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はてなキーワード: 混沌とは

2009-10-23

俺も結婚式する

這い寄る混沌ニャルラトホテプに永遠の愛を誓うよ!

2009-10-17

http://anond.hatelabo.jp/20091017030212

率直なお返事をありがとう。

共感はしませんが、理解はできます。

純愛派であるが故、なんですね。

私は前にも書いたように未婚なのですが、結婚生活は妥協と打算と愛情がない交ぜになった混沌とした代物だということくらいはいろいろ見聞きもし、「人生そんなもんだ」と納得もする程度には古狸ですので、そういう純粋さはちょっと羨ましいような気もします。

2009-10-15

Javaが好きになれない10の理由

  1. メモリ管理がほぼVM任せ
  2. デストラクタが無い
  3. テンプレートが無い
  4. プリミティブ型とか参照型とか混乱の元
  5. friendが無い
    • friendが無いと最高位の蜜結合単位が無くなってしまう
    • 机上の単位PGでの表現単位は必ずしも1-1対応である必要は無いはず
  6. mainもclass内部
  7. キャスト構文がわかりづらい
    • Cも同じく
    • でも、C++のはちと面倒……もっと略せなかったのだろうか
  8. ファイル名とclass名、パッケージ階層ディレクトリ階層の関係マジウザイ
  9. 拡張for文は素直にforeachで良かったと思う
    • C++も同じく
  10. 何より、素直にアップデートするとJRE増殖するのが酷すぎる

2009-09-28

http://anond.hatelabo.jp/20090927054828

元増田です。

トラバありがとうです。

>女の性的劣等感

自分のものだと思っていたんじゃないか

>執着心

どれも当てはまるような気がします。

けど、やっぱり改めて考えてみても、なんていうか、

もっともっと混沌としていて「もやもやしている」というのが一番しっくりくるんです。

別れたことは残念だったけど、何の後悔も未練もなかったので、

いきなりこんな感情が芽生えたことにすごく驚きました。

まだまだこの微妙な感じから抜け出せそうにありません。

2009-09-19

たまたま今週のドラえもんを見ていたら

のび太超能力を使えるミュータント赤ちゃんを作ってしまい、

国連軍を出動させた前例のある凶暴な赤ん坊ドラえもん達が慌てふためくという内容だった。

恐怖で支配された混沌とした世界が展開されるのか楽しみに見ていたら、

興味本位図書館の本を全て読んだミュータント常識を身につけて宇宙へ旅立っていく、というオチだった。

「きちんと教養が身についた人間は弱い者虐めをしない」というメッセージ子供達に残して物語は終わっていたけれど、

途中で改心していたミュータントドラえもん達が気付かずに消滅させてしまう、というようなトラウマの残る内容でも良かったんじゃないかと思った。

2009-09-13

http://anond.hatelabo.jp/20090913092441

犯罪者予備軍と認定したあとも友達を続けちゃいけないのか?

・「犯罪者予備軍と認定」するというのがどういうことか理解していない

・「私」がなぜ怒ったのか理解していない

ロリショタに関わったものは穢れていて犯罪者予備軍

もうちょっと発言を読み取る努力をする必要があるんじゃないか。

Aは「私」の人格社会的に否定してるわけで、それはもはや友達とも仲間とも言えないと「私」は思ったから怒ったんだろ。

穢れ云々も、穢らわしいというのはあなたの感情だろう。元発言からして「個人的な感情」と断ってるし。

本当に完全に区別できてるかは本人にもわからないんじゃないかな。

何を引用してきたのか知らないが、論理が支離滅裂。

感情や欲求が混沌としているのは当たり前。

代償行動で感情や欲求を発散するのは精神衛生自然なことだし、リアルフィクションを区別している証左だよ。

そこを指して「ほら区別できていないじゃないか」というのは、ゲーセンガンシューティングやって爽快感があるならおまえには殺人願望があるんだ、というくらい乱暴であり得ない話。

それに「私」の発言からは、「私」にとってリアル子供妄想ロリショタはまったくの別種の生き物で、両者を同じようにリビドーの対象とすることはそもそもできないんだと思える。これはたぶん大多数の二次オタも同様なんじゃないか。

同人仲間の突っ込みにさえ耐えられない人間小学校幼稚園でこれからどうして行くつもりなんだ?

どういう状況を想定しているのかわからん。

「君は昔こういう同人誌を描いていたそうだね、子供が心配だから辞めてもらう」とかか。

そりゃ、職場の人が君のように「こんな本を描くんだからこいつは犯罪者に違いない」と思うかどうかによるんじゃないの?

最終的にはその人が人格的にどう評価されているかだろうね。

2009-09-03

それでも、自民党が嫌だったんだよ!

選挙を突き動かしているのが幼稚な感情でしかないこと、何よりそれが大問題だと思うのだけど。

そしてそれと同じくらい、そういう曖昧なものに国政が振り回される仕組みをまず改めないといけない。

テレビだって散々問題だって言ってたじゃん!』

というのが今回の無党派層の挙動の結果、というのはいくつかの報告に上がっていますが……。

みんな今起こっている政治の混乱も覚悟の上で投票したんですよね?

