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はてなキーワード: 混沌とは

2010-07-27

あなたが目をそらしている事

人間の心には、混乱や脅威をもたらす刺激から、自分を守ろうとする働きがある。こうした心の防御機構があるために、私たちは、一見、混沌とした印象をあたえるこの宇宙の中で、秩序感を保ちながら生きることが出来る。人間の脳は、毎瞬毎瞬、諸々の刺激に曝されている。膨大な刺激が生み出す情報を処理するとき、脳はまず日常生活の中で馴染みのあるものから処理していく。

しかし、日頃は接することのない新しい刺激に曝されたとき、脳はどう対処するのだろうか? 脳はそれ自身にとって馴染みのある現実の枠組みに沿って情報を処理する。そのために、脳にとって「異質」と見なされる情報は、後々の処理と分析のために、まずは潜在意識に入れられる。しかし、こうして潜在意識に入れられた情報の大半は、そこに保管されたまま決して顕在意識には送られない。顕在意識日常的な現実への対応に追われて忙しいために、潜在意識にある情報に注意を振り向ける余裕が無いからである

人類はこうした現実認識の仕方を、過去何千年にわたって続けてきた。実はそれによって、私たちは数多くの新しい体験に気づく機会を取り逃してきたのである

異質な情報に出会うと、人間の脳はその情報をすぐに潜在意識にしまい込む。自我はそうした体験が起きたことを受け入れようとしないのだ。もし人類のこうした情報処理の仕方が、今後も変わらずに続いたとしたら、私たちはごく限られた現実の領域の中で起きる出来事だけしか自覚できずに生き続けることになるだろう。

脳は、それ自体に混乱を与えるデータを隠す術に長けてるとも言える。異質な刺激を防ぐための脳の防御機構とは何か?

それは感情である

異質な刺激や情報に接したとき、私たちは理由のない不安に駆られるなどの、無意識レベルの抵抗を味わう。不快感を伴なう感情的な反応は、「心の奥深くにあるものを探りたい」という私たちの探究心を阻む赤信号のような働きをする。もしこうした妨害さえ無ければ、私たちは心の深部の探求を通して、数多くの驚くべき発見をするだろう。

私たちの心には、自我レベルでは自覚できない無意識の抵抗が数多く潜んでいる。それらは、私たちが大いなる現実に心を解き放つことを妨げる「心のなかの壁」である

関連:

茂木健一郎 クオリア日記

モンスターの正体:

http://kenmogi.cocolog-nifty.com/qualia/2010/07/post-5989.html

2010-07-08

不安障害って言うんじゃないが

そこまで大層なものではないが。

ただただ胸騒ぎがしてザワザワざわざわ落ち着かない。

腹の底で意見混沌としていてひとつに決めかねない。

体調が悪い。

かまってほしい。

あそんでほしい。

楽しいことがしたい。

きっとこうやって逃げていけば逃げていくほど、あとでしわ寄せがくるのだろう。

実際下手したら今年留年だ。

就職留年意味合いもあるが、そのほうがいいのか悪いのか私には決めかねる。

もっと言ってしまえば将来もわからない。

何をすればいいのか、どの選択しが1番自分にとっていいのかわからない。

闇雲にでも大企業を目指して就職できた人が結局正解なのか、

わかるまでのほほんとフリーター生活をすべきなのか。

下手に芸術大学に入ってしまったので迷路のど真ん中で右往左往している。

大学入りたての方が将来のことはもう少しまともに考えていた。

麻雀と同じだ。考えない方が強い場合もあるのだ。

おかげで心のどこかで「どこの会社にもひっかからない、ということはまずない」という自信があり、

故に大きく狙って全部落ちてふてくされている。

落ちこぼれよ。

全国8万人の落ちこぼれよ。

私は君に会いに行きたい。

2010-06-18

Good bye our pastels badges.

久しぶりに酒を飲んで酔い心地になって、勢いで何故かBluebellsの動画YouTubeで探し始めたのが運の尽き。BluebellsがAztec Cameraに、さらにOcean Colour Scene、Trash Can Sinatras、そして何時の間にやらパーフリに。Friends Againを聴き始めた頃には既に涙が止まらなくなっていた。今もCamera Camera CameraのギターポップバージョンBGMに、止めどなく流れる涙をこらえつつ、酔いに任せて書いている。鬱屈した日常を送る高校時代の僕にとって、この上なく純粋でこの上なく美しい、この上なく真実なのにこの上なく嘘くさい、自分にとっての「青春」の象徴、それが彼らであった。

その頃の僕は今でいうオタクヒキコモリに近い、都会的だけど暗くて内気な自己顕示欲の塊だった。小沢小山田に対する忠誠心は誰よりもあると自負しながら、親が出してくれる金で彼らのCDを購入するのがせいぜいで、かれらの音楽をどんなに愛していると信じていても、そのライブに赴く勇気も行動力も欠如していた。

誰よりも早く彼らのCDを購入し、CDショップでのイベントに出向き、MTVエアチェックし、FM横浜は毎週欠かさず聞いていた僕にとって、その瞬間はあまりにも突然に訪れた。無機質な女声が語る彼らの解散の知らせを、僕はその瞬間には何の感動もなく、だが次の瞬間に訪れる限りない混沌とともに聞いた。

エンディングに流れるTokyo's Coolest ComboのFriends Againはその後永遠レクイエムとなって僕の中に焼き付けられた。Friends Againに見たはずの大学時代を、彼らとは全く別の意味理想的にすごし、周囲に迎合してそれを幸せと感じた大学時代を経て、気がつくと僕は高校時代に最も嫌悪していたような、平凡で退屈極まりない人間になっていた。

悲しいことに、それが平凡でも平均でもないこともわかっていた。それがオトナになるということなのかもしれないけど、かつての僕が死ぬほど忌避していたことには変りない。尾崎ピチカートの両方を評価するようになった僕にとって、もはやあの輝かしく危うく誰よりも純粋でまがい物である二人のOは、決して近づくこともできなければかといって忘れることも許されない存在となった。輝かしい未来の象徴は、決して叶うことのなかった美しい過去の遺産となった。

