はてなキーワード: きれいごととは
出生前診断のニュース見てたら、キャスターが「病気や障害も個性だと思って~」っていってた。
すでに生まれている病気や障害の人がどうとかじゃなくて、単純に、「それが個性だとして、お前はその個性が欲しいか?」と思ってモヤモヤした。
すでに生まれた、病気や障害の人は、それと折り合いをつけるために病気や障害を個性ととらえ、それらとうまく付き合っていくのは必要だし大事だし尊重することはすばらしいと思う。「障害を持っている人になにを言うんだ!」ってことじゃなく、それが個性で尊重すべきだという人にすごくモヤっとする。
出生前診断自体は禁止されるようなことじゃないと思うんだけど。もしそれで障害があるってわかったら、それでもそれをその子の個性だと思い生まれてきて欲しいと願ったときに準備が出来るだろうし(知識をつけたり、環境を整えたり。金銭的な問題もあるだろうし)。
「病気や障害も立派な個性である」→「出生前診断は悪」って考える人は「病気や障害があるとわかったら中絶されてしまう(可能性が非常に高い)」と決め付けているわけで、きれいごとを言いつつおまえらは誰になにを求めてるんだ、と非常にイライラする。
https://twitter.com/hbkr/status/249403547815391232
みんな糞つまんないから盛り上げてやってんだよ RT @hszmtmhr: なんか最近の家入さんのビジネス、焼き畑みたい。新しいビジネスモデルを勢いでインパクトつけてやって、儲けたら去っていく。残ったビジネスモデルは冷ややかな目で見られる。
https://twitter.com/hbkr/status/249404452103143424
新しいビジネスモデルとやらをみんな小ギレイにやろうとしすぎてんだよ。つまんない。やるなら人の心をざわつかせなきゃ意味がない。その為にだったら畑だって自分だって焼くよ。
studygiftは明らかに悪いざわつきだろw
それがないですよ。ただ炎上させて騒がせるならどこぞのココア会社でもできる。
しかもstudygift以外のヒットしたサービスで家入の名前なんてみてないし。
「みんな糞つまんない」という割に。
よほど話題をかせがないと、小金もうけもできないのかしらないけど、
色々言っても分かる人には分かっちゃうよ。
本当にクリエーションしたい人と、クリエーションしてると言いたいだけの人の違いが。
この人、ほんと変わっちゃったなあ。数年前にペパボで会ったときのシャイな家入さんが好きだったよ。
ほんとに自分はクリエーターになれないからクリエーターが集まる場所を作りたいっていう謙虚な気持ちと
弱者の気持ちを知る優しさがあった。デブで坊主でうつむき加減でボソボソと喋ってたあの人が俺は好きだったよ。
彼の発言に共鳴してる人みると、取り巻きクラウトスコアの低さが顕著で、
悪い意味で高橋歩みたいになっちゃったなと思った(高橋歩は天然だけど)。
「もっと自由に働きたい」だっけ?本屋で家入の新刊見たときは間違いなくサンクチュアリ出版だと思ったけど違うのかな。
まあ、いずれにしても訴える読者層は「意識の高い学生()」で一緒なんだろう。(↓こういう奴)
https://twitter.com/HighGakusei_bot/status/245025569870315520
『100人をつなぐ【○○代表】/ 就活団体【○○創設】/【○○高校生代表】刺激が大好き。新しいことをして多くの人に出逢う人生を創る。それが生きていくエンジン。 サッカー/世界平和/感動/海外/MBA/学生団体/起業/「進むのは、時間じゃなくて自分自身
でも、今の彼からは「面白いサービス」を作りたいんじゃなくて、その先にある「金」とか「名声」への欲求しか見えないんだよな。
何かを盛り上げてるんじゃなくて、踏み台にしようとしている風にしか見えないからたたかれるんだと思う。
いやそれが目的でもいいんだけど、ならきれいごと言って格好つけるなと思う。
もう目立って金集めてっていう安易なモデルじゃ人はついてこない(それを象徴するのがstudygiftの失敗だけど)。
まあうまく目立てばウェブのことなんか何も分からないアホな投資家の心はいくらか「ざわつかせ」られるかもしれないけどね。
とか言いながら、一時増やし続けた家入のお店は順調に閉店してるみたいで。
もう残り三店か。
http://partycompany.co.jp/shop
追記
身も蓋もないStudygift
https://twitter.com/hbkr/status/251637387690668032
