はてなキーワード: 稲葉とは
http://anond.hatelabo.jp/20100611200158/ 「2ch既婚女性板の「アンチスレ」調べ」
現在話題沸騰のこれ(ブクマ300超え!)、自分も読んだ。興味深い、興味深すぎる。
そこでフィールドワークですよ。友達・家族に「鬼女でアンチスレ立ってそうな人」って誰だと思うか&その理由聞いてみたよ。回答者は男女/既婚未婚混合。鬼女板住人はいない(ハズ。自己申告上はゼロ)。実際アンチスレがあるのを知ってるばあい(「雅子さんてアンチすごいんでしょ、見たことあるよー」とか)、その人以外でありそうな人を答えてもらった。一応複数回等可で。
長いうえに瘴気が渦巻いてるんで、ご了承を。
…ふう。ここまで読んでくれた人乙。超乙。
一応、元増田に敬意を表して(?)簡単な傾向分析を。
男単体(玉置浩二とかキムタクとか辻とか。「吉本芸人」含む。○○夫妻って嫁とペアじゃなく、男だけっていう意味ね)を挙げたのは全員女の人。男のほうが「女の敵は女」て考えてるのかな。ただし朝昇龍を挙げたのは男。あまりのボンクラ回答に飲みの席がザワ・・・となったw
悪妻系(高木広子・本田の元嫁・古田の嫁・サッチー・田中の元嫁)を挙げたのは全員男。逆に玉の輿とかイケメンとくっついた「だけ」の人(伊東美咲とかイチロー嫁とか稲葉嫁、エビちゃんなど)は女。例外として「カカの嫁」を挙げたのは男で、女の子から「あそこまで完成度高いと嫉妬も何もないんじゃない」て突っ込まれてた。男は職務を果たさない嫁、女はおいしいとこを持ってく同性が嫌い?
ブリッコ系(安めぐみ・小林姉妹・宮崎美子・神田うのらへん。聖子さんも)は、意外と全員男が回答。女が嫌う女といえばブリッコでしょ!と決め打ちしてるきらいがあるようだ。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20091209-00000008-maip-soci
9日午前0時10分ごろ、神奈川県相模原市相模原4のJR相模原駅付近の歩道で、近くに住む危機管理コンサルタントでタレントのテレンス・リーさん(45)=本名・加藤善照=が自転車で帰宅中、すれ違った男と接触して口論となり、殴るけるの暴行を受けた。加藤さんは顔の骨を折る重傷。通行人が駅前の交番に通報し、県警相模原署員が男を傷害容疑で現行犯逮捕した。
逮捕されたのは、同市相模原5、アルバイト、稲葉暁容疑者(42)。同署によると、稲葉容疑者は酒を飲んでおり、「自転車でぶつかってきたからやった」と容疑を認めているという。【山衛守剛】
いつかの須藤元気みたいに通り魔に不意打ちされる状況なら格闘家でも軍人でもなかなか反応できないだろうけど、「接触」、「口論」があった後で「殴るけるの暴行」って。
元傭兵で素人にケガさせるわけにはいかないってんなら、その場から離脱するなり、ダメージを最小限に抑えるなりすればいいのに、「顔の骨を折る重傷」って。
http://anond.hatelabo.jp/20090108030343
を見て驚いた。
私のブックマークコメントがいわゆる「言ってないことを読み取るマン」であることは重々承知しています。「広義の社会民主主義者」以外の左翼は存在すること自体許されない、と読み取れる書きぶりに私としてはかなり違和感を覚えたので、あえて言っていないことまで読み取って書かせて戴いた次第です。
この下りが極めてみっともなくて狡猾だよな。d:id:kyo_juはつまり、「稲葉先生が言ってもないことをこじつけていったようにデマを流す」「稲葉先生が親切心でたしなめる」「「言ってないことを読み取るマン」であることは承知しているという」ここまででも十分醜悪なのだが、この次に卑劣さのピークが来る。
つまりkyo_juは、自分で自分の考えを真面目に説明するためにエントリを立てるなどの真っ当な努力を全部サボり、たった百字以内のブコメでわざと稲葉先生に反応をさせ、稲葉先生がわざわざ「好意的に解釈するならあなたはこういうことを言いたいんだろうけれどもそれもおかしい」と言わせると、「言いたかったことは正確に読み取って頂けた」だと。相手は専門家だぞ。わざわざここまで相手の身になって読解させるとは、どれだけ甘えているんだ。まあ、そうまでして絡みたいんだろうけれども。
flurryやhokusyuもtoledもそうだけれども、「はてサ」たちは知識人コンプレックスが屈折しすぎ。相手をしてもらいたいからわざと喧嘩腰になって相手が言ってもいないことを言いふらすというのは、学者になりたくってなれなかった「かわいそう」な人たちが、せめてブログで揚げ足とって一矢報いようとするときの常套手段だが、そりゃあ自分の元同級生たちが社会的に成功して、自分たちだけ学歴の割にパッとしないポジションにいて、せめてウェブで自分をアピールしたくなる心情は想像も出来なくもないが、それなら普通に努力すればいいものを、せいぜいはてブで百字以内で憂さを晴らそうとするのは、なに、その程度の憂さなの、あんたたちの世間への恨みは。
まあ、その程度のもんなんだろうなあ。しこしこ翻訳したジジェクなんて誰も読んでくれない、それは自分でもよくわかる、誰にも文句を言えない。言えないけど腹が立つ。これでも俺はいろんなことを知っているんだ、まわりは「あたまがわるい」奴だらけだ....。ダメだよ、そんな、自分のことを傷つけちゃ。もっと自分を大事にしなさい。他の誰ももうあんたたちのことを気にしていないんだから。はてブが最後のアピールの手段だったのにね。
