はてなキーワード: きれいごととは
どうもひっかかると思ったら、きれいごとしか書かなかったからだった。
http://anond.hatelabo.jp/20110322005709
友人がひとりいて、私よりもずっとセンスもいいし、料理だって上手だし仕事の才能もあるし、性格もいい。
そういうところすべてが本当にうらやましい。でも。
一緒に買い物に行ったときに、その友人に、店員さんが声をかけないことがあった。ひそひそ言ってる。ひどい。
見かけが大事だっていうのはわかる。だから私は、きれいのために、毎日努力してるし最善尽くしてる。
そしてそれは、友人にとっても同じことのはずなんだ。似合うものを頑張って探してるし、先に書いたとおり実際センスもいい。
どうして彼だけ、あんなにも?
ひどいって書いたけど、それはひそひそ言ってた店員さんがひどいっていうより、文化だか本能だか、そうさせてしまう文脈がひどいのだと思う。
人は残酷なまでに見かけに頼りすぎる。そして私も、その前提を覆すどころか、完全に服従してしまっている。
私はもっときれいになりたいけれど、その向きの努力は、この残酷さを肯定してしまう。それはいやだ。
どうすればいい?
Togetter - 「ニートとホームレスの実態の深刻さ」を見たんだけど、
昔だとこういう人たちの受け皿っていうのが被差別部落だったっていうふうに認識してる
差別問題で被差別部落が問題視されてなくなったわけだけど、そうなった結果
そういう人たちの受け皿がなくなったんじゃないのかな
差別問題は一見解消したように見えるけど(解消してないっていう方もいるでしょうけど・・・)、
それにともなって別の問題が出てきたって感じ。
きれいごとで動くことはいいんだけど、そこが果たしていた役割ってものを考えずに
きれいごとだけで物事を変えるとこうなるってことだと思う。
これに似たケースっていろんなところでいっぱい出てきてるんじゃないのかな
うつ病をめぐるツイートのまとめ http://togetter.com/li/79120
完全に抜け落ちているのが、ストレスの原因を取り除くという手段。
薬を用いようが、別の何かを用いようが、大きなストレスの原因に
なっていることを取り除かない限り絶対に寛解は無理。
こんな糞みたいな世の中で糞みたいな仕事があふれていて、それで
休んだら犯罪者みたいな扱いを受ける世の中で、ストレスを軽減する
なんて無理でしょ。即効性のある薬に頼るのは必然かと。
仕事にしろ、学校にしろ、歩みをとめられない、レールから外れたら
終わりという状況で、長い期間をかけて、治療に専念するなんて
きれいごと過ぎる。
横になっていい時間が半年もあれば、良くはなるよ。でもそれって
社会が許してくれるの?
突然だけど、いろいろ考えていたことをメモしていきたいとおもいます。
人はよく、なぜ生きるのか、死ぬのか、人を愛するのか。そういう問題にぶつかっては悩みますが、それに関する私の考えです。
といっても私はしがない18歳の高校生です、なので文章に至らない点がたくさんあります。
人類が生まれた時から、自然現象ではありえない物質がどんどん生み出され、地球は壊滅の一途を辿っていくが、それにくよくよしても仕方がないっていうのが私の持論だ。
なので、人類がやり残したことが無いようにどんどん便利な世の中を追求していけばいいと思う。
また、綺麗な自然を守りたい人がいたなら思いっきり守ればいい。
ただ、現在の自然環境を守る技術だって、技術発展ありきのものがたくさんある。それでもし私たちが生きれる時間が延びたとしたら、それに感謝することもあるだろう。
しかし人々はその生きた時代における最先端を探して、結果として後世に残されていくんだ。
そういうことを考えるうちに、法治国家ってなんなんだと考え出す。
人類の技術、技能の発展ならどんどんしていけばいいけど、社会性ってなんだろう?
