医療事故の遺族を招いたシンポジウムに参加した。けっこう有名な事件で、ネット上では遺族に対する批判がなされている。しかし、医者と患者が協力しなければ、病気は治せない。医師の卵として、遺族の言葉は胸に響いた。遺族は言う。たとえ結果が悪くても、ベストが尽くされていたら訴える人はいないと。その通りだ。ベストを尽くしても、患者側に伝わらなくては意味がない。患者は医学の専門家ではないのだから、ただ命を救おうと一生懸命に頑張るだけで気持ちが伝わると考えるのは、医師の傲慢だ。だから訴えられた。
その時点では、出来る限り早く搬送先を探すのが、患者の命を助ける可能性を最も高くする行為だった。だとしても、「他の病院に転送を依頼するのみで、何の処置をもしようとしなかった」ように患者側から見えるのでは、患者の気持ちがわかる医療者とは言えない。冷静に事態に対応するだけがプロの医療者とは言えない。患者側からは「緊迫した状況の中で平然としていた」ように見えるのだ。
命を救うだけが医師の仕事ではない。患者側からどう見えるのかをも常に考える、そういう医師でなければこれからの時代は通用しない。患者側からCTを撮れと言われたとき、医学的な妥当性のみを考えて断るのは医師の自己満足である。もしCTを撮らず結果が悪かったとき、患者側がどういう気持ちになるのかを想像するべきだ。たとえ結果が悪くても、ベストが尽くされているように見えれば、訴えられないだろう。自信を持って医療行為のできるかっこよく見える医師になりたい。
あの事件だろうな、と言うのは予想付いたがおいといて 患者側からCTを撮れと言われたとき、医学的な妥当性のみを考えて断るのは医師の自己満足である。もしCTを撮らず結果が悪かっ...
医者なんてもともとがやくざな商売で、 命が助かるだけマシだと思う。 医療行為は昔は呪術と見分けがつかなかった。 死に向かって賭けをする。 いわば病気が治るかどうか命を賭けて...