私のブックマークコメントがいわゆる「言ってないことを読み取るマン」であることは重々承知しています。「広義の社会民主主義者」以外の左翼は存在すること自体許されない、と読み取れる書きぶりに私としてはかなり違和感を覚えたので、あえて言っていないことまで読み取って書かせて戴いた次第です。
これってすごいはなし。自分で「言ってないことを読み取るマン」と認めているのに、「あえて言っていないことまで読み取って書かせて戴いた次第」とか絡んでおいて、自分の放言が伝わっているかどうかは、稲葉先生に丸投げ。これ、専門家に自分がうまく表現できない論旨について因縁をつけることで解説させるということだから、甘えにも程がある。絡まれる側はすごい迷惑。
稲葉先生に「アホですか」「飛躍している」といわれても、いけしゃあしゃあと「それがなにか?」と流している。kyo_juは専門家に相手をしてもらいたいんだったら、こうまで甘えなければいいのに。
d:id:kyo_ju氏がこの技を使っているのを見るのは初めてではない。
kyo_ju 労働, 社会, 政治, もっと周知されるべき その筋の専門家であるhamachan氏が判ってて語ろうとしないこと。
まず専門家である濱口桂一郎・政策研究大学院大教授(id:hamachan)に対して、濱口教授がさも政治的打算か陰謀で語るべきことを語っていないかのようなデマを流す。しかし濱口教授は、過去にこのテーマについてちゃんと語っているので、「語ろうとしない」などと言われる筋合いは無論ない。しかし、それをあたかもわざとなにか打算で語っていないかのように「語ろうとしない」などと決めつけられると、kyo_juのブクマコメントを見た人は、咄嗟にそうか、実際に語っていないのかと思ってしまいがちになる。濱口教授がなにかを語っているということならソースを明示してすぐ根拠を明らかに出来るが、語っていないということはソースがなくてしようがないからでもある。
だが幸い、このブックマークにはid:inumashから物言いがついた。
inumash 労働 id:kyo_ju “hamachan氏が公的なセーフティネットの話をしていない”って本当かい?つい最近だって雇用促進住宅に絡めて公的な住宅支援制度の話をしてたじゃない。http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2009/01/1546-b7d2.html
しかしこれは非常な幸運であって、普通はこういう指摘が来ることは期待できない。すると、もしinumashが指摘しなかったら、濱口教授は専門家として語ったことがあるのにそのことに対してわざと口をつぐんでいるかのような印象操作が成功していたはずである。そうなると、濱口教授は専門家としてその事態を当然看過できないので、わざわざid:kyo_juのデマを打ち消すためのエントリーを書かざるを得なくなる。
その筋の専門家であるhamachan氏が(判っている筈なのに)語ろうとしないこと
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2009/01/hamachan-88c8.html
そうするとkyo_juは、どのように言い訳をするか。
hamachanさんのこれまでのご議論は、上に引用いただいた文章も含め私が拝読した限りでは、あくまで雇用と社会保障のトレードオフの範囲(これまで企業が面倒を見ていた部分をどの程度社会全体が肩代わりするか)にとどまっておられるように思えます。
「全体の水準」の引き上げ(hokusyuさんのエントリの例で言えば、解雇に伴い企業が負担するコストや失業保険の受給期間を引き上げながら、なおかつ住宅、育児、教育などの生活保障の水準も高めるといった)については、専門家として(あるいは行政官として)禁欲なさっているのかも知れませんが、あまり言及がないところに物足りなさを感じており、今回のようなコメントに及んだ次第です。
つまり、kyo_juは、専門家が自分の気にしているイシューについて、自分の目の届く範囲で、自分の気に入るような論法で、自分の気に入るような結論に達していないという点に文句をつけ、「物足りなさを感じ」、「専門家であるのに語ろうとしない」と因縁をつけるのである。もちろんアリバイとして、「もし誤解や誤読がありましたら、ご指摘いただければ是正するよう努めます。」とか殊勝な振りをしているが、「語ろうとしない」とdisった相手がちゃんと語っていたのだから、まずは謝罪すべきであろうにそれをしようとは決してしない。
あえて釣られてみる;
kyo_ju 経済, 政治 社会民主主義的政策(の中長期的持続)も、ほっときゃ資本主義体制が崩壊するかもという条件の下でないと実現されない→故にこれからは新自由主義一択ですね、わかります
「誰もそんなことは一言も言ってないのにあんたはアホですか」と言いたいところをこらえて(ないけど)善意にとってみる。
でもその前にやはりこの議論(脊髄反射的ブコメに論を求めてどうする、というのはさておき)が飛躍していることは指摘しておかないといけない。
このときもkyo_juは稲葉振一郎教授が「そんなことを自分が発言しているかのように思われるのは専門家として心外だ」というようなデマを流し、専門家がそれを能動的に打ち消さざるを得ないような状況をつくり、相手を追い込もうとする。このときは稲葉教授がその戦略を十分に理解した上で反応したわけだが、このときのkyo_juの反応。
