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☆★☆★ 日本李登輝友の会メールマガジン「日台共栄」 ☆★☆★
<<INDEX>>━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ [Vol.1094]
1>> 日本李登輝友の会などが「NHKに対する質問と公開討論会の要請」を送達
2>> 蔡焜燦氏が代表の「台湾歌壇」が「NHKの偏向番組に対して抗議し訂正を要求」
3>> NHK番組の傷跡 [産経新聞台北支局長 山本 勲]
4>> NHKから友愛グループへ誠意のカケラもない「回答」
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1>> 日本李登輝友の会などが「NHKに対する質問と公開討論会の要請」を送達
4月5日にNHKが放送した「NHKスペシャル シリーズ JAPANデビュー・第1回
『アジアの一等国』」の内容や取材・制作に関し、一昨日の7月24日、本会の小田村四郎
会長は水島総・「NHK『JAPANデビュー』」を考える国民の会代表、松浦芳子・草
莽全国地方議員の会代表、永山英樹・台湾研究フォーラム会長との連名で、福地茂雄・N
HK会長宛に「NHKに対する質問と公開討論会の要請」を送達した。
質問と公開討論会の要請に至る抗議や非難の経緯が詳細に記され、6点について質問し
ている。ところが、1点1点の質問はなぜその質問に至っているかの前提を述べた上で、
「そこで問う」として、鋭利な小刀でえぐりとるような質問内容となっている。
質問はいずれも「ヤラセ取材」「捏造」という疑義に関するもので、あの番組の取材・
制作の実態を白日の下にさらすためには必ずや発せられなければならない重要な質問ばか
りであり、現地取材を重ねてきた日本文化チャンネル桜の協力なくしてはできなかった質
問内容だ。
それ故に、NHKは公開討論に応ずるべきだとする論理的かつ説得力にあふれる要請に
対し、果たしてNHKはなんと答えてくるのか楽しみである。また、質問への答え方によ
っては裁判に影響するだけに、NHKも「回答」にはかなり苦慮するだろう。
ここに「NHKに対する質問と公開討論会の要請」の全文をご紹介したい。 (編集部)
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貴日本放送協会(以下、NHK)が去る4月5日に放送した「NHKスペシャル シリー
ズ JAPANデビュー 第一回 アジアの“一等国”」に対し、放送直後から日本国内
はもとより取材先の台湾においても様々な批判が巻き起こり、NHKにもこれまでにない
ほど多数の抗議が寄せられていることはNHK自身が認めているところである。NHK内
においても経営委員会において、当該番組の放送法違反が問われる事態となっている。放
送後3ヵ月以上経つというのに、内外の抗議の声は高まるばかりである。
台湾においても、抗議と訂正を求める声が巻き起こり、「美しく正しい日本語を台湾に
残そう」という趣旨で活動している友愛グループの有志80名の連名により、6月20日付で
「NHKへの抗議と訂正を要望」が提出された。この中には番組出演者である藍昭光氏も
含まれている。また、当該番組出演者であるパイワン族の方々からも、誇り高いパイワン
族の名誉を深く傷つける内容だったとして6月21日付の文書が送付されている。さらに、
やはり当該番組出演者の柯徳三氏など6名からも「NHK番組『JAPAN・デビュー』
に対する抗議と訂正を求める文書」が提出されている。つまり、ほとんどの台湾人出演者
が、抗議や訂正を求めているのである。
6月25日には、日本裁判史上初となる8389人もの原告がNHKに対して損害賠償請求や
慰謝料などを求めて東京地裁に提訴した。原告数は今も増え続け、7月23日には9700人を
突破し、間もなく1万人に達しようとしている。
7月8日には千葉県議会が「公共放送たるNHKのこうした姿勢は、公正・公平・中立の
観点から放送法違反の疑いも濃厚であり、到底容認できるものではない」として、内閣総
理大臣と総務大臣宛の「日本放送協会(NHK)の偏向報道に関する調査と行政指導を求
める意見書」を可決している。また、台湾において日本の伝統的な短歌を詠み続けている
台湾歌壇の有志60名からも、7月15日付で「NHKの偏向番組に対して抗議し訂正を要求」
という書面が提出された。
さて、そこでこれらの抗議や訂正を求める声を踏まえ、ここに抗議の意を込めて当該番
組などに対する疑問を質問という形で問いたい。
1、NHKは、ホームページ6月17日公表の「説明」で「柯徳三さんや蒋松輝さんから抗
議を受けているということはありません」と記していた。だが、その後、番組出演者で
ある柯徳三氏らから「NHK番組『JAPAN・デビュー』に対する抗議と訂正を求め
る文書」が届けられている。また、同じく出演者であるパイワン族の方々からの抗議の
意を込めた「質問状」も届けられている。2つとも7月22日ホームページ更新のはるか前
に届いていた。ところが、7月22日公表の「説明・追加」では「『台湾・友愛グループ』
など台湾の方たちから、抗議の文書を受け取りました」と記すのみで、番組出演者から
抗議文を受けていることを明らかにしていない。そこで問う。
*柯徳三氏らから上記文書を受け取っているのか。
*受け取ったのはいつか。
*ほとんどの台湾人出演者から、抗議と訂正の声が上がっている。この取材や放送は、
台湾人出演者に対する「人権侵害」行為と考えるが、NHKはどう考えるか。
*台湾人、パイワン人に対する「人権侵害行為」をどう処理するつもりか。
*パイワン族の方々から上記文書を受け取ったのか。
*受け取ったのはいつか。
*なぜ番組出演者から、怒りの声や抗議文、訂正を求める文書を受け取っていることを
公表しないのか。
*事実関係が違い、名誉と誇りを傷つけられたとするパイワン族出演者の声に対して、
*パイワン族出演者の「人権侵害」を起こした番組放送を謝罪し訂正するつもりはない
か。
*7月22日公表の「説明・追加」では「パイワン族の人たち自身が当時どう受け止め、
感じたかということは、『人間動物園』の事実を左右するものではありません。こう
したことは台湾の方々にとっても心地よいことでないことはもちろんですが、番組は
当時の状況の中でおきた事実としてあくまでも客観的に伝えたものです」と記してい
る。この説明で、「パイワン族の人たち自身が当時どう受け止め、感じたかというこ
とは、『人間動物園』の事実を左右するものではありません」と述べているのは、N
HKスタッフがパイワン族の人たち自身の独自の世界観、伝統文化によって「感じ方」
や物事の判断をする「民族自決」を認めず、または尊重しようとしない態度であり、
パイワン族の出演者のみならず、パイワン族全体の「名誉と誇り」を著しく傷つけ、
それを尊重しない「差別」または「差別意識」からきている人権侵害の最たる物言い
と考えるがいかがか。
*この「差別」「人権侵害」の事実を認め、訂正謝罪するつもりはないか。
2、また6月17日に「抗議を受けているということはありません」と公表しながら、6月下
旬に「ジャパンプロジェクト」の濱崎憲一ディレクターと田辺雅泰チーフ・プロデュー
サーは台湾を訪れ、柯徳三氏ら番組出演者に対して陳謝し、抗議文の撤回を求める「隠
蔽工作」とも言える行為を為したという。その際、濱崎ディレクターは、自分の子供が
「あれが濱崎の子供だ」等と言われて、身辺保護の必要から、警察に保護願いを出して
いるとも言ったという。そこで問う。
*彼らが訪台したのはいつからいつまでか。
*濱崎・田辺両氏以外に同行者はいたのか。
*柯徳三氏らと会ったことは事実か。
*柯徳三氏以外に会ったのは誰か。
*柯徳三氏らに陳謝したのは事実か。
*陳謝したとしたら、何について陳謝したのか。
*柯徳三氏以外に抗議文の撤回を求めた人物はいるのか。
3、さらに、濱崎・田辺両氏が帰国した後で、屏東県の高士村に番組出演者などを訪問し
たNHK台湾支局員と名乗る人物が、パイワン族の方々が提出した「質問状」について、
自分がNHKに届けると申し出たという。幸いにも「質問状」は提出した後だったので、
その手に渡ることはなかったという。そこで問う。
