はてなキーワード: タウン誌とは
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原口一博(公式) · 4,139人が「いいね!」と言っています 日曜日 10:44 · ..
朗らかであれば、その日は好日だ
昨日は、八女で講演をさせてもらって博多で友人が主催するタウン誌の取材を受けた。
(中略)
上京。
日米首脳会談の「冷え冷えとした雰囲気」も伝わってくる。
民主党政権が日米関係を壊したとして強固な日米関係修復を強調したい安倍首相の思惑は、大きく外れたようだ。
野田政権は、これまでにない蜜月政権だったという認識を米政権が持っているのは間違いない。
第一、聖域なき関税撤廃しかないのならばTPP交渉そのものが成り立たない。交渉の意味すらない。
その言葉で推薦をして自民党を大勝ちさせた勢力が、今更何と言おうと手遅れだ。
立場は私とは、違うが、 まだみんなの党の渡辺代表の方がはるかに正直だ。
強調は投稿者による。
相手と一緒に楽しみ楽しませるのがデートなので、しょっぱなの店選びの段階でそれを放棄するくらいなら最初からデートに誘わない方がまし
ネットやタウン誌見てどこの店に行こうかわくわくして店下見してデート用の服買う準備程度の事を負担ではなく楽しみと感じられない人は男女問わずそもそも異性と付き合わないほうがいい
一般化すんなよ。
正しくは以下。
自分は、相手と一緒に楽しみ楽しませるのがデートだと思っている。なので、しょっぱなの店選びの段階でそれを放棄ような人間からは絶対に誘われたくない。
ネットやタウン誌見てどこの店に行こうかわくわくして店下見してデート用の服買う準備程度の事を負担ではなく楽しみと感じられない人とは付き合いたくない。
相手と一緒に楽しみ楽しませるのがデートなので、しょっぱなの店選びの段階でそれを放棄するくらいなら最初からデートに誘わない方がまし
ネットやタウン誌見てどこの店に行こうかわくわくして店下見してデート用の服買う準備程度の事を負担ではなく楽しみと感じられない人は男女問わずそもそも異性と付き合わないほうがいい
それ以上の年齢になったら「お昼をご一緒した」というだけで相手はデートとも思ってない可能性アリ
他の女「初デートどこ行ってきたの」
他の女「女性大事にしなさそう、別れたら?別れた方がいいんじゃない?」
それどころか知られたら女達に陰で笑われるかもね ファミレスに誘われた女性がだ
お礼は言うだろうけど、好きでもなんでもない男に初デートにファミレスで誘われて喜ぶ女いるのかな?
内心「初デートからファミレス・・・うわ」と思われるのが関の山
話が面白いかイケメン補正があるか女が男に惚れてるなら話は別だけど
「おらが村に始めてファミレスが出来たから一緒に行ってみるべや」
この位の田舎でファミレス以外に飲食店が無い所なら仕方ないけど
グルーポンはフラッシュマーケティングであって、昔からホットペッパーとか地元タウン誌とかでやっているものとは別物。
大きな違いとしては、
・短期間(数週間)の限定とすることでとにかく煽る。
昔からの奴はそんなに割り引かれないし、1~数ヶ月の長期間なので閑散期の客集め用だわな。
繁忙期には割引率落ちるでしょホットペッパーとかだと。
・二重価格表示を不正に行うことで利益を出そうとしている事が多い。
http://www.caa.go.jp/representation/pdf/100121premiums_35.pdf
一般的には,二重価格表示を行う最近時(最近時については,セール開始時点からさかのぼる八週間について検討されるものとするが,当該商品が販売されていた期間が八週間未満の場合には,当該期間について検討されるものとする。)において,当該価格で販売されていた期間が当該商品が販売されていた期間の過半を占めているときには,「最近相当期間にわたって販売されていた価格」とみてよいものと考えられる。
って消費者庁のガイドラインに書いてる事から外れてる=景品表示法でしょっ引かれる可能性があるって事。
なんで、まぁいろいろヤバい。
他の出版社や作家も皆東京に住んでいてその方が格段に商売がしやすいんだから当たり前。
有名人が来なければ盛り上がらないのは当たり前じゃないの?