別の方と応酬が盛り上がっている(いや、これで終わりかな?)と思われるところ恐縮ですが、せっかく当方の「脊髄反射」に言及して戴いたので、ごく簡略に。
私のブックマークコメントがいわゆる「言ってないことを読み取るマン」であることは重々承知しています。「広義の社会民主主義者」以外の左翼は存在すること自体許されない、と読み取れる書きぶりに私としてはかなり違和感を覚えたので、あえて言っていないことまで読み取って書かせて戴いた次第です。
ここでもやはり、自分の気にしているイシューについて、自分の目の届く範囲で、自分の気に入るような論法で、自分の気に入るような結論に達していないという点に文句をつけるという手法を採用しているし、それが無理筋であることは百も承知でそれを隠そうともしていない。
つまりkyo_juは、専門家を自分に対して振り向かせたいときは、専門家の発言の言葉尻を捉えて揚げ足をとるどころか、「言ってないことを読み取る」までして、相手の専門家が「そんなことは言っていない」とわざわざ否定してみせるような反応をせざるを得ないような状況をつくるようにしたがるのである。特にこれが効果があるのは、特に相手が氏名・所属を明らかにして自らの専門について語っている実名ブロガーの場合で、つまり学者・研究者が相手の場合である。そして一度専門家に相手をしてもらえたら、自分の読み方に無理があったことを認めるのに全然抵抗がない。
つまりkyo_juは、有名人に相手をしてもらうためにわざと喧嘩を売りに行くミーハーなブックマーカーなのである。kyo_juのネガタグ、ネガコメは、その対象に相手をされたいという願望の裏返しである。実に微笑ましいと言える。
矢沢永吉が佐賀県にコンサートツアーで行ったときに、現地のファンが宿舎のホテルに押しかけ、「矢沢がどれほどのもんたい。ワシの方が熱いギターを弾くけんね。矢沢、勝負せえや!」とロビーで叫んだ。矢沢が出てきて一喝すると、「いやあ永ちゃん、そんなに怒らんでよかよ。ワシは永ちゃんのことを実はそこそこ認めとるのよ。ほれこのタオルに特別にサインさせてやるけえ。」と手のひらを返して子犬のようにじゃれつこうとした。矢沢への憧れ、ファン心理が募るあまりの行動ということで、矢沢も苦笑してサインをしてやったという。それを考えれば、kyo_juもある意味では健気な部類のはてな村民である。
ただし、こういう話もある。吉田拓郎が人気絶頂の頃、札幌のコンサートの打ち上げに参加したアルバイトのモギリの女の子が、「拓郎さん、私はあなたの大ファンで、あなたは天才だと思っていますけれど、私もいつかあなたのようにすごい歌を書きたいんです。」と言った。吉田が「じゃあ、ちょっと歌って見ろよ。」と愛用のギターを渡すと、モギリの女の子は緊張した様子で、しかししっかりした声で、自作の曲を少しだけ歌った。それは後に「わかれうた」という名前がつくことになる曲の原型で、彼女の名前は中島みゆきといった。
ファン感情、ファン心理としてはいろいろなかたちがある。人それぞれ、自分の実力に応じたアピールの方法があって良いのかも知れない。誰もが中島みゆきになれるわけではない。
朝日新聞GLOBE「金融危機と中央銀行」のうち、http://globe.asahi.com/ 上に掲載されていない部分を以下に載せます。
(G-2面の囲み記事)
入行の2年後輩の稲葉延雄(現・リコー特別顧問)が、副総裁、そして総裁候補の「本命」だった。稲葉は、若いころから金融政策を担当し、1998年に施行された日銀法の改正作業でも、日銀内で中心的な役割を担った。
他にも、やはり日銀法改正にかかわり人脈の広い三谷隆博、国際派の平野英治ら、理事を経験した有力候補がいた。
最近になって白川の存在感が増してきたのは、日銀幹部に、海外の中央銀行幹部と対等に話ができる経済学の専門知識が求められるようになったためだ。ただ、福田政権が今年春、白川を副総裁に指名したのは、意中の総裁候補が武藤敏郎(当時、日銀副総裁)だったことも大きい。
財務事務次官を経験した武藤は各界の太いパイプがあり、調整能力にたけている。理論派の白川は、武藤と組み合わせるとちょうどよいと目された。この時点では、あくまで白川は「知恵袋」として、総裁を補佐することが期待されていた。
ところが、運命は、本人も予想しない方向に転がっていく。
参議院で多数を握る民主党は、「財政と金融の分離」を唱えて財務省OBの起用への反対を崩さず、武藤総裁案を葬り、やはり財務(大蔵)事務次官を経験した田波耕治案も一蹴した。
主要7ヵ国財務相・中央銀行総裁会議(G7)が近づくなか、総裁空席が長引くダメージは大きい。となると、民主党が同意できる、残る総裁カードは、白川しかなかった。
当時、白川は58歳。50代の若さの総裁の退場は52年ぶり。金融政策などを決める政策委員会の5人の審議委員のうち、4人は白川よりも年上だ。
いきなり約5000人の職員を擁する組織のトップに就いた白川の指導力、調整力には不安もある。首相の麻生太郎は、白川自身の意向も聞き、山口広秀を副総裁に任命した。
山口は日銀出身だが、政府との実務交渉の経験が長い。今後、内部管理的な業務や政府との意思疎通などで、山口が担う部分も増えていくとみられる。■
前総裁である福井俊彦は、社交的で人づきあいがよく、経済界にも豊富な人脈があることで知られた。財界人とも頻繁にゴルフをした。
白川は少人数の食事会での議論は好きだが、パーティなどの華やかな場所は苦手。若いころはテニスを楽しんだが最近はやらず、ゴルフも年に数回程度。週末の楽しみといえば、「双眼鏡を持って、妻とバードウォッチング」といったところだ。