*NHK台湾支局員と名乗る人物が高士村を訪問したのは事実か。
*いつ訪問したのか。
*パイワン族の誰と会ったのか。
4、当該番組では、パイワン族の方々が登場する場面で、「展示された青年の息子、許進
貴さん」というナレーションとともに許進貴氏が写され、次に画面は右に移動し、女性
の声による「悲しい」という日本語とともに、「そして娘の高許月さんです」というナ
レーションが流れる。そして、高許月妹さんがパイワン語で話す場面は字幕で「悲しい
ね。この出来事の重さ語りきれない」と映し出される。次に、画面は高許月妹さんを写
したままで、男性の声による日本語で「悲しいね、語りきれないそうだ。悲しい、この
重さね、話しきれないそうだ」との声が流れる。放送を見ていた視聴者は、先に息子の
許進貴氏が写されたので、この男性の声は当然許進貴氏の声だと思って聞いていた。他
に男性の映像はなかったからだ。ところが、7月22日公表された「説明・追加」による
と、これは通訳の声であり、「許進貴さん、高許月さんの親戚にあたります」と説明し
ている。しかし、番組ではこの声が通訳の声であるとの説明は一切ない。通訳を務めた
と説明する方の名前も「資料提供」などの中にもない。そこで問う。
*この通訳とは誰か。
*通訳の方の名前を、なぜ「通訳」または「協力」または資料提供やコーディネーター
等の名称で、番組終了時のスタッフタイトルで紹介しなかったのか。
*撮影はどこで行われたのか。許進貴さん、高許月妹さんの家で行われたのか。それと
も「通訳」の家で行われたのか。「通訳」としたら、なぜ「通訳」の家で行われたの
か。
*通訳という役目ならギャラが支払われたはずだが、支払われたのか。
*通訳のギャラは、パイワン人ということで「差別的」で不当に安いギャラではなかっ
たのか。
*「協力者」扱いの物によるプレゼントなどで、通訳としてのギャラを誤魔化すことは、
パイワン族に対する差別の典型例となるが、物のプレゼントだけで誤魔化さなかった
か。
*1日の通訳ギャラはいくらで、何日間分支払われたのか。
*通訳の名前をタイトルに入れなかったのは、パイワン人差別と考えられても仕方ない
が、どのように考えるか。
5、当該番組では、パイワン族兄妹の妹の姓名を「高許月」と説明し、7月22日公表された
「説明・追加」でも「高許月」としている。しかし、先に届けられたパイワン族の方々
からの「質問状」では明らかに「高許月妹」と記している。日本文化チャンネル桜の取
材でも「高許月妹」であることを確認している。そこで問う。
*パイワン族兄妹の妹の姓名は「高許月」で間違いないのか。「高許月妹」ではないの
か。
*なぜ「高許月」と表示したのか。もしこの姓名の表示が間違っていたとしたら放送で、
どのように謝罪・訂正を行うのか。
*パイワン族高士村への取材は何日間だったのか。
*このような出演者の名前すら間違い、通訳の名前もタイトルに入れない、このような
パイワン族に対する「人権侵害」ともいえる安易な取材と制作は、パイワン族をNH
Kこそ「人間動物園」とみるがごとき、無意識の「差別意識」からきていると考えら
れる。その点を訂正謝罪するつもりはないか。
*パイワン族出演者とパイワン族全体の誇りと名誉を傷つけたことはパイワン人出演者
からの文書でも明らかであり、このパイワン人の心を傷つけた「人権侵害」を謝罪す
るつもりはないのか。
6、最近になって、「NHK中国総局の男性職員が買春を行って北京の公安当局に拘束さ
れたが、もみ消し工作を行って密かに帰国させたようだ」というNHK内部からの告発
があったという。これについて「事実関係を問いただしたい」と放送した日本文化チャ
ンネル桜の水島総代表取締役にはNHKの米本信・広報局長名で、「全くの事実無根」
として抗議と謝罪・訂正を求める7月22日付の文書が届いている。当方には複数の同様
の内部告発がされている。起こった事件の月日も、当事者の名前も特定されている。そ
こで改めて問う。
*NHKは改めてこの「買春問題」を再調査してみるつもりはないか。
*日本文化チャンネル桜の番組では、内部告発の内容を説明し、こんなことがあるなら
由々しきことだと述べ、公開質問状でNHKに問いただすと述べている。日本文化チ
ャンネル桜に謝罪と訂正を行うつもりはないか。
以上、この質問に対する回答期限は7月31日までとする。
なお、先にNHKは、日本李登輝友の会からの公開討論会の要請に対して「番組内容が
偏向していたり、事実関係に間違いがあるとは考えて」いないので「公開討論会」の要請
には応じない旨を回答している。
だが、1万人近い原告団のNHKに対する集団訴訟やこれほど多くの抗議や疑問に対し
て、公共放送としてホームページなどで一方的に説明するだけではもはや済まなくなって
いる。まして台湾の出演者の抗議や訂正要求にも誠実に答えず、パイワン族の「名誉と誇
そこで、ここに公開の場において当該番組を検証する討論会の開催を要請する。この要
請に対する回答期限は7月31日までとする。
「NHK『JAPANデビュー』」を考える国民の会代表 水島 総
草莽全国地方議員の会代表 松浦 芳子
【連絡先】日本李登輝友の会
〒113-0033 東京都文京区本郷2-36-9 西ビル2A
TEL:03-3868-2111 FAX:03-3868-2101
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2>> 蔡焜燦氏が代表の「台湾歌壇」が「NHKの偏向番組に対して抗議し訂正を要求」
11首の短歌を添えて提出
司馬遼太郎が「老台北」と名付けた蔡焜燦(さい・こんさん)氏が代表を務める「台湾
歌壇」が、7月15日付で60名の連盟による「NHKの偏向番組に対して抗議し訂正を要求」
をNHKに提出した。
これは、柯徳三氏や藍昭光氏といった番組出演者が「NHK番組『JAPAN・デビュ
ー』に対する抗議と訂正を求める文書」を出し、また「美しく正しい日本語を台湾に残そ
う」という趣旨で活動している友愛グループが有志80名の連名により6月20日付で「NH
Kへの抗議と訂正を要望」を提出、さらに6月21日にはパイワン族の方々が出された「質
問状」に続く台湾からの抗議文だ。
短歌の会にふさわしく「NHKへの抗議書に添えて」として、11首の歌が添付されて
いる。それも併せてご紹介したい。
この「NHKの偏向番組に対して抗議し訂正を要求」は台湾に支局を置く各メディアに
も送付され、その中で産経新聞が7月24日付の「台湾有情」で取り上げているので、それ
も別掲でご紹介したい。
NHKは、日本李登輝友の会への回答で「植民地時代の差別、戦争の深い傷が残されて
いるという事実を伝えることが、日本と台湾のさらに強くて深い関係を築いていくことに
資する」と答えていたが、「資する」どころか、まったく逆に「害する」と受け止めた人
々の方が圧倒的に多いこの現実をよくよく見定めるべきだ。あのような内容で日台関係に
「資する」とする思い込み、否、思い上がりが反発を招いていることも知るべきだ。
なお、台湾には友愛グループや台湾歌壇以外にも、集まれば日本語で話し、日本と交流
している日本語世代のグループがまだまだあり、そのようなグループにもNHKに抗議す
る動きが出ているという。 (編集部)
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私どもは日本領台時代に日本国民として生れ、日本人としての教育を受けた所謂日本語
世代がメンバーの中心となり、日本の伝統的な短歌を40年以上詠み続けている「台湾歌壇」
の有志です。美しい日本語とその心に魅せられて、命ある限り短歌を詠み続けてゆこうと、
貴社が去る4月5日に放送した「JAPANデビュ一・アジアの一等国」は放映と同時に日
本のみならず台湾の多くの人々から批判の声が上がっています。
その編集に偏向、歪曲、捏造があったとしてインタビューを受けた人々からさえ、批判
の声が上がっているにもかかわらず、あくまで「番組には問題はなかった」として、多く
の方々の疑問や批判に公開説明または訂正される様子は見られません。しかし、あの番組
例えば「日台戦争」にしても「人間動物園」にしても、インターネットで検索しても回
答が出ない、または「定説ではない」言葉を、日本の公共放送であるNHKが堂々と使用
するその意図はどこにあるのでしょうか?