全く無い。なんで僕らが公共事業をやらなきゃいけないの?声をあげた子を助けられる"かも"しれないプラットフォームを立ち上げただけ “@yukiful: スタディギフトはどうでしたか?苦しむ学生を救うという大義はなかったのですか?“@hbkr: 幻想だよそんなの
エラい強気だけど、Studygift立ち上げの時に同じ事言えたのだろうか。
追記
http://ulog.cc/a/fromdusktildawn/14006
・プロジェクトが好き
・シェアハウスしたがる
・組織論について語る
・やたらとイベントを開く。
・「どうして~~なんだろう?○○すればいいのに」ってう文体で他人を批判
・自分は凡人ではないと考えている。
(捕捉1:本文の後に追記した。できれば最後まで読んでほしい。)
(捕捉2:指摘を受け、勢いだけで書きあげて論点がまとまっていないことに気付き推敲した。26日13時50分推敲完了。)
近頃の竹島騒動でK-POPファンの中にもそれに影響を受けている人は居る。私もK-POPファンだ。しかし私は竹島騒動によって自分のK-POPに対する見方が変わることは無い。
「竹島騒動を受けて見方が変わってしまった」「もうK-POPは聴きたくないと思った」そういう人を引きとめるつもりは更々ない。
私が言いたいのは竹島騒動のことではなく、それに「なんとなく反応しているファン」についてだ。ハッキリ言わせてもらおう。あなた達が何を問題にしているのか、何を求めているのか、まったくわからない。問題が無いのに問題にしているようにしか見えない。
竹島騒動は問題だ。シウォンのツイートも問題が無いとは残念ながら言えない。しかし問題を問題とも捉えられぬまま「なんとなく反応」していては、あなた達の意図せぬ方向に物事は進んでしまうかもしれない。
ファンがファンに何かを求めるのは愚行だと思う。そんなことをしようと思ったことは今までなかった。しかし今回の騒動を受けたファンの言動に私はイライラと同時に怖れを感じた。
私の主張を少しきいてほしい。主に言いたいことはこうだ。
「なんとなく反応」していると主張なき主張が生まれる
私の竹島騒動への考えを一応示しておく。尖閣諸島も含め、領土問題は存在しない。日本の領土だ。竹島騒動は李明博大統領の人気集めパフォーマンスだ。一方的なイチャモンだ。韓国の歴代大統領も任期が迫ると日本を叩いた。いわば常套手段だ。しかし常套手段にしても見逃すことの出来ないやり過ぎた行為があった。24日、野田首相が会見を開いた。ぜひその言葉の通り、今までの弱腰な姿勢を正し、毅然と大人の対応をしてもらいたいものだ。(最近便乗してイチャモンつけてくる香港の活動家達が尖閣諸島に上陸したのを受け、尖閣諸島に日本の国旗を掲げに行ったなんとも熱意に溢れる議員らがいたが、あれではダメだ。存在しない問題をこちらがまともに取り合ってどうする。)
(参考:平成24年8月24日 野田内閣総理大臣記者会見 内容 http://www.kantei.go.jp/jp/noda/statement/2012/24kaiken.html)
Super Juniorのメンバー、シウォンがツイッターで「独島(韓国における竹島の呼称)は韓国の領土で守らなければいけない。」という旨のツイートをリツイートした。更に彼の父親も大阪の橋本市長の「慰安婦問題の証拠があるなら韓国に提示して欲しい」という発言に対し、「橋下徹市長は次期総理大臣の候補者の一人ですが日本の政治家の水準を見るような発言ですね!ドイツと日本が違う証拠ですね 間違い事は間違いましたすればいいのに何ですか 本当に理解できないですね!」と日本語でツイートした。
(参考:SUPER JUNIORメンバーの父親が橋下市長批判! ファンにも衝撃が走るhttp://www.excite.co.jp/News/entertainment_g/20120824/Cyzowoman_201208_post_6594.html)
その後「シウォンに生卵ぶつててやる」という誰が言ったかよくわからない言葉が独り歩きし、ツイッター等でその界隈がやや荒れていたのは知っている人も多いだろう。
ちなみに24日横浜で行われたSuper Juniorのファンミーティングは無事おわったようだ。
(参考:SUPER JUNIOR、日本で初のファンミーティング 野外会場にファンびっしり!:http://japanese.kpopstarz.com/articles/4929/20120824/super-junior-elf-leeteuk-donghae.htm)
このようなことがあるのは快いことではない。それは確かだ。しかし、だからこそ問いたい。あなた達は何を求めているのだ?何が問題なのだ?
竹島は韓国の領土だと主張しないアイドル?アイドルの家族にもにそれを求めるのか?「生卵をぶつけてやる!」とか言わないファン?