自民党ネガティブキャンペーンしか出来なかったのは、まあ地盤脆弱なおっさんしか居なかった

せいもあるんですが、負けを前提として有権者に覚悟を問うことしか出来なかったからですよ。

選挙民意だからそれに従うのが当然、というけど、多分間違ってる。

そもそも『民意』なんてものは自然と一つにまとまるはずがない。選挙結果民意を一つに見せてるのは、

単純に『多数決』という数の暴力で対抗意見を持つ存在をふるい落としているだけにすぎない。

本来ならば、ほどよい混沌さの中で、様々な意見を『討論』で戦わせながらブラッシュアップしていくべきなのだ。

でも、なんだか日本にはそういうことをする余裕もなくなってしまった。

スピード感』が大事、とかなんとか言ってな。

そんなの議論が下手なだけじゃないか。リーダー意志決定方法が下手なだけじゃないか。

討論や意思統一を前提とした話し合いに、リーダー以外の人間が慣れてないだけじゃないか。

本当に平等だからこそ、衝突しないといけない局面はどんどん増えてくるのに、

実際はうまいこと相手を既得権益者認定、無能認定、仮想敵認定して黙らせる、

それが今の日本意志決定手法なのだとしたら、それこそ病んでる。

2009-08-14

http://anond.hatelabo.jp/20090814102521

良心現実性のオレは

「まず増田の不満や傷ついてることを自分言葉マジレスで伝えてみろ」って思う

相手がそれをよくわかってなかったら話にならない

あんたは既に別れる腹まで決まってるようだから、尚更全部ぶちまけてみる方が

関係修復しなくても相手にとってもあんたにとってもよい経験になると思う

混沌と野次馬のオレは

「このダイアリートラックバックを見せる?ビッグアイデア!今晩結果もよろしく!」と言っている

まあ折衷案として

言葉でぶちまけて上手くいかず一通り破綻した後で

「じゃあ最後に…」ってプリントアウトした匿名ダイアリーを見せるのがいいと思う

いずれにせよ報告はよろしく

あんたには良い所がいくつもある

あんたにとっての問題点と欲求が明確でブレがないこと

そして「それが満たされないなら別れよう」と、意思決定も明確で潔いこと

俺はあんたみたいな人好きだぜ

だから、あんたみたいな人がセックスについて女と意見をぶつけ合って殴り合って

どういう話になるのかとっても興味がある 

貴重な機会なんだから是非全開で殴り合うといいとおもう

そして報告してくれ

2009-07-31

愚者の戯言/無が存在するということ

存在する私が無を考察すること。有限である私が無限を思索すること。

認識主体である私が観測対象である無を模索する実験

1が0に近づこうとする。

意味在ることが無意味になること。始まりこそが終わりでもあること。

生きるということが死ぬことを表象化している表裏性。

混沌の一存在こそが私であり、全存在は無である。

振動と波形と線と膜。意思はどこに存在しているのか。

共通意思が存在する/していること。繋がる無意識。個別の人格が滲む場所。

時間自我≫という仮説。

時計の針が意味を成さないこと。

今日と昨日と明日の境界。過去現在未来を繋ぐもの。

刹那の切り貼り。時間の最小単位について。

空間を作り出す要因/[存在と時間]二つの因子。

どこまでも主体的な観測概念でしかない空間という虚像。

言葉は何をなすべきなのか。

実行可能な稼動範囲。影響を及ぼすことが可能な限界について。

全と善、真と美、善きものだけが理となり得るのか。

マクロミクロ統合

極限まで最小化されたミクロ探究マクロ本質に変容できるのか。

究極の目的/0=1を実現すること。全ての瓦解。混沌への帰依

2009-07-29

http://anond.hatelabo.jp/20090729002104

すごく……頭が回転してくれません……

自分を主体とした時に、「何に意味を見出すか?」という視点で考えると

意識を閉じた状態においては、世界意味付けするのは自分の視点しかないわけです。

意識を開いた状態では、「他人の意識による意味付け」を考慮する必要が出てくるので

自分視点ではこう見えるけど、他の人は違う捉え方をしているかも」という発想が生まれる。

使い古された言い方をすると「思いやり」

 

自分視点にこだわり過ぎてるかな?

つまりは、「意識を開いた状態」っていうのは、共同体としての自己ということなのかな。社会性を有しているみたいだからそう思ったんだけれど。

とりわけ自分視点に拘りすぎていることもないと思う。

増田さんから突込みがあったが、「内包」の言葉使いには私も違和感を感じた。

たぶん、窓の概念で大体イメージはあってると思うのだが。

大きな世界のうち、見える範囲だけを小さな世界のものとして受け入れ/認識するということかな?

「見える範囲だけ」とすると違うような気がするけれど、窓から見た世界を小さな世界のものとして受け入れ/認識するというような理解であってる。

内包=概念化と言い換えられるなら、分類=言語化って言い換えても良いのかな?

総体というのは、意識による範疇化をせずに、小さな世界=大きな世界となるとなるようにそのまま受け入れる感じ?

「分類=言語化」正しくその通り。言葉や記号、それを用いて行う学問は、総じて世界を切り取っていると思うのです。

総体についてもそんな感じ。キーワードは「そのまま・ありのまま」なんだよね。

境界のない世界観というのは、己の存在すら認識できない(自分世界の境界が不明)と思うので、

「これ」を認識しているのは何者か?というパラドックスに囚われてとても怖い思いをすると思うのだけど。

自分が溶ける感覚は多分恐怖ですw

ねー。パラドックスは生じてしまうでしょう。ただ、それすらも受け入れて混沌に覆いつくされたカオスになることができると思うのよね。

そこでは私は消えてしまって、混濁した奔流だけに呑み込まれてしまうような気がする。もう戻れなくなるかもしれないねw

溶ける感覚は確かに恐怖だろうと思う。なんたって、私を形作っている枠を取り外して、世界を馴染ませていくことなんだもの。

でも、そこを抜けたらもう何も残らないよ。私がなかったことになるんだものさ、恐怖すら消滅する。

私という小さな世界を溶かして、大きいも小さいもない≪世界≫と混ざり合うことは死と似ているかもしれない。

2009-07-27

愚者の戯言

愛と憎しみ。相反するが故に極地に達すると境界が曖昧になるものについて。

図で表そうとすると球体になる全ての対象北極南極地球磁場。循環と呼ばれているありとあらゆる万物の廻り合わせ。

熱いと感じることと冷たいと感じることについて。痛みにしかならない刺激という因子。感覚限界認識世界

気持ちのいいことと気持ちの悪いこと。最終的に精神を冒し始める様々な快について。

誰かを好きになるということ。人物に対して衝動が生じること。内から込み上げる衝動嫌悪することについて。

幸福と不幸について。失うことと足りないことへの嘆き。比較することの叶わない苦悩。

憧れと嫉妬について。持ち得ないものへの憧憬と仇意。比較するが故に訪れる逃れようのない煩悶の繰り返し。

誰かを構うことへの優越感。煽られた憤りと呼応して暴走し始める怒りについて。

標榜される正義対象化された悪について。社会という名の蠢き。経済という名の浸水。匿名における良心について。

諭すことと貶すこと。無自覚な悪意と意図的な善意。顧みることと予見に心を乱すこと。

破壊創造について。

男と女。性と生と存在の消滅。死について。

至極至極くだらない、ここにいる[あなた/わたし]について。

根源を辿ること。始まりに思いを馳せること。終焉を穏やかに看取ること。

お前はいま何が[できる/したい]のか。

選択と分岐。戻れない通路。閉ざされた門扉。

平穏を望むか混沌に立ち向かうのか。

ここには最早道はない。

2009-07-25

http://anond.hatelabo.jp/20090725035221

gokiburiが何か知らないけど、情報弱者というのは最適解が自明に近いものが存在しているのに、どうして意味不明な遠回りをするの?さっさと高速道路に乗って、その先にある混沌とした世界にいち早くたどり着こうとしないの?バカなの?、ということだと思っていたけど違うのかな。

2009-07-14

TwitterでラクにFollower1000人越える方法☆彡

 多けりゃいいってもんでもないんだけど、Follow数とか被Favを異常に気にする新世Twitterユーザーのために。

 まぁ、あるひとりのアルファユーザーとして書いておく。誰も見ないだろうけど。

 難しく言うとTwitterは独り言を垂れ流しつつも、だけどホントは誰かに承認されたり仲良くなったりしたい、出来ればうっかり付き合っちゃったり結婚したり人がたくさん死ぬとかいうドM日本人心にマッチしている素晴らしいサービスなので、だからそういう使い方を積極的にしたら良いだけ。

 つまり簡単に言うと、とにかく思わせぶりに動けば良いということなんです。R&Bされない程度に、ね。

 

 具体的な手順は次の通り

最初のFollowは適当に、けれどゆっくりやろう。[Follow数目安:10~50]

 キーワードついったー○○部というのがたくさん作られているのでそこから興味の合いそうな人を数人ずつFollowしていこう。

  • なるべく被Follow≒Follow数にしておいた方がFollow返しされる確率は高い。

 発言は数十Postなのに、Follow差500とかあると逆に気持ち悪い。


Follow関係を育てよう。[Follow数目安:50~100]

 もしそれがいつも自分のTimeLineとは違う話題になっていたら、それは君の初期Followデッキが失敗、とまでは言わないけど、ちょっと向いている世界が違うのかもね。