もっとも、この秋からは金融危機の対応に追いまくられ、バードウォッチングどころではない。
白川は1949年、福岡県の小倉で生まれた。姉と弟の3人兄弟。父は、地元の東洋陶器(現・TOTO)に勤めるサラリーマンで、後に社長となる。地元の公立小中学校から県立小倉高校に進んだ。
高校時代の同級生で、以来親しくつきあう読売新聞大阪本社執行役員の松尾徹は「誠実で、はったりがない。困った顔をすることはあるが、怒った姿をみたことがない。線が細そうにみえるが、案外、楽観的で腹がすわっている」と白川を評する。
東大の文科一類に入学したが、経済学部に進む。法律より経済学に面白みを感じたのが理由だ。
21歳の夏休み、帰省先の小倉から上京するブルートレイン(寝台列車)の中で、津田塾大の学生だった美恵子と知り合い、日銀に入ってまもなく結婚した。日銀に就職したのは「ビジネスは大切だが、自分は民間企業に向かないと思ったから」。
入行4年目で米シカゴ大学に留学して経済学修士号を取得。博士号を取るためにもう1年の延長を願い出たが上司に断わられ、日銀を辞めてシカゴに残るかどうか悩んだ。
その当時、白川の1年先輩で、相談を受けた大塚啓二郎(現・政策研究大学院大学教授)は、「日銀を辞めて学者になったら」とアドバイスした。「組織の中で出世するタイプには見えなかったしね」と大塚は笑う。
服装にはさほど構わないが、ネクタイにはこだわりがある。海外出張の時に免税店で自分で買う。今年10月の「クールビズ」明けの記者会見では、小倉高校の同級生たちから贈られた小倉織のネクタイを締めた。
週刊誌に「いつもの寝グセを何とかしたほうがいい」と書かれると、友人が「寝ぐせ直し」用の整髪料をプレゼントしてくれた。以来、毎朝それを愛用している。■
大学の授業出て揉め事起こそうとするなんて、単なるキチガイだろ。
業務妨害でしょっぴかれてもおかしくないし、
本人も警察に捕まらなくてほっとしてるってのが見えみえ。
残ってるみたいな期待してるけど、
こんなバカはしません。
大学内で警察を持っていたりしてるので、そこでこいつはしょっぴかれる。
バージニア工科みたいなこともあったから、部外者が来ることにはもっと敏感だよ。
あと、アメリカの学生運動は、ギリシアで盛り上がったから俺らもなんかやるべみたいな思い付きじゃありません。
予算カットのなかでどう自分たちへの支出を勝ち取るかとか、きちんと根ざしたものを持って、
定期的にやってます。祭り感覚でとらえてる、しかも学生でももうない君らと一緒にするものじゃない。
まあ、挑発出してマジで来ちゃった段階で東は教務評価下がるけど、
その来ちゃって何か授業妨害してる段階でそれを排除しないと、評価下がるだけじゃなくて、
普通にクビとか、「市民」が強いと余計にそんな教授はニュースで叩き上げられっすよ。
「登校拒否」でもなんでもいいけど、もう少し言いたいことがどうしたら
これじゃあ単なる中学生だよ。
しかもたちが悪いのが、正統な学問のコースに乗っからない振りしながら、
自分の論述の随所に社会学なりなんなりの文献を散らばめるところ。
学術書を批判的に読むこともしてなくて、単に権威付けしてるだけじゃん。
あわよくば雨宮なんとかみたいなニート論壇で小金を稼げるようになるわけだし。
よっぽど、東大の社会学なんかのオーバードクターなんかのほうが苦労してるんじゃん。
追記)はてぶで「教員の許可取るとかバカだろ」とかいうのあったけど、
まあ(リアルキチガイがキャンパスに年に一度は来るような)アメリカの大規模大学でもなきゃ、
モグリはまあ黙認だよな。俺も高校生のときにモグった。
http://anond.hatelabo.jp/20081215232602
ブクマを見てるとどんだけ「いい人」と「バカ」の集まりかと感心する。
素直に稲葉氏を「いいひと」と(皮肉交じりではあれ)ほめるか、「おためごかし」「偽善」とそしるかのどっちかじゃん。
まず後者から行くと、仮に「おためごかし」「偽善」でも、これをきっかけに常野やNakanishiBが奮起して少しでもましになればその方がいいはずなのに、それを否定するってのはつまり、ここで稲葉をdisる連中は、常野やNakanishiBが今よりましになり、かつ稲葉の子分になるより、今のまま駄目なままで自分らの味方でいるほうがいい、ってことだろ。どんだけ常野たちのことをバカにしてんだよ。稲葉の良い影響は受けつつ、悪い影響はカットする、って可能性は考えないのかよ。
それから稲葉を素直にほめるやつ。これだって馬鹿だろうが。つまりこういう甘やかしこそが相手を一層スポイルして駄目にするんだろうが。なぜそれを誰もきちんと指摘しねーんだよ。これこそお前らお得意の「地獄への道は善意で舗装されている」ってやつだろうが。しょせんどっちにもいい顔したいだけなんちゃうかと小一(ry
http://anond.hatelabo.jp/20081213141956
これにも関連しているけれども。
常野さん、こんなことばっかりしてたら、英語圏であろうが日本語圏であろうが「一流」になんかなれっこないよ。こんなことしてる暇があったら、論文書いて投稿するとか、知り合いの編集者さんに原稿読んでもらって、企画きちんと立てて売り込んで、とにかくちゃんとやろうよ。ちゃんとやろうと思えばやれる人なんでしょうあなたは。今だって語学教師としてはそれなりの自負があるんでしょう。だったら研究者として、あるいはライターとして、まともな仕事をしようよ。