実際これを求めている人も多くいるだろう。「日本にくるな!」とそういう人達が叫んでも止めることはできない。それは確かに理由のある主張だ。
だが私の見る限り、別に求めてないのに話題にあげている人がとても多い。
「あちゃ~シウォンやっちゃたな~www」
「シウォンが竹島を韓国領と言ったことで日本ファンは不快に思うぞ」というような意味であろう。このような、なんとなくわかったような顔して反応するファンが一番厄介だ。
「K-POPは国策だから、自分たちがアイドルに払ったお金が韓国という国にまわっているのかと思うとお金も払いたくなくなる。」
さらにこう続いた
「こういう気持ちが違法ダウンロードを加速させるのではないかなぁ」
なるほど、ご立派な理論だ。30程リツイートもされていた。だが安心してほしい。K-POPは赤字だ。
(参考1:「韓流・K-POP」 ブームなのに赤字とは:http://14819219.at.webry.info/201202/article_2.html)
(参考2:"韓流ブーム"文化産業国外の輸入が大幅に増加:http://economy.donga.com/total/3/01/20120206/43816231/1 ←韓国語記事。自動翻訳で十分読める。)
私は国家の資金投入があったからK-POPはここまで発展したと思う。国策でなかったらここまで品質の高いものは生まれなかっただろう。
私たちの払ったお金が政治家の懐に入る余裕はないだろう。そして問いたい。そう知っていたなら何故いままでK-POPアイドルを応援し続けてきたのかと。何故いま思い出したかのようにわざわざツイートしたのかと。このようなツイートをしていたユーザーの今までのツイートを見たが、K-POPアイドルで妄想を楽しんでいるではないか。このツイートをした後もだ。
いま韓国では日韓両国で活動し人気を得ているアイドルや芸能人に「独島はどこの領土か?」という質問がされている。
これに対しKARAは「韓国で活動するのは久しぶりです。日本のファンからは愛をたくさんいただいて…」と言葉を濁したそうだ。そして韓国のネットユーザーから顰蹙を買っているらしい。
(参考:「KARA」、竹島問題質問に「沈黙」 韓国メディアから批判浴びる:http://www.j-cast.com/2012/08/24143974.html)
なんともやり切れない気持ちだ。私から見ればそれをアイドルに聞くのは全くのお門違いで幼稚な行為に映る。しかし韓国内での価値観は知らない。重要に思ってる人も沢山いるのかもしれない。
このKARAの発言を受けて
「KARAは韓国の領土だと言わなかったことが嬉しい」というツイートを見かけた。
なぜだ?
竹島を韓国領と言えば日本ファンへの冒涜で、韓国領と言わなければ日本ファンへの愛の証明になるのか?
その言葉は「なんとなく竹島騒動を判断材料にしている」のではないか?
なんとなくであるならば即刻やめにして欲しい。あなた達は今までそれを判断材料にしてきたのか?そういうことを考慮してアイドルを好きになってきたのか?もともと韓国の竹島への行動の歴史を知っていて、そういう韓国が嫌いであったならば、「韓国の芸能人も竹島を韓国領だと思ってる。そういう人達の芸はいらない」と思っていたならば、最初から好きにならなかったはずだ。
「政治と音楽を一緒にしないでほしい…」という意見も見る。それは無理だろう。私は無理でいい。
無理でいいから、「KARAは竹島を韓国領と言わなかったから良い」なんて言わない。
そして「政治と音楽を一緒にしないでほしい」と思うならば、まずあなたがやめるべきだ。竹島とアイドルを絡める必要が無いではないか。絡めてしまっては「独島はどこの領土か?」という質問をし、踏み絵まがいのことをやらせたがる韓国メディアと同じだ。
気持ちはわかる。私もK-POPを知るまでは韓国のことは知らなかった。せっかくK-POPが日本で受け入れられてきて、韓国への好感度が多少上がっていたのに、このような竹島への行動によって好感度が下がってしまうのは勿体ないと思う。「勿体ない」という意見ならいいが、そういう意見すらないのに話題にあげる人があまりにも多い。そうやって話題にすれば話題を見て「なんとなくそんな気がする」と、よくわからないが何か感じ始める人が残念ながら居る。
まさにそれこそが
「KARAは竹島のことを韓国領といわなかったから印象がいい。」
「そういえばK-POPは国策だった。アイドルへ払ったお金が韓国の政治家の懐に入ってるように感じる。」
というような「不安や嫌悪感になんとなくそれっぽい理由をつけたい」というだけで湧き出した浅はかな言葉だ。
KARAは言葉を濁した。あえて触れなかった。触れることが出来なかったのかもしれない。関係あろうがなかろうがアイドルは常に矢面に立たされてしまう、辛く苦しい職業でもある。
日本のファンが「KARAは韓国の領土だと言わなかったから日本の味方だ」と受け取れるようなツイートをした。
ツイートした人、あたなは残酷だ。KARAの立場を更に辛いものにした。何も言えなかったKARAにあなたの自分勝手な感情をこすりつけるようなことを言った。自分の勝手な感情をアイドルに重ねることが必ずしも悪ではない。しかしこのような場合は賢い発言とは言えない。
私はあなた達が怖い。
「なんとなく反応しているファン」に告ぐ。
あなた達は今まで通りでいい!今まで通りで居られないと思うなら意見を持て!
あなた達の主張はなんだ。そもそも何か主張があるのか?
あなたはK-POPのCDを買った?日本語版のCDは?コンサートに行った?日本で開かれたコンサートには?
お金が払えなくてもK-POPが好きな人、PCで見てるだけの人、あなたもだ。まだ見たい?