  • とりあえず、深夜の時間帯には『くぎゅう』とPostしている人がいたら同調しよう。

 テレビに出られる魔法呪文だよ。

  • 話題は多い方が良い。

 よく意味が分からなくても『ああ、○○ね。分かります』とかwakatterPostしておこう。

  • いつも『はらへ/ねむい/めしくった/ねる』じゃ飽きられちゃうよ。

 たとえ無関係のFollowerだけだとしても壁に向かって話しかけるように話題を提供し続けよう。

 これをやるとまるで話題が豊富な、友達が各方面にたくさんいる人みたいに誤解される。@(リプライ)なしの独り言で頑張ろう。

  • いきなり@リプライするのはちょっと・・・。

 それだったら、とにかく他人のPostにFavをつけよう。

  • ふぁぼったーで執拗に新着をチェック。1Favを2Favに、2Favを3Favにする作業をしよう。

 特に片思いFollowな相手にこれは有効だよ。

 逆にそういう相手が居たらFollowして友達になろう。いつもFavしてくれる人、を増やすことがとても大事なんだ。


Follow関係がうまく育たない時のコツ。
  • @を利用したリプライは極力行わない。

 相手を愛称で呼ぶ。愛称とかわかんねーって時は適当平仮名読みでいい。

  • 挨拶は必ずしも必要ではない。

 ただし気になる相手が複数リプライ(.@xxxx,@yyyy,@zzzzz ただいまー)などしていたら、それらを全てFollowしていこう。効率よく関係を拡張出来る。

  • Remove,Block,Follow,ヲチスレを決して話題にするな。

 たとえどんな言い方をしてもネガティブな論調に受け取られるし、相手に不安を与える。男は黙ってRemove&Block。

 ただし常に抽出タブを用意しておき、晒されているIDには承認申請を送っておこう。

 よろしく~とかは要らないし、実際にSkypeする必要も全くない。通過儀礼のようなもの。

 別にどうでもいいことに@リプライしてくる、執拗にRTでリプライ&コメントしてくる奴は適当スルーしよう。

 どうでもいいリプライにはどうでもいい返事しかしようがないので、自分自身がつまらないIDだと誤解される原因になる。

 誰もお前が選んだおもしろRTPostなんて見たくないし、本当におもしろければFavられている。

原文:一日中涼ちんのこと考えてた。もとい考えている。

作例:一日中めいぼうちんのこと考えてた。もとい考えている。


Follow関係が定着する頃には専用クライアント導入を。[Follow数目安:100~500]
  • 選別によるが、大体100人くらいから専用クライアントの必要性を感じるだろう。

 おすすめTween,P3,Twitなど海外開発者のものを含めたくさんある。

 けれども、日本語で要望や不具合報告などが通じる例示したクライアントから選ぶのが無難

 作者をFollowする必要は全くない。お礼はお米券を送付しよう。挙動がおかしかったら黙って最新版を探そう。

 ライトユーザークライアント導入時に戸惑うことがあるかも知れない。それもTwitterで聞いてしまおう、立派な話題だ。

 リプライタブだけでなく、自分愛称なども対象キーワードにしてタブを作っておくとはぴはぴはっぴー♪

  • もうTimeLineを追いきれないんだけど・・・。

 気にしなくていい。別に最初っからお前は居なくてもいいんだ。みんなそれぞれのTimeLineを見ている。偏執するようなものではない。

  • 前行が理解出来ない。いつも流れの真ん中に居ないとイヤだ!

 やーすば!!!

 あなたはアルファユーザーの素質おーありです!!!

 積極的に個人情報にも近いような自分モテぶり、仕事ぶり、財力、地位などをほのめかすPostを繰り返せばここから一気に人気者になれます。

 口先ひとつで人気者です。うそでもなんでもいいです。とにかく他人の気を引きましょう。

 さぁここから頑張ろう!! 中国だって頑張ってる!!!


Follow1000越えたらどうなるの? どんだけ遅刻したらそうなるの?[Follow数目安:人がたくさん死ぬ]
  • 1000くらいまでは誰でもこんなかんじでやっとけば適当に呟いているだけでFollowerが増えます。

 被Followバランス自分からFollowすることなしに、3:5、あるいは2:5くらいでも成立するでしょう。

 ふぁぼったー上位常連とかでなくてもこんくらいになります。コンテンツ力の足りない人でも安心だね。

  • 私は死ぬのが恐ろしいので立ち入りませんが、他のIDを観測するに、ここからはコンテンツ力が問題になる領域だと思います。

 面白いUstreamをはじめ、面白いOFF会/忘年会面白いリナカフェに顔を出したり出されたりしましょう。

  • 逆にFollow1000状態で何も面白いことをやらないと空気になる。

 呟いてもひとり。寂しいですね。

 これまでチヤホヤしてくれた人たちはそそくさと新たなコンテンツへと興味を移します。アルファユーザー宿命というやつですね。





まとめ

 多けりゃいいってもんじゃないけど、情報発信したり、仕事の話したり、なんとなく会ってみたり、だべったり、ケンカしたり、アニメみたり、ゲームしたり、rblgしたり、人を殺したりする同時多発性の混沌さがTwitterの魅力ではないでしょうか。

 でもこれ、ボクはとにかくみんなに承認されたいんだ! という人には向いてないと思う。

 最初は良くともこうしてFollowを繰り返していく内に自身が希薄になっていくのを感じるから。

 本人に余程のコンテンツ力がなければ自我を保てないのではないでしょうか。

 逆に大したコンテンツ力がないのに頑張っちゃっている新世Twitterユーザーの方々は常にストレスフルな状態でTwitterしていることになるのだと思ったのです。

 それがこの記事を起こした切っ掛けでした。

 承認欲求を満たしたいのなら、Mixiに戻った方が良いです。あすこの方がよっぽど安全です。パターンオレンジですし。

 最近どうやら日本の世間的にもTwitter流行りはじめているようで、これからこういう愚かなる若者が、つまり人がたくさん死ぬと思います。

 世界の終わりです。世界の終末です。

 人が承認欲求にかかるストレスで死ぬんです。恐ろしいことです。Twitterの即時性が承認中毒を誘発するんです。

 そもそも人間、無理に仲良くしようなんてしなくていいし、無理におしっこ幼女とか、サーバーを落としてまで真っ赤にしなくていいんです。

 僕は幼女おしっこは少し黄色がかった透明なのが好きです。すみません。少し古いネタを掘り返すのはこの辺でやめておきます。

 でも、きっと日本国民の8割はエヴァ破を上映開始日に2回以上見たし、エヴァネタバレ禁止とか高次元メタネタですよ。アスカどうして死ななかったんだろ。つまらないことになってしまった。

 僕のTimeLineではそうなってる。そういう風に作ったんだ。居心地の良いように。だから正しいんだ。

 とかなんとか、そういう感じになるから非コンテンツには全然ラクじゃない。

追記

id:hyaknihyak さん

石臼欲しくなったので住所Dしました。よろしくお願いします。

http://twitter.com/lunaryue

2009-06-23

[]加藤元浩講談社漫画賞受賞コメント

http://d.hatena.ne.jp/doraman/20090608/p3

漫画評論家や研究者達が「お約束」探しに熱中する以前のまだ混沌とした時期、短編作品が世に沢山あり、自分はそれらを楽しんでいました。

読み切りを描き続けた今、その頃あった「古い魔法」が少しずつ見えてきた気がします。

ソレは本当に面白いものなので、読者の皆さんに伝えるために頑張りたいと思います。

2009-06-15

http://anond.hatelabo.jp/20090614232017

これから先はインフラとしての地味なイノベーションしかないんじゃない?