歴史を振り返り、未来に生かしたいなら、なぜマイナス面のみを誇張し、インタビュー
を受けた人々の言葉を、編集の都合の良いところだけ繋ぎ合わすのでしょうか。その真意
を解し兼ねます。インタビューを受けた方々を困惑させ傷つけ、悲しませ、また高士村の
善良なパイワン族にいたっては、お年寄りの言った意味とは全く異なる「人間動物園』に
結びつけるなどは、ひどい捏造ではありませんか。貴社のそういった編集態度を私どもは
見逃すことが出来ません。またこれを見た台湾を知らない日本の人々が、台湾を誤解して
しまうことを深く憂うる者であります。
私ども日本語世代の台湾人は、知日、親日、愛日、懐日(日本を懐かしむ)はあっても、
「反日」はいません。そういった日本語世代の人々の感情を傷つけた「JAPANデビュー・
アジアの一等国』の番組に対して、私ども有志一同はこの番組の偏向、歪曲、捏造の編集
態度に抗議し訂正を要
http://anond.hatelabo.jp/20090719131317をみて思うところがあったので書く。
アメリカはスクールカーストのこともあるけど、男は男らしくあるべき論が根強い
女性軽視も根強い。魔女狩りは過去のことのように言ってるやつが多いけど、キリスト原理主義者が今でも結構多いのでシャレにならない
だからハリウッドの黒人枠のように、社会に女性枠を無理矢理作って、我々は平等で~す。とか茶番劇を繰り広げるわけだな。
つまり、アメリカはこういった(感覚)と(時代)が普通なんだよ。
「自分がやっていることは相手もやっているに違いない」という前提で批判することは良くある話だ
アメリカはまさにこの自分の感覚でことさら日本を非難するわけだな。
聖書の段階で男尊女卑だからな。どうせこれいってもあれこれ都合あわせた解釈をはき出すだろうけど
はてなの馬鹿は、立ち上がらざるを得ない状況をつくったアメリカの社会の腐敗には目が行かない。
立ち上がったアメリカ人だけを見る。そして「素晴らしい!感動しました!」と映画の宣伝みたいに言う
マッチポンプとは言わないけれど、間抜けな原因を作ったアメリカが、自分でズッコケテ、自分で起き上がっただけだ。
不良が改心した感動ドラマみて涙流すスイーツ(笑)と変わらない。
子供教育のシンポジウムで、そこに出席していたテレビ局の馬鹿が
「私は現在、米国向けアニメの輸出をする仕事に関わっていますが、アメリカは規制に対する姿勢が素晴らしく、子供のことを第一に考えている。
銃の表現一つとっても厳しく規制がされていると。これは日本も見習うべきだ」みたいな事を言ったそうだ。
でも考えてみてほしい
銃表現規制で体裁を保とうとするアメリカがおかしいと思うのが普通だ。
でもそこは馬鹿なので、相変わらず日本は駄目論を展開する。なんで馬鹿にあわせて銃表現規制しなきゃいけないんだ。
ちなみに、自称「他国の文化に寛容なアメリカ様」だけど、子供向けアニメの日本的なシーンはことごとく削除される。
曰く、子供が見るのに適さないだそうだ。
子供が日本的価値観を植え付けられるのを嫌うのかな?それでなにか困るのかな?
こういうの聞くと、アメリカが映画をどういう意図で輸出しているか、分かってくるよねw
自分にできない事は人に言わないという、日本の感覚は彼らには無い。
鯨の件でもそうだ(アメリカの一地方は伝統だからと許可してる)
そのくせ日本の知識人、はてなみたいなネットの連中も、このアメリカの言い分を信じやすいわけだ。
アメリカを拒否しながらも、アメリカの言い分に取り込まれるというのは、反権力主義者、特に反米主義者に良くある話だな。
みたいな
はてなにはこういう奴らが多い。
▲無言のまま安保条約の質が変わっている
日米安保条約の改定をめぐって60年に全学連などのデモが吹き荒れ岸内閣が退陣にいたった。あれから半世紀になる。
60年アンポ反対運動は攘夷的な国民的ムードが背景にあり、当時のシチュエーションは反米だった。運動に参加した殆どの人は条約を精密に読んでいなかった。ゼンガクレンは情念と正義感で動いた
70年アンポは前年までに反戦運動が下火となり、赤軍派と三島事件という両極の政治事件で終わった。この間、高度経済成長と東京五輪によりナショナリズムは体制側に収奪された。
爾来、日米安保条約の自動延長が継続され、80年アンポは政治争乱もなく、むしろフォード元大統領らを招いた日米シンポジウムが東京で開催された。筆者は当該シンポジウムの広報担当だったため会場のホテルに一週間ほど泊まり込んだ。中川一郎、末次一郎氏らと夜遅くまで懇談した。駐日米国大使はマンスフィールドだった。不思議に親和力をもった人だった。
やがて政治の季節は去り、全学連政治各派は分裂を繰り返し、左翼は「サヨク」になり、過激派は三島由紀夫の割腹に衝撃を受け、一部は転向し、体制派はすっかり米国の執事のごとくになった。その後、国際情勢の緊張とともに防衛論議は本格化したが、「日米安保はこれからどうなる」という肝腎の議論がない。
ところが日米安保条約は無言のうちに運用が変質し事実上、改編されている。「条約」ではない、これは「同盟」である。
たとえば事前協議の対象とされるのに、沖縄の海兵隊も横須賀の空母も日本に相談なくイラクなどの戦場へ出て行った。集団安全保障議論も海外派兵議論も沸騰しないまま自衛隊は「国際貢献」と言われてカンボジア、イラク、モザンビーク、ゴラン高原、そしてソマリアへ出動している。日本ではなく米国が勝手に解釈を変えているのだ。
しかし日本国内の防衛議論は専門的に走り過ぎ、国民から遊離している。マニアックは兵器の性能を論じたり、次世代航空機を論じたり。しかし法の改正という議論には滅多にお目にかかれない。
歴史開闢以来、同盟が半世紀以上つづいた例はきわめて少ない。例外は英米同盟くらいだろう。日英同盟は短命だったし、日ソ不可侵条約はもっと短命だった。
しかし確実にくる宿命がある。それはいずれ日米同盟が終わりを迎えるという確固たる近未来のシナリオである。なぜなら東西冷戦が終わってソ連が崩壊し十五に分裂し、ユーゴは連邦が瓦解して六つの国にばらけ、NATOは反ソ軍事同盟から性格を変えて東方に拡大してイランを囲み、東側は上海シックス(中ロ+中央アジア四カ国)に収斂された。そして昨日の敵は今日の友、日本の頭越しに米中のG2時代がやってきた。
米軍はグアム以東へ防衛戦を下げ、北朝鮮の核実験には曖昧な態度で終始し、拉致問題を含めて日本の期待を裏切るかたちとなった。台湾海峡を中国海軍が扼することになれば米空母の防衛力が劇的に減殺される。日本の尖閣諸島は危機に瀕し、やがては沖縄をめぐる日中の攻防も予測される。
しかしワシントンから見ると経済の凋落と軍事力の衰退は現実であり、従来の米韓、米日、米印、米豪の安保体制を維持するものの、日本の防衛貢献が足りないという認識である。今後、いかに改編すべきか、日米同盟半世紀を閲して本格的議論が始まるだろう。
費用対効果が低いため追従し辛い。ように見える。
津田氏はジャーナリストでもあるし、もともと色々な試みを続けてきていた人だけあって、非常に上手くtsudaるんだけども、しかしアレは結構な特殊技能だ。
話の要点を聞き取りと同時進行でまとめて文書化するってのは、一朝一夕にできるものではない。140字の制限もネックになりうる。(twitterでなくて2chでも使えば解決するけど。)
しかもたぶん、能力がある人にとってもえらくしんどい作業だろう。普通の議事録ですらしんどいのだし。
で、そういう特殊技能を持つ人が苦労して行うtsudaり行為にどれほどの価値があるのか、というと、実は苦労の割には少ないんじゃないかと。
テキストで議事録が見れるのは大変素晴らしい話なんだけども、それが「中継」である必要があるのは、tsudaる対象となったイベントの内容について同時性を求める人だけだ。同時性を求めない人は後で一本の議事録を見れば良いし、その方が読み易いし信頼性も高い。(誤記載がイベント終了後の投稿で訂正されるが、事後的な議事録ならアップの前に修正される。)
他方、同時性の需要は従来どう応えられてきたかというと、動画でのストリーミング中継が使われる事が多かった。いやまぁ多くはないんだけどさ。(中継が多くなかったのは、そもそもシンポジウムの類に同時性が重要ではないためだろう。)
そうすると「tsudaる」は労多くして功少なしとなりかねない。それじゃ苦労して中継しなくていいような気がする。
が、実はそうでもない。
後で一本の議事録をアップしようと思った場合、tsudaっておいたものがあれば作業が凄く楽になるはずだ。事後的な作業が圧倒的に少なくて済む。
であれば、後で議事録をアップしようと思っていたならば、イベント中に少し無理してtsudaっておいた方が時間の節約になる。そういうLifehack。