もしYESなら、応援すればいい。答えは至ってシンプルだ。竹島のことが何かひっかかるなら意見を持ちなさい。
「韓国と仲良くできればいいのに」「ん~でも、私はそれで嫌いにはなれないな」「なんか悲しい」「わかんないや!でも好き!」
そういう反応をするということは多少なりとも興味があるのだろう。気になってはいるのだろう。だがそこで終わっては「好き」「仲良くしたい」という気持ちに逆らってしまう流れをつくりかねない。
私はK-POPは素晴らしいと思う。いまだかつてこんなに多くのエネルギー溢れる若者がアイドルになった時があっただろうか、こんなに歌とダンスに溢れている時があっただろうか。
韓国経済は停滞している。K-POPにピークがあったとするならば、それはもうとっくに過ぎている。これからは多様化していく。「アイドル」がやりづらい時代が近いうちに来る。それはそれでいい。
しかし今応援しているグループまたは個人の姿が見たいならこれからも応援しなさい。迷わずお金を払いなさい。「今人気のあるグループは生き残れる」と安心しているかもしれないが、どうなるかはまだ分からない。
今回の竹島騒動を受けて政治家が「K-POPも韓流も禁止したらいい」と言っているだとか、「K-POPは冬の時代到来」だとか報道している所もある。メディアは一斉にK-POP落としをはじめるだろう。「K-POPが大人気!」と囃したてた時と同じように。
そしてそれを見た幾人かの人は言うだろう「K-POPってもう終わりらしいよ~」と。
いつの時代も大衆は利己的で残酷だ。そして芸能人は常にそういう大衆から見られている。私だって芸能人には厳しい。
しかし好きなものに対しては厳しいながらも、何か問題が生じた時に知らぬまま流されてしまうのは悔しい。
「なんとなく好きになってなんとなく嫌いになる」そういうものを完全に否定することはできない。私にもそういう部分はある。でも私はK-POPが好きだし、まだ観たい。だから、なんとなく嫌いになるのは嫌だ。
もう少し考えて、そして知ってほしい。ファンというものは常に残酷で自分もその一員であることを。
「なんとなく反応」しているだけで、世論が変わってしまうことを。主張なき主張がいつの間にか主張になっていることを。竹島騒動とアイドルを絡めてに反応しているだけであなた達は主張しているのだ。「なんとなく嫌だ・不安だ・何か口にしておきたい」と。そんなつもりは無いと思うかもしれないが、残念ながらそうだ。
そしてこれも知ってほしい「なんとなく嫌だ」が集まれば、それなりに大きな流れをつくる。そういう流れがいつだって文化をつぶしてきた。主張なんて無かったのに求めてもいなかったのに知りもしないのに「嫌だ」という感情が集まるだけで文化は潰れてしまう。何故なら逆もそうだからだ。「なんとなく好き」が文化をつくる。
K-POPはまだ大丈夫だが「なんとなく嫌だ」が長引くのはいいことではない。なんとなく好きになってなんとなく嫌いになる人は止められない。でもあなたが、「自分はなんとなく嫌いになりたくない」と少しでも思うのなら、止まってほしい。
何か具体的に行動しなくていい。今まで通りでいい。
知識がないのに半端に反応していると逆に無知をひけらかすことになる。そういうファンを沢山見る。私もあまり長く続けると無知がバレてしまうのでぼちぼち終わりにしなければならない。
知らなかったのなら仕方が無い。しかしK-POPファンの間だけでは収まらない竹島騒動に反応するならこれくらいのことは知っておいてほしいと私は思う。そして意見を持ってほしいと思う。
あなたがまだK-POPを応援したいかどうかは知らない。それは自分で自分に聞いて確かめてほしい。
個人の感覚だが、私はK-POPアイドルのパフォーマンス・音楽を見聴きしている時は竹島騒動を感じない。都合がいいかもしれないが、都合よく楽しめて好きでいられるのが文化やアイドルではないのか。問題を意識させる力もあるが、そういうものを吹き飛ばせる力もまた音楽やダンスやアイドルにはある。
竹島騒動を感じるのはむしろ「なんとなく反応している」ファンを見る時だ。
シウォンは恐らく、しっかりと意見を持っている。私達と歴史見解に差がありシウォンがそれを信じているのは残念にも思うが、彼はきちんと意見を持っている。あなたの意見はなんだ?