ネットジャンキーでブログがやめられないんだったら、こんな下らない煽りじゃなくて、それ自体活字にできてお金を出して読んでもらえるようなコンテンツをきちんとあげようよ。
http://d.hatena.ne.jp/shinichiroinaba/20081214/p1
稲葉先生は確かに御親切で、常野氏にこう説かれているのだろうとは思うけれども、それはあまりにも相手に対して残酷だと思います。常野氏はもう31、分別がある年齢です。自分の能力も見えてきた年頃の人間が、精一杯考えて、自分がもっとも目立てる手法を選んだのがあの自爆テロだったのですよ。31ですよ、いい大人じゃないですか。そんな人間が、
「ブログを通して出てるんです、入っていいでしょう」
とまで幼稚な詭弁を口にしたんですよ。傍から見たらどうみても「みっともなさ」の極致です。でもそれは、常野雄次郎という人間が、現実に持っている存在感、レトリック能力、それを最大限駆使して、自分でもっとも適切な言動だと思って選び取ったものですよ。しかし、確かにこれが彼にできる精一杯のところでしょう。
常野氏の新しいエントリーで、
最後にあずまんへ個人的なメッセージ。
「煽る」っていうのはこういうことだよ。
井口先生じゃいい人すぎるから。
http://d.hatena.ne.jp/toled/20081215/p1
こう書いている。姜尚中ですよ。東さんと今回の件でなんの関係があるのか。要は、常野氏は論壇の有名人なら誰でもいいのか。次は黒柳徹子でも呼ぶのか。みのもんたか。これを読めばよくわかるように、常野氏はもう言論人として真面目に名を成そうとかそういう努力は、投げちゃった人なんですよ。彼がいま考えているのは、「論壇」の「顔役」と絡みたい、それで目立ちたい、しかしそのために自分の言葉を磨く、そういう努力は一切しない、そんなことです。なんでこうなるのか。彼がもう自分の能力を見切ったからですよ。本人がそうである以上、他人がどうこう言っても詮無いことです。稲葉先生のエントリーのコメント論で書いていますが、
私信よりもこうしてブログに書いてくれる方が百万倍うれしい。アクセスが増えるから。ただ、これはあずまんにも再三お願いしたことなんだけど、リンク貼ってくれませんか。Nさんの件で経験したんだけど、稲葉さんに紹介されるとアクセスすごいんだよ。できれば、↓にお願い。
なんというアクセス乞食の成れの果て。でも、もう常野氏には手段を選ぶ余裕はないのです。31ではもう、過去の彼のように、不登校ネタを売りにすることは無理がある。そもそも不登校なんて珍しくなくなってきている。彼は彼の売名欲的上昇志向を(敢えてここでは成功妄想とは言わないですが)支える手段が、齢31にしてなくなってしまって、難しいポジションなのですよ。
いや、こういうことはもう、稲葉先生は百も承知でしょうね。その稲葉先生に対して常野氏は叫び続ける。
僕は本気で「一流」になりたいと思ってる。しかもその素質があるような気がする。ただ努力を怠っている。勉強をサボっている。何かやっても、とんちんかんな方向に行ってしまって、進歩しない。それについて悩んでいる。
僕は「一流」になりたい。ちやほやされたい。500年後の図書館に本を残したい。強い願望です。
赤の他人からこんなこと言われても困りますよね、誰だって。常野氏のこの発言を目にしたら、大人なら誰でも思うでしょう。
「努力を怠っている。勉強をサボっている。」自分でもそうわかっているような人間が、なんで「一流」になれると思うのか、素質があると信じられるのか?
夢見る中学生じゃないんですから。いや、こういうことを言うと真面目に勉学やスポーツや芸術に励んでいる中学生に失礼だ。たとえ素質があっても、なにかの分野で「一流」とみなされる存在になることは簡単なことではない。つい易きに流れるのが人間でしょう。でもそれを省みて、また頑張ってみるのも人間で、多くの人はそうやって一流とまでは行かずとも準一流、二流くらいにはなる。常野氏は31にしてその入り口にさえ立っていない。立つことはできない。彼は立たないことを売りにして生きてきたからです。
「登校拒否系」の常野氏は、言論人である東さんに対して、言論人志望者としてまともに対することをしなかった。東さんの発言を批判したいなら、普通に一人で大岡山に行って、「東さん、あなたの発言にわたしは異論があります、それについてはこのような形でまとめてきました、この場は東さんが責任を持たれている講義の場ですからここですぐ対応をされるのは難しいでしょうから、自分のブログでもこの意見を発表しようと思います、よろしければご覧になって下さい」と言わなかったのか?代わりに常野氏はどう言ったか。
あずまんと波長が合いそうなネット右翼の諸君もたくさん来たらさらに楽しくなると思うよ。
糾弾会みたいなのは今回はやめとこうね。
こう言ったのです。誰がどう見てもこれは威嚇であり、脅迫です。東さんがこんなことを書いているのが来ると知らされて、友好的に対応するはずがない。学生になにかあったらどうするか、考えるのが当然です。それを見越して常野氏はこう書いたのです。後から言い訳はなんとでも言えるが、「そんなつもりはなかった」と後から言うのは脅迫者の常套手段です。
なぜこう言ったか?結局は常野氏が避けたのですよ、まともな議論を促すのを。彼は自ら望んで、「下らない煽り」に終始したのです。