僕は今彼らの歌を涙なしに聞くことができない。再結成して欲しいアーティストとして彼らの名を挙げる人たちがいる。その安直で単純な思考を理解しないわけではないが、あの時別れたあの道は、もう決して交わってはならないし、また交わることもないだろう。

未来革新と反抗と青春の象徴であった彼らの楽曲も、そう信ずる僕らの思いとは裏腹に、かつてなく反体制的・非倫理的であったビートルズと同じように、今では当時の「時代」解釈するための科学的な要素して評価されてしまっている。

でも僕らは覚えている。それが決して健全目的に余するような、誰もが求める優秀な生徒ではなく、皆が忌避しかつ心のどこかで憧れる、それは大人すらもまきこむような、この上なく嘘くさくて、でもごまかしのきかない姿であったことを。

2010-06-15

人狼クリーク問題

人狼というゲームがある。カンタンにいえば、集団内の秘密組織工作員を排除するゲームである。

たいていは工作員を炙り出す役職なども存在し、それによって直接・間接にもたらされる情報ゲームを左右するのだが、まずは単純なモデルを考えてみたい。a人の集団A1, A2, ..., Aa内に、互いに顔見知りのb人の工作員B1, B2, ..., Bbが潜伏していて、a人全員がそれぞれに排除すべき人物を記名投票している。aとbの数は全員が知っている。投票数を最も集めた人物から排除されてゆく決まりがある。そして、他には何も情報がない状況である。

単純に考えれば、b人の工作員はお互いが排除されないよう、身内には投票などしない。そこでa人からなる完全グラフをまず描き、投票関係に陥ったエッジを消してゆくことによって得られるグラフGのクリーク問題は、工作員を推定するのに使えるのではないだろうか。

集団のとある人物Aは工作員なのだろうか?グラフGにおけるA1を含むエッジ数bのクリークはC(A1)通りだったとする (あるいはC(G,b,A1)と表すすべきかもしれないが…)。C(A1), C(A2), ... , C(Aa)などと計算してゆき、さらに、その最大値を取る人物を探す。Jだったとしよう。はたしてJはどの程度工作員なのだろうか?何らかの妥当な仮定を置くと、Jが工作員である確率がC(A1)~C(Aa)やbなどから計算できるのだろうか?

身内投票の可能性を考えると、事態はより混沌となってゆく。つまり、C(A1)~C(Aa)に比べて十分にC(B1)~C(Bb)の値を小さくしながら、かつ、工作員の誰もが最多票をもらう確率を十分に抑えることが可能な、何らかの戦略存在しうるのだろうか?

────

クリーク数を求める高速なアルゴリズムがないか探そうとしたら、すぐさまNP完全という情報にぶちあたって絶望してしまい、勢い余って変なものを書いてしまった。

────

実際の多くの人狼プレイにおいては、こうやって必死に狼を探そうとしても、勝利をもぎ取っていくのは第三勢力の狐が多いというオチがつく。

2010-06-14

http://anond.hatelabo.jp/20100614143732

そう

じゃあ金額出して評価しようかって言うと、出しにくい

多少以上高度な事務もそうだね

田嶋洋子みたいに一千万超えみたいな無意味な金額出すアホもいるせいでさらに混沌

2010-06-12

結婚市場での女の価値 AルートBルート

女の価値…と言っただけでキレる人がいそうだがキレさせておけばいい

ビジネス誌なんかに書いてある「自分価値を高めよう」みたいな価値だと思いねえ

婚活だのなんだのと

人のスペック物件化して市場とみなすなら

女の価値形成には極端に言って二種類のルートがある

A・いい歳まで働き仕事自己実現、そののち職能生かして共稼ぎ

B・若くて可愛いうちにさっさと嫁になって甲斐甲斐しい専業主婦

女は大変だと言われるけど選択肢がAしかない男に比べたらもう一個あるとこは自由度高いよね



…で本題なんですけどね

会社の1個上の女性の先輩の「結婚したい」発言がですね

そろそろ度を越してきたんですよ

なんか最近「もう仕事疲れたから専業主婦になりたい」とか言い出しちゃってんの

でもあんたAルートじゃん、Aルートを選んじゃったじゃんと言いたい

言いたいってか問い詰めたい

面倒くさいから言わないけどね

あんた今年32じゃん

給料俺と同程度取ってるじゃん

今更その長所全捨てしてBルートに参戦するなんて気が狂ってるじゃん

Bルートに参加する為のパラメータはもうズッタズタじゃん

って言いたい

面倒くさいから言わないけどね

誰かの不合理性を見つけ出して指摘することに人一倍意欲旺盛な彼女

なんで自分結婚のことだとああも破綻しきった混沌発言をするのだろう

「それstrategy的に何点なんですかー」

って突っ込みたい

面倒くさいから言わないけどね

最近もうギャグめかすことも忘れてマジレスなの

マジレスでそういう発言をされても突っ込めないからめんどい

まあ多いと言っても週4ぐらいの頻度なんだけどさ

積み重なると本当こっちも神経やられてくるの

一回でいいからハリセン突っ込みてえなあ

2010-05-15

http://anond.hatelabo.jp/20100515160600

因果律の外側にいてもいいけど、その方が却って辛いと思うんだけど。

目の前のPCがなぜ動くのか説明つかなくなる。

世の中のすべての事象が混沌に沈むことになるんだが。

神様のおかげでPCが動くってことになってるのかな?

神様のおかげでTCP/IPプロトコルが作られた?