そして樺美智子さんの死から49年が経った
日米安保条約の空洞化、日米同盟の軽量化、来年は改定から半世紀
昭和三十五年六月十五日。アンポ改定に反対するデモ隊が国会をとりまいた。
樺美智子さんが死んだ。デモの隊列にあって、群衆に巻き込まれて圧死したのだ。左翼はこれを権力の謀殺と宣伝したが、だれも信用しなかった。この鮮烈な記憶があるのも、いまでは還暦をすぎた世代だろう。
昭和四十三年十月八日、佐藤首相のベトナム訪問に反対する左翼学生が騒ぎ、羽田で京大生山崎某が仲間の運転した車に轢かれて死んだ。機動隊は二十数名が瀕死の重傷だった。
昭和四十五年、安保条約の改定から十年が経って「70年安保決戦」が叫ばれた。前年の東大安田講堂と新宿騒乱で前哨戦が消え、左派の分裂は決定的になり、「革命ごっこ」は意気消沈していた。
70年は平穏に幕が開け、左翼は内ゲバに熱狂し、組織は壊滅に瀕し、窮状に陥った日本赤軍派のハイジャック事件と三島由紀夫の憂国の諌死事件で終わった。
いわゆる「80年アンポ」は左右対決の政治状況にはなく、あらかたは体制保守か革命の唄も謳わないサヨクに転じており、サヨク全学連OBは「同窓会」を、そして日米安保二十周年記念の日米シンポジウムが東京で開催され、ゲストのフォード元大統領が来日して「安保改定」を示唆した(筆者はそのおり、会場のホテルに泊まり込んで裏方。広報担当だった。シンポジウムの記録は『日米同盟の二十年』、自由社)。
60年安保の象徴だった唐牛健太郎氏は死去し、西部邁氏は保守の側にあり、江田五月氏は国会議長となり、清水幾太郎は「核の選択」を主張した。
情勢はめまぐるしく変わった。東西冷戦の終結は、なにを意味したか?
日米安保はソ連、中国、北朝鮮を仮想敵に防共の軍事同盟ではなかったのか?
ところが主要敵だったソ連が崩壊し、ワルシャワ条約機構は消滅し、NATOは性格をかえて、イランを囲む新型の防衛機構に早変わりし、中国は時代にふさわしい<?>「上海シックス」を主導して米国の金融秩序へ挑戦を始めた。
▲戦後秩序は劇的に風化した
英米同盟は軽くなり、NATO五十年式典は独仏国境で開催されたが、オバマが出席したものの、興奮状態にはなく、むしろチェコで『核廃絶』を訴えた。
ロシアはNATOのチェコとポーランドのレーダー基地化に反対を唱える。しかし、グルジア、アゼルバイジャン、ウクライナのNATO入りが時間の問題となっている。
イラク戦争のおりに、ロバート・ケーガンは「ネオコン」の論理を代弁し、世界の警察官としての軍事力にひいでた米国の一極体制が復活する。世界秩序は保たれると言い、ホッッブスの説いた「リバイアサン」という怪獣の「力と畏怖」のイメージに世界新秩序の基軸を置いた。
しかし現在の世界は、イラク戦争、アフガン空爆で復活した筈の米国リバイアサンが衰退し、G2という不思議な時代にはいった。
米国はこれまでの国家の性格をおおきく変貌させようとしている。もっと言えば、米国みずからがリバイアサンを峻拒し、「普通の国」になろうとしているかのようだ。
NATOの運用比重を独仏英主導に移管しつつあり、G2時代の到来は、次の日米関係を曇らせる。
こうした歴史のパラダイムのなかで、平成22年(2010)は、安保条約の改定から半世紀を迎える。日本の生命線と言われた日米同盟だった。生命線?
安保議論は風化し、「事前協議」条項はかるがると無視され、沖縄の海兵隊も横須賀の空母も、戦争地域に向かった。
そればかりか日本の自衛隊は「集団安全保障」「極東条項」の議論を忘れたかのようにPKOはカンボジア派遣から開始されて、いまではイラクのお隣、ゴラン高原、モザンビーク、スーダンへ向かった。役割を分担しながらも、陸海空全軍が出動した。
日米安保条約は風化した。というより事実上、性格を変えている。日米同盟の存在意義は、鰹節よりも軽くなりつつある。
吹き飛ばそうとしているのは日本ではなく米国である。アメリカは中国重視にかたむき、ヒラリーもガイトナーも中国に揉み手して、{G2}と言いだし、日本が期待した北朝鮮へのアプローチは曖昧、投げやりとなった。アメリカはこの問題から逃げた。
拉致問題に積極的ではなくなり、「それは日本の主権の問題であり」、北朝鮮の核武装は容認し、中国の出方をひたすら待つ。
これがオバマの米国、衰退途次の米国の姿である。(http://anond.hatelabo.jp/20090615232944に続く)
DVD買おうとかいう話ももちろんあるけど、より直接的な方法がある。
アニメーターの給与が低いのは、それはTVアニメの話。劇場アニメはそれぞれ単価がまったく違う。
ぐらい違う。もう全然違う。もちろん上記は例であって、作品によって単価が上下することはあるんだけど。
でも劇場はそれでも1万を切る事は通常無い。(先日のJAniCAシンポジウムの記事を見るに、上記よりは少し低めなのかな?)
だから、アニメーターの給与を改善するためには、劇場アニメをもっと作れるようになればいい。
TVアニメのDVDを買ったとしても単価が倍の8000円になることは普通ないが、
劇場アニメが沢山作られるようになったとしても4000円まで落ち込むことは考え難い。
みんな、劇場アニメを見に行こう。劇場アニメをより広く定着させることで、アニメ業界はよりよくなると思う。
これは給与だけではなく、作画品質も向上する効果がある。劇場アニメは単価が高い分だけ、原画マンに対する技術要求も高くなる。
それを維持するための教育環境がアニメ会社に作られるし、ひいては長期スパンで見れば人材不足も改善できるはず。
動画に関しても、TVアニメのように切迫したスケジュールがない劇場には、TVほど海外に頼らなければならない理由も無い。
つまりTVアニメよりは劇場アニメのほうが、国内動画マンを増やすことができる。
問題点もないわけではない。
まず技術要求が高くなる、ということは1日にこなせるカット数が減るということ。
TVアニメ→1日2カット(計8000円)が、劇場→2日で1カット、となってしまっては元も子もない。
こればかりはアニメーター各々が技術向上(作画の質・作画速度共に)していくしかないし、それは業界として悪い流れではないはず。
また、スケジュールがゆるい、ということはグダグダになるケースがあるということ。
これは同人ゲームを作ろうぜ→1年経ってもできねぇーってなってる方には身に覚えのある話かもしれない。
ここらへんは制作の力の見せ所ではあるが、どうしても長期スパンだと生まれやすくなるものなので、
空の境界などのように数回にわたって上映するスタイルが定着するといいのではないかと思う。
あと個人的には劇場より深夜アニメのほうが好きなんだよなー。<ぇー
劇場って、金かけてる分だけ肩に力が入っちゃってるって言うか、観てるほうも体力いるんだよなぁ。
いいじゃないの。劇場とかでけいおんとか咲とかひだまりとかやっちゃってもさ。ゼーガペインとか劇場でやろうよ。…無理か…
劇場用に再構築したゼーガペインとか見たいなぁ…ってゼーガペインは深夜じゃなかったっけ。
開始時刻に少し遅れて着いたんですが、600人収容の講堂はすでに立錐の余地もない状態。
中継会場も立見席しかない状態。
こんな「ウルトラ怪獣大行進」というか「フェラーリVS朝青龍VSミトコンドリアVS標題音楽」のような異種格闘技戦企画にこれだけの人があつまるなんて驚き。
まるで興味のなさそうな大学生カポーが座席でいちゃついててむかついた。
シンポジウムはあずまんがひととおり趣旨を語った後に、『アーキテクチャの生態系』で名をあげた濱野智史の基調講演その1で幕開。
この手の議論になじみのない人に配慮したせいか、ネットに広がるアーキテクチャ(地平)はリアル世界の建築アーキテクチャと違って無限だよ、という話とある意味アーキテクト(設計者)がないネットは「人工」でありながら「自然」だよというベーシックな話を平易に語ってた。
すかさずあずまんが「ようは自然に見えるから人工のアーキテクチャに対して批判ができなくなってるのが問題なんだよね」とそんなこと濱野氏はひとこともいってないのに強引にまとめる。
まぁ、彼らの議論はそういうところにあるんだからいいかと思うけど、会場から微妙な失笑も。
つぎはうのたんの基調講演。
白いスーツで登壇した宇野タンですが、緊張してるのかビビッてるのか異常な早口でまくし立てる。
挙動不審といってもいいくらい。
内容は「ゼロ年代の想像力」をふまえつつ、アーキテクチャもいいけど、倫理的・実存的な問いも大切だからその両輪でいこうよという話にきこえた。相変わらず「母性のディストピア」がどうとか「悪い場所」がどうとかマッチョな説教がうざかった。
だんだんわけわかんない話になってきて、会場が「空気嫁よ」というふいんきに満たされる。
これもすかさずあずまんが強引うまくまとめる。
あずまん頭いいよ!!