いやあ。人口や人口密度が関連するような話は、なるべく避けるように言葉を選んだつもりだったんだけども。
同じミクのライブでも、東京では自発的に盛り上がるけど、札幌ではガン見なんだだよねって事を主に言いたかった。ただ、札幌ライブでも、ほんの一部ではサイリウム振ってる人もいたんだよね。多分東京からのお客様。楽しむ事をよく分かっている人。
http://anond.hatelabo.jp/20090627152057
最近ブームか知らんけど、女と金とセックスにまったく興味が無い草食系男子でつ。|´・ω・)ノ
今年に入ってかなりたくさんの婚活女子さんとデートを繰り返してきたの(強引に誘われるので)ですが、
ありえないレベルの低さにヘキエキ
特に僕がIT系なのでIT系の女子中心なってしまうのですが
いやはやひどいひどい。
ありえないランキング
5 飯に関してやたらうるさい
特に多いのが雑誌女。
女性誌やタウン誌に載ってる場所しか知らない情報弱者。お前それでもIT系か?
あげくの果てに自分は大して払わないくせにクーポンにケチつけられた日には(゚Д゚;
4 モテるアピール
「言い寄ってくる男がしょぼいのばっかりでー」とか(-Д-)
3 マナーがひどい
たとえば、一緒に歩く時、車道側に勝手に広がって歩くとか(周り見て歩けよ)
下座に座るケンキョさが無いとか
仕事できなそう( -人-)
2 割り勘
ネットでは色々いわれてますが、おごられて当然と思ってる女は男子的にはやっぱりアウトですね
一番きついのが、上からにならないように気遣って「1000円でいいよ」って言ってるのに不満そうなやつ
お前はどうすれば満足なの?凸(゚Д゚#)
リアルでは「きょうはたのしかったですぅまた誘って下さいねはぁと」とかやってくるくせに
帰宅したら増田で「婚活で遭遇したありえないIT系男子」とか嬉々として話してる女子
やめて~ 回りが引いてるよ~(/ω\)(マジで)
やっぱり結婚相手にIT系女子は避けたいものです
おかしいのばっか
初デートで「何食べたい?」って聞かれたらって、これ、普通は男が女性に対してする質問ですよね。
まあ、男としてはある程度もう方法っていうか経験っていうか、マニュアル通りのテクニックみたいになりますけど、「何食べたい?」っていう質問は基本的にしないわけですよ。いや、しますけど。
「何食べたい?」って聞くじゃないですか? で、そこで女の子がすぐに「焼肉!」とか行ってくれれば話は簡単ですけどそうじゃない場合が多いですよね? 「うーーーん」とか言って黙って考え出しちゃったりする。だからこっちとしては数秒の沈黙を待った後「ちょっと雰囲気の良い落ち着ける美味しいイタリアンをこの間見つけたんだけど、どうかな?」とか言うわけです。
そんなの、モテ系男子だったら自然に言えるかもしれませんけど、違いますよ!勘違いしないでくださいね!自分みたいな大してモテもしない男がこういうことをさりげなさを装って言う時って、裏では事前に雑誌やタウン誌の情報なんかをひたすらチェックしてデートの前に何店舗か事前に行って食べてみて、味を確かめて、ってやってますからね?モテるための努力っていうか、「俺は美味しいお店を知ってるイケメン」を必死で演じてるだけですから!顔はフツメン以下なのに!
で、大抵の場合、「うーん、パスタ昨日食べたし、、、」とか女の子はおっしゃるわけですよ!なんでこんな高いテンションで語ってるのかよくわからなくなってきましたけど、とにかく、最初に薦めたお店でそのまますんなり決まるなんていうのははっきり言ってレアケースです!
だからね。モテない男は努力してるんです。次の一手も用意してあるんです。
「じゃあ、何がいい?イタリアンは駄目?和食と中華と洋食ならどれがいい?」とか言ってどんどん選択肢を絞っていくわけですよ。ほんとさりげなく言ってるつもりですけど、実際は頭の中は高速でぐるぐる回転してますからね!寿司ならどこどこでいくらくらい、最初のデートで回転寿司だったら引くかな?それとも遠慮して「美味しかったら回転寿司でもいいよ」って言ってくれるかな?とか、もうそりゃパソコンのハードディスクで言えばガリガリ言ってるくらい高速回転ですよ!