2010-05-01

最近ゲームの元気のなさの理由

まず、愚痴のような物から。

今まで増田にいくつか記事を書いてきたが、書いても(さも引用先の作者が考えたように―それもそれなりに名の通った人だったりする場合もある―)無断引用でパクられるか、ボコボコにされるか、無視されるかで、あまり良いこと無かったな、と思いつつ、なぜまた今、増田で記事を書くのか?ということを考えると、やはり自分の考えを世に問いたい部分があるんだろうな、と自分に対して思う。

もちろん、自分の記事でも、それなりに説得力のある意見もあったのだろうし、全然見当違いの意見もあったのだろうが、もうちょっと手の内を見せない方が良いのかも知れないな、などと思う。実際、ウェブで見れる情報は、プロで書いている人も、ほとんどの人が「今までの意見を整理する」だけで、金を払っても良いような「面白い見識」の割合は少ない(そりゃ、誰でも自分の商売の核心的なアイディアは話さないだろうけど)。

いやいや、金を払っても良いような意見無料で手に入れられること自体がおかしいじゃないか、とは多分その通りで、現状でも厳しいライター諸氏はさらに食いっぱぐれてしまうと思う。もっとも、私の書いた記事がそのまま金になるのか?という点に関しては、自分でも疑問だと非常に思うが、現実的にさも自分が考えたように部分的にパクられて商業活動に利用されるとこちらとしては脱力の限りだ(彼らは、どこかで見た記事を無意識のうちに利用しているという認識かも知れないけど)。

個人的には、勝手に使うのはかまわないけど、せめて、「ちまたは~という意見もある」なり書くのがせめてもの物書きのプライドだと思うのだが。

……と、いったゴタクはどうでもいい話である。

最近ゲームの元気のなさの理由」を考えたい。一部しか書かないけど。

まず、ラノベの話からする。

単純に「ライトノベルとは何か?」と問われた場合、一番簡単な答えの一つに「ライトノベルとはキャラクター小説である」というのがある。

だが、「ほう、なるほど。ではキャラクター小説とは何か?」と説明を求めると、あまり歯切れの良い答えは返ってこない気がする。最近、これに対する単純な回答を一つ思いついた。「”まず、テーマありき”が文学、”まず、キャラクターありき”がキャラクター小説ラノベ)」。

バカ売れしている村上春樹の「1Q84」でも良いのだが、あれがラノベではなく文学と言って通るのは、作品が「まず、テーマありき」で作られていて(例えば、9・11テロ以降の混沌とした世界がうんたらかんたらとか)、そこが作品のコアだからだと思う。

ラノベにもテーマはあるよ」といえば確かにそうなんだが、テーマの重み(重大性や芸術性、事件性)が違うんだろうなと思う。

だから、基本的にラノベは、エンタメ小説寄りである。

具体的には、テーマはむしろ昔からある使い古された物の方が良いし、その予定調和を打ち破るキャラクターの立ち具合が何よりも優先される気がする。

……ええと、何の話をしていたっけかな。

そうか。「最近ゲームの元気のなさの理由」か。

では、結論から書くと、「最近ゲームゲーム性が低いのではないか」というのが理由の一つだと思う。

と言ってしまうと、「うわっ、今さら”ゲーム性”かよ」「じゃあ、ゲーム性って何?」といったお得意の議論の無限ループに入るわけだが(というか、シラけて誰も反応しないほど手垢にまみれた議論であるが)、ラノベの話はその辺の議論を一時停止するために持ち出した。

文学性とは何か?」と考えた場合、「”まず、テーマありき”が文学」と書いたように、「文学的にしか出来ない表現テーマ(強力なメッセージ)を表現するのが(純)文学である」という一つの回答があるなら、「ゲーム性とは何か?」と考えた場合、「ゲーム的にしか出来ない表現テーマ(強力なメッセージ)を表現するのが(純)ゲームである」という回答もまた成り立つのではないか。

「何も言っていないのと同じだ!」という人もいるかも知れないが、要するに言いたいことはこういう事である。

例えば、「(評価の高い)スーパーマリオ1のテーマが、「ジャンプアクションによるアスレチック性」を追求したとするならば、(これまた評価の高い)スーパーマリオ3は、要素を盛り込みすぎて、テーマがぼやけていないか?」といった議論が出来る。

そういう議論の延長で最近ゲームを見ていくと、例えば、「ストーリー……主人公の台詞かなんかでそのゲームテーマを直接文字や声で説明するゲームは果たしてゲーム性が高いのか?」や「盛り込みすぎてテーマがぼやけているゲームが多すぎないか?」、「ここ最近、新しいテーマに挑んだゲームがどれだけあるんだろうか?」という疑問にも繋がる(ちなみに、最後の疑問に対して「ソーシャルゲーム」という回答にむらがざるをえないほど、業界が切羽詰まっているのも実情であろうと思う)。

ゲーム性が高くないゲームは、ゲームというメディアとしての特徴が弱いわけだから、ゲームとしての長所が活かせない。

利益率が低いし、第一売れない。爆死、爆死の連続である。もちろん、「だから最近ゲームクリエーターはなっていない!」といったような話ではなくて、「ゲームビジネスの難易度は確実に上昇している」。ただ、構造的な問題は大きいが、それ以前の問題の作品もまた多い気がする。

確実に言えるのは、「暗黙知」の部分が大きすぎるという点だろう。体系としてノウハウが蓄積されていないのである。そして最初の話にも繋がるが、要するに日本では手の内を見せない人が多いのである(かといって海外天国というわけでもないと思うが)。「堀井雄二」を知っている若者がいないと嘆くなら、彼の偉大さをちゃんと伝えてきたのか、まず自分に疑問を持つべきであろう。

まぁ、そういうことを書きながら私も全部は書かないのである。そんな所だ。

追記:おお、思ったよりボコボコにされてるなあ。だからみんな萎縮するんだろうなあ、と思いつつ。となると、やはり無名の開発者自分の見識を発言しても益はないし、実名出してもあれだけ叩かれるんだから(有名ブロガーとかね)、チキンにどこの誰だか分からない増田に書いても人権はないよなあと思った。というか、特に日本を含めた東アジアでは、誰が話すのかが重要であって、内容はあまり問われないのかも知れない。そもそも日本でどれだけフラットな議論が成り立つのか、という話にもなるけど。