ウノたんのえらく冗長な話を一発で簡潔にまとめる力。おそるべきプレゼン力。
つまんなかったのか「だいたい今日の趣旨とか聞いてない。宇野とか濱野とかよくしらねーし。
いろいろ言ってるけど、あんまり新しいことを語っているように思えない。だいたい今も昔も批
評の場所もないんだよ。マルクス主義が失敗した時点で!」とツン発言。
なんかこのシンポジウムはどこに行くんだろうと思ってたら中継画像が切れる。
復旧の見込みがないので、立錐の余地のない本会場に突入。
しかし、全般的にこのシンポジウムはロジが最低だった。
ついたときには磯崎新が「アーキテクチャ、アーキテクチャってうるさいよ。なんでもアーキテクチャっ
ていうな。定義汁」といい、続いて宮台も「俺も今日の趣旨は聞いていない」と切り出してあとはハイエ
クがどうこうと好き勝手しゃべり、「今日のシンポジウムは失敗なんじゃないの」とまでいう始末。
たしかにそれぞれが好き勝手なことしゃべって論点がまったくぼけてしまい失敗したようにみえたけど、が一番悪いようにも見えた。
宮台の散漫で冗長な話をいっしょうけんめいあずまんがまとめては一本の論点に集約させようとしていた。
結局、あずまんがいうところの「アーキテクチャ」に関してそれぞれがひとつにまとまった問題意識をもっていたわけではないので、あ
まり議論はかみあわず、お題に対してそれぞれが好き勝手にしゃべる場になっていたのは残念だけど、それなりに「アーキテクチャ」
をめぐる「論点」が総花的に提示されたようにも見えて有意義だった。
なぜか「ひろゆき(2チャンネル管理人のね)と公共性」が途中からメインイシューになってたけど、これも「アーキテクチャ」を
語る上ではずせない要素なのかもね。
あと、ウノタンは最初の基調講演と1回しょうもない発言をしたあとはずっと黙ってた。
どうも場違いだったようにも見えた。うのたんの最後のコメントは聞かずに帰った。
3時間立ち見だったので腰が痛い。
付記
うのたんは最後に「6割はどうでもいい話だった」といいはなち、「大文字の公共性はある」と叫んで行ったらしい。
うのたんのいう公共性って「ジャニーズドラマも仮面ライダーも純文学もアニメも語れる俺こそが島宇宙を越境した公
共性の司祭だ。みんな俺になれ」っていう程度のことでしかなくね。
うのたんは会社員はやめないほうがいいと思う。
その1 http://anond.hatelabo.jp/20081223235800
その2 http://anond.hatelabo.jp/20081224002406
その3 http://anond.hatelabo.jp/20081224004222
その4 http://anond.hatelabo.jp/20081224013124
(G-4面上)
今年8月下旬、元日銀総裁の山口泰は、米ワイオミング州にある人口8500人の小さな町、ジャクソンホールにいた。カンザスシティー連邦準備銀行が主催する3日間の会議に出席するためだ。
この会議には毎年、世界の中央銀行の首脳や高名な学者らが集まり、論戦を繰り広げる。会議の夕食会で、山口はFRB議長のバーナンキとECB総裁のトリシェにはさまれた席でなごやかに談笑していた。
その2日後、シンポジウムのコメンテーターとして登場した山口は、米国が経験した二つのバブルについて触れ、「IT(情報技術)の株価バブルは信用膨張(銀行の貸し出しなどの急増)を伴っておらず、その崩壊で巨額の不良資産が積み上がったわけではない。信用膨張を伴う(住宅)バブルにこそ注意すべきだ」と警告した。
山口は、「金融政策でバブルは防げない」と、あたかもそれがプロの常識かのように主張してきたFRBに、疑問を投げかけたのだった。
FRB流の考え方は、アラン・グリーンスパンの発言で一躍有名になる。
FRB議長だったグリーンスパンは2002年、ジャクソンホールの会議で、「バブルは、崩壊して初めてわかる」「バブルを阻止するには急激な金利引き上げが必要だが、それは経済に深刻な打撃を与えてしまう」などと発言する。中央銀行の役目は、バブルが崩壊してから、大胆に金利を引き下げる「後始末」にあるとした。
その3年前、99年の会議では、大学教授だったバーナンキと山口が対立した。バーナンキが、日本のバブル期の金融政策について「政策金利を8〜10%に引き上げるべきだった」との見方を示したのに対し、山口は「(もう少し早めの金利引き上げが望ましかったが)政策金利をそれほどまで引き上げるのは非現実的」と反論した。
ただ、バーナンキは、金融政策による「バブル予防」を説いたわけではない。バブル崩壊後に、すばやく金利を引き下げてデフレを防ぐ大切さ。そこに主眼があった。グリーンスパンの「後始末論」は、バーナンキから影響を受けたとの見方もある。
しかし、「後始末論」のFRBは結局、大きな失敗を招き寄せることになる。
90年代のITバブルについて、グリーンスパンは当初の警戒心を封じ込めて「生産性が高まった結果」と肯定し、結果的にバブルを加速させた。ITバブル崩壊後は、急速に金利を引き下げる「後始末」を行った。さらにデフレを懸念して長期間にわたって低金利政策を維持した。
グリーンスパンやバーナンキが、最も警戒していたのは、日本の「二の舞」になることだった。米国のインフレ率は急速に低下していた。日本のようにいったんデフレになってしまうと、金利をゼロ以下にできないため、金融政策の発動が難しくなる。
その戦略は、いったんは成功したかにみえた。2001年の不況は短期間で終わり、米国は再び力強く成長する。05年のジャクソンホールの会議は、引退するグリーンスパンへの賛美に包まれた。
しかし、長すぎた金融緩和は結局、大規模な信用膨張や住宅バブルを引き起こす。住宅バブルが崩壊すると、深刻な金融危機に発展。米経済は不況に沈む。
11月の米国の物価上昇率は前月比で大幅なマイナスに転落。バーナンキがあれほど懸念したデフレに近づいた。FRBは今月16日、史上初めて政策金利をほぼゼロに引き下げるところまで追い込まれた。
FRBの何が問題だったのか。
山口は「FRBは日本から間違った教訓を引き出してしまった」とみる。「わずかな物価の下落を恐れて緩和しすぎると、問題が大きくなる」。信用膨張を抑えるには、政府や中央銀行による金融規制の強化と金利の引き上げをセットで行うべきだ、というのが山口の意見だ。
山口の考え方は、国際決済銀行(BIS、本部・スイス)で最近までチーフエコノミストを務めたウィリアム・ホワイトに近い。
白川は山口が副総裁のときに金融政策担当の理事を務めた。2人の考え方には共通点が多い。白川はホワイトとも個人的な親交を結ぶ。白川の著書「現代の金融政策」では、BIS流の考え方と、FRB流の手法の違いが整理され、白川自身はFRB流に批判的であることが読み取れる。
もっとも、実際には、経済が成長しているさなかに、どこまでが「生産性の向上」で、どこからが「バブル」なのか、見極めるのは難しい。効果的なバブル予防策を説く経済理論も確立されておらず、FRB流の「後始末論」には、依然として根強い支持がある。
だが、山口や白川に共通するのは、バブルの判定がなかなか難しいことは承知で「何かできることを模索すべき」という考え方だ。バブルが起きていると確信したら早めに金利を引き上げる、危険な兆候の段階でも記者会見などで世論に注意を促す、といったことも含まれる。
しかし、バブルが起こるのは、人々が過剰なまでの自信を持つからにほかならない。バブルの結末は悲惨でも、その渦中にある人はバブルを謳歌しがちだ。中央銀行が、世論に逆らってでも行動する覚悟がないと、結局、バブルは防げない。
「パーティーが盛り上がっている時に、パンチボールを片付けるのがFRBの仕事」と言ったのは、元FRB議長のウィリアム・マーチンだった。
失われた10年のとばっちりを受けて就職氷河期にぶち当たり、無職だった私が勝ち組へと駆け上がった方法を紹介します。
企業への就職は難しくても、NPOなら比較的簡単に入れます。でも、これは給料目当てではなく、最初のステップです。