でも、イノベーションイノベーションだと思う。

これから先は規模と安定性と経済性かな。

基幹の帯域はいくら大きくなっても足りない足りないと言われて、P2P動画タダ乗り論とか、金をかければ太く出きるけど、誰がそのコストを払うの?と言われる。

IXも同じようなもので、加えて、どこかのIXだったりIXにつながってる業者だったりがしくじると、それがかなり広範囲な世界へ波及してしまう。ケーブル1本切れたらIXがパンクして、とかありえなくない。

ルーティングテーブルの問題もなかなか大変な様で、肥大化複雑化する一方らしいし、NTTパンクさせた事あるし、どこだったかの業者は変な情報流して世界中がパニクったし。

しかし、インフラとしての重要性はますます大きくなっていて、でも、どうでも良い部分も大きくなっていて、コストをかけても守るべき部分と、コストをかけるほどではない部分が相乗りしてて、IP電話とかIPv6移行とか携帯とか、インフラ相乗りしててもニーズは相容れてない感じ?

よく分からないこの混沌が、しかしIP的な気もする。

2009-06-12

普段あまり怒らないひろゆきはまちちゃんが今回怒っているのは

彼らが「混沌」も含めてweb全体を愛しているから。

整理されていない、雑然とした、善も悪もすべてを許容して今も活気あふれている、このWorld Wide Webが好きだから。

2009-06-02

パキスタン政策をまた間違えたオバマ外交の無惨

スワト渓谷のタリバン壊滅作戦は政治基盤を弱め、原理主義を根付かせる

米国としては「こんな筈じゃなかった」と悔やむことしきりだろう。

パキスタンが無政府状態の混沌にある。ますます反米感情が激化している。核兵器の安全管理はむしろ危うくなった。ムシャラフ軍事独裁時代のほうが、核兵器管理されており、国内にこれほどのテロリズムの嵐が吹き荒れることもなかった。

それを米国ムシャラフ大統領に退陣を迫り、見放した。

中国パキスタンでも米国に非協力的な理由

中国パキスタンと半世紀にわたる「軍事同盟」を結んできた理由は地政学的に判断すれば、きわめて単純である。

インドとの間における絶対的な緩衝地帯であり、パキスタンインドを敵視しており、軍事同盟の条件は揃っていた。中国と合弁の武器工場パキスタン各地にあるが、戦車から戦闘機機関銃まで量産している。

主として中国が援助したのだ。

中国テコ入れは、両国にとっての共通の敵=インドパキスタンが横腹から牽制し、もしインドが強ければ、代理に核兵器をぶっ放して呉れると結構とばかり、パキスタン核兵器技術も提供した。

美貌の女政治家、ブッドが首相をつとめていた時代のこと、核兵器開発を軍情報部が秘密に展開していた過程は首相にも知らされていなかった(ブッドが亡命先のロンドンで『TIME』とのインタビューで語ったことがある)。

まして現在のブッドの夫=ザルダリ大統領にも知らされていない。陸軍参謀長はカヤニだが、その実力は大変なものがあり、またシャリフ前首相とも天敵の関係。隙あらば暗殺される可能性がつねにあり、パキスタン政治家は命がけである。

シャリフ元首相の再登場というシナリオも日々現実味を帯びてきている。

ならばパキスタン国民は悉くが「反米」「親中」かといえば、そういう単純で短絡的図解ではひどく誤解を招くだろう。

現地に行ってみるとよく分かるが、パキスタン人はかなりの程度、高潔である。そして狡猾・老獪である。昔も今も族長支配の封建政治パキスタンを支配している。イスラム原理主義の猛威は、この封建制度のうえにこそ成り立つ。

むろんパキスタン人のなかには武器密輸麻薬に手を出す者もいれば犯罪者も多い。紛争が長引き、教育が遅れているため人々は道徳的に荒んでいる。

原因は貧困である。

貧困がアルカィーダの戦闘員を育てる。サウジアラビアやイエーメン、スーダンでなぜ、滅びたはずのアルカィーダが容易に息を吹き返しているのか。

繰り返すが、原因は貧困である。

▲目を覆う貧困と無教養と過激思想

実際にパキスタンアフガニスタンでも、タリバンを支持する階層は三つにわかれ、!)指導層はイスラム原理主義だが、!)貧困による志願層(世直しを信じて志願兵になるから自爆テロはやりやすい)があり、そして!)タリバン麻薬資金で得たカネで雇う傭兵である。

教育イスラム教が牛耳っている。神学校は12500ケ所。タリバンは「神学生」の意味である。

実際にグアンタナモ基地アフガンで捕獲した戦闘員をキューバ米軍基地へ連行)で尋問したアルカィーダ戦闘員容疑者のうちウィグル系の五人は、そのごアルバニア亡命を許されたが、まず傭兵といってよく、「良い働き口がある」と騙されて新彊ウィグル自治区からアフガンへ潜入したばかりだった。

パキスタン同盟関係武器援助最大のスポンサーでもある中国には、情け容赦なくウィグル容疑者を引き渡したが、04年に引き渡した容疑者中国ですぐさま処刑された。国際批判をもろともせず、パキスタンは09年にも七人を中国へ引き渡した(ワシントンタイムズ、4月24日付け)。

米国は普段の態度、原則と異なり、このことでパキスタンを咎めなかった。じつにいい加減である。

さてタリバンが猖獗する地域パキスタンアフガニスタンとの国境ばかりではない。

パキスタン政府の統治が及んでいない地区が多いが、西北部のスワト地区がとくにそうだった。同地区の38%が政府支配、残りの24%が武装勢力の支配下にある、とBBCが伝えた(09年5月14日)。

 この地域インドとの戦争のときにインドから逃れてきた難民が住み着いてきた。

ワジリスタン地区の南北も同様、人口密集のパンジャブ州(8200万人はパンジャブ州に暮らす)とて47%の住民は政府の遣り方に反対だという。

主流の部族はパシュトーン族、言語ウルドゥ語。ほかにインド系、タジク系、イラン系、ウズベク系など雑多な民族が混在、人口は一億七千万人!

米国パキスタンを扱いにくいのはよくわかる。

そもそもパキスタン政府が国全体をおさめきれないのだ。部族中心主義のイスラム国家に於いてはアフガニスタン同様に西側民主主義なんていうのは、システムも発想も馬鹿の典型、部族長が決める政治である。

だからパキスタン軍はスワト地区に手を出さなかった。ザルダリ大統領は同地区に厳格なイスラム法の適用を認めるほどに妥協してきた。

まして軍情報部はタリバンシンパが山のように潜入しているため、軍事機密情報漏れる。攪乱情報や偽情報に振り回されるとパキスタン政府軍がタリバンに負ける恐れもある。

オバマ政権拙速外交パキスタンへ誤ったシグナルを送った

パキスタン政府タリバン撲滅路線が曖昧さから強硬路線へと方針が180度変わったのは米国の変心による。

オバマ大統領は、5月6日にアフガニスタンのカルザイ大統領と、パキスタンのザルダリ大統領ホワイトハウスに呼んで会談した。会談内容は秘密だが、爾後漏れてきた情報は、核兵器の安全が米国の最大関心事ということだった。

つまりパキスタンが保有する60発から100発の核兵器タリバンに奪取されるという空恐ろしき悪夢現実のものになりつつあると言うのである。

これには前段がある。

ヒラリー・クリントン国務長官議会証言で「パキスタン核兵器隠匿場所は全土に拡大した恐れが強く、管理リスクが増大している。パキスタン政府完璧管理できないとなると、タリバンの手に渡らないとも限らない」(4月23日の議会証言)。