求めている人を否定したいわけではない。求めていないのに何か都合が悪いような気分になってしまっている人を否定したい。求めていないなら何も都合は悪くない。
都合がよくたって図太くたっていいではないか。そういう所は韓国の竹島に対する行動を見習おう。
実際の政治情勢と同じく韓国と同じレベルで反応してはいけない。「なんとなく反応」しているファン達の中に問題は存在しない。領土問題と同じく。そんな所まで韓国にあわせてアイドルを苦しめることをする必要はない。
そして問題があるとすればそれは只ひとつ「なんとなく反応してしまう」ことだ。意見すらないのに、反応だけしてしまうことだ。
作品に対しては「買う」「買わない」で反応すればいい。感想や意見は大いに言えばいい。そういう権利は私たちにはある。「なんとなく反応」する権利だってある、それは確かにある。しかし好きなアイドルを潰したくないなら竹島騒動やK-POPを落とすメディアに「なんとなく」付き合う必要はない。
「メディアや政治家が拒否しても私は君たちを拒否しない。」私はこの姿勢を崩す必要を現段階で感じていない。
そしてその為の第一歩として「なんとなく不安がる」のはやめよう。それが今できることだ。
「反応せずに今まで通り応援する」これも「なんとなく不安がる」のと同じく立派な主張だ。不安を感じるのなら、何が不安なのか知ることをした方がいい。
ファンができることはシンプルで単純なのに、忘れてしまう人が多い。特にこういう時に限って都合良く忘れてしまう。何かしたいと思うかもしれないが、ファンが根本的問題を解決するのは難しい。
もしこれ以上問題が肥大化すれば行動を起こす必要が出てくるかもしれない。その時は伝えよう「メディアや政治家が拒否しても私は君たちを拒否しない」と。(あるいは別のあなたの意見を。)
もし日本人がアイドルに生卵をぶつけてしまったら言おう。「それは私の意思ではない。私はあなたを攻撃したりしない」と。
流れに逆らいたくて「なんとなく反応」してしまうかもしれないが、それは逆に流れを加速させることになる可能性も含んでいる。
おカタイ文章になってしまったが、必要以上に真面目であれということを言いたいのではないことはわかってほしい。
もしこのエントリーを見て賛同してくれるのなら、ツイッターでもmixiでもfacebookでも何でもいい、このエントリーを紹介してほしい。反応するなと言っておいて反応を求めるのは矛盾しているかもしれないが、私は今必要性を感じている。あなたもそう感じるなら、それは「なんとなく反応」では無いだろう。
以上が私の主張だ。
追記(8月25日23時47分):どうやらいくらかツイッター等に出回ったらしい。多くの人の目についたのなら書いた甲斐があったというものだ。自分で言うのもなんだが、私の主張はいわゆる正論に近い物かもしれない。きれいごとかもしれない。でもそういうものでしか問題には対抗できないのではないかと思う。(問題に思うのであればだが)
正論では片付けられない感情こそが「好き」の源だと思っている。私も感情を大事にしている人の前で正論を吐く輩は好かない。それはその人を生き苦しくさせる存在でしかない。
私も弱っている時に出会ったからK-POPを好きになれたのかもしれない。
感情を大事にしている人を、モヤモヤしていることを否定しているわけではない。そういうファンを排他したいわけではない。特にK-POPファンには女性が多い。女性の感情はきめ細やかでまた他人の感情の機微にも敏感だ。かくいう私も女なのだが、このエントリーを読んだ女性ファンの反応を見てこうやって追記を書いてしまっている。
そこで終わらせるとモヤモヤのまま終わると言いたい。私はこのような形で自分なりに自分のモヤモヤ(なんとなく反応しているファンに対する思い)を拙いながらも形にした。完全にモヤモヤを払拭するのは無理だが形にはした。
「言っていることはわかるけど、そうやって割り切れない…」
こういう発言に私はめっぽう弱い。頼む優しい人よ、否定された気分にならないでくれ。あなたの感情は感情、正論は正論だ。あなたの感情とアイドルの存在は割り切らなくていい。ただ正論と感情をぶつけても何も生まれない。正論は正論として頭の隅にでも置いてくれればいい。反論があるなら大いに論じてくれ。形にしてくれ。こんなこと言ったら都合がいいと怒られそうだ。怒られるのは苦手だ。だからあなたも都合よくあしらってくれ。こういう発言がまた優しい人を怒らせるのだろうか。優しい人の眉間にしわが寄るのが目に浮かぶ。
これもまたきれいごとなのか。
往生際の悪さを露呈してしまった。もうこれ以上は書かない。さらばだ。
追記2(26日0時50分):これ以上は書かないと言ったが、
この人の意見に納得できる部分があった。→http://anond.hatelabo.jp/20120826000136
私の「反応するな」という言葉はおかしかった。乱暴な理由づけを私もしている。この人のエントリーも見てほしい。いろんな人の意見を書いてほしい。そういうことの方が必要なのかもしれない。他の人の意見を見なければ気づけないことが沢山ある。どこかで私も「これ書いて終わりにしよう」と思っていた。それこそ無責任だ。問題に長く付き合っていくことも必要だ。騒ぎ立てるのではなく、論破しようとするのではなく、見続けていく付き合っていくことが必要なのかもしれない。ただそれはとても面倒くさい。だから誰もやりたがらないんだな。
きれいごといわないといけない世の中めんどくさい
「ファンタジーは非現実的」などという批判を誰が認めているのか。ファンタジー作家は皆、「非現実的なことを書いてごめんなさい、どうしてもこの物語を書きたいので見逃してください」などという懊悩を無意識にでも抱えながら、ファンタジーを書いているとでも言うのか。
SF作家の数多い自嘲台詞を引用せずとも、ファンタジーが非現実的であるという批判から逃れられると思っている作家などいない。
あ、批判って言うのは感情的に責め立てることじゃなくて、「欠陥」の指摘のことね。
感情的に責められると基本的に「ごめんなさい」一辺倒になっちゃうじゃん。
だから、そのエクスキューズとして「これはファンタジーですよ」っていうジャンル確立があるわけ。
たとえば児童文学に対しては「大人になって社会に出てみればこんな綺麗事は通じない」といった批判がなされるが、それは「大人をないがしろにするな」という批判にならないのか。
ならない。
大人をないがしろにするっていうのは例えば、「この局面でこんな言動する大人いねーよ!」という大人を出すという事だ。
適当なこというけど、スーパーのガムを黙って持ってきたという盗みを白状したらその場で激昂して子どもを絞め殺そうとする親の話、とか?