ぶっちゃけ、吉野家とかすき家に行きたいんですけど、なかなか、ね。最初のデートで牛丼、ってね。言えないわけですよ。相手に失礼になるし、本気じゃないと思われちゃうし。
だから一番楽な聞き方は、初デートの女性に対して「何食べたい? ○○(お寿司やさんの名前)、△△(洋食屋さんの名前)、□□(イタリアン)のどれがいい?」とか聞くんです。限定して、相手に選んでもらう。3択問題にしちゃう。
こうすると、まあ大抵はなんとかなります。後は相手の話を聞きつつ、3択のどれかに誘導していきます。これで決まらないときは「お腹が空いたからもうあそこにしよっか」って感じで目の前にある入ったことはないけど無難そうなお店に行きます。
自分はこういう感じなんですけど、他の男性方とかどうなんですかね?
あるいは世の女性の方々も初デートで何食べたい?って聞かれたらこう答える、っていう自分なりのパターンがあったりするもんなんですかね?それともやっぱりそのときの気分が最重要?
出来れば仕事とか服装である程度察していただいて、「●●(値段も手ごろでそこそこ美味しいお店)行きたかったんだけど、連れてってくれる?」とかおっしゃっていただけると世の男性陣は大変ありがたいと思うのです、僕を含めて。
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多くの外的要因により、地方の雑誌メディア「タウン誌」は苦戦を余儀なくされています。しかしそうなるに至った原因として、衰退してしかるべきとも言える組織の弱さ、企業として未成熟な部分があることを語らなければならないでしょう。
現在、タウン誌の現場スタッフ、とりわけ若い世代は先のことなど考えられないほどの激務に晒されています。「タウン誌」という媒体の行く末を見定め、舵を取らなければならない経営サイドは、激変する環境に有効な手だても打てぬまま、「創刊当時はもっと大変だった」「自分たちもやってきたことだ」を繰り返すばかりです。
労働環境の過酷さと、それに起因する離職率の高さ。あまりの回転の速さに社員教育もままならず、それが社員の士気とモラルの低下にも繋がる悪循環。そのような環境下で、現場の核とならなければならない女子社員(一般の会社よりも女性社員の率が高く、ほぼ半数が女性という会社が多いそうです)は、子どもが出来ればこの激務は続けられるわけもなく、ほぼ間違いなく退職を余儀なくされます。このような「人材使い捨て」の職場環境で、技術だけでなく人的ネットワークも含めたノウハウの伝達が途切れてしまっています。ごく一部であって欲しいのですが、「うちで経験を積んで、他の企業に誘われる人間になれ。それで辞められるのは一向にかまわない」などと社員の前で公言する経営者もいると聞きます。
タウン誌黎明期の20??30年前、今は経営サイドに机を並べる人たちが、タウン誌という媒体をゼロから作り上げた苦労は、想像を絶するものであったといいます。人からは酔狂といわれ、地方初の若者向け雑誌など続くわけないと陰口を叩かれながらも、タウン誌というものをひとつのメディアとして育て上げたのです。その結果、タウン誌のスタッフは街のオピニオンリーダーになりました。強力な個性とバイタリティを持ち、様々な仕掛けを繰り出し、街を動かしていたのです。そこには挑戦者としてのモチベーションがありました。当時のタウン誌のスタッフたちは、誌面にだけに止まらず「誰もやったことがないこと」を、一地方都市で次々と実現していきました。それは往々にして東京の若者ムーブメントの焼き直し的なイベントや仕掛けであったりもしましたが、確実に地方都市の若者たちの心を掴み、動かしていたのです。時代はまさにバブル期。機を見て敏な中央の大手代理店は、こぞってタウン誌と組んだイベントやキャンペーンに大金をつぎ込みました(それでも地方の新聞やテレビを使うよりも格安だったようですが)。若者というセグメントされたターゲットに、確実にメッセージを届けられる媒体として、タウン誌は唯一無二の存在だったのです。そして、その支持率も相当なものでした。「おしゃれな人はタウン誌を読んでいる」そんな嘘みたいなことが、ほんの20年前には確かにあったのです。
