名前を隠して楽しく日記。
いねえじゃねえか!
殺害された男性をバッシングし加害者に同情したブクマカ達がこちらです
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.news-postseven.com/archives/20231222_1928255.html
逆説的に言えばキャラの名前に「小鳥遊」なんてつけないほうがいいということになる。
あと机につっぷして居眠りしてる奴に上着とかをこっそり掛けてやるのは、やられたほうは起きたとき不気味にしか感じないのでやめたほうがいい。
近年のキャンセルカルチャーはまさにこの通りなんだけど、勝率としては概ね良好で、例えキャンセルに追い込めなくても抵抗する男性に「性犯罪肯定派」のレッテルを貼ることでイメージの毀損には成功しているので、“「女性」だけで問題を解決”できる世の中なんだよなぁ。
いまさらだけどAmazonに入ってるから『君の名は。』を見てみた
幼少期親からの虐待と学校社宅でのいじめなどを経て順調にメンヘラ化しまともな社会人になれず障害者として年収100万の世界で生きている自分が見ていいものではなかった
どうせ動くラッセンだろーくらいの気持ちで見はじめてしまったのが失敗だった
何もなかった
本当に何もなかった
『君の名は。』見てから本当にもう今度こそ自殺しようとずっと考えてた
何もなかったしこれからも何もない
死ぬべきは今?
毎日薬大量に飲んでいるのに鬱状態の回復にけっこう時間かかった
若い頃から引きこもって本を読んでることが多くいろいろな文学にも接してきたけど、ここまでダメージを負ったことはなかったような気がする
どんなにすさまじい作品を読んでも死にたくなることはなかった
『君の名は。』を見て、自分は本当にこの人生にならざるをえなかったのか、あのとき別の行動をしていたらっていろいろ考えてしまった
結局どうしようもなかった
それ以上先にはいけなかった
どうしようもない
こっちは強い絶望を感じなかった
「線路を走ってあの場所へ行く」というイベントを考えたのはいいけど、説得力を持たせることを完全に放棄してなんとなくな雰囲気でそのまま映像化してしまったみたいだ
でも逆に力強いのかとも思った
今回はこれでいく! という強い意志を感じる
なぜならそこで起きていることはすべて必然であって事実であってそれ以上説明、説得する必要がないからだ
納得できる合理的な説明など必要ないし、世界には納得できる説明などそもそも存在しない
あるからある
映像はすさまじくすごい職人芸だとは思ったけど、シナリオ面では練り込み不足を感じた
で、なんでかわからないけど、『天気の子』を見終わってものすごく創作意欲が湧いてきた
今年の4月に10年以上お世話になった主治医が退職して、新しい主治医がついた
私は20代の頃は趣味でいろいろ書いていたけど、そのうち何もしなくなってしまった
19歳の頃フォークナーやエリクソン読んで自分も書いてみたいと思ったときの熱い気持ちを思い出す
あれから好きな作家はだいぶ変わってしまったけど、その時の気持ちを思い出す
『君の名は。』で絶望したけど、精神はなんだか若返ったみたいだ
とにかく線路走ってるシーンがよかった
線路くらいなら誰にも捕まらずにちんたら走り続けることができる
ここはそういう世界だ
不条理劇なら走っても走っても相手に追いつかない追いかける側を描くものだが、監督は天才なので逆を描いた
俺は風、誰にも捕まらない
要するに不条理を体験する人間ではなく、逆に自分自身が不条理そのものになったということ
だけど、そういうことではないんだな
それ以上でも以下でもない
何もおかしなことはないし、なぜそうなるかなどといった説明はない
私は神だったんだ
ちなみに弱男は自己責任ですか?
セカンドオピニオンは医療情報提供書を持ったうえで自費で受診するもの(費用は数千〜数万円)なので、これはセカンドオピニオンではなく実際には転医。
何科か書かれてないけど精神科かな。