それはなぜか。常野氏はもう、まともな言論人志望者であることさえかなぐり捨てているのですよ。彼はとにかくアジテーターとして目立って、名を売って、「ちやほやされたい」だけなのです。つまり、かつての不登校児が自分の無様なプライドを慰撫したいだけなのですよ。
言論のプロを目指すことは、悪いことではないでしょう。それならば、質の高い議論をする、そのことで少しずつ自分の存在感を高めることが王道でしょう。それをしたならば、図書館に五年なり五十年なり、その議論は痕跡を残すでしょう。その道を目指さない常野氏は、もう、負けたんですよ。そしてそれをいうならば彼は、これまで勝とうとしたことがない人生ですよ。それで「とんちんかんな方向に行ってしまって、進歩しない」でいないはずがない。それでなにか成果が上がれば、それは奇跡です。稲葉先生くらいのキャリアをお持ちの方なら、そんなことはもう、見えている。でも稲葉先生はこう呼びかける。
常野さん、こんなことばっかりしてたら、英語圏であろうが日本語圏であろうが「一流」になんかなれっこないよ。こんなことしてる暇があったら、論文書いて投稿するとか、知り合いの編集者さんに原稿読んでもらって、企画きちんと立てて売り込んで、とにかくちゃんとやろうよ。ちゃんとやろうと思えばやれる人なんでしょうあなたは。今だって語学教師としてはそれなりの自負があるんでしょう。だったら研究者として、あるいはライターとして、まともな仕事をしようよ。
ネットジャンキーでブログがやめられないんだったら、こんな下らない煽りじゃなくて、それ自体活字にできてお金を出して読んでもらえるようなコンテンツをきちんとあげようよ。
常野氏を擁護する人は、いろんなことを言う。例えば東さんだって、柄谷さんの法政の講義に潜り込んで、それでデビューのきっかけをつかんだという。でも東さんは、ちゃんと潜り学生なりの作法を踏んで、威儀を整えて、ソルジェニーツィンについての原稿を見て下さいと持って行ったわけでしょう。そのときの東さんは、柄谷さんに「彼の原稿なら読んでみよう」と思わせるだけのアピールをしたんでしょう。これは卑屈とか取り入るとか言うことではない。真っ当な手順を踏むと言うことです。
かたや、常野氏はなにをやったか。
あずまんと波長が合いそうなネット右翼の諸君もたくさん来たらさらに楽しくなると思うよ。
糾弾会みたいなのは今回はやめとこうね。
「ブログを通して出てるんです、入っていいでしょう」
といじましい嘘をついたのです。そして自分は最初、この経緯を隠して、常野氏の取り巻きは東さんを「ださい」だのなんだの罵った。「はてサ紅衛兵」は今回は東さんをリンチすることには失敗したようですが、その代わりにこういうかばい合いは発達しているのですね。でも、こういうデビューをする「言論人」なんてありえないでしょう。
あずまん、そうとう男を下げちゃったな。今回。
そこで僕から超ウルトラスーパーCの挽回策を提案します。
僕をゼロアカ優勝者にしてください。
知らない人のために言うと、講談社から10,000部の本が出せるというコンテストです。
そしたら、みんな思うと思う。あずまん、大人だなって。器として。これだけのいきさつがあった上でそうしたら。思わん?
常野氏のはなしは、なんでもやっぱりここに戻ってくる。目立ちたいよう、お金が欲しいよう、みんな僕のことをかまってよう(涙)。僕の話を聞いてくれよう、だからみんなで押しかけるよ。
どこまで虫がいいんだろう(呆)。教室を騒がせてここまで迷惑をかけた相手に、なお自分の売名への協力を呼びかける。もともとこれが言いたくって、東さんに絡んだんだろう。でもこれは、常野氏がもう他人が見えなくなっている、他者の心情を忖度できなくなっていることを実証しているだけですね。「これだけのいきさつがあった上で」「大人だなって」思わせるとかいうのは、正々堂々論陣を張って批判された場合であって、なんで「プンスカ、プンスカ、ピュー!」とか東さんをいかにも戯画化して書いていたアジテーターがその当の相手にまともな対応を期待できるのか、わからない。まして、SF大会なんかから何年も東さんに粘着しているストーカーまで同行して、これは嫌がらせ以外の何者でもない。まして常野氏はなおもこうも書いている。
糾弾っていうのは、たんに相手を傷つけるためにやるものではない。そうではなくて、相手に自分が間違っているということを自覚させることが重要とされる。だからそれは愛情と憎悪が複雑に絡み合った興奮から始まる。
けど、僕は歴史修正主義者に対して1%の希望も持っていない。必要なのは、対話でも説得でも論争でも、まして糾弾ではなく、暴力だ。
これはまたはっきりとした脅迫だなあ。「自分が間違っていると言うことを自覚させる」ために必要なのは「暴力だ」そうですが。常野氏にはもう、良心なんか残っていると期待はできないね。
稲葉先生はd:id:NakanishiB氏にも「まとまった原稿を書いて持ち込む」ことを勧めるけれども、自分が書きたいように書ける自費出版の同人誌に書いてなおパッとしない人に、いまさら広い土俵に連れ出してもなにもできないでしょう。かつてNakanishiB氏は小田島隆さんにもその悪文をたしなめられていましたが、残念なことだけれども、文章を書く力があまりにも独特な発達を遂げた人は、もう、まともな文章は書けない。
id:gerlingがこれもコメント欄に書いていたけれど、
> それ自体活字にできてお金を出して読んでもらえるようなコンテンツ
そんなものできないから東とかはあんな惨めな真似をしてるんですよ。