ですから、「社会貢献したいから入りたい。給料はいらない。」ぐらい言っておきましょう。
まず断られることはありません。
NPOに入ったら、NPOが日々どのように活動しておくかを良くみておきましょう。
たいていのNPOは、行政(県庁や市役所)から仕事と金をもらって活動しているはずです。
特に、シンポジウムを開く場合のノウハウや、行政から補助金もらうための書類の書き方など身につけると便利です。
また、県庁や市役所に通う機会が頻繁にあるはずなので、担当の人(公務員)に顔を覚えておいてもらえましょう。
NPOを設立するのは意外と簡単です。ネットで「NPO」「作り方」で検索すれば、いくらでも情報は手に入ります。
また、たいていの県庁には「NPO推進課」のような組織があり、気持ちよくサポートしてくれます。
企業のように、どうやって儲けるかを考える必要はないので、緻密な事業計画はいりません。
多くのNPOは、行政から補助金をもらうことで運営しており、むしろ補助金をもらうためNPOを作るということも盛んです。
「どうすれば行政から補助金をもらえるか」ということを念頭に計画を立てる必要があります。
「地域コミュニティの維持」といった活動内容を謳うのがいいでしょう。
無事にNPOを設立したら、行政との関係が一番大事です。なんといっても、金というNPO存続の必須条件を握っていますから。
県庁や市役所に足しげく通い、もらえそうな補助金がないか常に探りましょう。行政も実は、補助金を渡す相手を探しているのです。
決して卑屈になってはいけません。
行政から補助金をもらうと、NPOの信用は一段と高まります。シンポジウムの開催なども積極的にやりましょう。
その時には、行政にも参加してもらうことが大事です。信用も高まりますし、行政が人集めに協力してくれます。
このような活動を繰り返していると、あなたは自然と「コネクター」と呼ばれる存在になります。
つまり、あなたが人と人とのつながりを媒介している存在だと周りが認識し始めます。ここまで来ると、目的はほぼ達成です。
あなたを中心に人が集まり、あなたは「コネクター」という立場だけで貴重がられます。
そして、人が集まると、政治家へのアプローチも簡単になり、さらにあなたの発言力を高めます。
私は近々選挙に出ようと思っています。これまでの人とのつながりで、市議会議員に当選するぐらいの票は集められます。
県会議員やその上、となると、本当の実力が問われるのかもしれません。
でも、無職のニートがごく簡単にここまでたどり着けるというのは、意外と知られていないと思います。
NPOには追い風が吹いています。世間のイメージもいいですし、最近では「新たな公」としてNPOが注目されています。
行財政改革の中、公共事業は減らされていますが、その代わりにNPOが補助金の受け皿になってきているのが現状です。
NPOには、私と同じような境遇から、同じような考えで頑張っている人が結構います。
こんな生き方もあるんだ、ということで参考にしていただければと思って書きました。
毎日新聞より。
ビスフェノールA:プラスチックの原料、胎児に影響 国立衛生研、ラットで確認
◇基準以下でも
プラスチック製品の原料になる化学物質ビスフェノールAが、現行の安全基準以下でも胎児や新生児に影響を与えることを国立医薬品食品衛生研究所(衛生研)などがラットで確認した。厚生労働省は、内閣府の食品安全委員会に評価を諮問する検討に入った。【下桐実雅子】
実験では、母ラット5群に、妊娠6日目から出産後20日まで、ビスフェノールAを毎日投与。与えない群も含め、胎盤や母乳を通じた影響をみるため、生まれた子の発情期など性周期を約20匹ずつ長期間観察した。
大人に相当する生後7カ月になって比べると人の1日摂取許容量の体重1キロ当たり0・05ミリグラム、それ以下の0・005ミリグラムと、同40ミリグラム以上の高い量を与えた3群の計5群の子ラットに発情期が続くなど乱れが起きた。
ビスフェノールAについて環境省は04年、魚類で内分泌かく乱作用が推察されるとしたが、人への影響は認められないとしている。
衛生研の菅野純・毒性部長は「性周期の異常は、ビスフェノールAが中枢神経に影響を与えたためと考えられる。大人は影響を打ち消すが、発達段階にある胎児や子供には微量でも中枢神経や免疫系などに影響が残り、後になって異常が表れる可能性がある」と分析している。
ビスフェノールAについて米政府は4月、「胎児や子供の神経系や行動に影響を与えたり、女子の早熟を引き起こす恐れがある」とする報告書をまとめた。カナダ政府もビスフェノールAを含むプラスチック製哺乳(ほにゅう)瓶の輸入、販売、広告を禁止する方針を示している。
誰も指摘していないようだけど、これの一番の注目点(問題点?)は、「低用量効果があった」ということ。低用量効果については、http:////www.engineer.or.jp/cpd/uneyama.pptなどを参照。記事になった国立衛生研の実験では、40mg/kgの高用量と、0.05mg/kg、0.005mg/kgの低用量で影響が見られたとのことなので、その間の用量では影響は無かったということだ。普通は用量が少なくなればその分、影響は少なくなるのだが、この場合は(中間の用量から)用量を減らしても影響が出る。これは毒性学の常識に反しており、このような低用量効果の存在をめぐって議論がある。欧州食品安全機関や産総研によるビスフェノールAの評価では、低用量効果は否定されており、FDAも同じ意見を持っている。
低用量効果の存在の有無について、低用量効果が無いとした論文は企業などから金が出ていることが多く、信用できないといった意見があるが、本当か。しばしば相反する結果を評価しなければならない場合、どのようにするかといえば weight of evidence(証拠の重み付け)といった考え方が用いられる。企業から金が出ているとされた論文は、一般的に、公的なガイドラインに沿った試験法を用いて、十分な匹数(10匹以上)で、熟練した技術者の居る試験機関において、GLPで実施(→データの改竄など不可能)されている。一方、低用量効果があるとした論文は、標準的ではない(しばしば独自の)試験法で、少ない匹数で、「環境ホルモン」が話題になりだしてから実験をはじめたような人たちが、大学などで非GLPで実施(→データの改竄・恣意的な統計処理などが可能)されている。評価にあたって、企業側の出した論文しか評価されないといった批判もあるが、どちらのデータがより信頼できるか考えれば、仕方の無いことだ。企業から金が出ているとされた実験のほとんどは、必要があれば生データを評価機関に提出できるが、大学で行われた研究ではどの程度まで生データを保存しているかは研究者によるのではないか。
企業は「低用量効果がない」ことを証明したいという動機があるかもしれないが、もちろんデータの改竄はできない。それを言い出すならば、大学や公的研究機関のほうも、「低用量効果がある」ことを証明したい動機があって、動物実験につきもののばらつきなどを低用量効果と誤解したり、低用量効果があるはずだというバイアスが試験結果に及ぼしている影響もあるかと思う。このへんは信頼関係で成り立ってるんで、フォン・サールみたいに「企業が金を出した研究は信頼できない」って言われると、それは科学論争ではなくなってしまう。低用量効果を言い出したフォン・サールの助言に従って、条件を揃えて別々の機関で追試が行われたが再現されなかった。1998年の環境ホルモン国際シンポジウムではフォン・サールから「企業側の試験では陽性対照でも影響が出ていないから試験全体が無効」という反論があった(http://www.southwave.co.jp/swave/7_spe/news_9901.htm)。このときの陽性対象は低用量のジエチルスチルベストロール(DES)で、実験するほうはこんな用量で陽性がでるわけが無いと考えているのだが、フォン・サールが強硬に主張するので入れられたものだ。もし低用量効果が無いんだったらこの陽性対象であるDESでも影響出ないに決まってるじゃんフォン・サールは何を言ってるのか。っていう空気になった。