2010-04-05

低い位置で安定するということ

僕は混沌とした世界が好きだし、

弱肉強食世界が好きだ。

ハンディを負っている訳でもないのに努力を怠る人は好きじゃない。

しかし実際には、

そのような混沌とした世界存在することは稀で、

安定した世界に包まれることが多い気がする。

安定といっても、いい意味ではなく悪い意味で。

低い位置で安定している。

そういう、ぬるま湯みたいなやつを嫌っていたんだけど、

最近は考えを変えた。

それはそれでいいというか、

どうしても、そういう風になってしまう気がする。

たとえばWindowsは十数年もOSを独占しているが、

そのお陰でPCは普及したし、分かりやすかった。

IntelCPUもそう。

mixiも同じ。

Googleだって、低い位置で安定するようにならないとは限らない。

そのように安定した権力誕生することで、

排除される者というのが出てくる。

競争が起こらない。

新陳代謝がなくなる。

しかし、それには目をつむっても、

いいのではないかと考えるようになった。

そう考えると、

ブックマーク衆愚化するのも、

肯定的に捉えられる気がしてきた。

状態としては悪いけど、低い位置で安定している。

デメリットよりも、メリットの方が大きいのかもしれない。

2010-04-03

http://anond.hatelabo.jp/20100403022431

繁華街はそらそうだろ。

住宅街もあるし、高級住宅街wや旧家の家が多いところもあるし、でかい公園なんかもいろいろあるし、

ごっちゃに色いろあるよ東京は。

個人的には、新宿よりも渋谷が笑う。うらが松濤で政治家芸能人資産家達の巣窟で、私設警備員とかwチョーウケルー感じwww

普段でも警察の巡回が多い、でもすこしあるくと渋谷の駅前で、若者がタムロしてる。もちろん黒人さんとか外国人さんとか

あの、ラインの混沌ぶりはわらう。

まぁ、そんな感じで、東京も地区によっていろいろあるよ。

松屋なんかは外国人労働者多いけどな

少し高い店なら、基本 日本人だな。

 

そういえば、わらったのは、六本木で飯食うときに、おねーさんに、挨拶したら

Hi って聞こえたらしく、以後英語で話しかけられたな

いや、どうみても、俺様日本人wwwにほんごでオケ

ま、六本木だしな。ナチュラルな発音できれいだった。

あ、話がそれた。いろいろあるけど、いんじゃね?子ども手当外国人給付はどうみても、人気取りナンセンスだけど

グローバル化するのはいいことだよ。

2010-03-31

http://anond.hatelabo.jp/20100331190147

それ、パフォーマンスのためだと思うんだよね。

自演乙が「突き抜けたヲタク」かつ「ファイター」であるための観客向けのパフォーマンス

自演乙がそういう分かり易い男性アイコンをまとわずに、美少女衣装を着用するのは、突き抜けるためじゃないかってこと。誰でも知ってる強い男性ドラゴンボール格闘ゲームキャラクターだと、彼はそれこそただそれに憧れて一体となりたくてコスプレをしているように見える。それってものすごく当たり前な行為に人の目に映る。けど、美少女衣装をまとうことで、それは人の目を引く一種異様な飛び抜けたパフォーマンス足りえる。

悟空コスプレじゃイタさもたかが知れてるけど、ハルヒなら一周回ってそれでもものすごく痛い、しかしそれゆえにさらに強い印象を与える。ちなみにこれがコスプレでもなんでもない異性装だとまたパフォーマンスとしては意味が変わってくると思うよ。

こういう屈折したものを自演乙に見る時、彼に服装倒錯の気がないとは思わないけれど、それが、コスプレイヤー格闘家と一体になったパフォーマンスである以上、服装倒錯とコスプレを明確に分けることに意義があるようには思えなかったわけ。

ところで自分http://anond.hatelabo.jp/20100331150055これ書いた増田なんだけど、ツリーの直下から自分でも元増田でもない人の意味不明な言い争いが起こってて驚いた。さすが増田混沌としてる。

2010-02-14

http://anond.hatelabo.jp/20100214134428

控除やら手当やら年金やらで混沌とした現行の所得再分配制度を、ベーシックインカムとかいうシンプル制度にしようぜ!っていう話だと思ってた

2010-02-05

2012年アセンションが起こるらしい」という話題を見て思ったんだ

まず誰が読んでも分かるように、アセンションってなんなのよ、と

Wikipedia/アセンション

アセンション(ascension)上昇、即位昇天意味する英単語

Wikipedia/アセンション/ニューエイジ用語

惑星地球次元上昇」。ニューエイジ新興宗教などのスピリチュアルな考え方を尊ぶ思想では、未来予測の一つとして盛んに取り上げられるが科学的根拠はない。アセンションの存在を支持する人々によれば、アセンションとは人間もしくは世界そのものが現在三次元からより高次元の存在へと進化することとされる。アセンションの存在を支持する人々は、アセンション2012年前後に起こるのではないかと推測しており、現在地球環境問題混沌とした社会現象人間の善悪に対する意識レベルの低下をその変化への前触れであると見なしている(フォトンベルト参照)。


^v^ ・・・

・・・

ということで

アセンションというのはヒトが持つ、宇宙または地球社会生物などの「環境」や「存在」に対する認識が、

種として安定的に生存・存続する上でプラスになる方向に大きく変化すること.

人類メタ化とか認識2.0認識される存在2.0)とか、認知情報進化の影響が遺伝情報にまで及んで次世代からは前頭葉ver2.0脳が発達しますとか(ないです)

そういう種総出の進化の宴がいつか起こればいいのに!ワクワクドッドッドッという誰かの願望的予測が生み出した用語か何か.

