はてなキーワード: 三身とは
横から失礼する。イギリスのローカルコミュニティでは財産家、旧ジェントリ、地主の影響力が今でも非常に強く彼らが地方議会や簡易裁判所判事を無償で行なっているという特殊性がある。庶民院の報酬や活動費支給を訴え、その充実を今も国民に呼びかけているのが労働党。保守党は当初議会議員に報酬を払うことを頑なに拒否していたという事情がある。フランスも第一身分、第二身分の人たちは第三身分の主張する議員歳費に頑なに反発していた。
次に北欧の地方議員がボランティアなのは北欧が日本を遥かに凌駕する究極の行政国家だからという点がある。行政国家化、ディストピア化が恐ろしい速さで進展する北欧では地方の政策はほとんど行政機関で完結するので地方議会がやることなんてほとんどない。日本ではまだ条例や予算を議員たちが可決して、それに基づいて首長が執行するという面が強い。
今頃、あのナントカパークのせいで「渋谷が変わってしまった」とか言ってる奴等絶対エアプだわ。
ずっと前からめちゃめちゃ変わり続けてるのにな。
もう昔どんな地形だったか思い出せないところだらけだわ。
駅や駅近辺は変わりすぎてる上に未だに変わり続けてるから入るたびに地形変わる不思議なダンジョンみてえだぞ。
本当に渋谷に慣れ親しんでたなら今頃「渋谷は変わってしまった」なんて言うはずない。
俺にはあの町は変形ロボになってしまったような印象がある。
ていうかMIYASHITA PARKにだけケチ付けてる奴等は結局あれでしょ?
ただのしったかエアプ除けば、例のホームレス支援団体が突撃して阻まれたことを非難したいんでしょ?
「ホームレスにも生存権があるから住める場所や食べ物を行政が提供しろ」というんなら正しいしわかるが
嫌がらせの為にあそこに執着してるだけですよね?
地価の落ち着いたどこかにホームレス居住施設を作れ、ではなく、地価がすげえ高いところみんなが使ったり通ったりしたいところにホームレスを住み着かせて、
その近辺の土地の持ち主やら通行人やらが嫌がる顔を見てえってことでしょ。
ホームレスのQOL向上が目的ならめちゃめちゃ遠回りというか、ほぼ関係ないよな。
単にてめえが闘争ごっこで出すアドレナリンがンギモッヂイイ!!ていう、ただただ自分の快楽や充実感でやってるだけじゃん。
ホームレスの密度が高すぎて、公園で遊ぶどころか通り過ぎるのも圧迫感があった。
見事に割れ窓っててホームレス以外でも、チンピラとニートとオウム教徒が三身合体したような不思議な雰囲気の男が佇んでたりな。
時間帯によっては女なんか通るのも無理だったろう。
つるんで入っていく奴等はたまにいたみたいだが、少なくとも1人2人でふらっと入って憩うような場所では全くなかった。
何でみんなの公園をホームレス様と支援者様に占拠されなあかんの?
それがホームレス様にとって最高なわけではなくて、支援者的には明らかに、
「嫌がってどかせに来る人間が多いのが楽しくてたまらん」ていう愉悦だったよな?
MIYASHITA PARKがどんなにセンス悪い施設でも(俺はもとより行く気ない)
お前らが私物化してた宮下公園よりはマシだろ。女子供が安心して入れるってだけでも。
MIYASHITA PARKがどんなんでも大半に受け入れられるのは、前がひどすぎたからだよ。お前等のおかげだわ。
旧宮下公園で最後の立ち退かせ総仕上げみたいな日の夕方に通りかかったけど
警察官が滅茶苦茶沢山動員されて並んでて異様な雰囲気だったわ。
「へえ、ついに立ち退きですか」って声かけたら、
たくましい警官がやや強張った笑みで「勝手に居座ってる人達に退去というのは言葉がおかしいと思いますよ」みたいなこと言ってたっけな。
なんか行政的にはより適切な言葉があるらしいというのと、微妙に俺が支援団体のシンパかと警戒されたらしかった。
「どんどんやってくださいよすっきりすらあ」的なことを言ったら笑顔でそうやねーって感じになって和やかに別れたけどな。
・MIYASHITA PARKがどんなでも旧宮下公園に比べりゃまし。活動家が排除されただあ?旧の方は活動家とホームレスとチンピラ以下以外が排除されてたじゃねーか。
・ホームレスを公園や駅に住ませろと頑張る奴等は嫌がらせしたいだけだろ?もうバレバレなんだから支持されないわ。
・住む場所作ってあげて食べ物や娯楽も提供してあげる系の支援なら賛成するし個人的にも寄付していいが、そんなことはお前等が楽しくないから却下なんだろ?