しかし、いくら影響力があるとはいえ、タウン誌の出版社なんて、所詮社員数など20人にも及ばない零細企業ばかりです。「好きじゃなければとてもやっていられない」ような薄給と激務に、当時からかなり社員の出入りは激しかったそうです。出来ない人間は、過酷な労働条件に音を上げ、出来る人間は自分の能力をもっと高く買ってくれる場所を求めて去っていく。数多あるタウン誌の出版社の中で、「企業化」に成功したのはごく少数でした。そして、その結果、立場を「経営陣」に変えた創刊メンバーを継ぐべき世代はほとんど残らず、経営陣の下で常に20??30代の若い社員が入れ替わり続けるという状況が生まれています。
社員を育て上げても、仕事を覚えた端から(あるいは覚える間もなく)次々と退職していく。それがタウン誌出版社という組織の典型的な姿なのです。
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きっかけは「ホットペッパー」でした。しかし、今までの対抗媒体とは比較にならないスピードで広告クライアントを奪われ、慌てて『聖域』を放棄し、広告収益から屋台骨を立て直そうとしたのは、タウン誌自身に他なりません。「ホットペッパー」や「フリーペーパー」と差別化が可能だった唯一の武器を捨て、同じ土俵に立ってしまった。それが現在、地方の雑誌メディア「タウン誌」が置かれている現状です。「なかなか記事で扱ってもらえない雑誌」から「お金さえ出せば記事が載る雑誌」に。街のタウン誌に対する印象は、以前とは180度変わってしまいました。
ホットペッパーショックで、『プライドか、金か』の選択を迫られ、『金』を選択したタウン誌の多くが、苦境に立たされました。一方、『プライド』を堅持したタウン誌も決して順調と言える状況ではありません。
この先、タウン誌がどうなっていくのか。それは誰にも分かりません。全国のタウン誌は、自分たちでは無理な突破口を、誰かが開いてくれることを待ち続けていました。敗色濃厚な戦場で、来るあてのない援軍を待ち続ける孤立した部隊のように。しかし、疲弊しきった兵士達の瞳は、まだ力を失ってはいませんでした。混乱する司令官が発する無茶な攻撃命令を受け流し、現場レベルで「どこで戦略を間違ったのか」「どうすれば生き残っていけるのか」を、努めて冷静に振り返りはじめたのです。タウン誌が読者の"信頼"を取り戻すのは、並大抵のことではありません。しかし、『金』を選んだタウン誌も、『プライド』を守ったタウン誌も、それぞれがそれぞれの方法で"信頼"回復を模索しまじめました。
その過程で、現場スタッフ同士でのネットワークが構築され、情報交換を始めたタウン誌もあると聞きます。編集長が交代し、部数減をくい止めながら若年層の取り込みに成功したタウン誌も出てきています。また、記事広告のあり方を見直すことによって、従来のように広告と記事の区別をつけながら、どう"広告"を魅力的に見せるかということに取り組みはじめたタウン誌もあります。積極的に県庁や役場などに働きかけ、それまで印刷会社や広告代理店が牛耳っていた観光や行政などの自治体広報に、雑誌媒体で培ったノウハウと人脈を生かして取り組む会社も増えてきています。ウェブ制作、イベント運営、小売りFC加盟、テナント経営、不動産賃貸。地方でタウン誌を発行している各社は、積極的に多角化の道を探っています。
取り巻く環境は変わっても、地方のエンドユーザーに一番近い媒体だからこそ、「読者から信頼される確かな情報」を疎かにしてはならない。"信頼されるメディアであること"を、もう一度柱に据え、タウン誌は再生の道を探っています。
しかし、ここまでに挙げた外的要因だけでなく、タウン誌を発行する出版社そのものにも問題点は多々あります。
つづく