考える。
考えた末に、法がある最大の理由は人間の幸福のためだと気付いた。
すべての人間を縛り付けることによって、すべての人間が自由になれることを目指す、それが法だ。
だから、本来は大量虐殺なんてあってはいけないし、強者が弱者から必要以上に搾取するのもあってはいけないこと。それをなくすために法があるんだ。
言わずもがなでしたね。
社会の教科書を読めばもっと簡潔かつ分かりやすく法律のことが書いてあるのだと思います。
そう結論にたどり着いたら、今度は人間の本当の幸せってなんだろう?という壁にぶちあたる。
それは愛なんじゃないかなって思う。
いろんなものに向ける愛だ。
それは異性であったり、家族であったり、自然や、文学かもしれない。
一般的に人には好まれないものを愛する人だって多くいるはずだ。でもマイノリティって超大事、今日の当たり前が明日のそれとは限らない。
その愛の対象も一つじゃなきゃいけないってことは無い。大きな愛を持っている人は素敵なのである。
そうして、そんな愛に満ちた世の中がなぜ出来上がったのかなって考える。
どうして人は愛が無ければダメなのだろう。
それで思い出すのがこれだ。
http://www.brain-book.com/report/cell-brain.html - 脳の神経細胞は宇宙と似ている?
別にこの記事の真偽はどうだっていい。
これで、私という一人の人間が生きやすくなったという事実が重要なのである。
自分の生きる意味とかを常にゴネゴネ考えて「死にたい」っていつも思ってた私がこれを見て、
「自分が、自分にしか無い世界を毎日つくっていけるんだ、素敵。」
と、思えた。
と気付いたのだ。もしかしたら私は、凄く楽観的でめでたい性格なのかもしれない。
同時に、自分は誰かの想像でしかなくて、とてもちっぽけな存在だと思ったら楽になれた。
失敗したって、一時つらいだけだ。
そして、大好きな人たちを想うと無数の星たちが互いに煌めくんだ。頭のなかで。
脳内でたくさんの人々が、出会い結ばれるのである。頭の中が愛で満ちているのはどれほど楽しいことだろう。
そうやってたくさんの人たちが無限につながっているのが世の中だとしたら、何てすばらしいんだろうって思ったんだ。
家から一歩外に出れば、みんなが友達だ。
こうやってインターネットが普及したことによって、簡単に自分のことを誰かに伝えることができる。
本来はつながるはずのなかった人達と、出会える。技術の発展がなければ成し得なかったことだ。
人間ってすばらしい。憎い面も愛すべき面もたくさん持ち合わせているのだ。
人は支えあうべきだし多少のわがままもゆるされる。
こういう結論です。
悲しい時は、周りに助けを求めるべき。周りもそれを欲している。
そして嬉しいことがあったら、周りの人におすそわけしてあげるべきなのだ。
「そんなの、きれいごとだ」
そう言って笑われても、全然かまわないのだ。
こうやって、素敵な世の中に住んでいる、そう考えられることが私の幸せなのだから。
だから今、だれかにおすそわけしたくなったのだ。
http://livedoor.blogimg.jp/vipsister23/imgs/9/5/954a9217.jpg?8bfe2c41
とか
俺が女でも絶対彼氏にしたくはないもんな
こういうレベルの顔の人って言うのは実際居るわけ
町で歩いてもちょこちょこは見かけるけど、自宅の中にはもっと居るよ
不細工な人は休日に外出したがらないもん
こういう人たちに言うべきことって
「努力が足りないよ!」じゃなくて「障害だよね」だと思う
現代では脳や体の障害として認定されてることで、
100年前までは「怠け者」として責められてたことなんていっぱいある
その上で生きていきにくいであろう点について可能な限り労わりたい
↑が言うことが正しかったとして、それを公言してもお金を出す男がどれだけいるのかな? って話。
要はきれいごとじゃないって話だから。
だからそれに対する答えは「お金を欲してない女を見つけろ」ではなく、「そんな男いないよね」「いるよね」「確率何%でいるよね」の3択しかない。そもそも社会の状況についての問いなんだから。つまり最初から世界に対する疑問を唱えているのに、お前が行動を変えれば全て解決というのは問題のありかを摩り替えている。
自分に問題があるのか、社会に問題があるのか、についての結論(倫理的な結論ではなく、思考の決意としての結論)はすでに最初から出ている。
そしてそれに対する「あっそうずっと夢見てれば」「ママがいるといいでちゅねー」的な反応はすでに織り込み済みだ。1、(本人のつもりとしては)依存ではなく与える側で 2、その夢は実はパパとして反転可能で 3、「私はが選ぶ側にある」という自己肯定的精神安定の捏造に惑わされない決意を持つ。