そしてヒラリーはこうも言った。

「われわれはイランの核をたいそう懸念しているが、イランはまだ核保有に至っていない。だがパキスタンは既に保有している」。

01年9月11日の同時テロ以降、米国パキスタンに対して核兵器貯蔵場所の安全確保のために一億ドル供与してきた。

それも水泡に帰す恐れがある。

米国パキスタンに新しい圧力をかけた。

幸いにしてザルダリ大統領はブッド元首相の夫君でもあり、欧米のウケがいい。

カルザイ(アフガニスタン大統領)は、米国あってこそ存在できる政治家であり、そのカブール政権不正と腐敗に目をつむってくれる限りは米欧に協力するだろう。もともと米国傀儡としてカブールに入り、しかもいまも依然としてカブールしか統治できない無能力政治家だが、タリバン退治には欠かせない人物である。

▲史上空前の難民が発生、こんな筈ではなかった

ザルダリは突如決めた。

タリバンが多く潜伏するとされたスワト渓谷への本格的攻撃を命じた。

陸軍攻撃ヘリを投入した。

パキスタン軍とて、2007-08年の戦闘で1400名の兵士が死亡、4000人が負傷している。

キラニ・パキスタン首相は「テロリスト武装勢力を壊滅させるまで闘う」と記者会見し、二月に合意したばかりの武装勢力との停戦合意を破棄した。

パキスタン軍の発表では爾来、1100名のタリバンを退治したという「成果」が声高に発表された。

大変な事態が付随しておきていた。

スワト渓谷の多くでは「水道が壊れ、電気がとまり、食糧が底を突き、猜疑心が交錯し、機関銃の乾いた音がそこら中に聞こえ、流れ弾でつぎつぎと住民が死んでいく。電話が通じなくなった。住民は着の身着のままで逃げ出す」(NYタイムズ、6月1日付け)。

難民は既に240万人、毎日8万5000人が難民となって周辺の集落からラホールイスラマバード近郊の難民キャンプへ押し寄せた。すぐに食糧、医薬品不足に陥った。

西側の支援物資はとどかない、食糧支援は圧倒的に足りない。いや西側の援助団体がテロ対象となって警備が希薄なため、援助物資が届かない。

難民は暗闇の中で死の恐怖と闘っている。

パキスタンのスワト地区で発生した難民の数もスピードは嘗てのカンボジアスーダンイラクルワンダのそれより早い」(英紙『インデペンダント』、5月31日付け)。

 

報復テロが続く

そして報復テロも始まった。

5月27日、ラホール自爆テロ30名が死亡した。「パキスタンタリバン運動」が犯行声明。この団体はブッド首相暗殺に関与したとされる。

28日、ペシャワールでも報復テロ、14名が死亡。

にも関わらず5月31日にパキスタン情報部は「完全勝利」を宣言し、「ミンゴラを完全制圧した。治安回復はすぐだ」と豪語した。ミンゴラは武装勢力の拠点の都市である。

アルノー・ド・ボルシェグレーブは絶望的な近未来を語る。(アルノーは元NEWSWEEK編集長アフガニスタンロシア侵略を追求した国際的ジャーナリスト作家)。

神学校では毎年毎年二百万の若者卒業する。パキスタンでは職がない。パキスタンは誰が敵か、誰が味方かも分別できない、戦争定義のない、戦争国家に陥った。タリバンは、かのロシアと闘ったムジャヒデンの子供たちである。ムジャヒデンは勇敢にロシア兵と闘い、そしてイランでは52人のアメリカ人人質にとって米国大使館を444日間にわたって占拠した。パキスタンに猖獗するイスラム原理主義は同国政治の根幹をすでに奪胎している。イランホメイニ革命前すでにイスラムの見えない統治があったように」(『ワシントンタイムズ』、4月28日コラム)。

2009-05-30

連続SS

 再び、小気味よい銃声が響く。次の組らしい。

「……む」

 片方は涼宮山だった。

 

「はぁ、ふぅ」どすんどすん。ふるふる。

 ジムのパンチングマシーンのように揺れる頬、

「はぁ、ふぅ」どすんどすん。ふるふる。

 豚肉と牛肉を一緒に煮た鍋のような混沌的交配を見せて揺れる胸と腹、

「はぁ、ふぅ」どすんどすん。ふるふる。

 艶めかしいというよりは生々しい漏れ方をする呼吸。

 そんな物体が50mを6、7秒で走った。


 おお、うわあ、という驚愕と感嘆の入り混じった声が男達から上がる。

 俺はというと、先の例があったので幾分驚きは少なかった。

 あれだ、ヤツの構成物質は軽量スライムまたはそれに準ずる何かか?

 それはさておき。

 この時期、涼宮ハルヒもまだおとなしい頃合いで、俺にとっても心休まる月だった。

 ……しかしながら、ハルヒの奇矯な振る舞いは、この頃から徐々に片鱗を見せていたというべきだろう。

2009-05-16

先生在日だった

私は中高一貫女子校に通い、そこはそれなりの進学校東大医学部現役合格が出ても騒ぎにならない程度)だった。

校則がほとんどなく(自主性に任せられていた)、教師も個性だらけの学校であったため、すこし浮いた学校だったと今ならわかる。

生徒は自主性を重んじられるあまり大変気の強い人間に育ち、教師に対しての反抗心も露骨だった。

そんな私達がみな慕っていた教師がいる。

おおらかで、先生らしくない能天気さを持ち、えらそうでないのに尊敬したくなるほど人柄がよかった。

そしてその先生在日だった。

そういえば在日だったなあ、と思い返すぐらい、そのことについては印象が薄くて(先生名前韓国での読み方にしていたし、在日であるがゆえにうけた差別などについて話してくれたこともあったはずなのに、だ)今思うと不思議たまらない。

これはどういうことだろう? 

私はひとつずつ、先生の言動を思い出していくことにした。

 

たしか先生社会を教えていた。

ある日、日数が余ったかなにかで(私の学校勉強に力を入れていないのでそういうことは日常茶飯事)特別授業として人権差別のことについて話してくれたことがある。(人権問題の講座の担当もしていたので)

先生自分在日であることを自分の口で述べたのもそれが初めてだった。

名前読みは韓国での読み方になっていたので、在日であることはうすうす感じていたけれど、私達は特に意識もしてこなかったので、先生の話にちょっとドキリとした。

先生の話は名前のこと、自分の出生のこと、そして大学時代、友人だと思っていた人から差別されたことや(しかしそれを笑い話にして話してくれた)、それを救ってくれた別の友人との出会い、最後には差別がどれほど人を傷つけるか、けれどそれを救ってくれる人はいるのだ、というものだった。

先生日本韓国の歴史に対しては何も言わなかった。むしろ、「日本」「韓国」なんて単語を出すこともなかった。

話では常に自分と友人が登場人物であり、国家の話に摩り替えられることはなかった。

先生は個人と個人の間で起きた差別について実感してもらうためにまず私達に自分の体験を話してくれたのだ。

その後、先生日本にあった「女人禁制」や他国の差別問題などの話をはじめ、きっとそれが本題だったのだろうけれど、

私達は導入部分であったはずの先生が受けた差別についての話にかなりショックを受けていた。

泣く学生も続出していて、でもそれは自分先生差別した友人と同じ日本人だからショックだったとかそういうものではなく、

いい人が不条理な扱いを受けた、という事実に涙していた。差別というものの残酷さに泣いた、それだけだった。

別に先生アメリカ人で、その友人がイギリス人でも同じ反応をしただろう。(アメリカイギリスにそんな関係があるのかは知らない)