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『広告と記事。読者にとっては、どちらもタウン誌から得られる情報です。でも、広告と記事は、「区別すべきもの」でした』。第1回目の記事で書いたこの大原則を支えていたのは、かつて『聖域』であった編集方針、編集権です。編集がイニシアチブを握り、クライアントににおもねることのない特集や記事を作成していたからこそ、地方のタウン誌は「あの本に載っている店なら(まぁ)間違いない」という信頼感をもって読者たちに受け入れられていたのです。その頃の広告は、あたかも人気番組の幕間に入るCMのように、「お店からのお得なお知らせ」として誌面を彩っていました。ただ、このような広告モデルは、もう時代遅れなのかも知れません。最近、はっきりCMと分かるCMは少なくなってきましたよね。テレビ番組なんかだと、情報番組の内容に巧妙にスポンサーの商品やサービスを取り上げたりだとか。スポンサーを持ち上げた番組作りが、今やほぼ公然と行われています。ニュースでさえも、スポンサーの手前、本当に伝えるべきことについてまで、口をつぐむことが多いように思えます。
これらは本来、企業PRである広告によって、良い商品やサービスを選択し、享受すべき消費者サイドを、全く省みることなく行われています。かの2ちゃんねるの管理人、ひろゆき氏の言葉を借りるなら「嘘を嘘と見抜けなければ(メディアを利用するのは)難しい」。そんな状況が作られているのです。そして問題なのは、それが中央のメディアだけの傾向ではなく、一地方で出版される末端のメディア、一番エンドユーザーに近い存在でなければならない「タウン誌でさえそうなってしまっている」ということなんです。
読者の「あの本に載っている店なら間違いない」という信頼感。タウン誌は広告効果を高め、より多くのクライアントを呼び込むために、読者の信頼感を利用して、意図的に「編集記事に見える広告」を掲載しました。あたかもそれが「編集部の切り口で取り上げた」かのような誌面作りを行ったのです。その結果、『独自の切り口』が広告記事に埋没してしまった誌面は、フリーペーパーとなんら変わらないものになりました。
タウン誌は、読者の信頼を"裏切った"。そしてそれが、結果的に発行部数の加速度的な減少を招いた原因だったのです。
つづく
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そもそもタウン誌が発行を続けていくために、なぜ広告が必要なのか。その理由は単純明快、「雑誌の印刷・流通にコストがかかるから」です。多くのタウン誌が300円程度で販売を行っていますが、書店・コンビニへの販売手数料、制作原価を換算すると1冊販売しての粗利益は微々たるものになってしまいます。例えば、1冊売って50円の粗利だとすると、1万冊売っても粗利は50万円。地方の小さなマーケットで販売する商品ですから、100万部!などという大部数は望むべくもありません。多くの地方タウン誌の発行部数は3万部以下で、10万部以上実売しているタウン誌はごく僅かです(そういうのはほとんどが、一地方のタウン誌というより、ある程度広いエリアをカバーする情報誌ですね)。つまり、構造的に販売収益に限界がある地方「タウン誌」というビジネスモデルは、「広告収益ありき」で成立しているのです。
ここで、発行部数のお話をしましょう。ひとくちに3万部といっても、地方都市ではバカに出来る数字ではありません。「愛され○○」など独特なキャッチでおなじみの人気ファッション誌などは、人口100万人から150万人規模の自治体レベルで見ると1万部売れればいい方で、全国で販売しているからこそ、何十万部という数字が達成できているのです。つまり、多くのタウン誌は販売数を落としたとはいえ、今でもまだ書店・コンビニでの販売される雑誌では、上位クラスの売れ行きと知名度を持っているのです。
では、ホットペッパーをはじめとするフリーペーパーはどうでしょうか。多くの人に読ませることが広告効果に結び付き、さらなる広告出広の呼び水になるフリーペーパーは、採算が許す限りエリアを広げ、配布数を増やす傾向にあります(能力の高い営業部隊を抱えるホットペッパーはエリア集中型ですが、それは地方のフリーペーパーからみるとむしろ例外です)。そのため、地方でも10万部は当たり前、それ以上発行しているものもザラにあります。
3万部の有料誌と、10万部の無料誌。あなたがクライアントなら、どちらに広告を出しますか?
「タウン誌にはタウン誌の良さがあるから、一概に部数の比較だけでは判断できない!」
確かに。では、単純に部数を比較すれば3分の1以下の影響力しかないタウン誌が、フリーペーパーに対抗し得る"良さ"って何でしょう?