その上で、やはり社会の方が間違っているのじゃないかという考え。
だから↑の中に「きれいごとじゃない」と言いながらきれいごとへの志向を捨て切れてずに、短い文章の中にすら美化の欲求に耐え切れずちょいちょい美化を行っているのを見るにつけ、結局は汚い現実を、つまり恋愛は幻想というおそらく何よりも正しいが意図的にある成分を排除した、「美化から逃れたところにある美化」しているのだな、と、結婚式的なウソに吐き気が差す者は思うのであった。
少し前に表題のことを強く確信した出来事があったのでここに書き記すことにする。
この前の休日に息子(三歳)を連れて親子で近所のスーパーに買い物に行ったときのこと。
妻に渡されたメモを見ながら必要なものを集めて回っていると、試食販売のデモンストレーターの女の子のジュース試飲の売り口上が聞こえてきた。
だが客の反応は冷めていて、振り向く人すらまったくいない状況で、その子も明らかに声が低調になってかなり憂鬱な空気が漂っていた。
デモンストレーターの女の子は、割とかわいいのだが地味な印象で、何かをプッシュしてアピールするという仕事には一見不向きな様子に見えた。
見ててなんとなくかわいそうだし、息子も買い物に飽きてきたから、ジュースでも飲ませて気分転換させるか(息子と女の子両方に)と試飲を頼んでみると、女の子は大喜びでコップを渡しながら、堰を切ったような勢いで商品説明をはじめた。
話を聞いてみると、紋切り型なしゃべり方ながらなかなか商品知識はしっかりしていて、まじめに勉強していることがよくわかった。ただ積極性と精神的なタフさが足りなくて商品知識を生かせないだけなようだった。
結局、まじめな商品説明に感心してジュースを買ったのだが、その際に横でジュースをがぶがぶ飲んでぴょんぴょん飛び跳ねている息子が目立っていたらしく、今まで見向きもしなかった客が少しずつ試飲に興味を持ち始めた。
すると女の子はにわかに元気を取り戻し、売り口上の声も張りが出て大きくなり、動作も機敏になり、さっきまでとはまるで雰囲気が変わった。
こういう子は一度自信が付いて辛抱強く待つことを覚えれば結構化ける事があるので、息子の無駄な動作が呼び水となって本当によかったと思った。
三歳児といえば、普通に考えれば、自分のこともまだ満足にできず、すぐに泣き叫び、気を抜けば糞尿を漏らし、手がかかるばかりで人の役に立つようなことはできない。しかし、視点を変えれば三歳児には三歳児にできる「人の役に立つこと」があり、それは今回のケースで言えば、客引きパンダになることで集客効果を発揮するということだった。
おばさんという生き物は、小さい子が飛び跳ねていると本能的に寄ってくるものなのである。
息子はそんなおばさんの本能など知らずに、ただおねいさんが笑顔でジュースをくれるから喜んで飛び跳ねているだけだったが、結果的に落ち込み気味な女の子の気持ちを奮い立たせ、売り上げに貢献した。
やり方さえうまくしてやれば、三歳児だって人の役に立つことができる。
こう考えると、役に立たない人間などいないという言葉が、きれいごとではなくひとつの真理なのだということがわかってきた。
役に立たない人間がいるのではなく、役に立つ方法がわからない人間がいるに過ぎないのだ。
帰り道にそのようなことをつらつらと考えながら、疲れた疲れたと抱っこをせがむ息子を抱っこしてしばらく歩くと、胸の辺りが生暖かくなった。下ろしてみると、胸元から梅雨のおしっこの生暖かいにおいが立ち上ってきた。私は泣いた。
http://anond.hatelabo.jp/20100322140134
精読したわけではないから誤読しているかもしれんけど。
一連のエントリではてこさんは男性を糾弾したり被害者ぶっているわけではなく
「私は男性(のある側面)に恐怖を覚える。」
という自らの感情を表明しているにすぎない。よってそれに対する、
「男だって女が怖い。」
などといった反論は意味がない。なぜなら、それらが正論であっても彼女の恐怖感の
存在自体が否定されるわけではないから。また、男性からの
「傷ついた。」「中傷された。」
という意見はそれ自体は感情であって表明する価値はあるが、それによってはてこさんを
非難することも意味がない。
そもそもあのエントリにこれだけ反応があったのは、はてこさんの意図とは別にエントリ内において
「それでも熊がほんの一撃で目の前の樹をなぎ倒して、ここに座ってお昼にしよう、と言うとき、
私は胸の奥で震え上がるの。どうか私を食べないでね、って思うの。」
とあるように、人間(この場合は熊であり男性)は自らの意図とは別のところで他者に恐怖を与えうるという
絶望的な事実に対する抗いだったのではないかと思う。実際、我々はどれだけ努力しても他者の心を傷つけうるし