これは東さんではなく、常野氏やNakanishiB氏への当てつけに読めてしまう。人が悪いなあ。東氏の本はお金を出す人に読んでもらえているでしょう。それへの真っ当な批判なら、またそれにもお金を出す人がいるでしょうが、
「ブログを通して出てるんです、入っていいでしょう」
こういう人には誰もお金を出さない。常野氏は、この先、どうのたうち回って「一流」の夢を断念するまで足掻くのでしょうかね。それまで、いろんな人に迷惑をかけそうですが。
常野のルサンチマンは果てしないな...。本を書きたいとかお金が欲しいとか、真っ当に自分の思索を深めていたら声がかからないこともないだろうに。
以前の不登校の本、あれだって自分の著書だと思えばいいじゃないか。最初は「不登校芸人」でもよかろう。
最近、稲葉先生にも「論文英訳してやるから百万払え」とか絡んでいたが、プロならもっと形式を整えるもんだ。それが出来ないのは所詮アマチュアだが、アマチュアなら分を弁えろ。
http://d.hatena.ne.jp/shinichiroinaba/20081120
ここのコメント欄な。今回とあまり構図が変わらんじゃないか。
東さんの批判をしたいならすればいいし、講義に潜りたいなら潜ればいいだろう。ただし真っ当なかたちでだ。なんで徒党を組んで荒そうとするんだ。少人数になったのはただの結果論じゃないか。「ネット右翼も来い」とか言われたら、騒動になる可能性に備えないわけにはいかないだろう。向こうは報酬もらって講師をしてるんだぞ。
そもそも常野が「来いと言っている」「ツンデレだ」と言っている東さんのエントリーだって、騒ぎを起こしたい側に都合のいい読み方をしすぎじゃないのか。
まあ、常野君は一人で潜って質問するのが怖かったのはわかるが、それなら自分の力量を磨けよ。議論じゃなくって売名がしたいのも想像がつくが、それなら騒ぎを起こさずに自分の議論を深めていくほうが近道だろう。
まあ、その力量があればだがね...。自分でもないことがわかってきたんだろう?それで三十路も半ばになれば、焦るよな。目立ちたいよなあ。金も欲しいよな。でもそれを臆面もなく騒ぐのは、見苦しいんだよ。
2008-11-18 18:47:01
??→元武蔵野市長土屋正忠衆院議員は「ここまで来たら、実力行使してでも止めれないのか」。そこに、予定が入っていて出席できないと、なっていた同会幹事の西田昌司参院議員が京都から駆けつけてきた。続けて、新潟から同幹事の稲葉大和衆院議員も会議室に飛び込んできた。稲葉「息子からネット情報を教えられ、確かめてとんでもないことになっていた。こんな改正案を通したら絶対だめだ」西田「衆院を通されたら参院で修正協議などできる訳がない」木挽司衆院議員「問題がありすぎる、こんな手続きがおかしい法案を通したら国会議員として恥ずかしい、馬渡議員と明日の本会議採決は退出しようと話し合った」と述べていた。開会の挨拶で「永田町に国会議員がほとんど居ない時に、国の根幹に関わる重要法案を通すなど、とんでもないことだ」と、激怒していた平沼赳夫衆院議員が「ちゃんと手続き通っているのか」に対して、赤池衆院議員は「自民党法務部会を通ったのが10月17日です」平沼「政調、総務会も通っているのか」赤池「通ってます」平沼「法務委員会の理事は誰がやっているんだ」赤池「筆頭理事は塩崎恭久議員、副理事は棚橋泰文議員…」などと説明すると、「それで終わってるじゃないか」??→へ続く。ネットだけ転載フリー
なんだかんだといってB'zの稲葉はすごいと思った。
少なくとも、Romanceは今年の3月の時点で、実践的活動をしてることは公言して
いやー、1時間足らずで反論が出てくるとは、どなた様でしょうねえ?w
本を読んでちょっとばっかし現場に首つっこんでフィールドワークした気になってた奴は昔からいるんだけど、その手の手合いが誰のためにもならないことが多いという批判は聞いたことがないんだろうねえ。でなきゃ、そんなにナイーブに「実践的活動をしてる!」なんて免罪符のごとく言えるわけがない。
またネトウヨ君がアカウントも明かさずに増田で卑劣な中傷を繰り返そうというのかな?d:id:Sokalianみたいなみっともない真似はするなよ。
お前らネトウヨたちがやったことは、まさにデマを流して「全体最適はナチ」などこちらが言ったようなこともないようなことを言ったように悪宣伝をくり広方ことだ。
よっぽどSokalianが嫌いなんだな?かわいそうに、そんなに痛いところを突かれたんだねw
今回、専門用語の意味を確かめもせずにあやふやな印象だけでイナゴ化してたのは君らなのに、批判する側を「ネトウヨ」なんてよくもまあ言えたもんだね。だいたい、稲葉先生とかそのあたりの専門家がトリアージ批判派を一刀両断してる時点でどちらがトンデモかというのは明らかなんだが。Sokalianがネトウヨなのではなく、君らが「ネトサヨ」なのだよ、いい加減に「デマを流して」「悪宣伝」をするのはやめなさいってw
嫌いな奴に人権があることは嫌いですかwどう見てもスターリニストです、本当にありがとうございました。
結論:お前ら、最悪。
結論にも何にもなってないことを持ち出して「結論:○○は最悪」とか書く人は1名しかいないよねえ?ww
03-3266-5744
info@moyai.net
またも悲劇が繰返された。7月11日各紙が報道したように、北九州市小倉北区で死後1ヶ月と見られる遺体が発見された。亡くなった52歳男性は、昨年末から生活保護を受けていたが、4月に生活保護の辞退届を提出、「受給廃止」となっていたという(7月12日朝日新聞)。