「フリーペーパーには記事広告しか載っていない!タウン誌は編集部が『独自の切り口』で、毎月地元に密着した特集を組んでいる!」
そうです、そうなんですよ。そのはずだったんです。でも、最近のタウン誌って、『どれが編集記事で、どれが記事広告なんだか見分けがつきませんよね?』。
タウン誌の生命線である広告収入、それは対峙する姿勢によっては、タウン誌のアイデンティティを奪ってしまう危険なものであったのです。
つづく
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タウン誌が売れなくなってきたのです。
ターゲット人口の減少、インターネットなどの情報メディアの普及、景気の停滞による消費行動の減速。地方の出版社は、タウン誌の販売部数がゆるやかな右肩下がりのカーブを描くことについて、あらゆる理由をつけて「仕方がないこと」として、有効な対策を打てずにいました。それでも、情報ニーズが高まる年末や年度末、夏に発行される号に関しては前年の販売部数を上回ることもあり、広告売上の減少も底を打ったこともあって、「まだ大丈夫、いつか巻き返せる」と、根拠もなく楽観的な観測を持っていたのです。
しかし、根拠のない楽観は、やはりそれだけのものでしかありませんでした。本来であれば上積みが期待できるはずの時期に、販売部数がことごとく前年を大きく割り込み始めたのです。右肩下がりのゆるやかなカーブは角度を増してゆき、返本の数が「売れなくなった」ことを雄弁に物語りはじめます。タウン誌のスタッフたちは、目を背けていた事実に、向き合わざるを得なくなりました。若者の雑誌と言いながら、既に高校生や大学生にはリーチできていない媒体であること。読者の多くが今や30代を迎えていること。自分たちが思っている以上に街(タウン)での影響力が落ちていること。そして、得意にしてきたはずの街ネタは、今や一般の人たちが速報性の高いネットのブログや掲示板で発信していて、月1回発行のスパンが精一杯のタウン誌では、どうやっても後追いになってしまうことを。
「自分たちは、誰に向けて、何を発信していけばいいのだろう」タウン誌のスタッフたちは総毛立ちました。街に密着し、街の”今"を発信していたはずのタウン誌は、どっちつかずの中途半端な媒体になってしまっていました。
タウン誌全体の地盤沈下が始まりました。老舗タウン誌の休刊・廃刊が相次ぎ、一方で雨後のタケノコのようにホットペッパーの手法を真似たクーポン誌が各地で創刊されました。その多くは、出版経験のない山師的な経営者が後先考えずに発行し、数号で消えて行くものでしたが、それらは決まって消え去り際に単価を限界まで引き下げて広告営業を行い、市場をめちゃくちゃに荒らしていきました。
ほんの数年前まで、地方の小さなマーケットでさしたるライバルもなく(あったとしてもなんとなく住み分けをしながら)、牧歌的に発行されていた各地のタウン誌は、あっという間に窮地に追い込まれました。本が売れないということは、タウン誌の情報で行動する人が減ることを意味します。それはつまり、広告効果も落ちるということに繋がります。広告効果が落ちれば、もちろん広告は入らなくなります。
底を打った、誰もがそう思っていた広告収入が、また減少を始めました。
つづく
http://anond.hatelabo.jp/20080219121753 0
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http://anond.hatelabo.jp/20080219164145 3 の続きです。
多くのタウン誌が決断した選択は『金』でした。それは、折からの出版不況により、部数を右肩下がりに落としていたタウン誌の編集方針に固執するよりも、まだタウン誌のブランド力があるうちに記事広告を実施することによって読者を動かし、よりクライアントに「反響」を感じてもらいたいという苦渋の選択でした。一方、今までの編集方針という『聖域』を守る選択をしたタウン誌は、第2誌として収益が上がっている雑誌やフリーペーパーを発行している、もくは他にも収益事業を展開する、数少ない出版社だけだったのです。
タウン誌に『聖域』は、なくなりました。各誌は手っ取り早く広告収入に結びつく、記事広告による飲食店特集や美容室特集を連発し始めます。記事広告による特集は、クーポンの値引き競争に疲れ、タウン誌に戻ってきたクライアントを取りこみながら、毎月ページを増やしていきました。各誌の広告収入は底が見え、回復基調に向かい始めました。これを見て、『聖域』を守ってきた数社も、リニューアル名目で、記事広告主体の体制にシフトしました。かくして、『聖域』を守り続ける地方出版社は、絶滅寸前なほどの少数派になってしまったのです。
それでも、タウン誌というビジネスモデルを支える広告収入の減少は、「上質な写真と記事、デザインによる記事広告でホットペッパーと差別化を図り、割引率に左右されない優良顧客をクライアントに送り込むことで反響を実感させる」…ことによって、なんとか当面の危機を脱した、ように見えました。