その判断は完全に相手に委ねられて自らではどうにもできない。それを明示されたとき、人は自分がある日突然、
他者に拒絶される可能性があることを思い出して恐怖する。そして、その可能性を打ち消そうとする。
では、我々はどうするべきか。
受け入れた上で肯定も否定もせず自分の感情に基づいた意見を表明すればいい。
彼女の言説が本当に力を持つなら、なんらかの形であなたの感情に影響を与えるだろうし(彼女の意図と違っても)、
(ただし、ここでいう感情は好き嫌いではなく、どちらかというと信念とか良心と言った方が近い。)
表現規制に関しては、自分は実効性うんぬんに関係なくゾーニングの徹底と啓蒙活動が必要十分の施策と考えており、
それははてこさんのエントリを読んでも揺らぐことはなかった。
追記)書いてみて、我ながら「めちゃきれいごと(笑)」と思ったが、
実際に連休中に考えた末にでた結論だったのでそのままアップする。
その1 http://anond.hatelabo.jp/20100318123002
その2 http://anond.hatelabo.jp/20100318194644
もっと!集めて果てなく アイドル軍団
しんちゃんだけが使えるテクニックで
歌いつくして
今宵だけの夢
踊って激しく
ITIにDOIときたらKABUTOかな?ということで。
なんかこの歌で楽しく替え歌ってむずかしい。
もう振り向かず 歩いてゆけるさ
いつかまた会う その日まで
僕らの夢がきっと叶うように
あの星に願っているよ
どんなに遠く 二人はなれても
ずっと君を 思っている
この別々の道通り抜けたなら
きっと笑顔でまた会える
つむりでしんみりはもうやめよう!と思ってたんだけどやってまったー
「て」他にいないし(天狗はほかでうまいことやったし)、歌詞こんなだし。
歌詞ほとんど改編してないです。
チーモンだぞ つぶせ のし上がるぜ 最強まで
ふりまわすのが 快感だぜ
ふりまわしてぶっつぶしてやる
豪腕だぜ 豪腕だぜ つぶせ
と思ったらアームがよい具合にぶっつぶしてくれた(笑)「感動返せ」コメありがとう!
三十数年 時が過ぎ行けば
二人の会話は しなやかに
漫才上等奏でます あぁ奏でます
この地上で最強の兄弟
お家(いえ)のために戦いましょう
たった一人の相方のために
お客様へ 捧げます
二人の絆
…元歌詞のほう多く使ってるけど。
90組も あげきれないけど
ちょっとだけ 呼んでみようか
大きな声で いち に さん はい!
ぴ ぴ ピク兄
しゅ しゅ シューレスジョー
ら ら ライパッチ
す す すずらん ラン
あげきれなかった人たちを中心にー
すずらんとか最近人気のイメージあるんだけど、うまく歌詞にもりこめなかったなあ。
中村の特技は あいうえお作文
まさかのレギュラー キャンパスナイトフジ
覚えてもらえないまま終了……
「ゆ」といえば、たり感やろとは思ってたのだけど、いかんせん元歌詞がしんみりすぎる。でも極度の改編は嫌。ということで七色よりお借りしました。全然テンポ感違うのに、苦労せずはまるとはー
いごしょと同じく時事ネタ?まぜてしまった。
(売れたいんだ)
DOI 負けてしまいそう
だから
DOI 頑張っていきましょう
歌だってうたうよ 僕ら
だってアイドルするのが 好きなの
新潟で押見さんがアイドルやってるってのは知ってたんだけど、グループ名を知らず。なるほど「なじらね」ねーと思い何の気なしに入れたら反応多い(笑)
(君たちに)
女子女子を見せたげる
歌はまだね がんばるから
女子女子にしてやんよー
だからちょっと 覚悟をしててよね
女子女子て言ってあげる
世界中の誰誰より
だけどちょっと 地獄って言わせてよね
十年後にまた会おう この場所を飛び出して
今よりももっと輝いて
すぐに燃え尽きたりせずに
ずっと永遠のきみでいて
ほぼ改編せずにこのクオリティー
足りないよ あの4分何回やっても間に合わん
先手必勝早めにボケても いずれは話逸れていく
たまたま見たお正月あたりのAGEAGEで福田さんが「正月ルール採用!」的なことを言ってた記憶があるのだけどまるっきり気のせいかもわからん。
4分じゃ短い!となげく全てのコンビに捧ぐ。
時計の針はもう動き出すから 今すぐに走り出せ
誰のためでもなく 僕らは立ち上がる
力の限りを尽くして勝ち進め
きれいごとはいらない 要は勝てればいいのさ
もう誰にも止められはしないよ
ああ僕らは戦士 アゲレンジャー
さすがに「卑怯の限りを尽くして勝ち進め」とはいえなかった。
アゲレンジャーという語感のダサさだけなんとかしたいかも。
もっときて 最後に笑っちゃうのはあなたのはず
笑わせてるからです 結論
月曜日なのに客少ないのどうするよ
来て見てほしいのです いつでも!
