飯事でした。彼は10歳の時に祖父に勧められ、仏門修行のために比叡山稚児になりました。恵まれ能力と恵まれ環境により将来が約束されたかと思われた酒呑童子でしたが、数年が経ったある日、彼の身体異変が起きました。流行り病の天然痘です。部屋に篭って三日三晩寝込み、熱が引きようやく立ち上がれるようになった時には、彼の容姿はすっかり変貌していました。顔から手そして足の先まで真っ赤に晴れ上がり、痘痕の痕だらけで、元の美貌からは似ても似つかない姿となってしまいました。彼はそれ以来、鬼のお面を被って顔を隠す様になりましたが、ほどなくして寺にもいれなくなり、彼は故郷に帰るよう言い渡されました。

酒呑童子 青年

故郷に帰った酒呑童子でしたが、その無気味な風貌から忌み嫌われ、やがて故郷からも追い出されてしまいました。それから酒呑童子土地転々とし、大江山へと辿り着きました。酒呑童子はその道中で同じ病を抱える荒木童子と出逢い、人里離れた場所静かな生活を始めました。しかし静かな暮らしもそう長くは続きません。同じように差別を受けた者たちが噂を聞きつけ、酒呑童子のもとを頼りに来たのです。酒呑童子は彼ら彼女らを快く受け入れ、やがて大江山は同じ病を抱える者たちの大きな村となりました。特に京の都では新しい患者が次々と現れ、酒呑童子の村はどんどん大きくなっていきました。

金太郎 青年

金太郎青年に成長した頃、京の都では街の女子供がある日突然姿を消すという事件が多発していました。それも1人や2人ではなく、もう何十人も姿を消していました。そこで一条天皇陰陽師安倍晴明にこの現象調査を命じました。安倍晴明占いで、行方不明になった女子供はい大江山にいると突き止めます大江山は、酒呑童子という恐ろしい鬼が住む山です。『酒呑童子』という名は、いつも酒に酔ったように全身が真っ赤な事から名付けられた名前です。酒呑童子に限らず大江山の鬼達は真っ赤な風貌をしており、全身が血だらけでした。それは人を喰った時の返り血だとも言われていました。そんな恐ろしい鬼達を退治すべく、一条天皇は家来である源頼光に討伐を命じました。頼光は四天王と呼ばれる屈強な武士を集め、鬼討伐に向け最強の布陣を敷きます四天王メンバー渡辺綱坂田公時、卜部季武碓井貞光の四人で、この坂田公時(さかたのきんとき)こそが青年に成長した金太郎なのです。

最終章 決戦編

頼光と四天王は鬼討伐の為に大江山へと向かいました。しか相手凶悪な鬼です。とても正面から立ち向かったのではかないません。そこで修行僧の変装をして、大江山へ向かう事にしました。怪しまれないように慎重に足を進め、ついに山の麓に辿り着くと、そこには川で洗濯をしている老婆がいました。少しでも情報を得るために老婆に話を聞いてみると、驚いた事にこの老婆は自分花園中納言の娘だと言うのです。花園中納言の娘は確かに行方不明になってはいましたが、年齢は17、8のはずで、老婆の言ってることはデタラメしか思えません。これはおかしいと老婆をよくみてみると、ついにその正体が分かりました。老婆は真っ赤な鬼の姿をしており、洗っている着物もどれも血にまみれていたのです。頼光は背筋が凍る思いをしながら、冷静にかねてより考えていた作戦を実行しました。「我々は修行をして全国をまわっている僧侶です。どうかこの辺りにある宿を教えて頂けないでしょうか」鬼の老婆は快く受け入れ、大江山にある村へと案内しました。こうして頼光達は大江山への侵入成功したのです。そして頼光は村の主である酒呑童子挨拶に行きました。酒呑童子は頼光たちを手厚く迎え入れ、村の鬼達を集めて宴を開きました。そこで頼光はお礼にと『神変奇特酒』というお酒酒呑童子や他の鬼達に振る舞い、酒呑童子も気を良くして、普段は滅多に語らない自分の出生についても語り出しました。楽しい宴は夜中まで続き、辺りが鎮まりかえると、酒呑童子は体がまったく動かない事に気がつきました。頼光の持ってきた神変奇特酒には毒が入っていたのです。頼光は動けなくなった酒呑童子の首を切り落としましたが、騙し討ちをされた酒呑童子の怨みは強く、首が切り落とされた後も頼光達を罵り続けました。頼光は他の鬼達を始末し、鬼退治の証拠にと酒呑童子の首を持ち帰り山をおりました。酒呑童子は首だけになってもずっと罵り続けましたが、京の都に入る直前に地蔵尊に「不浄なものを京に持ち込むな」と咎められ、頼光は持ち帰ることを断念しました。地蔵尊言葉を聞いた酒呑童子の首は動かなくなり、首はその場に埋められました。その場所はのちに首塚大明神という神社になり、首から上の病気を治すとされています

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