低用量効果以外の話では、環境ホルモンがらみでは、それは何か意味がある指標なの?毒性学的にどんな意味があるの?といったものも多い。ラットの脳に直接、ビスフェノールAを注射投与したら、活動量が上がったので、多動と関係あるかもしれない。とか。そんな研究がリスク評価の、何の役に立つの? 環境ホルモンがらみだと研究費がとれるからっていって、本当ろくでもない研究も多いし、税金の無駄だと思うがこの辺はいくらでもあげれそうなので省略。
さて、国立衛生研の試験に戻るが、ビスフェノールAの胎児期からの投与と、生まれた雌の性周期に関する研究はすでに行われてる。ラットの三世代繁殖試験で性周期も含めた観察が行われ、低用量効果が無かったことが確認されている(http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/12075117)し、マウス二世代でも同様(http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/18445619)。国立衛生研の試験とほぼ同様と思われる試験で、ラットの無排卵持続発情状態になるまでの期間も測定している試験がある(http://www.jstage.jst.go.jp/article/jrd/50/3/349/_pdf)が、やはり低用量効果は観察されなかった。これらの結果は現行のADI 0.05mg/kgは安全であることを支持する。
そもそも種類にもよるが、7ヶ月のドンリューラットはそろそろ無排卵持続発情がはじまる時期で、いつはじまるかは個体差によるばらつきが大きい。このような微妙な指標を用いて試験すると、偶然によるばらつきもあるし、そもそもそれがちょっと変化したからってどの程度の毒性学的意義があるかも不明なのではないかと思う。DESの高用量投与では、かなり早い時期から無排卵になることは知られているので、それで実験してみたのだろうと思うが。
人間は、ラットよりもビスフェノールAの感受性が低いと考えられる合理的な理由がある。肝臓でグルクロン酸に抱合され急速に排出されることや、妊娠中のエストロゲン濃度が非常に高く、ラットで影響が出たような量では影響が無いと考えられることなど。
このへんまでが予備知識で、この実験の詳細に関してはやっぱり論文見るまでなんとも言えないな。
ここからは雑談。子どもが出来たら、たぶんポリカーボネート製の哺乳瓶を使うと思います。軽いし丈夫だし。でも、もしかしたら、ポリカーボネート製の哺乳瓶なんて無くなってるかもしれないな。塩ビみたいに。
シンポジウムによく招かれてるMIAU関係者(賛同者とか)の意見がさ・・・暴走しすぎてないか?
著作物でお金を稼ぐこと自体を悪いって言っちゃうとか、中国のかなりグレーなMP3検索を勧めたり・・・。
MIAUって利権団体だけを攻撃するはずなのに、アーティストにも攻撃?利権団体を排除してアーティストに直接利益が行くようにすると言ってきた今までの活動を台無しにする気?
利権団体でさえなかなか切り崩せないのに、アーティストの反感も買って、利権団体&アーティスト対MIAUの構図になったら勝ち目なしじゃないの?
匿名の人間の意見は聞く価値なしみたいなこと言ってる人もいるし・・・。
MIAUって匿名の人間の意見を吸い上げてくれる団体じゃなかったっけ?
過激なことを言ってMIAU支持者を増やすのもいいけど、この人たちの発言が元でMIAUが炎上してしまうかもしれないんだから、言論統制じゃないけど火種を作るようなことはやめてもらいたいのだが、みんなはどう思う?
ダウンロード違法化反対している人たちはダウンロード違法化の内容を知らないと思うときがある。それでもインターネット先進ユーザーの中の人たちは知っているだろうし、釣られやすいバカを煽っているのだろうと思っていた。しかしそれは違うようだ。例えば小倉弁護士だ。
法律的観点から違法化への動きを牽制した小倉氏は、著作権法30条について「『法は家庭に入らず』の原則を守ったものであり、これが排除されると法が家庭に張り込むことになる」と指摘。「ダウンロードを取り締まることになれば、各家庭でPC端末の中身を確認する作業が必要になる。
「ダウンロード違法化」に警鐘、MiAUが緊急シンポジウムと述べているがこれは嘘だ。今回の内容では刑事罰は課されないからだ。
第30条の適用がない私的目的の複製については、犯罪としては軽微なものとして従来から罰則の適用を除外しているので(第119条第1項)、本件についても同様とすること
だから警察が違法サイトからのダウンロードを取り締まることはない。違法ダウンロードによって警察が好き勝手できるという批判があった。ぱっとググった限り
この「ダウンロード違法化」が成立すると、何かあったとき警察はプロバイダに対してログを提出させ、家宅捜査を自由に行うことができるようになるということだ。
今までにもWinnyなどで、著作権法違法とことで、何人か捕まってますが、これからはこの決定により加速して逮捕者が増加する見通しでしょうか?
がある。二つ目のやつは一応質問だけど、刑事罰は課されないから逮捕されないなんてツッコム人もいない。ダウンロード違法化に反対している人は批判の内容を見る限り、きちんとダウンロード違法化の中身を理解していないことからネットにあるコンテンツに対するリテラシーというか警戒心がないのがほとんどであると思っていた。警察による取締り系勘違いのほかにも
22 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。:2007/12/18(火) 17:12:04.13 ID:GJ/U0fPh0
「ダウンロード違法化」がほぼ確定でネット\(^o^)/オワタという勘違いも多いからね。パブリックコメントが相手にされなかった理由も至極明快。だってネット上のほとんどの反対意見はダウンロード違法化の中身を理解してないから。そんな意見相手にされるわけがない。既得権益に責任なすりつける前にきちんと「文化審議会著作権分科会私的録音録画小委員会中間整理」ぐらい読めと。しかし実はインターネット先進ユーザー会の発起人も実は理解していなかったのかもしれない。というか
「現行の著作権法は、業者保護のための競業規制法だが、法改正後は、一般市民が知っていい情報と悪い情報を、権利者団体などにコントロールされる情報統制法に変わってしまう」(小倉さん)
「『ダウンロード違法化』阻止、まだチャンスある」――MIAUがシンポジウム (1/2)あたりを見る限り小倉弁護士はほんとにしらないようだ。知ってて煽ってたと思ったんだけどな。うまく煽りすぎてるから、法案の中身を知らない批判する人が多くパブリックコメントが増えても中身を理解してないから相手にされないんじゃないのかと予測してた。そしてまさしくそのとおりになった。結果を見て、無能な味方は敵より厄介なのに数を動員できるからってバカを放置するなんて戦略性がないなと思ってたけどほんとに知らない可能性があるのか。
ダウンロード違法化はやってはほしくないが、ニコニコ動画などの状況や無断アップロードを認めるべきだという意見が大勢を占めていたこと、現状では比較的穏健な改正内容を考えるにやむをえないだろう。しかし将来刑事罰が課されるようになるという危険性がある。今回釣られた人はそういうときのためにきちんと反対できるように改正内容を自分で理解できるレベルに達していてほしいものだ。
あとこの件では手のひら返しがひどすぎる。例えばダウンロード違法化が問題になる以前なら、Winnyは使っているだけなら違法じゃないよという人が多かった。例えば教えて!gooなんかでも
どちらも、違法ではありません。根本からして違っています。Winnyが違法だということは調べましたか?
