オタクの多くは結局ノンポリでしかないと思うのだ。政治にも国際情勢にも本来そこまで興味はなく、面倒ごとは極力避けたい。そこまで凝り固まってもいないから多くの人がアズレンなど中華ゲーを受け入れたわけだし。
そもそも初期ネトウヨはリネージュやっててROやってた連中じゃん。
凝り固まってなくとも悪意の限りを尽くせるんだよ。
眠くなかったのに眠くなってしまったでござるよ!
拙者は寝るでござる
ぶっちゃけ刷り部数や実売数なんて出版社みたいな「取り次ぎのPOSデータがもらえる環境」にあればおおよその推測が立てられる半公開情報なので、別に明かしたこと自体は大したことじゃない。
でもそれ言っちゃいけないやつなんですよ。わかってても絶対に言っちゃいけない。
たとえば自分の会社で自分の年収が○○円で、その状態で新卒が入ってきたらこいつの年収はおおよそ××円だなってわかるじゃないですか。あるいは同い年の派遣社員やってる知人は年収△△円だなっておおよそ推測はつく。でも、それ絶対に口に出しちゃだめでしょ。お金のことなんて軋轢しか生まないし、しかもそれ年収の話でしょ?
津原泰水さんは恵比寿で文章教室開いてらっしゃったりするし、単純な専業作家というわけじゃないでしょうが、14年に出した本はぱっと見た感じWikipedia準拠で3冊、そのうち1冊の部数が5000部、1冊1728円(amazon基準)で印税10%としたら86万、文庫と単行本の違いを無視した単純計算でも×3で250万円ですよ。
ついでに言えば、出版における刷り部数は「その人がこれまでに出版した本が、どれくらい売れたか」という情報に基づく。5000部の本が1800部しか売れなかった場合の消化率の善し悪しは単行本を作ったことのない人間にはわからないが、まあ36%というのが決して良くはないというのは肌感でわかる。そういう場合、次作の刷り部数は確実に削られるんですよ。それを出版業界の人間なら一瞬でわかる。
見城がやったことは「津原泰水の2014年の推定年収は250万円で、今後更に下がっていくよ」と宣伝するっていう嫌がらせなわけ。 公開しようとしまいとそれは変わらないけど、言うと言わないの違いはでかいでしょ。
出版関係者がみんな「最低限のリスペクトがあれば」とか、精神論の話をしてるのはそこですよ。見城が他人の年収を明かしてしまったことはピンとくるし、でもそれを指摘すると自分が津原泰水の年収に言及する最初の人間になるから明言できない。だからもやっとした精神論になる。しかし、他人の年収を明かす行為がどんだけ社会人としてまずいか誰だってわかるでしょ?
これ以上減るもんなんてねええんだよおお
ぼくもデカい労組がある会社で働いてるんですけど、巻き上げられた組合費が(遠回しに賃金向上になると上の人達は宣うけど)政治家への支援や平和活動に使われてるのに悶々としてる。
特に1年目で受けた説明会で「我々は沖縄の平和を守っている。警察が住民のデモの妨害をするから、我々が支援しているのだ」とか言い出した時は笑ってしまった。お前らが大勢で押しかけるから警察が出動するんだよ、と。
定期的に「当組合が推薦する〇〇太郎への投票をお願いします」とか「〇〇太郎宣伝ビラ配布動員(強制参加)(無給)」とか命令されるし、遠回しにぼくらの給料が上がるにしろ気分が悪すぎる。
日本国民には信条の自由があるよね?なんで金払ってまで縛られないといけないの?
あと気になるのは全労済強制加入だったり、ノルマがあるからって保険の増額の圧力掛けられたりする事。意味がわからない。転職の準備をしている。
業界が衰退して消えてなくなったらそれどころじゃないだろ
ベビーカーで満員電車に乗ることの是非を書いた記事がいくつかバズっていてたのですが、「お前が好きで子供を作ったんだから他人に迷惑をかけず勝手に育てろ」という発想をしている人が多いことに衝撃を受けました。
「結婚しない自由」「子供を作らない自由」が個人に与えられているのは事実ですが、「社会の維持のために、一定数以上の子供を産み育てていくことが必要」なことも揺るぎない事実です。
たとえあなたが一生結婚せず子供を作らない生き方としても、あなたの生活の維持のために誰かが子供を産んで育てなければなりません。
誰かの給料や報酬は、消費者が何らかの商品やサービスの対価として払った代金がまわりまわってきたもの。
子供が減れば社会の構成員が減り、消費者が減り、まわりまわってあなたの収入が減ります。
年金も減ります。労働者が減って必要な社会インフラさえも維持できなくなるかもしれません。
「子供を産まない自由」はあっても、「社会の構成員として子供を育てない自由」は無いのです。
こんな当たり前のことを理解できていない「年を取っただけの子供」が一定数存在する社会になってしまったことを慨嘆しています。
百歩譲って(今の子供が大人になるころには存命している可能性が低い)高齢の方がそのような発想になるならばまだわかりますが、これから数十年間は社会で生まれ来る子供たちに支えられて生きていくあろう若い世代にも自己中心的な思想が蔓延してしまったら手遅れです。
私は社会の構成員として、そして子を持つ親として人の温かさに触れることが多いため、まだまだ日本の大人を信じています。いえ、信じたいです。
満員電車でベビーカーを見たときに舌打ちをしそうになったならば、「年をとっただけの子供」になってしまうかどうかの瀬戸際にいると思ってください。