少し前に表題のことを強く確信した出来事があったのでここに書き記すことにする。
この前の休日に息子(三歳)を連れて親子で近所のスーパーに買い物に行ったときのこと。
妻に渡されたメモを見ながら必要なものを集めて回っていると、試食販売のデモンストレーターの女の子のジュース試飲の売り口上が聞こえてきた。
だが客の反応は冷めていて、振り向く人すらまったくいない状況で、その子も明らかに声が低調になってかなり憂鬱な空気が漂っていた。
デモンストレーターの女の子は、割とかわいいのだが地味な印象で、何かをプッシュしてアピールするという仕事には一見不向きな様子に見えた。
見ててなんとなくかわいそうだし、息子も買い物に飽きてきたから、ジュースでも飲ませて気分転換させるか(息子と女の子両方に)と試飲を頼んでみると、女の子は大喜びでコップを渡しながら、堰を切ったような勢いで商品説明をはじめた。
話を聞いてみると、紋切り型なしゃべり方ながらなかなか商品知識はしっかりしていて、まじめに勉強していることがよくわかった。ただ積極性と精神的なタフさが足りなくて商品知識を生かせないだけなようだった。
結局、まじめな商品説明に感心してジュースを買ったのだが、その際に横でジュースをがぶがぶ飲んでぴょんぴょん飛び跳ねている息子が目立っていたらしく、今まで見向きもしなかった客が少しずつ試飲に興味を持ち始めた。
すると女の子はにわかに元気を取り戻し、売り口上の声も張りが出て大きくなり、動作も機敏になり、さっきまでとはまるで雰囲気が変わった。
こういう子は一度自信が付いて辛抱強く待つことを覚えれば結構化ける事があるので、息子の無駄な動作が呼び水となって本当によかったと思った。
三歳児といえば、普通に考えれば、自分のこともまだ満足にできず、すぐに泣き叫び、気を抜けば糞尿を漏らし、手がかかるばかりで人の役に立つようなことはできない。しかし、視点を変えれば三歳児には三歳児にできる「人の役に立つこと」があり、それは今回のケースで言えば、客引きパンダになることで集客効果を発揮するということだった。
おばさんという生き物は、小さい子が飛び跳ねていると本能的に寄ってくるものなのである。
息子はそんなおばさんの本能など知らずに、ただおねいさんが笑顔でジュースをくれるから喜んで飛び跳ねているだけだったが、結果的に落ち込み気味な女の子の気持ちを奮い立たせ、売り上げに貢献した。
やり方さえうまくしてやれば、三歳児だって人の役に立つことができる。
こう考えると、役に立たない人間などいないという言葉が、きれいごとではなくひとつの真理なのだということがわかってきた。
役に立たない人間がいるのではなく、役に立つ方法がわからない人間がいるに過ぎないのだ。
帰り道にそのようなことをつらつらと考えながら、疲れた疲れたと抱っこをせがむ息子を抱っこしてしばらく歩くと、胸の辺りが生暖かくなった。下ろしてみると、胸元から梅雨のおしっこの生暖かいにおいが立ち上ってきた。私は泣いた。
いい話だと思って読んでた分、オチで吹いたw
ワロタ
やっぱフィクションかなー オチ上手いなー こういう軽い読み物いいなー