「セーラー服着てライブ見に来てくれるとうれしいな」みたいなド変態ソングにしようかと一瞬もくろんでしまったけどやめました!
(あなたに会いたい キラッ)
漆黒の画面の中 あなたたち花火みたい
心が光の矢をはなつ
家で見てるときこんな気分だったかなーとか思って。
なんかそんな感じ。
あーげあげらいぶ!
最後はみんなで仲良く終わりたい。
☆☆☆
長々と読んでくださったみなさんありがとう!
というかその前に、長々とあの動画を見てくださってありがとう!!17分てなにそれ(笑)
試験勉強の気晴らしのつもりが、はまりすぎてまるっと一日で完成にこぎつけてしまった予想外の作品ではありますが(笑)、やー楽しかった。
というわけでうp主勉強期間中なのでさすがに今回動画はつけられないです…。それに私はライブに行ってしまう人なので、動画やっぱり無理だなって思いました。
動画職人募集中ううう タイトルも変えちゃっていいよ!思いつかなくてそのままのとことか…
もし現れてくれたらとても嬉しいです!が!
ひとまず、みんなサンキュー!!
★★★
誰も興味ないかもしれないけどうp主について少々
大事なのは、何のための技術かということです。コンクールにしても、金メダルを取るために挑戦しているんじゃありません。
ふだんからスタッフみんなで話し合って、共有している思いがあります。それは、僕たちはなぜ菓子屋をやっているのか、なんのために技術を身につけるのかということです。
パティシエは技術がないと人に喜びを与えることができません。お客さんの要望に120%、150%応えるために技術を磨くんだということです。お客様を喜ばせ、1人でも多くの人に夢を与えたい。そのための技術なんです。
こんなこと言ったらきれいごとだって言われるかもしれないけど、売り上げを追求したことはありません。父も言っていましたが、お金は後からついてくるものだと思います。利益を追求してたら、今はないでしょうね。
拡大画像表示 やはり、スタッフがやりがいを持って、毎日楽しんで働くことが一番大切です。その結果、お客さんに喜んでもらえて、お店にやって来てくれるお客さんが増えてきたんだと思います
始めた時は全然考えたことがなかったけど、結果的にリピーターになってくれています。そういう意味で、いい循環ができたんだなと思います。「家族に絆をつないでほしい、子供に夢を与えたい」という気持ちでやっていますが、やはり僕たちにも利益がないと動けませんからね。
http://anond.hatelabo.jp/20100124110414
待たせたな。どこから説明すればいいのか、わかったから、順を追っていこう。
娘の友人に似たような境遇の子がいるんだよ。娘はとても心配している。私に何か出来ることがあればと、ずっと思っていた。もしかすると本人かも知れない。まったく関係ない誰かかも知れない。案外、ありふれたことなのかも知れない。だったら、増田に書き込んでおくことにも意義があるだろう。
目的を達するために有効なら、叩くこともある。持ち上げることもある。こんな風に説明することもある。それだけのことで、元増田を叩くことには興味がない。私にとっては叩くことは意味が無い。他人の足を引っ張っても自分が持ち上がるわけじゃないからな。
子供の保護者は、子供を社会生活に適応できるように育てる責任がある。
国際社会の中に日本社会がある。日本社会の中に地域社会がある。人によって、そのほか会社とか学校社会とかいろいろな社会があるだろうが、途中の社会は直接関係ないので割愛する。
社会の最小単位は「家庭」である。これも、母子家庭だの、核家族だの、大家族だのと、いろいろとあるが、ほかの例を持ち出すとややこしくなるので割愛する。元増田の家庭には「母親」と「娘」がいることだけが確実なことだ。ほかは推測にしかならないので考えない。
さて。母親は生んだ子供に教育をほどこして、社会生活になじませる。なぜなら、今の人間社会は高度に発達していて、本能のままに生きていくことが出来ないからだ。食べたいときに食べ、寝たいときに寝て、排泄したいときにする、といった気ままな生活は3歳までしか許されていない。3歳になるまでに、夜眠るように睡眠時間を整え、一日三食食べるようにし、排泄をしたければトイレに行くように教育する。
最終的には一人前の社会人として、社会に送り出すまで、娘は母親の保護の元にある。これは社会通念ね。法律ではこうなってる。