先生も問題にしたかったのは「在日」ではなく「差別」だった。

差別経験を話す際、偶然先生が「在日」だっただけ。そこに重きは置かれていなかった。

その先生差別の話を聞いたところで、私達の頭に歴史がよぎるわけもなく、

ただ私達が過去経験した話を今の友達にするのと同様、その人の財産である経験を見て、さらに信頼を築いている、それだけのことだった。

先生スタンスは常にこんな感じで、国家や立場を、人と人の関係より重視することは決してなかったのだ。

だからこそ私は、先生在日であるということを、さほど意識してこなかったんだろう。

 

こういった状態には賛否あるんだろうと思う。問題意識が足りないとか、そういう点で。

私の学校には在日の子もいて、でもそれも同じように気にならなかった。名前が見慣れないってぐらい。

彼女達も自分在日であることを隠すわけではなかったけど、それで関係がどうなるってことでもないし、国の名前が会話に飛び交うこともなかった。

問題意識が足りない、と言われればそうなのかもしれない。

歴史問題を考えるいい機会だったのかもしれない。

バックボーンをきちんと理解することが礼儀だって思う人もいるのかもしれない。

でも、私達はそんなことを意識する以前に仲良くなっていて、その関係が密接であるために、国家という大きすぎる定義を取り上げる必要性を感じていなかったのも確かだ。

もちろんそれは日本人である私達がのんきに考えてあげなかっただけだ、ということなのかもしれないけれど、

別に在日の生徒がだんまりをしていたわけでもなく、自分家族が受けた差別経験などについては、人権問題イベントなどできちんと意見する人ばかりだった。

そのさいでも、被差別者だからといって私達が態度を変えたこともないし、それが友人関係に影響を与えることはなかった。

それと同様、私達がただ友達で、青春時代をともに過ごす関係である上で、国家歴史は特に持ち出すべき問題ではないと私達も、彼女達も考えていたんだと思う。

私達の中で、彼女達に日本人として申し訳ないとか思う子もいなかったし、あなたたち韓国人ってなんで歴史捏造するの?と思う子もいなかった。

私達は学生番号XXXXX1とXXXXX2で、仲がよくて、クラスメイト

それでよかった。

 

これがいいことだったかはわからない。最後までいい先生、いい友達、で彼らとはいられたし、差別だとか思いつかないほどだった分、歴史問題について意識が薄くなってたかもしれないことは確かだ。

世の中にそんなに在日を嫌う人や、在日の中で日本を嫌う人がいるんだって考えもしなかった。

はっきり区別するものだということ自体に驚いた。

世の中の状況をネットなどで知って、私も国家についてすごく考えるようになる。

ネット在日って言葉に反応する人は結構いるし、

その反応する人に反応する人もいるし、

あの学校生活と反対に、国家というものが人間関係ですごく重視されているのがネット(特に不特定多数が出入りする)だと思った。

学校では校舎という狭い世界に閉じ込められていて、クラスや学年で個人個人がちゃんと識別できていたし、「あいつ1組だし」とか「あいつ三年だし」とかでちょっと冗談偏見持ったこともあったかもしれないけれど、国家なんて大きすぎるものさしで人を考えることはなかったのに、不思議だと思った。

 

学校とは違い、ネットはおそろしいほど広大だ。

広すぎて、人が一人一人区別できなくなってくるし、クラスや学年でちゃんと整理されているわけでもない。むしろわざと匿名不特定多数の出入りでわからなくなっているところもある。

そんな中で、ちゃんとはっきりとわかる「個」というものは、ネットを構築している言語だろう。

日本語サイトフランス語サイトフィンランド語サイト英語サイト…。

日本語を話すのは日本人」と言ったら語弊があるけれど、

日本語サイトを見たとき、その人がどこにいてどんな人なのか、なんてわからないことも多いけれど、

日本語があるのだから、きっと「日本人」なんだろうと思うことができる。(例外ももちろんあるけど)

そこにいるのが誰かまったくわからない世界に飛び込めば孤独感で人が不安になるし、なんとか判別できる個性を見つけようとするだろう。

けれどネット混沌としすぎていて、ちゃんと分けるとき重視してしまうのが「言語」、そして「国」ぐらいしかないのではないだろうか。

日本土地に住み、日本学校職場に通っている間、頼るはずもない「自分も相手も日本人」という意識が、

こうした広大な世界に入るととても重視されていき、

結果的に「自分日本人」という自覚が、どんどん大きくなっていく。

国家はこうしてネットの中で重要視されていくんじゃないだろうか。

私も今は「自分日本人である」という意識、そして「○○人は好き・嫌い」だとか考える気持ちが芽生えている。

でもそれはあくまで、不特定多数が出入りし、そして個があいまいになった集団の世界にいるときだけだ。(あと、政治問題もこちらかな、と思う。人一人ではなく、国と国の問題だから。)

個人で向き合ったときそれは払拭すべきで、学校生活のおかげか私はそれが自然とできるようになっている。

人一人と向き合ったとき国家関係歴史というものの影響がすっかり消えてなくなるというのはすごく不思議な現象で、当たり前のことのはずなのに、すごく平和に近いんじゃね?とか思えてしまったりするのは、私はまだまだ平和ボケしているからなんだろうか。

違うと良いな。

2009-05-04

私はコンピュータプログラミング電子工作アルゴリズムその他そういったものが好きだった。

でも、きっと今年から嫌いになってしまうのだろう。私は情報系の企業就職したから。

プロを目指すということは、競争に晒されることを意味する。生き残るには他者に競り勝ち、蹴落としていかねばならない。

私は今まで幾多の趣味を失ってきた。失う経緯はいつも同じ。いつのころからか他者を意識して、勝って喜び、負けて悲しむ。そうするうちに勝つ喜び、負ける悲しみが趣味の喜びを覆ってしまう。そして、自身が挑戦する気さえ失せる偉人発見したとき、大きな敗北感に絶望して、その趣味を放棄してしまう。私はいつしか、趣味では深く深く、他者と競り合わないで良い世界を、正攻法よりも奇抜な方法を、整然とした秩序よりは意図的な混沌を求めるようになっていった。そうして競争のない、誰も訪れようとしない世界に引き籠もっていれば、趣味を楽しんでいられることを知ってしまった。

要するに私は傲慢な人間なのだ。傲慢だから、自分が本気でいる世界では、誰に負けることも許せない。目前の競争者や背後に迫る競争者を差し置いて、遙か彼方のトップランナー自分とを比べてしまう。そんな相手と比べて劣ってしまうのは当然なのに。少しずつ近くの競争者に勝っていくことを考えるべきなのに。私は競争というものが苦手なのだ。

興味をもっていない物事に関しては、私はそんなに熱くなれない。いわゆる勉強なんてのはその最たるもので、あれらに対する努力は、私にとっては親は先生説教される面倒を回避するためのもの、楽しい時間の妨害を軽減するための手段でしかなかった。テストで良い点取って、適度に良い進学(適度で良いのだ。高すぎると、入った後が大変だから)をしていれば、五月蠅く言われることもなく好き勝手遊ぶことが出来る。だから、常に自分より上が居ることに別段何とも思わなかった。