しかし、水面下で事態はより深刻な方向に推移していたのです。
つづく
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http://anond.hatelabo.jp/20080219150703 2 の続きです。
リクルートはホットペッパー進出にあたって、各都市に支社を置き、現地採用した契約社員(上限3年)を、営業部隊として市場に投入しました。彼ら営業部員は、リクルートが首都圏で培ったノウハウにより、驚くほど短期間で「広告が売れる営業マン」への教育を施され、営業活動を開始します。インセンティブ契約による彼らの営業活動は、月給制で働く多くのタウン誌の営業部員よりも熱心で、さらにリクルートお得意のマーケティング理論と、実際の数値を例示しながらの「成果までの道筋を明確に描く」分かりやすい営業スタイルもあり、ホットペッパーは地方都市でも急速にクライアントに受け入れられていったのです。
リクルートの侵攻に対して、地方のタウン誌は一枚岩にはなれませんでした。そもそも、各タウン誌は別々の企業体ですから、情報をオープンにして対策を検討するという自体が不可能だったのです。他県で創刊されたホットペッパーの情報は、伝聞でしか入りませんでした。「○○がかなりやられているらしい」「△△が対抗してフリーペーパーに参入するらしい」。『らしい』という接尾語で知らされるホットペッパーの情報は、どこか現実味のないものでした。
様々なメディアに露出している話題沸騰中のクーポンマガジン「ホットペッパー」が、自分たちの作る雑誌のライバルになるなんて、現実味を持って受け入れることができなかったのです。
程なくして、本格的なホットペッパーの地方侵攻が始まりました。地方に住む人たちというのは、東京発の「メジャー」なものに対し、ものすごく好意的に受け入れます(語弊があればすみません)。もちろん、一部には例外もあったりするのですが、ホットペッパーも各地で多くのクライアントと、それを上回る読者の支持を持って受け入れられました。タウン誌をはじめとする地方の雑誌メディアに、にわかに逆風が吹き始めたのです。お試しで…とホットペッパーに出広し、その効果を目の当たりにしてタウン誌から離れていく広告クライアントが相次ぎました。しかし、それより各タウン誌が衝撃を覚えたのが、リサーチにより、多くの読者が「クーポン雑誌に載っているお店の記事と、タウン誌に載っているお店の記事を同列に捉えている」という事実でした。読者にとっては、タウン誌もクーポン雑誌もそう大差ないものだと。そういうことです。
編集方針、編集権という、決して犯してはならないはずだった『聖域』がぐらつきはじめました。
敵の波状攻撃を受け、ずるずると後退する前線守備隊と同様、各タウン誌の現場では内輪もめが起こっていました。守り通してきた編集方針を堅持し、今まで通りの雑誌づくりを主張する「編集部(制作部)」、これまで手控えていた記事広告を大胆に取り入れ、広告収入の上積みを目指すべきと主張する「営業部」。どちらも自分たちが大切に育ててきたタウン誌を立て直すために、一歩も譲りません。
『プライドか、金か』。各タウン誌は大きな選択を迫られることになります。
つづく
http://anond.hatelabo.jp/20080219121753 0
http://anond.hatelabo.jp/20080219133702 1 の続きです。
少し話を戻します。ホットペッパーがその侵攻の矛先を地方向ける少し前、某地方エリアに向け、角川書店が新たな情報誌の創刊を発表しました。「表紙に芸能人を使ったメジャー感」「特集内容は引きの強いドライブ・グルメ・温泉・イベントだけ」「街の小ネタは大胆に切り捨てる」垢抜けた情報誌「Walkerシリーズ」。この角川の進出に対し、そのエリアの中心都市で絶大なシェアを誇ったタウン誌は、デザインと内容を一新し、スタイリッシュでありながらも地元感を感じさせる素晴らしい誌面に生まれ変わりました。つまり、あえて「垢抜ける」方向を選択することで、角川を迎え撃ったのです。当時、このリニューアルを断行した地方出版社の規模と発行部数は、全国のタウン誌の頂点を行く存在でしたから、このリニューアルの結果を各誌は固唾を飲んで見守っていました。
そして、ついに角川の情報誌「○○Walker」が創刊。万全の体制で迎え撃ったはずだった地元出版社のタウン誌は、発行部数を大幅に減らす大打撃を受けてしまいました。時代に即して垢抜けようとしたリニューアルは、大失敗してしまったのです。
各誌は衝撃を受けました。なぜなら、その出版社が行ったタウン誌のリニューアルは、他社からは死角のようなものが全く見えない、ほぼ完璧なものに見えたからです(後付けでいろいろ言うことは出来ましたが)。リクルート「ホットペッパー」の侵攻に対し、各社の動きが鈍かったのは、この一連の動きを見て「下手に動けば大変なことになる」という意識があったからかも知れません。