実際のところ、ジャンプ本誌で連載が始まった時点ではこの漫画を読む気にはなれなかった。
既にAmazon上のレビューに書いてある通りである。物語の中で語られる様々な専門用語、世界観に対する長大な説明、作者のエゴ、長年看板作家として一線を張り続けてきたプライドが裏目に出ている――などなど、実際にここまで既存のレビューが指摘していたかはともかく、本誌連載当初の時点での僕自身の評価も、これらのレビュアーの意見とそう変わるものではなかった。読みにくく、物語は柔らかさを主張しているようでその台詞回しは硬質で、目がところどころでセリフに行き詰まる――
でも、何故なのかこうも思えたのである。「連載話を一週間ごとにバラバラに読むのではなく、コミックスの形でしっかり腰を据えて読むことができるのであれば、これはひょっとすれば面白い作品に映る可能性を秘めているのではなかろうか」と。そして、実際にようやくコミックスを手に取りこの作品を読んだ時点での感想を述べさせてもらうならば、その予感は正しかったのである。
物語は星間飛行どころか銀河間航行ですら可能となった近未来であり、一部の人々は生身の身体を捨て自身にサイボーグ処置を施し強かに生きている。そんな世界において、自身に巨大な生命維持装置を直結させ、無数のチューブを接続していなければ生きられない少年、ハチマルが主人公である。もちろん、この作品のタイトルは黒澤明監督による『七人の侍』の文字りとなっている。
極めて脆弱な身体を持ちつつも、幼い頃から(身体の虚弱さのために熱中することとなった)全没入型VRゲームによって鍛えられた勝負勘と、反射神経は余人を凌駕する(アニメ作品『オーバーマン・キングゲイナー』のエピソードを彷彿とさせる)主人公にとって、この「サイボーグを是とする世界」は極めて相性が良く、やがて彼は類稀なる自身の戦闘センスを開花させていく。
ここでポイントとなるのは『三身一体』のキーワードである。本編において、「ロッカーボール」と呼ばれるエネルギー体によって自己改造を施したサイボーグ戦士のことを「侍」と呼ぶのであるが、この侍は単独では秘め持った力を十全に発揮することができないのである。ここでポイントとなるのが先程言及した『三身一体(勿論、これはキリスト教における神学的概念である「三位一体」をアレンジしたキーワードである)』という言葉で、侍は単独ではなく、追従型の動物を象った戦闘補助パートナーである「キーホルダー」と、侍の力の源である「ロッカーボール」に対する強い探知力を持った「姫」の両者と共にあることで、初めて「三身一体」となり力を発揮できる、といった物語の構造が示されているのだ。
「姫」は戦闘能力を持たないため、必ず侍と対になって守護される必要があり、そのために侍は自身の心を極限まで純化させ、「姫」を護衛する必要があるのである。この「純化」のプロセスが少年漫画の媒体にうってつけで、いわば虚仮の一念によって主人公は「強がり」を純然たる「強さ」へと純化していくのである。この辺りに少年漫画誌に長年連載を続けていた岸本氏のストーリー構築術の妙があると思わされる。
長くなったが、この作品に向けられたネットの悪評の多くは、これをコミックスという媒体で腰を据えて読むことによって引っくり返ること請け合いである。最近では某レンタルショップにおけるレンタルサービスもあることだし、是非ともコミックス媒体において、諸氏にはこの漫画に対する改めての評価を行ってほしいと思う。