第1条 すべて国民は、児童が心身ともに健やかに生まれ、且つ、育成されるよう努めなければならない。
2 すべて児童は、ひとしくその生活を保障され、愛護されなければならない。
第2条 国及び地方公共団体は、児童の保護者とともに、児童を心身ともに健やかに育成する責任を負う。
以上。
では、どうやって、子供の社会化をなすか。子供が小さいうちは、悪いことをしたら手にしっぺする、などという暴力的な手段も有効だ。問題は、子供はひとり一人感受性が違うということだ。しっペされても、思い切り殴られたかのように傷つく子供もいれば、あざが出来るほど殴られても翌日にはケロッと忘れている子供もいる。教育の方法は、子供ひとり一人に合わせるしかない。そして、一対一対応で教育出来る機関は、家庭しかないんだ。
つまり、家庭における母親というのは、子供の教育の最高責任者なんだよ。
誰が言ったかによるよ。会社の最高責任者である社長が「ヤバそうだと思っていたら案の定倒産した」って言ったら、望んでるんだろ。望んでいなければ「ヤバそうだと思った」時点で手を打つだろ。倒産するまで傍観しないだろうが。そして、手を尽くしたのに倒産したなら『案の定』ではなく『手当てのかいなく』となるわけだ。
娘にとっても「補導歴が付いて将来真っ暗」
娘に十分な教育をほどこしているのならば、娘本人が一番わかっていることだ。十分社会化した子供を相手にするときには、お金を渡さなければ万引きするなんて心配は、そもそもする必要がない。
だけどな。子供のことに関して、百パーセントなんてあり得ないんだよ。うちの子が万引きをする可能性は、かなり低いけれど、ゼロではない。確率の問題だ。何かものすごく間の悪いことがあって、やることだってあるかも知れない。いつでもどこでもどんなときでも、うちの子は犯罪なんかいたしません、なんて親は、逆にノーテンキ過ぎる。ちなみに、万引きで倒産する店もある。軽い犯罪ではない。万引きは窃盗だ。だいたい、私は軽い犯罪ならしてもいいなんて考えは持ち合わせていない。犯罪と認定されていることは、誰かが迷惑をしていることだ。してはならないことだよ。
摂食障害がどんなものだか知らないのかい? カレン・カーペンターは摂食障害をこじらせて命を落としたんだよ。
もちろん、生きてて犯罪者ではないのが、この選択肢の中では一番いいね。
そして、お金を渡さなければ、万引きするというのは、元増田のおびえでしかなく、今のところ実態はない。
「お金を渡さなければ、万引きしてやる」と娘が言うのなら、それは立派な恐喝だ。すでに犯罪は起こっている。処罰が必要だ。
食費は月に20万近く。
家計を圧迫しており、頭に来て怒鳴り散らしてしまいます。
これは立派な虐待だ。お金を渡しておいて、あとから文句を言うわけだからな。「いいよいいよ」と言っておいて「あれは駄目だったのに」と文句を言うってのはハラスメントだよ。
増田は「覚悟」をはき違えている。
子供を育てるときは、きれいごとばかりでは済まない。「蝶よ、花よ」とおだてて、耳障りの良いことばかり言っていても子供の社会化はなせない。
子供を社会化するために、ときには「憎まれ役を買っても厳しく接する」という決意をすること。それを「親の覚悟」と言うんだ。
学校に行かせるのも、社会化が目的だ。先程言ったように、家庭のほうが教育機関としては優れている。必要ならば、学校に行かせないという選択もありだ。
なんとしてもやめる意思と行動力を持ってもらいたいです
というのならば、そういう娘になってもらうためには、元増田はどうすればいいのか、を考えなくてはならない。
母親が娘を社会化しないとどうなるか? 娘はいつまでも独立できず、母親の元にぐずぐずといることになる。つまり、娘の教育をおざなりにすれば、娘はペット化する。
娘の自主性を重んじることと、娘を放任することは、似ているが、まったく異なるものだ。そこを間違えると「娘の意志を尊重する」と言いながら、娘を親から離れられない人間に育てることになる。放任されて社会化されなかった人間は、結局社会でうまくやっていけないから、親にしがみついて生きていくしかない。
だから、教育すべき期間に教育を施さないのは、娘を手放さないようにするための手段として成立するんだ。
では、自主性を重んじることと放任はどう違うか?