ぐらいの解釈が近いと思う

そんで分析哲学的・技術的・状況的・経済的に可能になるのが2012年前後ということで

2012年頃にアセンションが起こりますよーとりあえず何かが起こりますよー」という

誰かの願望的推測か、意図された計画の概要の一部(凄まじいですね^v^;)が流布しているのが現状なのかなと

この日記の題名の一部である「2012年アセンションが…」については、そんな感じの解釈が近いのかなと思う(二回目)

それで、この「アセンション」だ

一番びっくりするところは、その思想というか、現実のリアリティというか、おそらくサトリみたいな高い「認識」が、

青い空を見て「青いなあ」と思うぐらい(そう感じられない人には通用しないたとえだが)当然のこととして人類規模で共有されて、

そしておそらく共有していることが自覚されるだろうということ(人類規模て。中学二年生でも言わねぇよ、最近。)

そんなことが起こったらもう、大変だろうなと

少なくとも現代社会では、自分が安定的に生活する上で友好的な関係を維持する必要のある人とか、見知りの人にしか挨拶しないと思うけど

アセンション」が起こったらもう、根底から現実のリアリティの共有が自覚・確認されるわけだから

嬉しすぎて東アジアのみんなおはようこんにちはおやすみ!ってなことになると思いますあの

あるいは、皆おはようこんにちはおやすみ!の挨拶に替わる

「こんにちも!(今日もよい環境です。)」なんて言葉ができたりして、なんのこっちゃ

今とてもテンションが高いです 中二病なので

とりあえずそこに始まって、当たり前だけど、精神状態や行動の動機に大きな変化が起こるんだろうなと

それを思うと本当にワクワクドキドキしてくるわけです

話変わって、最近友達の友達の友達が何かを悟ったらしい わはは

しかしその話を聞いたときに、あやかりたいと思わなかったのはカルトショックの影響なんだろうか

そういう?悟りといわれる抽象度の高い認識を、伝統的な宗教カルトへの拒否反応を回避しながら

世間の必要に応じて一般化(情報強者だけではなく、おっさんにもおばはんにもヤンキーにもニートにも)するには

どうすればいいんだろうなあとふと思った

カルト的な論理認知のものでなければ、早めに共有してほしいと思うので

こんな支離滅裂なことを書いておいて何が言いたかったのかというと

アセンションが)起こるならさっさと起こりやがれーー!!!(諸分けあって経済的困難を抱えたべジータ風に)

2010-02-02

twitterはそろそろ見限って良いでしょ

先ず最近特に思うのは、140文字の中で@なんとかRT:だのQTだの、せっかくでっかい独り言を言うだけの場所だったのに

無理矢理な使い方に広げて行こうとしてる、という事。

twitterは「相互で」コミュニケーションする事を強要されないから、独り言の様に気易く参加出来るんですよ。

って「元々」の考えは理解出来るし、後発のコミュニケーションサービスとしてはそういった新しいパラダイム

必要だと思うけど、相互じゃ無くて良い、言いっ放しで良い、けど、そんなでっかい独り言をせっかくだから

誰かに聞かせられる場、ってのに意味があるんだろ、その意味が「ビジネスツール」なのか

アピール下手の為の「ハードルの低い出会い系」なのかは知らないけども、どちらにしろ人を集めれなきゃ

存在する意味さえ無いし。

なら、フォローなんて考えむしろ要らないでしょ、参加して直ぐは全員のツィートが表示されているし、

(まぁさすがに読めなきゃ意味ないだろうから、表示言語圏の選択くらい出来ても良いだろうけど)

自分の発言は全員に見られる、それが何万人相手だろうが。

で、そこから見てて興味が無い独り言やウザい奴だけブロックしていけば良い。

それがメンドクサイとか使いづらいって思うのなら、つぶやきを垂れ流すサービスじゃなくて、

もっと発言や遣り取りの流れを管理して行える他のものを使う方が良いだろうし。

それなら全員コテハン前提のスレッドフロート掲示板で「>>」で発言をツリー形成して追いかけられる、

とかの方が遣り取りのし易さでも、TLの見易さでも、参加しようとする他の人が状況を把握する上でも

良いだろうに、と思えてならない。

で、何が言いたいかって言うと、結局は日本においては2chがいかにコミュニケーションの場として

完成されているか、ってのをtwitterによって意識しただけだったと。

日本では2chコミュニティの有り様として完成し過ぎていて、それが、物珍しさが過ぎるとfacebook

tumblerもおそらくtwitterも下火になる理由なんじゃないかな。

あれだけの参加人数が、あれだけ集中して発言しあっても、議論したければそれが可能だし、言いっ放したければ

それも可能で、混沌としてるとは言われつつも、独自の空気感や、そこから一般社会へのトレンドすら生み出せる

擬似的な一体感や、それを守ったり育てたりしていける帰属意識みたいなものを、錯覚させる事も出来る、

もうコミュニケーションの器として他のものとは比べ物にならないくらい、完成してるし、システムとしても

無理無く誰でも扱い易いって事でもある。

匿名である事が問題だとかは、個人的には、「自由で活発なコミュニケーション」の本質にとっては、重要な事だとは

とても思えないけど、ある程度の品性mixi程度の顕名性が必要とされるのなら、単にスレッド掲示板に、

ID登録を必要とさせてプロフィールページがあれば良いだけなんだし。

マーケティング媒体としては、失敗したセカンドライフや、すぐ炎上する扱いにくいブログを絡ませるより、ハードル低くて

利用し易そう、って流れが出来たらもう終わりは近いでしょ。

2010-01-21

http://anond.hatelabo.jp/20091221220747

http://d.hatena.ne.jp/ogwata/20100119/p1

一往、俺の意見も内容一覧に載ってる様だな。唯、過激な方の意見のみ掲載されちまったのが残念だ。

俺は色々な意見を書いた中でこんな方向で検討してみたらどうかとも書いて出した。現状、法務省制定の「漢字の表」にしても、JIS規格の第1水準から第4水準にしても、収録された漢字には正字も在れば異体字もある。其れ等の漢字が一緒くたになって未整理のままになってしまって居る。手書きで使用できる漢字は一字種多字体でいいから、公的な場では正しい字体を選ばせられる様な、混沌の中に一本の筋を通せる漢字政策は出来ないものか。大体こんな感じの意見も書いたのだが、完全に無視されたみたいだ。所詮は石頭の集りだったか。字種の出し入れなんてどうでもいいんだよ。兎に角残念な話だ。

最後に一言。ogwataさんお疲れ様です。

2010-01-08

バカにわずらわされずに生きるには……[ライフファック]

差別するようなバカは、差別されても仕方ないと思う。「差別をするバカ」と差別されて仕方ない。

 

それにしても、頭がいい人間頭が悪い人間(彼らにとっては「人間」ではなく「ケモノ」なのかもしれないけど)を差別しても寛容なのはなぜだろうか?