私の下には殆ど常に、非常な勉強家のクラスメイトが居たが、彼が私を毛嫌いし、そのくせ事あるごとに突っかかってきて、自滅する心情は当時全く理解出来なかった。今では、彼の気持ちが少しだけわかる気がする。たぶん彼は競争意識に苛まれていたんだろうと思う。彼も私と同じ、競争が苦手な人間だったのだ。彼の上に居る幾多の人々のうち、最も彼に近い場所にいる人間の一人として、彼にのしかかる重圧を代表してしまったのだと思う。しかも、彼がそれだけ必至になっていることに、当の私がさしたる関心を抱いていないのは、彼にはどう映ったことか。結局彼は学歴競争そのものをリタイヤして、今どこで何をしているのかもわからない。

今、その脅威が私にも訪れてしまった。今までは趣味世界、やめたところでそれまでだが、今回は仕事が絡んでいる。世間がこんな状態の上、私には特に強いコネも無い、他に行くべきつても無いのだから、安易にやめるわけにもいかない(未だ貯蓄も無いし)。他にいける業界も浮かばなかったとはいえ、まずい選択をしてしまった。

だから私は、この趣味を捨てなければならない。単なる手段と割り切ってしまわねばならない。割り切れなかったとき、今度は私がリタイアする番なのだろう。

リアルイノセントゲリラの祝祭」

GWの真っ最中にもかかわらず、これだけの記事を書いたCNETグッジョブ

改正薬事法の完全施行は土壇場で厚労省どんでん返し--委員の不信感も募り混沌:特集 - CNET Japan

http://japan.cnet.com/sp/drag/story/0,3800097284,20392675,00.htm

医薬品ネット販売規制世論巻き起こるか--ターニングポイントの検討会議事録:特集 - CNET Japan

http://japan.cnet.com/sp/drag/story/0,3800097284,20392676,00.htm

海堂尊氏の小説イノセントゲリラの祝祭」のリアル版だね。

2009-03-14

景色の見え方

大学に退学の手続きをしに行く。途中、新入生らしき親子が同じバスに乗る。

ああ、俺も5年前はあんなだったんだなと思った。だけど高校卒業した時も似たような感じだったから、新鮮さではなく既視感が強い。

しかし見える風景は変わったな。もちろん景色自体も変わったけど、やっぱり自分が変わったかな。概ね悪い方向に。

自分は悪い方向には変わったけど、景色の見え方はどうだ。むしろ輝いている。これはなんなんだろうか。

将来には不安しかない。ついでに言えば希望とか全然無い。世の中早く混沌とすればいいのにと思う。

なのに、この景色だけは輝いている。文字通り、輝いている。実に不思議だ。

俺近いうち死ぬのか? いやいや自殺はないはず。じゃあなんだこれ。

2009-03-13

ギュンター・グラス青年時代はナチ太鼓持ちだった。

書評川口マーン惠美 著『日本はもうドイツに学ばない?』(徳間書店

小生のようにドイツを知らず、漠然とした技術大国=ドイツの印象を身勝手に抱いてきた者にとって、この評論集は新鮮な驚きのパケッジであり、あのメルセデス・ベンツをつくる器用なドイツ人が、他方では奇妙な思考体系をもつことなど想定外のこと。またドイツおよびドイツ人の意外な側面を知り、本書はとても有益である。

一般的に日本人ドイツの印象は良い。いや、良かった、と過去形で書くべきだろう。

森鴎外留学し、伊藤博文プロシア帝国憲法を範にとって明治欽定憲法を起草、制定した。ゲーテトーマスマン、ヘルマンヘッセ、ワグナー。

手塚富雄高橋義考という人たちの名訳でドイツ文学にしたしみ、西尾幹二の新訳でニーチェに親しむことができだ。三島由紀夫第二外国語ドイツ語だった。

ところが現代日本ではドイツがまるで語られなくなった。

大学ではドイツ語第二外国語に選択する学生は稀となり、中国語語学ブームは移った。

ドイツ政治を分析する論客も目立って減少した。

日本戦後政治混沌としてきたが、ドイツもご多分に漏れ混沌そのもの、いや東西ドイツ統一以後は、旧東ドイツの貧困を旧西ドイツが吸収し、そのためドイツ経済優等生の質が劣化した。さらには欧州通貨統一によって、ドイツ経済中国に抜かれるほどに疲弊した。米国日本に次ぐGDP世界三位は北京が獲得した。

ドイツにも政治家の右往左往、右顧左眄、売国奴の跳梁跋扈があり、構図的にいえば、ちょうど日本売国媚中派保守派とに二分され、さらにその保守が真性保守、体制保守、偽装保守などに細分化されるように、ドイツ政治は、ロシア利益と通底する二流の政治家がいる。

言うまでもなく売国奴政治家とは、シュレーダー首相である。

川口さんは舌鋒鋭くこう批判する。

シュレーダー首相在任中、毎年中国を訪れたが、当地では、徹頭徹尾相手の嫌がることには口を噤み、大型商談をまとめることだけに心を尽くし、中国人のやんやの喝采を浴びて満面の笑みを浮かべているのが常だった。そして、このシュレーダー外交を、官邸で、裏からしっかり支えていた」男が、後述するシュタインマイヤーというニヒルな政治家だった。

戦後、アデナゥワーは米国協調したが、ブラント政権東方外交へ急傾斜をはじめた。そしてブラントの個人秘書東ドイツスパイだった。

後継シュミット時代に「ドイツ経済は完全な停滞状態にはいったしまった。それを引き継いだのがCDUのコール首相。行き過ぎた福祉にブレーキをかけ、19990年には華々しく東西ドイツを統一下」(本書140p)

だが、いまやドイツ統一の偉業をなしとげたコール首相は顧みられず、現首相メルケルへの罵詈雑言左派からなされる。仕掛け人は現連立政権にありながら次期首相の座を虎視眈々と狙うシュタインマイヤーSPDの面々である。

ドイツ政権は左右大連立で「十五の大臣のうち8つがSPD」。外交を取り仕切るのは左派なのである。

ナチス靖国は、これほど違う!

日本との比較で二点、異なるポイントがあると川口さんは指摘する。

ドイツには日本とは決定的に違う二つの負い目がある」、それは「ホロコーストと戦時賠償未払い」

東方外交をすすめたブラント首相ユダヤ人慰霊塔に跪き、ヒトラーを擁したドイツ軍がなした狼藉を謝罪したが、「ヒットラーの率いたドイツ自分とを同一視していない」。

いや一般的にも「ドイツ人政治家の謝罪はヒットラーが起したことに対する謝罪であり、自分国民の罪に対するものではない」。

つまり「親族人非人がいたことに対する悲しみの表現のようなものであり、つまり『あいつのしたことは本当に悪いことだった。恥ずかしい、許してくれ』と誤っているのだ。日本は幸いなことに、あとにも先にも身内にこのたぐいの人非人を持たなかった」(本書73p)。

 

本書にはホーネッカー(旧東ドイツ独裁者)が、旧東ドイツ市民秘密警察に監視されつつ、生活がうまく行かずモノもなく、途端の苦しみを味わっていても、一人だけ核戦争にも生き残り、モスクワへ逃げる場合に備えた豪華な核シェルターを築いた事実が暴かれる。その妄想ともいえる塹壕が、ドイツ統一後、埋められる前の見学ツアーが行われ、川口女史はでかけて、壮大な無駄独裁の虚無を見いだす。

それにしても直撃取材のフットワークの良いこと!