親は子どもの叱り方に気を配るもんだ。そんな過剰な叱り方をしたら子どもは反省を経て立ち直ることができない。やりすぎだ、不当で不快な本だ、という事になる。
逆にそんな親の元子どもが育っていく話ならそれはそれで親の興味を引くだろうが、「子どもに読ます本じゃない」という扱いになるだろう。
ついでに言うと、「この物語に比べたら今の社会の方がよっぽどきれいごとで動いてる面が多いんじゃないか」と思えるくらい過酷な児童文学は存在する。個人的な感覚ではグスコーブドリとか童話物語かな。
子供のために大人の現実を改変しているんだぜ。…もちろん「児童文学は大人をないがしろにしていない」。それは「現実をないがしろにしてでも描きたい物語がある」からではなく「現実に準拠する必要などなく、また準拠しないからと言って蔑ろにしているわけではない」からだ。
子どもの(理解)のために大人の現実を改変(=噛み砕いて表現)してはいるな。
ゆがめてはいない。
児童文学が現実に準拠する必要が無いとか舐めすぎなので死ぬといい。
そう、そこには違いがない。
違いがあるのは、「ファンタジーや児童文学は非現実的なだけだが、『私モテ』は作者の身勝手で書かれた物語を正当化するために非現実的である」という点だ。
幼児のやわ肌と大人の皮膚とにどんな違いがあるのか。大人になればナイフは跳ね返せるはずとでも思うのか。人間は大人になっても簡単に傷つく生き物なのだがひょっとしてお前はサイかゾウか何かなのか。
http://anond.hatelabo.jp/20120615165035
「ボクが優位なんだぞ!」みたいなアピール以外何の意味も無いセンテンスは控えよう。
多分2ちゃんねらーなんだろうけど
本当に「自分より下の人間」みたいなカテゴリやレッテルが好きな人だよね。
いや、きっちり説明して、と言われてもも何も私は説明するべきことは全部説明したんで、付け足すことないです。
反論できないなら出てこないでください。
あと、誤字りまくったり改行忘れたり書き直しまくったりするのも
度が過ぎると人の迷惑です。
ただ一つだけ言っとくと、あなたみたいな反応を見て、ああ、フミコさんは甘かっんだなと思った。
腹田くんとかあなたみたいなバカは奴は、基本的にはバカな発言をしたら相手にされないことが大事だ。
そして、しつこく食い下がるなら、ちゃんと自分の愚かな行為に対して痛い目にあうべきだろう。
今回の件は、どこまで事実かはしらないが、脅迫やら迷惑行為の領域である。それを皮肉るだけでぶん殴らずにおとしまえつけてあげた(本気で処分するのでなく、ネタで済ませてあげた)結果、本来バカは大事にならなかっただけでも感謝するべきだと思う。それにもかかわらず、相手の弱腰な態度に対してよりつけあがるのだということはよく分かった。人の態度がゲスいとか言う前にまず腹田が反省すべきだし、そこすっ飛ばしてよりによってフミコ側を叩くとか、なにいってんの?馬鹿なの?って感じです。
ほとばしるパッションというか体温の高さだけはすごく伝わってきますが
「増田で突っ込まれて超ムカ付いたから改めて腹田君を叩きに行く」という情動は
彼が見せてくれた異常な反応の一つ一つや
「自分に矛先向けられたらすごいスピードで発狂した挙句に何故かまた腹田君を馬鹿にし始める」
という行動は
とてもわかりやすくフミコフミオ消費者の一類型を露呈していると思う。
見下せる相手を探していて、攻撃性が強く、
自分への批判には全く耐えられない。
ちょっと批判されるや激怒して「バカ」だの「ぶん殴る」だの連呼する人ですら
馬脚を現す直前までは自分の攻撃性や本性を隠蔽しようとしてたし、
半ば本人も(ひょっとしたら今でも?)自分を攻撃的な人間ではないとか思ってる。
他人の差別心とか攻撃心とかにうるさいけど、
本当に攻撃心と手を切ってるわけじゃないし、切ろうという努力すらしてない。
攻撃しても怒られたり突っ込まれたりする危険が少なそうな獲物を前にした時に
普段きれいごと言ってる奴の本性がわかる。
「ヘイトスピーチ反対」とか言ってる奴等の異常な口汚さもお笑いだし。
人の攻撃性を非難するブコメですら、別の誰かへの必死な皮肉を込めるのだけはやめることが出来ない。
こういう人間は、
もう無理すんのはやめたらどうなのかね?