 

ネットって言うのは自動車教習所みたいだ、っていうエントリがあった。インテリヤンキーおたくDQNヨシモトもアキンドもゲイニンもいて混沌な場所だ、って言う話だった気がする。そのブコメに、ああいう場所(自動車教習所)は苦手だ、みたいなことを書いてあった人がいた。頭のいい人だ。

 

たとえば、DQNヤンキーやバカが苦手で同じ場所(公共の場所)にいたくない、なんて、言っても拍手喝さいかもしれない、頭のいい人は。だけど、バカDQNヤンキー朝鮮人部落知的障碍者変換したらどうなんだろうか。

 

わたしはあたまがいいっていうことを理由にいじめられた、そんなエントリがあった。まあ、そういうこともあるだろう。しかし、「わたし」以外のいじめの場合、圧倒的にあたまが悪いの方が多い(いじめの理由付けの一番は見た目だと思う。二番目がバカ)。でも、あたまのいい人は頭がいいということでいじめられたと共感する。

 

頭がいいって言うのは、頭が悪い人間にとってそれだけで暴力に近かったりする。コミュニケーションには暴力がいつも含まれている。だけど、頭のよしあしで立場(位置エネルギー)が違い、コミュニケーションによる暴力的な部分の運動エネルギーに変換されて、痛いんだよね。

 

子ども嫌いで、子どもとかかわらずに生きても文句を言われない社会ってとてもいいなあ、と思う。ぼくが子どもが苦手だからである。ロリエでもロリ絵でも猫耳メガネショタでも女装ぼくっこでもヌけるぼくですが、子どもは苦手だ。いままで童貞でこれからも童貞であろう貧乏なぼくは子どもを育てることはないだろう。まあでも、もし、自分子どもができたとしても、苦手だろうなと思う。しかし、だけど、子どもと接さずに社会生活を送るって変だ。虐待親とか非難しても、なにかおかしい。

子どもとかかわらずに生きることができるって、子どもを壁の中に閉じ込めているってことじゃないのか?そういえば、子どものときは、ぼくはいつも、不自由で不機嫌だった。今も、不自由で不機嫌だけど、あのころよりはましな気がする。

 

それと同じ。頭がいいであろうあなたたちが、頭のわるい人を閉じ込めていない?ってはなし。いや、実際、とても不自由を感じるわけです。でも、頭がいい人は、そんなわけがない、平等だ、って言うんだろうかな。

頭がいい人はだいたい頭の悪い人が嫌いだ。そして意識的に無意識的に壁を作る。バカに入れない壁。そんなことをしていないとは言うが、言葉暴力や知性で傷つけたり操ろうとしたり見えなくしたりする。

 

あと、大学って研究機関でもあるんだろうけど、教育機関なんだから、バカを落とすなよ、と、最後に低偏差値低学歴IQのマスダは思います。

2010-01-06

バカにわずらわされずに生きるには……[ライフファック]

差別するようなバカは、差別されても仕方ないと思う。「差別をするバカ」と差別されて仕方ない。

 

それにしても、頭がいい人間頭が悪い人間(彼らにとっては「人間」ではなく「ケモノ」なのかもしれないけど)を差別しても寛容なのはなぜだろうか?

 

ネットって言うのは自動車教習所みたいだ、っていうエントリがあった。インテリヤンキーおたくDQNヨシモトもアキンドもゲイニンもいて混沌な場所だ、って言う話だった気がする。そのブコメに、ああいう場所(自動車教習所)は苦手だ、みたいなことを書いてあった人がいた。頭のいい人だ。

 

たとえば、DQNヤンキーやバカが苦手で同じ場所(公共の場所)にいたくない、なんて、言っても拍手喝さいかもしれない、頭のいい人は。だけど、バカDQNヤンキー朝鮮人部落知的障碍者変換したらどうなんだろうか。

 

わたしはあたまがいいっていうことを理由にいじめられた、そんなエントリがあった。まあ、そういうこともあるだろう。しかし、「わたし」以外のいじめの場合、圧倒的にあたまが悪いの方が多い(いじめの理由付けの一番は見た目だと思う。二番目がバカ)。でも、あたまのいい人は頭がいいということでいじめられたと共感する。

 

頭がいいって言うのは、頭が悪い人間にとってそれだけで暴力に近かったりする。コミュニケーションには暴力がいつも含まれている。だけど、頭のよしあしで立場(位置エネルギー)が違い、コミュニケーションによる暴力的な部分の運動エネルギーに変換されて、痛いんだよね。

 

子ども嫌いで、子どもとかかわらずに生きても文句を言われない社会ってとてもいいなあ、と思う。ぼくが子どもが苦手だからである。ロリエでもロリ絵でも猫耳メガネショタでも女装ぼくっこでもヌけるぼくですが、子どもは苦手だ。いままで童貞でこれからも童貞であろう貧乏なぼくは子どもを育てることはないだろう。まあでも、もし、自分子どもができたとしても、苦手だろうなと思う。しかし、だけど、子どもと接さずに社会生活を送るって変だ。虐待親とか非難しても、なにかおかしい。

子どもとかかわらずに生きることができるって、子どもを壁の中に閉じ込めているってことじゃないのか?そういえば、子どものときは、ぼくはいつも、不自由で不機嫌だった。今も、不自由で不機嫌だけど、あのころよりはましな気がする。

 

それと同じ。頭がいいであろうあなたたちが、頭のわるい人を閉じ込めていない?ってはなし。いや、実際、とても不自由を感じるわけです。でも、頭がいい人は、そんなわけがない、平等だ、って言うんだろうかな。

頭がいい人はだいたい頭の悪い人が嫌いだ。そして意識的に無意識的に壁を作る。バカに入れない壁。そんなことをしていないとは言うが、言葉暴力や知性で傷つけたり操ろうとしたり見えなくしたりする。

 

あと、大学って研究機関でもあるんだろうけど、教育機関なんだから、バカを落とすなよ、と、最後に低偏差値低学歴IQのマスダは思います。

2009-12-29

研究者には社会性がないといわれることへの考察

 研究者には社会性のない人が多いという話はよく聞きます。自分大学にいた4年間をみてみると、研究の深いとこまでは何してるかわかんないのですが、しっかりしている人もいたし、そうでない人もいました。それは、約束時間を守る、人と親しくする、挨拶をする、気を配る、自分が間違っていた時には謝るなんてことなど一般的なことです。中には、そういったことのできない(だけなら、まだいいですが・・・)社会性というか社会人として人としてどうなの???とう人も見たり聞いたりしました。例えば、学生を道具のように扱っている、お茶を入れてもありがとうの一言もない、研究しかしない、人と接しない、他人を侮辱する人間性を否定するようなことをを簡単に言ったり、etc.