また“ドイツ良心”などと左翼ジャーナリズムに持て囃された“ドイツ大江健三郎的な作家ギュンター・グラス青年時代はナチの「太鼓持ち」だったこと、シュレーダー首相プーチンの代理人のごとき政治屋ロビィストであること、ダライラマとの関係ベルリン北京へ頭を下げるのも、日本と同様であり、北京とはビジネスさえ旨くいけば中国に叩頭しても構わないと考えているのがドイツ人の大半であること等々。

次々と暴かれるドイツの真相を知れば知るほどに、表題のようにドイツに学ぶことなんぞ、もはや無いという結論が出てくるのだった。

2009-03-05

定額給付金関連法案が衆議院の3分の2条項を使って再可決されたようである。

採決を欠席したのは、小泉氏他1名のわずか2名だけというのが、残念である。

再可決を阻止して、党指導部に失点をつけた後をどうするかについて、実際に総理総裁に名乗りをあげる人が立ち、支持者を増やす運動をしなければならないのだが、誰も立てなかったようである。小泉氏に旗頭になって貰いたかったという人はいても、すでに首相経験した人が、再び首相になるわけが無い。実際に首相になる人を探し出し、担ぎ上げるという所までは踏み込めなかった人がほとんどあった。アメリカ不景気実体経済に影響を与えるのはこれからであるし、その先には、欧州不景気が表面化する時期が続く。東欧では、すでに影響が表面化し始めている。今後、景気が悪くなる事はあっても、よくなることは無いわけで、経済が回復する見込みは薄い。政府財政に対する国民の目は厳しくなるばかりであろう。

定額給付金を生活支援から景気対策に建前を付け替え、全議員定額給付金を受け取るように指示を出し、党議拘束をかけて再可決に持ち込んだ為に、議員個人の意思とは無関係に、党指導部の方針として実行されるという外形がついたが、後から、本心じゃなかったと言いだすのでは、迷走していると取られるだけである。

貰えるものは貰って、ばら撒きが無意味である事を確認させるという展開が予想されるのであるが、それが実現するには時間がかかるし、その先が混沌としている。

今の自民党は、ばら撒きをしなくても政権が取れて維持できる政党への転換に失敗しているわけで、これを変えるには、今回の再可決に賛成票を投じた人には、無理がある。共通認識として失敗だったという結論が出るまでは、事実上首相の交代の目が無くなったわけで、党内政治という点では有意義な再可決ではあった。

2009-02-25

引きこもりが今までの人生について書く

物心付いたときから人付き合いの方法が分からなかった

小さい頃に親や兄弟と遊んだ記憶がない。俺の中では家庭という存在すら人間抽象的な家族という糸で繋がっているに過ぎない脆弱でまた抽象的な存在に過ぎなかった。そしていきなり保育所というすでに完成された社会性を持つ環境に放り出され、そこに君臨していたイリーガル存在―未就学児にいつもボコボコにされていた記憶しかない。

ある日は保育所行きたくないと泣き喚き、親や周囲に迷惑を掛けたが、結局自分の意思は伝わらないまま終わった。

元凶は保育所イリーガル存在である未就学児にあったのではない。家庭にあったのだ。しかしそれすら気付かぬまま時間だけが過ぎていった。

ポジティブな面を持ち合わせていない俺の性格は一層歪んだ。俺を暴行した奴には今でも死ねば良いのにと本気で思う。

かしこの頃唯一学んだ事がある。人類には人間未満の奴が混じっているという事だ。

この頃が最盛期だったかもしれない

親が仕事の都合で引っ越す事になり、一度俺の周囲はリセットされた。田舎だったが、周囲は小さい人間ながらも優しく接してくれた。暫くするとその人達とも親しくなりやんちゃな良くいる悪餓鬼として育った。

何が他人の迷惑になり何が他人の迷惑にならないかを分別できたし、子供だからまだ可愛げのある悪戯に励んでいた。大人達はそれで赦し、同時に満足し、俺も他人に認められやっとのびのびと生活する場を見出す事ができた。

この頃の自分写真を見ると今とは似ても似つかない充実した顔付きをしている。どこからどう見てもまともな人間だ。

就学し精神が切迫し始める

義務教育が始まった。簡単なものだったが学校では当然疲労もある。家庭はそれ程落ち着いたものではなかった。というよりアイデンティティを認めてくれる様な場所ではなかったので、居場所が無く常に癒される事もなかった。毎日宿題意図的にやらずに放置し、耐えた今日は忘れ明日が来るのを恐怖した。その為内申は悪かった。

友達はいなくなった。心身共に余裕の無い人間に友達という存在が維持できるはずがない。

6年間、いろいろな事があったが全て水の泡だ。何ら俺の人間形成に役立ったものはない。毎日が作業の繰り返し。逃げたくなる時も当然あったが子供に一時的な逃避以外の選択肢はなく、意思表示すら許されず、貴重な時間は金へ変換される事もなく消滅していった。

本来ならば楽しいはずの遠足修学旅行にも全く参加しなかった。俺にとっては体力を消費して楽しむだけの余裕は無く苦痛以外の何物でもなかったし、これらが与えられた許容される逃避行動の内の最たるチャンスだったからだ。

小学校高学年の頃の自分写真と就学前の写真を比べると、顔付きに大分差ができている事に気付く。表情筋は弛み、口呼吸になり、目はどこを見ているのか分からなくなり、眉は「自分は哀れな人間です」と外部に漏らしているかのようだった。馬鹿だ。

中学時代

相変わらず家庭でのキャパシティは小さい一方、学校での負担が増える。

運動部への入部は強制だった。

宿題の量は増え、勉強についてゆくにはやらざるを得なくなる。

己の所在が分からなくなる。いや、元々無かったのかもしれないが、それを自分の中で肯定するのが怖かった。

ただ一点評価できる所がある。偽善だ。

俺は肯定する事によって他者を自ずと否定する事になるのではないかと恐怖したのだ。

ただ何もしない、動く事もままならない、それだけがその肯定/否定という行為から逃れられる方法だった。

引きこもったきっかけ

授業中、公の場で侮辱され泣いた。様々な理由が心の中で混沌とし、涙する事が耐え切れなくなったからだ。

なぜ俺だけがこんな目に。

みなは充実しているのに。

なぜ俺だけが差別される。

みなは楽しくしているのに。

なぜ俺だけがこんなにも貧相なのか。

みなは恵まれているのに。

なぜ俺だけが気付いてもらえない。

こんなにも哀れならどれだけつらいか分かるだろう。

しかし誰にもこの気持ちは言えず、不登校になった。

ほとぼりは冷めるが引きこもりは直らなかった

中学自体の偏差値は高かったため、同級生に会わないようにするためには高校は底偏差値を選ばざるを得なかった。

この頃から親からくすねた金でPC参考書を買い漁り独学で数学プログラミングをやり始めるようになる。罪悪感はあった。同時に今までこんな俺を放置し続けた親に対する怒りもあった。だからある程度技量が上がるまでこの癖は直らなかった。本当は親に対する怒りではないのに、今までの環境に対する怒りなのに、その対象人間の集合体という実体を持たない存在なのに親に対する怒りに勝手に置換していた。親もその集合体の一員だったから?今思えば全て自分の甘えに過ぎないと思う。乗り越えてこそ自分アドバンテージになるものだと思うのに。

余談だが当時の参考書は辞典等が大半だったため、今でも役に立っている。

プロコンで賞を取る。が、そんな事親に言えるはずも無い。所詮人から盗んだ金で得たものだ。自分の熱中できる環境を得られ、更に客観的に評価してもらえ、虚空なものながら満足した。

高校留年したり強制退学させられたりと転々とするが、結局辞める。

ニートです。毎日が楽しいなあ。これが人並みの生活だと言えるものなのか。

さっさと死にたい

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