本件に関して、私たちは、
(1)男性の辞退届け提出が、本当に男性の真意にもとづくものだったのか(事実上福祉事務所職員に強要されたものではないのか)、
(2)真意にもとづくものだったとして、男性のその後の生活の見通し(経済的に自立して生活していける見通し)について、福祉事務所は十分な調査(報道されているタクシー会社に就職できる確実な見通しがあったか、それによって生活保護基準を上回る収入を得られる確実な見通し)を行ったのか、
(3)経済的に自立の見通しが高かったとして、なぜ実際に就労して保護基準を上回る収入を得た後に廃止する、という生活保護法が予定している通常の手続きを取らなかったのか、
(4)辞退届けを提出する義務も必要もないことについて、男性に十分な説明が行われたのか、
(5)説明が行われたのだとしたら、どうして報道されているように男性の日記に不満(「働けないのに働けといわれた」)と記されているのか、
等々について、数々の疑問をもっている。北九州市は、昨年5月に発覚した餓死事件同様「対応に問題はなかった」と話しているが、本当に自信をもってそう言えるのであれば、北九州市は自ら積極的に生活保護ケース記録を開示するなどして、説明責任を果たすべきと考える。
私たちが、東京を中心に活動しながら、北九州市の件で今回のような緊急声明を発表することには理由がある。それは、北九州市以外でも同様の事態(経済的自立の見通しがないにもかかわらず、保護辞退を強要する、不適切な指導指示にもとづいて保護を廃止する)が頻発していると考えるからである。以下、私たちが受けた相談の一端を紹介する。
(1)先月、相談に訪れた50代男性は、都内の福祉事務所から「平成19年5月10日までに就労を開始すること」というきわめて不適切な「保護指示通知書」を渡され、6月22日付で「法第27条指示違反による廃止」という違法な「廃止の理由」で生活保護を職権廃止されるに至っている。職権廃止取消を求める不服審査請求はもちろん、精神的苦痛を与えられたことによる国家賠償請求も提起しうる事案だったが、本人がどうしても「あそこ(の区役所)にはもう行きたくない」と言って、権利回復は果たせなかった。
(2)昨年相談に訪れた50代夫婦は、その一年半前に強圧的な就労指導によって精神的に追い詰められ、経済的自立の見通しがまったく立たないにもかかわらず、生活保護を辞退した。私たちの元に相談に来るまでの一年半、妻が難病をもつ夫を支えながら月収7万のパート労働で暮らしてきた。私たちは、再度の生活保護申請を勧めたが、妻が「もうあんな思いは二度としたくない」と言って、ついに生活保護申請には至らなかった。
このように、「自立」の美名の下、実際には生活していく見通しが立たないまま、生活保護から半強制的に追い出されている人たちが全国に多数存在している、と私たちは推測している。その人たちは、心にトラウマが残るまで圧力をかけられ、権利回復を求める意欲も残らないところまで追い詰められ、そして放り出されている。福祉事務所は、本人たちから声を上げる力を奪っておきながら、「声が出ていない以上、対応に問題はない」と涼しい顔をしている。その声を上げられない力の剥奪の究極形態が「死」に他ならない。力を付ける(「自立の助長」生活保護法1条)はずの福祉事務所が、受給者から力を奪うという悲惨な逆転現象が起こっている。
事は北九州市のみに留まらない。その事態の深刻さに鑑み、以下主張する。
1)北九州市は、今回の餓死事件の厳密な検証をただちに行うべきである。生活保護を廃止した行為は、「辞退届けが提出されたから」などという薄弱な理由では正当化されない。
2)全国の福祉事務所は、不適切な指示書の乱発、辞退届けの強要、違法な職権廃止をただちにやめるべきである。もうこれ以上、福祉事務所被害者を出してはいけない。
3)政府は、経済的自立偏重の「自立支援」を根本的に見直すべきである。現行「自立支援」「再チャレンジ」は、多くの場合、弱者いじめにすぎない。人々に負担を求めるばかりでなく、人々の生活を保障する国の責任を果たすべきである。
http://www.moyai.net/modules/weblog/details.php?blog_id=165
取り上げている題材、着眼点が面白い本なのは確かなのだけれど、第二部においてメタフィクション論を展開するにあたって、既存の批評理論をほとんど参照していないのが気になってしょうがない。『ファウスト』に掲載された上遠野浩平論で佐藤俊樹がドイツ・ロマン主義文学を東の議論に接続していたはずだし、東のひとつのホームグラウンドであるSFにおいても、平行世界論や可能世界論については繊細な議論が行われてきたのではなかったのか。新しい概念を創造するのが哲学者の仕事なのだ、と東はどこかで発言していたように思うが、既存の理論との格闘がないままにいきなり概念が提出されるのは、どうにも知的緊張感を欠いているように感じられてしまう(その意味で、第一部の大塚、新城、稲葉らの緒論との接合までは面白いのだけれど)。また東の昔の発言を参照するが、東は「アカデミズム/ジャーナリズム」という対比を日本の論壇を分析する際に言説に持ち込んでいて、その中間で仕事をすることが大切だ、と以前どこかで述べていた。その対比をそのまま用いるとするなら、ちょっと今の東は「ジャーナリズム」に近寄りすぎてはいないか。在野の一ファンとしてはちょっと残念だ。とはいえ、我ながら無責任な期待だと思うので、こうして匿名ダイアリーに書いておく。お目汚し失礼。