 それって何でだったんだろう?と今日は考えてみました。

社会性のない研究者タイプ

 恐らくいろんなタイプの人がいる、社会性に関しても、ある人、ない人、出来るけどやってない人、そういった人が、どうやって出来てくるのか?ということを考えてみました。

研究者社会性が無くとも何とかなってしまう

 研究して業績があって、会議や最低限の講義をこなせばどうにかなってしまう(実力主義なこの部分は、個人的に好感がもてます)。周囲にも、社交的でなくて大丈夫な人が多いので許されちゃったり、本人も学ぶ気がない。

出来るけどやんない

 「僕って、理系なんで社会性なくって、イヤ~、人と違うからまいっちゃうなww」みたいなナルシズムがあるタイプ。(これは私がオタリーマンを読んだ時に、この種のナルシズムをプンプン感じて、作者の鼻の穴が開いてる映像が浮かびました。あ これ完全にオタリーマン感想です。)

ニワトリが先かたまごが先か?: 社会性がなかったから研究者になった?

 これが一番に思いついたこと。昔から勉強ができるタイプの友人には、3種類の人がいた。

1.知的探求心、処理能力が高く、勉強が好き(正に研究者向きの性格という感じですかね)

2.ちっちゃい頃はそんなに勉強しなくてスポーツや遊びに夢中で、塾や高校に行きだしてからポテンシャルの高さを発揮する。

3.人付き合いやスポーツは苦手。勉強でなら勝負できる、勉強面でしかやることを見出せない。また、勉強しなければいけないという思い込みが強い。

 1.と2.は持ち前の処理能力の高さが目立つ人たち。

 3.のタイプの人って結構な割合を占めていると思うんですよ。たまに、3.のタイプは、成績いいけどそんな頭良くないよねなんていわれることがあるが、私はそうは思いません。そのタイプでも、本当に頭がいい人はいます。

 ただし、3.のタイプの人の社会性を問われると、根底にある(んではないかと私は思う)劣等感嫌悪感や、思春期青年期の複雑でやや乱暴な世代の中で人付き合いを学ぶ機会を拒否してしまったりで、コミュニケーション技術を育てず、結果的に社会性がなくなってしまうのではないかと思うんです。

(3.になれないタイプ、どこかで勝負できる場所を見つけたいけど、勉強やっても無理だったって場合には、別の場所を見つけることにはなるんだろうけど・・・うーんって感じ。)

 3.の場合、他のレパートリーがないから、勉強に特化して掘り下げることが出来たんだろうし、そのレパートリーの無さが、研究能力を高め、その人を生かしているとも言えなくはないと思う。成長過程で何かしらの傷をおって、人から離れ、それでもそれが本人を生かしているとしたら、その混沌さがまた、人間らしくも思えて、昔理解できなかった大学研究職の方々とも少しは歩み寄れそうな気がしました。

2009-12-26

悪に心を従事させる絶対完璧超人天才マッドサイエンティストになって世の中の気に入らない事をぶっ壊していきたい。特に嫌な奴に何かしたい。でも命を奪うとかそういう残虐すぎる事はしないで、あくまでも失明させるとか歩けなくさせる程度に留めておく。そしてそいつと俺が《敗北し苦しみに悶え服従するしかない哀れな人間と、何もかもを超越した全ての面において勝る存在》という関係に成った直後に

貴様は今まで人に与えてきた苦悩を背負って一生を過ごすのだ!精々苦しむが良いHAHAHAHAHA....!」

捨て台詞を残して社会混沌が生む闇へと消え去りたい。

2009-12-22

こんな例えを、我は人間に示すのは、おそらく彼らは熟考するであろうと思うからである。

ある日二人の男が尋常でない影響を受けて気を失ってしまった。目が覚めると不思議世界に連れて来られたのに気づいた。その世界はすばらしく完璧ともいえる秩序で創られている、国、町あるいは宮殿のようだった。彼らは大変驚きあたりを見回した。そこは広大な世界で、整然とした国、申し分のない町であり、少しの別の見方をすれば、雄大な世界をすべて取りこんだ一つの宮殿ともいえた。

この不思議世界を歩き回ってみると、色々な生き物がいることに気付いた。その生き物はある方法で話をしているのだが、この2人には彼らの言葉はわからず、ただ彼らの様子から、彼らが大切な仕事、重大な義務を果たしていることは2人にも理解できた。

2人の1人が友人に言うには、「この不思議世界にはすべてを取り計らっている何者かが存在するはずです。この申し分のないすばらしい町の所有者、見事に作られた宮殿建築家がいるはずです。私達は努力しなければいけません。そうすれば、その主を知り認められるにちがいありません。というのはここに私達を連れてきたのは彼だからです。彼の存在を認めなければ、誰が私達を救ってくれるのでしょうか?彼らの言葉もわからず、又私達に耳を傾けない無力な生き物に何か望むことができますか?広大な世界を、国、町及び宮殿を形づくり、端から端まで、すばらしく装飾したその主は、私達やここのきた人々に何か望んでいることがあるはずです。その主を知り、存在を認めなければいけません。そして何を望んでいるのかを知る必要があります。」