見下す相手が居なけりゃ一日とて息が出来ないんだから。
自分の攻撃性やクズぶりをカムアウトして受け入れれば、正義とか良識とか騙る必要も無くなる。
打たれ強さを上げればすむこと。
たったそれだけで、
ストレス解消の排泄を咎められたり
そういうくっだらねえきれいごとはやめようよ
若ハゲとか超かわいそうだろ実際
あんなの堂々としてたってみっともないし見苦しいに決まってるし痛々しいわ
みんな一生懸命髪型のおしゃれするのにその髪が無いんだぜ若ハゲはさ
しかもハゲの「みっともない」「老い」ってイメージはたっぷり刷り込まれてる
50ぐらいになって薄くなってるってなら「ハゲを隠すな堂々としてろ」って話も成り立つけどさ
現実にかわいそうな状況だったり不利だったりする奴について
だからハゲをからかうような冗談は言っちゃいけないと日頃から心がけてる。
女のブスとかも本当可哀想だと思うし、一方でブスに「ブスじゃないよ」とか言わない。
そんなこと言ったってブスの不利さは変わらないんだから、
足に重り付いてるやつに「重りなんか付いてないよ」って言うようなもの。
ブスがなるべく惨めな気分にならないように日頃から気を使わなきゃいけないと思ってるだけ。
不利な奴に対して「大丈夫」「気にしない」とかしょーもない嘘をつく奴って可哀想な奴の立場を奪うだけだろと思う。
死ねばいいのにね。
事の起こりは「大学を退学になったプチ著名な女性が、卒業の箔を付けるために大学に再入学するお金が欲しい」と本心で考えた。
彼女はその考えを同居する男性に「大学に復学したい」というきれいごとで告げた。
それを知った男性は「同棲する女性が『大学を退学になったプチ著名な女性が、卒業の箔を付けるために大学に再入学するお金が欲しい』と思ったので、これはネタになるかもしれない」と本心で考えた。
彼はその考えを友人に「『大学に復学したい』苦学生がいるから力になりたい」というきれいごとで告げた。
それを知った友人は「同棲する女性が『大学を退学になったプチ著名な女性が、卒業の箔を付けるために大学に再入学するお金が欲しい』と思ったので、これはネタになるかもしれない』と思ったので、活動実績になるWebサービスを立ち上げよう」と本心で考えた。
彼はその考えを仲間に「『『大学に復学したい』苦学生がいるから力になりたい』から早速行動しよう!」というきれいごとで告げた。
そうして徹夜して「『同棲する女性が『大学を退学になったプチ著名な女性が、卒業の箔を付けるために大学に再入学するお金が欲しい』と思ったので、これはネタになるかもしれない』と思ったので、活動実績になるWebサービスを立ち上げよう』」という本心に完全に合致したWebサービスが完成した。
彼らはそれを「『『『大学に復学したい』苦学生がいるから力になりたい』から早速行動しよう!』」と世間に対してきれいごとで訴えた。
無論そのWebサービスはどう見ても「『同棲する女性が『大学を退学になったプチ著名な女性が、卒業の箔を付けるために大学に再入学するお金が欲しい』と思ったので、これはネタになるかもしれない』と思ったので、活動実績になるWebサービスを立ち上げよう』」というものにしか見えなかったので、世間は大いに彼らを叩いた。
が、彼らは既に「『『『大学に復学したい』苦学生がいるから力になりたい』から早速行動しよう!』」ときれいごとで欺瞞していたので、世間の言うことに耳を貸さなかった。
そして多分、今に至っても彼らは欺瞞を続けている、そうしないと自分たちが無意識に抑圧した本心と直面しなければならないからだ。
トム・クルーズが若い頃、たしかトップガンの次の次ぐらいに出た作品で、アカデミー賞を取っている。
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主人公のチャーリー(トム)は、父の遺産相続問題をきっかけに、自分が物心つく前から施設に入ってて存在すら知らなかった兄のレイモンド(ダスティン・ホフマン)と再会して、施設から無理やり連れ出してはみたものの、自閉症のレイモンドが次々にやらかす奇行にすっかり参ってしまう。飛行機で移動しようと空港に行けば、「ABC航空はダメ、19xx年x月x日どこどこで墜落○○人死亡。DEF航空?ノー!19xx年x月x日○○人死亡……」と百科事典のように正確な記憶力を見せて暴れ回る。
弟がいくら確率を持ち出して説得しても兄のパニックはおさまらない。
根負けしたチャーリーが数千キロもの行程を運転して行こうと高速に乗れば、今度はハイウエイの死亡事故統計を口走って「いやだー!死ぬー!」と絶叫するレイモンド。
「どうすりゃいいんだよ!」とキレたチャーリーは、名前のない田舎道ばかりを走って西をめざすことに。野原の真ん中のうらぶれた安宿で熱いバスにでもつかろうと湯の栓をひねると、「ダメーーー!そんなことしたら赤ちゃんが!」とまたしても半狂乱に。