しかし、角川の権勢がその地方エリアの中心都市から広がることはありませんでした。彼らの営業手法は、「クライアントの規模と金額が大きい」だけで、タウン誌の営業手法を変わらないものだったからです。営業部員がクライアントや広告代理店を回って広告を販売する。広告とひとくちに言っても様々な業種のクライアントがあり、様々な企画提案を行わなくてはなりません。営業部員のスキルによっても左右されるそれは、大口クライアントが多く、1回の扱い高が高い地方エリアの中心都市では採算が取れても、大口クライアントの少ない県庁所在地クラスには攻め込みようがなかったのです。
しかし、リクルートは違いました。地方のタウン誌がそれに気付かされるのは、実際に彼らの営業活動を目の当たりにしてからだったのです。
つづく
http://anond.hatelabo.jp/20080219121753 の続きです。
タウン誌の広告が「成功した」という定義、それはものすごく曖昧なものでした。ざっくり言えば、クライアントの多くが「反響があれば、まぁOK」という認識のもと、安くはないお金を広告料として支払っていたのです。では、広告の成果を左右する「反響」とは何か? 雑誌を見たお客さんが増えることによる収益アップは当然として、周りの人に「○○に出してたね」「○○見たよ」そんなふうに言われることによって、オーナーさんの自己顕示欲?のようなもの満たされることも、広告料という対価を払うにふさわしい「反響」として認識されていたのです。
もっと簡単に言えば、広告に対して「シビアじゃなかった」んです。タウン誌サイドも、クライアントも(今と比較してのお話ですが)。
しかし、ご存じの通り景気後退の波はひたひたと押し寄せてきます。クライアントは、成果がハッキリしない出費を渋り始めます。その間隙を突いたのが、ご存じリクルートのホットペッパーです。
お金をもらって記事を書く「記事広告」に、広告掲載物件の割引券「クーポン」を組み合わせた、画期的なフリーペーパー「ホットペッパー」。クライアントからすれば、クーポンという形で今までぼかされていた「成果」がハッキリ見えますし、制作サイドからすれば「メディア初登場の隠れ家的イタリアン」だとか「食通もうなるあの店の裏メニュー」なんて物件を手探りで探さなくても、「確実に得をする」という読者にとって最強に引きのあるコンテンツ「クーポン」を、クライアントの負担で手に入れることができてしまうのです。
リクルートは、従来の割引券をクーポンと置き換え、使用者サイドから「気恥ずかしさ」「貧乏くささ」を取り去り、クーポンマガジンと「ホットペッパー」いう新形態をメディアに露出することによって、あっという間に市場を席巻します。首都圏を飲み込む課程で試行錯誤を繰り返し、より完全体に近づいた化物「ホットペッパー」が目指したのは、当然のように地方都市でした。
しかし、そんな状況になってもタウン誌を発行する地方の出版社は、なんの根拠もなく「クーポン雑誌とタウン誌は違う」「地方ではクーポンマガジンという形態は読者、クライアントに売れ入れられない」「地元密着をより強化すれば、安易なクーポン誌を撃退できる」そんな風に考えていたのです。「リクルートが進出して来るからって、バタバタと迎撃準備するのはみっともない」という現場の進言により、全くの無策で迎え撃ったタウン誌もあったといいます。
つづく
広告が激減してるんですよ。販売売上だけではいかんともし難いんです。
タウン誌というニッチなビジネスモデルが出来て30年。今や雑誌メディアは広告ありきみたいな流れになってますが(雑誌だけではなくメディア全体がそうなってますね)、タウン誌というのは長年編集記事が主体で制作してきたところが多いんです。大げさに言うなら『編集は聖域』という、新聞社的な考え方というか。
いくらクライアントといえど、編集方針に合わなければ記事として取り上げない。みたいな。まぁ、そこをどう突っ込むかが担当営業の腕の見せ所だったりもするんですが(記事で取り上げてもらうために、担当営業が特集に合わせて、お店に新しいメニューやサービスを提案したりだとか)。例えば、100万出すから巻頭特集に見開きで記事載せてくれ。みたいなオファーを担当営業が涙をのんで断る…。バブル期には、そんなこともあったと聞きます。
『編集方針』という、目先の利益に左右されないモノをしっかり守ってきたからこそ、「あの本に記事が載った」ということが、お店にとってある意味ステイタスになり、「あの本には、お金を払ってでも載せたい」という広告出広を呼び込んでいたんです。
広告と記事。読者にとっては、どちらもタウン誌から得られる情報です。でも、広告と記事は、「区別すべきもの」でした。それでも良かったんです。地方の個店オーナーが、広告効果と掲載によって得られるステイタスを同列に考えていた頃までは。
つづく