例を一つ挙げよう。お金のことで困っているようだから、おこづかいの話をしよう。
「お金の使い方を教えること」も、子供の社会化には重要なことだ。子供の判断力と行動範囲に応じて、適切な金額を渡していく。
うちでは母親である私が取り決め実行した。
未就学児は基本、保護者と一緒に移動しているから、自分のこずかいは要らない。小学校も低学年のうちは、たいして必要はない。高学年になると、自分で文房具を選んだり、友達と遊びに行ったりしはじめる。「買い物を楽しむためのお金」として、まず、週2百円渡していた。そして、使い道についてはいっさい干渉しなかった。中学生になったら、週4百円、高校生では月5千円だ。大学生になって家を出たので、月10万円の仕送りをしている。足りないようだが、うちからは、これ以上出せないと娘はわかっているので、自分でアルバイトをして補っている。十分社会化された子供は、お金が足りなければ稼ぎに行く。万引きはしない。
放任というのは、小学生にポンと月3万円、中学生に10万円、高校生に30万円とこづかいを渡して、ほかには何もしないことだ。「無駄遣いするなよ」くらいのことは言うかも知れないが、こづかい帳をつけることを義務づけたりはしないってことだ。
ところで、私が話している相手は、元増田なんだろうか? 横増田なんだろうか? 増田なんだから、どっちでもいいが、元増田なら、私の忠告をまぜっかえしていないで、本気で「自分に出来ることは何か」を考えることをお薦めする。
最高であって、孤高でも、一人っきりでもない。
娘の教育に行き詰まったのなら、まずは、父親に相談すべきではないか? 次に、自分の両親、父親の両親、自分の祖父母、父親の祖父母、学校の先生、娘のカウンセラー。たくさん居るだろう? 増田で訊ねる前に、相談すべき相手が。
相談したところで「だって、私のせいじゃないもん。娘がいけないんだもん」と元増田が言っている限り、誰も手助け出来ない。元増田に出来ることが無いからだ。「娘の教育は私の責任で行うべきことだ」と自覚すれば、周りの人だって助言のしようがある。
摂食障害は一度なったら、そうそう簡単になんとかなるものではない。腰を据えてかかる覚悟が必要だ。
ほんと、口だけだ、鳩山首相って。
選挙前は「きれいごとを言う政治家だなぁ」だったが、「トラスト・ミー」以降は「二枚舌政治家だ」と思うようになった。
それを言っちゃうと、自民党をあんだけ叩いていた社民党や国民新党の政治家も権力の座についた途端に身内には優しくなっちゃってダメダメだし、大本営発表の提灯評論しかできないテレビ・新聞のジャーナリストのダメさよりはマシなのかもしれないけど。
「秘書の責任は雇っていた政治家が取れ。私だったらそうする」というようなことを言っていた人間が「オレたちゃ悪党二人組よ。そんなこたぁ分かっていたことじゃねぇか。選んだ国民が愚民なのよ」とせせら笑ってるんだからなぁ。
ただ思うに、こういう古き悪しき昭和の政治家精神構造が今の自民党には欠けていたから選挙に大敗したのではないか。
「利権のためなら恥を恥とは思わない」「金のためなら何を言われようが権力にしがみつく」「日本を仮想敵国と想定している国であろうが自分の利になるなら擦り寄る」と恥も外聞もなく、なりふり構わず邁進する。
こういう無神経さ・図太さが自民党には全然なくなったからなぁ。
ミンス派というのは「ALWAYS 三丁目の夕日」を見て涙流すような昭和ノスタルジーが大好きな人なんだろう。
どうしようどうしよう、年を越せるかななんて不安な気持ちでいっぱいなのに、ネットカフェで増田を見ていて、えっと思った。