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映画だと、レイモンドのこの熱い湯船トラウマをきっかけにして幼かった兄弟の心の触れ合いの記憶が少しずつ呼び戻され、そこからしみじみと感動的なラストに向かって物語が動いていくのだけれど、別にここでなつかし映画語りがしたかったわけじゃない。
書きたかったのは、あの日以来、俺の嫁がレインマンになってしまったってことだ。
たぶん俺の嫁だけじゃない。日本中で、いや、遠く韓国や中国、欧州にも、突然たくさんのレインマンが生まれてしまったんだ。
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「大丈夫だよ、この説明を見てみなよ」
「そうは言うけど、実際言われてるような事態にはなってないじゃん」
等々、いくら条理をつくして話し合ってもダメなのだ。
嫁は怖いのだ。
安心より、怖いという気持を選んだのだ。
だから、科学的にマユツバだと言われようと、自分の原始的な恐怖心にフィットするものばかりに注目し、耳を傾ける。そして言う。
「ほら、ご覧なさいよ!みんなそう言ってる」
嫁がブックマークしているサイトやフォローしているツイッターの発信者名を見て、俺は失神しそうになった。
俺のTLでは、「○ン○○」だの「○ル○」だのと認定されている名前がきら星のごとく並んでいる。そう、微生物がコロニーを作るみたいに、彼らはお互いに引かれ合って堅固なオピニオン集団を形成しているのだ。
嫁が俺じゃなくて○○○○や○o○の行進についていく。
マジかよ。
勘弁してくれ。
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映画のチャーリーとレイモンドのような取っ組み合いにはならなかったけど、来る日も来る日も絶望的な言い争いが続いた。
わが家の食卓からはいくつかの食品が完全に姿を消し、子供は給食の牛乳にかえて水筒を持参するようになった。俺自身の親兄弟との関係もぎくしゃくしている。嫁が何か新しい心配の種を仕入れてくるたび、子供に新しい命令/禁止を下すたび、俺と嫁は決着のつかない論争を繰り返した。
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でも。
俺には嫁を放り出すことはできなかった。
「愛してるから」かと聞かれても、正直うなずけない。
そんなきれいごとにしがみついていられるには、醜悪なものを見過ぎてしまった。
でも、俺がここで見切ったら、嫁には行くところがない。
子供は俺一人でもなんとかなる自信はあるが、子供は俺のことも嫁のことも愛している。
もちろん、俺も嫁も、それぞれの人として限られた能力の限りを尽くして子供を愛している。
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四捨五入すればもう五十になろうっていうこの年で、いきなりレインマンと暮らす羽目になるとか、誰に想像できただろう。
ここで「考えや感じ方が違いすぎて落としどころさえ見つからない相手」をレインマンと呼ぶ俺には、全方向からごうごうたる非難が浴びせられるだろう。
嫁のコロニーからは「人をバカにするな!」と言われるだろうし、
俺のTLで気を吐いている闘士たちからは「ダスティン・ホフマンのようなほのぼのキャラに喩えるなどぬるいわ!」と批判されるだろう。
そしてなにより、現実に自閉症の人々と生活し、関わっている人たちからは、「偏見もいいところのとんだ愚か者」と指弾を受けるに違いない。この文章は、何の関係もないそれらの人々を引き合いに出す意図で書かれたものではないが、だからといって失礼が帳消しになるわけではない。そういった方々には心からお詫びしたい。
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ただ。
映画の前半で「何やってんだよ!」ってキレまくって、少しでも兄に普通の行動を取らせようと無駄な努力にきゅうきゅうとしていたチャーリーが、レイモンドの目に映っている世界を、レイモンドの視点から理解して、彼に共感はできないものの、たった一人の肉親としてずっとそばにいようとするようになっていく過程を思った時、そこにはこれまでの俺の文字通りハゲになりそうな苦しみに、なんというか一条の光を投げかけてくれるヒントが潜んでいるんじゃないかって思ったのだ。
レインマンの奇行を迷惑がって、施設に追いやってしまうことも一つの道だけど、
そうはできない家族にとって、できることはなんだろう。
チャーリーは、自ら悩み苦しみながら、レイモンドへの愛を見つけて再生できた。
俺はまだ、嫁への愛を見つけ出していない。
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うちのレインマンは、雨の日を極端に恐れている。
雨が降ると、家族全員に外出を禁止する。
雨じゃなくて、嫁に降り込められたうちの中で、俺はダスティン・ホフマンの顔をしたどこかのラスボスに祈りを捧げる。
――なあ、レインマン。
――ここに来て、歌ってくれよ。
――心に火傷を負った俺たちみんなのために。