もう1人の男は「俺はそれを信じない、お前が話すような主が存在していること、またはこの全世界を一人で制御するということは無理だ.」と言った。

「私達がその主の存在を認めず、彼に無関心であり続けても私達には何の益もありません。でも、その主を認めないことが害をもたらすなら、莫大な害となることでしょう。もし、認める努力をするなら、それほど苦難はないでしょうが、報奨は多大です。ですから、彼に無関心でありつづけることは賢いことではありません。」と友人は返答した。

思慮ない人が、「俺はそういうことを考えない方よく楽しめると思う。俺には理解しづらいことを考える気はない。ここで全ての事は偶然で混沌としている。あれやこれやと頭を痛めて何の役に立つのか。」といった。

すると、思慮深い友人が返答した。「君のこの頑固さは私や多くの人達をこまらせるでしょう。独りの無作法者のせいで、町全体が壊されることがよくあることです。」

又、思慮のない友人が振向いて「この全世界の唯一の支配者、唯一の制御者、唯一の創造主が存在していると確実に証明してくれ。さもなければ、俺のことほっといてくれ」といった。

思慮深い友人が答えた。「あなたの頑固さは気違いじみています。その頑固さのために、私達を、いやおそらく国をも深い悲しみの陥れ、害を齎すことでしょう。ですから、私は宮殿のようなこの世界、及び、町のような国には唯一の創造主が存在していることを証明する12のプルーフをあなたに示します。全てを動かして管理しているのはその主のみです。その主には不足ということがなく、我々に見えないその主は、我々全てを見、我々の言葉を聞きます。その主の作品は全て、奇跡であり感嘆すべきものです。我々が見た言語の分からないこの生き物はすべてその主のために働く人々です。」

2009-11-29

都会的な「洗練」とは。

都会は放っといても様々な地域、国から人が集まる。

従って「都会的な洗練」とは「コスモポリス」の事であり、

混沌の中で発生する秩序の事である。と聞いていたのだが、

どうやら違うようですね。見たまんまカオスですからな。増田(笑)

            〜T/H

2009-11-03

http://anond.hatelabo.jp/20091103203634

規制が少ない、アナーキーなものであることの何が悪いのか、さっぱりわからない。

短歌や何かのような、一定の制限規則下での表現を楽しむことを否定するつもりは無いけれども、その逆の、混沌の淵から湧き上がってきたような表現もまた別の良さがあるんじゃないのか?別にエログロに限らず。

また、その評価は、制限規則下にある作品とは異なっているべきなのは当然だし、その作品の追求する方向性に応じたものでなければならない。後期ピカソの絵画を写実主義の観点から評価することの滑稽であるのと同じ。また、その対象も重要になる。大衆向け作品であれば、大衆欲望により迎合することは、より理に適っており、大衆の求めぬほどの難解さや芸術性をのみ追求することは、全くもって無意味であるばかりか、害悪でさえあると評価されねばならない。もちろん、芸術性を秘めた大衆向け作品もあるだろうし、そういった作品は相応に高く評価すべきだろうけど。

2009-10-29

2ちゃんねるで超大規模規制

29日未明、岡田外務大臣削除要請事件に関連してVIPPERなどによる運営への凸が発生し、2ちゃんねるで超大規模規制が発生した模様です。

niftyplalaso-netsoftbank(一部除く)、ocn(一部地域除く)等大手プロバイダーの大多数が全板で規制され、期間は現在のところ約2週間の見込み。

現場では「ミンスの言論統制だ!!」「ネトウヨ死ね!!」と怒号が飛び交っており混沌とした状況です。

一夜明け、日中組の運営への記念真紀子も予想され更なる被害の拡大が懸念されています。以上現場からお送りしました。

2009-10-28

[][]「一人一人は完全に自由な個人でも、個人の行動が組み合わさると、集団としては予測可能」「おのおのが独自の予測に影響されて行動を起こす人間の集合体」

第二の実験では、人々に人種差別意識などなく、異人種と軒を接することに満足する人々を想定した。ただし、自分の家が異人種の家に取り囲まれてしまうような、極端なマイノリティ状態になるときだけ転居するようにルールを設定した。これは人種差別意識とはいえない、人間自然な感情である。

ところが誰一人として差別意識を持たない第二の実験でも、人々はきれいに分離してしまった。融合に満足する個人の集団でも、罪のない小さな選好があることが原因で、人々は物理法則に従う水と油のように分離を進めてしまう。

人間の複雑な心がわからなくても、集団としての振る舞いは物理学と同じアプローチで解明することが可能なはずだ、というのが社会物理学の考え方だ。個人が何を考えていようと、全体として現れるパターン法則性を見出そうとする。

「一人一人は完全に自由な個人でも、個人の行動が組み合わさると、集団としては予測可能な結果がもたらされる。これが物理学で見られる現象にそっくりなのは、物理学では、原子レベル混沌とした状態が熱力学惑星運動時計仕掛けのような精確さに取って代わられるからである。」

人間をかなり単純な諸規則に従う原子分子のようなものと見なし、それらの規則がもたらすパターンを突き止める努力をすべきなのだ。」というシェリングの考え方で、社会的人間シンプル原子モデルに置き換える。直感に頼った思考、他者との関わりにおける学習適応、人の模倣をしたがる心理、仲間との協調という、ふるまい属性をもった人間が相互作用すると、人間社会に実際によく見られるパターンが生み出される。現代のコンピュータを使って大規模に解析すれば、社会法則を見出すことができるというのが著者の主張だ。

http://www.ringolab.com/note/daiya/2009/10/post-1094.html


天気予報がそうであるように、経済予測というものも、極めて複雑なシステムランダムに発生するショックと対峙せねばならず、我々が持っているデータや理解は常に不完全であると思い知らされる。見方によっては経済予測天気予報よりも難しいかもしれない。なぜなら、経済というものは物理学法則にしたがって行動する分子の集合体ではなく、おのおのが未来を考えおのおのが独自の予測に影響されて行動を起こす人間の集合体であるからだ。

http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/bc75e1c5cd62d8b464a68843d4bf93d7

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