何に対して違法なのですか?
winnyは違法でyoutubeは違法ですか?という人がいた。昔はこういう人が多く、だから「Winnyの合法利用は机上の空論」というACCSの久保田裕氏の主張には反論がたくさんあった。昔のことなのでログがほとんど残ってないけど、J-CASTニュースの記事を見つけた。この記事の落合弁護士のような意見やもっと過激な反対意見が多かった。それなのに今じゃ「Winnyを利用しているだけで違法だ(だからWinny利用者を取り締まるには法改正は必要ない)」という人が増えた。2chは過去ログ見れないけど、はてブなんかでも
Winnyやshareは送信可能化権で普通に対処できますが……
ex_hmmtという人が出てきた。いや、こうした意見はWinnyの合法利用は机上の空論に対してものすごい反発があったのと比べると普通に驚き。他にも無断アップロードはよくないとかというアンケート調査もあるし。はてなブックマークで見る限り、はてなでやれば無断アップロードが違法であるほうがおかしいくらいの意見だと思ってたんだけどな。手のひら返しがひどすぎる。落とし所がわからないからこうなる。その辺もきちんと考えられるようになってほしいが、これは過大な要求だろう。
元増田が聞きたかったのは、「発表会」の意味じゃなくて「シンポジウム」と「発表会」のニュアンスの違いだろ?
厳密には違いがあるかもしれんが、実用上は違いなんてないだろ。
そもそもシンポジウムを発表会とだけ説明するのが悪いとは思うが、発表会と言い換えちゃって「それどういう意味」と問われたら発表会について説明すればいいじゃんか。そして子供がなお食い下がったのなら何を疑問にしているかを丁寧に聞き出せばいいじゃん。
そういう会話を内心鬱陶しく思っててもさ、子供に伝わらないよう接して色々教えるのが養育者(あえて親とは書かない)の役目の一つだろうに。安易に辞書引けだのググレカスだの言うのは悪影響だと思う(一度、辞書というものがあるよとか、googleというものがあるよとは言うべきだが)。
小さい頃僕は親に鬱陶しがられていました。ものを訊く時の態度が異常だったからです。
具体的な例を思い出してみます。“シンポジウム”という言葉について、TVニュースなどで始めてそれを耳にした僕は当然その意味を知りませんから、親にそれを訊ねるわけです。「『シンポジウム』ってなに?」親はこう答えます。「発表会とかのこと」しかし僕はそれでは満足しませんでした。発表会の事なら“発表会”と言えば良い、だったらどうして“シンポジウム”と言うのか、別々の単語なんだから意味の差違があるに違いない――あの時の心境を今のボキャブラリーを持ってすればこう表現できるでしょうが、その時の僕は馬鹿でしたから、そんな事を素直に口に出せませんでした。適切な単語を思い浮かべる事が不可能だったんです。そして咄嗟に放った言葉がこうです「それどういう意味?」。
馬鹿ですみません。
医療事故の遺族を招いたシンポジウムに参加した。けっこう有名な事件で、ネット上では遺族に対する批判がなされている。しかし、医者と患者が協力しなければ、病気は治せない。医師の卵として、遺族の言葉は胸に響いた。遺族は言う。たとえ結果が悪くても、ベストが尽くされていたら訴える人はいないと。その通りだ。ベストを尽くしても、患者側に伝わらなくては意味がない。患者は医学の専門家ではないのだから、ただ命を救おうと一生懸命に頑張るだけで気持ちが伝わると考えるのは、医師の傲慢だ。だから訴えられた。
その時点では、出来る限り早く搬送先を探すのが、患者の命を助ける可能性を最も高くする行為だった。だとしても、「他の病院に転送を依頼するのみで、何の処置をもしようとしなかった」ように患者側から見えるのでは、患者の気持ちがわかる医療者とは言えない。冷静に事態に対応するだけがプロの医療者とは言えない。患者側からは「緊迫した状況の中で平然としていた」ように見えるのだ。
命を救うだけが医師の仕事ではない。患者側からどう見えるのかをも常に考える、そういう医師でなければこれからの時代は通用しない。患者側からCTを撮れと言われたとき、医学的な妥当性のみを考えて断るのは医師の自己満足である。もしCTを撮らず結果が悪かったとき、患者側がどういう気持ちになるのかを想像するべきだ。たとえ結果が悪くても、ベストが尽くされているように見えれば、訴えられないだろう。自信を持って医療行為のできるかっこよく見える医師になりたい。
さて、同人誌作家が“わいせつ”で逮捕されて、警察は委託ショップと印刷所も関与したとして追求していうく方針だというニュースが流れているわけで。
この夏のコミケ前に日本同人誌印刷業協会は独自のガイドラインを「各サークルへの要請」という形で発表し、実際、成人向ジャンルの入稿に関しては従来より厳しい措置がとられた。
今年に入ってコミケや委託ショップの側でもシンポジウムを開催するなどして、同人誌における表現についてのアピールを行っていたにもかかわらず、このタイミングで“著作権”ではなく“わいせつ”での逮捕に踏み切ったということは「お前等オタクが自主規制だのなんだの抜かしても関係なくやるよ」という意思がみてとれる。
所轄は異なれど、まったく同時期に唐突にビデ倫にガサ入れというニュースもあわせて、陰謀論じみた大きな動きを感じざるをえない。こわい!官憲こわい!ひー!
で、ここで蹂躙されているものこそが「アキハバラ精神」とやらではないかと激しく思うのですが、その解放を声高に叫んでおられた団体の皆様におかれましては、いままさに危機に晒されんとする同人誌の表現についてアピールをするどころか、おマヌケな内ゲバごっこのあげく僕達普通ヌルオタに戻りますってな発表ときたもんだ。
こんな連中が「アキハバラの解放」とか訴えていたと思うとゾッとするね。自分の考えで動けない奴、踊らされるのが好きな奴を否定はしないよ。でも誰に踊らされるかは考えようぜってこった。
いざ「アキバの危機」ってときに何もしてくれないどころか、過激派ゴッコに明け暮れている様な連中の指揮で何が主張できるというのか。今回の事件に対して正当なアピールを行おうとしても、色物に見られるようなことになれば、アキバ解放どころか背後から一斉射撃食らってるようなものですよ。
踊りたければ、ウヨだのサヨだの邪念のある連中とは関係なしに、オタパレードなりなんなりするべきだったと思います。ニコニコ動画でのダンスだの、フラッシュモブだのいうイベントの高揚感と達成感は否定すべくもないんだからさ。その楽しさをアホな連中に利用されるなよ。
最大の敵は、バカな身内とはよくいったもので…徹夜行列でコミケ運営に負担をかけるのもオタクなら、キセル自慢で晒されるDQNもまたオタクなんだ。悲しいけどこれが現実。
このままじゃ何かがダメになるよ。だから、口パクパクの鯉でもかまわないから、少しだけ、自分達の好きなものを傷つけないためにはどうすればいいのか、みんなも考えてください本当に!!
あと、昨日の増田で話題になっていたドラ最終回よりもエロを取り締まれっていうのは、自分が嫌いなものを切り捨てる、という発想にしかみえない。自分は藤子ファンかつ、エロ同人誌にはあまり興味がないオタクだけど、それでも「エロなら取り締まっていいですよ」という生贄のような態度は、同人誌文化を考える上では正しいものとは思えません。
そもそも著作権とわいせつの事案は全く別物であるけど、少なくともコミケという場においては「ドラえもんのエロパロが子ども達に影響を与える」ようなことがないような運営が心がけられているし、委託ショップなんかも最近は神経を使っている。違法なスキャンが掲示板にうpされるとか、そういうところから問題になることが考えられるけど、これはネット利用のゾーニングの問題だと思います。
「アレなら取り締まっていいよ」ということをしてしまえば、そこから綻び始めて、気がつくとその影響は自分のいる場所にも及ぶでしょう。そうならないためには、表現への寛容さを維持しつつ、その影響が及ぶ範囲を意識して個人個人が律する、すなわちコミケの精神そのものが求められる……ということで、オタクのみなさん、文化が無いとか寝言をいう自称ジャーナリストもおられますが、とんでもない。
自分達の愛する文化を誇れ、だからこそくだらない利用のされ方をするな。と主張したい。とりとめもない長文で激しく主張したい。
以上、いちオタ増田が思うことでした。