人材派遣とか、雇用とか、不況とか、解雇とか、そういうワードには、前からびくびくしていて、目にするたびにそういうエントリーを見ていたわけ。それで、腐った経営者のやつらとか、なんとかなんねえかな、なんで俺らみたいなのばかりこんなつらい重い、苦労、そんなのしなけりゃならないのかな、って思ってた。
でも、金はどんどん金がないっていうことが気分を暗くするし、実家に帰っても親がイライラしてるし、やだな、とか、もう、何年も、そんなことばっかり思ってたけど、でも、そういうとき、はてなの中でも、そういう社会問題を議論している人たちがいて、ああ、この人たちは、俺たちが抱えている問題について、真剣に、考えてくれているんだなあって思ってた。そう思うと、ちょっと救われるというか、俺はひとりぼっちじゃないんだな。そう思えたようなこともあったのよ。
でもそれ、錯覚だった。裏切られたよ。俺は。前から、派遣のことについて詳しくって、俺たち労働者の側に立った書き方をしてくれていると思っていたブロガーがm、実は、当の本人が、派遣会社の経営者の側だったのよ。増田を見てそれを知らされて、驚いたよ。
http://anond.hatelabo.jp/20091120233915
この投稿を見たら、2ちゃんのスレがリンクがあって、書かれていることを見たら、なんと、自分が派遣会社を経営していて、しかも、従業員を不当解雇していて、名古屋管理職ユニオンが団交して交渉したら折れた、みたいな記事があるじゃん。どういうことさ。
それで、そいつの会社について調べてたら、もっとひどいことが書かれて田。
http://namidame.2ch.net/test/read.cgi/venture/1255528242
会社を計画倒産させて、横領して、逃げて、それで管財人が代わりの社長になったっていうはなし。そう書かれてた。これがほんとだとしたら、そのブロガーが書いていたことが、きれいごとがどうこうとかじゃなくって、自分がやっていたことの真逆なわけ。自分はぬくぬくと社長の椅子に座っていたわけ。それで、俺たちに働かせて、金を搾取していたのよ。うそだろ、これ!って思って、当の本人は、ブログとブックマークをプライベートモードにして逃げちゃった。あ、やっぱりほんとなんだって思った。
http://d.hatena.ne.jp/buyobuyo/
http://b.hatena.ne.jp/buyobuyo/
どういうことだよ、buyobuyo!!お前、おかしいじゃねえか!お前、どれだけ口が悪くっても、この人は、わかっているんだ、俺たちの味方なんだって思ってたのにさ。お前、ぜんぜん言ってたこととやってたことが違うじゃねえか。名に考えてんだよ。お前を信用した俺が馬鹿だったよ。
俺たちの味方のような顔をして、やれ法律に自分は詳しいとか、日本のひどい経営者を退場させろとか書いておいて、どういうことなんだよ!!!!!
http://anond.hatelabo.jp/20091121132340
http://anond.hatelabo.jp/20091121165113
東大出ているような立派な人でも、世間の勝ち組の側に立つ人ばかりじゃないんだな、と思っていたけど、嘘じゃねえか!お前ら、俺たちがひいひい言って働いて、疲れ切手0、たまにネカフェでさ、俺たちの苦労をわかってくれるようなことを書いていてくれる、それを読んで、うれしかったけど、それは嘘だったんだな。低学歴どもが、馬鹿が、喜んでいる、だまされて喜んでる、そう思って、ほくそ笑んで、ニヤニヤして、それで書いていたんだろ。すげえひどい趣味だな、それ。
なんか心が折れたよ。こいつのことでは、もう、すげえショック。